2015/04/30

Post #1485

HongKong
今頃俺は、北欧の街を歩いているだろう。
君は元気にしているだろうか?

旅に出ると、どこか懐かしいような風景に出合うことがある。

こんな店、日本ではめっきり見なくなった。
イオンか中堅のスーパーばかりだ。最近じゃ、セルフレジが浸透してきて、レジのおばはんと話をすることもめっきり減った。

効率ばかりを追い求めると、人生は味気なくなる。
そして、人間が働く場所も減ってしまうのさ。
だいたいこの人生ってやつは、たわいもない無駄話でもしないと、しんどくてやっていられないんだぜ。

読者諸君、失礼する。俺は無駄話をするのが大好きさ。そもそも、このブログ自体が、壮大な無駄話だよな。

旅行の近況に関してはhttps://facebook.com/kohichiroh.hattoriを見てくれたまえ。本日は、ヘルシンボリって街に行ってきたのさ。
ごきげんよう。

2015/04/29

Post #1484

Patan,Nepal
今日も俺は北欧のどこかをぶらついているだろう。細かい予定なんか立ててないからな。
カメラをもって、今立っているところが、俺の写場=娑婆なのさ。

旅をすると、人類の文化というものが、みな一様に進むものではないと思い知らされる。

ネパールでは、未だに人々は神々にまみれて暮らしている。
神々がいなければ、人間の社会も個人も、法も倫理も、何もかもが存在意義を失うのではないかと思える。

かつての日本も、これと似たりよってりだったのだと思うがね。そう、明治時代のはじめくらいまではそんなもんじゃないかな。

俺たちはすでに、神も仏も信じることができない。
信じているとかいうのは、創価学会の信者くらいだろう。
神も仏も、冠婚葬祭を行うために必要なものだというくらいの認識だ。
人々は死体をささやかな賽銭で、仏に押し付けるのだ。

神という見えないものにとらわれ、抱かれて生きるのが幸せなのか、それとも神も仏もない、マテリアルの荒野を生きるのが幸せなのか、俺には何とも判断できない。

読者諸君、失礼する。俺の理想としては、どちらにも捉われることなく、中道を歩むことが望ましいと思うよ。


旅行の近況に関してはhttps://facebook.com/kohichiroh.hattoriを見てくれたまえ。もっとも、今日からGWだから、俺なんかにかまってる暇はないかもしれないけどね。
ごきげんよう。

2015/04/28

Post #1483

Patan,Nepal
地下水が湧出してくるまで地面を掘り下げて設けられた水場。
ネパールでは、よく見かけた。
人々はここで水を汲み、洗濯をする。
そして、子供は遊び戯れる。そして、俺をうさんくさい奴のように見るのさ。

俺はユーラシアの反対側、スェーデンの片田舎をカメラをもってぶらついている。君たちは心安らかに暮らしているだろうか?
しかし、ここはどうにも寒くって仕方ない。おまけによいこの住んでるよい町といった風情で、なんだか俺には面白くない。善良そうな人々が、慎ましく、静かに暮らしている。人影はまばらだ。成熟社会だ。水清くして魚住まずだ。俺はナマズのように、欲望と退廃にまみれている方がいい。
闇が深いほど、光は輝くから。
仕方ない。ホテルの小さな部屋にこもって、目の前に広がる教会の墓地を眺めながらブログに加筆してみよう。

先日、バルセロナ郊外のモンセラットという聖地にある修道院を見てきた。
ノコギリの歯のような奇怪に聳える山の頂に、貼り付くようにして壮大な修道院が建っている。かつてここはナポレオンに破壊されてしまったために、今建っているのは19世紀から20世紀にかけて建築された御立派壮大なものだ。
イエス様はエルサルムの神殿が破壊されても、神はたちどころに新たな神殿を打ち立てると語り、神を冒涜したとして捕らえられた。それは信仰の篤さによるもので、けっして新しい神殿が作られるという意味ではなかったはずだが。
人間には、目に見える大がかりな仕掛けが必要だ。
それは往々にして、物事の本質を覆い隠してしまうがね。

この聖地は、幼いイエスを抱いたマリア様の像が山の洞窟から発見されたことから開かれたという。そこに電車とロープウェイを乗り継いで行ってみたのさ。

ここで少し、俺自身のことを語っていいかい?

俺は、浄土真宗の信徒だと自分のことを思っている。一応、家代々ある浄土真宗の寺の檀家にはなっているかれど、だからって訳じゃない。

開祖の親鸞上人の説く言葉に痺れたからだ。
『善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや』だ。
つまり善人だって阿弥陀様に救われるのだから、もっと切実に救いを必要としている悪をなさずに生きることの出来ない者達こそが救われるという教えだ。
ちなみに、親鸞上人も、寺なんか要らない、南無阿弥陀仏と書いた掛け軸ひとつあれば、どこでも仏の御前だと語っていたが、その親鸞上人を開祖とする浄土真宗の本願寺は、とんでもなくデカい大伽藍だ。親鸞上人もイエス様も、さぞや困惑されておいでだろうよ。


ほとんどの宗教は、行い正しく、無欲で、信仰篤い者しか救われないと説く。
けれど、それでは現在、誰がいったい救われるんだろうか?
俺は、自分では自分を業深く、自分の犯している悪や不道徳に対して無自覚な悪人だと思っている。そして、世の中には自ら生きて行くために、嘘をつき、他人を陥れ、他の命を殺め、あるいはまた非難されても仕方のないことをして生きている人たちがたくさんいる。そして、俺にとって大切な人の中にも、そんな人はきっといることだろう。

そんな悪人こそ阿弥陀仏は救ってくださると説いた親鸞上人と、心貧しき人は幸いであると説いたイエス様は、俺の頭のなかでは、とても気のあうお二人なのさ。

もちろん、俺も親鸞上人も、そしてナザレのイエス様も、悪を勧めて行えと言うものではないけれど、それを切り捨てて、救済などというのは、なにも問題の解決にならないんじゃないのかしら?

いったいぜんたい、俺たちにとって救いとは何か?
天国だの極楽浄土だのは、この際脇においておこう。そんな想像の産物は、俺たちには何の慰めにもならないだろう?
悩み苦しみながら生きている今このときに、その苦しみを和らげることが出来ない救いなどに、いったい何の意味がある?
信仰は、死者の鎮魂のためにあるんじゃない。

いま、現に生きている俺たちにこそ必要なもんだろう?

俺たちには、くそったれな世間の常識や道徳が受け入れてくれないこの存在を認め、無条件に受け入れてくれる超越的な存在が必要だ。
悪とされている行いをせずには生きられない俺たちに、寄り添って認めてくれるような存在が。
俺は、それが神でも仏でもなんでもいい。
とにかく、世界がその人を非難し、見捨てたとしても、それでもなお寄り添い受け止めてくれるような誰かが、生きて今ここにあるだけでいいのだと、それだけでよいのだと、認め包み込んでくれるような誰かが必要だ。
俺はずっとそう思ってる。


モンセラットに奉られているマリアさまは、長い年月でその姿はすっかり黒ずんでしまっている。それはどこか、母のような寛大さで、人々の罪を受け入れてきたからのようにも思える。
お願いだ、マリアさま、そしてイエス様、俺のことはいいから、俺の大切な人たちの心の重荷を、少しでも取り去ってやってはくれないだろうか?

俺は、そんなことを思いながら、神々しい祭壇に祀られたマリア像にひざまづき、ひたすら祈った。
脳裏には、自分に縁ある、ロクでもない男たち、自らの行いに心痛めている女たちのことを浮かべた。
心の底から、どうか俺の大切なその人たちに、そっと寄り添ってあげてください、その人たちを認め受け入れてあげてください、その心を救ってくださいと、心を込めて祈り倒した。

なにも知らない周囲の人々には、俺はとんでもなく敬虔なカトリック信者に見えたかもしれない。

けど、俺は地獄行き間違いのない男なんだ。なにしろ永年そっと心のなかで大切に思ってきた人にすら、反吐が出ると吐き捨てるように言われるくらいのくず人間だからな!


けれど、くず人間にも意地もあれば人を思う心もある。
神も仏も寄り添ってくれないのなら、俺は自分で、自分の大切な人達の心に寄り添っていくんだ。もちろん、俺には何の力もないけれど。その人達の苦しみや悲しみを背負ったら、俺は潰れてしまうかもしれないけれど、それでもその荷を分け持っていきたいんだ。
偽善者だって言われても仕方ないかも知れないけれど、偽善者だったら、自分のことを悪人とは言わないだろうよ!

