2014/06/02

Post #1154

根尾村水鳥
昨今の日本では、葬儀はなんとか会館とかいう葬儀屋の斎場で行われるのがフツーだが、そこは全然違っていた。
部落中が親戚同然のその一帯では、葬儀はそれぞれの家で行われる。
葬儀屋は、司会進行と棺桶と祭壇を用意するくらいだ。霊柩車すら使わない。
死者の家は、近隣の皆さんが夜通し作った切り紙で荘厳される。
どの家も皆、部落にある浄土真宗の檀家なのだ。きっと何百年もそういうしきたりが続いてきたのだろう。
かつて、日本には村八分という言葉があった。つまり火事と葬式だけは除いて、部落内の付き合いをしないという断絶状態だ。つまり、一種の差別だな。
ここにきて、火事はともかく、どうして葬式が除かれていたのかが、俺にはなんとなくわかった。
とんでもなく、手間がかかるのだ。
そして、死は、現代日本の大抵の暮らしのなかでは、極力目に触れないように慎重に扱われているが、そこでは、日常の延長にポンと置かれているように思える。
読者諸君、失礼する。俺も君も、いつかは死んでしまう。これだけは確かなことだぜ。

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