2014/08/31

Post #1243

HomeTown/Nagoya
今日は祭りだそうなんだけど、俺には関わりのねぇことでござんす。
昨日も現場の前の大通りで、賑やかに踊っていたものだ。
しかし、現場はいよいよ大詰め。祭りに浮かれている場合じゃないんだ。
ふん、我ながら、つまらぬ大人になったものよなぁ。

読者諸君、失礼する。こんな感じではや八月も終わりだ。なんだかさみしい話だな。

2014/08/30

Post #1242

Ubud,Bali,Indonesia
今日もまた、近所の子供が激しく泣いている。
大人になると、泣いても何も状況は変わらないことが骨身にしみるので、泣かなくなるのだ。
泣いて状況が好転するのなら、どれだけでも泣くさ。

読者諸君、失礼する。

2014/08/29

Post #1241

Czech
今日はまじで写真だけ!
しかし、中世のたたずまいの残るチェコの 街角で、エレクトリック・シタールとは渋い。渋すぎる。そして何より、この青年の口髭がこれまた渋い。
読者諸君、失礼する。どうせなら、他の人とは違った趣味を持っている方なイイな。俺ももう少しマニアックな道楽が良かったよ。

2014/08/28

Post #1240

Český Krumlov,Chech
今日は忙しいから、写真だけお送りしよう。

いつだって忙しいのだが、今日は予防接種を受けに行かねばならんのだ。
何故って?そのうち衛生環境の不十分なところに旅行にでかけるからさ。

読者諸君、失礼する。

2014/08/27

Post #1239

Ubud,Bali,Indonesiaしゃ
遮二無二に仕事に打ち込んでいるうちに、

風にはもうどこか秋の気配。

どこか涼やかで、乾いている。

仕事だけで終わってしまった今年の夏を思うほどに、

子供の頃のキャンプで感じたような、

照りつける太陽と、

どこか甘い木々の香りを含んだ

心地よい風が吹き抜けていた、

バリのウブドが懐かしく思い出される。


そこでは木々の緑は

あくまで濃く、

あくまで深く、

太陽の光はくっきりとした影を大地に描き、

人々がこの世界に確固として存在していることを、

無言のままに、しかしあきらかに知らしめる。


意味だの価値だのといったくだらないものにかかわりなく、

世界はただあるようにしてあるのだと、

意味だの価値だのといったくだらないものにかかわりなく、

俺たちはただいまここに、あるようにしてあるのだと。

太陽は刺すような光で、黒々とした影を描き、

俺たちに語り掛けている。


無言のうちの雄弁だ。


ウブドの裏通りの、カフェというより飯屋で出会ったドイツ人の男は、

3か月ドイツで暮らし、

3か月バリで暮らす、

そんな暮らしを何年も続けていると言っていた。

きっと息の詰まるような、

力ない太陽の下での暮らしに、

便利ではあるが、どこか押さえつけられているような社会に、

倦み疲れ、息継ぎをするかのように、

ここに戻ってくるのだろう。

渡り鳥のようにね。


どうやって暮らしを立てているかは知らないが、

それは余計なお世話というものさ。

いやいや決してそうじゃない、

どうやったらそんな暮らしができるのか、

出来たら教えてほしいと言っているのさ。


そのドイツ人の流儀に倣えば、

俺だってそろそろ仕事をまとめ上げて、

バリ島あたりにしけこむ頃合いのはず。

しかし、そんな気配もない俺の暮らしぶり。


俺の心中の羨望を、

知ってか知らずかそのドイツ人、

立ったまま瓶ビールを飲み干すと、

陽気に笑い、ノーヘルのまま、

エンジンをかけっぱなしで停めていた

原付で走り去っていったっけ。

まったく、羨ましい限りだな。


照りつける太陽の光が、原付のミラーを通してなお、

俺に語り掛けていたものさ。

俺の目を射るようにして。

あるようにしてあればイイと。

読者諸君、失礼する。しかし思うに、そのあるようにしてあるという、力みのない状態ってのが、人間には難しいんだよなぁ。

2014/08/26

Post #1238

HongKong
現場が停電だというので、変な時間に仕事は終わってしまった。
夜中の1時。終電は出た後だ。こんなことなら車で来るんだった。5時43分の始発まで、まだ5時間近くある。
俺は久々にマンガ喫茶に行くことにした。
現場で眠っているというのも一つの選択肢だったのだが、真っ暗な百貨店の作りかけの店舗の中で眠るのは、そう面白いものじゃない。
こんな時は、マンガ喫茶だ。

俺はつい調子に乗って、読み倒しちまった。ハチワンダイバーを3年ぶりくらいに読んだんだ。17巻から最終巻の35巻まで。面白かったぜ。充実した読書体験だった。
しかし、まだ一時間くらいある。これまた読みかけのバガボンドを、12巻から36巻まで読み倒した。
気が付いた時には、とっくに午前九時になっていやがった。本当に俺はいい年こいて馬鹿野郎だな。分別のある大人には、なかなかなりきれねぇよ。

読者諸君、失礼する。とっとと眠らないとな。今夜も当然仕事なんだ。

2014/08/25

Post #1237

Singapore
華僑が祀る祠の前に、インド系の男が座り電話している。
古い信仰と新しい技術が交錯し、その発祥の地を遠く離れた異なる文化と血脈が、熱帯の太陽のしたで交わる。
それがいつか混じり会おうとも、異物のままだろうとも、なるようにしかならないので、その瞬間しか立ち会えない俺には、どちらもなるべくしてなることなので、好ましく思える。
できうれば、互いに侵しあうことなく、互いを尊重してくれればよいのにと思う。
熱帯の森林のように、あらゆるものが豊穣にあってくれればよいのにと、俺は思わずにいられない。

読者諸君、失礼する。寛容さに支えられた多様性というのは、俺の理想とするところなんだ。

2014/08/24

Post #1236

Osaka
今日は忙しいのさ。
日曜日だからではないんだぜ、仕事が山場なんだ。大忙しなんだ。
夜勤で今朝も朝帰りだったのに、睡眠や休息もそこそこに、出撃しなけりゃならないんだ。
至極くだらない中年の身辺雑記を垂れ流している暇なんてどこにもない。

仕方ない。
君たちはあまりに具体的過ぎて、イマジネーションを働かせる余地もない大阪のストレートな看板でも見て、抽象思考の苦手な日本人について、思いを馳せていただくことにしよう。

