2015/06/30

Post #1546

Copenhagen,Denmark
糞くだらない政治がらみの話が続いたんで、自分でもいささか食傷しているんだ。
俺のせいじゃないんだぜ。下らない政治が続いているからさ。俺はそんな政治の話なんかよりも、素敵な女性のことを思い出したり、夢見たりしているほうが、圧倒的に好きだ。そんな下らない政治の話を聞いてると、耳がけがれちまうぜ。
素敵な女性のことを夢見て愉しく暮らすには、少々のお金と不滅の体力と、世の中が明るくて平和なことが絶対に必要だと、俺は思うぜ。

さて、今日で6月も終わる。
俺にとって、女性のことを考えるとき、もうすべてなにもかもを、金子光晴がその詩のなかで言い尽くしている気がする。もしくは忌野清志郎?
久しぶりに、俺の座右の書『愛情69』から、お気に入りの詩をいくつか引用してみよう。

『愛情3

 むかし、炎帝の娘たちには
まだ、ながい尻尾があつた。

 好きになつたしるしには
しつぽとしつぽを巻きつけた。

 しつぽにしつぽを巻きつければ
ふたりはなにもかもわかりあへた。

 しつぽが、だんだん短くなり
男と女とはわかりあへなくなつた。

 千萬愛してゐるといつてみても
ことばは、風にふきとんでしまふ。

 千日、からだで契りあつても
肉体の記憶はその場ぎりだ。

               
 しつぽとしつぽを繩に綯つて
繩が朽ちるまではなれまい。

 しつぽのある女をおれがさがしてゐる
そのことわけはざつと、こんなところ。』
(金子光晴 講談社文芸文庫「女たちへのエレジー」P125より)

どんなに素敵な女性でも、俺のことをわかって受け入れてくれないんなら、俺はなんの興味もありゃしないさ。もちろん、俺は相手の女性のことを、できるだけ受け入れて、できる限り理解したい。いつも、そう思う。けれど、言葉も肉体の交わりも、すべてを受け入れ理解するには、ほど遠いって思うよ。この詩を初めて読んだ時には、すとんと腑に落ちるものを感じたね。

『愛情32

 いくたび首をひねつてみても、
男と、女がゐるだけだ。

 その女と、男の思案が
ながい歴史をつくつてきた。

 男の箸と
女の箸とで
世の仕合せを
はさむといふ。

 ふたりの愛が 
泥のだんごを
米のだんごに
かへるといふ。

 男と女の一対は、
まがりなりにもたのもしい。
女のゐないしあはせや
女ひとりのしあはせは、

 誠実と涙の露のふりかかる
胸いつぱいの花束が、折角の
おくるあひてがないのとおなじ。』
(金子光晴 前掲書P177)

単身世帯が増えている。
それはそれ、個々のお考えだから他人の俺がとやかく言う筋でもない。けれど、こんな素敵な女性がどうして?とか、こんな気立てのよい好男子がなぜ?と思うことはしばしばだ。
なんとなく、残念だ。
もちろん、単身で暮らしているのは構わないが、やっぱりどこかに心の通じ合う異性がいないのは、最後のセンテンスのように、ものさびしいものだと思う。独りで生きていけるなんて思えるのは、若いうちだけかもしれないぜ。ニンゲンは、そんなに強いものじゃないと思う。
歴史に残る名アルバムを、若いリスナーに紹介するDJのように、もう一発行ってみよう!

『愛情53

 女をひとりあつかふのは、
水のうへの丸太乗りよりむづかしく

 生涯かけても、足のさばきが
のみこめぬ不器用ものが多い。

        よう
 むかしは、媵といふ制度があつて
ひとりの娘御を嫁にむかへると、

 姉妹たちもそろつてついてきた。
さあ、それはよいやら、悪いやら。

 束にして女どもをかはいがるのはいいが、
食はせて、着せるだけでも大仕事だ。

 かと言つて、ひとりの女をまもる
しみつたれた習慣はいつ頃からか。

 どうやら今日の『文明の貧困』は、
女さばきのまづさに原因がありさうな。』
(金子光晴 前掲書 P219)

俺は、現代的な、父系の一夫一妻制ってのが、唯一の性の形とは思えないんだ。母系社会のように、女のもとに男が通ってくる形でも全然いいと思えるし、むしろ古事記のオオクニヌシの説話や、伊勢物語や古今和歌集に見える平安時代の男女関係からすると、そっちのほうが自然なんじゃないかって思えるよ。そもそも、子供ってのは、俺の感覚じゃ母親のものだしな。

読者諸君、失礼する。明日から東京銀座で大仕事だ。この機会に、首都圏の知人友人に会いたいもんだが、そんな余裕が果たしてあるかな?もちろん、逢ったことのない君にも、あう機会があれば、そりゃ嬉しいものさ。

