2014/06/30

Post #1181

Budapest,Hungary
『ウォールデン 森の生活』で有名なアメリカの作家ヘンリー・デヴィッド・ソローは、当時アメリカが参戦していたメキシコ戦争や、奴隷制度に反対する姿勢を表すために、人頭税の支払いを拒否し、投獄された。彼が当時住んでいたマサチューセッツ州は、奴隷制を採用してはいなかったが、奴隷制のしかれている南部からの逃亡奴隷を、南部に送り返していた。また、アメリカは領土拡張のために、メキシコと戦争していた。この戦争によって、アメリカはメキシコから、カルフォルニア、ネバタ、ユタの全域とその周辺の4州の一部を得ることになった。

当時、奴隷制も侵略戦争も法律では禁止されてはいなかったが、ソローは法律とは関係なく、どちらもそれは罪であり、人間にはそれを理解できる能力があると信じた。そして、その州政府に税金を払えば、その罪の共犯者になると考え、払わないことにしたという。

当然、その行為は法律違反だったので、彼は犯罪者とされた。
まぁ当然と言えば、当然だろう。
しかしながら、ソローは逃げも隠れもせず、逮捕にも抵抗しなかった。
彼は自分の利益の為に税金を払わなかったのではなく、政府に対する抗議活動としてやったのだ。堂々と逮捕され、収監された。

彼はこの行動を『市民的不服従』と名付けた。なかなかロックンロールだ。

まぁ、当然この振る舞いは、州政府には何ら痛痒を感じさせなかったわけなんだが、後のマハトマ・ガンディーや、キング牧師に大きな影響を与えたことは忘れてはなるまい。
(以上、C・ダグラス・ラミス『憲法は、政府に対する命令である。』平凡社ライブラリー刊を参照した)

さて、今日で6月も終わりなので、俺自身の会社で預かっている俺の所得税を払いに行くべぇかと考えているんだが、内心は払いたくなくて仕方がない。

金が惜しいのではない。いや、ほんとはちょっぴり金が惜しい。けど、問題はそこじゃない。

集団的自衛権に関するでたらめな議論とも言えないような与太話を積み重ね、白いものを黒とごまかしている政府に対して、共犯者になりたくないので支払いたくないということだ。

昨日は新宿で、集団的自衛権行使容認に反対して、焼身自殺を試みる人まで現れた。
俺は抗議の自殺なんてしたくないからな。だから、市民的不服従というのをここに提示しておく。

どんなに憲法を捻じ曲げようとも、どんなに矛盾した法律をでっち上げようとも、それに誰も従わなければ、それはただのむなしい言葉に過ぎない。一人や二人が従わなければ、豚箱に放り込まれて終わりだけれど、日本中すべての、いや少なくとも反対する人々が、従わなければ、それは大きな力になるはずだ。

何しろ俺たちは、タックスペイヤーなんだから。会社で言ったら株主だ。

税金の支払いを個人から会社が肩代わりする日本の制度は、日本人のなかで多くの割合を占めるを占めるサラリーマンというサイレントマジョリティーから、タックスペイヤーの自覚を奪う。
もし君が、サラリーマンだとして、自分自身で税金を支払ってみれば、つまり納税の手続きをしてみれば、どれだけ政府が黙って俺たちから金をもぎ取っているかわかるだろう。そうして、それは不要不急の公共事業にぶち込まれ、国の借金は膨らみ、国民の未来はますます暗くなっていく。
やらずぶったくりだ。そうして、今や国民一人当たり800万円にも及ぶ借金がつみあがってる。

とりあえず、今日は半年分の所得税を、いやいや払いには行ってこよう。俺がどんなにいきんでも、しょせんは嵐の中の屁の一発だ。けれど、本当に自衛隊が、イラクあたりに派遣されたとき、税金の支払を拒否するってのは、アリかもしれないな。


しかし、国の税金はあらゆるところにかけられている。消費税、ガソリン税、固定資産税、数えだしたらきりがない。温泉に入っても、入湯税が取られてる。

そうやって、国民生活のあらゆるところに課税して、俺たちのケツの毛までむしりとり、偉そうなことを言っていやがる。泥棒よりもたちが悪いぜ。そんな政府に対して、不服従で何が悪い?

