2014/04/30

Post #1121

Budapest,Hungary
本日、仕事がせっかく休みだったというのに、何もせず、一日ひねもす眠って暮らした。
一日雨が降っていたとはいえ、疲れがたまりにたまっていたとはいえ、どうにも惜しい一日だ。
仕方ないので、ここんところサボっていた帳簿をつけたりして、自分の中で今日いちにち、何もしなかったのではなく、何かしらやったことにはしておいた。
読者諸君、失礼する。こうして四月も終わっていく。

2014/04/29

Post #1120

台北、永康街
世界に対峙して、無力感にまみれるのではなく、自分自身が無力であることを受け入れること。
この二つは似ているようで、まったく違う。ズバリと説明しにくいけれど。
徹底的に絶望すること。そうすれば、あとは希望しかない。アントニオ猪木の風車の理論だ。
読者諸君、失礼致す。よい連休を過ごしてくれたまえ。

2014/04/28

Post #1119

台北
本日、疲労困憊につき、写真のみ。だからといって、くそ仕事をすっぽかす訳にもいかない。俺には男の矜持があるのだ。
読者諸君、失礼する。とはいえ、頼むからゆっくり眠らせてくれ・・・。

2014/04/27

Post #1118

Essaouira,Morocco
本屋の写真コーナーに行くと、ネコの写真集ばかり売っている。
あれには、いつも苦々しく思っている。

どうして、作家性のある写真家の写真集がおいていないのか。
答、そんなもの世間一般ピープルは見たいなんて思わないから。

初めて行った本屋で、写真集のコーナーを探すと、アイドルの写真集ばかりだったりする。
おかげで、さほど親しくない人と話していて、自分が写真集をたくさん持っているというと、一瞬、変態キモオタを見るような目で見られる。
どうして写真集というと、誰もかれもそっちの方面のものばかり思いつくのか?
答、若くて魅力的な女のおっぱいのほうが、意味の分かりにくいスナップショットよりも魅力的だから。

ネコの写真集も、アイドルの写真集も、人間が、こういう写真が見たい、ネコはかく在れかし、小娘アイドルのセミヌードや水着写真はかく在れかし、と願うままのものが写っている。
そういう意味では、俺には退屈きわまりない、いかにも絵葉書になりそうな風景写真だの、美しい花の写真集だのと同じ文脈のものであるといえようか。

それらの写真集からは、何の発見もない。あるのは、人々の欲望に形を与えた姿だけだ。

はぁ、癒しだと?
勝手に癒されてろ。そんなの精神のマスターベーションだわ!

世間一般では、写真なんてそんな程度のものにしか思われていない。要は精神のマスターベーションのための、ずりネタだってことだ。

それはつまり、少なくとも、この日本の国では、さんざん偉そうなこと言っても、写真そのものを文化として扱うという文化的な態度が、まったく無いということだ。
読者諸君、失礼する。要は土人ってことだ。

2014/04/26

Post #1117

Budapest,Hungary
最近、真剣に煙草を止めようかと画策している。
別に健康のためとかじゃない。先日、体調を崩したあたりから、煙草が美味く感じなくなったのだ。
高い金を出して、わざわざ不味いものを買うこともない。

朝、仕事を終えて駅から家まで歩く道すがら、まだ冷たさの残る新鮮な空気が、煙草の煙で濁されるのが、何となく嫌な気がしたのだ。
時折、吸いたい時もあるけれど。なきゃないで、どうってことない。飛行機に乗ってヨーロッパとか行くときにも、12時間くらい吸えないんだしな。
そんな金があったら、フィルムや印画紙を買う方に回した方がイイ。何しろ、煙草を買うと、どうにもすぐに金が減ってしまうんだ。千円札を一枚くずして、小銭になったとたんに、その金は蒸発しちまうんだからな。まさに雲散霧消だ。せっかく稼いだ金は、どこに行っちまったんだ?
いつの間にやら煙草は、貧乏人がおいそれと気軽に吸えるようなものじゃなくなってきたんだ。
だからやめだ。