2015/06/29

Post #1545

Copenhagen,Denmark
ハウスハズバンドのように暮らしている。
カミさんの体調がすぐれないので、食事を作ったり、洗濯したり、風呂掃除したりして暮らしている。
押し入れから扇風機を出したり、カミさんを車に乗せてタオルケットを新調しにつれて行ったりしてるのさ。買い物に行けば、荷物を持つのは俺の役目だ。夕方の風が冷たければ、自分の上着を脱いで着せてやるのさ。
意外だって?
俺はこう見えて、女性には優しいのさ。
なにしろ、7月から2か月以上出張で家を空けるからな。
せめて、今できることはやっておいてやらないとな。
とはいえ、それはあと数日しかできないんだが。

その仕事のことを考えると、いろいろと不安になる。
果たして俺にできるかどうか?
工期内に問題なく、事故なく、何事もなく終わらせることが出来るかどうか?
クライアントが満足するだけの働きができるかどうか?
初めて一緒に仕事をする職人さんたちと、うまく意思疎通できるだろうか?
名古屋弁はきっと通じないだろうしな。不安がつのるぜ。

そのために図面と工程をできる限り頭に入れようとはしているけれど、実際に打ち合わせていないとわからなことが山ほどある。
何時だって、新しい現場に乗り込む前は、不安でいっぱいだ。
どれだけ経験を積んでも、現場では予想もつかないことがおこるからだ。
予想もつかないことがおこったとき、どれだけ素早く状況を把握して、最善の対処法を考えることができるかが、俺の手腕の見せ所だ。
そのためには、今のうちにイメージトレーイングして、不安要因をできるだけ洗い出しておかないとな。
俺は悲観的な楽観主義者なのさ。悪い事態を想定しておけば、うまくいったら御の字って思えるだろう。

もちろん、カミさんの体調のことも心配だ。
俺が家を空けている2か月間、無事にひとりで生活できるだろうか?
この2か月の間は、非常に重要な時期なんだ。出来ることなら、ついていてやりたい。
なにしろ、俺にもカミさんにも、万が一の時に頼りになる親類なんていないからな。すぐ近所に住んでいる俺の親父は、まったくもって、こういうことには役に立たないし、恩着せがましい男だから、あまり頼りにはしたくないんだ。

そして、先日やらかしちまった事故の件も、なかなか進展せずにもどかしい。
車の修理費の見積もりなんて、なんと驚愕の60万円だ。いくら保険に入っているって言っても、腰が抜けちまうぜ。
責任割合の件でも、どうやら保険屋同士でもめているようだしな。

正直に言っちまえば、とてもこんな状況で長期出張なんてやってられないんだが、俺もいつまでものんびり遊んで暮らしているわけにはいかないんだ。稼いで飯を食っていかないといけないんだ。遊ぶ金だって、そこそこ必要だ。

いろいろと考えると、いてもたってもいられない。
そんな時こそ、一人静かに暗室にこもってプリントでもしてみたいが、カミさんの調子が悪いのに、のんびり趣味に没頭するってのは、なかなかに難しいもんだぜ。
そうこうしているうちに、出発の日は、刻一刻と迫ってる。新しい修羅場が俺を呼んでるんだ。
そう、なんだかんだいっても、結局は立ち向かうしかないんだ。

そんな鬱屈した思いを抱え込みながら、せめて今だけはハウスハズバンドのように暮らしているんだ。かつてのジョン・レノンのようにね。

読者諸君、失礼する。俺だって、たまには弱気になるもんさ。けど、走り出したらそんなこと言っちゃいられないだろうよ。

2015/06/28

Post #1544

Hamburg,Germany
さて、今日は地元選出の自民党国会議員の事務所に行ってみようかとも思ったんだが、カミさんの体調もすぐれないので、メールを送ってみることにした。実際に乗り込んで一席ぶってやるよりも、インパクトとしては劣るけれど、言葉を選んで話すこともできるしな。それに俺の風体じゃ、不審者がやってきたって門前払いを喰らっちまうことになるに決まってるだろう?
今日は、俺がその国会議員さんのHPの連絡フォームから送ったメールの全文を掲載してみようかな。