OK、俺は生きてる限りここにいる。たとえ日本から遠く離れていても、いつだってここにいる。そして、君のことを思っている。なんの力もない罪深い男だけれど、君のことを思っている。君のことが大好きなのさ。なぁに、礼など要らないさ。俺は物好きな男なのさ。

読者諸君、失礼する。

2015/04/27

Post #1482

Bhaktapur,Nepal
ネパールの古都、バクタプルはダッタタラヤ寺院そばの小さな雑貨屋の看板娘。
日本でいえば、女子高生くらいか。
いつも店番をしながら勉強していた。
俺は彼女から50ルピーで使い捨てライターを買ったんだが、素敵な笑顔だった。
そんライターは、カトマンズの空港で、俺のことを怪しんだ警備の軍人に取り上げられてしまったがね。
彼女は、無事だっただろうか?多くの人たち、すれ違っただけの人たちも含めて、無事であってほしいと願わずにいられない。

読者諸君、失礼する。どこに行っても怪しまれる俺なのさ。

2015/04/26

Post #1481

Bhodhanath,Nepal
ネパールで大地震で、死者1,500人だという。
ただでさえ、インフラの不充分なところだ。
現地の知り合いからは、大きな余震が続いていると伝えられている。
国際的な援助が求められていると思う。
ニッポンのお偉いさんたちには、こういうときに、日本人の力を見せるように決断してもらいていぜ。

ネパールの聖地、ボダナート。
そのすぐ裏通りでは、年端もいかぬ子供たちが、現金をかけて賭博をしていた。
それが良いことなのか、悪いことなのか、俺にはなんとも言いかねるな。

世界は、俺たちの島国仕様の常識では測れない。
そんなもんさ。

読者諸君、失礼する。世界を見て、触れて、まずは受け入れ受け止めること。判断するのはそれからだ。

2015/04/25

Post #1480

Nepal
今日もまた旅の途中さ。世知辛い日本で頑張る諸君のために、写真をお送りしよう。

ネパールの山々を縫うようにして延びるハイウェイを、砂塵を巻き上げて走る長距離バスの窓から、ほんの一瞬目にした少年たち。
兄弟だろうか?友人だろうか?
獣道のような小道を辿り、何処に行くのだろうか?


俺は、いつも自分の写真について考える。
あるいはまた、自分の文章について考える。

俺の写真が、そしてこの下らない駄文が、君にささやかな驚きや歓びをもたらすことができるだろうかと。
見たことのない世界に暮らす人々のことについて思いを馳せる契機になりうるだろうかと。
君が悩んだりしているときに、違う視点でものを考えてみる契機になりうるだろうかと。
君が何らかの理由で悲しんでいるときに、元気づけることができるだろうかと。
そして君が、見たことのない世界や俺たちの生きているこの社会、そしてかけがえのない各々の人生のあり方について、もう少し踏み込んで考えてみるきっかけになりうるだろうかと。

大それた願いかもしれない。
けど、自分のギリギリのところで、そう願わずにはいられない。

写真の価値というのは、そう言った思いとは、何ら関わりはない。
いいものはイイし、ダメなものはダメなのは言うまでもない。
難しい言葉はいらない。
君がイイ写真だなと思えば、それはイイ写真なのさ。
君がつまらない写真だと思えば、それはダメな写真なんだ。
写真なんて、それしかない。
誰しもが批評家になる必要はないだろう?
それはあたりまえのことなんだけど、それでもなお、俺は自分のこの営みが、君に何かを無形のものを贈ることができたならと願っている。
もちろん、なんら見返りなんか望んじゃいないけどね。

それができないなら、単なる自己満足だ。
サルのせんずりだ。
阿呆らしいからとっととやめたほうがイイだろう。お互い時間の無駄って奴だ。

読者諸君、失礼する。ごきげんよう。

2015/04/24

Post #1479

Kathmandu,Nepal
今日も俺は旅の空。ユーラシアの涯あたりさ。

ネパールでは、若者たちは長距離バスの屋根に乗って旅をしていた。
日本の常識じゃ、ちょっとありえない。
しかし、旅に出ると、日本の常識が普遍的でないことを思い知らされる。

世界は、もっと多様で自由なんだと、思い知らされる。

旅を重ねるほどに、日本人であるという呪縛から、自分がどんどん自由になっていく。
たとえ俺が、日本語で考えて、喋り、文章を記しているとしてもね。
問題なのは、そこじゃないのさ。

読者諸君、失礼する。ごきげんよう。

2015/04/23

Post #1478 さよならニッポン

HongKong
よせばいいのに、また写真集を買ってしまった。
そのうち床が抜けてしまうぜ。
仕事の打ち合わせに珍しくスーツにネクタイで出かけ、そのあと知り合いのやってる喫茶店にふらりと立ち寄り、その帰り道、ふらりと立ち寄ったジュンク堂でつい買ってしまったのだ。
中藤毅彦の『STREET RAMBLER』つまり、ストリートの流れ者だ。
このタイトルだけでも買いだ。
しかし、やられたな。悔しいな。負けないように頑張るぜ。プロにかなうわけないってか?
知ってるかい、写真は現実のコピーなんだぜ。感性を研ぎ澄まして、来た球を打ち続ければ、俺もいけるさ。
さて、気になるお値段、7,560円(Tax in)。
俺は金のかかる男だって言ってるだろう?
まいったなぁ・・・。

唐突だが、今日から俺は一足早く海外にトンずらさせてもらう。
今回はヨーロッパだ。スペインだのデンマークだのドイツだのだ。

いつものNorth Faceのメッセンジャーバッグには、フィルムが55本入ってる。
カメラは相も変わらず、コンタックスT3だけだ。
いつだって俺は潔いのさ。最小の機材で、最高の仕事をするんだ。
あとはパスポートさえあれば、旅行の準備はばっちりだ。
なにしろ俺は旅慣れているからな。

カバンの中には、古今和歌集をはじめ、何冊かの詩集。

俺の詩は、フィルムと印画紙で記されるのさ。

旅行の間は、今までの写真をテキトーにお送りすることにしよう。
写真自体は適当ではないけどね。

旅行中の様子に関しては、俺のFB/KohichirohHattoriを参照してくれ。
公開設定をフリーにしておくからよろしく。暇なら覗いてみてくれ。

読者諸君、失礼する。鬱病のパイロットに当たらないか、大いに楽しみだぜ。

2015/04/22

Post #1477

Kathmandu,Nepal 寺院に献じられた灯明。俺にはその一つ一つが、命の灯にも思える。
昨日は夕方からプリントをはじめ、夜中の12時前までかかって、35枚を仕上げた。

大切なことは、たいてい漫画から教わった。
命というものについて、初めて思いを馳せたのは、はるか遠い小学生の頃、西日の差し込む児童館の図書室で読み耽った手塚治虫の『火の鳥』を読んだ時だ。

誰もが、限られた命に執着し、火の鳥の生き血を手に入れて、永遠の命を得たいと願っていた。
けれど、火の鳥は誰の手にも入らない。そう、命あるものは必ず死んでしまうという宿命から、逃れることはできないからだ。
子供の頃の俺は、その絶対の真理を思い知らされ、ほとんど戦慄した。

もう少し大きくなって、中学生の自分に、若くして母が死んだ。
母の亡骸を手にもって運んだ時、その固さと冷たさに、死ぬというのはこういうことなんだと、生理的に実感したものだ。その感触は忘れられない。母の顔を忘れても、手に残った感触だけは、今もありありと思い出すことができる。

以来、この年まで生きてきて、多くの人の死に出会った。
昨日まで一緒に仕事をしていた同僚が、ぜんそくの発作で急死したこともあった。
俺を可愛がってくれた叔父たちも、ほとんどみんなあの世に行ってしまった。
カミさんの父親が死んだときには、いろいろ訳アリだったので、ケアマネージャーさんと一緒に亡骸の穴という穴に綿を詰め、坊さんの代わりにお経をあげて、この手で送り出した。
また、若い時分に家を飛び出して宗教にのめりこんでいた時分にも、様々な死に遭遇した。
その内容は、きっと話しても信じてもらえないようなことばかりだろう。
どれだけ死に関して経験を積んでも、決して死には慣れない。

そうした経験を重ねて思うのは、死は生の対極にあるものでは決してなく、死があるからこそ、この命に意味があるのだということ。
だから、俺の心の中には、いつも来るべき自分の死がわだかまっている。

自分の死はある程度覚悟してる。いつだって、あと残された時間は、5年か10年だとおもって生きているからな。それに、俺は取るに足りない下らない男だ。かまやしないぜ。

けれど、自分の大切な人々、そして生き物たちの死は、いつもこたえる。
そして、どうしてもっとこの人たちと、心を通わせ、語り合っておかなかったのかと、後悔するばかりだ。


そして、なくなった人たち、(そして可愛がっていた動物たちも含めて、)から、この死を境にいったい何が失われて、それは何処に行ったのかという思いは、未だに消えない。
誰もそれについて、明確な答えを持っていないからだ。
けれど、生命なんて単なる現象にすぎず、死ねば単なる物体が残るだけというのは、俺には受け入れがたい。

俺が自分の写真に意味を見出すのは、それが死と忘却に対するささやかな抵抗だという点だ。

俺は今では決して宗教にどっぷりな人間ではないつもりだが、俺たち生き物には、なんというか生命の本質みたいなものが宿っているように思える。それを、魂と呼んでもいいかもしれない。

昨日、知人に不幸があったと聞いた。
その本人がどうこうしたわけではないのだが、その悲しみを思うと、胸が張り裂けそうに感じるんだ。俺にできることは、その人の悲しみを、そっと思いやることぐらいだ。
けれど、どんな言葉をかけたとしても、本当にその人の心に空いた穴を埋めることはできないだろう。ならば、黙っているのがイイのかもしれない。あまりの無力さに自分が嫌になる。