どうしても吸いたくなったら、仕事仲間に分けてもらえばイイさ。誰もかれも、気のイイ男たちだ。快く分け与えてくれるさ。

読者諸君、失礼する。間違っても、健康で長生きしたいからやめたいってわけじゃないんだぜ。そこんところを間違えないように頼むよ。

2014/04/25

Post #1116

Zagreb,Croatia
写真について

『卓上一個の果物を撮る人も、戦乱の野に報道写真を撮る人も「道」においては変りはないのであります。
従って本当の道というものについて実践しようとすれば、果物を写すのも、戦場に出て写すのも同じ覚悟でなければならぬ。
そういう写真家が天下に何名か出なければならぬのであります。』
安井仲治
読者諸君、失礼する。

2014/04/24

Post #1115

神農老街、台南

人間がせせこましくなく、のんびりおおらかに暮らせる世の中ってのは、文句なしに良いものだと思う。
しかし実際はどうだ?便利にはなったが、それで忙しくなるばかりだ。
人間は、本来、自分たちが楽するために作り出した仕組みに、追いたてられているんだ。
まったく、冗談みたいだ。

それどころか、サラリーマン諸君の残業代をゼロにするという、とんでも法案が話し合われている昨今だ。厚生労働省は真っ青だ。いまに医療費がかさんで仕方なくなるぜ。
俺のような世間の大多数の凡庸な連中は、今以上に苛烈にこき使われて、奴隷のように扱われることになるんだろう。そうして身体を壊したり、精神がおかしくなったりしていくんだ。
政治家と資本家が悪だくみしてるのさ。

俺たちがのんびりおおらかに暮らせる日は、もう来ないのだろうか。

神農街の街歩きは、今日で終わろう。
君といつか、こんな椅子に座って、のんびりひねもす、写真のことや人生のこと、好みの女や小説のことなんかを、のんびり話し合える日が来るなら…。
読者諸君、失礼する。そんな無為な一日は、人生を豊かにしてくれる一日だ。少なくとも、残業まみれの一日よりも、遥かに価値があるさ。

2014/04/23

Post #1114

神農廟より
大きな視点からみてみれば、俺たちの人生なんて、この線香が燃え尽きるまでの一時と、大差無いようにも思える。
俺も、君もいつかはいなくなる。そして、覚えてくれている人すらも、いつかはいなくなり、俺も君も、はじめからどこにもいなかったのと、同じようなものになってしまうことだろう。

読者諸君、失礼する。写真は、そのどうしようもなく残酷な存在の様式への、ささやかな抵抗であると、俺には思える。君はどうだい?

2014/04/22

Post #1113

神農老街、台南
神農街という名の由来は、この通りの突き当りに、中国の医薬の始祖である炎帝神農氏を祀っている廟があるからだ。廟とは、道教で言うところの、まぁ、寺みたいなものだ。
神農は人身牛面とも、人身にして角を持つとも伝えられる異形の神だ。
様々な植物を自ら服用してみて、その薬効を確かめたという。
これに関しては、この神農さん、手足と頭以外は透明で、内臓が外から丸見えに出来てたという話もある。つまり、片っ端からその辺の草を齧ってみて、自分の五臓六腑がどう反応するかを、自ら見極めて、薬草の効果を確かめていったということだ。これは知らなかった。便利すぎるだろう。
で、最後には長年にわたって身体に蓄積された毒によって、死んだという。
まぁ、並の人間なら、そんな総当たり戦を企画した段階で、死ぬのが決まったようなもんだけどな。
神農さんってのは、要は漢方薬の開祖ってことだ。

この神農街の一番突き当りに、鉄筋コンクリート3階建の立派な神農廟が建っている。
この廟に足を踏み入れてみると、寺男みたいなおじさんが、寒そうに上体を丸めながら、足を椅子の上に投げ出して眠っていた。
いや、ひょっとすると、何か物思いにふけっていたのかもしれないけれどね。
読者諸君、失礼する。
まぁ、この親父さんが、寝てようが、起きていようが、俺にとってはそもそも同じようなことさ。

