2014/08/14

Post #1226

Dubrovnik,Croatia
俺は実は、人の顔がよく覚えられない。
正確に言うと、よく覚えていられない。
会えば思い出すんだけれども、今朝、顔を会わせたはずのカミサンの顔すら、細部まで明確に思い出すことができないんだ。
死んでそろそろ30年になろうかと言う母親の顔など、おぼろげな雰囲気しか思い出せない。まるで遠藤ミチロウの『お母さんいい加減あなたの顔など忘れてしまいました』という歌のようだ。

けれども、写真に写った顔ははっきり思い出すことができる。

考えてみれば、生きている人間ってのは、一瞬一瞬刻々と表情を変える。それは感情や意思や体調を伝える表象なんだけれども、その揺らぎが脳裏にブレとなって残り、はっきりした容貌表情を脳裏に確定しないのかもしれないな。記憶をガッチリ固めてしまうと、次にあったとき、以前会ったときとは異なる精神状態で、違う表情をしていたら、同じ相手だと認識できない可能性だって出てくるもんね。
まぁ、プンスカ起こっている相手に、あんた誰?なんて訊いたなら、間違いなく相手はますます激しく怒り狂うんじゃないかな。都合の悪い時に、すっとぼけるにはあまりいい手段とは言えないだろうよ。

その点、写真はいい。その一瞬をフリーズドライするようにして切り取り、固定する。
そこに揺らぎはない。アレブレボケはあるにせよ。
どんなに微笑んでいようが、ある意味それはデスマスクだ。
俺は写真に写った人、とりわけ自分でプリントした人の顔は、そりゃもう明確に思い出すことができる。

なんだか淋しい話だ。


その人の顔を、俺はほとんど思い出せない。


とても大切な人だったはずなのに、一生懸命思い出そうとすればするほど、頭のなかに思い描いたその人の姿形は、不定形に揺らぎ、水が指の間から流れてしまうように、明確な像を結ぶことがない。
もう20年以上会っていないから当然だろう。
俺はその人の写真を、何故か持っていない。
大切な人だったはずなのに。
時折、独りのときに思い出そうとして、どうしてもうまくいかず、やるせないような、泣きたいような気持ちになってくる。
それどころか、もし今その人と街ですれ違ったとしても、わからないかもしれない。
何しろ、歳月は俺の容貌も相手の風貌も、容赦なく変えてしまったことだろうから。
なんだか悲しい話だな。

もちろん、今のカミサンに不満があるとか、そういう類いの話じゃない。
人生の選択肢は、一度選んでしまったら、もうもとには戻せないし、それは小さな選択だったとしても、歳月がたてばたつほどに、大きな隔たりを産み出して行く。
だから、賢明な人間は、自分の過去なんか振り返ったりしないものさ。

けど、俺はバカだからな。


その人のぼんやりとした面影のなかで、ただひとつだけ、いつでも思い出すことができるものがある。

それはその人のまなざしだ。

その人が時折見せた、困ったような淋しいような、いやいや、どこかに癒しがたい悲しみを抱えているような、まなざしだ。それは戸惑いや困惑を表すような八の字になった眉とセットになっている。
そして、クリクリとした大きな目で、斜め上を見上げるようにしていたっけ。
その視線の先には、まだ若くて荒んで意気がった俺がいたり、虚空が広がっていたりした。

読者諸君、失礼する。この極めて個人的な話は、たぶんしばらく続くだろう。その人に届くことはないだろうけれど、俺がいつか死ぬ前に、俺自身が書いて遺しておきたいことなんだ。そんな与太話に付き合わせてすまないな。けど、俺にとっては、すごく重大なことなんだよ。

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