没頭の火の鳥に話をもどそう。
火の鳥は、宇宙に満ちる命の象徴として描かれていた。
『未来編』では、地球からすべての生命が滅んでしまったとき、火の鳥から血を与えられ、永遠の命を授かった男が描かれていた。その男は、何億年もの時を費やして、地球に生命を復活させようと試みる。そのうちに、彼の肉体は滅び去り、意識だけが地上に残される。
そうして、ついに人類が再び地上に現れた時、火の鳥は彼を迎えにくるのだ。
主人公の男は、はるかな昔、死に別れた恋人(人間ではなく、寿命約五百年のムーピーという不定形生物)とも、命の流れの中で再開し、大いなる命の流れに溶け込んでゆくのだ。
死んでしまったありとあらゆるモノたちは、火の鳥に導かれ、一滴の水が海に落ちるように、宇宙を貫き流れる生命の流れに合流する。失われるものは何もないのだと火の鳥は説く。

そうであって欲しいと、俺は祈るような気持ちで信じている。
煙草を吸いながら、夜空を眺めてみる。
その夜空に、天の川のように命が流れ、輝いているさまを俺は思い描く。

逝ってしまった俺の大切な人たちも、大切にされていた小さな命も、俺たちが喰らった命すらも、そこには同じ命として流れているに違いない。俺はそう信じていたい。
けれど、それを言ったところで、誰も納得しないのはわかっているんだ。

読者諸君、失礼する。もっとも、ちょっと前に直腸癌かもって心配してた時、カミさんにそんな話をしたら、そんな哲学的なことを言ってるんじゃない!って、泣かれてしまったんだがな。やれやれ・・。

2015/04/21

Post #1476

HongKong
重要な局面は、たいてい体調のすぐれない時にやってくる。得てしてそんなもんだ。

昨日は春の嵐が吹き荒れていたんだが、俺は咳が止まらず、寒気もしたので医者に行く羽目になったんだ。
とはいえ俺は、北海道と並んで交通死亡事故件数の多い愛知県の民だからな、吹き付けるような横殴りの雨もものともせず、車で悠々と出かけるんだ。ちょろいもんだぜ。

案の定、風邪をひいていたようだ。だから午後は布団にくるまって眠っていたんだ。
しかし、折り悪く、昨日は仕事の打ち合わせが入っていたのだ。
しかも、9月から3月までのまとまった仕事の打ち合わせだ。
低値安定だが安泰なこった。だが、低値なんで悩むところだ。
なにしろ俺は、諸君もご存じのとおり、金のかかる男だからな。

だが、このオファーを受けるかどうか、ここが今後の俺のキャリアにかかわってくるのだから、慎重に考えねばなるめぇよ。
今日中に返事しないといけないんだがな。やれやれ。
とはいえ、人手不足なんだったら、もう少し金額を上げてほしいところだぜ。
なにしろ、俺は老後の資金を貯めないといけないんだ。いい年して、ろくに貯蓄もない甲斐性なしだからな。
世間から俺は、キリギリスのような奴だと思われてるからな。しかも、道楽もんだから、穴の開いたバケツで水を汲んでるような塩梅だ。

しかし、9月までは暇だなぁ・・・。
一番の問題はそこだ。
うむ、悩ましい。
とはいえ、悩んでも仕方ない。悩んでいたからって、仕事が向こうからやってきてくれるわけでもないしな。そん時になりゃ、何とかなるだろうよ。

暇なときは、せいぜいプリントでもさせてもらうとするさ。

しかも、昨夜はその打ち合わせの後に、先日まで取り組んでいた仕事の打ち上げで、取引先と会食まで詰まっていたんだ。
体調の悪いときに、酒なんか飲むもんじゃないな・・・。
正直に言って、たまらないぜ。最悪とまではいかないが、だるくって仕方がないぜ。
こんな状況で、決断を下さにゃならんとは、因果なこったぜ。

読者諸君、失礼する。俺は風邪と酒でぐわんぐわんだけど、考えなけりゃならないんだ。辛いもんだぜ。

2015/04/20

Post #1475

HongKong
昨日、一日かけてフィルム4本分、60カットプリント。
去年ネパールに行ったときにトランジットで立ち寄った香港を3本分45カットと、ネパールでの1本15カットだ。だからどうした?
昨日のプリントの中から一枚お送りしよう。
いつもいうように、女性を見かけると、反射的に写真を撮っている俺なんだ。
見境のない強姦魔のようだな。

疲れたぜ。くたくただ。夜中にこの文章を書きながら眠りに落ちて、そのまま朝まで眠ってしっまったほどだ。
ただでさえ、咳が出て風邪気味だというのに、無理は禁物だ。
しかし、理性ではわかっていても、ついやってしまうのが人間の性だ。

しかし、そんなに頑張っても、だれも褒めてはくれない。残念きわまることだ。
自分で自分をほめてあげたいという、サルのせんずりのような言葉があったが、俺としては、そんなのちっとっもうれしくないんだ。面白くもない。世界が広がっていかないじゃないか?
俺は褒められると、ますます調子にのって頑張っちゃうタイプなんだ。
しかも、そんな時は自分でも思ってもみなかったほどの成果を出すのさ。
いわゆる『褒めて伸びる』タイプなんだ。

できることなら、女性に褒めてほしいもんだ。
それも、人生のいろいろを味わってきて、ちゃんと物事の本質がわかるようになってきた妙齢の女性にね。俺ッたら、注文が多いな。

しかし、それは高望みのしすぎだろう。
だいたいこのブログに、女性がコメントをくれたことなんて、もう3年くらいないからな。

3年だよ、3年!
石の上にも三年だ!
桃栗三年柿八年だ!
どんだけ野郎ばっかりなんだよ!くそっ!

このブログの中だけで世界を見ていると、It's a Man's Man's Worldだ、ジェームス・ブラウンだ。
まったく、泣けてくるぜ。俺には日本全国各都道府県に、彼女を作るという遠大な野望があるのに!その遠大な計画は、構想だけでまったく進捗しない。
進捗しないにもかかわらず、こういうことを言うと。また反吐が出ると言われたりするから、たまったもんじゃないぜ!

こうして俺は、暗室のなかで人生を空費していくのさ。
だいたい、こんなパッとしないモノクロ写真なんて、だれが興味持ってるっていうんだよ?
そう思うと、虚しくなってきて、こんな誰にも理解されないような写真なんてきっぱりやめて、パチンコとかゴルフとかに乗り換えようかとも思えてくるぜ。きっと友達も増えるだろう。空疎な話題でガンガン盛り上がるのさ。写真なんて、話のネタになりゃしないんだからな。
ばかばかしいぜ。所詮、自己満足だな。
たぶん煙草をやめるよりも簡単だろうよ。

読者諸君、失礼する。今夜は打ち合わせが入ってるんだが、日中は空いてるんで、懲りずにやろうかどうか、思案中の俺なのさ。

2015/04/19

Post #1474

Dubrovnik,Croatia
快男児でいたい。

誰に対しても朗らかに親しみ、胸襟を開いて受け入れる漢でいたい。
人の目なんか気にすることなく、楽しいときには大きな声で笑い、悲しいときには涙を流せる素直な男でいたい。

若者や子供たちに親しまれ、仲間からは信頼され、老人からは頼りにされる。
そんな男でありたい。自分の大切な人の笑顔を守れるような男でいたい。
女たちからも愛されるなら、なおヨシだが、それは高望みのしすぎだろう。
俺のようなフーテンには分不相応だ。

自分の肩書や資産の量で勝負するのではなく、まったくの素っ裸、一人の人間として世間、世界に対峙して、踏みとどまり、なお一歩を踏み出せるような勁い男でありたい。
自分の理性が受け入れないことには、断固として反対し、孤軍奮闘するような、一人の男でいたい。ちなみに、アナーキストってのを定義すると、自分の理性が承服しないことに対して、断固として反対する者のことを言うのだそうだ。
それでいけば、俺は間違いなくアナーキストだ。俺は今の政府のやり方には、まったく承服できないからな。

さて、この平成の快男児、昨日はプリントするつもりだったが、ネガを選んでいる最中に、ネガの管理台帳が、先日のパソコンのクラッシュの影響で、わやになってまっとる(これは名古屋弁でダメになっているという意味だ)ことに気が付き、何時間もかけて精査し、再構築していたんだ。何しろ、もうすぐ旅行だからな。しこたま写真を撮ってくるから、整理しておかなければ大変なことになっちまうのさ。
おかげさんで、これっぽちもプリントすることなんてできなかったよ。
くそ!せっかくの機会だったのにな。
そんなときもある。しかし、そんなときばかりだ。
俺は人生を空費してしまったようなさみしい気持ちになる。

今日こそは、これから飽きるまでプリントしよう。天気はぐずつき模様。外に出かける気にもならないしな。そして、誰も俺を誘ってはくれないだろうし。

読者諸君、失礼する。男には、一人の時間が必要だ。それは創造的な時間なのさ。

2015/04/18

Post #1473

Essaouira,Morocco
今夜はプリントしたいので、手短に済まそうか。

自分にとって、大切な人が悲しみにくれているときに、俺にはその悲しみを癒してやることはできない。
俺は神様でも仏様でもないので、起きてしまったことを、そしていずれ必ず起きることを、どうしてあげることもできない。どれだけ何とかしてあげたくても、俺もまた無力な人間に過ぎないからだ。

当然のことだ。

けれど、せめてその悲しみを理解し、その人の心に寄り添っていられるような人間でいたい。
その悲しみの幾分かを、ともに分け持って、担うことできる人間でいたい。
口元を一文字に結んで、嘆き悲しむ人のそばに、寄り添っていたい。
それで何か、俺に得があるわけでもない。自分がそうしたいから、そうするだけだ。
できることなら、その人が喜んでいるときに、その喜びをともに感じることができたなら、なおヨシだ。
人生の意味は、そこにある。資産を増やすことなんかには、人生の意味なんかない。

