2015/12/02

Post #1687

夜に咲く花
ふと、目に留まり、無性に撮りたくなってしまった。
ただそれだけのことさ。

2015/12/01

Post #1686

Nepal
自分の言葉の意味をわかってない馬鹿野郎が多すぎて、うんざりしています。
ろくすっぽ自分の言葉がどんな事態を引きおこすのか、その言葉を発している自分の立場立ち位置がどこいらあたりにあるのか、その辺をわからずに、思考停止したまま適当なことを口走るバカばかりです。

挙句の果てに、さっきの発言は取り消したいとか抜かし始めると、言葉の軽さと覚悟の無さに、心底軽蔑したくなります。

あんまりうんざりして、昼間っからタワーレコードに行って、CDを何枚も買いこんじまったくらいです。ロックンロールはいつも僕を支えてくれます。まるで親友や恋人のように。


ブログを放置していたのは、仕事が忙しかったからで、病んでるわけでも、もうやめようとか思ってるわけでもありません。
明日も、5時起きです。

2015/11/22

Post #1685

Hamburg,Germany
たまの休みにカミさんと出かけてみたところ、地下鉄の中でばったり高校時代の同級生の女性に出会った。
こんなことってのは、ありそうでなかなかない。なんかバツが悪いような気がして、ちょっとあたふたしちまったよ。

降りる直前だったんで、ほんの二言三言言葉を交わしただけで別れたけれど、なんだか嬉しかったな。よく考えたら、お茶でも飲みに誘えばよかったよ。

読者諸君、失礼する。君と出会ったら、迷わずお茶を飲みに行こう。名古屋人は喫茶店が好きなのさ。

2015/11/21

Post #1684

アンディ・ウォーホールの描くヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコのアルバムジャケットを気取っているわけではない。
真夜中、小腹がすいたので、バナナわ食おうかどうしょうか、思案しているところなのだ。

これはあくまでも俺の個人的な見解なんだけど、バナナと女性は多少熟れてるほうが好きだな。
甘さがぐっとますし、柔らかくて舌に絡みつくような…。そばにおいておくだけで、甘い香りで胸いっぱいで、すぐにでも食べたくなる。いま、エッチな想像した人!妄想してちゃダメですよ!
だいたい、若い女はワビサビを知らないからな。つまらないぜ。ヴォジョレー・ヌーヴォー?あれもあんまり魅力を感じないな。
う~ん、俺もやはり年をとったということかな。みんな、もっと俺のことを気遣って欲しいぜ。

読者諸君、失礼する。人間、男も女も味わい深くなるには、ある程度の年月が必要だ。もっとも、そうなるためには、夜中にバナナを食べたりしないくらいの自己管理は必要だろうけどね。

2015/11/20

Post #1683

何事も、選択の自由というものが必要ではなかろうか?
とはいえ、人は往々にして、水が低きに流れるように、安楽な途を選ぶものだけれど。
読者諸君、失礼する。願わくば、自分の前途に艱難辛苦と波乱万丈、疾風怒濤と痛快無比なる後半生があらんことを!

Post #1682

HongKong
即物的な写真というのは、言葉に詰まるものだとおもう。
言葉による詐術が入り込む余地がない。
言辞を弄することに倦みつかれ、家に帰れば眠ってばかりいる俺なのさ。

読者諸君、失礼する。

2015/11/19

Post #1681

Tokyo
自分の言葉が相手に届いている実感がないと、どうにも無力感や徒労感におそわれる。
どうせ届かないのなら、黙っていればいいじゃないかとも思う。
人間は、根本的に孤独な存在だと思う。自分という牢獄にとらわれた囚人だ。

一方で、自分の発した言葉によって、相手が感じ入ったりすると、なんだか俺は心にもない虚言を弄して、相手をたばかってしまったのではないかという、居心地の悪さを感じたりもする。

自分が正しそうなことを言っているのを客観的に見ると、自分が偽善者のように思えてきて、うんざりする。そして、その偽善者の言葉に納得する相手を見るにつけ、自分が偽り多い邪悪な人間なのではないかと疑わしくなる。

とりわけ、メールやチャット、そしてこのブログでもそうだけれど、書き言葉でコミュニケーションする機会が多いいま、その想いは強まるばかりだ。ほんらい言葉は、声質、調子、表情、語気など、文字では表すことができないもろもろの要素によって、補完されるべきものだと思う。

間違いなく目的を達すると思えるのは、相手を非難し断罪する言葉だろう。
言葉は時に、人のこころを踏みにじる暴力装置となりうる。これについては、いろいろと反省するべきことが自分にもたくさんある。
だから、そんな言葉はもう使いたくはない。そんなくだらないことで、人生を浪費するような暇はどこにもない。

しょせん、心と心が深く結びついて、信頼しあっているニンゲン相手でないと、本当の心なんて伝わらない。そしてそれは、往々にして、言葉以外の態度でしか伝わらないのではないかと思う。

そこらあたりが、このブログを、時折自分自身が生み出してしまった薄気味悪い節足動物のように感じて、放り出し、消し去ってしまいたくなる原因でもあるだろうし、ごく少数の、自分の心をゆだねられる相手としか言葉を交わしたくなくなる原因でもあると思う。

読者諸君、失礼する。

2015/11/18

Post #1680

Bruxelles
人生にウンザリしたら、日々の単調な暮らしに倦み疲れたら、旅に出るべきだ。
もしくは、誰かと恋におちるか?

どちらも、ある意味で未知との遭遇だ。

お互いに片言の英語を使って、何とか意志を通じ合わせるのは、愉しい。見知らぬ街の普通の人々がやってくるような飯屋で、なんとか注文し、うまいものにありついたあの瞬間の充実感!

今までの生きてきた道程も、人生観も違う異性と、心をより合わせていくのも愉しい。そういえば、男と女の間では、言葉が通じない国に行ったかのように、思いを伝えあうのは難しいしね。
言ってくれなきゃわかんないとか言いながら、言ってみたって本気にされなかったりもするしな!

そういえば、俺のことを『港みなとに女がいるタイプ』と評した人がいたけれど、いったい俺の何処がそう見えるのか?自分じゃぜんぜんピンとこない。まったくの謎だ。

どちらも、指先と心の乾ききった中年男性たる俺の心を、少年の頃のように瑞々しくさせるだろうよ。これ以上にワクワクすることなんか、世の中にあるとは思えないね。

ブラジル、ニューヨーク、インド、シベリア、ボルネオ、チベット、サハラ砂漠・・・。
俺は行ってみたい場所を次々思い浮かべる。

あぁ、本だのCDだの家財道具の一切を始末して、帰ってこない旅に出るのも、悪くないかもな。
おっと、冥途の旅路は御免蒙るぜ。
こればっかりはいつか必ず行く道だからな。急ぐこたぁねえのさ。

読者諸君、失礼する。旅行に行きたい。カメラをもって。できうればカミさん以外の素敵な女性と!(笑)

2015/11/17

Post #1679


もし、今日という日が、人生最後の一日だとしたら、僕はどう生きるだろう?

朝、仕事に向かう道すがら、毎日眺める風景を見ながら、ふとそんな事を思う。
このいつでも目にしている風景が、今日で見納めだとしたら?
愛している人たちとも、今日でお別れだとしたら?
手掛けている仕事も、将来に抱いている夢も、すべて途中で放り出さなければならないとしたら?