もっとも簡単な不服従の方法は、国民の多くが、政権への異議申し立てとして、半年なり一年なり可能な限り消費を抑え、政府の歳入を細らせることだ。俺は貧しいから、もう長い事そんなことをやってることになるな。市民ではなく、消費者として表現されるわれわれ国民が、消費を一斉に控えたら、きっとそりゃもう、えらいことになるぜ。楽しみだな。

しかし、まぁしょせん夢物語さ。俺たちだって霞を食って生きているわけじゃないからな。
みんなしてそんなことしたら、たちまち未曾有の不景気だ。アルゼンチンのデフォルトなんて目じゃないぜ。
どうやら日本人は、景気さえ良くなれば、あとはなんだってイイって考えてるみたいだしな。理念と哲学がないのさ、おおかたの日本人の皆さんには。

読者諸君、失礼する。俺は自民党が政権に返り咲いてから、この国家に、とことんうんざりしてるんだ。

2014/06/29

Post #1180

Istanbul,Turk
平穏な一日だった。
カミサンとぶらぶら自分の住む町を散歩したりして過ごしたんだ。
明日から忙しくなるしな・・・。
町を散歩していると、いつの間にか、俺の住んでる町のシャッター通りともいうべき商店街に、コスプレした若者があっちにもこっちにもいる。その集団にくっついて、一眼レフで写真を撮ってる奴もいる。神社に行ってみても、巫女さんのコスプレをした女の子が、写真を撮られていたりする。
なんだか、俺が忙しく働いたり、暗室に引きこもっているうちに、面白いことになってきたもんだ。
しかしまぁ、俺はそれを面白半分眺めるだけで、写真に撮ったりしないけどね。

まぁ、そんなことで特に言うこともない一日だった。

読者諸君、失礼する。

2014/06/28

Post #1179

Istanbhl,Turk
今日は一日、本を読んで暮らした。
家からはほとんど出なかった。
その本の名は、白戸三平の未完の大長編『カムイ伝』。

読者諸君、失礼する。

2014/06/27

Post #1178

Budapest,Hungary
公明党さんには、がっかりだ。
外務省にも、心底うんざりだ。

読者諸君、失礼する。

2014/06/26

Post #1177

Istanbul,Turk
俺たち日本人は、島国で、大昔から単一民族でやってきたように思っている。
もちろん、それは今日の東北地方や北海道の異族を平定し、同化してゆく長い過程があったことを意識的にオミットしたうえでの発想だ。もちろん沖縄然りだし、古いところまでさかのぼれば、今日の天皇家へと続く大和朝廷の歴史は、各地方に割拠する異族を武力で制圧するという道程があったことは覚えておいてもいいと思う。
まぁ、それを踏まえたうえで、もう一度。

俺たち日本人は、この日本列島という国土と民衆の集合=クニと、統治機構である国家というのを一体不可分なものとして考えているようにお見受けします。
しかし、それは明らかに区別されるべきものなんだ。

たとえば、太平洋戦争敗戦を境に、日本は全く違う国家に切り替わっている。国土も民衆もおなじなんだけど、統治機構としての国家は全く違うわけだ。
それ以前は、天皇を主権者とするいわゆる立憲君主制国家だった。
国の名前を大日本帝国といった。
そして、敗戦によって生まれ変わったこの国家は、国民(本当は人民って言いたいんだけど)を主権者とする民主主義国家になった。
国の名前を日本国という。

ぜんぜん別の国家だ。

しかし、名前も国土(もちろん、満州や樺太、台湾も朝鮮半島も、そして地上戦が行われた沖縄までも失ったけれど)もそんなに変わらないので、同じクニだと錯覚しそうだが、国家の形態としては、全く違う。天皇は神から人間に、国家の主から国民統合の象徴になった。

そうして曲がりなりにも平和な70年が過ぎ、この日本国という国家の名の下で、誰一人戦場で殺されたものはいなかった。素晴らしいことだ。
武器を輸出することも禁じていたので、日本人の作った武器で、この70年殺された奴は、世界にはいなかった。

殺しあうよりも、愛し合う方が俺の趣味に合っている。不満はいろいろとあるが、大筋ではこの国家は悪いものじゃなかった。

で、いま、『日本をとりもどす』というスローガンを掲げて、国家の中枢を握った安倍晋三と自民党は、憲法解釈は自らの責任でと嘯き、この国家の方針を、強引に変えようとしている。

彼等が取り戻したいのは、戦前戦中の大日本帝国なんだろうと、俺は思っている。

冗談じゃない。そんな時代錯誤な男を、経済最優先、つまり目先の利益につられて、この国の人民は選び、彼に権力を与えてしまったわけだ。

国家とはなにか?ニーチェは古代の哲人ツァラトゥストラの口を借りて、ズバリこういってるぜ。
『国家とは、すべての冷ややかな怪物のうち、もっとも冷ややかなものである。』
(手塚富雄訳「ツァラトゥストラ 第一部 新しい偶像より)


国家なんてものを、あっさり信じてはいけない。

読者諸君、失礼する。この国家は、いま静かなクーデターに見舞われているんだ。誰にも止められないのか?