2014/04/21

Post #1112

神農老街、台南
神農街でも建物の古い外観を活かしたまま、内部を改装して活用しようっていう試みが不断に続けられているようだ。
当然だろう。古いものは放置しておいたら、朽ち果てていくだけだ。放置された木造建築は、あっという間に荒れ果ててしまう。
この神農街が、古い街並みをとどめているのは、地元の人たちの不断の努力のおかげだろう。
けど、足元のケーブルは躓き転倒のもとなので、もう少し整理したほうがいいと思うぜ。何しろ俺は現場監督で飯を食ってるんだからな。俺の忠告は聞いておいた方がイイというものだ。

どうでもいいれど、今夜から戦線復帰するか否か、検討中。
読者諸君、失礼する。

2014/04/20

Post #1111

神農老街、台南
今日もまた、すこぶる体調が悪く、写真のみ。
読者諸君、失礼する。ここ2,3日でげっそりと痩せてしまった。

2014/04/19

Post #1110

神農老街、台南
本日、体調すこぶる不調につき、写真のみで失礼致す。

2014/04/18

Post #1109

神農老街、台南
なんだか、こうして見ていくと、日本でもこんな風景は目にする事が出来ると気が付く。
そうして、普段それに気が付かないのは、自分の目の怠慢のせいなのだ。

クソみたいな仕事のおかげで、なんだか全身筋肉痛だ。熱も出てきた。
しかし、男の稼業は『倒れる迄やれ!倒れたら這ってでもやれ!』が基本だ。代わりの効くような仕事は、プロの仕事ではないのさ。
サボっちまいたいが、そうもいくまいて。
で、医者に寄ってから仕事に行こうと夕暮れの道を、ドクロの握りのついた杖をつきながら、ふらふら歩いた。
途中、どこかでウグイスが啼く声が聴こえる。俺は口笛でウグイスの啼き声を真似てみた。少しいい気分だ。
すると、俺の口笛に応えるように、かすかに猫の声がする。
この声は子猫だ。
声のする方に目をやると、廃屋の壁の中から声がする。
これはなんかの拍子に、壊れた壁の板の隙間から、子猫が入り込んで、出られなくなってしまったにちがいない。
以前にも、そんな事があった。お店の天井裏に猫が住み着いてて、子猫を育てていたようなんだが、柱巻きの壁の中に落っこちて、一日中子猫の鳴く声がするってんで、壁を破って子猫を3匹救出した経験があるのだ。そこそこ長生きしてると、いろんな経験をするもんだ。
いま、発熱で朦朧とした俺の前に、かわいそうな子猫が廃屋の壁の中で助けを求めている。まかせとけ。
義を見てせざるは勇無きなりだ。
俺は疲れきった肉体から、渾身の力を絞り出して、壁の下地の木材をバキバキと剥ぎ取り、半ば腐りかけたような新建材の壁板を、叩き壊した。杖をテコにして、バリバリやっつけてやったぜ。まるで、なくなりそうなマヨネーズのチューブを、絞り出すようして、力を引き出した。
汗が吹き出る。
ハンカチもTシャツもベトベトだ。
熱があるんだ、当然だろう。
気持ちいいぜ。
自分で言うのもなんだが、俺は、微かな声を聞き取る感性と、助けてやりたいと思う優しさと、実際に力を奮って成し遂げるタフさがそなわったナイスガイなのだ。
俺が女や金に縁がないのは、世の中ではそういった素質は求められていないからだ。

子猫の声は止んだ。どうやら、俺の乱暴力に、震え上がっているようなのだ。
心配はいらない。とって食ったりしやしないさ。
それで、こいつがその子猫さ。

読者諸君、失礼する。今も熱に苦しみながら働いている。けれど、そのお陰さんで、こいつが廃屋の壁の中で死なずに済んだと思えば、まぁ、悪い気はしないね。

2014/04/17

Post #1108

神農老街、台南
ふと気がついてみると、愛用のコンタックスT3のファインダーアイピースが無くなっていた。
一瞬、憮然としたけど、よく考えてみたら、普段ほとんどファインダーなんて覗いて写真撮ってないんだから、全く問題ないことに気がついた。
どうせ、あと2台T3持ってるし、未来永劫使える、わけでもないしね。
どうだって良いことさ。
読者諸君、失礼する。

