2014/10/01

Post #1274

春、近所の廃屋に朝日を浴びながら藤が咲き誇っていた
本日、性懲りもなくプリント。
フィルム2本、37カット。

プリントの量を重ねていけばいくほどに、自分の目指しているものと、撮影も含めて、自分の技量の拙さに気づき、愕然とし、懊悩煩悶することしきりだ。

たかが道楽なんだけど、道楽が故に譲れぬものが、俺の中には、確かにある。
ほどほどの出来で、君たちも含めた他人から、褒めてもらえば確かにウレシーが、それで満足してるわけでもない。問題なのは、自分の思い描いた写真に、どれだけ近づけるか、どれだけ満足できるかなんだから。

楽がしたいだけなら、こんなこと止めて、デジカメで愉しく撮ればいいのさ。世間のみんなは、楽しそうにやってるじゃないか?
そんな金も手間もかかること、どうしていつまでもやり続けるのか?そういう問いすら、時折自分自身の中から湧き上がってくる。

けれど、俺が求めてる描写は、とっくに時代遅れな手法でしか、俺にはつかむことができないし、その悪戦苦闘の営みが、実は愉しかったりもする。
しかしやはり、その過程がいくら愉しくても、出来上がりがイマイチだとしか思えないと、一体ぜんたい、俺は何をやってるんだと、悲しいような、情けないような気分になってしまう。

こんな時は、プリントをしていても、ちっとも愉しくはない。
むしろ、焦燥感と無力感に打ちのめされて、とっとと止めて昼寝でもした方がイイとさえ思える。

けれど、そんなネガティブな想いを吹っ切るには、自分で手ごたえを掴むまで、やってやって、やりまくるしかないんだと自分に言い聞かせて、また引伸機に向かうのだ。
君たちには、そんなことはないだろうか?

俺にとっては、写真は自分を取り巻く世界との格闘でもあるし、自分自身との格闘でもあると思える。その果てに何があるのか、俺は知らない。

読者諸君、失礼する。明日ももう一度チャレンジだ。

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