2014/06/25

Post #1176

Istanbul,Turk
便利になれば、見落とされるものがたくさんある。
5年ぶりくらいに熊野地方に足を延ばした。
久しぶりに行ってみると、高速道路が思いのほか伸びていて、かつて5時間近くかかったのが、3時間半ほどで行けるようになっていた。
便利なことこの上ない。仕事で行く際には、とても助かるだろう。
けれど、ぶらぶらと気ままな旅をするのには、高速道路は効率的過ぎて思いもよらないものに遭遇することもない。途中の風景も、ほとんどがトンネルと高架なので、楽しむ余地もない。
何かしら物足りないのだ。
まぁ、何時だって俺の旅は、大まかな行先だけ決めて、細かいところは行き当たりばったりだ。それでこそ、思いもよらない風景や見も知らない人との出会いがあるというものだ。
人生だっておんなじだろう。効率ばかり追い求めていたんじゃ、味気ない人生になってしまうんじゃないかい?紆余曲折があったほうが、人生も旅も思いで深いものになるんじゃないのかい?

旅先でいろんな人と話をすると、素直に高速道路が延びたことを喜んでいた。土地の人々がどこかに出かける際には、とても便利に感じるだろう。けど、その高速道路が通ったことで、今まで古くからの国道沿いで道行く人々を相手に営まれていた商売は、大きな打撃を受けることだろう。素直に喜んでいいとは思えないぜ。
だから俺は、高速を走るのはほどほどに抑えて、空いた時間で今まで走ったことのない道を通ってみた。
複雑な海岸線に沿った国道を走ると、ひっそりとした小さな漁村が、浦々に点在している。どこも道は狭いのだけれど、何とか止められそうなところに車を止めて、ひっそりとした村を、訪れる人もない神社を訪ねてみる。
それは、素敵な時間だ。
行きあった人に声をかけてみたり、声をかけられたりして、いろいろと話してみる。ソフトクリームひとつ買うのに、ただお金をやりとりするだけで終わるのは、確かに効率的だけど、そこで話し込んでみると、なかなかに面白い話が聞けたりもするものさ。
効率的なだけじゃ、人生の楽しみは半減だぜ。仕事には公立ってのは大事かもしれないけれど、人生には、寄り道、抜け道、廻り道が絶対に必要だと、俺は思ってるぜ。それはどこか、デジタル全盛のこのご時世に、あくまでモノクロフィルムで、自家プリントにこだわる俺の姿勢にもつながってるように思う。


読者諸君、失礼する。俺は、たった一回の人生を、じっくり味わっていきたいのさ。そう、何時だってこの瞬間は二度とないんだ。俺は俺のやり方で行けるところまでいかせてもらうさ。

2014/06/24

Post #1175

Isutanbulm
ついさっき、旅行から帰ってきた。
方々のパワースポットに行って、充電してくるつもりが、連日、山道の石段を上ったり下りたりしていたんで、体力は消耗してしまった。
本末転倒のようにも感じるが、それでいいのだ。
読者諸君、失礼する。眠くって仕方がないぜ。

2014/06/23

Post #1174

Istanbul,Turk

本日も、山奥の温泉でまったり過ごしております。
読者諸君、失礼する。

2014/06/22

Post #1173

Istanbul,Turk
熊野の山の中の温泉に赴いて、寛いでおります。
たまにはそんなのも、あってもイイでしょう。
神様を感じられる土地で 、ソウルパワーをチャージしないとね。
生憎の天気だったけど、それはそれなりに楽しいものさ。そう、要は気の持ちようだ。
読者諸君、失礼つかまつる。もう少しのんびりしてくるぜ。

Post #1172

Istanbul,Turk
ここ二日ほど、更新をさぼってしまった。
暇な時ほど、気が抜けて寝倒してしまったりする。ときにはそんなときもあるさ。とはいえ、ごく限られた少数精鋭の読者の方々を除いて、誰にも注目されていないので、別に構やしないさ。