イカだよイカ。

そういえば、むかし西ドイツのツァイス・イコン(カール・ツァイスの今は亡きカメラ部門だよ)からイカレックスというカメラが出ていたな。(ああ、このダジャレ感覚、日本人にしか通じないよな。英語でイカって言ったって、イカレックスとのあいだに、なんら音韻の響きあいが生じないんだからなぁ。)
正確には1956年に経営不振のフォクトレンダーの全株式を取得したカール・ツァイス財団のもと66年に設立された、ツァイス・イコン・フォクトレンダーから発売された中級一眼レフですわ。
フォクトレンダーのウルトロンF1.8や、ツァイスのテッサーF2.8が標準レンズとしてラインナップされていたわけです。

なんとなく名前的には、コンタレックスの廉価版のような位置づけだったんだろうけど、レンズマウントにはまったく互換性もないし、決して悪いカメラではなかったんだけど、コンタレックスが良すぎるもんだから、あからさまにグレードダウンという雰囲気が付きまとっていたっけな。中古市場でも不人気なのかあまり見かけなかったなぁ。まぁいうなれば、君たち、コンタレックスが買えないのなら、こっちの安物で我慢してくださいよ、ってな感じだ。なんかそんなこと言われたら、頑張ってコンタレックス買おうって無理したくなるのが人情だよな。

イカレックスのイカってのは、ツァイス・イコンのカメラ部門の元になった、1920年代のドイツの四つのカメラメーカー(エネルマン、ゲルツ、コンテッサ・ネッテル、そしてイカ)の一つの名前から取られているんだけどね。この合併は、日本で言ったらニコンとキャノンとオリンパスとリコーあたりが合併するようんもんだった。当時のオールスターチームだ。
このカール・ツァイス主導のカメラメーカーの大合併には、第一次世界大戦と、それに続くドイツのハイパーインフレが深くかかわっているんだが、そんなトリビアな話題に興味のある読者などいないだろうから、ちょいと匂わせておいて割愛するよ。知りたかったら、連絡してくれ。君だけにそっと教えよう。どんな出来事も、歴史の大きな潮流からは逃れて存在することはできないのだ。

というわけで、読者諸君、失礼する。俺が好きなイカは、イカの姿フライのイカか裂きイカだ。イカ焼きは苦手だぜ。ましてやイカそうめんなんて・・・。

2014/08/23

Post #1235

Istanbul,Turk
いまいちいけ好かないところのある弟たちだが、それが何百万円も金を貸してくれと親父から頼まれたり、連帯保証人になってくれと懇願されたりするのを、黙って看過することはできない。
そこで俺は、今度こそ親父に引導を渡しに行くことにした。価値観の違いすぎる親父と、近くに住んでいながらも、親子としては距離を置いてきた俺だが、事業を清算し、負債を整理して、年齢相応につましく生きるべきだと、あえて言ってやろうと思ったわけだ。
俺の弟たちは、そうれを直言するにはいろいろと親父に借りがありすぎる。
商売の関係で親父のコネを利用している奴や、若いころにわがままを言って有名私立大学を中退し、これまた有名国立大学に入りなおしたりした奴、或いはこれまたわがまま言って国立の大学院まで行きながら、勉強についていけずに途中で断念し、学校で学んだことを実社会で一切役に立てていない奴らでは、引導を渡すことはできないだろう。
その点、俺は二十歳で家を飛び出してから、一切親父の世話になったり、借りをつくったりすることなく生きて来たからな、好き放題なんだって言ってやれるぜ。

で、親父の住処を尋ねると、親父は自分で作った晩飯をTVを見ながら食っているところだった。
そして、拍子抜けしたことに、親父自身から来月にでも事業を清算しようと思っていることを告げられた。
更に親父は、今回東京に仕事に行くついでに、埼玉の田舎に暮らす末の弟と福島で暮らしている下から2番目の弟を訪ねるつもりだといった。それは俺たちの予想を裏切り、金を貸してくれとかいう話ではなかった。
自分もずいぶん年を取ったので、子供たちのもとに出向いて父親として話し合い、お互いに理解するような機会は、もうそうそうないだろう。おそらく、自分の人生で最後になるかもしれない。自分は今まで、そんな話をすることもなかった。だから今更ではあるが、話しておきたいことがたくさんあるというようなことを訥々と話し続けた。
奇しくも、ここに来る直前に電話で話した福島に住む弟は、『いままで父親らしく接してもらったこともないのに、困った時だけ金を貸せと言われても、助けてやりたいとは思えない』と、一見当たり前のような、しかしどこか身勝手なようなことを話していたのと、俺の中で響きあっていた。
この親父自身も、今までの生き方を反省し、悔いているんだなと、俺は思ったのさ。

ならば、俺が言うことは何もない。俺は親父の話を聞き続けた。

親父の話は、終戦直後の混乱期まで遡った。
それは、終戦のどさくさに大陸から引き揚げてきたことに始まった。
戦後の混乱期に送った貧しい子供時代のこと。
物心ついた時から行商などで家族を養い、中学を出て働き始めたこと。
そして高度経済成長に歩調を合わせるように稼ぎまくり、自分の弟妹を学校に通わせたこと。
若くして土地を買い、家族を住まわせるために独立して家を建てたこと。
自分の父親(つまり俺の爺さんだ)の借金を肩代わりして返したこと。
俺を含めて4人の子供を私立の中高一貫校に通わる一方で、事業絶好調の最中に妻、すなわち俺のおふくろを癌で亡くしたこと。
バブル崩壊に伴い事業が衰退していったこと。
そして様々な幸運に恵まれ、往生際悪く、不景気のどん底を生き延びてきたこと。
そして、自分が世話をした弟や妹、そして息子たちが、自分に感謝してくれているように感じられない恨みつらみ。
それらのことを延々縷々と話し続けた。

俺は、そこに戦後の日本史を体現した人間の姿を見た。
そして、60年、50年前の出来事に、呪縛されている悲しい人間の姿を見た。
呪縛から解放されることは、自分の人生を否定することになるので、何時までもはるか昔に過ぎ去ったことにこだわり続ける哀れな男の姿を見た。

仕方ない。物心ついた時から、この人は金を稼ぐことしかやったことがないのだ。
銭金の絡まない人間の関係なんて、フィクションでしかないシビアな世界で、俺の父親が生きて来たのだということがよくわかった。
現代の普通の人間は、多感な思春期に友人との付き合いを通じて、社会性を獲得してゆくものだろう。
しかし、この人はそういうかけがえのない時期も、ただひたすら金を稼ぐために使い切ってしまったのだ。
人間性に偏りがあっても、仕方ない。
そして、そういう人間を生み出した背景には、戦後の日本の歩みが厳然として存在していることも、俺は直感的に理解した。

理解したならば、受け入れ赦すしかないじゃないか?