くだらないことで、いさかったりしている訳にはいかない。つまらない意地をはって、自分自身の気持ちを偽る訳にはいかない。
人生最後の仕事を、適当に流す訳にもいかない。
大切なひとに、誠意と愛情を注がずに過ごす訳にはいかない。
たとえ、身も心もガタガタでも、唇を噛みしめて、すくっと立って最後の一日を生き抜かない訳にはいかない。

人生最後の日は、いつくるかわからない。それは今日かもしれない。
だから、この何気ない毎日を自分自身のかけがえのない人生として、考えないと本当に生きていることにはならないと思える。

読者諸君、失礼する。何時だって、死ぬにはもってこいの日だ。

2015/11/16

Post #1678

Paris
ISによるパリでのテロについては、思うことは実はたくさんある。
しかし、今日は言うまい。

俺が今日考えているのは、人間の救済ということだ。
というのも、昨日親戚の家に赴いて、法事に参加してきたのだが、その時ふと思ったことだ。

その親戚の家は、臨済宗だったので、普段俺が親しんでいる浄土真宗とはずいぶん勝手が違う。
お経だの和讃だの読んでいても、行いを正して、成仏するべしといったことが書いてある。
しかし、それでみんな救われるのか?

行いをただし、殺生せず、盗みもせず、嘘もつかず、淫欲にふけることもない。

それは理念としては結構だ。そうあるべきだろう?
しかし、そもそも人間は、そうは生きられない存在なんじゃないのか?
だれだって、そんな風に生きる事が出来るのなら、そもそも苦労はしないだろうよ。
そして、そうでなければ、成仏できない、つまり救済されないのなら、そもそもほとんどの人間は、救われない存在だということになるのではないか?

人が生きることは、そもそも苦しいものであるというのが、仏教の思想の根幹にはある。
生まれてきたことも、老いることも、病むことも、そして当然ながら死ぬことも、これらはすべて苦しみだととらえられている。
無限の時のなかを、生まれ変わり死に変わりしながら、未来永劫にわたって苦しみ続ける。それが人間に限らず、この世に存在するあらゆる生命の存在様式だ。
その救いのない生死観が、仏教の根幹にどす黒く広がっている。つまり、無明といことだ。
そこでは、現代を生きる私たちが、無条件に肯定する愛情すらも、苦を生み出す元として、否定されている。

その中で救済とはいったい何を意味しているのか。

救済とは、成仏とは、二度と再びこの世に生まれ変わってこなくてもよくなるということだ。世間の皆さんが、よく意味も分からず唱えている般若心経も、この世の中の存在には、確固たるものなど何もないことに気付いて、とっとと二度と生まれ変わらない境地に至ることを説いている。

その救済を得るために、人々は、現世的なしがらみの一切合切を捨て去り、自分に関わるあらゆる縁を断ち切って、出家して修行し、二度と生まれ変わることのない境地を目指したのだ。それを幸せだと感じる現代人は、まずもって少数派だろう。

けれど、そんな生き方は、万人にできる様な類のものではない。
人は、生きていくうえで、必ず他の生命を損ない、倫理を逸脱してしか生きていくことはできないからだ。愛欲の果てに、次の世代を生みだし、苦しみの連鎖を続けていかざるを得ないのだ。

これでは、どうにも救われない。

『善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや』

この一節を含む歎異抄を聖典とする浄土真宗門徒の俺は、ふと悪人こそが救われるべき存在であると唱えた親鸞聖人のことを想う。そしてまた、その異端ともいえる思想が、それまで救済される可能性など皆無と信じられていた当時の一般大衆に対しておよぼした衝撃のすさまじさをおもい、唖然とする。

現代の生活は、親鸞の生きた1000年まえとは、比べることが阿呆らしくなるほどに便利になり、また豊かになった。その結果として、生きることそのものが持つ苦しみは、見えにくくなっている。
けれど、実際には、昔も今も変わらず、人は悪を内包した存在としてしか、生きることはできないことに変わりない。
もし君が、そんなことはないというのなら、自分の行いを静かに振り返ってみればいい。一点の瑕疵もない人間など、どこにもいないだろう。

その事実の前に、俺は独り立ちすくむ。

そもそも、この神も仏もない、つまり目に見えない超越的な存在を信じえない私たちには、救済ということそのものがあり得るのか。
一時の快楽?老後の資金?社会福祉?金銭的な援助や保証?一億総活躍社会?
いや、そういうことを言っているんじゃない。もっと、人間の存在の根幹にかかわることだ。分かってほしい。

一人のニンゲンが、この世に存在していることそのものが肯定され、苦しみながらも自らの生を全うすることができるには、なにが必要かということだ。

すでに来世だの死後の浄福などを、微塵も信じることのできなくなっている末世の衆生たる私たちにとって、救済とはなにを意味するのか?
俺はそれが知りたい。
いかにしたならば、倫理に背きながらも生き続け、苦しみにまみれて生きるしかない私たちが、この生の中で安らぎを得て、自らの生とその先にある死を、肯定し受け入れることができるのか?
俺はそれを考えていきたい。

読者諸君、失礼する。小難しい話ですまん。けれど、もし誰かこの答えを知っているのなら、頼む俺に教えてくれないか。

2015/11/15

Post #1677



Post #1676

仕事の前に病院に行くのに、毎日同じ道ではつまらないので、いつもと違う道をあるいたら、変なものを見つけて撮ってみた。しかし、黒人の少年を象ったものだからか、こいつらは靴はもちろん、靴下すら履いていない。人種差別的なかおりがする。

どうでもいいといえばどうでもいい。
けど、どうでもイイ話で適当に流したって構わないだろう。どうせ人生の大半はすぐにわすれちゃうだろうしな

フランスのテロの話とか、安倍総理が万一の場合には、非常事態宣言を発して憲法を停止するとかいう、とんでもない寝言をほざいているという、大テーマを語るべきのような気もしないでもないけれど、そんなこと俺が言ったところで、誰も聞いちゃいないだろう。
なんのリアクションもないどころか、下手をすると炎上してしまう。俺と考えの合わない皆さんは、どうにも暇人が多いらしくて、そういうことを言うと、俺に噛みついてくる。
御苦労なことだ。俺のことなんか、放っておいたってかまわないじゃないか?面倒くせぇ。
炎上しても、PVが増えれば別にいいじゃないかって気もするが、別にPVの競争をしたいわけでもない。どうでもいい。しょせん、自分のためにやってることだ。
いうなればサルのせんずりだ。真面目にやるだけバカバカしいぜ。

誰も聞いちゃいないのに語るのは、時間と労力の無駄というものだ。

もちろん、俺はこう見えてこれでもイロイロ考えてはいるんだ。
考えているからって、君に話さなきゃいけないってもんでもないしな。
黙って考えて、この人生の最終回くらいで、指名打者みたいに自分の打席が回ってきたときに、密かに考え抜いてきた世界に対する認識と見識をもとに、自分ならこうするということを、実行すればいいだけなんだ。

まぁ、そんな日が来るとは思っちゃいないがね。なんだって、プロセスってもんがある。そんな打順が回ってくるんだったら、今頃もう何らかの兆しがあってもいい頃だろう。残念ながら、そんなもんはないのさ。暇つぶしに俺は世界のことや社会のことを考えてみる。けど、ここで君に言う気にはならないのさ。手間がかかりすぎるし、興味もないだろうしね。

世界のことや社会のことを考えるより、あのひとのことを考えてるほうが、ずっと楽しいのさ。悪いかい?

