2015/03/23

Post #1447

Paris
夜中にプリントしようとして、ふとフィルムの埃を吹き飛ばすために使っているエアコンプレッサーが、けっこうな振動と音を発生させることに気が付いた。
昼間なら全然気にはならないだろうが、しんと静まり返った深夜では、安普請のアパートでは、ちと迷惑というものだ。

プリントはまたの機会に譲ることにして、本棚から本を抜き、読むことにした。

中上健次の『千年の愉楽』だ。
今まで何度も読んだ。しかし、何度でも読み返してしまう。
紀州熊野の被差別部落に生まれた、高貴にして澱んだ血脈を持つ男たち。
その血故に、淫蕩を好み、世間並みに生きることが出来ず、生きる事そのものが苦痛だというように生き急ぎ、生命の絶頂で、あるものは些細なことで刺殺され、あるものは自ら首を吊り、ことごとく命を失う。
その物語の中心には、その男たちの全てを母の胎内から取り出した老いた産婆がいる。この年老いた産婆の回想を軸に、自在に話は時空を駆け巡るのだ。
まばゆい光の照り付ける熊野が舞台でありながら、どこか妖しい夜の気配が漂っている。

日本人が到達した文学の、一つの頂点だと俺は思っているのさ。

明け方まで布団の中で読みすすめ、8割がた読み進めたところで、眠りに落ちてしまった。
夜は開けようとする頃だった。

目を覚まし、腹が減ったので例によってスパゲティーでも作り、食後にコーヒーをドリップして淹れる。十分に休養をとった目で見てみると、家のなかは埃まるけだ。
掃除をする必要があるな。
ここんところサボっている帳簿付も、そろそろやっておかねば月末に面倒なことになるだろう。
自分の人肌のぬくもりが残っている寝ぐさい布団も、カバーを洗い、風を通してやらなけりゃな。

太陽に照らされていると、こうも真っ当な考えが浮かぶものかと、自分でも驚くよ。
やはり人間は、太陽の下で生きるようにできているんだって、納得するよ。

それはそうと、小説を読む合間に、このブログに寄せられた古いコメントを読み返してみた。
何年もコンスタントにコメントを寄せてくれる、殆んど同志のような人々がいる一方で、匿名でコメントを寄せてくれた人もいる。
何度かコメントをよせてくれた後、ぷっつりと便りの絶えてしまった人も大勢いる。
いったいその人たちは、どうしていることだろう。
今も時折覗いてくれているのだろうか?
元気に暮らしているのだろうか?
人と人の縁は、クモの糸ほどにか細く、互いに心して繋いでいこうとしなければ、容易く切れてしまうものだと思い、寂しいような心細いような思いを味わったよ。
みんな、よろしくやっているのだろうか?

読者諸君、失礼する。さてと、夜の仕事までまだ間がある。掃除をしたり、銀行に行ったり、クリーニング屋に冬物の服でも持っていくとするかな。

4 件のコメント:

  1. 人は偉くなると、太陽光をあびるのは「芝生刈り」の時ぐらいになるから
    真っ当じゃなくなるのかもしれませんね。

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    1. ウマイこと言いますねぇ!もっとも、もっと偉くなると、芝生も人任せです!
      安部ちゃんが芝生の手入れしてるのなんて、想像できません‼

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    2. SPARKS!
      なに疲れてるんだい?
      気持ち悪いったらありゃしねーぜ!
      楽しめ 楽しめ!

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    3. こう見えて、46だよ、俺!
      たまには疲れるだろうよ?
      楽しんだら楽しんだで、いろいろ言う癖に!

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