そんな人間で、俺はいたい。
それが俺の小さな願いだ。
けれど煩悩深重な我が身を省みると、それすらも大きすぎる願いに思える。

もっとも、人によってはそんな願いを持ってる俺に、反吐が出るというだろうがね。
もちろん、そういうことをあえて言ってしまう自分自身が、とんでもない偽善者に思えて、不愉快にもなる。
けど、言いたいから言っているのさ。

読者諸君、失礼する。俺はまともなニンゲンになりたいと願っているんだけど、そう願えば願うほど、世間の常識から離れていき、ろくでなしのように扱われるのさ。そんなもんさ。

2015/04/17

Post #1472

Helsinki
人生に、もっと冒険が欲しいものだ。
安定なんて、退屈じゃないかい?
毎日まいにち、同じ電車に乗って、同じデスクに座り、仕事をして何十年なんて、考えただけでもぞっとしちまう俺なのさ。
人生が、パソコンやスマートフォンの画面の上だけで進んでいくなんてのは、御免こうむる。

自分の足で、どこか見知らぬ土地に出かけ、見も知らない人と出会いたい。
毎日、いろんな考えの人と話し合ってみたい。
その人たちに、世界がどう見えているのか、知りたいし、理解したい。
花の香りに誘われていたい。
人々の声に耳をそばだてていたい。
美しい女性に目を奪われていたい。

思い描く世界は発見に満ちている。
まだ見ぬ人々は、俺をワクワクさせてくれる。

けれど、実際には毎日が物足りなくて仕方ない。
あんまり物足りないんで、たまには紛争地帯にでも行ってみたくなるし、鬱病のパイロットの操縦する飛行機に乗ってみたくもなる。もちろん、ブルース・ウィルスやスタローンみたいに、そんなピンチをギリギリで切り抜けたりして、笑い話にしてやるのさ。

さてと、今日で、しばらく仕事からは解放だ。
もちろん、打ち合わせだの、請求書だの帳簿だの、次の仕事の営業活動なんかは、やっぱりやらないとヤバいんだが、とりあえず自由な時間が手に入るのさ。誰も俺には構っちゃくれないから、一人で家に引きこもるのさ。

今年も俺が、年明けからほとんど休みなく突っ走ってきたのは、お馴染みの読者諸君はご承知のこったろう。店舗内装の現場監督って仕事は、決して嫌いなわけでもないけど、これだけやってて年老いて死んでいくのは、退屈でしょうがないのさ。

君は、みんなそうして生きているっていうんだろう?
冗談じゃないぜ。
こう見えて俺は、生まれついての道楽者なのさ。
歌い踊ることが大好きだし、本を読み耽ることも大好きだ。そして、もちろん写真を撮ってプリントするのが大好きだ。ついでに言えば、女の子も大好きだ。向こうはそうでもないみたいだがね。

しかも奇遇にも、明日からはカミさんは仕事で出張だ。しばらくは俺一人の生活だ。
心置きなくプリントでもさせてもらうとしようかな。

読者諸君、失礼する。こうしちゃいられないぜ。さっさと眠るさ。なんせ、今日で仕事が一区切りなんだからな。

2015/04/16

Post #1471


Hong Kong
先日、自分のFBにUPしたブログの更新記事のコメントに、古い知り合いの女性から、痛烈なお言葉を賜った。Post #1458に関するものだ。

彼女曰く『よその女に子供を作らせて、自分の奥さんに育てさせるなんて寝ぼけたこと言ってる奴に反吐が出るね!』だそうだ。
参考までに付け加えると、この寝ぼけた奴とは、他でもない俺のことだ。

まったく、返す言葉もないくらいだ。俺は、気の利いたちょっとダーティーなユーモアのつもりだったんだがね。

俺の下らないユーモアで、ご気分を害されたようだから、この場を借りて謝るよ。
陳謝する。反省するよ。
今後はもう少し控えめにさせてもらうよ。反吐が出ないくらいにね。
きっと、俺の文章の面白さは当社比―50%くらいにはなるだろうけれど。

俺は人間を46年ほどやらせてもらってますが、反吐が出るなんて言われたことは、なかなかに無い。面と向かって言われたわけではないけれど、精神的になかなか堪えるものがあるな。

実生活でも、世間様から図太いとか、心臓に毛が生えているとかさんざん言われる俺だけれど、こうして真正面から反吐が出るなんて言われると、なんともやり切れない気分になるよ。

俺自身、自分の言っていることが、時に世間の常識から逸脱したことを言ってるという、確かな手ごたえを持っているんだが、今回の件は俺としちゃ、ちょっと実際にカミさんとの間で交わされた際どい冗談を、そのまま書き記したつもりなんだ。

結果人間のクズ呼ばわりされたしまったわけだ。
自分にとって、どうだってイイ人間に、どれだけクズ呼ばわりされようが構わないけれど、そうそうお会いすることもないけれど、自分としては確かに大切な人からクズ呼ばわりされるのは、かなりキツイ。

俺としちゃ、悪気なんかさらさらない、ちょっとしたユーモアのつもりだったんですがねぇ・・・。やっぱり、いけませんかねぇ・・・?

俺ははたと考え込んでしまう。

こいつは俺の個人的なブログでの発言だし、たとえそうではなくて私小説かなんかだったとしようよ。
で、俺は社会常識に抵触しない、毒にも薬にもならないことしか言うべきじゃないのかな。
考えてみたり、書いたりしただけで、実際にはそんなことしちゃいないのに、実際にやったかのようにクズ呼ばわりされるものだろうか?
まぁ、親愛なるイエス様は、『OK、その通りだよ。考えたらやったもおんなじだもの』と言うだろうが。

万一、実際にそんなことがあったとしたら、なかなか洒落にならないんで、決してここに書くことはないだろう、・・・たぶん、・・・書くかもしれないが。

俺のことだ、なんとも言いかねるな。
何しろ、俺は自分自身のことが世界で一番信用できないんだ。俺の予想を超えることを、俺はいつだって軽々とやってのけてしまうからな。
いつだって、逸脱してるんだ、おっ、ダジャレだ!

俺はここで決して、道徳の教科書みたいなものをやりたいわけじゃないし、どこか戯作者的に自分の考えや生活を、冗談めかして描いてみたいと思ってるんだ。
政治的、倫理的、社会通念的に正しいことしか言わない奴なんて、俺は友達になりたくないもんな。

正直に言って俺は、自分が実像等身大よりも高級な人間に思われたりするよりも、実際よりも軽く見られて、君たちの失笑を買っているほうが望ましいと思ってるのさ。

俺が素晴らしい奴だとか、イイやつだとか、まかり間違って思われちまった日には、うっかり羽目も外せないだろう。

健康で正しいということほど、人間を無情にすることはない。

金子光晴もそう詩に書いていたっけ。

俺は不健康で、悪いってことに、寛容でありたい。
そして、望むと望まざるにかかわらず、そう生きざるを得ない人間の性に対して、俺は興味と感心を持っているんだ。
世間の常識や法律の話をしているんじゃないんだよ。
いやむしろ、光に憧れながら、闇の中をさ迷い歩くしかできないようなものこそが、人間の姿だとすら思えるよ。
人間の本質ってのは、世間の常識良識、法律なんかとは、ぜんぜん違うものだと思えるんだよ。
それをひっくるめて、人間を理解したいと俺は思ってるし、世間の良識常識なんか屁とも思わないような人間でいたいと思ってるんだ。

俺自身は、自分の趣味に合わないスノッブな奴をこき下ろすのはやぶさかではないけれど、基本的には、どんな人間に対しても、一人の裸の人間として、率直でユーモアをもって接していきたいと思っているんだけどな。

けどまぁ、今更何を言っても弁解がましくなるだけか・・・。

読者諸君、失礼する。何が言いたかったかっていえば、自分の軽口のせいで、大切な友人を一人失ったってことさ。そんなものさ。かまやしないさ、どうせ死ぬときは一人っきりなんだからな。

2015/04/15

Post #1470

Kathmandu,Nepal
俺の写真ってのは、要は盗み撮りみたいなもので、いろいろと皆の衆の権利意識が盛んになってきた現代では、非常に大きな問題をはらんでいるのは、自分でも承知しているんだ。
実際に、かつては写真の中でも一つの大きなジャンルを形成していたストリート・スナップってのは、最近ではめっきり低調だそうだ。
そりゃそうだろう、俺だって写真を撮ってて、職質されたり、警察に突き出されたり、黒人に絡まれたりしたことがたくさんある。いや、撮ってる枚数からしたら少ないくらいだろうが、実際に多々ある。
それどころか、大好きな人からすっかり嫌われて、拒絶されてしまったこともある。
写真の道は、険しいのさ。

もう10日もすれば、俺はバルセロナで、街をぶらぶら歩き回りながら、道行く人々を風のように素早くフィルムに収めていることだろう。
ごく普通の人々の、ごく普通の暮らしを、営みを、姿を、モノクロフィルムに定着させるんだ。
それは、君たちが本屋で手に入れることができるガイドブックには、決して載っていない類のものなんだ。
観光名所なんかは、もっと他の写真の上手な人に任せよう。
俺は、俺にしかできないことをやるんだ。