サッカー日本代表の決定力のなさには、歯がゆいものがあった。もっとも俺はサッカーに詳しいわけではないが、ギリシャ戦は見ていて不満の残る試合だった。人数的にも11対10で優位に立っていたはずなのに、攻めきれなかったのは痛恨だ。
それに比べて、安倍晋三率いる自民党の決定力には、唖然とするほかない。
秘密保護法の時も、ごり押し無理押しで採決しておきながら「もっと時間をかけるべきであった」と心にもないことを言っていたが、今回の集団的自衛権に関する問題でも、数的優位を背景に、ぐいぐい進めていやがる。お友達を集めた私的諮問機関を嚆矢に、何十年も前の砂川事件の判例を持ち出し、過去の集団的自衛権に関する政府見解を、独自の視点で解釈し、白いものを黒と言い立てて、ワンサイドゲームの自公協議を力技でねじ伏せて、閣議決定で法案提出としたいというのだ。
恐るべき突破力と、決定力だ。強引力と言ってもいいだろう。
喩えるなら、一度ボールをキープしたら、立ちはだかるDFを力技でなぎ倒し、まどろっこしいパス回しなんかせずに、一気にゴールまで待っていこうとしているわけだ。
う~む、その決定力の幾分かでも、サッカー日本代表にも、それを分けてやって欲しいぜ。

あまりの牽強付会ぶりに阿呆らしくて、放っておきたくなるが、放っておけば成立してしまう。
しかし、この自民党の皆さんに権力を与えれば、こんなことになるだろうくらいのことは、俺はずっと思っていた。驚く事じゃない。そして、彼らを選んだのは、他ならぬ日本の有権者の皆さんだ。俺は、共産党に投票しているからな。
そして、有事に戦地に赴くのは、自民党の皆さんじゃなくて、有権者の皆さんの一部、つまり自衛隊員だ。そして、何れかの勢力に加担することで、宗教、民族のデリケートな問題に手を突っ込む羽目になり、海外でトラブルに巻き込まれるのも、日本の有権者の皆さんだ。残念ながら。

我が国の憲法は、天皇はじめ政治家、官僚、公務員に対して拘束力を持つものだ。他の法律とは、根本的に方向性が違う。もし、憲法で縛られている側が、自ら解釈を自分たちの思うように解釈を改める事が出来るなら、巷には法律を自分のいいように解釈して、自らに都合よくふるまう輩が跳梁跋扈する事になるだろう。もう、その時法の抜け穴を探す必要はないんだ。解釈を変更したとうそぶけばいいのさ。

読者諸君、失礼する。紛争解決の手段として戦争を放棄するってことは、戦争でカタをつけるってことよりも、人類としてはるかに進んだ考えだと思う。いっそサッカーとかで紛争解決したほうがいいんじゃないのって思うよ。

2014/06/19

Post #1171

Praha,Czech
本日、28カットプリント。
毎日、引きこもってプリントしています。
昨日、スランプ気味と言っていたけれど、スランプなんてものは、しょせん無理矢理でも数をこなさないと、何ともなりはしないんだ。
読者諸君、失礼する。

2014/06/18

Post #1170

Zagreb,Croatia
本日、33カットプリント。
疲れてしまったので、今日は写真のみお送りしよう。
読者諸君、失礼する。最近、ちょっとスランプ気味な気がする。

2014/06/17

Post #1169

Budapest,Hungary
市県民税を支払ったら、すっかり金がなくなってしまった。
困ったなぁ。
どうにもこうにも、生きてゆくには金がかかるようになっているもんだ。
如何に、金をかけずに暮らしtげゆくか。
どれだけ、欲望をコントロールできるか。
最近は、そんなことばかりよく考えております、ハイ。

読者諸君、失礼する。フィルムや印画紙に使う金は、ある意味での必要経費だ。ケチるなんてとんでもないぜ。

2014/06/16

Post #1168

Zagreb,Croatia
ワールドカップの熱狂の陰で、世界中のあちらこちらから、火の手が上がっている。
民族や宗教の違いで、人々が争っている。
その人たちには、抜き差しならない問題でも、俺からすると、どうしてそんなくだらないことで諍わなけりゃならないのか、不思議で仕方ない。
先日、親戚のおじさんの法事に行ってきたのだが、おじさんの家は曹洞宗だった。ご存知の通り、俺の家は浄土真宗なんだけど、別にそれで諍ったりすることもない。当たり前だろう。

お経を聞きながら、俺は、ふと暴力の嵐が吹き荒れるイラクのことを思う。

同じイスラム教でありながら、宗派が違うというだけで、人々が憎みあい、殺しあっている。
寂しい話だ。
ロシアとウクライナは、俺たちからすると同じように見えるが、反目を続けている。
もちろん、ウクライナってのはロシアと、ポーランド、あるいはドイツとのはざまで、長い事翻弄されてきた歴史があることも承知はしている。スターリンによって、とんでもない数の餓死者が出て、ウクライナでは墓を掘り返して人間の肉を食べるほどに追い詰められていた時代もあったのは知っている。
しかし、同じスラブ人同士、どうして仲良くできないのか?