それになにより、ここでとやかく力んで言わなくたって、あのひとはいつだって俺のことをわかってくれているから、俺を誰よりも信頼してくれているから、ぜんぜん構わないのさ。

それにあと百日で、子供が生まれてくるんだ。自分じゃ何にもできないことをここで語るより、年末調整の書類をつくったり、おなかの子供に語り掛けてたりするほうが、よほど重要に思えるよ。

読者諸君、失礼する。今日は日が昇ったら法事に出かけなけりゃならないんだ。久しぶりにスーツを着ないとな。香典袋はどっかにあったはずだけどな。やれやれ面倒なことだぜ。

2015/11/14

Post #1675

雨の朝、仕事に向かう途上の、駅のホームで。
ふと、東海道本線上のこの線路は、西にも東にも繋がっていて、この線路に沿ってどこまでも歩いていくだけで、懐かしいあの人に逢うことができることに思いいたり、不思議な気分になる。

この冷たい雨のなか、あの人はどうしているだろう?
寒さに心まで冷えきっていないだろうか?
う~ん、気がかりだ。
読者諸君、失礼する。今日もそんなセンチメントなんて封印して、修羅の如くに働かねばならんのさ。

2015/11/12

Post #1674

秋桜を目にすると、コスモスを好きだと言っていたあのひとを思い出す。
それが路傍のショボくれたものであっても。
朝の光に伸びた影が、コスモスにかかると、現ではない想念の世界で、自分とそのひとがふれあったような気がして、すこしうれしく、また切ない気持ちになる。

読者諸君、失礼する。そのひとはきっと、一面のコスモスのなかで、にっこり微笑んでいるのがふさわしいとしても。

2015/11/11

Post #1673

サンパウロの森山大道をDVDで鑑賞
盲腸のおかげで、月見きしめんだの雑炊だの、なにやら頼りないものばかり食っている。
おかげでどうにも力が入らないが、力を振り絞って今日も働いてしまった。
おかしい。今日こそとっとととんずらして、療養させてもらうつもりだったのに。
まぁ、いい。今日も生きてる。どうってことないさ。

鳥雑炊を食いながら、日本が世界に誇る写真家・森山大道がブラジルのサン・パウロでストリートスナップをしているDVDを見る。

いいなぁ・・・。

あんなところを旅したら、360度、どこを向いても写真になってしまうだろう。とにかく、ニンゲンがうじゃうじゃしてる。それも、いろんな人種が入り混じって、カオスのようだ。
俺もブラジルには前々から写真を撮りに行きたいと思っていたんだ。
そう、中学生くらいから・・・。開高健の傑作ドキュメント『オーパ!』を読んだあのころから、ブラジルは、アマゾン川は俺の憧れの地なのさ。
マエストロ森山大道、悠然と写真を撮り歩く
う~ん、せせこましい日本の、これまたせせこましい仕事に忙殺されていると、どうにもここじゃないどこかにとんずらしたくなる。それは俺だけではあるまい。
しかし、大方の皆さんは思うだけで踏み出せず、毎日虚しく満員電車の座席を奪い合い、運よく座席にありつくと、眠りこけることになるのだ。あるいは、吊革につかまりながら、手にしたスマホでどうでもイイ情報を漁るかだ。

しかし、本当の人生はそげんところにはなかとですとよ!

今までいろんな国に行った。俺たちが考えもしなかったところにも、ニンゲンはうじゃうじゃ生きている。俺はそれが見てみたい。
言葉も通じぬ見知らぬ街を、カメラを片手に煙草をふかしながら、朝から晩まで歩き回ってみたい。
そうして、暗室に引きこもり、心安らぐほのかな赤い照明の中で、自分だけの街を印画紙の上に築き上げたい。

そうしているとき、俺は本当に自分が自分らしく存在しているって感じるよ。
見ていて思わず泣けてくるほどに、森山大道が羨ましい。俺の頬を伝った涙が、鳥雑炊の中におち、思わぬ隠し味になりそうだ。ふむ、それはそれでなかなか乙なもんだな。
写真についてぼそぼそと語る森山大道
読者諸君、失礼する。人生は、しょせん一つの長い旅路にすぎないのさ。

2015/11/10

Post #1672

近所の神社。桜の落ち葉から、桜餅の様な香りがする
やれやれ、虫垂炎で朝から点滴されて、家に帰って安静にしているようにきつく言われていたというのに、仕事が俺を離しちゃくれないんだ。女の子が俺をはなしちゃくれないとかなら、大喜びなんだが、あいにく俺の人生、付き合った女の子はどいつもこいつも、たいてい俺をあっさり手放してくれるんだ。それを想うと、泣けてくるけれど、今問題のなのはそこじゃない。

俺の腫れ上がった盲腸だ。

点滴打ってるあいだにも方々から電話がかかってきやがる。仕方ない。俺は電車にのって仕事に出かけたぜ。病院まで歩いてきたっていうだけで、馴染みの看護婦さんにはびっくりされてたってのに。安静に仕事をしてますとありえないことをテキトーにいってごまかしておいたぜ。

なにしろ現場は混乱を極めているんだ。毎日のようにわからんちんの施工業者が次々と参戦してくる。俺はそれをさばいていかなきゃならないんだ。力技だ。
家でぽんぽん痛いとか言って、布団にくるまってるわけにいかないんだ。
なにしろ、俺の社是は『倒れるまでやれ!倒れたら這ってでもやれ!』なんだ。
ここは迷わず行くしかないだろう。
仕事があるにも関わらず、俺が家で布団にくるまってるなんてことは、女の子に冷たくされた時くらいしかないのさ。ブログのバックナンバーを見て、この時はそれかぁ!とかチェックするのはやめてくれよな。
仕事帰りに。広角レンズは足が長く見えるものさ。
総理大臣の代わりはいても、俺の代わりはどこにもいない。
圧倒的な大声と、細かな気配り、そして絶対的な存在感だ。
どうしても欠かせないお昼の会議も、いつも通りに乗り切った。
誰も俺が腹の中に爆弾を抱えているなんてことには気づきもしない。

イイだろう、ここでもう一丁伝説を作ってやるのさ。レジェンド級超人の道は険しいんだ。

この会議だけ済ませて、さっさと帰って寝るつもりだったんだが、来客だ、会議だ、施工業者へのメール配信だの次から次へと仕事が押し寄せてくるんで、結局夜の七時前まで働いてしまったぜ。

さて、このまま上手いこと抗生物質だけで乗り切れるのか?
それとも、やっぱり一泊二日で手術をする羽目になるのか?
それとも、腹膜炎とかになって酷い目にあうことになるのか?
はたまた、敗血症とかおこして死んじまうなんて展開になるのか?

自分でも楽しみだな。リアル黒ひげ危機一髪の気分だぜ。死んだら死んだで関係ないさ。
安全牌きって生き延びることより、限界に挑んで伝説をつくるほうが俺にはふさわしいんじゃないか?

読者諸君、失礼する。どうでもいいけど、素うどんとかお茶漬けしか食わしてもらえないんで、腹が減ってかなわないぜ。

2015/11/09

Post #1671

Patan,Nepal
朝、仕事に行こうと最寄りの駅まで歩いていると、右の下っ腹になんだか鈍い痛みが走った。
しかし、俺は痛風だの結石だのをさんざん経験してきたおかげで痛いのにはすっかり慣れているのさ。だからこんなの、どうってことないぜってフツーに仕事に行ったのさ。こんな差し込み、すぐに治るだろうってね。

しかし、痛みは一向にひかない。現場に出て大音声を張り上げて忙しくしていると、これまた全然痛みを感じないんだ。脳内麻薬だ。けれど、事務所に戻ってくると、やはり痛い。

俺はさっさと早引きして医者に行くことにした。

診断結果は盲腸だった。素晴らしい!冗談じゃないぜ。

思わず笑えてきたぜ。こんなに元気なのに、なぜ病気だっていうんだ?確かに腹は痛いがな。笑いすぎても腹は痛くなるもんだ。

手術か薬か、それが問題だ。どっちが現場にはやく復帰できるかな?そこが焦点なんだ。

明日の朝も、点滴を打ちに来いとお医者さんには言われたが、そのあとさっさと仕事に行き、現場をうろついたり、名古屋の監督の中でもっともデカいと言われる声で、会議を切り盛りしたり、現場をおさめていくつもりなんだが。

カミさんは、腹膜炎になったら困るから、無理しないでくれという。
医者は、2,3日は安静にしろっていう。

冗談じゃない。今はそんなことしてられるような時期じゃない。

俺は行かなけりゃならないんだ。俺がやらなくて、誰がやるっていうんだ

こじらせて腹膜炎になったとしても、そん時はその時だ。大丈夫だ。俺には息子ができてるんだからな。死んだところでどうってことないさ。あとは息子に任せてりゃいいのさ。とはいえ、まだ妊娠7か月だけどな。

読者諸君、失礼する。今夜はとっとと眠るとするさ。

2015/10/31

Post #1669

Copenhagen,Denmark
人生の目的は、う~ん、誰かを愛することしかないような気がするんだが、どうだろうね?

