2015/03/10

Post #1434

Istanbul,Turk
俺は別に、善人だと思われたくって毎日こんなことやってるわけじゃないんだ。
俺は自分が善人にも悪人にもなりきれない、非善非悪の中途半端な男だってわかっている。
解かっているけれど、自分に対して、こうあるべきだと思うことは、やらずにはいられない。
でないと、俺は俺じゃなくなってしまうんだ。
いつだって、君たちに恥ずかしくないゴールデン・ハートの漢でいたいのさ。

さて、今日も昨日の続きだ。イスラームについてもう少し突っ込んでみよう。
今日はその成り立ちだ。

イスラームは一人の預言者によって打ち建てられた宗教だ。

その預言者の名はムハンマド。西暦567年から572年頃に、メッカで生まれた彼は、その地を治めていたクライシュ族の有力氏族の一員だった。6歳で両親を失うが、祖父や叔父の手で育てられ、25歳で裕福な寡婦ハディージャの使用人になり、数年後彼女と歳の差を押して結婚した。

当時のメッカは、昨日も少しふれたセム族的多神教世界にどっぷりで、アッラーは世界を創造した神とされてはいたが、人々からあまり祀られていない神だったようだ。
今日もイスラームの聖地とされるメッカには、カァバの聖所があり、その一角には天から降ってきたとされる黒い石がはめ込まれている。

西暦610年頃、ムハンマドに神からの最初の啓示が降る。
伝承によれば、啓示に先立つ長い間、彼は洞窟や人里離れた場所で、修行を行っていたという。
この行いは、アラビア土着の多神教世界では異質なものだったという。ムハンマドは、各地を旅した折に、キリスト教修道僧の評判を聞いたり、直接会ったりして、彼らが行っていた祈りや瞑想に強い印象を受けていたのだと推測されている。
また、メッカには当時、多くのユダヤ人も暮らしており、その習慣や儀式も広く知られていたという。

最初の啓示について、クルアーンは次のように伝えている。
『力を持てる者(天使ジブリール)が威厳に満ちて立った。その時彼(ジブリール)は地平の最も高い所におられた。それから近づいてきたが、空中に浮いたままであった。(中略)そして僕(しもべ=ムハンマド)に、その啓示を示された。』

天使ジブリールは、神とムハンマドの仲介者なのだが、このジブリールというのは、実はキリスト教やユダヤ教にも登場する。ジブリールとは大天使ガブリエルのアラビア語読みなのだ。
ここにも、イスラームとキリスト教、ユダヤ教の近しさを見ることが出来る。
実際に、イスラーム教では、モーゼはムーサー、イエスはイーサーとして語られ、ムハンマドへと続く預言者の系譜に連ねられている。
ムハンマドは、多神教世界からアッラーを切り離し、アブラハム以来の宗教的伝統の中にイスラームを統合しようとしたのだ。

伝承では、アラビア人ってのは、アブラハムの子孫だとされている。
アブラハムは80過ぎて子供がなく、当時75歳だった妻のサラは、若いエジプト人女奴隷のハガルをアブラハムにすすめた。
そうしてハガルから生まれたのがイシュマエル(アラビア語ではイスマーイール)だ。
後に正妻のサラに、彼女が90歳を超えていたにも関わらず、子供が出来る。アブラハム自身もそんなことあるわけないって笑ったのにもかかわらず、神は出来る!と断言したので、出来ちまったわけだ。それなら、俺もまだまだ子供を作ることが出来る気がするぜ。まぁ、こうしてできたのが有名なイサクだ。
このため、ハガルとイスマエルはアブラハムの元を追われ、新しい部族を打ち建て、その子孫がアラビア人になったと伝承されている。

ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラーム教は俺たち日本人には解かりにくいけれど、実はいとこ同士みたいな宗教なわけだ。現在もなお、この3つの宗教を指して、『アブラハムの宗教』と呼ぶ。

三年ほどの間、ムハンマドはその妻ハディージャとその他数人にしか神の啓示を伝えなかった。
612年、ムハンマドは啓示を公にするよう命をうける。
『神(=アッラー)よりほかに神はなし!』とムハンマドは宣言することとなった。とはいえ、この時点ではムハンマドは、新しい宗教を打ち建てるつもりはなかった。彼はただ、仲間の市民を『目覚め』させ、アッラーのみを崇拝するように説得したかったに過ぎないのだという。
というのも、人々は既にアッラーを天地の創造者にして豊穣をもたらすものとして認めており、祈りを捧げ、最も厳粛な誓いはアッラーにかけて宣誓していたのだから。

当時メッカを支配していたクライシュ族の有力者は、ムハンマドの言う異教、つまり伝統的な多神教を放棄することは、そのまま自分たちの特権を放棄することを意味していたし、ムハンマドを真の神の使徒と認めることは、そのままムハンマドを政治的な最高権威者として認めることになるので、大いに反発した。
ムハンマドのグループは迫害され、各々の部族から追放された。
結果、ムハンマドの一統は秘密裏にメディナへと遷り、ここを基盤にして、イスラームの教義は固められ、部族的な性格から、部族を越えた信徒共同体(ウンマ)へと昇華していくこととなったわけだ。
この時期、ムハンマドはメディナのユダヤ教徒もイスラームの教えに改宗させようと試みている。この時期、ムハンマドはムスリムが祈りを捧げる方向をエルサレムの方角に定めていた。
ここでも、ムハンマドは自らを旧約聖書の数々の預言者の系譜に連なるものとして語っているわけだ。
しかし、それは結局決裂した。ムハンマドのもとには、祈りを捧げるのはイスラエルではなく、カァバ神殿のあるメッカとすべきという啓示が下り、ムハンマドはメッカ回帰を決意して、数々の戦いを当時の主要部族と繰り広げることとなる。
西暦630年には、メッカはムハンマド率いる1万名の軍勢によって無血占領され、偶像はすべて破壊され、多神教徒が持っていたすべての特権は廃止された。
翌年、ムハンマドは新たに下った啓示を根拠に多神教徒に対する全面戦争を宣言した。これが、今日まで続くイスラム国などの問題の発端といってもいいだろう。
632年。ムハンマドはメッカへの最後の巡礼を終えたのち、愛妻アイーシャの腕の中で息を引き取った。

イスラーム教原理主義者は、ある意味で未だに、ムハンマドが生きていた部族社会のなかで、絶対の信仰を守り抜くべく闘っているのだろう。
しかし、彼らが生きているのは7世紀のアラビア半島ではなく、21世紀の世界そのものだというところに、解決しがたい問題の根があるように俺には思える。

読者諸君、失礼する。何かを知ることは、実りをもたらすばかりではない。知れば知るほど、解からなくなることだってあるんだ。しかし、知らないよりは知っていた方がイイ。これは絶対に間違いないって断言するよ。

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