今まで俺自身も親父に対して、反発と軽蔑と相容れなさを感じていたのだが、それはとてもくだらないことだということが、すとんと腹におちるようにわかった。
それと同時に、親父が金儲けを諦めた途端、いっきに老け込み衰え、死んでしまう日もそう遠くはないんではないかと想像した。
何しろ、この人は金を稼ぐということ以外に、生きる術を知らないのだから。
俺のような道楽者が、よくもこの親父の種から生まれたもんだ。驚くぜ。
それはそうと、もし俺の考えが当たっているなら、葬式代をためておかねばならんだろうな。
しかし、大切なのは葬式のことではなく、如何に生きるかだ。生き直すかだ。
生きてるうちが花なのよ、死んだらそれまでよだ。

俺は言った。『親父はもう75歳だ。あと残された命がどれほどあるかわからないが、まぁ5年くらいだと覚悟しておいた方がイイだろう。その遺された時間を、悔いのないように、人間的に生きるにはどうしたらいいのか、それが大きな課題だって。』
親父にとって、その第一歩が弟たちのもとに赴き、話をすることなんだろう。結構なことだ。

俺は家に帰り、頑なに父親に会うこと拒み続ける弟に、この機会に会って、しっかり向き合ってやって欲しいと伝えたんだ。

読者諸君、失礼する。どこの家族にも、いろんなドラマがある。俺の親父は、弟と和解することができたろうか?和解ができたら、理解を深めよう。世界中の人にそれを言いたいよ。

2014/08/22

Post #1234

Zagreb,Croatia
先日、久しぶりに父親にあった。
父には俺を含めて4人の息子がいる。ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟に出てくる、老カラマーゾフのようなものさ。身持ちの悪いのは同じだが、老カラマーゾフほど羽振りがイイ訳ではない。むしろ、永年にわたって、事業でこしらえた借金に苦しんでいる。昔はかなり羽振りが良かったもんだが、日本経済の失速と歩調を合わせて、没落したのだ。そして、アベノミクスとやらでどこかで景気がよくなったのは、まるで火星かどっかの話で、どうにもならないところにきている。
崖っぷちだよ。
その父が離れて暮らしている弟たちに会いたいと言い出した。金の無心でもされるかとおののいた愚弟どもは、俺に泣きついて来やがった。普段は電話すらしてこないというのに。まぁそんなもんだ。今さら腹もたたないさ。
もともと俺は、親父には資産を処分し、勝てる見込みのないギャンブルのような商売をたたんで、年齢相応に暮らして欲しいと考えていた。
なにしろ、もう75歳だ。あと何年かで、地球からおさらばするのは目に見えている。
俺は、仕事を終えて家に帰ると、さっさとシャワーを浴びて、同じ町内に住む親父に会いに行った。
さて、こっからはまた長い話になりそうなので、明日にしよう。
読者諸君、失礼する。まぁ、どっちにしろ、君たちには他人事なんだけど、できの悪い私小説でも読むような感じで読んでくれればエエんじゃないかな。

2014/08/21

Post #1233

Zagreb,Croatia
本日、写真のみ。
プライヴェーとでもいろんなことがあるのだが、なかなかまとめられないし、君に話してもどうかと思うような話さ。それに、そんなのはしょせん、この世界から見たら、些細な問題だ。問題にもならない。しかし、人間の人生というのは些細な問題の連続でできているのさ。

読者諸君、失礼する。別に落ち込んでいるわけじゃないんだぜ。

2014/08/20

Post #1232

Praha,Czech
本日、いろいろあって眠いので、写真だけで失礼させてもらうぜ。
読者諸君、失礼する。

2014/08/19

Post #1231

Istanbul,Turk
久々の休みだったが、汗みどろになって家の掃除をしていた。
プリントするのも億劫になるくらいの暑さだったので、掃除をしてみることにしたんだが、これまたとめどなく流れる汗に閉口したぜ。
掃除をなんとか終わらせ、コンビニにゆきチョコ最中アイスなんか買って、さてゆっくりするかとおもったんだが、ふと首にできものが出来ていて、俺、皮膚がんになってんじゃないかな?なんて思ってて、かみさんに病院に行くように言われていたことを思い出して、アイスを食いながら病院に行ったんだ。
病院はちびっこでいっぱいだった。まるで保育園だ。
子供たちが俺をもの珍しそうに見る。よく見ておけよ、君たちのお父さんだけが大人の男だと思ったら大間違いだ。世の中にはこのおじさんみたいな変なやつだっているものさ。
しかし、子供さんたちの好奇の視線にさらされて一時間以上も待っているのはしんどい。
思い付きで来ちまったから、何も暇つぶしになるようなものを持っていない。そこで、病院のすぐ隣にある行きつけの本屋にいって、何か読み物を物色することにした。

本日のお買いもの、佐野眞一著『宮本常一の写真に読む失われた昭和』平凡社ライブラリー刊。気になるお値段1200円+Tax。

戦前から戦後にかけて活躍した在野の民俗学者宮本常一は、フィールドワークの資料としてその生涯に10万点を超える写真を撮影した。
宮本常一は、もちろん写真家ではない。だから、その写真は芸術写真のように美しくないし、往々にして、ピンとも甘い。また、路傍の石仏や集落に伝わる秘密の儀式のようなものもない。
では、何が撮られているのか。
当時の、つまり昭和30年代から高度成長期にかけて、急激に変わっていく日本のフツーの人々の生活の断片が、人々のいとなみが、なりわいが、執拗におさめられている。
宮本はそのほとんどを、フィルム一本で72カット撮影できるオリンパスペンで撮影していたという。それも足を止めてカメラを構えたりせず、ほとんど歩きながら撮り続けたという。汽車に乗ると必ず窓際に座り、車窓に流れる風景にレンズを向け続けたという。写真を上手に撮ろうという気はさらさらなく、メモの代わりに撮り続けたという。洗濯物を撮れば、そこに干された衣服から人々の暮らしぶりを推測し、家を撮影すれば、家の佇まいから村落の共同体がどのように機能しているかに思いを馳せたという。