2014/04/16

Post #1107

神農老街、台南
こんなロッキングチェァ、いや安楽椅子と言いたいな、がそこいらに置いてある路地ってのは、風情があっていいものさ。
誰も座っていない椅子は、誰も座っていないがゆえに、不在の誰かを感じさせるものではなかろーか?
読者諸君、失礼する。

2014/04/15

Post #1106

神農老街、台南
今日も神農街。
当然ながら、そこは未だに人々が普通に暮らしている場所でもある。

読者諸君、失礼する。

2014/04/14

Post #1105

神農街、台南
昨日に引き続き、神農街をぶらりとしてみよう。世に蔓延る新建材のつまらぬ家々と違い、どれもなかなかに味わい深い物件が揃っているんだ。

読者諸君、失礼する。どーでもいいことながら、家の前に停めておいた自転車を盗まれてしまった。しかも、後輪の横に差しておいた傘は、ご丁寧に打ち捨てられていた。やはり、ぶらりと歩くべきだってこった。やれやれ。

2014/04/13

Post #1104

神農老街、台南
神農街は、台南市中西区にある、およそ300m余りの東西に走る路地だ。
途中、海安路二段という大通りに分断され、その東側は活気のある市場のなかに埋没している。
反対側の250mほどの路地が、古い建築様式が残る一角になっている。

しばらく、この神農街の散歩をしてみないか?原発だ集団的自衛権だとくだらないことで国民を欺いている日本の政治家のことなんか忘れて。

読者諸君、失礼する。

2014/04/12

Post #1103

士林夜市、台北
写真について。

『その写真を好きか嫌いかはぜんぜん別として、とにかくその写真を見たときに何かを感じさせる、見た人に。それがいい写真なんだ。』

ジョン・シャーカフスキー(元ニューヨーク近代美術館写真部長)

読者諸君、失礼する。君たちが俺の写真から、何かを感じ取ってもらえならば、俺は嬉しい。

2014/04/11

Post #1102

Goa Gajah,Bali,
バリ島のボブ・マーリィの連れの女性。
カメラを向けると、ボブに促されるようにして、にっこりとほほ笑んでくれた。
少し照れたようにはにかみながら香炉を捧げて。

神の棲む森での、幸せな遭遇。

このあと、彼らはさらに奥の祠に向けて歩み去って行った。
俺はふと、俺の前にシヴァとその神妃・パールヴァーティーが俺の前に人の姿を借りて現れたようにも感じたんだ。

目に見える世界は、象徴に満ちている。目に見えるものから、目に見えない意味を読み取ること。それによって、このどうしようもない世界は、重層的な意味を持つ。

現代人が、目に見えるモノしか理解できなくなったのは、残念なことだ。
はるか昔、神の名を呼べば、天から光の柱が降りてくるのを、地を割って光の柱が立ち上るさまを、ありありと幻視することができた俺は、いつもそう思う。
残念なことに、それは写真には写らない。

読者諸君、失礼する。ゴアガジャの旅は、これで終わろう。次はどこに君を連れて行こうかな。

2014/04/10

Post #1101

Goa Gajah,Bali,Indonesia
森の中の小道を下ってゆくと、小川が流れ、石造りの小さな橋が架かっている。
庭園の様に整えられているが、熱帯独特の深い森の気配に満ちている。
そんな道を上ったり下りたりしていると、山の斜面にはいくつも小さな祠がある。

名も知れぬ神々を祀っているのか。

俺の前に、髭と長髪をたくわえた男が現れる。
ふと、俺はボブ・マーリィを思い浮かべた。ドレッドではないけれど、ジャー(ヤハウェ)を信仰しているわけではないけれど、その物腰に敬虔さが、その表情に分け隔てのない寛容な心が見て取れる。

お互いに、『さらまっ・ぱぎー』、つまりおはようと声を掛け合い、あとは何を語り合うわけでもない。
けれど、十分だ。
森に満ちる神を仲立ちに、俺たちはつながっていると感じる。