俺のこの営みは、今どきの常識からしたら、どうにも後ろめたいことなのかもしれないし、それを暗室で焼き付け、スキャンして、こうしてブログにUPしているってのは、決してほめられたことじゃないのかもしれない。
むしろ、犯罪者のような卑しい所業だと、君には感じられるかもしれない。
そもそも写真には、とても暴力的なところがある。暴力的でなければ、世界の本当の姿を切り取ることなんかできないのかもしれない。いやぁ、もっと考えるとすべての芸術ってのは、暴力的な要素をふうんでいるんだと思う。究極は、見る人間の意識に、暴行を加えるように揺さぶるものだから。
そもそも、カメラと銃器はとてもよく似ている。兄弟のようだ。
その証拠に写真を撮ることも、銃で撃つことも、英語では同じシュートだ。

残念ながら、さすがの俺も、この日本国内では、不審な犯罪者だと思われるのが嫌で、あまり写真を撮っていないくらいだ。もっとも、店舗工事の現場監督という男の仕事が忙しいので、のんびり写真を撮ってる余裕なんてないってのもある。
また、どうにもこうにも、日本の風景や人物が、日本全国どこに行っても驚くほどに均質化しているので、写真を撮っても、最早さほど面白くも感じられないってこともある。
これはある意味で俺の感性が鈍っているということでもあるな。

しかし、社会の変遷の激しい今の時代、実はこのストリート・スナップというのは、とても重要なことなんじゃないかと思ってるんだ。

かつて、このブログに頻繁にコメントを書き込んでくれていた若者から、あなたの写真は、きっと将来、貴重なものになるはずだっておだてられたことがあったけれど、俺もひそかにそうあってほしいと思っているんだ。

命が必ず失われるように、俺の目の前に現れた全てのものが、街並みも、かぐわしい花々も、そして何より、精一杯生きている名もない人々も、時間の流れという巨大な虚無に、いずれ飲み込まれていって、跡形も残さず消え去ってしまうんだ。もちろん、道行く美しい女性も含めてね。アンチエイジングにいくら金を使っても、すべて消え去ってしまうんだ。なんて悲しいんだ。

それを思うと、ある種の悲しみを感じないではいられない。

だから、俺は、それを惜しむのだ。
この世にある何もかもが、いとおしいのさ。

いちど失われたものは、二度とこの世に顕現することはない。
お前に、それをどうこうする責務もなければ、権限もないはずだと言われたら、もちろんそれまでなんだけど、けど、俺は自分が世界と切り結び、確かにこの人々の生きていることを見届けたという思いで、必死の思いで写真を撮っているんだ。そこには、その日そこに吹いていた風も、においも、音も、そして何より光も、ぐっと凝縮されてこめられているはずだ。

俺は決して、単なる楽しみに淫しているだけではないんだぜ。
至って真剣なんだ。ある意味、身勝手ながら、ミッション=使命とすら思っているのさ。

このためだけに、働いているといっても過言ではないし、そのためにこの自分に向いていない世の中で、恥を忍んで生きていると言ってもいいくらいだ。
できることなら、俺の目玉そのものがカメラになって、目に映った人の全てを、8インチ×10インチの印画紙に焼き付けたいくらいだ。半永久的な命を、印画紙の中に吹き込むのさ。

それよりなにより、俺は人間の顔を細部まで思い出せないという、悲しい欠陥がある。
前にも話したことがあると思うけど、どんなに大切な人も、どんなに親しい友人も、どれだけ愛している相手でも、はっきり顔が思い出せないんだ。
もちろん、その顔を見れば、瞬時に名前もどこで会ったかも思い出せるんだけど、普段はまるっきりダメなんだ。印象に残ったパーツしか思い出せないんだ。目とか、口元とか、ほくろとか、そんなものばかりさ。
だから、俺の記憶の中に出てくる人々の顔は、モザイクがかかってるみたいにはっきりしない。顔出し禁止なんだ。

それが俺には、とても悲しく、辛い。
思い出したいのに思い出せないのは、大切なものが指の隙間から流れ去ってしまったように、切ないことなんだ。わかってくれるかい?

けれど、自分がプリントした写真に写っている顔は、いつでもくっきり思い出せるんだ。
不思議なものだ。
印画紙と一緒に、自分の脳の中のある領域に、しっかりと焼き付けることが出来るみたいなんだ。
都合のいいことを言うなって思うかもしれないけど、本当さ。きっと、人間の顔を記憶する領域と、自分の写真を記憶する領域は、まったく別のものなんだろう。
できることなら、今すぐにでも君の写真を撮って、この手でプリントしたいくらいだ。

俺にとって、写真ってのは、一種の愛情表現だと思えるぜ。

だから、俺をあまり責めないでほしい。俺の一見身勝手な営みを、受け入れてほしい。できたら、君の写真を撮らせてほしい。それはきっと俺の人生の宝物になるだろう。そして、もしもいつか君が年老い、この世界からおさらばするときが来ても、それは君がこの世に確かに存在した、確固たる証となるだろう。俺は、そう信じている。そして、信じているがゆえに、反社会的だとか、非常識だとか思われても、悩みつつも写真に取り組み続けていくに違いない。この命のある限りね。

読者諸君、失礼する。俺は、自分の写真に写っているすべての人が、この世に確かに存在したという証を残したいんだ。そして、俺自身もね。

2015/04/14

Post #1469

Helsinki
意を決して、かかりつけ病院に行ってきた。
もちろん、ケツから血がブリブリ出てる件だよ!
大腸癌だか直腸癌だったらたまらないからな!
そんなフツーなくたばり方は、御免こうむるぜ。
ダイナマイトで自爆とかさ、もうちょっと世間にご迷惑というか、あっと言わせるような死に方がしたいんだよ!
もちろん、男の仕事が俺を待っていたんだが、ケツから血が出てるのに、気になって仕事なんて手につかないだろう。
俺は、仕事仲間に電話をして、ケツから血が出るんで、病院に行ってから現場に向かうと伝えたんだ。

まだ診察の始まっていない時間に受付を済ませると、先生の奥さんが出てきて、また風邪でも引いたのか?と聞いてきた。
俺はケツから赤い血が出るんだと伝えた。
すると、先生が受付の窓から顔をだし、肛門科の病院に行けっていうんだ。
もっともだ。しかし、俺はこう見えて人見知りだ。会ったこともないような医者に、花も恥じらうような俺のケツの穴を見せて診察されるなんて、考えただけでもぞっとするぜ。

で、俺は毎度おなじみのかかりつけの先生に診てもらうことにしたのさ。

いろいろと受付で質問されたおかげさんで、診察室に呼ばれたとたんに、俺はケツを出して診察台に横になるように言われたよ。
先生は、ゴムの手袋をはめている。
おいおい、何するつもりだよ。
触診だ。俺のケツの穴に指を突っ込んで触って調べるのさ。
かんべんしてくれよ、俺は女の子のおしりに突っ込むのは嫌いじゃないけど、自分が突っ込まれるのは好きじゃないんだ。俺は先生や顔なじみの看護婦さんたちに、実際にそういって与太を飛ばしてやったぜ。

ホモのF社さんよ、よく覚えておけ!俺はケツに突っ込まれるのは、御免なんだ!

俺はカーテンの中で先生と二人っきりだ。
ズボンを脱いでケツの穴を先生に向けながら、なおも往生際悪く言ってやってよ。

癖になったら困るなぁ・・・ってな!

無情にも、先生の指がケツの穴にずぶずぶぶっこまれる。おいおい、ローションとかつけてくれないのかよ?せめて、潤滑剤のついたコンドームとかにしてくれよ!
摩擦係数の高いゴムの手袋が、俺の健康な括約筋を、無理やり押し広げるようにして、奥へ奥へと突っ込まれ、なおかつ何かを探るようにもぞもぞしてるんだ。

いやぁ、もう無理にこんなことしようとはしませんから、神様、俺をこの屈辱的な状況から解放してくれよ!

すると、何かしこりのようなものがケツに突っ込まれた指に当たったような感覚があった。
先生が、「お、あったぞ」とか言っている。やはり直腸癌か?

『痔だな、内痔核。座薬出しとくから、一日2回使うように。とりあえず、それで様子見て、それで改善しなかったら肛門科に行くように』

えっ!?痔?
何それ、俺まだ死なないのけ?
俺、せっかく腹くくったってのに‼

最悪の展開だ。大山鳴動ネズミ一匹だ。
とはいえ、ケツからは血が出ているのに変わりはないんだが。

そういえば、ここ一年くらい、時折ケツの奥のほうで、疼くような圧迫感というか痛みが走ることがあったな。あれは痔だったってこと?
そういえば、ここ最近、残便感を感じることがよくあったな。あれは糞じゃなくて、痔だったってことかよ!
けっ、俺はちっとも嬉しくないぜ!
正直に言って、痔って格好悪いぜ。若ハゲや水虫並に格好悪いぜ。

俺は、座薬を処方されて仕事に向かったんだ。看護婦さんが、その場で座薬入れようかって訊いてきたけど、さすがに丁重にお断りしたよ。そんなプレーはお断りだからな。
現場につくと、俺がケツから血が出ている話を、全員が知っていやがった。
俺が連絡した仲間が、朝礼で俺の勝から血が出てるんで、病院によってからくると、ご丁寧に発表してくれていたんだ。お気遣いありがとう、心配かけてすまなかったな!畜生!
みんなにゲラゲラ大笑いされちまったよ!