宮本自身は自らの写真について、次のように語っている。
『フラッシュもたかず、三脚もつかわず、自分で現像するのでもなく、いわゆる写真をとるたのしみというものも持っていない。忘れてはいけないというものをとっただけである。だが三万枚(昭和42年の時点で)もとると、一人の人間が自然や人文の中から何を見、何を感じようとしたかはわかるであろう。そしてそれは記録としてものこるものだと思う。(中略)
ここにかかげる写真は一見して何でもないつまらぬものが多い。家をとったり、山の杉林をとったり、田や畑をとったり。しかし私にはそれが面白いのである。
そこには人間の営みがある。(中略)
だから私はそういうものを見のがすことができない。』

俺もまったくその通りだとおもう。
写真の撮影者の心象を被写体に仮託するのは、芸術的でどこか詩的な営みではあるけれど、写真の本来の機能に則せば、目に移ったものを記録として撮りまくるというのが正しいように思える。
そして、それを集積していけば、一枚一枚の写真の出来はどうであれ、そこには意味が生じてくるはずだ。
写真は、一枚で完結する芸術ではないのだから。
あくまでも、世界の断片を捕らえる装置なのだから。
出来る事なら、宮本常一のように旅をつづけ(その生涯行程は16万キロに及ぶという)、写真を撮り続けていきたいものだ。

因みにこの本、解説は森山大道。森山大道も宮本常一の写真に関して『しかし、こうして改めて見るとかなわんよ。それは、アプローチの方向とかいろいろ違うからいんだけど、でもやっぱりやられちゃってる感アリだなあ。もし宮本さんに都市も同じように撮られたら、僕ら本当にたまらんですよ。じゃあ「新宿撮ってみろ」なんて言ってみたいけどね。でも撮ったら負けたりしてね。え、そこまで撮るの、みたいなのを撮っちゃいそうでね。』と最大級の賛辞を送っている。

読者諸君、失礼する。皮膚がん?あぁ、別にどうってことないってさ。まだまだくたばりそうにない俺だ。もうちょっと写真でもとって遊んで生きていきますかね。

2014/08/18

Post #1230

Singapore
ゲリラ豪雨が収まったと思ったら、夏が戻ってきた。
尋常じゃない暑さで、眠ってなんかいられない。
こりゃいつまでも感傷にひたっているわけにはいかないぜ。
ちっとも眠れないが、今日も仕事に出撃しなけりゃならないんだ。

そうこうしているうちに、アマゾンから先日注文しておいたジョセフ・クーデルカの『ROMA』(名作ジプシーズのドイツ語版だ) が届いた。
ゆっくり落ち着いて見たいが、汗まみれの寝起きの身体で見る気にはなれず、シャワーを浴びてぱらぱらとみてみる。
解説はほとんどない。あってもドイツ語なんで、全くわからない。仕方ないぜ。しかし、力のある写真にぐいぐい引き込まれる。カメラは確かエキザクタにレンズはカール・ツァイス・イエナのフレクトゴン25㎜だったはずだ。コントラスト高め。
俺好みだ。
長年、絶版品切れだったんだけれど、たまたまアマゾンで覗いてみたら、一冊だけ在庫があったんで、速攻入手したんだが、間違いはなかったぜ。

読者諸君、失礼する。そろそろプリントがしたいけれど、この暑さじゃ無理だな。

2014/08/17

Post #1229

Zagreb,Croatia
激しい雨が降っている。
今年の夏は何だかおかしな天気が続いている。まるで熱帯の雨季のようだ。スコールのような雨が、容赦なく降っている。

あの時聞いた雨音も、俺には忘れられない。いやむしろ、そんな些末な事しか思い出せない。
あの人の小さな部屋で聞いた雨音だ。
あの人は、母親と二人で古い長屋のような県営住宅に住んでいた。
離婚だったのか死別だったのか、それは俺には分からないが、母娘二人で、ひっそりつましく暮らしていた。

あの人の部屋は、小さな敷地に建て増しされた、四畳半くらいのプレハブだった。
屋根はトタン葺きで、少し強い雨が降れば、マシンガンで一斉掃射されているような激しい音が俺とあの人を包んだものさ。
あの人と俺は、あの人のベッドに体を預けながら、その雨音を聞いていた。
今でも、激しい雨音を聞くと、あの懐かしい小さな部屋を思い出す。

小さな部屋に、小さなベッドと小さな学習机、そして窓際には小さなサイドテーブルがあった。その窓には、いつも白いレースのカーテンがかかっていたように思う。愛し合う時には、もう一枚カーテンを閉めたものだ。
窓の外には、確か古びた犬小屋があって、そこにはくたびれた白い犬が飼われていたはずだ。犬の名前は、もう覚えちゃいない。30年近く昔のことだ。
懐かしい。懐かしくて泣けてくる。けれど、もうどうやってもそこには戻ることはできないんだ。そういうものさ。

もう少し続けよう。
俺は当時、家から帰るとすぐに近所に住むあの人の家に行き、その小さなプレハブの部屋であの人と過ごしていた。玄関から入るのではなく、あの人の部屋の窓から忍び込むようにして訪ねて行ったものさ。
俺もあの人も、少し周囲から浮いていた。
周りに親しい友人ってのはいなかったんじゃないかな。
あの人がふとした折に見せる寂しげな表情や、悲しげなまなざしは、父親も心底仲の良い友達もいないというような境遇に根差しているものなのかもしれない。
そして、あの人が個性的なセンスを持っていたのも、そういった状況への何らかの反作用だったような気もするし、それによってますます周囲から浮いてしまったのかもしれない。
それはもちろん、既に母親を亡くしていた俺も同じだったんだろう。
今思えば、俺とあの人はある意味で、似たもの同士だったってわけだ。

女性というもんを初めて知ったのも、あの人のその部屋だった。
あの人は既に経験があり、俺は戸惑うばかりだった。
そして、身体は一つにつながっていながらも、心と心を隔てる無限の距離は、厳然として存在するものだなと、初めての行為を見下ろすように遊離した意識で考えていたことを思い出す。我ながらおかしなことを考えるガキだ。
今日は安全日だからといわれ、初めて避妊せずに楽しんだ後、その日は亜女に安全な比じゃないと別の女友達から聞かされ、戦々恐々としつつ、腹をくくったてみたってのも、懐かしい思い出だ。もし、その時子供ができていたなら、なんとまぁ、この俺に三十前の子供がいるってことになる。それもまた、今思えば面白い人生だったかもしれないけれど、神様は俺にそういう人生を歩ませなかった。
あれからどれくらいの月日がたったのだろう。もう何もかも忘れそうだよ。忘れ去ってしまう前に、書いておきたいぜ。

