2015/03/21

Post #1445

Luxembourg Garden,Paris
春分の日だ。
春らしい雰囲気の写真をお送りしよう。
パリのリュクサンブール公園だ。季節は春。マロニエが咲き誇っていた。
俺は、うららかなパリの一日を想い出すのさ。スノッブな奴なのさ。

かつて、遥かな昔。まだこのクニがヤマトと呼ばれていた昔、春分の日には、女たちは日の出から太陽を目指して東へ歩き、正午にいたって陽が中天に差し掛かると、踵を返して、太陽の沈む西に向けて歩いて一日を送る習いだったという。
折口信夫の民俗学の本で読んだように記憶しているが、ずいぶん前のことでもあるし、またそれを探して蔵書の山に分け入っていくのも、難儀なことなので、そんな雅でおおらかな風習が、この国にはかつてあったそうだくらいの話でとどめておいてほしい。
政治家や右翼の人々がいう我が国の固有の文化など、折口信夫が、我々に残された僅かな文献から描き出して見せた、古代の習俗文化からすれば、実に最近の事ばかりであり、政治家のセンセー方の不勉強なことがわかるというものだ。
いずれにせよ、今日を境にいよいよ本格的に春がやってくるのだ。

朝、近所の小川から物音がするので覗き込むと、黒々とした鯉が何匹も泳いでいる。
メスとおぼしき一匹の後を、五匹ほどのオスがついて泳ぎ、求愛しているのだ。
魚すらも恋する季節か!

その一方で、ひとり夜明けの道を歩みながら、俺は自分を持て余し、ふさぎ込んでいる。
花は去年と同じでも、俺は去年より一つ年を取り、死に近づいている。俺に残された時間は確実に減っているのだ。俺は自分がまだ生きていることを確かめるように、息を深く吸い、花の香りを味わう。

俺は秘かに、何らかの使命を帯びてこの世に生まれたはずなのに、その使命をすっかり忘れて、身過ぎ世過ぎのちんけな仕事と、ささやかな道楽、うたかたの恋に幾年月費やしたことだろうかと、自問自答しながら一歩、また一歩と家路をたどるのさ。

しかし、そもそも俺にそんな使命があったものだろうか?

もちろん、そんなものはありはしないだろう。
生まれちまったから、今日も生きているというのが、俺たちの人生の究極の在り様だ。

けれど、俺はこんな年になっちまっても、まだ何か俺には使命があるような気がしてならないんだ。
ただ、堅実安楽に暮らし、小金を貯めて、年老いて死ぬために生まれてきたわけでもあるまいし!
けれど、春が来るごとに、一日一日を過ごすごとに、俺に残された時間は減っているのだと思うと、思わず叫び出したくなってくる。こうしちゃいられないと、力強く駆け出したくなってくる。
そんなわけで、俺は今日も、自分の身の内に滾る力と方向性のない意志を持て余して、内心では悶々としているのさ。

読者諸君、失礼する。俺は赤々とした太い火柱が立つように生きていたいんだ。一瞬だって、手を抜いちゃいられないぜ。

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