『江崎鉄磨様

私は、一宮に住む一市民です。
昨今の安全保障法制をめぐる自民党の姿勢には、日本国憲法のもとで日本国民として生活している一市民として、三権分立と立憲主義の軽視が甚だしいと感じております。
私自身は、自民党の政策に日頃から違和感を持つものですが、古くからこの地で繊維業に携わる私の親族には、先代の真澄氏以来のあなたの支持者が何人もおります。このものたちですら、昨今の自民党の姿勢には、疑問と不快感を感じております。
とりわけ、先日の若手議員を中心とした懇話会での、報道言論の自由を軽視し、沖縄の人々を貶めるような発言には、憂慮とともに不快感を禁じ得ません。
ご自分たちは自由闊達な発言を行い、在野のマスコミが自分達の意図に反するような報道を自由闊達に展開すれば、弾圧も辞さないというような狭量なお考えの方々に、国の行く末を託すならば、我が国は再び道を誤り、本当のことを言えず、真実を知ることすら出来ない暗い時代へと逆行し、多くの国民が苦しむことになることでしょう。
内閣の見解で憲法の解釈が如何様にでも変更可能と自民党の皆さんがお考えならば、次の国政選挙では、私も私の親族も、自民党、そしてあなたに投票して、国政を委ねることは絶対にしたくはありません。
国民の範たるべき政治家が、国法の礎たるべき憲法を、自らの思惑で恣意的に解釈するならば、その政治家諸氏が議論して定めた法を遵守尊重する国民は、この日本からいなくなってしまうことでしょう。
今こそ、貴方の一政治家としての見識と器量が問われているのです。
そして、その結果如何によっては、私たちも貴方に対する立場を明らかにして、行動して行かねばなりません。
つまり、たとえ現在の自民党を中心とした安倍内閣によって、国民をアメリカの世界戦略の捨て石にするような安全保障法案が可決されたとしても、次の選挙では、もっと現行憲法の意義と精神を遵守し、憲法に反するような法を廃止してくれる政党、候補者に私たちの参政権を委ねるつもりです。
昨今の政党政治では、党議拘束が一般的であり、個々の政治家が自らの良心と見識、そして政事信条に基づいて行動することは、殆ど見受けられません。
しかし、今私たちは貴方も含めて、一人一人の政治家の振舞いを、今だかつてないほどの関心を以て注視しています。

とるに足らない一市民の声かも知れませんが、よくよくご勘案くださいますよう、お願いいたします。』

この後に、自分の名前と連絡先を記入してお送りさせていただいた。
どんな返事が返ってくるのか、楽しみだ。
まぁ、スルーってことも大いにあるだろうけどな。そん時は、覚えとけよ!

読者諸君、失礼する。俺は権力のある奴におもねったり、自分のゴールデン・ソウルが認めないことをするのは御免なんだ。君たちが誇れる無謀な野郎でいたいのさ。

2015/06/27

Post #1543

Malmö,Sweden
胃カメラを呑んできた。
下世話な話で恐縮だが、先日、トイレに行ってケツを拭いたら、紙に墨汁の様に真っ黒なのがついていたんで、これは胃潰瘍だか十二指腸潰瘍だかかもしれないと思い、検査することにしたのだ。
結果、俺の胃と十二指腸は処女のおまんこのように綺麗なもんだったぜ。
では、いったい何でそんなことになったのか。
思い当たる節はある。
俺はその前の晩、KAGOMEの『野菜生活100』っていう、ポリフェノールたっぷりで、紫色した野菜ジュースを、風呂上がりにぐびぐび何杯も飲んでいたのだ。
俺は思わず、お客様相談センターに電話して、そんなことってあるのかいって訊いちまったよ。
そうしたら、やはりメーカーでも、そういった事例は多々ございますとぬかしやがった。
冗談じゃないぜ。検査代4500円払ってもらいたいもんだぜ!
さすがにそこまで要求する気にはなれなかったが、ちゃんとパッケージに明記しておけよって言ってやったぜ。
ふん、これで俺も立派なクレーマーってことさ。

しかし、本当に俺がクレームをつけたいのは自民党のド腐れ集団だ。

日本各地で、自民党議員さんのもとに、地元の支援者から、安保法案可決に向けた傲慢きわまる国会運営に、非難GOGO!批判の声が寄せられているという。次の選挙では、あなたを支持しないという声が、自民党議員に次々寄せられているというのだ。
奴ら、先生とかいって偉そうにしているが、偉そうにさせてやっているのは、実は俺たち善良な市民の皆さんなんだ。もっとも、俺は共産党支持者だがね。だから、俺たち一人一人の市民が、議員たちに文句を言えば、奴らは落選=失業を恐れて、日和見だすに違いないぜ。

さぁ、君も君の町の自民党議員さんの事務所に出向いて、もう二度とあんたに投票しないって、はっきり言ってやろうぜ!