その県営住宅も、すでに取り壊されてしまった。そこに住んでいた人々はどこに行ってしまったんだろう。いまやそこは、旧共産圏に建っているような殺風景な団地に姿を変えてしまった。
あの細い路地を歩いて、あの人の暮らした場所をたどることすらできない。
もちろん、あの人の部屋の前にいた老いぼれた白い犬も、とっくに死んじまったことだろう。
あの人と一緒に自転車でご飯を食べに行った中学校の前の中華料理屋だって、20世紀末に潰れて解体すらされず廃屋になっている。
そして、俺が当時住んでいた家も、既に親父の借金のカタに取られ、更地になり、小さな建売住宅が2棟立っている。
俺は故郷喪失者なんだ。
そして何より、あの人自体が、俺の前からきれいさっぱり消え失せてしまった。写真の一枚も残さずに。今では何の手がかりもない。
まぁ、あの人からすれば、俺が消え失せてしまったような次第なんだが。
結局、俺の手元に残っているのは、ふとした折に思い出すあの人の寂しげなまなざしと、懐かしいあの部屋で聞いた雨音の記憶だけってことだ。


読者諸君、失礼する。他愛もない日常ってのは、失ってから初めて、それがかけがえのないものだったってわかる。だからこそ、今は惜しむように写真を撮っていかなければならないと思ってるのさ。

2014/08/16

Post #1228

Praha,Czech
時折、俺は俺の写真を見た人から脚フェチですねと言われる事がある。自分では生足よりもストッキングとかの方が好みだと思うが、そういわれたなら、肯定も否定もせずに、ニヤニヤとあいまあな笑みを浮かべる。
以前も触れたことがあるが、その源泉は幼少時に遡るんだろう。けど、それだけではなくて、もうひとつ思いあたる事がある。
あの人は、よくスパッツをはいていた。今から30年近く昔のことだ。
何年か前に、スパッツがレギンスとか名前を変えて大流行したときは、否が応でもあの人の事を思い出した。
あの人のほっそりと伸びた、それでいて決して骨ばったりしていない足は、今日まで俺のなかで確固たる好みとして残っている。
聖子ちゃんカットとかが巷を席巻していた頃、あの人は他人とは少し違う個性的なファッションセンスを持っていた。
まだ今のように。茶髪金髪が当たり前ではなかったあの頃に、フツーに金髪とかにしてたように記憶している。もっとも、それはあの人が高校を卒業してからだったと思うが。
今でも、個性的で大胆なファッションを周囲の目など気にせず楽しんでいる女の子を見ると、好ましく思う。どうぞ、そのまま自分の好みを貫いておくれって思わずにいられない。
タバコを吸う女の子も嫌いじゃない。この俺にタバコを教えてくれたのは、他ならぬあの人だった。MOREというメンソールの長くて細いタバコを物憂げに吸っていた。俺は初めてそのタバコを吸って、頭がクラクラして、あの人と遊びに出掛けていたのに、あの人をおいて帰ってしまったことがあった。遠い夏の事だった。

気がつくと俺が女性の写真ばかり撮っているのは、あの人の面影を探しているからかもしれない。単に女好きという説もあるが、それは当たらずも遠からずだ。

読者諸君、失恋する、いや失礼する。あの人の面影がまだ見つからないので、俺は写真を止められないのさ。

2014/08/15

Post #1227

今日は年に一度の敗戦の日だ。
世間では、終戦記念日という。しかし、あの戦争は単に終わったのではなく、スコンスコンに負けたんだぜ。ワンサイドゲームだ。
終戦と言えばどこか、双方痛み分けで武器を置き、講和に至ったかのような響きがあるが、大日本帝国は完膚なきまでに打ちのめされ、敗北したんだ。言葉のすり替えで、本質を誤魔化しているように思えるのさ。だから、俺は毎年密かに敗戦の日とこの日を呼んでいる。
過去に目を閉ざす者は、未来に対して盲目になる。
国にも、人間にも、いつかきちんと向き合ってかたをつけなきゃいけない事実があるものさ。
恥と後悔の多い俺の場合、数ある清算対象の一つがあの人のことだ。いつかきちんと自分の中で整理しておきたかったんだ。じゃないと俺は過去から自由になれないだろう。たまたまそれが今だったてだけだよ。
Paris
もし俺がみっともなく、二本足の豚のように太ったら、死んだほうがましだ。
たぷたぷした腹を、ベルトの上に乗せて生きるなんて、みっともなくてあの人に会わせる顔がない。

通勤電車に犇めいている、朝から疲れ果てた顔をした、目に光のないそこいらの中年のオジサンのようになってしまったら、とっとと死んだほうがイイ。そんな脱け殻みたいな男に成り下がったら、あの人はきっと俺を軽蔑するだろう。

目先の利益や快楽だけを追い求め、安楽と保身だけしか頭にないなんてつまらない男にはなりたくない。筋の通らないことでも、生活のためといって唯々諾々と従い続けて生きるなんて、真っ平ゴメンなんだ。そんな俺を見たら、あの人の眼差しはますます悲しげに曇ってしまうに違いない。
もし俺が、そこいらのつまらない奴のように、立場に胡座をかいて、実力もないのに偉そうに振る舞ったり、お偉いさんにびびって卑屈になったりしたら。あの人はきっと俺を見損なうことだろう。


そうさ、あの人の眼差しだけは、忘れられないんだ。
俺は目を閉じれば、いつだって思い出せる。たとえ他はもうすっかりあやふやでもね。何十年も想い続けているうちに、俺自身のなかに繰り込まれているんだ。
そして、その少し寂しげな眼差しは、俺の中にしっかり根を張って、俺を見つめている。あの人自身が俺の事をとっくに忘れていたって、(きっと忘れているだろう。あの頃の俺はしょせんその程度の、つまらない奴だった) あの日の眼差しは、俺のなかから俺の事を見据えている。

だから誰も見ていなくても、あの人に恥ずかしい真似なんて、断じて出来るわけがない。
俺が俺でいられるのは、あの人の眼差しが俺自身のなかから、俺を見つめてくれているからさ。
こんなこと、今迄誰にも言ったことがないけと、本当のことさ。


あの人に、いつかどこかで会えるのなら、会うことが許されるのなら、自分が今日までロックンロール・スタイルで生きてきたと、胸を張っていたいんだ。
あの人に、どうだい、ずいぶん長いこと会わなかったけど、俺はちっとも変わっちゃいないんだぜ。いや。むしろカメラ片手に男道を歩き続けて、もっとパワーアップしてるんだ、今がサイコーの俺なんだって言いたいのさ。
そして、今の俺があるのはズバリ君のおかげだよ、ありがとうって言いたいのさ。
そして何より、昔の俺は小さな男で、君の思いにさっぱり応えられなかったヘタレ野郎だった、本当にすまなかったって、心の底から謝りたいのさ。
そして、なによりも、幸せに暮らしていますかって聞きたいのさ。