仕事なんて、それに比べたら大したもんじゃないんじゃないかな?
とはいえ、今の自分は仕事を通じて形作られてきたようにも思うから、それはそれで大切なんだろうけど、誰かを愛して幸せにすることに比べたら、ほんの暇つぶしじゃないかって俺にはおもえるのさ。それも愛する人に逢いたくても逢えないあの退屈な時間の暇つぶしに過ぎないような気がするんだけどさ、どうだろう?

大切な人を幸せにするってのは、人が一生かけてやっと為し得るほどの難事業だと、俺には思えるよ。

さてと、今夜は月末だから帳簿でもつけようかな?

読者諸君、失礼する。どうでもいいけど、もう、10月も終わりかぁ・・・。いやぁ~、まいったなぁ・・・。

2015/10/30

Post #1668

Hamburg,Germany
企業の不祥事が続いている。
TVや新聞紙上では、普段偉そうにしているであろうおっさんたちが、神妙な顔つきで深々と頭を下げて、ご迷惑をおかけしましたとかいう姿を度々目にする。

それが今どきの責任を取るということなんだろうか?まぁ、きっとそうなんだろうな。
しかし、やってしまったことは、なかったことにはできない。当たり前のことだ。
それが人の生命にかかわることであったり、かけがえのない環境を、回復不能に汚損してしまうような出来事であったりした場合、いったいお偉いさんが頭を下げることに、どんな意味があるのだろう?
ぬるいなと、思う。

鹿児島県は阿久根市出身だった俺のお婆さんは、もうとっくに亡くなったんだけれど、俺が子供の頃に、いろんな話をしてくれた。それは、幼い頃の俺の心にしっかりと刻まれて、自分の人格形成の核になっている。
その中に、おばあさんのそのまたおじいさんの強烈な話があった。

このおじいさんは、当時村長だかなんだか、とにかく責任ある立場にあった人物だったのだが、自分の部下に当たる村の助役だかが密かに業者と結託し、村有林の木を勝手に切り倒し、売り飛ばし、利益を自分の懐に入れていたことが発覚したそうだ。

そこで、そのおじいさんはどうしただろう。このような不祥事を起こしたことを、深くお詫び申し上げますといって、村人に頭を下げたのだろうか。


薩摩隼人のそのおじいさんは、責任を取って切腹した。


簡単に切腹と書くが、実際にはまず短刀で腹を横に切り、次に刀を腹に刺したまま縦に切る。十文字だ。さらに短刀を引き抜いた後、臓物が飛び出してくるのを防ぐため、さらしまで巻いたというのだ。当然介錯、つまり時代劇なんかでよくあるように、腹に刀を突きさした途端、後ろから他の人間が日本刀で首を一気に切り落とすというのは、なかった。
しばらくの間、苦しみ悶えて死んだことだろう。

俺のおばあさんが生まれたばかりのころというから、それが本当なら大正時代の話だ。本当ならば、時代錯誤も甚だしい気がする。しかし、強烈な話だ。

こうして俺の子供心に、いささかの恐怖心とともに、男の責任の取り方の究極は、切腹であるという考えが、しっかりと叩き込まれた。そしてまた、自分自身のしでかしたことでなくても、自分の部下がしでかしたことの責任から、人は逃れられないということも。
物事がうまくいけば、自分を支えてくれた皆のおかげであり、うまくいかなければ責任者たる自分自身の責任だという考えも。

少し前にも、責任を取らない責任者という話を書いた。
だから俺は、その手のニンゲンが嫌いだ。甘ったれやがってと思う。
減俸?降格?辞任?
君たちはそんなにちょろい仕事しかしていないのかね?それとも、仕事を舐めてるのかね?って思うのさ。

俺にとって、自分の仕事の責任とは、非常に重いもので、期日内に満足のいくものができなかったとしたら、それは金銭的にも多大な迷惑を施主さんにかけることになるし、万一事故など起こしたら、取り返しなどつかない。
申し訳ありませんでしたと、額を地面に擦り付けるようにして謝ったととしても、それがいったいなんになるというのだ。
そんなことになれば、ごく狭い業界で、自分一人の信頼と実績だけで成り立っているチンケな俺の商売は、たちまち行き詰ってしまうだろうよ。
呑気そうに見えて、実は毎日が危うい綱渡りなのさ。

何事もなく、現場をおさめ、お客様に引き渡すこと。当たり前だけれども、それ以上の責任の取り方はない。なにしろ、そうそう切腹するわけにはいかないからな。

だから、企業のお偉いさんたちの振る舞いみていると、謝らないよりはましだとは思うけれど、なんの責任もとっちゃいないだろって思わずにはいられないんだ。

責任を自覚すれば、実はどんな仕事でも、命がけなんだ。俺はそう思ってる。

読者諸君、失礼する。俺は伊賀忍者の血筋に、薩摩隼人のスピリットが隠し味でブレンドされてるのさ。

2015/10/29

Post #1667

Hamburg,Germany
毎日のように、TVのニュースでヨーロッパに押し寄せる難民の姿を目にする。

難民というと、なにか特殊な人のように感じるが、その人たちの姿を目にすると、俺たちと何も変わらない普通の人々だとわかる。

幼子を抱いた母親、家族を気遣う父親、子供たちは無邪気にカメラに向けてピースをしていたりする。容姿は違えど、その振る舞いは俺たちと何も変わらない。
ただ、宗教や民族の相違に起因する様々な争いによって、自分たちの国から命からがら逃げださざるをえなくなったというだけだ。

なにも特別な人たちじゃない。自分と自分の大切な人の命を守りたいと願う普通の人々だ。そう、俺たちと何も変わらないんだ。
けれど、生きていくためには故郷も家も、仕事もなにもかも捨てて、見も知らぬ国に、命がけで逃げ出さねばならなかったというだけだ。

シリアを脱出した難民は、すでに400万人をこえたという。

この日本に暮らしていると、大方の人にとっては、そんな話は他人事というか、対岸の火事かもしれない。けれど、ほんの少し想像力を働かせてみて、それがどれほど辛くて困難なことなのか、想像してみてほしい。
それは別段難しい事じゃない。
自分が彼らの立場だったらどんな気分だろうかって考えてみるだけだ。
もし、少しでも興味があるのなら、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のホームページを見てほしい。(リンク➩UNHCR) なにが起きているか知ることは、何事においても大切な第一歩だ。そうじゃないかい?

いいかい君たち、戦争は不幸しか生み出さないんだぜ。
戦争で酷い目にあうのは、いつだって俺や君と同じような普通の人々だ。人を殺して英雄呼ばわりされるのなんて、恥ずかしいことだぜ。殺し合いに参加するんではなく、自分の家族を守るために、命がけで故郷を捨てた人々を、俺は尊敬せずにはいられないよ。
自分たちはカンケーないわけじゃない。この世界に生きている全てのニンゲンが、等しく考えていくべき問題だと、俺には思えてならないんだ。

どんなことも、もし自分が当事者だったら?って考えること。
それが俺の考えの基本方針なんだ。
なにが正しくて、誰が悪いのかなんて、興味はない。ただ、自分がその立場だったら、どう感じ、どう行動するだろうかって思うことが、大切なんじゃないかな?