自民党の皆さんの増長はあまりにも目に余る。
今朝の朝日新聞の記事を見て、俺はひっくり返ったぜ。
見出しは「報道 広告主を通じて規制を」だ。リンクが貼ってあるからぜひ見てほしいが、大まかに言えば、安倍首相に近い若手議員が立ち上げた『文化芸術懇話会』なるお勉強会の会合で、議員たちは、『マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番。経団連に働きかけてほしい』とか、『悪影響を与えている番組を発表し、スポンサーを列挙すればいい』などという意見が出たそうだ。
これに奮発反発しないようメディアは、とっとと看板を下ろして廃業したほうがいいぜ。

もちろん、これは明確な憲法違反であることは、中学生でもわかる。
俺たちの国の政治を執り行っているのは、中学生以下の常識しかない阿呆どもだってことだ。
こりゃ、自民党議員さんの事務所に行って、絶縁状を叩きつけたくなるってもんだよな。

これって、いったいどこの国の話だよ。
報道の自由、言論の自由はこの国にはないのかい?
政権に都合の悪いニュースが突如カットされたりする中国や、プーチンを批判すると何者かに暗殺されるロシアと、何にも変わりはしないじゃないか?
この国は、ほんとうに民主国家なのか?
立憲主義はどうしちまったんだ?
それとも、政治家が居酒屋でくだをまくおっさんの様な無責任で見識のない発言をするのも、言論の自由だから、何を言っても勝手だってのか?
それは違うだろう?
政権に都合がイイのは、グルメ番組やくだらないバラエティー番組だっていうのかい?
そういうのを、愚民政治っていうんだぜ。

俺は昼飯を食いに入ったラーメン屋で、今度はこの記事に関する中日新聞の報道を見て、ラーメンを吹き出しそうになっちまった!

この会合には、講師役として作家の百田尚樹が出席していたんだが、彼はこの場で、『沖縄の二つの新聞は潰さないといけない。あってはならないことだが、沖縄のどこかの島が中国に取られれば、目を覚ますはずだ』とご高説を開陳なさったそうだ。
詳細はこちらライブドアニュース『百田氏「沖縄2紙つぶせ」発言は「雑談の中で冗談として言った」
しかも、自らのツイッターで、部屋の外からそれを盗み聞きしたマスコミを、卑劣だとこき下ろしている。
ちなみに、この懇話会の代表である木原稔自民党青年局長さんは、『ベストセラー作家から、改めて言葉の大切さを学びました』とかほざいているが、これはもう、苦笑いするしかないレベルだわ。

この一方で、自民党ハト派の『宏池会』の会合は、中止させられている。

あまりにひどい!

この件に関する、辻本清美の安倍総理に対する追及が傑作。政権寄りの報道でおなじみの政権の提灯持ち、産経新聞の記事のリンクも貼っておくかな。辻本氏「ソーリ 言い訳しないほうがいいですよ」に安倍首相逆ギレ!

読者諸君、失礼する。あまりのひどさに、開いた口がふさがらないぜ。俺はこの週末、俺の街出身の国会議員、江崎鉄磨の事務所に行ってみようかな。こいつの甥っ子とは高校時代、同級生だったからな。

2015/06/26

Post #1542

Copenhagen,Denmark
昨日の事故の関係で、四六時中電話がかかってくるので、何も手につかない。
他にも、なんだかんだといろんな電話がかかってくる。
生命保険のおばさんは、書類にハンコが足らないとやってくる。
カミさんの体調も芳しくないので、掃除洗濯はもちろん、朝夕カミさんの仕事の送迎と集中するひまもない。昨日の夜なんて、食事まで作ってしまったくらいだ。まぁ、暇と言えば暇だからかまわないけどね。
しかも、悩みのタネはそれに尽きないんだ。
夜が明けたなら、俺は病院に行って胃カメラを飲む羽目になっちっまった。
やれやれ、俺の人生ときたら、まったくどうかしてるぜ。

そうして、何一つまとまったこともできないうちに、一日が終わるんだ。

ふと、人生そのものもそんなもんなんじゃないかって、うすら寒い思いがこみ上げてくる。
この暑いさなかに、薄ら寒いおもいとは、結構なことだ。

何も手につかないついでに、今夜はブログを書き進めるのも気が進まない。

そんなわけで読者諸君、失礼する。要するに、今夜は気分が乗らないのさ。そんなときもあるってことさ。

2015/06/25

Post #1541

またもや、車で事故ってしまった。左折しようとして原付を巻き込んでしまったのだ。
ウンザリだ。それについては、もう書く気にもならないぜ。
まぁ、一言でいえば身から出た錆って奴だ。
Bremen,Germany
承前。
昨日の話の続きだから、昨日読んでいない君は昨日の記事を読んでからね。人生なんて、いつだってそんなもんだ。

声を合わせて移民排斥を訴えているらしいゲルマン民族の皆さんに、一人の男が我慢ならないといった風情で、歩み寄って行った。
その足取りは力強く、肩のあたりには言葉にならない怒りが立ち上っているように見える。
大柄なドイツ人の皆の衆に対して、彼は小柄で、薄汚れた身なりで、サンドバックの様な袋を肩にかけている。
トルコ系の男だろうか。
ひげを生やした顔に輝く眼は、怒りに燃えている。
多勢に無勢、しかし臆することなく向かっていく。なんて勇気があるんだ!
自分たちの権利と尊厳を、断固として守ろうという意思が感じられる。