読者諸君、失礼する。俺は誇り高く生きたいのさ。あの人に恥ずかしくないように。

2014/08/14

Post #1226

Dubrovnik,Croatia
俺は実は、人の顔がよく覚えられない。
正確に言うと、よく覚えていられない。
会えば思い出すんだけれども、今朝、顔を会わせたはずのカミサンの顔すら、細部まで明確に思い出すことができないんだ。
死んでそろそろ30年になろうかと言う母親の顔など、おぼろげな雰囲気しか思い出せない。まるで遠藤ミチロウの『お母さんいい加減あなたの顔など忘れてしまいました』という歌のようだ。

けれども、写真に写った顔ははっきり思い出すことができる。

考えてみれば、生きている人間ってのは、一瞬一瞬刻々と表情を変える。それは感情や意思や体調を伝える表象なんだけれども、その揺らぎが脳裏にブレとなって残り、はっきりした容貌表情を脳裏に確定しないのかもしれないな。記憶をガッチリ固めてしまうと、次にあったとき、以前会ったときとは異なる精神状態で、違う表情をしていたら、同じ相手だと認識できない可能性だって出てくるもんね。
まぁ、プンスカ起こっている相手に、あんた誰?なんて訊いたなら、間違いなく相手はますます激しく怒り狂うんじゃないかな。都合の悪い時に、すっとぼけるにはあまりいい手段とは言えないだろうよ。

その点、写真はいい。その一瞬をフリーズドライするようにして切り取り、固定する。
そこに揺らぎはない。アレブレボケはあるにせよ。
どんなに微笑んでいようが、ある意味それはデスマスクだ。
俺は写真に写った人、とりわけ自分でプリントした人の顔は、そりゃもう明確に思い出すことができる。

なんだか淋しい話だ。


その人の顔を、俺はほとんど思い出せない。


とても大切な人だったはずなのに、一生懸命思い出そうとすればするほど、頭のなかに思い描いたその人の姿形は、不定形に揺らぎ、水が指の間から流れてしまうように、明確な像を結ぶことがない。
もう20年以上会っていないから当然だろう。
俺はその人の写真を、何故か持っていない。
大切な人だったはずなのに。
時折、独りのときに思い出そうとして、どうしてもうまくいかず、やるせないような、泣きたいような気持ちになってくる。
それどころか、もし今その人と街ですれ違ったとしても、わからないかもしれない。
何しろ、歳月は俺の容貌も相手の風貌も、容赦なく変えてしまったことだろうから。
なんだか悲しい話だな。

もちろん、今のカミサンに不満があるとか、そういう類いの話じゃない。
人生の選択肢は、一度選んでしまったら、もうもとには戻せないし、それは小さな選択だったとしても、歳月がたてばたつほどに、大きな隔たりを産み出して行く。
だから、賢明な人間は、自分の過去なんか振り返ったりしないものさ。

けど、俺はバカだからな。


その人のぼんやりとした面影のなかで、ただひとつだけ、いつでも思い出すことができるものがある。

それはその人のまなざしだ。

その人が時折見せた、困ったような淋しいような、いやいや、どこかに癒しがたい悲しみを抱えているような、まなざしだ。それは戸惑いや困惑を表すような八の字になった眉とセットになっている。
そして、クリクリとした大きな目で、斜め上を見上げるようにしていたっけ。
その視線の先には、まだ若くて荒んで意気がった俺がいたり、虚空が広がっていたりした。

読者諸君、失礼する。この極めて個人的な話は、たぶんしばらく続くだろう。その人に届くことはないだろうけれど、俺がいつか死ぬ前に、俺自身が書いて遺しておきたいことなんだ。そんな与太話に付き合わせてすまないな。けど、俺にとっては、すごく重大なことなんだよ。

2014/08/13

Post #1225

Istanbul,Turk
最近のお買い物。

8月3日、ビックカメラ名古屋駅西店にて、モノクロフィルム、Ilford HP PLUS 400 135/36  7本。4,179円也。

8月8日、アマゾンにて、モノクロフィルム、AGFAPHOT APX 400 135/36 5本。4,050円也。

8月8日、同じくアマゾンにて、FUJIFILM 黒白単階調印画紙 フジブロ バリグレード WP 4号、六切20枚入、3パック。5,220円也。

8月9日、ビックカメラ.Comにて、中外写真薬品、フィルム印画紙用定着液、マイフィクサー 5L用 3本。2,455円也。

そして、寝付かれない時のための、ジン。タンカレー、アルコール度数47.5%。1,420円也。

タンカレーはおいといて、見事に写真関係のものばかり買っているんだけど、盆も正月もなく働き続けてるこの俺、いったい全体、いつになったらこいつらを使い倒す楽しい日々がやってくるのだろうか?

サウナのような蒸れた空気のなかに、どこか淫靡な趣さえ漂う赤い暗室照明を浴びての難行苦行。
炎天下、カメラとペットボトルを携えて、何の当てもなく次の路地を曲がると決め、偶然目についたものを掠め取るように撮影するアーバンハンティング。

そんな楽しい日々が巡ってくることを夢見ているのに、実際に眠ってみる夢は仕事の夢ばかりといったていたらくさ。やれやれ。もっともっとクリエイティブで行き当たりばったりに暮らしたいぜ。

読者諸君、失礼するずら。これからさくっと洗濯物を干して、夕方からの仕事に備えて、汗かきべそかき眠るとするぜ。いったいいつまでこんな生活を続けるつもりなんだろうな?たまらないぜ。

2014/08/12

Post #1224

Mt.Srdi,Dubrovnik,Croatia
本日、ちょっと仕事上のトラブルがあって、おちおち眠ってもいられない。
そのトラブルの重大性に周りの人間が全く気が付いていないことが、非常に腹立たしいんだ。
俺は朝まで仕事して、家に帰って眠っていても、そのトラブルに関する、異様にリアルな夢をみて目を覚ますほどなのに。
物事に対処するのに、その重要性を全く理解できない奴が、世の中にはたくさんいる。
それは、想像力の欠如と無知によって生み出されることだと思うぜ。

想像力。俺はそれこそが、人間が人間らしく生きていくうえで、とても大切で重要な能力だと思う。それを持たなければ、他人に命じられるままに動く、木偶人形のように生きる羽目になっちまうぜ。

読者諸君、失礼する。目がさえてゼンゼン眠れないぜ、クソ!