見るがいい。彼らが祈りを捧げる小さな祠を。
それは俺が日本で見る祠と、ほとんど変わらない。
ここは熊野の森や、奈良の三輪山とも地続きなのだ。
俺にはこの時、このゴアガジャのボブ・マーリィが、同じ神の懐に抱かれている兄弟のようなものだったように思える。バリに生まれていた自分の姿のようにも思える。

彼もまた、俺と通じ合うものがあると思ったのか、にやりと笑って親指を立てた。

読者諸君、失礼する。

2014/04/09

Post #1100

Goa Gajah,Bali,Indonesia
森の奥から、御香の煙がかすかに流れてくる。
森の奥にも、サロンを巻いた男や女が、分け入っていく。
俺たちも、森を目指そう。

読者諸君、失礼する。

2014/04/08

Post #1099

Goa Gajah,Bali,Indonesia
散華。
神の御足のもとに捧げられた花々。
地を浄め、このどうしようもない世界を荘厳する。

読者諸君、失礼する。

2014/04/07

2014/04/06

Post #1097



Goa Gajah,Bali,Indonesia
物売りの女たちの子供だろうか。そこらに幼い子供たちがいる。
もちろん、この子たちにはプレイステーションもDSもなければ、気の利いたベビーカーもない。
それどころか、靴すら履いてない。
けれど、存分に幸せそうに見える。
そこに生きてあるだけで。
Goa Gajah,Bali,Indonesia
かつて日本でも、『七歳までは神のもの』と言われていた。
その言葉の裏には子供の死亡率が高かったから、子供の生き死にには人間の力だけでは如何ともしがたいという、ある種の諦めがあったからだとも言われている。
しかし、そうは言っても、こんな神様の棲んでいそうな森で、子供たちを見ると、確かに『七歳までは神のもの』という言葉は本当じゃないかって気がしてくる。

読者諸君、失礼する。カメラ屋に印画紙を10パケ200枚注文したら、メーカー在庫は7パケしかないって言われちまった。天下の富士フィルムともあろうものが・・・。冗談じゃないぜ。

2014/04/05

Post #1096

Goagajah,Bali,Indonesia
ゴアガジャの洞窟に関しては、先日触れた。観光案内のつもりはないので、それ以上は触れない。地球の歩き方でも見てほしい。
それよりも、俺の関心を惹くのは、やはり人間だ。

女たちは、境内のそこかしこで、ココナツや果物を売ったり、コカコーラを売っている。
午前中とはいえ、気温は高い。さすが南国だ。
誰しもその手のものについ手を伸ばす。
ここは神域なので、俺たちも含めて観光客は、腰に『サロン』というのかな、バリの正装を模した面の布を巻きつけないといけない。
半ズボンやミニスカートのままなんて、以ての外だ。
Goagajah,Bali,Indonesia
男たちは、三方に壁のない石造りの舞台のような中で、祠にかかげる幟だろうか、ヤシの葉のようなものを黙々と編んでいる。
そして、この中には、時折涼しげな風が吹き抜ける。
日差しは、とても強かった。

読者諸君、失礼する。この項、明日も続く。しかしなんだか、こういうのって紙芝居みたいだなぁ。

2014/04/04

Post #1095

Goa Gajah,Bali,Indonesia
田舎道は、次第に森の中に続き、細い下り坂へと変わっていった。
そして下りきったところに、石で造られた泉があった。
泉には、これまた石で造られたアプサラスだろうか6体の女神の像があり、その胸元から水が注がれている。
アプサラスはインドの水の精。妖艶な若い女性の姿で現れ、修行者を誘惑するという。
古のバリヒンズーの修行者たちが、洞窟の中で修業を重ねたというゴアガジャに、相応しいのか、相応しくないのか、よく考えるとわからないね。

この写真を撮った直後、俺は石の表面のぬめりに足を取られ、この泉に足を突っ込んじまった。
それもまた、アプサラスの誘惑か?