読者諸君、失礼する。いい加減みんな平和に暮らそう。自分と違う人々を、受け入れよう。
俺はけっして、綺麗事を言ってるんじゃないんだぜ。

2015/10/28

Post #1666

Hamburg,Germany
久々に雨が降っている。
前にも書いたことがあるけれど、俺は傘がさすのが好きじゃない。手に何かを持つのが好きじゃないからってだけではないんだ。
人からなぜいつも傘を差さないのかって訊かれると、『ほら、ヨーロッパ人ってあんまりか差さないじゃない?肌が潤っていいんだよ』ってはぐらかしている。
けど、どうもそれだけじゃないんだ。カバンの中に折り畳み傘が入っていても、よほどの雨じゃないと傘は差さない俺なのさ。

自分でも何故だろうって考えて、思い至ったのはシーナ&ロケッツの歌だ。
作詞は今は亡き日本歌謡界の巨匠、阿久 悠。作曲はもちろん鮎川 誠だ。
それはこんな歌だった。


RAIN<突然雨が降ると>


突然雨が降ると 
人間の正体がわかる
突然雨が降ると 
人間の正体がわかる

恋人だって 先ず走り出し
それから慌てて手を差しのべて
急げという

濡れるから 濡れるから 
僕と同じスピードで走れという
ご親切に ご親切に 
あんたは心優しい人なのね

でもわたし あの一瞬 
あんたが一人で逃げ出したことを 
忘れやしない

雨だもの 濡れてあたりまえ
びっしょり濡れてしまおうと 
わたし言ってほしかった

突然雨が降ると 
人間の正体がわかる
突然雨が降ると 
人間の正体がわかる

しあわせだって転がり始め
話のつづきが見つからなくて 
またねという

傘がない 傘がない
なぜに傘がないか ぼやいて言う

運がない 運がない
あんたはいつもそういう人なのね

でもわたし 雨のまえ
あんたが言おうと思ってたこと
知りたくない

雨だもの 濡れて当たりまえ
一緒に濡れてしまおうと 
わたし言ってほしかった

はじめてこの曲を聴いたとき、ちょっとした衝撃だったのを覚えている。
このおれが、にわか雨で自分の恋人を置き去りにして、一目散に駆けだすような屁たれであっていいわけがない。そんなんじゃ、素敵な恋人に愛想を尽かされちまうだろう。冗談じゃない。たかがにわか雨くらいで、そんな目にあってたまるか!

そこで、俺は考えた。考えて考え抜いて、普段から傘をさす習慣をなくせば、そんな無様なことにはならないという結論に達したわけだ。
そう、雨だもの、濡れて当たり前。一緒に濡れてしまおうと言える男でありたいのさ。

もちろん、それは雨だけの話じゃない。避けられない人生のあれやこれやの話でもあるのは当然だ。そう思わないかい?

ロックンロールは時に、大切なことを教えてくれる。クレバーじゃなくても、人間味のある男でいるにはどうしたらいいかってことも。

読者諸君、失礼する。おかげでしばしば風邪をひく俺さ。

2015/10/27

Post #1665

真っ暗な夜道を歩くのに、灯りが必要だ。いくら闇の視力があってもね。暗室だって赤い暗室電灯がないと仕事にならないしな。
俺の真っ暗な人生で、ロックンロールは灯りがだった。そして、ずっと心のなかから消え去ることのなかった女の子達。彼女たちに恥ずかしくない男になり、一本筋の通った男ででいつづけること、それが俺を今日まで引っ張ってきた。
いつか、再会したときに『一人前の男になったね』って言われたいだろう?
そんな野望があるから、こんな肝試しみたいな危うい人生を歩んでこれたんだ。ロックのビートに踊るようにしてね。

さて、次のミッションはいよいよ墓場だ。若い頃、女の子と眺めた夜景のすぐしたに、黒々と広がっていた墓場だ。
さすがにここは、ヤバいかもしんないな。なにしろ昔の記憶が鮮明なんで、あんまり真面目に下見してなかったからな。
俺は、子供たちにそのまま待ってるように言うと、独りで墓場のなかに歩いていった。灯りは付けないでね。
みんな墓場を怖がるけど、あれはなんだろーな。
死んでたって、生きてたって、俺たちおんなじ魂だろう?
俺なんか生きてるやつらのほうが何をしでかすか分からねぇぶん、おっかないくらいだってのに。
縄文時代の人たちは、集落の真ん中にお墓を作っていたそうだ。節目節目に墓場を囲むようにして踊り、あの世から甦った死者たちと踊ったもんだぜ。こいつが盆踊りのルーツだ。
とはいえ、それはこの世とあの世が近かった大昔の話。今では死者は人々の目に触れないように巧妙に隠されている。病人も老人も障害者もだ。おかしな世の中だ。俺は、こんな世界はいつも不自然だと思ってるのさ。

ずっと奥まで歩いて行くと、開けた場所に小さな水子地蔵がたくさん並んでいる。
うん、ここだな。
俺は振り返ると、現場で鍛え上げた大音声で、懐中電灯をともして、一人づつこちらに来るように声をかけた。待ちきれず焦れたように子供たちがおっかなびっくりかけてくる。そして、たどり着いた子供たちは眼下に拡がる夜景を見て、歓声をあげている。
それでイイのさ。
全員揃ったところで、俺は子供たちを一人づつ墓石の間に立たせて、写真を撮ってやったのさ。夜景をバックにね。子供たちは、お互いに墓から手が出てくるんだぞとか言い合ってはしゃいでいる。
子供は何をしても愉しいもんだな。

俺は子供たちに尋ねた。
『君たちはこのお地蔵さんがなんだか知っているかい?』子供たちは誰も知らない。
『こいつは水子地蔵って奴でさ、お母さんのお腹のなかにいるうちに死んでしまったり、いろんな事情で中絶されたりして、この世に生まれて来ることが出来なかった子供たちを慰めて供養するためのものなんだ。』
俺には妊娠6ヶ月の息子がいるからな。切なさが身に染みる。俺は賽の河原で父母恋しいと石を積み、鬼に苛まれ泣き叫ぶ子供を助けてくれる地蔵菩薩の話なんかしてみた。
その上で『君たちは幸いなことに、こうして生まれて来ることができた。けど、それはスゴく幸せなことだし、君たちの命はたいへんな思いの結果ここにこうしてあるんだぜ。どこかで歯車が違っていたら、君たちがここで供養されてたかもしれない。だから、君たちの命はかけがえがないんだ…。だから、自分も周りの人たちも大切にして欲しい』
柄にもないけど、たまにはイイこと言ったってイイだろう?
子供たちは神妙に聞いている。真ん中の大きな地蔵の足元には、おもちゃやぬいぐるみが置いてある。それを見て、子供たちはなにかを感じている。
そう、それでイイのさ。

俺たちは、墓場のなかの石段をあがり、カップルの車がたくさん止まっている駐車場のはしに鎮座してる大仏の台座にのぼって夜景を眺めた。
大昔、女の子と眺めた夜景だ。この灯りの一つ一つに、喜怒哀楽をもったニンゲンが生きているのが、今の俺には解る。この子達はそれを分かってくれるだろうか?
いやいや、みんな大仏の下に止まってる車を、手にした懐中電灯で照らしている。やめろって!
俺がポツリと『昔彼女と初詣なんかにきて、この夜景を眺めたもんさ』というと、子供たちは『それは隊長の今の奥さんですか?』なんて聞きやがる。
『う~ん、前の前の前のそのまた前の前くらい?の彼女かなぁ?いちいち数えてらんないよ』
俺がそう答えると、子供たちはびっくりしてやがる。『ニンゲン46年もやってると、そんなもんだよ』困ったように俺が言うと、『うちのお父さんと同じくらいだ!』と驚きの声があがる。そーだろうよ。
『君のお父さんとはだいぶ違うだろ?』俺が訊くと『ゼンゼン違う』と言ってみんな笑うのさ。そりゃそうだ。俺はアハハハ!と高らかに夜景にこだまするような高笑い。
子供たちには、この高笑いが強烈なインパクトだったようで、参道の石段を下りながら、みんなアハハハと俺の真似をして笑ってやがる!
さぞかし、ロマンチックな気分で夜景を楽しんでたカップルの皆さんに顰蹙を買ったこったろう。なぁにかまうもんか。

幽霊だのふらついていたって、こんな高笑いでを聞かされちゃ、近寄っても来ないものさ。俺の魂は、死んでる奴らみたいな弱々しいもんじゃないんだ。
怖いものなんて、かみさん以外にありゃしないのさ。

読者諸君、失礼する。俺は最後に子供たちに、家から持ってきた伯方の塩をドバドバ振りかけてやったぜ!みんな頭や肩に塩を乗っけて喜んでいたのさ。またやろうぜ!

