2014/06/25

Post #1176

Istanbul,Turk
便利になれば、見落とされるものがたくさんある。
5年ぶりくらいに熊野地方に足を延ばした。
久しぶりに行ってみると、高速道路が思いのほか伸びていて、かつて5時間近くかかったのが、3時間半ほどで行けるようになっていた。
便利なことこの上ない。仕事で行く際には、とても助かるだろう。
けれど、ぶらぶらと気ままな旅をするのには、高速道路は効率的過ぎて思いもよらないものに遭遇することもない。途中の風景も、ほとんどがトンネルと高架なので、楽しむ余地もない。
何かしら物足りないのだ。
まぁ、何時だって俺の旅は、大まかな行先だけ決めて、細かいところは行き当たりばったりだ。それでこそ、思いもよらない風景や見も知らない人との出会いがあるというものだ。
人生だっておんなじだろう。効率ばかり追い求めていたんじゃ、味気ない人生になってしまうんじゃないかい?紆余曲折があったほうが、人生も旅も思いで深いものになるんじゃないのかい?

旅先でいろんな人と話をすると、素直に高速道路が延びたことを喜んでいた。土地の人々がどこかに出かける際には、とても便利に感じるだろう。けど、その高速道路が通ったことで、今まで古くからの国道沿いで道行く人々を相手に営まれていた商売は、大きな打撃を受けることだろう。素直に喜んでいいとは思えないぜ。
だから俺は、高速を走るのはほどほどに抑えて、空いた時間で今まで走ったことのない道を通ってみた。
複雑な海岸線に沿った国道を走ると、ひっそりとした小さな漁村が、浦々に点在している。どこも道は狭いのだけれど、何とか止められそうなところに車を止めて、ひっそりとした村を、訪れる人もない神社を訪ねてみる。
それは、素敵な時間だ。
行きあった人に声をかけてみたり、声をかけられたりして、いろいろと話してみる。ソフトクリームひとつ買うのに、ただお金をやりとりするだけで終わるのは、確かに効率的だけど、そこで話し込んでみると、なかなかに面白い話が聞けたりもするものさ。
効率的なだけじゃ、人生の楽しみは半減だぜ。仕事には公立ってのは大事かもしれないけれど、人生には、寄り道、抜け道、廻り道が絶対に必要だと、俺は思ってるぜ。それはどこか、デジタル全盛のこのご時世に、あくまでモノクロフィルムで、自家プリントにこだわる俺の姿勢にもつながってるように思う。


読者諸君、失礼する。俺は、たった一回の人生を、じっくり味わっていきたいのさ。そう、何時だってこの瞬間は二度とないんだ。俺は俺のやり方で行けるところまでいかせてもらうさ。

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