2014/12/29

Post #1363

Budapest,Hungary
俺は、いつもヒトが抱えている過剰や欠落に目が行ってしまう。そして、出来る事なら写真に収めたいと思っているんだ。しかし、その行いには、往々にして反社会的なにおいが纏わりついてしまう。正直に言って、犯罪とすれすれだ。いや、人間の(臭いものには蓋というか、問題から目を背けたいという心性に由来する)倫理観からすれば、明確に犯罪かもしれない。

それは、別に手足や目鼻が欠損していたり、多指症の人の手だとかというわけではないんだ。

人間が、内に秘めた昏い情熱の塊のようなものが、マグマが地殻を突き破って出てくるように、その人間の行動や考え方や姿かたちに、現れる。その過剰は俺の考えでは、何らかの欠落、そう心のなかにぽっかり空いた空隙を埋めるために生み出され、しかし、その空隙を埋めることはできないままに、表面に噴出しているのではないかと思う。

そうだとすれば、何か抜け殻になってしまったような人も、周囲に異様な存在感を放射している人も、根本的には同じカテゴリーの存在なんじゃないかと思っている。

例えば、ほら過剰なピアっシングをしていたり、リストカットを繰り返していたり、あるいは飽くことなく性交を求め続けるセックス依存症の人とか、服装やしぐさに過剰な自己表出が現れている人とか。

人間の表面に現れる兆しは、その内面に渦巻く昏いパトスの噴出だと考えているんだ。
満たされて幸せそうな人々には、その暗い影は差していない。
そんな欠落や過剰を抱えている人のまなざしは、どこか光が違うのだ。

そんな人間を、写真に収めてゆきたいと、いつも思う。
出来る事なら、その心のなかに空いているだろう暗く湿った穴を、それを埋めようと渦巻く情念の塊を、この手に取って見てみたいのさ。
しかし、そもそもそれは写真に写るものなのだろうか?手に取ることが出来るものなのだろうか?
まぁ、なかなかそんな人間らしい人間は、俺の前には現れてくれないけれどね。


読者諸君、失礼する。俺ですか?俺にはそんな昏い情念なんて、これっぽっちもありゃしないよ。俺はこう見えて、到って退屈な平々凡々たる男でござんす。

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