読者諸君、失礼する。

2014/04/03

Post #1094

Mr.Madi,The Taxi Driver
俺たちが泊まっているホテルからゴアガジャまではタクシーだ。
ホテルと契約しているマディさんが送ってくれる。彼は産まれも育ちもバリの山間の街、ウブドのプヌスタナンという集落。とても気のいいおじさんだ。明朗快活を絵に書いたようなナイスガイだ。笑顔を見れば、君も納得するはずだ。彼の息子も同じ仕事で、空港迄俺達のような観光客を送り迎えしている。マディさんは綺麗に磨きあげられたトヨタ車でゴアガジャのそばまで送ってくれた。なんの事はない道端でおろされたんだ。
俺たちは、マディさんと迎えの場所と大まかな時間を取り決め、ゴアガジャこっちと書いてある看板に従って、田舎道を歩いていった。
読者諸君、失礼する。次回に続く。

2014/04/02

Post #1093

Goa Gajah,Bali,Indonesia
ゴアガジャは、『象の洞窟』を意味する。そこではバリヒンズーの主神たる、ブラフマン、ヴィシュヌ、シヴァの三柱の神が、オドロオドロシイ洞窟の中祀られている。それも、生命力を象徴するリンガ、つまり男性器を象った三本の石柱として、祀られている。

シヴァとヴィシュヌとブラフマン
ちなみに、この手のものは日本でも、縄文時代には盛んに祀られていたようである。信州諏訪大社の御柱なんかも、その系譜にあると解釈してる。
また、奈良の飛鳥坐神社には、境内いっぱいにそんな男性器を象った石が林立している。

さて、その洞窟の入り口は岩盤を彫り、魔女ランダが目を見開き、口を開けた形に造形されているんだ。
そいつはイカにも観光客にウケそうだ。
そんな観光写真然とした写真を、俺が撮るはずもない。探してみたが、やはりなかった。
しかし、今にして思えば、やっぱり撮っておけばよかったか・・・。まぁ、いい。今更悔いても仕方ない。人生はそんなことの連続だ。
このゴアガジャで、俺を驚かせたのは、そんなものではない。そんなものはしょせんこけおどしだ。

俺が驚いたのは、その洞窟の脇に祀られている社、まさに社だ。
日本のそこいらの路地の片隅にある鎮守の社やお稲荷さんの社とそっくりな小さな社に、俺は驚いたのだ。
その刹那、俺の住む日本と、数千キロも離れたバリ島とが、文化的に一つの血脈にあるんだって直感したわけだ。
そうしてみてみると、このゴアガジャを包む森が、熊野の森のようにも感じられる。

目を凝らす。
風の音に耳をそばだてる。
植物の放つむせるようなにおいに満ちた空気を嗅ぐ。

よく似た感覚だ。

精霊のような神の棲む森。
そして、その森のほとりに住み、神を祀り、人々に果物やコカコーラなんかを売って生活を営む人々。
俺は、俄然写真を撮る気が湧いてきたんだ。
精霊は、写真には写らない。
そんなものが写ったら、それこそ心霊写真だ。
けれど、そこに息づくスピリットの幾分でも受容できたなら・・・。
神は細部に宿るというぜ。
俺の経験では、こういうところに来ると、たいてい神の使いのような人間が現れて、何かを俺に示してくれるはずだ。

読者諸君、失礼する。しばらく、このシリーズをお送りする。

2014/04/01

Post #1092

Praha,Czech
こんなのが、卑猥だのなんだの言われずに、店先に置かれてるような社会は、素敵です。この東海君子国では、子供の目に付くところにこういうものを置くのは、いかがなものか?ときやがる。
俺は結構上品というかエレガントでいいと思うんだけどな…。
個人的な見解だけれど、女の子は少しむっちりしてた方がいいと思うぜ。最近の日本の女の子は、やせこけたやつばっかりでいけねぇ。
読者諸君、失礼する。そういえば、今日から消費税がUPだ。これはエイプリルフールじゃないんだよな?買い置きするよりも、選挙で政治家に国民の主張をぶつける方がいいと思うが、どうだろう。