2015/10/26

Post #1664

この年までどうにかこうにか生きてきて、なんとなく思うのは、人生ってのは、少なくとも俺にとっては一種の肝試しみたいなもんだってことだ。
なにしろ、いつだって、先なんか見えているわけじゃなかった。何の見通しもない真っ暗な道を、明かりもなしに手探りで歩くようなもんだ。
平穏無事に暮らしているように見えるかもしれないけれど、毎日リアルに肝が試されているのさ。

そんなことを子供たちに伝えてやりたいもんだが、そういった抽象的な思考能力は、思春期前の学童期の子供たちには、まだ備わっていない。そういうのは、人生を俯瞰できるようになって初めてわかることなんだ。

だからこそ、きょうの経験を忘れないっでいてほしいもんだ。

俺たちは、わいわい言いながら裏山に通じる車道の急峻な斜面を登って行った。
どいつもこいつも、買ったばかりの懐中電灯を振り回している。
そんなんじゃちっとも怖くないぞ、消すんだ。
俺がそういうと、子供たちは何も見えないと抜かしやがる、馬鹿いえ、こんな月の明るい夜なんだ、懐中電灯なんかなくったって、十分見えるって、闇になれることが大切だ。
子供たちは、俺にどうやってみるんだよ、隊長?って聞いてくるけれど、そんなの教えられないぜ。

『心の目で見ろ!』

俺はそういうと、もう一度皆に懐中電灯を消すように促した。そういうもんはココ一番の時にとっておいたほうがいい。途上国を旅していると、真っ暗な道で獣のように目を光らせている男が、夜道を歩いているのに出くわすことがある。見えなくても、目を凝らすことで、見えてくるものさ。
闇になれなくちゃな。
なにしろ、俺たちは真っ暗闇の中から生まれてきて、真っ暗闇の中に死んでいくんだぜ・・・。

俺たちは、第一のチェックポイント毘沙門堂の参道前にやってきた。
立木に覆われた暗い道が、山の斜面に伸びている。
『お前ら、この道の奥のお堂に、独りで行ってこいよ。』
俺はこの道の奥のお堂に、独りでいって、ちゃんとそこまで行った証拠に、俺がお堂の前に置いておいた俺の名刺を持ってくるというミッションを与えた。
『まじでっ?ムリ!』
ガキども、早くいきたいと威勢は良かったが、実際にミッションを与えられると腰が砕けてやがる。人生はいつだって、独りっきりで戦っていかにゃならんもんなんだが・・・。
『馬鹿野郎、きんたまついてんのかよ?あ、すまん女の子もいたわ!仕方ない、二人一組で行ってこい!ツーマンセルだ。二人小隊だ。足元が悪いから懐中電灯をつけることを許可する。前を照らすんじゃなくて、足元を照らすんだ!それがポイントだ!』
人生だってそうだ。先ばかり見ていても、足元がおろそかになっていると、思わぬトラブルにケ躓く羽目になるのさ。

二人のガキどもが、ひーひー言いながら暗い道を登っていく。
待ってる子供たちには、懐中電灯を消すようにいうと、子供たちは暗いのは怖いというんだ。
『どうして暗いのが怖いんだい?眠るときは暗くないと眠れないだろう?闇は敵なんかじゃない。友達なんだぜ』
『そりゃそうだけど…』

二人組が興奮して帰ってきた。俺の名刺をもってきた。次の二人が入れ替わりで駆けだす。帰ってきた奴らは、怖かっただの、怖くなかっただの言って大騒ぎしている。どっちなんだよ。そして、後続の連中が遅い、あいつらはビビってるぜとかいってるんだけど、最終組の女の子に、あんたたちもおんなじくらいだったよって言われて笑っている。
俺は子供たちに『ここは毘沙門天ってインドの神様をお祀りしてるお堂だから、怖い事なんか何もないぜ。インドの名前はヴァイシャラヴァナ。それが日本に来ると毘沙門天って名前に変わるんだ。インドの北のほう、ヒマラヤあたりに住んでるとされた神様で、上杉謙信も信仰していたんだぜ』
知らないよりも、知っているほうがビビらなくてすむものだ。俺は子供たちに、上杉謙信は自分が毘沙門天の化身だと信じていたから、自分は決して負けないと信じていた話や、謙信が敵の鉄砲や弓矢が飛んでくる真ん中で、酒を飲んで相手を挑発した話なんかをしてやった。
そうこうしているうちに、最後の組が帰ってきた。
子供たちは、さっきまで怖がっていたくせに、ちゃんとお堂にいってお参りしたいと殊勝なことを言い出した。
細い車道で、上りと下りの車が、道幅が狭いがために行違うことが出来なくて、危なっかしくて仕方ない。暗い夜道より自動車のほうがおっかないのが現実だ。お参りにいくと称して、こっちの暗い道を登って行ったほうが、断然安全だ。
OK、イイだろう。みんなで行こう。
『野郎ども、ついてこい!』
俺はそう声をかけると、みんなの先頭に立って、お堂まで登って行ったのさ。

しばらく行くと、大きな六地蔵が並んでいたんで、子供たちをその間に立たせて写真を撮ってみたんだ。『おい、一人増えてないか?』なんて言いながらな。

読者諸君、失礼する。この話はもう一日くらい続けてみようかな。

2015/10/25

Post #1663

山門にかかる月
今日は仕事で福井まで往復してきたんだ。片道2時間以上、仕事は20分。ドライブを兼ねてカミさんも連れて行ったんだが、スピードの出しすぎだとか言って、終始小言を頂戴して、どうにも疲れたぜ。
まぁ、それはイイ。昨日の夜の肝試しだ。
俺は、昼間の仕事を終えて家に帰ると、そそくさと飯を食い、車に乗り込んで夜道を飛ばした。木曽川沿いの堤防道路だ。俺の大好きなドライビングルートだ。
今夜の目的地は、成田山の名古屋別院だ。小高い山の山頂にそびえてる。そして、その山の斜面に墓場が広がっている。そこがこの夜のフィールドだ。
俺のいでたちときたら、ダブルのライダース・ジャケットにヒョウ柄のスキニーパンツ、リーゼント風の髪形に、足元はドクター・マーチンのブーツだ。どこから見てもロッカーだ。子供さんたちにもつかみはばっちりだろう。首にはネパールで手に入れてきたドクロの数珠が下がっているのも、アクセントが効いていていいんじゃないか?

