2014/11/27

Post #1331

安平老街、台南、台湾
自分にとって写真を、単なる消費活動にしないこと。
もとより写真というのは、カメラや、フィルムや印画紙や薬品を買うことで社会の消費活動の一部に取り込まれてはいるのだが、それによって再生産された自分の作品を、商品としないこと。
商品として、流通させてしまった途端に、意味も思いも、すべて換金可能なモノと成り下がり、消費されてしまうのは、現代社会では逃れえないことだ。

かつて、自分の写真を写真雑誌に発表することによって、商品としての写真と同列に受け取られてしまうことを嫌い、自費出版にこだわり続けた写真家がいた。
若くしてこの世を去って行ったその写真家の思いが、何となく解かる気がする。

もっとも、子供の落書きみたいな俺の拙い写真に、商品価値が生じるとも思えないがね。何しろこんなメーターだ。壁に貼るにしても気が利いていなさすぎる。
けど、俺は何かを感じてこのメーターにレンズを向け、何かを感じて、このネガを選び、プリントしたんだ。その何かが君に伝わってくれるとイイんだけれど。

俺は、自分の生の歩みとして、写真を撮りたいし、そこに写っているものには、確かな手触りが備わっていてほしい。上手い下手など関係ないさ。

写真を通して、つぶさに世界を見ること。
暗室の中での作業を通じて、世界に思いを馳せること。
照りつける日差しにさらされ、吹き付ける風に震え上がり、叩きつける雨をものともせずに、あちこち懲りずに歩き回って、自分がこの眼で見たこと、この耳で聞いたこと、肌で感じ、味わい、嗅ぎ取ったもの。それを自分の写真のなかに封じ込めることができたらいいんだが・・・。

読者諸君、失礼する。御機嫌よう。俺が死んだあと、俺の分身ともいうべき写真はどうなるんだろうな?

0 件のコメント:

コメントを投稿