2015/04/29

Post #1484

Patan,Nepal
今日も俺は北欧のどこかをぶらついているだろう。細かい予定なんか立ててないからな。
カメラをもって、今立っているところが、俺の写場=娑婆なのさ。

旅をすると、人類の文化というものが、みな一様に進むものではないと思い知らされる。

ネパールでは、未だに人々は神々にまみれて暮らしている。
神々がいなければ、人間の社会も個人も、法も倫理も、何もかもが存在意義を失うのではないかと思える。

かつての日本も、これと似たりよってりだったのだと思うがね。そう、明治時代のはじめくらいまではそんなもんじゃないかな。

俺たちはすでに、神も仏も信じることができない。
信じているとかいうのは、創価学会の信者くらいだろう。
神も仏も、冠婚葬祭を行うために必要なものだというくらいの認識だ。
人々は死体をささやかな賽銭で、仏に押し付けるのだ。

神という見えないものにとらわれ、抱かれて生きるのが幸せなのか、それとも神も仏もない、マテリアルの荒野を生きるのが幸せなのか、俺には何とも判断できない。

読者諸君、失礼する。俺の理想としては、どちらにも捉われることなく、中道を歩むことが望ましいと思うよ。


旅行の近況に関してはhttps://facebook.com/kohichiroh.hattoriを見てくれたまえ。もっとも、今日からGWだから、俺なんかにかまってる暇はないかもしれないけどね。
ごきげんよう。

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