2014/08/11

Post #1223

Mt. Srdi,Dubrovnik,Croatia 
本日ほぼ写真のみ。
世間は、お盆休みだと言うことだが、当然のごとく俺には関わりのねえことでござんす。
Mt. Srdi, Dubrovnik, Croatia 
アザミは、ご存知のようにトゲまるけだ。
触ると痛い思いをする。そのため、イングランドでは国を護る花ということで、国花にされていると聞いた覚えがある。

かつて、主戦上になっっていたスルジ山中で見つけたのは、何か意味深長な気もするってもんだ。まぁ、考えすぎだけどね。

読者諸君、失礼する。帰省ラッシュにもめげず、夏をエンジョイしてくれたまえ。

2014/08/10

Post #1222

Mt.Srdi,Dubrovnik,Croatia

Mt.Srdi,Dubrovnik,Croatia

久々に激しい台風だ。
叩きつけるような雨が、窓に打ち付けている。
風が狂おしい音を立てて、吹き荒れている。
こんな日にも夕方から仕事に出撃しなけりゃならないなんて、まったくいかれてるぜ。
けど、日曜日じゃなかったら、世間の皆様も仕事に行くんだろう。

スルジ山にはナポレオンの時代に建てられた要塞が残っている。そして、そこは90年代のユーゴスラビア崩壊に伴う戦争で、激戦区になっていた。
いまではこの要塞は戦争博物館として使われている。
放牧されている牛が、どこからか遠征してきて、のどかに草を食んでいる情景からは、想像しにくいのだが、要塞の黴臭い壁には、落書きとともに弾痕があまた残っている。

読者諸君、失礼する。もう少し仕事に備えて眠っておくことにするぜ。

2014/08/09

Post #1221

スルジ山より望むドブロブニク旧市街
本日、いろいろあってほぼ写真のみ。

内戦で破壊されたスルジ山のロープウェイは、2010年に再建されたそうだ。

Mt.Srdi,Dubrovnik,Croatia
我々の常識では、ロープウェイで登った山頂に、のんびり牛が草を食んでいるというのは驚きだけれども、ここではどうやら当たり前のことのようだった。

読者諸君、失礼する。台風のおかげで、雨がずっと降り続いている。涼しいのはありがたいが、気分が滅入るな。

2014/08/08

Post #1220

Mt,Srdi,Dubrovnik,Croatia
あの日も暑かった。
ロープウェイで登った標高412メートルのスルジ山。俺たち、つまり俺とカミサンは歩いて降りることにした。
そして、下山道を間違え、炎天下の中、山道を歩き続けた。
日本の山と違い、ごつごつとした岩肌に、木もまばら。空気は乾いている。地中海気候だ。
手持ちのペットボトルの水は、とっくに減り、しかも生ぬるい。熱中症になってしまうんじゃないかって思っていたよ。

そんな中、見かけた白い馬。

一歩踏み出せば、きっと岩だらけの緩やかな斜面を、走り去ってしまうだろうと思い、静かにシャッターをきる。
なんとなく、道を間違えて良かったと思ったよ。

読者諸君、失礼する。まぁ、その後でも歩いて降りようといったカミサンには、ぶつぶつ不機嫌に文句を垂れていた俺なんだがね。

2014/08/07

Post #1219

Istanbul,Turk
ボスポラス海峡に夕日が沈みかけるころ、俺とカミサンはイスタンブールの旧市街の港からフェリーに乗り、アジア側のカドキョイに向かった。夜のカドキョイでご飯でも食べようという企画だったのだ。
甲板の座席に座り、モスクをシルエットだけにしてしまう夕日を眺めていた。
隣の席の長髪の青年は、海風に吹かれながら、尺八のような民族楽器を吹き鳴らしている。
侘しいような音色が、波音に応えるように響き、海風はその音色を運んでゆく。
青年の目は虚空を見据えている。
その胸中にはどんな思いが去来していることだろう。

俺は、逆光にも構わずシャッターを切った。
なんだかんだと撮影条件を考えるよりも、大切なことはとにかくシャッターを切ることだ。
写真は、シャッターをきらねば何も始まらない。
暗室の中で、ネガと格闘すればイイだけの話じゃないか?それよりもまずは、フィルムに収めないと、暗室のなかに世界を持ち帰ることはできないんだ。
人生だって、きっと同じだろう。机上の空論でいろいろと理屈をこねまわしてみたって、何も変わりはしないのさ。まずは一歩踏み出すことだ。心配したり悩んだりするのは、そのあとでいい。
どうせ人生なんて、なるようにしかならないんだ。

案の定、プリントには苦労した。しかし、君たちにこのへたっぴなプリントをお届けしよう。
ここにはささやかなドラマがあるのだ。

しばらくして青年は笛を吹くのをやめると、少しはにかみながら日本語で俺に語り掛けた。

「ニッポンのかたですか?」
「はい、日本語お上手ですね。」
俺は少しびっくりした。しかし、トルコでは流暢な日本語をしゃべるトルコ人はたくさんいる。そもそも親日国だし、日本に出稼ぎに行っていて覚えたという人が多いのだ。
「私の彼女、日本人です。岡山県のオオヤマキエご存知ですか?」
はぁ?オオヤ・マキエ?オオヤマ・キエ?誰だ、それは?
「私の彼女、岡山県のオオヤマキエといいます。ご存知ですか?」
「いえ、残念ながら存じ上げません。」
青年は少し残念そうに、そして照れくさそうに笑った。
話を聞けば、彼はトルコの民族楽器の演奏を学ぶ学生であるということだった。そして、どうやって知り合ったか知らないが、オオヤマキエなる日本人の彼女がいて、彼女の住んでいるという岡山の町にも、しばらく住んでいたという。
そして、いずれは結婚するために日本に行くつもりだが、その前に民族楽器の演奏家としてある程度のレベルに達するために大学で勉強しているということだった。

そんなことを話しているうちに、船は港に着いた。俺とカミサンは、青年に別れを告げて船を降りた。
あれから何年も経った。トルコの尺八青年が、岡山のオオヤマキエ嬢と結婚できたかは、定かではない。それだけの話だ。人生の大半は、実に小さなドラマの気の遠くなるほどの集積で彩られている。そうじゃないかい?