カミさんは、俺がほんとにヤバい病気になったもんだと思っていたんだが、俺が痔だと聞いて、大喜びしやがった。俺は大切にされているんだぜ、これでも。

しかし、痔だからって喜ばれるって、何なのさ?
昔々、大昔の中国じゃ、痔の人間は河の神の生贄にするために、生きながら黄河に放り込まれるという名誉?にあずかることができなかったそうだ。痔の人間は神様が喜ばないってこった。荘子にそう書いてある。生贄にされるくらいなら、痔になったほうがよっぽどイイって話だったな。

読者諸君、どうやら、俺はまだまだ死にそうにないようだ。心配かけてすまなかった。っけど、ケツから血の塊は出てるし、ケツを拭くとピンク色ってのは、結構焦るもんだぜ。君も痔になってみれば、きっとわかるさ。

読者諸君、失礼する。まったく、穴があったら入りたいぜ。きっとその穴の中には、痔があるんだろうけどな。生きるってのは、恥ずかしいもんだな。

2015/04/13

Post #1468

Zagreb,Croatia 鷹匠のおじさん
生きすぎたりや、46年。

赤裸々な官能的な写真の数々を世に送り出した不出世の写真家ロバート・メイプルソープは『自分の栄光を見届けるまでは死ねない』と言いながら、名声と孤独感のうちに、エイズでやせ衰えて死んだ。42歳だった。

戦争写真家として世界を股にかけ、報道写真家集団マグナムを創設したロバーート・キャパは、ベトナムでインドシナ戦争を取材中に、地雷を踏んで吹き飛ばされて死んだ。40歳だった。

俺は、自分が無駄に長生きしているように感じるよ。

偉大なソウルシンガー、オーティス・レディングは自家用飛行機で墜落し、キャリアの絶頂で死んだ。26歳だった。

天才ギタリスト、ジミ・ヘンドリックスは大量のワインを飲み、吐瀉物で窒息して死んだ。27歳だった。

偉大なるロック詩人ジム・モリソンはパリのアパートのバスタブの中で死んでいた。27歳だった。

魂の歌声を持っていたジャニス・ジョプリンは、高純度のヘロイン摂取で死んだ。27歳だった。

ローリング・ストーンズの創設者ブライアン・ジョーンズは、ストーンズを追われ、自宅のプールの底に沈んで死んでいた。27歳だった。

我が愛すべき天才ドラマー、キース・ムーンは致死量を超えるアルコール依存症の治療薬を飲み、死亡。32歳だった。

もう一人の天才ドラマー、ジョン・ボーナムは大量の酒を飲みすぎ、肺水腫をおこして死んだ。32歳だった。

パンクの精神を体現したシド・ヴィシャスは、母親にせがんで与えられたヘロインを大量摂取し、死亡した。21歳だった。

ジョーイ・ラモーン、リンパ腺癌で死亡。49歳だった。

ジョニー・ラモーン、前立腺癌により死亡。55歳。

ディー・ディー・ラモーン、ヘロインの過剰摂取により、49歳で死亡。

カート・コバーン。鬱病と薬物中毒の果てに、ショットガンで頭を打ち抜き死亡。27歳だった。

天才ベーシスト、ジョン・エントウィッスル。ハリウッドのホテルで、ライブの前夜、コカインをきめて売春婦にフェラチオされている最中に、心臓発作で死亡。57歳。サイコ―だ。

そしてジョン・レノン。ファンの手により射殺される。40歳。これも伝説的だ。

愛すべき忌野清志郎。咽頭癌のために死亡。58歳。これは悲しかった。

織田信長、49歳。人生50年だ。

小説家、中上健次、46歳で腎臓癌のため死亡。俺と同じ年だ。

俺は今、46歳。いつお迎えが来ても、おかしくはないだろう。正直言って、この不正義と無法が横行し、人々は互いに分かり合ったり、共感したりしようとしない世の中に、そんなに未練もない俺さ。

読者諸君、失礼する。いつ人間が死んじまうのか、そんなの誰にもわかりゃしないぜ。俺はいつだって、覚悟はしてるんだ。好き勝手やっていたからな。思い残すことなんて、そんなにないぜ。

2015/04/12

Post #1467

Rabat,Morocco.ブーレグレグ川の渡し守。手漕ぎのボートで川を渡るのだ。
金曜日の夜のことだった。
下世話な話で恐縮だけど、ウンチをして尻を拭いたら、紙が赤く染まっていた。
俺は、何かの間違いだろうと思って、それを流し去ったのだが、よく考えてみるとその何日か前にもそんなことがあった。
そして、なおも残便感があったので、トイレにこもっていきんでみると、小さな赤い塊がケツから出やがった。まるで血の塊のような奴だ。

俺は、さすがにヤバいと思ったぜ。

大腸がん、人工肛門、直腸がん、そんな単語が頭をよぎった。

そして、人間一回は死ぬもんだけど、とうとう俺の番が回ってきたかよ・・・って思ったのさ。

俺の親族には癌で死ぬ奴が多い。
おふくろも38歳の若さで、胃癌を患って死んでいる。
それに比べれば、俺は長生きしたほうだ。
あちこち転移し、いろんな療法を試した末に、やせ衰えて死んだおふくろを見ているおかげで、俺は癌になったら、素直に受け入れて死んでいくつもりなんだ。モルヒネくらいは痛みどめで打ってほしいけど、生まれたら死ぬのが自然の摂理だからな。
何事も自然が一番だ。
第一、使ってる方には悪いけど、俺は人工肛門になったりしてまで、生きていたくないしな。

生きすぎたりや、四十六、ってところだ。俺も意外とあっけなかったな。

カミさんに話をすると、大騒ぎだった。
仕方ないな。俺はいつもコメントをくれるドクターころに電話をして意見を聞いてみた。彼は優秀なお医者さんなのだ。
曰く。話を聞いていると大腸癌の確率は、5%くらいってところらしい。
宝くじに当たるよりも、はるかに確率は高いな。
で、最近とみに体重が減っているとか、便の太さの状況や体調なんかを説明していくと、彼は少し確率が上がりましたねぇ、とワクワクドキドキするようなことを言ってくれる。
まったく、人生は黒ひげ危機一髪だな。思わず笑えてくるぜ。

まぁ、じたばたしても仕方ないぜ。死ぬもんは死ぬんだし。
そもそも、俺が死んでも世の中の大勢になんら影響はない。
いつも言うように、この世から痴漢が一人減っただけさ。
カミさん以外はそうそう悲しんでくれる奴もいないだろうし、せいぜい俺を目の敵にしてるネット右翼が小躍りして喜ぶくらいだろう。

いつだって、俺はあの世に行けるってことだ。
Ready To DIE!!ってカンジさ。地球のみなさん、さようなら!

読者諸君、失礼する。続きは次回だ。気になるところで話を切り上げるのが、コツというものさ。

2015/04/11

Post #1466

Home Town/Nagoya
先日、天皇陛下並びに美智子妃殿下が太平洋戦争の激戦地であったパラオをご訪問なされ、戦没者をお弔いになられた。
俺は決して右翼でもないし、天皇陛下こそ現人神だとか思っているような時代錯誤な人間でもないんだが、公のために自らの人生の全てを注いで、国民統合の象徴として困難な使命を背負っておいでの天皇陛下に対して、畏敬の念を忘れたことはない。

理屈でどうこう言ったところで、戦死者を弔い、震災の被災者を労われるお姿を拝すると、かたじけない思いが湧き上がってくる。私心を抱かれることもなく、ひたすらに人々の幸せを祈り、人々の苦難に寄りそってくださるお姿には、自ずと頭を下げたくなるのだ。

とはいえ、天皇陛下万歳とかいって、勝ち目のない戦いをするとか、自らの存在を抑圧するような形で生きることを強いられるのは、まっぴら御免だけどな。

さて、異例なことではあるが、陛下は近年、現行憲法を尊重するようにとのメッセージを出しておいでだ。そのようなメッセージをお発しになられることが、すでに憲法に触れるのではないかという危惧を、陛下御自らお持ちのようであったので、そのようなご発言をなさるのは、よくよくご決心なさってのことであろうと、選挙権を持ち、自分たちの手で政治家を選ぶことのできる国民の一人として、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

そして、この時期に、あえて陛下が遠くパラオまでお出かけになられ、戦没者の慰霊追悼をなさるのは、決して我が国の国家主義を高揚させるためではないと俺は信じている。
純粋に、日本人の、そして敵であったアメリカ人も含めて、パラオでの悲惨な戦闘で命を落とした犠牲者を悼み、二度とそのような惨禍を引き起こしてはならないという強いメッセージを、俺は陛下のお姿から、汲み取らせて頂いた。
陛下は、憲法によって政治的な一切の活動発言を禁じられている。
しかし、そのおふるまいから、陛下の大御心を僭越ながら推し量ることはできるはずだ。
君にもそれはわかるだろう。
今やこの国は、アメリカの戦争の下請けができるような国へと、粛々と舵を切っている。これも国民の皆様が熱烈に支持している安倍首相の努力の賜物だろうよ、まったくもって。
そのような世の流れの中で、あえてご自身のご高齢とご不便をおして、パラオまで赴かれた陛下の大御心を、無碍にするような真似をしてはならない。陛下のお心を悩ますようなことをしてはならない。
繰り返して言うが、陛下は日本が再び戦争ができる国になることを、決してお喜びにはならないだろう。

