2015/02/24

Post#1420

Marrakech,Morocco
俺が自分には社会に対する理想があるというと、おおかたの人は狐につままれたような顔をする。

格好のイイことを言って、正義漢ぶったり、清廉高潔な人物のふりをしたいわけじゃない。
俺がそういった人間にほど遠い、放蕩無慚な破廉恥漢だということは、君たち以上に俺がよく知っている。なにしろ、君たちに言えないことだって、たくさんあるんだからな。
また、理想なんて言うと、現実を無視して、地に足のついていないことを、呑気にしゃべっていると思われているのかもしれない。お気楽なボヘミアンだと思われているのかもしれない。
また、ほとんど誰も読んでいないようなクソブログで、格好いいこと言ってみたって、穴を掘って、その穴に向かって叫んでいるのと何も変わらないかもしれない。
けど、俺は目先の利かない馬鹿野郎だから、言わずにはいられないんだ。

俺が常々ここに書いている理想ってのは、あれだ。
『いつの日か、世界中の人々が国家だの宗教だの、民族だの富だのなんだのによって差別されることなく、ただ人間であるということで、等しく尊重される世界が現れるべきだ。』というあれだ。

君は、それが自分の日々の生活から、1万光年くらいは隔たっているように感じているかもしれない。まさに理想だよって。
けれど、その理想は俺たち一人一人の存在そのものに関わっていることなんだよ。
君がもし、世界の何処かで、黄色いチビ野郎と蔑まれたら、どう思うだろう?

或いは、そもそもそんなことはとっくに憲法に謳ってあるじゃないかと、君は言うかもしれない。けれど、こいつはそういう法律の問題じゃないんだ。
いくら憲法に書かれていたって、俺たちの心の中には、明らかに格差も差別もあるし、世界は国境や文化、宗教、民族によって、くっきりと分断されている。

俺が今問題にしているのは、俺たち人間の一人一人の意識の問題なんだ。

実際に、この現代社会のどこにいっても人々は自らの周りに観念的なラインをひき、周囲の人間をそのラインの内側に入れるべきか、ラインの外側にとどめ置くべきか、つねに検討している。

例えば、我々日本人のなかには韓国人を排斥する者がいる。
東南アジアからやってきた人間を、実習生というラベルを張った奴隷として扱っている。
大地や海には、目に見えない線が引かれ、人々の自由な行き来を阻んでいる。
その線を護るために、政府は憲法を変えて、戦闘行為つまり戦争が出来る国を作ろうとしている。
キリスト教徒は、イスラム教を信じる移民たちを排斥し、それに対して憤懣やるかたない若者たちは、社会に居場所を見つけられず、イスラム国を目指す。
イスラム国は今までにも多くのジャーナリストを斬首処刑してきたが、日本人が処刑されるまで、日本では誰もみな、それは他人事だと思っていた。
自由の国アメリカでは、未だに多くの黒人が、黒人だというだけで、犯罪者扱いされ、オマワリに撃ち殺されている。
もっと身近なところでは、女性は男性に比べて職業選択の自由も低く、賃金も安い。金玉がついていないだけで、人間の価値が変るとでも言うのだろうか?

社会ってのは、そういうものだと、諦め、受け入れるのは容易い。
そんな言説は、ますます増大する格差と、社会を覆う無力感の中で、なんの力も持っていないかもしれない。
『そんなのは単なる理想論だ』という言葉は、現実的ではなく、考慮する価値もないという意味合いで使われている。実際に君も耳にしたことがあるだろうし、一度や二度、使ったことだってあるだろう。けれど、本当にそうだろうか?社会は一人一人の人間の集合からできているんだぜ。社会を構成する大多数の人々の意識が変れば、社会は実際に変わっていくんじゃないのか?

人間はイメージしたものしか、現実化できないんだよ。単なる理想だといって思考停止していては、何も変わらないンじゃないのかい?少なくとも、少しでもマシな方向には。

それに、もし君が差別され、虐げられる側に立っていたとしたら、どう感じるだろう?
なんとか社会を変えて、自分たちの尊厳を取り戻そうとするんじゃないだろうか?
自分がされて嫌なことは、人にはしないってのは、人間の最低限のマナーなんだぜ。

俺はそんな時代だからこそ、何度でも自分の思い描く理想について語りたい。
闇が深いほど、星はピカピカ輝くものさ。

理想は、絵にかいた餅として冷笑されるようなものではないと俺は信じてる。
俺は、来るべき理想の社会を考えるとき、ワクワクする。

理想とはもちろん、現実の痛みを和らげる麻薬でもない。
俺たちが、人類としての俺たちが、次の世代、その次の世代の未来に実現すべく、にじり寄るようにして近寄っていくべき、目標。それが俺の言う理想なんだ。

理想という指針がなければ、社会を自分たちの手で変えていこうなんて、誰も思えないじゃないか?
目指すべき理想がなければ、俺たち人間は、目先の欲望に捉われ、人類の歩みの中で無意味な人生を送ることになってしまうだろう。いくら安楽な一生を送ったところで、意味がないんだ。

俺たちはみんな、ニーチェが『ツァラトゥストラはかく語りき』の中で語ったように、綱渡りの途上を歩む存在なんだ。俺たち自身の世代は、綱を渡りきることはできないのかもしれない。綱から落ちて、道半ばで倒れてしまうことになるだろう。
けれど、その理想に向けて俺たち一人一人が歩み寄ってゆくこと、人を人であるというそのことだけで、尊重していくように努めることで、その理想へと社会全体がにじり寄っていくであろうことには、絶対の確証が俺にはある。
いや、むしろそうあってほしいと願っている。

せめて君たちにはわかってほしい。
そして、俺の言葉をせせら笑うような顔をしないでほしい。
そして、君にも俺の理想の一端を分け持ってほしい。
どうせ無理だとあきらめて生きるよりも、不屈の理想を持って生きる方が、人間味があって素敵だと思うぜ。

読者諸君、失礼する。こんな時代だからこそ、俺はあえて愚か者のように生きてみたいのさ。乙なもんだろ?

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