しょせん、同じ人間だろう?

俺たちは、21世紀に暮らしているけれど、未だに同じ地球の上には、19世紀的な価値観でしか世界を見られない人や、中世のような価値観でしか世界を認識できない人たちがいる。
残念なことだ。
ついでに言うと、アジアの強国だった20世紀前半の日本に戻りたがっている人たちも、たくさんおいでのようだ。

反目するよりも、寛容であることのほうが、ずっと人間として高級な気がするんだが、どうだろう?

読者諸君、失礼する。人間が、人間であるというそのことのみで、尊重される時代が、早く来てほしい。俺の頭の中には、もうすぐそこまで来てるんだけどね。なぁに、簡単な事さ、みんながそう思えば、そんな時代はすぐにやってくるのさ。思うだけでいいのさ。金も手間もかからないぜ。

2014/06/15

Post #1167

澳門
今日一晩働けば、ここ一年近く続けてきた契約が終わるんだ。ここ一年、経済的には安定していた。もちろん低値安定ではあったが。けれど、納得いかないこともたくさんあった。そういうのがつもり積もって、すっかりうんざりしちまったわけだ。
身体だって、この抵抗力のなさはエイズにでもかかってるんじゃないかって心配になるほど、ガタガタになっちまつてる。たまらんぜ。もう若くないんだ。
で、そんな暮らしも、今日で一区切りだ。自分で独りで商売してる唯一のメリットは、やはり自分の判断でアクセル踏んだり、ブレーキかけたりできるところだ。それ以外には、何もないね。
読者諸君、失礼つかまつる。どうして人間は、いつまでも子供のように楽しく生きられないんだろうねぇ?もっとも、もう一回やってみるかいって言われても、お断りだけどね。

2014/06/14

Post #1166

Essaouira,Morocco
今日は、親戚のおじさんの一周忌だった。
いろいろな想いが胸中に去来する。それを言い表すことはできない。
言い表す事が出来ないんだったら、それについては黙っていよう。

読者諸君、失礼する。自分が死んだあと、誰が自分を懐かしんでくれるだろうか。

2014/06/13

Post #1165

Istanbul,Turk
毎朝、駅から歩いて帰ってくる道すがら、たくさんの猫を見かける。
何匹もかたまって、じっとこっちを見ている奴らがいる。中には舌をしまい忘れてる奴もいる。
ネコにとっては、目を合わせるのは敵意を顕わすサインだ。
じっと見つめずに、瞬きすることで、敵意がないってことを伝える事が出来るんだそうだ。

今朝も、黒猫と三毛猫が、激しく喧嘩しているのを見かけた。
つまらないからやめろと言って聞かせようとしたら、すぐそばの窓がガラリとあいて、唸り声をいぶかしんだおばさんが、迷惑そうな顔を出した刹那、ネコたちは唸り叫びながら、走り去ってしまった。

ネコのうろうろしている町は、好きだ。
ネコが草むらで眠っているような町は、いいものだ。

もちろん、ネコのきらいな人もたくさんいるだろうが、ネコがうろうろしていられる町は、まだ人間が路上に生活の軸足を、せめてつま先程度でもおいている町だと思える。だからこそ、写真を撮って歩いていても、面白い風景に出会えるってもんさ。

ねぇ、どうして人間さまってのは、ネコほど気楽に生きてゆけないんだ?
読者諸君、失礼する。どうにも、こんな惰弱な事を書き散らすなんて、俺もどうやら焼きが回ったみたいだな。

2014/06/12

Post #1164


根尾村水鳥
誰だって、最後は煙突から立ち上る煙となって消えてしまう。
もちろん、俺も、君も、どいつもこいつも。
なんだか憂鬱になってきたぜ。
ここんところ、何もやる気がしないのは、このせいか。それとも一年続いた夜勤のおかげさんで、身体の芯まで疲れ切っているのか。
プリントすらやる気にならねぇよ。どうしちまったんだ、まったく。

俺がいつか死んだら、まぁ、そん時はちょいとそこらに棄てといてくれ。あっと、それじゃ死体遺棄でお縄になっちまうのか。面倒くせぇ世の中だなぁ。
根尾村水鳥
人間が一人死んだことを、知ってか知らずか、ネコはのんきなものさ。

読者諸君、失礼する。このシリーズはもう今日でやめるぜ。辛気臭くなっちまうってもんだ。しかし、一体ぜんたい、俺たちの人生ってのには、どんな意味があるんだ?