読者諸君、失礼する。俺は決して右翼ではないけれど、古代から連綿と続く、我が国の私心なき祭司王たる天皇陛下を、実は深く尊敬しているのさ。

2015/04/10

Post #1465

Volubilis,Morocco 古代ローマ人のお茶目心炸裂!この遺跡で、最も盛り上がっていた。
肉棒ならぬ石棒だ。古代ローマ人は、ちんを豊穣のシンボルと考えていたんだぜ。
我が家での会話、続編。

昨晩のNHKの時代劇を晩飯食いながら見た後だ。
傾奇者前田慶次の晩年を藤達也が演じている番組なのだが、この劇中で前田慶次は石田三成の遺児を、自らの子供として育てているという設定なのだ。

俺  『おまえ、俺がひょっこり中学生くらいの子供を、俺の隠し子だって連れてきたらどうするよ?』

カミさん  『あんた、その子どこで拾ってきたのっていうわ。あんた最近、よそに隠し子がいたらどうするって話し、多いよね?それ、自分の中でブームなの?』

俺  『いや、俺は男として自分の父親を越えねばならんのだ』

カミさん『はぁ?なに、それがどういう関係があるの?』

俺  『お前も知ってのとおり、俺の親父ときたら、昔おふくろが死んで以来、次から次に新しい彼女を作っているわけだ。まるで車と彼女は新しいのに限るといわんばかりだ。』

カミさん『それで?』

俺  『つまりだな、俺がその親父を越えようと思ったら、ここはいっちょ隠し子くらいいないと越えられんだろうって話だ』

カミさん『そういうもんか?まぁ、あんたの男の夢なんだろうけど』

俺  『彼女がたくさんってのは、ある意味男の夢だわな。』

カミさん『そうかもしれんね』

俺  『しかし、俺の夢はそれにとどまらないぜ。その彼女たちがお前も含めて仲良くしてくれるってのが、俺の大いなる夢だな』

カミさん『確かに、彼女がたくさんいて、互いにいがみ合ってたら、たまらんでしょうねぇ』

俺  『そりゃそうさ。まぁ、お前とはかれこれ20年も一緒にいるから、他の女にはお前に対して敬意をこめてお姉さんって呼ばせるようにするよ』

カミさん『え~、そんなんイマイチ、名前で呼んでほしいわ』

俺  『じゃ、お前はなんてその娘たちを呼ぶんだよ?』

カミさん『この、泥棒猫!』

ダッハッハ!こいつにゃ笑ったぜ!

読者諸君、失礼する。うちのカミさん(内縁で未入籍)は寛大な女性だってことだ。ありがたいぜ。俺の彼女になりたいっていう泥棒猫がいたら、申し出てくれよな。待ってるぜ!俺のストライクゾーンは、結構広いんだぜ!

2015/04/09

Post #1464

Kathmandu,Nepal
備忘録

自分の目で見て、耳で聞き、実感したことをもとに、物事を考えること。
新聞やTVのニュースや、ネットの情報だけで判断せずに、自分の体験に即して考えること。
毎日の生活の中で、考える対象を見つけ、徹底して考える時間をもつこと。
目の前の誰に対しても、一人の人間として接すること。
自分一人の時間を持つこと。
ひきこもるように何かに没頭すること。

読者諸君、失礼する。

2015/04/08

Post #1463

Bhaktapur,Nepal
ネパールの街角を歩いていると、遠い昔の日本に迷い込んだような、懐かしい気分になることがある。まるでタイムスリップだ。ストリップじゃないぜ。間違えんなよ。
昭和のようだ。
けれど、この国が将来、今日の日本みたいになることは想像できないし、したくない。
この国の人々から見たら、今日の日本は、まるっきり未来の国のように見えているんじゃないだろうか?しかし、けしてそれは幸せな未来とは限らないけどな。

ネパールの街角では、今日も子供たちの声が響き渡り、小さな子供を抱いた母親が立ち話をしていることだろう。
道端では老人たちが集まって座り、日向ぼっこをしながら世間話をしているのだろう。
人々は夜になれば、停電しているので真っ暗闇になってしまうから、とっとと家に帰って床に就いているだろう。
経済的、物質的には全然豊かではないけれど、豊かな暮らしだと感じる。まっとうだ。地に足がついている。

もう、俺たち日本人は、そんなふうには生きられないだろうな。

読者諸君、失礼する。けれど、生きていくのに本当に大切なものは、実はそう多くない。俺はそう思うよ。


2015/04/07

Post #1462

Boudhanath,Nepal
この日本での人間の生き方が、唯一だとか最上だとか思ってたら、大きな見当違いだと思う。
俺は、別にどこだって構いやしねぇよ。どこだって、住めば都さ。

どうせ人生は、うたかたなんだから。
夢を見るなら、どこでだってかわりゃしないぜ。
その時が来たら、俺はじたばたせずに、あっさりとおさらばさせてもらうさ。

読者諸君、失礼する。それまで、好きにやらせて頂く。あばよ。

2015/04/06

Post #1461

Helsinki
急に飛び込んできた夜の仕事は、30分で終わった。
3メートルの脚立にのぼって、蛍光灯を何本か交換するだけ。

ちょろいもんだ。

楽勝だぜ。いくら請求しようかな?
最低でも25,000円は貰っておきたいもんだぜ。

ふふふ、こんなおいしい仕事ばかりなら、世の中の風俗嬢にも負けることはない。
俺は常々、男業のなかの男業たる現場の男が、女業の中の女業たる風俗嬢に、単位時間あたりの単価でまったく勝負にならないという過酷な現実に対して、悲しくてやり切れない思いを抱いていたのだ。
仕方ない。神様は女性にだけ乙な商売道具をお与えになっっておいでなのだ。

しかし、今夜は違うぜ。笑いがこみ上げてくる。
30分で25,000円なら、並の風俗嬢には負けはしないってもんだ!

たまにはこういう濡れ手に泡の仕事もなけりゃな、やってられないぜ。
しかし、こんなのばかりだと税務署さんに目をつけられちまう。
なんとか理由をでっち上げて、いろいろと経費名目で使わないと、税務署さんにごっそり持ってかれちまうぜ。
所詮日本は親の総取り、親方日の丸だ。

これでも、お客や施主に感謝されるんだ。俺はいつだって、金を払ってくれる皆様には、自分のできる限りのことをするように心がけてるんだ。
その辺の惰性で仕事をしているような連中とは違うのさ。
うまくいけばみんなのおかげ、失敗すれば自分の責任と思って仕事をしているんだ。ちょっとうまくいくとうぬぼれるような間抜けじゃないんだ。
そう、俺は自由人だが、仕事もできる。
自由人であるために、下らない会社組織に見切りをつけて独立し、一人で傭兵のようにして仕事をしているんだ。求められる以上のレベルの仕事をこなすこと。これが自由に生きる第一歩だ。やることやってりゃ、文句は言わせないのさ。
だからこそ、俺は自分の仕事にプライドを持ってるんだ。
何と言っても、俺の心の中に住んでいる大切な女たちに、恥ずかしくて顔向けできないような仕事はしたくないのさ。
イヒヒ・・・。

読者諸君、失礼する。俺はなにかと金のかかる男なんだ。なにしろ道楽者だからな。じゃんじゃん仕事をこなしていくぜ!

2015/04/05

Post #1460

Taiwan,Taipei
雨が降り続いている。
君の上にも雨は降っているだろうか?
俺は、日曜だというのに、昼も夜も仕事だよ。商売繁盛だ。
俺は金のかかる男だからな、仕事のある時に、出来るだけ稼いでおきたいのさ。
俺のことを、アリとキリギリスのキリギリスのような奴だとみんながいうのさ。どいつもこいつも、俺のことを年食ったら、野垂れ死にだと思ってるんだろうが、お生憎様、そうは簡単にくたばってたまるかよ。
俺はいつだって、働き蜂のように働いているのさ。
四柱推命によると、俺は一生涯食うのには困らない星回りらしいぜ。調子に乗って行かせてもらうさ。
もっとも、100まで生きる気もないがね。
読者諸君、失礼する。今日は忙しいのさ。のんびり感傷的になってる暇なんて、どこにもないのさ。 

2015/04/04

Post #1459

Taipei,Taiwan
今夜は、思うところあって写真だけお送りしよう。あと何度、春を迎えることができるのだろうか。ふと、そう思うとなんだか気が滅入るのさ。いつも、春は憂鬱になる俺なのさ。

読者諸君、失礼する。年年歳歳相花似たり、年年歳歳、人同じからず。

2015/04/03

Post #1458

Paris
最近の俺の家庭での会話。

『なかなか子供ってのは、出来ないもんだな…』
『そりゃ、この年になったら、そうそう簡単にはできないって…』

しばし沈黙。

『おまえさぁ、もし俺がよその女の人に子供作ってもらったとしたら、可愛がってくれるか?』
『えっ!?』
『いやぁ、だからさぁ、お前がもう無理なんだったら、よその女性にお願いしてだなぁ、俺の子供を作るっていうことだよ』
『それは可能性としてはないなぁ…』

それどういう意味だよ?単純に俺が他の女性に縁がないってことかよ?
それとも、縁があっても相手にされないという意味なのか?
思わずムキになってしまうな。

『俺の子供だぞ、可愛がってはくれないのか?』
『だって、私の子供じゃないでしょ?』
『いや、だから俺の子供だって言ってるじゃないか?きっとかわいいぞ!可愛がってくれないのか?』
我ながら、すごい剣幕だ。
『分かった、わかった、可愛がるから…』

