2014/12/17

Post #1351

Kathmandu,Nepal
冷たい雨が降っていた。雪になるかもしれない予感があった。
俺は鬱屈していた。
どんな法律も与党が思うままに作れるようなワンサイドゲームの選挙結果にうんざりしていたんだ。そして何より、これからどんなに生きにくい時代がやってくるのかを考え、心が沈み込んでいた。
重苦しい胸やけのような感覚を抱いたまま、暗室に籠ってプリントする気にもならなかったんだ。
閉塞感を打ち破るために、雨の中、車に乗り込みあてもなく走り出した。
途中雪がや凍結が心配だったので、そんなに無茶苦茶なスピードは出さず、年末の慌ただしい時期に事故に遭ってもバカバカしいので、そこそこ安全運転で。
ただ無性に、何も考えずに、大好きな音楽を聴きながら、時には大きな声で一人車中で歌いながら、車を走らせていたかったんだ。地球温暖化に無駄に貢献しちまったな。これで隣に素敵にセクシーなおねーさんがいて、どこかにしけこみ、頭が真っ白になるまで楽しめたなら、サイコーだ。おっと、こんなのがカミサンに見つかっちまったら、何言われるか分かったもんじゃない。
あくまで、漢の夢とロマンの世界だ。
何時間も走っていると、雨も次第に上がってきた。周囲の車も少なくなってきて、スムーズに車を転がすことが出来る。
ふと、気が付いた。
自民党の皆さんが、どんな法律をつくろうが、律儀に守ってやる義理なんか、俺にはこれっぽっちもないんじゃないか?ってね。
俺は別に無法者になって、人々を痛めつけたりしたいってことを言ってるわけじゃない。

自分の良心が認めない法律(たとえそれが憲法だったとしても)を、ソクラテスみたいに『悪法も法なり』とか言って、馬鹿正直に守ることないんじゃないかってことさ。

禁じられても、見つからなけりゃ悪いことじゃない。車のスピード違反といっしょさ。

そもそも、政治家に出来る事なんて法律を作ることだけだ。
そして、法律なんてしょせんは『幻想』なんだ。

立ち入り禁止の看板をどれだけ立てようが、そんなものはある人間なり組織が勝手に決めただけのことだろう?
誰だって、そんな看板を見れば、入っちゃいけないと思うだろう。
けど、もしも俺の良心がそれを認めなければ、俺は踏み越えるだろう。躊躇しないさ。
それでとっ捕まったら、それはその時さ。
豚箱に入れられちまったら、お上の経費でおまんまにありつけるってものさ。
とりあえずはまだ、戦前みたいに、国家の方針に反対する者や戦争に反対する者、自由を主張する者を、片っ端からとっ捕まえて、拷問したり密殺したりするところまではいってないだろう?中国とか北朝鮮の話じゃないぜ。この日本で、つい70年前までフツーに行われていたことさ。けど、いまはそうじゃないんだろう?冤罪はゴマンとあるみたいだけどな。

命までは取られないんだったら、自分の良心や信念を、あの時代錯誤の愛国親父どもが作ろうとしているロクでもない法律よりも優先させたって構わないぜ。いや、むしろプライオリティー・ファーストだ。最優先だ。
そして、俺だけじゃなくて、君や日本中の人々がそれに気が付けば、権力者なんて裸の王様と一緒なんだぜ。痛快じゃないか?それが、ピープル・パワーだ。デモしたりする必要もない。ただ黙って従わなけりゃいいのさ。簡単なことさ。出来るだけ、ばれないように上手くやりなよ。

国家も法も、統治のためには、一人一人の人間の内面など無視して、一個の数字として扱うほかない。それは解かる。しかし、もしその数字の向こうに、日々懸命に生きる人々の姿を想像することが出来ないのなら、どんな理不尽な法でも、自分たちが作りたいように作れてしまうだろう。それが政治だ。江戸時代と大差ないぜ。

けれど、俺たちは誰しも、無味乾燥な数字ではない。
そして、法も国家もしょせんは『幻想』でしかないんだ。
俺ははっきり断言するぜ。国家よりも、法よりも、個人の精神の世界は奥深くって豊穣だ。

自分自身の心のなかを覗いてみたり、身近な人の心のなかを思い遣ったりすれば、そのことに気が付くだろう。どこまで行っても、果てしがないんだ。
そして、それに気が付けば、他人をモノのように扱うことの愚かしさに気が付くだろう。
誰しも、かけがえがないのだ。いとおしいのだ。可愛らしいのだ。
写真をプリントしているとき、いつもそう感じる。

何も悩むことなんかねぇ、無法無頼で行けばいい。俺の良心だけが、指針だ。人としてやっちゃいけないことなんざ、お上に指図されなくたって、自分でしっかりわかってるぜ。
暗い夜道で車を転がし続けて、それが解かった。

読者諸君、失礼する。大事なことだからもう一回言っておくぜ。禁じられても、見つからなけりゃ悪いことじゃねぇのさ。

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