時間に余裕をもって出かけたので、まだ誰もついていない。月が周囲を明るく照らしている。こんな時は、懐中電灯なんかつけると、そこしか見えなくなってかえって危険だ。暗がりに目を鳴らしておかないとな。俺は独り懐中電灯もつけずに、下見を始めた。

月明かりに俺の影が伸びている。この写真の先には左手に毘沙門堂やら墓場やらがある。登り切ったところからは、濃尾平野の夜景が一望できる。そしてそのすぐ足元には水子供養の小さな地蔵がずらりと並んでいるってもんだ。さらにうえには大仏がどーんとちんざしているんだ。なかなかいい。シャコタンのレクサスに乗ったヤンキーが来ていたり、エンジンだけかかった車の中に、若い男女が抱き合っていたりする。こんなのなにが怖いもんか。子供たちを使って、カップルの乗った車をギシギシ揺らしてやるのも悪くないぜ。楽しみだな。

俺は、墓場のある山の裏手から境内に入り、独り夜景を眺めていた。
ずいぶん昔、よく女の子とこの夜景を見に来たものだ。その娘は今じゃどうしていることだろう。今更知ったところでどうにかなるものでもない。一瞬交わった人生は、一度離れてしまえば、よほどの強い縁がなければ、再び交わることはないものさ。そんなものさ。どのみち、今の俺には何もしてやれないだろうしな。とはいえ、忘れたくもないというのも事実だが。
過ぎ去った人生の一コマを思い返す中年のおっさんの感傷など、小学生の子供たちにはわかるはずもない。
大人になるとは、そんな感傷をしこたま胸の中に抱え込むことだ。
俺はそんなことを考えながら、参道を一人下って行った。

約束の時間だが、まだ誰も来ていない。俺は生垣の上に仕事で使っている充電式のランタンを置くと、煙草を吸い始めた。きっと、俺の姿は下からの光に照らされて、不気味に見えるこったろう。

そうこうしていると、ワイワイガヤガヤ騒ぎなら、10人ほどの子供たちが上がってくる。みれば、俺にこの大役を依頼した高校時代の同級生の成れの果てと、もう一人子供たちのお母さんが同行している。
まだ俺に気が付いてないようだ。俺はがさりと生垣をゆすりながら立ち上がった。その音に気が付いた子供たちが、下からの光に照らされた異様な風体の俺を見て、うわぁ!とか声をあげてビビっている。よし、受けてるぞ!この先制攻撃は有効だったようだ。

俺は子供たちに『俺がソーゴ君のお母さんの同級生の服部だ』と名乗ると、パドックに入って出走を待ってる競馬馬みたいに出発したいばかりの悪ガキどもに、自己紹介するよう促した。
子供たちは小学六年生のソーゴ、リョーマ、藤木、たつや、小学一年のカツ。このほかに、女の子も三人ほどいる。カツのお姉さんたちだ。一番上のお姉さんは怖くて参加できないけれど、家で一人で待っているのも怖いのでイヤといってついてきた。しかし、怯えっぷりが尋常じゃないので、同級生の旧姓古澤さんに頼んで、一緒に車のあたりで待っていてもらうことにした。

俺は、一通り自己紹介が終わると、今夜は俺のことを隊長と呼ぶように、悪ガキどもに命じた。

さて、今日は久々に長距離運転して疲れたんで、この辺でやめておこう。
明日だ、明日。俺たちには明日があるんだ。そもそも、これ以上だらだら書いていちゃ、きっと君まで疲れちまうだろうし、俺も久々の長距離運転でお疲れなのさ。少し眠らせてくれないか。

読者諸君、失礼する。続きは明日だ。

2015/10/24

Post #1662

Kathmandu,Nepal
世の中には、責任を取らない責任者がたくさんいる。
責任をとらされるのは、いつも下っ端で、責任者はたいてい自分たちの非を認めようとしない。

その手の責任者は、物事がうまく運ぶと、自分の手柄にしたがり、ヤバくなると誰かのせいにしたがる。
けれど、俺は上手くいったときには、こんな自分についてきてくれた仲間たちのおかげだと素直に思いたい。上手くいかない時には、自分の責任として、自分の非を認めたい。

当節、クレバーな生き方は責任を取らない責任者のほうさ。
責任を取らないから、そこそこ出世する。羽振りだってイイ。しかし、そいつらはシコシコ貯め込むだけだ。飲みに行っても、絶対に割り勘だ。しみったれた野郎だぜ。

けれど、それは卑しい事なんだぜ。どんなに偉そうにしていたって、ここ一番でケツをまくるような人間を、俺は漢とは認めないんだ。

俺は、そんな奴らには、負けない。

男の器量で、一歩も引けを取ることもない。誰に対しても、誠実にひとりの人間として向かい合うだけさ。そんな人としてあったりまえのことができない時点で、そいつは負けてるのさ。
その立場とやらがなければ、他人と対峙することもできやしないのさ。立場の下駄を履いてることを忘れて、自分の人間性だか能力だかがすぐれていると思いこんっでいやがるのさ。
反吐が出るぜ。

読者諸君、失礼するぜ。今から、例の肝試しに出かけなけりゃならねぇんだ。楽しみだな!

2015/10/23

Post #1661

Copenhagen,Denmark
なんだかおかしなことになってきた。面白いぜ。
明日の夜、高校時代の同級生の女性の息子さん、小学6年生とその友人含め、総勢4人の少年を引率して、肝試しとやらに出かけることになったのだ。

俺はその悪たれ小僧どもには、一度もあったことはない。
なにしろ、俺には子供なんていないしな。

しかし、ひょんなことから子供たちが、成田山の別院の奥の墓場に行くのに付き合う羽目になっちまったんだ。
本来なら、子供たちの親御さんが行くべきなんだろうが、お母さんたちは夜の墓場なんて怖くっていけないっていうしな。
たまたま、FBでそんな話を聞きつけた俺は、その墓場なら夜景がきれいなんで、若い頃女の子を連れてよく行ったぜって言ったことから、怖くないんなら連れて行ってやってほしいと頼まれちまったんだ。

面白そうだから、俺は引き受けることにしたぜ。
俺は予行演習として、今夜も駅からの帰り道、近所のお寺の墓場を通って帰ってきたのさ。ぞくぞくするぜ。
さて、明日行く成田山の裏山は、夜景がきれいなんだ。もっとも、真下を見ると一面墓場なんだがな。
若い頃女の子とデートして、夜景を楽しんだ丘に、この年になってガキどもを連れていくことになるとはな。人生は何が起こるかわからないぜ。
カップルが車で夜景を見ていたりしたら、ガキどもと一緒に、こっそり車をゆすってやるかな?
前途有望な少年たちに、人生の楽しみをレクチャーしてやるのさ。
こいつは楽しみだ。

読者諸君、失礼する。今から倉庫に行って、懐中電灯の準備をしておかなけりゃならないのさ。こんにゃくとかも用意しておいたほうがイイかな?

2015/10/22

Post #1660

Copenhagen,Denmark
今朝、年若い友人から久々に連絡があって、自分の結婚式の写真を、俺に撮って欲しいと頼まれた。

えっ、俺でいいのか?

そんなのやったことないから、保証しないぞ。それでもよけりゃ、かまわないけど・・・。

読者諸君、失礼する。こいつは責任重大だな。しかし、そんなの引き受けたら、結婚式で酒飲んで大暴れできないぞ?

