2015/04/22

Post #1477

Kathmandu,Nepal 寺院に献じられた灯明。俺にはその一つ一つが、命の灯にも思える。
昨日は夕方からプリントをはじめ、夜中の12時前までかかって、35枚を仕上げた。

大切なことは、たいてい漫画から教わった。
命というものについて、初めて思いを馳せたのは、はるか遠い小学生の頃、西日の差し込む児童館の図書室で読み耽った手塚治虫の『火の鳥』を読んだ時だ。

誰もが、限られた命に執着し、火の鳥の生き血を手に入れて、永遠の命を得たいと願っていた。
けれど、火の鳥は誰の手にも入らない。そう、命あるものは必ず死んでしまうという宿命から、逃れることはできないからだ。
子供の頃の俺は、その絶対の真理を思い知らされ、ほとんど戦慄した。

もう少し大きくなって、中学生の自分に、若くして母が死んだ。
母の亡骸を手にもって運んだ時、その固さと冷たさに、死ぬというのはこういうことなんだと、生理的に実感したものだ。その感触は忘れられない。母の顔を忘れても、手に残った感触だけは、今もありありと思い出すことができる。

以来、この年まで生きてきて、多くの人の死に出会った。
昨日まで一緒に仕事をしていた同僚が、ぜんそくの発作で急死したこともあった。
俺を可愛がってくれた叔父たちも、ほとんどみんなあの世に行ってしまった。
カミさんの父親が死んだときには、いろいろ訳アリだったので、ケアマネージャーさんと一緒に亡骸の穴という穴に綿を詰め、坊さんの代わりにお経をあげて、この手で送り出した。
また、若い時分に家を飛び出して宗教にのめりこんでいた時分にも、様々な死に遭遇した。
その内容は、きっと話しても信じてもらえないようなことばかりだろう。
どれだけ死に関して経験を積んでも、決して死には慣れない。

そうした経験を重ねて思うのは、死は生の対極にあるものでは決してなく、死があるからこそ、この命に意味があるのだということ。
だから、俺の心の中には、いつも来るべき自分の死がわだかまっている。

自分の死はある程度覚悟してる。いつだって、あと残された時間は、5年か10年だとおもって生きているからな。それに、俺は取るに足りない下らない男だ。かまやしないぜ。

けれど、自分の大切な人々、そして生き物たちの死は、いつもこたえる。
そして、どうしてもっとこの人たちと、心を通わせ、語り合っておかなかったのかと、後悔するばかりだ。


そして、なくなった人たち、(そして可愛がっていた動物たちも含めて、)から、この死を境にいったい何が失われて、それは何処に行ったのかという思いは、未だに消えない。
誰もそれについて、明確な答えを持っていないからだ。
けれど、生命なんて単なる現象にすぎず、死ねば単なる物体が残るだけというのは、俺には受け入れがたい。

俺が自分の写真に意味を見出すのは、それが死と忘却に対するささやかな抵抗だという点だ。

俺は今では決して宗教にどっぷりな人間ではないつもりだが、俺たち生き物には、なんというか生命の本質みたいなものが宿っているように思える。それを、魂と呼んでもいいかもしれない。

昨日、知人に不幸があったと聞いた。
その本人がどうこうしたわけではないのだが、その悲しみを思うと、胸が張り裂けそうに感じるんだ。俺にできることは、その人の悲しみを、そっと思いやることぐらいだ。
けれど、どんな言葉をかけたとしても、本当にその人の心に空いた穴を埋めることはできないだろう。ならば、黙っているのがイイのかもしれない。あまりの無力さに自分が嫌になる。


没頭の火の鳥に話をもどそう。
火の鳥は、宇宙に満ちる命の象徴として描かれていた。
『未来編』では、地球からすべての生命が滅んでしまったとき、火の鳥から血を与えられ、永遠の命を授かった男が描かれていた。その男は、何億年もの時を費やして、地球に生命を復活させようと試みる。そのうちに、彼の肉体は滅び去り、意識だけが地上に残される。
そうして、ついに人類が再び地上に現れた時、火の鳥は彼を迎えにくるのだ。
主人公の男は、はるかな昔、死に別れた恋人(人間ではなく、寿命約五百年のムーピーという不定形生物)とも、命の流れの中で再開し、大いなる命の流れに溶け込んでゆくのだ。
死んでしまったありとあらゆるモノたちは、火の鳥に導かれ、一滴の水が海に落ちるように、宇宙を貫き流れる生命の流れに合流する。失われるものは何もないのだと火の鳥は説く。

そうであって欲しいと、俺は祈るような気持ちで信じている。
煙草を吸いながら、夜空を眺めてみる。
その夜空に、天の川のように命が流れ、輝いているさまを俺は思い描く。

逝ってしまった俺の大切な人たちも、大切にされていた小さな命も、俺たちが喰らった命すらも、そこには同じ命として流れているに違いない。俺はそう信じていたい。
けれど、それを言ったところで、誰も納得しないのはわかっているんだ。

読者諸君、失礼する。もっとも、ちょっと前に直腸癌かもって心配してた時、カミさんにそんな話をしたら、そんな哲学的なことを言ってるんじゃない!って、泣かれてしまったんだがな。やれやれ・・。

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