2015/01/14

Post #1379

Balcerona
ここ何日か、本棚の奥から『古今和歌集』を引っ張り出して読んでいる。
若いころにはよくわからなかったんだが、改めて読み返してみると千年も前の人々の、迸るようなホットな感情が、ビシビシびんびん伝って来る。
とりわけ、切ない思いを詠いあげた数多くの恋歌は、その大半が叶えられぬ恋と、伝えたくても伝えられない相手への思い、そして逢いたくても逢うことが出来ない切なさを詠っているのだが、21世紀を生きる自分と、何ら変わりのないことに、驚くとともに深く共感する。

まさに、『もののあはれ』だ。
なんたって、当時の人々にはラインもフェイスブックもないし、電話もなけりゃ携帯電話もない。道路もなけりゃ交通機関もない。だから当然、離れた人に気軽に会いに行くことが出来ないばかりか、久しく消息の途絶えた人の安否すら知ることも出来ない。ネット社会ってのはスゲー便利だが、そんな思いを募らせて、転げまわるように苦しみもだえることもない。恋すら軽いのだ。悩むより前に、ラインか何かで、新しい恋人をゲットすればイイのだから。
まったく、平安朝の人々の恋は、現代人のそれとは、比べ物にならないくらい不便だ。

けれど読めば読むほど俺には、人間の本質ってのは、千年経とうが、技術がどれだけ進もうが、ぜんぜん変わらないんだって思えるよ。
いや、ひょっとしたら俺の感覚が千年前の人間の感覚なのかもしれないけどな。
まぁいい。そんな気持ちの解からない奴には、どれだけ言っても仕方ない。
けれど、そんな気持ちがわからないようじゃ、人生の楽しみは半減だぜ。
嘘じゃないさ。実際に少し読んでみればいい。
君が日本人の端くれなら、声に出して読んでみるがいいさ。
きっと五臓六腑にしみるのさ。

俺は、巻十二 恋歌二のこのあたりに痺れるぜ。

605 『人知れぬ 思ひのみこそ わびしけれ 我が嘆きをば 我のみぞ知る』  つらゆき
(相手に知ってもらえない恋の思いこそ、辛いものはない。私の嘆きを知るのは、私だけなのだ)

611 『わが恋は ゆくへも知らず はてもなし あふを限りと 思うばかりぞ』   みつね
(私の恋の悩みは、どうなるかわからないし、果てしがない。せめてあの人と逢うことで、治まりはしないかと、思うばかりだ)

613 『今ははや 恋ひ死なましを あひ見んと 頼めしことぞ 命なりける』    ふかやぶ
(本当ならば、自分はとっくに恋こがれて死んでしまっていたはずだけれど、あなたがそのうち逢おうと約束してくれた言葉をだけを頼りに、生きているのです。)

615 『命やは 何ぞは露の あだものを あふにしかへば 惜しからなくに』    とものり
(命なんて、露のようにはかないものだ。あの人に逢うことと引き換えられるのなら、そんなもの惜しくもないさ。)

けど、このころの大人って、カッコいいなぁ。
いい年こいて、好きな女に会えるんなら、死んでもかまわない!なんて歌えるんだから。
けど、誰かを好きになるって、そんな気持ちがするもんじゃないかい?自分にもそんなときがあったなぁなんて思えるのは、果たして俺だけかい?

読者諸君、失礼する。


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