2015/10/21

Post #1659

Hamburg,Germany
本日、特にこれといって言うべきこともない。
けれど、人生の大半は、こんなどうっていうこともない日でできているという、あったりまえな事実に思い至り、唖然とする。

読者諸君、失礼する。そういえば流星群はあいにく、雲が多くて見えなかったな。

2015/10/20

Post #1658

Hamburg,Germany
昨日、仕事でいろいろと頭にくることがあって、やたらめったらカッカしていた。
朝起きてみると、左足にいつもお馴染みの痛風発作が起きていた。

やれやれ。またかよ…。

みんな俺を贅沢病というんだが、決してそうじゃない。
精神的なストレスで、俺は容易に痛風発作を引き起こす。見た目と違って繊細なのだ。というか、起こることによって、体の中のバランスが崩れてしまうのさ。
人間笑っているのが、一番ってこったろうな。

俺の眉間には、深い縦皺が彫刻刀で彫り込んだように刻まれている。

俺は先週身体の調子を崩して病院に行ったときに、血液検査のために採血されていたんで、仕事に遅刻して結果を聴きに行くことにしていたんだ。もちろん、仕事も休めない。

そこで、愛用の杖をついて、馴染みの病院に向かった。

診察室に入ると、先生はこっちも見ずに検査結果を見ながら『尿酸値が高いねぇ…』という。

俺は思わず苦笑いしながら、『はい、おかげさんで今日は痛風発作が出ています。』と答えたんだ。

診察室中がずっこけたぜ。まるで昭和のコントだぜ。

読者諸君、失礼する。どうして俺の人生は、こうコミカルになっちまうんだろうなぁ…。まぁ、なんとなく面白いからいいか。

2015/10/19

Post #1657

Hamburg,Germany
いろいろと思うところはある。
けれど、今日は考えがまとまらないんで、写真だけで失礼させて頂くぜ。

読者諸君、おやすみ。俺は遠くを見てるだけさ。

2015/10/18

Post #1656

Hamburg,Germany
少年時代からずっとお世話になっている師匠のもとに、カミさんを連れて子供ができたことを報告しに行った。
この師匠のうちこそ、実家と呼べる場所を喪った自分にとって、実家そのものだし、師匠とその奥さんこそ、自分の父母のように思って接してきた。
とはいえ、不肖の弟子だから、こっちが父母のようにおもっても、不肖の息子だわな。

想えばこの師匠との付き合いも長い。はじめてこの師匠に会ったとき、俺は中学一年生で、師匠は今の俺の歳よりも若かったはずだ。その師匠も今年喜寿。森山大道と同じ年だ。当時から白髪の長髪だった師匠の頭は、すっかり髪の量が減っている。耳には補聴器が。

しかし、お元気なうちに、この不肖の弟子も子供を持つにいたったことを報告出来てうれしい。

師匠は愛用のソファにどっかりあぐらをかきながら言った。
『子供ができたって話は、噂ではきいていたぞ。これまであえて作らなかったのに、よく決心したな。お前さんのことだ、よくよく悩んだことだろうよ。』 
さすがは俺の師匠、何もかもお見通しだ。
『はい。さすがに今回ばかりは腹括りました。腹括ってからは早かったんですがね』
俺は笑いながら答える。

『まぁ、頑張ってください。先は長いから』と師匠。
『まったくです。この年で子供をもうけたら、いったい幾つになるまで遮二無二働かなけりゃならんことか・・・。』俺は困ったように笑って見せる。

『で、男の子か女の子か、もうわかってるのかね?』師匠は重ねて訊く。
その問いにはカミさんが男の子だと答えた。そして俺にそっくりくせ毛の子供になるだろうとおもうと付け加えた。
その答えに、師匠は呆れたのか困ったのかしたように、顔をくしゃくしゃにして、くくくと笑って言った。
『やれやれ、奥さんも大変ですなぁ・・・』

なにしろ俺の子供は、おなかになかにいるくせに、もうロックと車が大好きだ。俺とおんなじだ。ついでに言うと、きっと女好きになることだろうよ。

俺たちと師匠ご夫婦は、日曜の昼時、温かく愉しいひと時を、家族のように過ごしたのさ。
『新婚さん、いらっしゃい』を見て、こいつはひでぇ夫婦だなとかいって笑い転げたりしながらね。
さて、そんなわけで師匠にはもうちょっと長生きしてもらわないとな。
俺の倅の成長を、見せてやりたいからな!
師匠と不肖の弟子のツーショット!
読者諸君、失礼する。さて、明日からまたわからず屋のとんちき共と戦うぞ!

2015/10/17

Post #1655

Copenhagen,Denmark
何時までも、腑抜けのように布団にくるまってはいられない。

今日はちゃんと仕事に出かけたんだ。

働かざる者食うべからずってやつさ。

実際、寝込んでた間は、ほとんど食っちゃいなかったけどな。

読者諸君、心配かけてすまなかった。謝るくらいなら、そんなこと書かなきゃいいのにな。

失礼いたす。こんなモミアゲ、ちょっと憧れるな。

2015/10/16

Post #1654

Copenhagen,Denmark
不思議なことに、もうなんにも食べたいと思えない。
食べ物のにおいをかぐと、気分が悪くなる。
丸一日、水以外喉を通らないんだ。

どうなってるんだろうな?

いっそこのまま、どこまでニンゲンの身体が持つのか、挑戦してみたくなるってもんさ。

2015/10/15

Post #1653

Copenhagen,Denmark
ちょっと、自分でもどうにもできない心身の不調で、仕事を早退した。

独りきりになりたかった。

駅のロータリーで思わず膝が抜けて、駐車場のフェンスに縋りついた。

昨日まで、どうやって俺は歩いていたのか、なんだか思い出せない。

風に吹かれるようにして、頼りない足取りで家路をたどった。

いったいぜんたい、俺はどうしちまったんだ。これじゃまるで腑抜けだぜ。

はやく、身を切るような酷烈な寒さの季節がやってきてほしい。

秋は嫌いだ。

読者諸君、失礼する。こんなていたらくだから、明日からしばらく写真だけにさせてくれないか?いや、いっそもうやめてしまおうか。

2015/10/14

Post #1652

Copenhagen,Denmark
今日はちょっと、何も言えない気分だ。

月すら見えない秋の夜長は、人恋しさがつのるものさ。

読者諸君、失礼するぜ。だからって、俺は煙草を吹かすくらいのものさ。

2015/10/13

Post #1651

Copenhagen,Denmark
おなかのなかの子供に、いろんな音楽を聞かせて反応を調べているんだ。
いうなれば、胎教だ。
音楽を聞かせてみると、曲によってはノリノリで激しく動き出す。
今のところ、一番激しく反応するのは、ケミカル・ブラザーズなんだ。
ビートに合わせて、どかどか動く。
次はジェフ・ベックだ。うねるようなギターに反応して、動き出すんだ。
あとは今のところ、ノエル・ギャラガー(元オアシスね)かな?
どれも俺の好みと似通っている。
大いに満足だ。
世間一般では、胎教にモーツァルトとかクラッシックを聴かせるのが通り相場のようだが、うちは違う。ちなみに、牛にモーツァルトを聴かせると、乳の出が良くなったりするとか、肉質が良くなるとかいうが、俺の子供は牛じゃないからな。
穏やかに見える牛の瞳には、他者にその命を蕩尽されるしかない悲しみを感じる。とはいえ、牛肉はうまいけどな!問題なのは、そこじゃない。
自分たちを越える組織だの国家だのとかいうイカサマに、易々と絡め取られるようなおとなしい牛のように育って欲しくはないのさ。
そう、世の中にあっさり流されるような素直な人間に育ってほしいとは思わないんだ。

読者諸君、失礼する。俺の息子は生まれながらにロックンロールだ。そうじゃなくっちゃな!

2015/10/12

Post #1650

Hambug,Germany
先日、77歳を迎えられた森山大道に敬意を表して、その作品のパクリというか、オマージュというか、まぁ俺の腕前じゃ、パロディーが関の山か?

読者諸君、失礼する。芸術は、模倣に始まる。写真はそもそも現実世界をパクッテるに過ぎないのさ。

2015/10/11

Post #1649

Copenhagen,Denmark
今日、久々にプリント。
とんでもなく久しぶりで、薬品調合から始めたので、億劫で仕方ないんだが、それでも今年の春に行ったドイツのハンブルグとデンマークのコペンハーゲンのネガを一本づつ、しめて26カットプリントしたんだ。

やはり、写真は愉しい。
仕事とも恋愛とも違うけれど、愉しい。

読者諸君、失礼する。子供が生まれたら、おちおちそんなこともできっこないだろうから、今のうちさ。