2015/01/25

Post #1390

Istanbul,Turk
どんな宗教でも、神の持つ超越性ってのは、人間には望んでも得られないものだから、痺れまくるのはよくわかります。痺れるような演出も、たくさん用意されていますしね。
痺れまくるのはそれぞれのお計らいなんで、俺如きがとやかく申すべきことでもござらぬが、実はそれには秘密があることを忘れちゃならないって思います。
というのは、どんな神も本当は、人間によって生み出されてきたという、秘密です。

大きな声で言うと、世界中から袋叩きにあいますので、ささやかに言っておきますが、ニンゲンの思考によって神は生み出されました。

これは間違いない。

もしこの宇宙に神仏が存在するとしても、俺たちにはその存在を感知することなんて、絶対に出来やしないだろう。だから、百歩譲っても、俺たちが神仏と呼ぶものは、そういった存在があるであろう方向を、何となく指し示す指のようなものにしか過ぎないんだと思う。

ニンゲンによって生み出された神の栄光のために、人間を損なう、殺すってのは、本末転倒なことなのではないでしょうか?


イスラム国に囚われていた湯川さんが、どうやら殺されたようだ。
かつてミリタリーショップを営んでいた男が、何がどう間違って、分不相応な考えに取りつかれ、場違いなところに赴き、挙句命を落とすことになったのか?

確かに、彼のその行い自体は、理解しがたいものがある。
しかし、俺自身の心の中をのぞいてみれば、自分の日々の暮らしに、心のどこかで『ここじゃない、これじゃない』という違和感を抱えていることがわかる。

それから類推すれば、もし何らかの契機・機縁があったならば、そこで囚われ殺されていたのは湯川氏ではなく、俺自身だったかもしれないのだ。

また、ほぼ同年代の後藤氏に関しても、俺自身が、人生のもう少し早い時期のどこかで、写真に出会い、これを生涯の仕事として一歩を踏み出していたら、生命の緊迫を強いられるような状況で写真を撮り、取材するという稼業に身を置いていたかもしれないと思うと、他人事とも思えない。

なんとも複雑な気分の日曜日の朝だ。
誰もかれも安全なところで、持論を垂れ流している。朝から胸がムカムカしてくる。プリキュアでも見ていた方がなんぼもましだぜ。

読者諸君、失礼する。俺は神様も国家も御免蒙る。ズバリ!素敵な女性の夢でも見ていたいのさ。不謹慎?望むところだ!

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