しかし、勇敢な男がレイシストたちの胸ぐらをつかむ前に、屈強な武装警察官が2,3人、疾風のような勢いで走ってきて、彼を制止する。そして、何とか彼の歩みを阻止して、諍いがおこらないように俺たちが対岸の火事のように眺めている、大通りのこちらに連行してきた。
仕方ない。ここで小さなつかみ合いを発端にして、暴動みたいなことになったら大ごとだ。警察としては、止めるべきなんだろう。
それはわかる。
分かるんだけれど、心情的にまったく納得いかない。
つまり、俺の感じた思いはこういうことだよ!

おいおい、お巡りさん方よ、本当に黙らせるべきは、その勇気ある移民のおじさんじゃなくって、移民排斥を訴えて大盛り上がりの連中のほうだろう!違うのかい?どっちが正しいと思ってんだ?

そりゃ、言論の自由があるから移民の排斥を訴えたって、罰せられることはないだろうよ。

けれど、自由ってものには、節度ってものが必要だと俺は思うぜ?
Bremen,Germany
移民のおじさんの怒りはまったくやむことがない。
自分よりはるかに背が高く屈強な警察官たちに対して、厳しい表情で怒りをぶちまけている。
その剣幕に、応援が必要だと思ったのか、それともただ状況把握しておきたいだけなのかわからないが、さらに何人かの警察官がおじさんのもとに駆け寄ってくる。
おじさんは、終始ズボンのポケットに手を突っ込んでいたし、その袋の中も何が入っているかわからない。ポケットの中には、何らかの凶器が握られているかもしれないと警察官なら思うだろうし、おじさんの頭陀袋も、中にどんな武器弾薬が隠されているか、外からはわからない。
分からない以上は、万全を期すというのが、プロフェッショナルだ。

高校時代に、自転車泥棒と間違われて、10数人のお巡りと3台ほどのパトカーに包囲され、制圧されかかった経験のある俺は、こんないかつい武装警官が何人も取り囲んでいたら、さぞかし気持ちが萎縮するよなっておもったのさ。俺ならこの状況で自分を抑えずに振る舞うことは、難しいかもしれんな。
けれど、おじさんはひるまない。
いつまでも、警察官相手に思いのたけをぶちまけている。
俺が思うにきっと、ドイツ人に対する不満があるんだ。生粋のドイツ人は、自分たちがやりたがらないような低賃金で、肉体を酷使するような汚れ仕事は、移民の仕事だと思っているんだろう!とか言っているに違いない。
自分たちはそんな仕事には見向きもしない癖に、自分たちの仕事を、移民が奪っているというのは、まったくおかしいじゃないか?これを差別といわなくて何を差別っていうんだ?
俺たちは奴隷じゃないんだ!同じ人間だろう!

そんなことを言っているんだろうと、想像してみた。

俺は、ついさっき見かけた駅の掃除夫のおじさんのことを思い出していた。
生粋のドイツ人が、サッカーの試合に浮かれて、ゴミを投げ捨てたそばから、やるせないような悲しいような表情で、黙々と掃除をしていたおじさんの顔に刻まれていた皺を。日に焼けて鞣した革のようになった肌を。
言葉がわからなくても、国が違っても、自分の身に引き寄せて、彼の立場に立ってみて考えれば、何を言っているのか、容易に想像がつく。



Bremen,Germany
警官相手に思いのたけをぶちまけたおじさんは、憤懣やるかたないといった風情で、移民排斥を訴える連中の背後を通り、駅に消えていった。

俺は、自分の目の前で起きた出来事の意味を考えてみる。

正直に言って、移民排斥を唱える人々は、俺には何かを恐れているように見えた。
経済的に仕事を奪われることを恐れているというだけでなく、彼らがいままで思い描いてきた、ゲルマン人の住む国ドイツと言う共同体が、多くの移民を受け入れることで、その自己同一性を保てなくなることを恐れているように思えた。
つまり、ドイツがドイツでなくなってしまうことを恐れているように思えたんだ。浅黒い肌をしたドイツ人、黒い肌をしたドイツ人、黄色い肌をしたドイツ人。彼らはそれが一番恐ろしいのかもしれない。

ヨーロッパを旅してみれば、実に多種多様な民族が混交していることに気が付くだろう。
もともとヨーロッパに住んでいるコーカソイドだけでも、東西南北でずいぶん違う。文化も肌の色も、言葉も違う。
それに加えて、道義的な観点と植民地を持っていたという歴史的な因縁から、ヨーロッパは様々な地域から、様々な宗教、文化、民族に属する移民や難民を受け入れてきた。
アフリカ系、インド系、トルコ系、アラブ系、アジア系。実に様々だ。
それは、日本に暮らしていると、想像もつかない軋轢を生む社会だ。

