2015/05/08

Post #1493

Kathmandu,Nepal
ヒマだ暇だ、肥満児だとぼやいてばかりいたら、ポツポツと仕事がネギ背負ってやって来た。今ごろ、俺はせっせと急な仕事をやっつけている頃だ。世の中、こうでなくちゃな。
写真を撮ることは、俺自身にとって、正直楽しいといったものでは、ない。
君にとっては意外かもしれないけれど。
むしろ、神経をすり減らし、毎日ふくらはぎが痛くなるまで歩き続けるようなこの営みは、どこか後ろめたく、すっぱり止めてしまえるものなら、やめてしまいたい。これで生計を立てているわけでもないんだから。
今回の旅行でも、フィルムで40本ほど撮影してきた。
けれど、カミさんとのこともあるし、寒いし、物価が高くておいそれとカフェでお茶でもって気分になれないしで、何度も止めたくなった。それでも、やめなかったのは、俺の貧乏性、つまりここにはこの先、二度とやってくることはないかもしれない、その路地を曲がれば、何かがあるかもしれないという、しみったれた根性のなせる業だ。

けれど、報道で今回のネパールの地震による被害を目にするごとに、こういった何気ない日常的な風景の断片を、無造作に切り取って残しておくことは、実は深い意味があるのではなかろうかと、俺は自分自身に語り掛けるように言い聞かせ、この苦行のような営みから、逃げ出したくなる心をねじ伏せるんだ。

何気ない風景や生活の大切さは、失われて初めて身に染みるものだ。
それは人間関係や愛情でも同じかもしれないな。

今回のネパールの地震で、ひょっとしたら崩れた建物の下敷きになっていたのは、俺だったかもしれない。たまたま、俺があそこに行った時期が半年ほど早かっただけで、この宇宙の時間の流れから見れば、間一髪だ。
それは偶然なんだけど、おかげで君たちに、その時の写真を届けることができる。ありがたいことだ。
だから俺は、この偶然の中に、揺るぎのない必然を読み取るのさ。

人と人との出会いも、これまた偶然のようでいて、そこには必然がある。
それが縁ってもんだろうよ。

読者諸君、失礼する。

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