2014/06/16

Post #1168

Zagreb,Croatia
ワールドカップの熱狂の陰で、世界中のあちらこちらから、火の手が上がっている。
民族や宗教の違いで、人々が争っている。
その人たちには、抜き差しならない問題でも、俺からすると、どうしてそんなくだらないことで諍わなけりゃならないのか、不思議で仕方ない。
先日、親戚のおじさんの法事に行ってきたのだが、おじさんの家は曹洞宗だった。ご存知の通り、俺の家は浄土真宗なんだけど、別にそれで諍ったりすることもない。当たり前だろう。

お経を聞きながら、俺は、ふと暴力の嵐が吹き荒れるイラクのことを思う。

同じイスラム教でありながら、宗派が違うというだけで、人々が憎みあい、殺しあっている。
寂しい話だ。
ロシアとウクライナは、俺たちからすると同じように見えるが、反目を続けている。
もちろん、ウクライナってのはロシアと、ポーランド、あるいはドイツとのはざまで、長い事翻弄されてきた歴史があることも承知はしている。スターリンによって、とんでもない数の餓死者が出て、ウクライナでは墓を掘り返して人間の肉を食べるほどに追い詰められていた時代もあったのは知っている。
しかし、同じスラブ人同士、どうして仲良くできないのか?

しょせん、同じ人間だろう?

俺たちは、21世紀に暮らしているけれど、未だに同じ地球の上には、19世紀的な価値観でしか世界を見られない人や、中世のような価値観でしか世界を認識できない人たちがいる。
残念なことだ。
ついでに言うと、アジアの強国だった20世紀前半の日本に戻りたがっている人たちも、たくさんおいでのようだ。

反目するよりも、寛容であることのほうが、ずっと人間として高級な気がするんだが、どうだろう?

読者諸君、失礼する。人間が、人間であるというそのことのみで、尊重される時代が、早く来てほしい。俺の頭の中には、もうすぐそこまで来てるんだけどね。なぁに、簡単な事さ、みんながそう思えば、そんな時代はすぐにやってくるのさ。思うだけでいいのさ。金も手間もかからないぜ。

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