2014/10/27

Post #1300

Patan,Kathmandu,Nepal
先日読んだ新聞に、若いころアスベストの工場で働いていた老人が、迫りくる死に怯えているという記事があった。
俺は、それを読んで、その老人には申し訳ないが、人間は誰しも死んでしまう有限の存在であり、その意味では、誰しも刻一刻と迫ってくる死に対して、おそれを抱き、真剣に今を生きるべきなのだと思った。
そして今朝、新聞に赤瀬川原平さんの訃報を見つけた。
ついでに言えば、クリームのベーシスト、ジャック・ブルースも亡くなっていた。

『老人力』『ライカ同盟』『超芸術トマソン』『新解さんの謎』などで広く一般にも知られる赤瀬川氏は、かつて千円札の精巧な模写を作って国家をおちょくったことで裁判にかけられ、有罪判決もうけた前衛芸術家だった。
また、70年頃には、左翼学生の好む朝日ジャーナル誌上で、左翼運動を野次馬的な観点から面白おかしく扱った『桜画報』で、天下の左寄り新聞社朝日すらも揺るがす騒動を巻き起こした。何故か少年の頃の俺の家には、この『桜画報』の文庫版があり、俺は当時の世相も十分には分からぬまま、読んでへらへらと笑っていたものだ。
記憶喪失に陥った中平卓馬が、80年頃に赤瀬川氏に電話をかけ、『80年安保はいつ来るのだ?』と執拗に問いただしたという逸話もあった。
アラーキーこと荒木経惟を主砲に据えた80年代の伝説の雑誌『写真時代』誌上では、「芸術のように実社会にまるで役に立たないのに、芸術品のように大事に保存され、あたかも美しく展示されているようなたたずまいを持っている、それでありながら作品と思って造った者すらいない、芸術を越えた超芸術トマソン」を世に問い、世の中のモノの見方に衝撃を与えた。

世の中の出来事を、微妙に視線をずらすことで、面白みを見出す天才だったと思う。

俺にとっては何より、中古カメラの宣教師としての赤瀬川氏、いや原平さんの存在が大きい。
中古カメラウィルスを発見し、そのウィルスに感染すると患者仲間ができ、町の診療所=中古カメラ店に病気の治療に行き、治療に行くことによってますます病気が重篤になるということを発見した。
斯く言う俺も、かつては重篤な患者だった。その当時、原平さんの機械式中古カメラを扱った本は、俺の教本だった。どんな曲者のカメラも、けなすことなく、愛情をもって描いていた。それがなければ、今日の俺はなかっただろう。

2006年に刊行された『中古カメラの逆襲』のあとがきには、なかなか味のあるイイことが書いてある。少し長いが引用しよう。これを読めば、原平さんのユーモラスで、それでいて鋭いモノの見方の一端を理解してもらえることだろう。

『(前略)いま現在はデジタルカメラが増えてきて、新製品発売といえば、ほとんど全部デジタルカメラだ。だからデジタルの中古カメラだって、もう既に出はじめている。でもそれはここには登場しない。デジタルカメラは電池がなければまったく動かない。それにシステムがどんどん変わるから、現役を引退した瞬間からゴミとなる。だからここに登場する機械式カメラのように「逆襲」することは不可能である。
 機械式カメラは現役を引退したとはいえ、まだ生きている。引退したのは、あるいは後進に道を譲るという謙譲の美徳のなすところで、フィルムさえあればまだまだ写真を写せる。むしろ仕事をしたくてうずうずしている。たしかにスピードでは若い者に敵わないが、足腰は丈夫だ。オイルを一口くいっと引っかけりゃ、もう大丈夫。シャッターが多少遅れても、そこは絞りとかほかでいろいろかげんすればいい。とにかくいつでも動くんだから、電池がなければ一歩も動けないような、ヒヨワな若者とは違います。いまは、やれ速写だとか、やれ秒間何コマだとかいってるけれど、人生そんなに急いでどこに行く。
 と思うのだけど、いまはほとんどのカメラメーカーが、フィルムを離れてデジタルの方へ民族大移動をしている。フィルムはまだ全然枯渇していないというのに、アナログのオアシスを離れて、デジタルの砂漠へ向かっているのだ。
 デジタルにはたしかに砂粒が無限にあるけれど、潤いがない。完全な人工空間だから、野生動物にも出会えない。ペットボトルの水はあっても、恵みの雨は降ってこない。人工空間だから都合はいいけれど、自分の都合だけに閉じこもってしまって、天の恵みとは無縁になるのだった。』

読者諸君、失礼する。原平さんがこの世からいなくなって、あったことはないけれど、なんだかとても寂しいよ。

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