2014/08/15

Post #1227

今日は年に一度の敗戦の日だ。
世間では、終戦記念日という。しかし、あの戦争は単に終わったのではなく、スコンスコンに負けたんだぜ。ワンサイドゲームだ。
終戦と言えばどこか、双方痛み分けで武器を置き、講和に至ったかのような響きがあるが、大日本帝国は完膚なきまでに打ちのめされ、敗北したんだ。言葉のすり替えで、本質を誤魔化しているように思えるのさ。だから、俺は毎年密かに敗戦の日とこの日を呼んでいる。
過去に目を閉ざす者は、未来に対して盲目になる。
国にも、人間にも、いつかきちんと向き合ってかたをつけなきゃいけない事実があるものさ。
恥と後悔の多い俺の場合、数ある清算対象の一つがあの人のことだ。いつかきちんと自分の中で整理しておきたかったんだ。じゃないと俺は過去から自由になれないだろう。たまたまそれが今だったてだけだよ。
Paris
もし俺がみっともなく、二本足の豚のように太ったら、死んだほうがましだ。
たぷたぷした腹を、ベルトの上に乗せて生きるなんて、みっともなくてあの人に会わせる顔がない。

通勤電車に犇めいている、朝から疲れ果てた顔をした、目に光のないそこいらの中年のオジサンのようになってしまったら、とっとと死んだほうがイイ。そんな脱け殻みたいな男に成り下がったら、あの人はきっと俺を軽蔑するだろう。

目先の利益や快楽だけを追い求め、安楽と保身だけしか頭にないなんてつまらない男にはなりたくない。筋の通らないことでも、生活のためといって唯々諾々と従い続けて生きるなんて、真っ平ゴメンなんだ。そんな俺を見たら、あの人の眼差しはますます悲しげに曇ってしまうに違いない。
もし俺が、そこいらのつまらない奴のように、立場に胡座をかいて、実力もないのに偉そうに振る舞ったり、お偉いさんにびびって卑屈になったりしたら。あの人はきっと俺を見損なうことだろう。


そうさ、あの人の眼差しだけは、忘れられないんだ。
俺は目を閉じれば、いつだって思い出せる。たとえ他はもうすっかりあやふやでもね。何十年も想い続けているうちに、俺自身のなかに繰り込まれているんだ。
そして、その少し寂しげな眼差しは、俺の中にしっかり根を張って、俺を見つめている。あの人自身が俺の事をとっくに忘れていたって、(きっと忘れているだろう。あの頃の俺はしょせんその程度の、つまらない奴だった) あの日の眼差しは、俺のなかから俺の事を見据えている。

だから誰も見ていなくても、あの人に恥ずかしい真似なんて、断じて出来るわけがない。
俺が俺でいられるのは、あの人の眼差しが俺自身のなかから、俺を見つめてくれているからさ。
こんなこと、今迄誰にも言ったことがないけと、本当のことさ。


あの人に、いつかどこかで会えるのなら、会うことが許されるのなら、自分が今日までロックンロール・スタイルで生きてきたと、胸を張っていたいんだ。
あの人に、どうだい、ずいぶん長いこと会わなかったけど、俺はちっとも変わっちゃいないんだぜ。いや。むしろカメラ片手に男道を歩き続けて、もっとパワーアップしてるんだ、今がサイコーの俺なんだって言いたいのさ。
そして、今の俺があるのはズバリ君のおかげだよ、ありがとうって言いたいのさ。
そして何より、昔の俺は小さな男で、君の思いにさっぱり応えられなかったヘタレ野郎だった、本当にすまなかったって、心の底から謝りたいのさ。
そして、なによりも、幸せに暮らしていますかって聞きたいのさ。

読者諸君、失礼する。俺は誇り高く生きたいのさ。あの人に恥ずかしくないように。

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