どこの社会にも、人々の集団と集団の間には、絶望的な断絶が存在する。

だからこそ、たった一人のニンゲンとして、他者に真摯に向かい合い、相手のことを思いやるべきなんだと俺は思う。
その時、たった一瞬でも人は深い断絶の谷間に、想像力によって橋を架けることができる。
そして、私たちの間には、違いよりも、似通ったもののほうが多いはずだ。きっと。

俺はそう信じている。
俺は、差別する側と差別される側があるのなら、差別される側に与したい。
なぜって、差別し誰かを貶めようとする者は、自分が貶められることを認めているのと同じだからだ。
俺は、自分が大好きだし、自分を貶めることはしたくない。
俺は、自分と違う価値観のニンゲンを恐れて、遠ざけようとするような臆病者ではありたくない。
未知なものを受け入れ、違う価値観を理解し、より豊かな世界を見出したい。
そして、短いこの人生を、もっと楽しみたい。

読者諸君、失礼する。俺も考えるさ。君も考えろよ。

2015/06/24

Post #1540

Bremen,Germany
ブレーメンに泊まった日、春のヨーロッパの日没は遅い。
まだ十分明るいのだが、もう時刻は20時近かったと思う。
俺たちはぶらぶらと写真を撮り歩きながら、手ごろな食堂を探してブレーメンの中央駅のあたりまでやってきた。
サッカーの試合を終えて、はしゃぎながら駅に向かう屈強なドイツ人たちの姿が、あちこちに見受けられる。どこか浮かれたような、それでいて倦怠感を漂わせたような雰囲気だ。
それが、駅のすぐ手前に来ると、空気ががらりと変わった。
トラムの走る大通りのそこここに、重装備の警察官が険しい顔つきで立っている。
見渡せば、たくさんのパトカーや装甲車みたいな警察車両があちこちに停まり、その周りにも、屈強な機動隊員の様な警察官が何かを見張っている。
ピリピリした緊張感が辺りを包んでいる。
ひょっとしたら、サッカーの試合の成り行きが面白くなかった連中が、暴徒化する恐れがあるということで警戒しているのかと、俺は考えたんだ。そう、いわゆるフーリガンって奴だ。しかし、途中で見かけた連中は、確かにビールはしこたま飲んでいたようだが、そんなささくれた雰囲気ではなかった。腑に落ちん。
俺たちは、何があるのかよくわからないが、そもそもドイツ語を解さない悲しさ、なにもわからぬまま、信号無視とかで警察官に叱られないように、駅に向かって大通りを渡って行った。

すると、駅前広場でプラカードを掲げた人々が、集まっている。
Bremen,Germany
俺は、駅に用事があるような素振りで、その連中の前を通り過ぎながら、ノーファインダーで写真を撮る。警察官がこっちを見ている気配がする。
スーツにひげの男が見える。しかし、多くはフードのついたスポーティーな服を着た、見るからにワーキングクラスの若者たちだ。イギリスならCHAVと呼ばれ、この神州日本国ではヤンキーとカテゴライズされるような連中と、同じようなオーラを放ってる。

ヤバいな・・・。
こういう奴らが寄り集まると、ろくなことにはならないぞ。屈強な警察官たちが刺激しないように遠巻きに監視していたのは、職質キングの俺じゃなくて、奴らだったのか…。

しかし、写真に撮りたい。いったい何が起こってるんだ?

相変わらず何を主張しているのか、俺にはさっぱりわからないが。だがこの手の連中を刺激するのは、非常にまずい。何かあれば警察官が制止するだろうけれど、多勢に無勢だ。
連中の視線が、俺にまとわりつくように注がれているのを感じる。
俺は、それを振り切るように、さも何の興味関心もない風を装って、足早に通り過ぎる。とはいえ、しっかりシャッターを切りながらね。