2014/06/11

Post #1163

根尾村水鳥
根尾村水鳥
今日は仕事が休みだったのに、何をするというわけでもなく、無為に過ぎてしまった。
読者諸君、失礼する。

2014/06/10

Post #1162

根尾村水鳥
火葬場は、駅に隣接している。
初めて見たときは、俺はそれが火葬場とは気が付かず、ごみ焼却施設か何かなのかと思っていたほどだ。
写真でも、奥の方にローカル線のホームが見えるだろう。
このローカル線は、30年ほど前に開通した第三セクターで、樽見鉄道という。
ローカル線のご多分に漏れず、経営は苦しそうだが、毎年桜の時期には、花見客でにぎわう。
この駅のもう一つ奥の終点、樽見から歩いて15分ほどのところに、有名な淡墨桜があるのだ。
大昔、越前から大和に入り、皇統を継いだ継体天皇がお植えになった桜だと伝えられている。
すっかり忘れられ、荒んでいたのを、作家の宇野千代が保存運動を呼びかけ、桜は息を吹き返した。
この葬儀もちょうどそんな季節に行われていた。
駅に電車が停まると、小さな電車にぎっしりとつまった善男善女が、一体この喪服の一団は何をしているんだといった表情を浮かべて、俺たちのほうを見ていたものだ。
まさか、駅のすぐ横が火葬場だとは、誰も思うまい。
ついでに言えば、駅のホームのすぐ横には、墓地が設けられている。
コンパクトな都市計画だ。
火葬場から直行っといった風情だ。
そして何より、生と死が無造作に隣り合っているような雰囲気がたまらない。
本来、生きるってそういうもんだ。縄文時代の集落は、真ん中に墓地があり、そこで人々は、祭りを行っていたと考えられている。どことなく、そんなことを思い起こさせて、愉快な気持ちになる。
根尾村水鳥
スレート葺きの屋根の下には、臨時の祭壇が設けられる。
ここでまた俺は驚いたのだが、実際に焼き場の窯を操作するのは、市の職員とか穏亡さん(これは差別用語なんだそうだ)とかではなく、部落の住民自身だった。
隣のおじさんが、窯に火をともし、火力調整を行うわけだ。
どこまでいっても、Do It Myself 精神が満ち溢れている。
それは、素敵な事のように俺には思える。
俺だって、死んだとき、親しくしてきた人の手で葬られたほうが、きっとうれしいだろうとおもう。まぁ、死んじまってから、嬉しいもへったくれもないか。
窯のくちの前には、『往相門』と『還相門』という額がかかっている。
往相、還相とは、浄土真宗に特有の概念だ。
往相門はもちろん、極楽往生する門を意味している。
そして、還相門は、極楽往生しながら、再び仏の化身として、この世に帰ってきて、未だ救われていない人々を浄土に導き救うという、レイヤーが一段上がった再生を意味するのだ。

かつて親鸞聖人は『道端で苦しんでるやつがいて、それを助けたかったら助ければいいし、助けたくなかったら、放っておけばいい。なぜなら、そこで助けたとしても、それは限定的な救済でしかなくって、救われていない自分たち凡人には、限定的な救いしか与えることはできないからだ。』という意味のことを言っていたそうだ。
そして、それに続けて、『だからこそ、念仏を唱え、阿弥陀仏の本願力にすがって往生し、自ら仏となり、そうして再度この世に還ってきて完全な救済を施すのがいいんだ。』というようなことを語ったそうだ。
壌土真宗は、一般に言われているように単なる他力本願ではない。人間の努力や能力など、しょせんたかが知れているということを、酷烈に認めているわけだ。

そしてそれはどこか、古いアジアの生死観、つまり何度も生まれ変わり死に変わりして、先祖の霊が子孫に宿って再生し、命をつないでゆくという永劫回帰のような世界観とも響きあっているように思える。

読者諸君、失礼する。そこでは、生者の世界と死者の世界が、重なり合っているように思える。あなかしこ、あなかしこ。

2014/06/09

Post #1161

根尾村水鳥
葬列という言葉があるけれど、実際に葬列に出くわすことってのは、あまりないんじゃないかな。
だって、今じゃみんななんとか会館のホールで葬式で、火葬場までは霊柩車だろう?
棺桶を担いでみんなが列をなして歩くっていうのは、21世紀の日本じゃなかなかお目にかかれないよね。
しかし、俺はここでそれを目の当たりにした。

