2014/08/19

Post #1231

Istanbul,Turk
久々の休みだったが、汗みどろになって家の掃除をしていた。
プリントするのも億劫になるくらいの暑さだったので、掃除をしてみることにしたんだが、これまたとめどなく流れる汗に閉口したぜ。
掃除をなんとか終わらせ、コンビニにゆきチョコ最中アイスなんか買って、さてゆっくりするかとおもったんだが、ふと首にできものが出来ていて、俺、皮膚がんになってんじゃないかな?なんて思ってて、かみさんに病院に行くように言われていたことを思い出して、アイスを食いながら病院に行ったんだ。
病院はちびっこでいっぱいだった。まるで保育園だ。
子供たちが俺をもの珍しそうに見る。よく見ておけよ、君たちのお父さんだけが大人の男だと思ったら大間違いだ。世の中にはこのおじさんみたいな変なやつだっているものさ。
しかし、子供さんたちの好奇の視線にさらされて一時間以上も待っているのはしんどい。
思い付きで来ちまったから、何も暇つぶしになるようなものを持っていない。そこで、病院のすぐ隣にある行きつけの本屋にいって、何か読み物を物色することにした。

本日のお買いもの、佐野眞一著『宮本常一の写真に読む失われた昭和』平凡社ライブラリー刊。気になるお値段1200円+Tax。

戦前から戦後にかけて活躍した在野の民俗学者宮本常一は、フィールドワークの資料としてその生涯に10万点を超える写真を撮影した。
宮本常一は、もちろん写真家ではない。だから、その写真は芸術写真のように美しくないし、往々にして、ピンとも甘い。また、路傍の石仏や集落に伝わる秘密の儀式のようなものもない。
では、何が撮られているのか。
当時の、つまり昭和30年代から高度成長期にかけて、急激に変わっていく日本のフツーの人々の生活の断片が、人々のいとなみが、なりわいが、執拗におさめられている。
宮本はそのほとんどを、フィルム一本で72カット撮影できるオリンパスペンで撮影していたという。それも足を止めてカメラを構えたりせず、ほとんど歩きながら撮り続けたという。汽車に乗ると必ず窓際に座り、車窓に流れる風景にレンズを向け続けたという。写真を上手に撮ろうという気はさらさらなく、メモの代わりに撮り続けたという。洗濯物を撮れば、そこに干された衣服から人々の暮らしぶりを推測し、家を撮影すれば、家の佇まいから村落の共同体がどのように機能しているかに思いを馳せたという。

宮本自身は自らの写真について、次のように語っている。
『フラッシュもたかず、三脚もつかわず、自分で現像するのでもなく、いわゆる写真をとるたのしみというものも持っていない。忘れてはいけないというものをとっただけである。だが三万枚(昭和42年の時点で)もとると、一人の人間が自然や人文の中から何を見、何を感じようとしたかはわかるであろう。そしてそれは記録としてものこるものだと思う。(中略)
ここにかかげる写真は一見して何でもないつまらぬものが多い。家をとったり、山の杉林をとったり、田や畑をとったり。しかし私にはそれが面白いのである。
そこには人間の営みがある。(中略)
だから私はそういうものを見のがすことができない。』

俺もまったくその通りだとおもう。
写真の撮影者の心象を被写体に仮託するのは、芸術的でどこか詩的な営みではあるけれど、写真の本来の機能に則せば、目に移ったものを記録として撮りまくるというのが正しいように思える。
そして、それを集積していけば、一枚一枚の写真の出来はどうであれ、そこには意味が生じてくるはずだ。
写真は、一枚で完結する芸術ではないのだから。
あくまでも、世界の断片を捕らえる装置なのだから。
出来る事なら、宮本常一のように旅をつづけ(その生涯行程は16万キロに及ぶという)、写真を撮り続けていきたいものだ。

因みにこの本、解説は森山大道。森山大道も宮本常一の写真に関して『しかし、こうして改めて見るとかなわんよ。それは、アプローチの方向とかいろいろ違うからいんだけど、でもやっぱりやられちゃってる感アリだなあ。もし宮本さんに都市も同じように撮られたら、僕ら本当にたまらんですよ。じゃあ「新宿撮ってみろ」なんて言ってみたいけどね。でも撮ったら負けたりしてね。え、そこまで撮るの、みたいなのを撮っちゃいそうでね。』と最大級の賛辞を送っている。

読者諸君、失礼する。皮膚がん?あぁ、別にどうってことないってさ。まだまだくたばりそうにない俺だ。もうちょっと写真でもとって遊んで生きていきますかね。

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