さて、俺たちはなにか気の利いた店でもないものかと、駅のコンコースを物色してみたが、立ち食いのサンドイッチ屋みたいな店しかなかった。そこでは、地味なコートを着た、いかにも冗談の通じなさそうな顔のおじさんたちが、ビールを飲みながらもそもそと、さほど旨くもなさそうに口の中に食い物を押し込んでいる。
こんなところで晩飯を食うのは御免蒙るってもんだ。
仕方ない。もう一度駅を出て、街中で探すことにいたすか。
駅の外では、サッカーチームのサポーターたちが、浮かれた風情でビールを飲みながらよたよた歩き、飲み切った瓶をそこいらに投げ捨てている。あるいは、食い物の入っていた紙袋なんかをそこいらに放り投げる。そうしてゲラゲラ笑っている。それを横目に見ながら、速やかに掃除をしているのは、トルコ系だろうか、明らかに移民のおじさんだ。
汚れ仕事はやはり移民の仕事なのだ。
ドイツ人は白くてデカいをゆするようにして、オーレ、オレ、オレ、オレ!と陽気な太い声で歌っている。
小柄で痩せた移民のおじさんは、薄汚れた作業服を着て、やるせない表情を浮かべながら掃除を続ける。
そういえば、移民のサッカーファンなんて、見なかったな。みんなゲルマン民族だった。そういうもんだ。移民の皆さんには、そもそもサッカーなんか見に行くような休みはないんだろうよ。
Bremen,Germany
外に出ると、プラカードや横断幕を掲げたデモの連中は、大騒ぎしている。さっきよりも人数も増えてるし、みんなで声を合わせて何かを大声で叫んでいる。
拡声器で何かを叫び、アジテートしているんだが、声が割れてよくわからない。時折拡声器についている甲高いサイレンを鳴らしては、怪気炎を上げている。若者がにやついている。若い女の子もいる。
こいつらはいってぇ何を訴えてやがるんだ?
しかし、これだけ警察官が取り巻いてるってことは、ろくなことじゃないのは確かだ。
なぜか、そこに交じってる若い衆のにやけた笑顔に、不愉快な引っ掛かりを感じて、無性に腹が立った。
Bremen,Germany
俺は、大通りの反対側にわたり、少し離れたところから眺めてみることにした。
大方の人々は、ちらりと見るだけで、特に注意も払わずに歩き去ってゆく。
俺は、自分の隣に立って、同じようにデモを眺めているそこいらのおにいちゃんに、奴らはいったい何を訴えてるのか聞いてみた。彼はドイツ語しか分からないようだった。日本人と同じだな。
そのおにいちゃんも、あんまり頭が良くなさそうで、乏しい英語のボキャブラリーで、どう説明したものか困っている様子だったが、『奴らは、このドイツにアフリカやアジアから移民が働きに来ることに、反対してるんだべ。出て行けって言ってるんだべ。まったくクレージーだ』そういって、肩をすくめて困ったような顔をした。言葉に詰まりながら、なんとか状況を説明しようとしてくれたこのおにいちゃんの態度に、俺はすごく好感を持った。道の向こう側の連中とは、見た目やクラスは同じでも、その心は健康だった。俺は彼に心から感謝したよ。

そうか、つまり奴らは、レイシストだってこった。人種差別主義者だよ!
おぅ、なんてこった!
かつてユダヤ人を差別して、生きながら毒ガス室に送り込み、その髪の毛を刈り取って潜水艦の断熱材に使ったドイツにも、未だにこんなレイシストがいるなんて、俺には驚きだぜ。
反省が足りないのは、我が日本国だけではなかったんだ!

そして、俺には奴らが俺を見る目に、なにか不愉快な印象を感じた意味が、いまはっきり分かった。
そう、俺は誰がどう見てもバリバリの有色人種で、奴らがドイツから出て行けと糾弾している貧しい人々と、ドイツ人がやりたがらない汚れ仕事をやって、社会を底辺で支えている移民の皆さんと、まったく同じカテゴリーに属すると思われてたわけだ!
つまり、俺はここでは明らかに差別され、排斥される側のニンゲンだったわけだ。
BINGO!

やれやれ、参ったなぁ・・・。こんなところにきてまで、東方君子国が世界に誇る在特会みたいな連中に遭遇する羽目になるとはねぇ。FUCK OFF!

自分たちと違う集団に属する人間を差別し、自分たちの社会から追い出そうとする連中は、はっきりって世界中にいる。そんな手合いは、俺に言わせれば、ケツの穴の小さな田舎者だ。
俺は、人種や言葉、肌の色や宗教、性別や資産の多寡で人間を差別する行為には、いつだって反対だ。反中だの嫌韓だの言ってる奴らを見ると、不愉快になってくるんだ。
なにしろ俺はこの年まで、ずっとロックンロールでやってきたんだぜ。
俺が少年の頃は、まともなロックミュージシャンは、当時人種差別が大々的に行われていた南アフリカで、自分たちのアルバムを売ることを、きっぱりと拒否してきたんだ。ジャケットに必ず『アパルトヘイトの南アフリカでは、このアルバムは売らない』って書いてあったものさ。まだ、マンデラさんが牢屋にぶち込まれていた時代だよ。そのロックな精神は、俺の中で燃え立つ火柱のように、いまでも輝いてる。
俺はどんな差別もされたくないし、したくないのさ。
だってそうだろう?誰かを差別する人間は、誰かに差別されても文句は言えないんだぜ。自分がされて嫌なことは、人にもしちゃいけないぜ。
俺が人間を判断するのは、その人の行動によってだ。肌の色や国籍や性別、そして宗教なんかで判断するつもりはないのさ。それは恥ずかしいことだ。