棺桶は、2本の角材の上に載せられ、男たちが担ってゆく。

このあたりの部落には、かならず火葬場がある。
火葬場まで、300メートルくらいだろう。細い路地のような道を、ゆっくりと歩み、棺桶を運ぶ。
ここでは、もう何百年も、こんな営みが続けられてきたことだろう。

けれど、その伝統も、もうすぐ消えてしまうに違いない。
伝統的な生活は手間暇かかるし煩わしい。それに、その営みを支える信仰心が失われてしまったら、何の意味もないのさ。

根尾村水鳥
読者諸君、失礼する。今日はこう見えて忙しいんだ。まぁ、くだらない用事だけれどね。

2014/06/08

Post #1160

根尾村水鳥、ご出棺です

根尾村水鳥、霊柩車は使わない。若い男は棺桶運びだ。
本日、日曜日 なので写真のみ。
読者諸君、失礼させてもらうぜ。

2014/06/07

Post #1159

根尾村水鳥
田舎の葬式は、なんとか会館じゃなくて自宅で行われるんで、参列者は田んぼの横の道に並んでいる。

根尾村水鳥
参列の皆さんは、部落の序列や死者との縁の深さによって定められた、さまざまな供物をもって、もうすぐ始まる野辺送りを待っている。うちのカミサンは、そうめん持ちだった。
俺はもちろん、カメラ持ちさ。

根尾村水鳥
もうすぐ、出棺だ。この細い道を、焼き場まで歩いてゆくのさ。

俺たちは、誰もみな、生まれながらに不完全な死体だ。徐々に時間をかけて、毎日少しづつ死んでいっているのさ。

読者諸君、失礼する。死を自分の人生から切り離して考えるのではなくて、自分の人生に繰り込んで生きる事。それによって、生きる意味が初めて浮き彫りになる。闇がなければ、星は輝けないんだぜ。

2014/06/06

Post #1158

根尾村水鳥
昨日は爆睡してしまったというのに、今日はまた携帯用に新しく用立てたSDカードに音楽を5,000曲くらいぶちこむなんて、しょうもないことをしていたおかげで、睡眠不足だ。生欠伸が止まらないぜ。
これから朝まで男の仕事だというのに。困ったもんだ。

しかし、ロックがなければ男の仕事ははかどらないしな。

まぁ、そんなことはイイんだ。
今日もまた、君に見てほしい、岐阜県の山の中の部落の葬儀の断片を。
民俗学者、宮本常一のとった写真のように、もうすでに俺たち21世紀の日本人には、異国としか思えない風景だ。
根尾村水鳥
読者諸君、失礼する。それ、およそはかなきものは、この世の始中終さ。どんなに時代が変わっても、人が死ぬことからは逃れられないぜ。

2014/06/05

Post #1157

根尾村水鳥
梅雨入りが近い。
先日の異常な暑さはすっかりおさまり、雨模様だ。
気圧のせいなのか、日ごろの仕事の睡眠不足がたたっているのか、どうにも眠くて仕方ない。
涼しいので夕方仕事に出かけるまでに、プリントでもしようかなんて下心もあったのだが、どうにもそんな気にもなれないほど眠い。
そういう時は、眠るに限る。

眠りは一回ごとの小さな死だというような文言を、どこかで読んだ。
どこで読んだのか全く思い出せないけれど。
ならばこそ、一日一日をよく生き、よく死ぬことが必要だ。

読者諸君、失礼する。人生はなんだか夢のように過ぎていきます。

根尾村水鳥

2014/06/04

Post #1156

根尾村水鳥
葬儀の写真を撮ることには、誰しも抵抗があるだろう。
実際に、俺もそこまで縁の深い人ではなかったので、ずけずけと上がり込んで、葬儀の一部始終を撮ることは憚られたってもんだ。
俺だって、人の子だ。
けれど、君はこんな葬式見たことあるかい?
きっと、たいていの奴は死んでも見ることはできないはずだぜ。
そして、ここでももう次の世代には、見られなくなっているに違いない。
ならば、撮って撮って撮りまくるしかねぇだろう。
それが俺のできる供養ってもんだ。違うかい?
実際に、土地の人々には、しっかり撮っておいてほしいと言われたぜ。
全貌を伝えることはできないけれど、そのエッセンスは君にも届くはずだ。
田舎もんだと笑いたい奴は、笑えばイイさ。
けれど、俺たちは皆、どれだけスカシテいたって、ついこの間まで、そう君の爺さんくらいの頃まで、たいていの奴らがこんなようなことをしていたんだ。