読者諸君、失礼する。そろそろ旅に出たい。そろそろプリントもしたい。しかし、今の現場が落ち着かないことには、どうにもならないよなぁ。

2014/08/06

Post #1218

Hiroshima
ロング・タイム・アゴー、69年前

 原子爆弾が落ちてきて

 何十万人もの人が死んでいったのさ


ロング・タイム・アゴー 69年前

 8月6日の朝 8時15分

 何の罪もない人が死んでいったのさ


ロング・タイム・アゴー 69年前

 人間の歴史で初めてのことさ

 この日本の国に、原子爆弾が落ちたのさ


知ってるだろ?

美少女も美男子も

たった一発

顔は焼け爛れ髪の毛抜け

血を吐きながら死んでいくのさ


ロング・タイム・アゴー 69年経った今

 まだ苦しんでる人がいるのに

 どうして原子力がそんなに大事なんだろう?



原子爆弾ブルース!



ロング・タイム・アゴー 69年前

 原子爆弾が落ちてきたことを

 日本のお偉い人は

 いったいどう考えてるんだろう?

ロング・タイム・アゴー 69年経った今

 原子爆弾と同じようなものが

 おんなじこの国に

 つぎつぎとできている。
(The Timers 『LONG TIME AGO』)


今日は広島の原爆忌。
忌野清志郎が、こう歌ってから25年。本来は44年前だ。そのころは俺も浮ついた若者だった。
そして、4分の1世紀がたったいま、世の中ますますとんでもないことになってる。広島だけじゃなく、福島だって今でも苦しんでる人がたくさんいる。どうして原子力がそんなに大事なんだろう?
いったいぜんたい、にっぽんのお偉い人は、どう考えてるんだろう?
いったいぜんたい、にっぽんの庶民の皆さんは、どう考えてるんだろう?

読者諸君、失礼する。二度とそういうことが起こらないように、戦争のできる軍隊を持とうって考えてるんだろうか?もちろん、あの時も疲弊し切ってはいたが、軍隊はあったよ。

2014/08/05

Post #1217

Istanbul,Turk
気がつけば、昼間働くのがすっかり億劫になってしまった。
満員電車、渋滞、なによりもうだるような暑さ。
まぁいいさ。明日からまた、夜の仕事だ。もう少しの辛抱さ。
読者諸君、失礼する。所詮どんなご苦労もお楽しみも、俺が俺自身という牢獄に繋がれている間の事さ。どうってことないさ。

2014/08/04

Post #1216

HongKong
本日、写真のみお送りしよう。
読者諸君、失礼する。

2014/08/03

Post #1215

Budapest,Hungary
今日も昨日に引き続き、ブダペストのバブルマン。
このいかにも酒呑みといった風情のオジサンが、どういう経緯で街頭でシャボン玉鉄砲を売ることになったのか?
その生活に、果たして彼は満足しているのか、それとも誰にも言えない鬱屈があるのか、考えるとなかなかに楽しいものさ。どんな人にも、それ相応の人生のドラマがあるものさ。
しかも、おばさんが買い物に使うようなキャリーカートに商品をいれているんだろうが、それでこの、オジサンの生活を維持し、更には俺の想像によれば、オジサンの酒代まで稼ぎ出すことが可能なんだろうか?
大人になると、いろいろと下世話なことを想像出来るようになって、写真一つ見ても楽しいのさ。いわゆる行間を読むという奴だ。目に見えるものだけでしか、物事を味わえないようでは、人生の楽しみ半減というものだ。
とはいえ、そんなことを考えることのない子供さんからすれば、このバブルマンは、ほとんど魔法使いみたいなワンダーなオジサンだろうね。
読者諸君、失礼するズラ。出来ることなら、子供のような感じ方をいつまでも忘れたくはないもんさ。

2014/08/02

Post #1214

Budapest,Hungary
ブダペストのバブルマン。


旅先で、いつもこういう人に、熱い視線を送られる。
しかし、わざわざそんなところで、子供向けのおもちゃとか、買わないよね・・。
けれど、路上に生きる場所を見出している人たちのその姿勢には、いつも敬服しています。

読者諸君、失礼する。今日は少し涼しくていいね。

2014/08/01

Post #1213

Singapore
暑いだの忙しいだの、眠いだの、どうでもイイことをほざいているうちに、あっという間に8月になってしまった。
今夜は夜勤なので、昼間のうちに髪を切ってこようと美容院に行ってきた俺さ。すっきりしたぜ。
病院に美容院に、何かと忙しい俺なのさ。死ぬ思いで稼いだ金を、こうしてせっせと世間に還流してやらないとな、日本経済は停滞してしまうんだ。

俺の親父が、固定資産税を何百万も滞納しているらしい。
最近、そんなことが発覚した。
親父から、それについて話し合いたいと俺に電話が来たんだが、君も知ってのとおり、仕事が忙しくってそれどころじゃないって放ってあるわけだ。
第一、肩代わりしてくれなんて言われても、そんな金はどこにもない。
俺は若いころ、親父にかなり煮え湯を飲まされているので、今更金銭的に助けてやろうなんて親孝行は、選択肢にも浮かんでこない。
さっさと資産を整理して、分相応にダウンサイジングするしかないだろう。

はっきり言って、俺の住んでる愛知県一宮市の収税課の職員というのは、どこでもそうだと思うが、市民が税金さえ払ってくれれば、首をつろうが、路頭に迷おうが、どうだってイイという連中だ。
市民へのサービスだのなんだのは、他の部署に任せておけばイイということなんだろう。
俺は、今まで清く貧しくつつましい暮らしを、薄みっともなく続けてきたおかげで、市役所の連中の貧乏人に対する仕打ちにを何度か目にしてきた。
思い出すだけで、本当に腹が立つ。
しかし、それ以上に腹が立つのは、簡単な損得勘定もできない俺のクソおやじだ。
しかも、開き直って自己破産したりする度胸もない。もちろんどこにも金もない。
出来るのは、誰かに何とかしてもらおうと、憐れみたっぷりに声をかけることぐらいだ。

そんなオヤジに俺ができる事なんて、正直言って、ロープか練炭火鉢を買ってやるくらいのものさ。
けど、さすがにそんなことすると、自殺幇助だとか人非人だとか、君たちはもちろん、親戚連中をはじめ世間様から非難囂々なのは間違いない。

しかも、これで俺の親父が行き詰って死んだりすると、俺が真っ先に疑われることになるのは、まぁ間違いないな。
しかし、安心だ。何の問題もない。俺の親父は、自殺するほどの勇気もない、まことにうじうじした男なんだ。

読者諸君、失礼する。人生の幕引きというのは難しいものだ。ましてや、収入の少なくなった老後に、長年払ったローンを終えた自宅の固定資産税がのしかかると思うと、やりきれないものだな。