2015/02/08

Post #1404

Pashupatinath,Nepal
僕が生まれた素晴らしい国、そこは事なかれ主義国家。

報道写真家がシリアにむかう予定だということを察知して、政府と外務省が彼のパスポートを取り上げたそうだ。
我が国の事なかれ主義も、遂にここまで極まった。
政府にも外務省にも、情報通やタフなネゴシエーターはいないということだ。後藤さんや湯川さんの時も、この国の政府は、テロに屈しないとか格好のいいことを言うばかりで、何一つできなかった。


俺は、報道写真という写真のスタイルが必ずしも好きではない。とりわけ、戦争写真というジャンルは、複雑な思いを抱かずにはおれない。
誰しも、ショッキングな映像を求めている。
戦争は、そんな映像の宝庫だ。
かつて、アメリカなどの軍事行動には、戦場カメラマンが従軍していた。
そして、無意識的にアメリカならアメリカの視点を代弁させられていたのだと思う。
それが一番顕著にわかるのは、ベトナム戦争で撮影された数々の傑作戦場写真だ。
生死のかかった現場で、寝食行動を共にしていれば、好むと好まざるとにかかわらず、自然とその集団の見解に沿って行くような文脈で、写真が解釈されることになる。

勝ち馬に乗ること。

客観的に過去を振り返って、比較的、戦場写真家が生還できるかどうかってのは、そこにかかっているんじゃなかろうか。従軍している部隊そのものが壊滅してしまうような激戦では、写真家なんてトロい生きもの、真っ先に殺されてしまうだろう。

しかし、アメリカさんが地上軍を出し渋っている昨今、戦場写真家は、自らのコネクションだけで戦地を往来しなくてはならないのだろう。
また、携帯電話ひとつで誰しもが世界に対して、(自分の都合のよい)情報を発信できる昨今、戦場ジャーナリストの価値(つまり戦場で、ジャーナリストだから殺さないでおこうという価値)も高くないのだろうということは、容易に想像できる。
捕まえて、人質にして、相手国をゆすり、あわよくば自分たちの要求を通すことが出来れば、ラッキー、ダメならさっさとぶっ殺せばイイという、実も蓋もない状況になっておるわけだ。

しかし、毎日かの地では、名もない人々が殺され続けている。
殺されるのは、報道写真家だけではないということだ。ニンゲンの命の価値は同じだというのなら、なぜシリアの無辜の人々が、虫けらの様に殺されていたって、へいちゃらなのさ?それとも日本人やアメリカ人は特別な存在なの?

特別なんだろう?まっとうな政府だったら、自国民を見殺しにはしないはずだから。

しかし、だからといって、政府と外務省によるパスポート取り上げは、如何なものだろうか?
俺だったら、憤慨するぜ。


それを当然の処置と考える人も多いだろうが、俺自身は国家権力による個人の自由の統制は大嫌いなので、この処置には断固反対だ。
イスラム国に対して、何の交渉すらできなかったからといって、何がそこで起こっているのか見極めようという勇気ある人々の道を閉ざす事なかれ。
お金の支援はするけれど、シリアの人々が難民として日本にやってくることは断固お断りの事なかれ。

国家の名のもとに個人の自由に制約を設けることを是とする社会は、極論すれば、人権蹂躙を重ねる疑似国家のやっていることと五十歩百歩にしか俺には思えない。
折しも、昨年末、例の国家秘密法なる怪しげなるものも施行された。
いつ何時、俺たち自身にその制約の矛先が向けられるかわからないし、その理由もいくら知りたくても、開示されない可能性がある。
必要が開示されなければ、それが果たして法的に妥当なものかどうか、司法の場で白黒つけることも出来なくなる。
暗黒社会だ。
それこそ、俺にはテロに屈した社会にしか思えないんだが、どうしたもんだろうか?

読者諸君、失礼する。国家にも、人種にも、宗教にも、本当にうんざりだ。バカバカしい。何がそんなに違うってんだよ。クソッ!人間がニンゲンだちゅうだけで、尊重される世界ってのは、どっかに無いですかねぇ・・・。

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