2015/05/25

Post #1510

Sweden
ちょっと仕事で福井まで行ってきた。
片道160キロってところだ。別にたいした距離じゃない。名古屋人は自動車民族なんだ。燃料さえあれば、どこまでだって走ってみせるさ。
仕事自体は15分もあれば片が付くような仕事だった。行きは高速で行ったんだが、帰りは仕事がさっさと片付いたので、ひたすら下道を4時間ほど走り続けて帰ってきた。俺は知らない道を走るのが好きなのさ。人生だって同じようなものだろう?

どこもかしこも、真っ暗だ。試しに走りながらライトを切ってみると、まったく何も見えない。もし10秒もライトなしで走ってたら、峠道のガードレールを突き破って、あの世までドライブできるのは間違いないだろう。
けど、退屈しのぎに何度か試してみたけどな。わかっちゃいるけど、やめられないぜ。
俺には時折、人生がなんだか退屈に感じられるんだ。
退屈な人生を、退屈とも思わずに素直に受け入れることができるのが大人なんだろう。そうおもうと、俺は大人になり切ってないってことになるな。冗談じゃないぜ。
だから、あえて危なっかしいことをやってみたくなる。別に、俺が死んだからって、誰も大騒ぎしないさ。そういうことを言うと、またカミさんにこっぴどく説教喰らったり、泣かれたりして困るんだが、実際そんなもんさ。なにしろ、同級生の間では、俺は死んだことにされてたくらいだからな。

これを読んでくれてる君たちだって、最近そういえば更新ないなぁ。あいつ、仕事が忙しいんだろうな。それとも旅行にでも行ってるのかな、って思うのが関の山さ。何しろ、死んじまったら、こうして俺は死んだのさってブログに書くわけにもいかないしな。そりゃそうだろうよ。それが出来たらなかなかに痛快だ。


真っ暗な夜道を一人でひたすら運転していると、世界のなかで自分が独りぼっちだという気がしてくる。
誰にも必要とされずに、自分のことで精一杯になって生きているような情けない気分だ。
そして、しょせんどんなに突き詰めても、他人の事なんかわかりっこないのかなという気すらしてくる。
縁ある人々を理解したいし、信じたいけれど、どこまで行っても理解しきれないところはあるし、信じきれないところもある。他人なんだから当たり前と言えば、これほど当たり前のこともないな。
愛情とか、幸せとか、信頼とか、目に見えないものって、つかもうとすればするだけ、指の間からすり抜けていくように感じないかい?それは銀行の貸金庫にしまっておけるようなものじゃないからな。陽炎のようなものなのなんだ。

知れば知るほど、よくわからなくなる。
大切に思えば思うほど、どこか信じきれない思いが募る。

まったくおかしなものさ。そんなことって君にはないのかい?
だからと言って、はなっから理解する気もないし、信じる気持ちもない、自分のことで精一杯だし、他人なんて構っちゃいられないなんて開き直る気にもなれないんだ。

夜道を走りながら、俺は信と不信の間を行ったり来たりしているのさ。
それは、どこまで車を飛ばしても、どこにも帰れない、どこにもたどり着けない真夜中のドライブみたいだ。
相棒はスピーカーから流れるロックンロールだけだ。

けど、実際には長いドライブにも、必ず終わりは来る。こうして真夜中には家にたどり着いてるんだからな。
けど、俺の心のドライブは、いったいいつまで続くんだ?
こんな時、いつもシベリアの針葉樹の森や、アマゾン河やサハラ砂漠なんかに行ってみたくなるんだ。

読者諸君、失礼する。今日は午後から伊勢まで車を飛ばして仕事に行かなけりゃならないんだ。毎日ドライブだ。東奔西走だ。我ながらご苦労なこった。けど、そんな生き方が俺の性に合ってるんだろうよ。転石苔むさずって奴さ。いつか君のもとにたどり着きたいよ。

2 件のコメント:

  1. 暑いのは苦手なので、シベリア ツンドラに一票です。
    じじいになる前に是非行きたい。
    こんなちっぽけな山坂の日本を捨てて、どこまでも果てしない道を進んでみたい。
    と言ってもいつかどこかで終点を迎えてしまうんでしょうね。
    金が切れるか、命が切れるか、欲望が尽きるか。

    でもこのままでは飽き飽きです。

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    1. ちょっと車を転がせば、すぐに山か海で行き止まりの日本。どこにいっても、ヤマダ電機とニトリとイオンとセブンイレブン。
      まったく、飽き飽きですよ。
      どっかにガンダーラみたいなところ、ないもんですかね。

      ころさん、俺的には、命が切れるのに一票だな。俺の死場所は自分で決めるさ。介護施設なんかはごめんこうむるよ。

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