2015/02/10

Post #1406

Baktapur,Nepal
良い写真を撮るには、撮影する本人がチャーミングでなければならないというような意味のことを天才荒木経惟が言っていたのを読んだ記憶がある。

ずいぶん昔の話だ。

その時は、なんだよ、その話、意味わからないぜって思っていたんだが、最近、上手く言えないがそれが解かってきた。それは本当だった。
もっとも、何をしてよい写真というのか、この議論の出発点において、なかなかに心貧しき人々は見解の一致を見ることが出来ない。心貧しいことだ。
ズバリよい写真とは、ここでは俺がイイと思った写真こそが、良い写真なのだ。豊かな心で受け入れてほしいものだ。

むかしは、退廃的な雰囲気の写真を好んでとっていたように思う。
その頃は、こんなゲラゲラポッポ―な写真は、撮っちゃいなかったろう。
撮っていても、それこそがよい写真で、プリントするに値するものだとは、夢にも思っていなかったろう。

それが解からなかった頃、俺は多分、人間を馬鹿にしていたんだろう。
俺が好きなもの、興味があるものも人間だが、俺が最も嫌いなものも、興味が持てないものも人間なのだ。
若いころは、後者の方に気持ちが傾いていたんだろう。
幸せそうな人間より、不幸な雰囲気の人間の方がイイなんて、なんだかひねくれてるぜ。倒錯しているぜ。倒錯はエッチな趣味だけでたくさんだろう。

このご時世、ありふれた不幸よりも、幸せな表情のほうが、見ていて楽しいだろ?

この人たちが笑ってくれているのは、言葉も通じない俺が、愉しそうに笑っているからだ。
分け隔てなく、笑っているから、この人たちも安心して笑ってくれるのだ。
自分が笑っているからこそ、笑顔の写真が撮れる。
月並みな言葉だが、相手は自らを映す鏡なのだ。
俺がエロい写真を撮れないのは、根本的にストイックで真面目だからだろう。
これについて異論は許さん!
そういうことにしておこう。
その方がお互いに心穏やかに暮らせるというものだ。

読者諸君、失礼する。そろそろ仕事に疲れてきたぞ。そぞろ旅に出たいな。旅に出て、見知らぬ人と通じない言葉で話し合ったり、笑いあったりしてみたいな。君も一緒にどうだい?お金はそれぞれ自分持ちで頼むぜ。

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