2015/01/17

Post #1382

Boudhanath,Nepal
今日は阪神大震災から20年という節目の日だった。

あの頃俺は、二十歳で家を飛び出して、貴重な青春を浪費していたカルトな宗教から、命からがら夜逃げして足を洗い、鬱屈していた時期だった。しかも、家に追手が来ることを警戒して、親父の会社の2階に住んでいた。なにしろ、押入れを開けると日本刀がゴロゴロしているような危なっかしい集団だったし、俺は一度、やめたいと言ったら、殺して港に沈めるという宣告を受けたこともあったからな。追手を警戒するのは当然だろう。
俺は外を出歩くのすら用心し、毎日、やることもなくふて寝していた。
そして、あの日もそんなひどいことが起こっていたなんて知らずに、眠っていたんだ。
なんとも申し訳ない。
とんでもない災害が起きていると知って、心底驚いた記憶がある。
俺には当時、関西方面には縁者がいなかった。正直言って、どこか他人事だった。自分のことで手いっぱいだったんだ。
改めて、亡くなった人々の冥福を祈り、被災された方々の胸中を想うこととする。

今日という日は、20年という節目の年でもあるので、世間は追悼ムード一色だが、俺の一族、つまり伊賀にルーツを持つ忍者の一族にとっては、俺のばあさんの3回忌、おふくろの33回忌、じいさんの47回忌の法要を行う日ということになっていた。
法事の時は、いつもこんな感じさ

今までは親父がそういうことを取り仕切っていたんだが、そろそろこれを機会に一線を引き、俺に委ねたいという話だった。
厄介ごとは御免だが、俺はこう見えて長男だし、兄弟の中には俺を越える存在感の持主はいない。
これも時代の流れだ。致し方あるまい。
俺は親父と打ち合わせて、親戚一同に連絡をつけ、出欠をとったりしていたんだ。面倒だが、俺の責務なんだろうな。
まぁ、一族の代替わりのイベントだ。質素倹約ながら和やかにいきたいとおもっていたんだがなぁ・・・。

しかし、やはり今回も親父と揉めてしまった。俺のカミサンの予想通りだ。
しかも、法事を行った本堂で、親戚一同の目の前で、親父のテキトーさと身勝手な振る舞いに、反射的に反発してしまったのだ。
夜の男の現場を終えて、一睡もせずに着替えて行ったので、俺の心のマシンガンの引き金は、潤滑スプレーをべとべとに塗ったみたいに軽いったらなかったのだ。

反省してます。後悔はしないけど。

しかし、この親父には毎度まいど、本当に振り回されるぜ。
法要の開始時間は30分間違えて教えてくれるし、法要の後の会食など無しで、各々気の合ったもの同士で適当に食事をしてくれればよいという話だったのに、いざふたを開けてみれば、親父の馴染みの店に席を設けてあるという。
それを聞かされたのは、今日の朝、それもお寺でのことだ。そりゃ、俺も頭に来るさ。
もっとも、俺も睡眠さえとってりゃ、多少は笑って受け流し、皮肉の一つくらいで済ませることができたかもしれないけどな。
頭には来るが、どうにも俺が行かないと締りはつかない。プンスカ怒ってみても、大人なんだから仕方ないさ。弟なんか、仕事があるなんて言って、とっとととんずらしやがった。親父の弟も、新幹線が雪で動かなくなると嫌だってんで、そそくさと帰って行った。要領のいいことだ。見習いたいが、そうもいかないぜ。
仕方ない。俺は親父たちと一緒に昼からステーキなんかかっ喰らい、せめてもの腹いせにトイレに行くふりをして、こっそり支払いを済ませてきたぜ。借金を抱えた70代半ばの見栄っ張りな親父に、あまり金銭的な負担をかけたくなかったのさ。
とはいえ、予定外の出費に血の涙が流れたよ。
男女の縁は切ることはできるけど、親子の縁は切るに切れないんだ。この親父は、ブースカ言いながらも、俺が看取ってやるしかないのさ。

読者諸君、失礼する。しかしまぁ、俺もまだまだ器が小さいぜ。ダッハッハ!

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