よしよし。

『じゃ、その子供を産んでくれたお母さんとも、女同士、仲良く付き合ってくれるかい?ぎすぎすしたのは御免だぜ。喧嘩なんかされたら、たまったもんじゃないからな』
『それは無理!』


やっぱり難しいか・・・。
そりゃ、そうだわなぁ・・・。

読者諸君、失礼する。男は虫のいい生き物だ。そして、男も女も独占欲が強いものさ。

2015/04/02

Post #1457

Zagreb,Croatia
昨日、美容院で髪を切ってもらっていると、隣に騒がしい女が客としてやってきた。
金髪に染めた髪の根元は、いわゆるプリンのような状態になっている。
ちらりと見ると、背も低く、額も狭く、並びの悪い歯は、黄ばんだような色をしていた。おまけに全体に上から押しつぶしたような印象を受ける女だった。神様も、ときに残酷な仕打ちを人間にするものだな。見かけで人間を判断するのはいけないが、立ち居振る舞いや喋り方で、人間は判断することができるものだ。何しろ俺にはスカウターがついているからな。

その女は、メイクをしてもらいに来たのだというが、その野卑な印象が強い顔は、メイクでどうにかなる類のもんじゃねぇな、残念ながらという残酷な印象を俺に抱かせた。
俺は、知性やウィットの感じられない女性は、あまり好きではないのだ。淫らな女は嫌いじゃないけど、野卑な女は苦手なんだ。生理的に、ダメなんだ。すまん。

その女のいささか興奮したような口ぶりからすると、すでにかなり酔っていたようだ。美容師のおねーさんにだみ声でべらべらしゃべり続けている。
そのうちに殺すの殺さないのと、穏やかならざる単語が飛び出してきている。

そうして、美容師のおねーさんのおざなりなマナ返事に物足りなくなったのか、その女は俺に話を振ってきやがった。
おもしれー、受けて立つか?

『・・・おにーさん、そうは思わないですか?』どうにも、俺のアウトローな雰囲気を憚ったのか、それとも卑屈なだけなのか、一応は敬語だが、突如おにーさんと呼びかけられて、俺は何だぁ?って感じだったのさ。眉を片方だけ上げて、いささか不快感を表明してみた。

『殺す、殺すって口でいうやつは、実際に殺せないですよねぇ、そう思いませんか?』
知らねぇよ。殺すも殺さないも、縁があるかないかだけの問題だと俺は思ってるんだが、面倒なんで『あぁ。、そうかもしれないな。殺す、殺すって言ってるうちは、心の圧力が減圧されるからな。』
『そうですよね、殺す殺すっていうやつで、実際に殺せる奴はいないですよね。』女は激しく同意する。
『殺したいと思ったら、黙ってさっさと殺めればイイ。人間はバールで思い切りたたいただけで死ぬ』
俺はうんざりして答えたよ。まったくだ。現場には、いろいろと便利なものが転がっているからな。

『もし、相手を殺して、最高で死刑、最低で懲役3年だとする。で、それが割に合うと思うなら殺せばいい。けど今更俺は御免だがね』
憎しみに駆られて誰かを殺すより、女の子とイチャイチャしてるほうが、よっぽど楽しいものさ。

俺がそんなことを言うと、女はさらに何やらまくし立てている。あぁ、面倒だなぁ。

『自分の人生を棒に振っても、相手を殺したいと願うんなら、一思いにやっちまえばいい。俺は若いころ、日本刀が押し入れの中にゴロゴロしてる組織に入ってて、そこにいた連中は、ボスから殺って来いと言われれば、即座に日本刀を持って、殺しに行っただろうよ。俺はそんな世界にいたから、あんたの言うことはよくわかる。割に合うと思えて、どうしても殺したけりゃ、黙ってすぐに殺すんだな。』

これは嘘じゃないんだけど、美容師さんたちもその女も、俺の気怠そうな態度で発せられた言葉に、ドン引きしてしまった気配が伝わってきた。
もちろん、俺はちゃんと分別のある常識人だから、そんなことはしないさ。
第一、それは縁と機会がなけりゃできないことで、決してやろうと思って簡単にできることじゃないんだ。
しかし、まいったなぁ・・・。

女は、当惑したように、話を変えようとした。自分の旦那に困っていること。俺は、こんな女でも所帯を持っていることに、かなり驚いたが、そんなことはおくびにも出さず、即答した。
『そんなに困ってるんなら、別れりゃいいだろう』

連打だ。さすがに酔っぱらいの女も一瞬絶句したが、そこは酔っぱらいの強み、なぜ、自分の旦那に困っているかという事を、くどくど話し出した。俺には関係のない話だが。
曰く、自分は今までいろんな男に苦労して来て、やっとまともな人と所帯を持ったんだけれど、その旦那が酒を飲んで喧嘩して、相手を殴って捕まったのだという。よくある話だ。おかげで、その殴られたほうは片目を失明してしまったそうだ。
俺は苛立つ。

『酒を飲んでも、飲まれるな!』俺はぶすりと宣告するように言い放ったよ。

俺が髪をすすいでいる間に、女は金を払って帰って行った。金を払ってメイクをしたにもかかわらず、ちっとも見れたもんじゃない。やはり、人間性は顔に出る。土台が悪けりゃ、どうにもならんもんだ。金をどぶに捨てているようなもんだ。

冗談じゃない。どうして俺はいつもこんな目に合うんだ。
出来ることなら、もっと魅力的で常識的な女性に話しかけられたりしたいもんだぜ。

俺はいつもこんなくだらない話を聞くと、シベリアかアマゾンの奥地にでも旅立ちたくなるよ。人間のいない、清浄な世界にね。
けれど、こんな奴らがごまんといるのが、俺の生きている世界だ。貧乏人の世界だ。いついかなる時も、寛容さを保つのは、ホント~に難しいもんだ。

読者諸君、失礼する。世の中には、いろんな人がいる。面白いもんだが、気がめいるぜ。

2015/04/01

Post #1456

やあ、こんばんわ。Sparksです。
今日は少し趣向を変えてみた。
なんといっても、エイプリルフールだしな。
俺は46歳だけど、まだまだこんなんだ。
とんでもない馬鹿野郎なんだ。並の男じゃない。
自分でも呆れるぜ。
けど、この退屈な日本に、こんな奴が一人や二人いたって、かまわないだろう?
そうは思わないかい?

若いころ、ずっと憧れのロックスターみたいになりたいと思っていた。もう30年も前のことだ。
けれどある時、ここまで歩いてきて、あっちに頭をぶつけ、こっちに足を取られしてきて、ふと気が付くと、自分は自分自身にしかなれなかったことに気が付いた。

それでいいのだ。

そう気が付いたら、他人に対しても寛容になれたような気がする。

さて、俺のことを左翼と呼ぶ奴が多い。
俺自身は、中道左派だと思ってはいるが、極左とか左翼とか言われるのは心外だ。
共産党は選挙のたびに投票しているけれど、たまたま俺の考えに近いというだけで、共産主義者になったことはないつもりだ。
俺はどちらかといえば、無政府主義者だし、コスモポリタンでありたいと思っているんだ。
もし俺が、左翼だ、共産主義者だといわれるのなら、俺の好きなカート・ヴォネガットの小説の一説を引用したい。

『そう、ぼくの考えていることは、大多数の人たちにいわせれば、たぶん共産主義思想ということになるでしょうね』エリオットは無邪気に答えた。『だってそうじゃないですか、おとうさん。貧乏人の中で働いていれば、だれだってときにはカール・マルクスにかぶれずにはいられませんよ。―そうでなければ、いっそ聖書にかぶれるかだ。ぼくはそう思うんですが、この国の人たちが平等に物を分け合わないのは恐ろしいことです。こっちの赤ん坊は、このぼくがそうでしたが、広大な地所を持って生まれてくるのに、あっちの赤ん坊はなんにも持たずに生まれてくる―そんなことを許しておく政府は、不人情な政府です。ぼくにいわせれば、いやしくも政府と名がつく以上、せめて赤ん坊にだけは公平に物を分配してやるべきです。それでなくても人生は苦しいのに、貧乏人はそのうえお金のことで病気になるほど心配しなくちゃならない。もっとうまく分配をしさえすれば、だれにもたっぷりゆきわたるだけの品物が、この国にはあるんですよ』
(『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』早川文庫刊 浅倉久志訳 P137)

俺は、長い間、貧乏な連中のなかで暮らしていた。
今もなお、そうかもしれない。ルイヴィトンやシャネルやフェラーリになんか、まったく縁がない。まぁ、君もそうだろうとは思うけれど。それどころか、自分の家も、ローンもない。銀行が相手にしてくれないからだ。

けれど、かまわない。

そうやって、俺は俺になったのだから。
考えなしに浮かれまくって勇ましいことを言い、戦争になったら真っ先にひどい目にあうのがこの貧乏人だ。だから、平和がイイと思っているのさ。
なにしろ貧乏人は、政府からも見放されている。貧乏人は、じぶんよりひどい境遇の人間を見つけて、優越感と安心感に浸るしかない。

さみしい世の中だ。
そんな世の中が、面白くないと思っているから、俺は世間から左翼呼ばわりされてしまうのだ。

ほんとの俺は、そんなイデオロギーなんかに振り回されたくないし、どんな組織にも属したくない。
個人で独立して世間に対峙してゆきたいと願っている一人のおっさんなんだ。

それを強いて名づけるなら、Free Thinker、自由思想家さ。

読者諸君、失礼する。