2015/02/23

Post #1419

Boudhanath,Nepal
俺は自分で思うに、途轍もなく貪欲な人間だ。
金とか地位とか権力とかそういったものにじゃないけれど。

知ることについて、貪欲なんだ。知るということについて、足ることを知らない。
知において饕餮(古代中国の想像の怪物、底抜けに貪欲で凶暴な奴だ)なんだ。
このエネルギーを金儲けや権力闘争に費やすことが出来たら、俺はすごいことになっていただろう。けど、それにはあまり興味がない。金をしこたま儲けることは、大多数の人々から奪うことだと知っているからだ。
だから、歳食ってなお、貧乏暮らしだけど、知らないことを知りたくて仕方ない。この眼で世界を見たくて仕方ない。この手で世界に触れたくて仕方ない。世界で何が起こっているのか、俺たち人間はどうなっていくのか、歴史の終わりを見てみたい。

もちろん、試験に出る丸暗記のようなものじゃ満足しない。
物事の奥に潜む必然性や偶然性、それらが織りなす歴史、そういったものを知りたいと思うんだ。

俺は自分じゃ、だれでもそうなんだと思っているけれど、時折友人と話していると、俺以外にそういう人間を見たことがないと言われる。

昨日会いに行った友人は、俺が様々なジャンルのこと、つまり世界情勢から、社会、政治、歴史、音楽、美術、文学、写真などなど、いろんなことに興味関心を持ってて、それぞれに造詣が深いことを不思議がっていた。
普通は、音楽なら音楽、歴史なら歴史だって。

仕方ない普通じゃないんだから。

俺の頭の中には、森がある。

さまざまな知識が実りをつけた木が生えている。

その土壌は、俺がこのクソ溜めみたいな社会の底辺で、クソにまみれるようにして体験してきた出来事から出来ているんだ。
このクソ溜めを肥やしにして、このクソ下らねぇ人生を面白おかしくしてくれるさまざまな知識が、しっかりと根を張って、頭の中に森をつくってるんだ。
そして、思考は木から木へと飛び渉るモモンガのように、さまざまな領域を横断して展開していく。
だから、話題は次々に変っていく。

物事を深く深く考えるのは愉しい。アクロバティックで、爽快でもある。

知らないことを知るのは楽しい。自分の世界が広がっていくから。

スマホでゲームをするよりも、はるかに愉しいのさ。

自分にとって写真も、美しいイメージをつくり出すためのものじゃなく、世界そのものに触れて、知り、理解するためのものだという想いが強い。

この写真を見るがいい。
ネパールの首都カトマンズ郊外の仏教聖地ボダナート。
そこに広がるネパール随一のチベット人コロニーの女性だ。
なぜ、そこにチベット人が暮らしているのか。
ざっくり説明してみよう。
もともと、ここはチベットとインドの交易路上に位置していた。
釈迦の遺骨を祀る巨大なストゥーパを慕い、いつしか交易の便宜を図るためもあってチベット人が住み着いたのだろう。そこに中国共産党によるチベット併合がおこり、多くのチベット人がここに亡命してきたのだという。そして、いつしかそこはチベット人コロニーになったというわけだ。
しかし、ここにはチベット人だけではなく、道一本を境にしてインド系の人々もたくさん住んでいる。血も文化も、まじりあうことなく、普通に共存している。

とても刺激的だ。そんなことを想いながら、写真を撮り歩いたり、暗室でプリントするとき、俺の頭の中の森を、モモンガが飛び交っているんだ。出来る事なら、俺が死んだとき、このモモンガをこの世界にそのまま解き放ってやりたいよ。

読者諸君、失礼する。こんな俺がいま一番に知りたいことは、他でもない君のことだよ。

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