2014/12/08

Post #1342

Pashupatinath,Nepal
例年になく、雪が早くから降っている。
しかし、俺は陽光照り付けるパシュパティナートを想い出す。

燃えている。
燃えているのは、人間だ。
正しくは人間だったもの、亡骸だ。

獣の王(つまりパシュパティ)シヴァ神を祀るパシュパティナートは、ヒンドゥー教の聖地にして、火葬場だ。真ん中を流れるバグマディ川は、ガンジス川の支流であり、ここで火葬され、遺灰を川に流すと、その流れによって母なる川ガンジスに流れゆき、輪廻から脱することができるという。
ヒンドゥー教徒が8割を占めるネパールでは、最大にして至高の聖地とされており、人々はここで葬られることを願っている。

川岸に張り出して設けられた石の壇の上で、亡骸は焼かれる。
白い煙を上げて、人が焼けていく様を、対岸から俺はじっと眺めていた。
壇の端から、川のなかに向けて何かが滴り落ちている。
ニンゲンの脂だろうか。石の上に黒々とした筋を描いて流れ落ちていく。
俺の額からは、汗が流れ落ちる。

遺体をオレンジ色の布で幾重にも覆って焼くのだが、覆っているまわりで激しく泣いていた六親眷属も、巨大なキャンプファイヤーのような炎にその人が包まれてしまうと、観念したかのように静かになる。

太陽が照り付ける。
肉の焼ける臭いがする。それに髪や爪が焼けるような、あのなんとも言えない臭いが混じっている。
そこでは、否応なしに『俺たちは、一人の例外もなく、いつかこのように、死んでしまうのだ』という絶対の事実が突きつけられる。
俺の生きている日本では、死は巧妙に隠されている。自分の親族以外では、滅多に死体に接する機会はない。いつしか、俺たちは死を忘れている。
死を忘れているから、生が弛緩する。
俺は、母親が死んでから、もう30年も死にとらわれているように感じるよ。

じっと見ていると、自分が焼かれている様を、もう一人の自分が見ているような、不思議な感覚に襲われる。
死があるから、生は尊いのだ。

読者諸君、失礼する。こんな葬式だけれど、町のセレモニーホールで行われる葬式よりも、ずっといい感じだぜ。俺ならこっちがありがたいぜ。

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