根尾村水鳥
読者諸君、失礼する。まだまだ続くんで、ちょっとペース配分してみたよ。

2014/06/03

Post #1155

根尾村水鳥
部落の人々は、誰かが死ぬたびに、極楽浄土への往生を願いつつ、切り紙や幡を作り、この娑婆を荘厳してきたに違いない。
幡に記された文字から、それが何を意味しているのか俺にはよくわかる。
そこに記されているのは、みな阿弥陀如来の別名だ。
かつて親鸞聖人が記したといわれる正信偈と、それに続く浄土和讃にその名は現れる。

『佛光照曜最第一
 光炎王佛となづけたり
 三塗の黒闇ひらくなり
 大應供を帰命せよ』

炎王光佛ってなってるのは、ご愛嬌か。まだまだ続く。

『道光明朗超絶せり
 清浄光佛とまふすなり
 ひとたび光照かふるもの
 業垢をのぞき解脱をう』

『無明の闇を破するゆへ
 智慧光佛となづけたり
 一切諸佛 三乗衆
 ともに嘆譽したまへり』

『光明てらしてたへざれば
 不断光佛となづけたり
 聞光力のゆへなれば
 心不断にて往生す』

『光明月日に勝過して
 超日月光となづけたり
 釈迦嘆じてなをつきず
 無等等を帰命せよ』

俺は、象徴ってのが好きだ。
象徴ってのは、人生を奥深く立体的なものにしてくれる。
ともすれば無意味と虚無に流れがちな人生に、象徴は意味を与えてくれる。
象徴を見失うと、人は世界を計測可能な効率や資産価値でしか測れなくなる。
薄っぺらな世界だ。

仏の名を記した幡を立てれば、その時空には上に記したような和讃が、声無くして響き渡る。
寂れた田舎の寒村が、春の日差しに晒されて色のかすんだような山村が、それによって仏の浄土へ真っ直ぐつながる土地へと清められる。
すくなくとも、それを見た真宗信徒の胸中には、阿弥陀如来を讃えた和讃の文言が、その独特のメロディーとともに立ち上がってくることだろう。
それだけでもイイのだ。それは、仏の実在を人々に指し示す符牒のようなものだ。
そして、善でも悪でもなかった死者は阿弥陀如来の光によって、極楽往生すると思う事が出来るのだ。
その荒唐無稽なことを信じることが、信仰を持つということだと俺には思える。
では、信仰を持たない人々の死には、どんな意味があるのか。
そこにはいったいどんな救いがあるのか?

君も何度か参列したことがあるだろう、何とか会館の葬儀の、無味乾燥なこと。
人の死すら、消費されている。
出来る事なら、俺自身も、この村のような葬儀で、この世とおさらばしたいもんだ。

読者諸君、失礼する。願以此功徳、平等施一切、同發菩提心、往生安楽國

2014/06/02

Post #1154

根尾村水鳥
昨今の日本では、葬儀はなんとか会館とかいう葬儀屋の斎場で行われるのがフツーだが、そこは全然違っていた。
部落中が親戚同然のその一帯では、葬儀はそれぞれの家で行われる。
葬儀屋は、司会進行と棺桶と祭壇を用意するくらいだ。霊柩車すら使わない。
死者の家は、近隣の皆さんが夜通し作った切り紙で荘厳される。
どの家も皆、部落にある浄土真宗の檀家なのだ。きっと何百年もそういうしきたりが続いてきたのだろう。
かつて、日本には村八分という言葉があった。つまり火事と葬式だけは除いて、部落内の付き合いをしないという断絶状態だ。つまり、一種の差別だな。
ここにきて、火事はともかく、どうして葬式が除かれていたのかが、俺にはなんとなくわかった。
とんでもなく、手間がかかるのだ。
そして、死は、現代日本の大抵の暮らしのなかでは、極力目に触れないように慎重に扱われているが、そこでは、日常の延長にポンと置かれているように思える。
読者諸君、失礼する。俺も君も、いつかは死んでしまう。これだけは確かなことだぜ。

2014/06/01

Post #1153

根尾村水鳥地区
今回から、ある山村の葬儀をドキュメント風にお送りしよう。
うちのカミサンのおじさんが死んだという連絡が入り、俺たちはその山村に向かった。

読者諸君、失礼する。体調を崩しており、長々文章を書く気力がないのだ。