読者諸君、失礼する。この話は、なんと次回に続く。

2015/06/23

Post #1539

Copenhagen,Denmark
先日、父の日だってんで俺はカミさんと自分の父親の三人で飯を食いに行ってきた。
親父のウォーキング仲間がやっているという古びた中華料理屋だ。
看板には昔懐かしい闘将ラーメンマンが描かれている。
若者にはラーメンマンなんて、なんだかさっぱりわからないだろう。

親父は寂しい独居老人なんで、俺に誘ってもらって大喜びでゴキゲンだった。ついでに言うと、俺の勘定で、自分の顔見知りにいい顔ができるってんだ、目じりも下がるってものさ。
餃子とチンジャオロース、酢豚にチャーハン、肉天に生中で〆て4900円だ。領収書を忘れるな!

ニンゲン、ゴキゲンになると、昔話に花が咲くもんだ。
そう、人間75歳にもなると、もう過去の追憶の中に生きるしかないのさ。そこでグダグダ文句をつけてはいけないよ。今更親父の人生を否定して、嫌な気分にすることもないだろう。あくまで今日は父の日なんだから。
確か、俺の親父と写真家の荒木経惟は同じ年に生まれていたはずだ。
ついでに言うと、ジョン・レノンも同じ1940年生まれだ!わお!
参考までに申し上げると、荒木経惟には、子供はいない。ジョン・レノンにはジュリアンとショーンがいる。俺の親父には俺を筆頭に四人の息子がいる。
さて、いつも同じ話で退屈極まりないが、辛抱して聞いてやるか。

そんな中で、戦争中、終戦後すぐの話が出てきた。
俺の親父は戦争中は爺さんと一緒に大陸にいたんじゃなかったかな。
引き揚げてきてからは、とにかく大変だったらしい。
ふと、親父は俺に『おまえ、戦争になったらどうするよ』と、ドロリとした酔眼で問いかけてきた。

酔っぱらいにしちゃ、鋭い質問だ。

『へん、俺は山にでも逃げるさ。兵隊になんかなるのは御免だしな』
俺は反射的にそう答えたけれど、果たしてそんなに簡単に逃げ切れるかな。
戦争になったら、いったいぜんたいどこに逃げるっていうんだ?
女や子供を連れて山のなかを彷徨うのか?勢いでそう答えたけど、そいつは無理だ。山の中にはコンビニもないしな。

海外に亡命するのか?しかし、この国はどこの国にわたるにも、海を越えてゆかねばならないんだぜ。しかも、日本の周りには仮想敵国の北朝鮮、アメリカの仮想敵国である中国、日本を仮想敵国だと想定し続けている韓国、おまけに領土的野心満々のロシアだの、なかなか錚々たるメンツがそろっている。
しかも、日本はなんだかんだ屁理屈をこねて、難民をまったく受け入れようとしない国なんだ。金だけ出してやるから、宗教や文化や人種の違う連中を、この島国に入れてくれるなってケツの穴の小さな国なのさ。そんな国のニンゲンが、いざ自分のところがヤバくなったからって、どこぞに受け入れてもらえるわけがないだろう?
そうさ、俺たちゃどこにも逃げられやしなのさ。

政府が、国が守ってくれるって?
先の戦争のとき、沖縄や満州で、一般市民がどんな酷い目にあったのか知らないのか?
いざという時にゃ、お上は国民を守ったりしちゃくれないんだぜ。現に今だって、福島の原発事故は収束していないのに、被災者への生活支援は打ち切られようとしている。そして、その人たちの暮らしていた町は、廃墟のように荒れ果てている。
歴史的な円安と張りぼての様な好景気?の裏では、女性や若者は派遣労働者という二級市民として、階級固定されようとしている。
生活保護は削られ、他人事のようにしか見ていない人々は、それを歓迎している。努力が足りないからだって。財務省が大喜びだ。
税金は引き上げられ、海外からの物資は円安のせいで値上がりを余儀なくされている。
人々は、なんだかカエルをゆでるみたいにして、気づかないうちに窮地に追い込まれていく。
そして今や、この国に生まれた子供たちは、その瞬間に一人あたり800万円もの借金を背負わされてる。この国の借金は、それほどに膨らんでいるのさ。

彼らが、君を助けてくれたことがあるのかい?

国家には、いや政治家や官僚には、一人一人のニンゲンの姿なんかまるで見えちゃいなんだ。
もちろん、未来のあるべき社会の姿なんか、これっぽっちも見えちゃいない。

だから、戦争が起こっても、けっして奴らは、助けてはくれない。

詩人の金子光晴は、戦争末期、自分の息子に召集令状、いわゆる赤紙が届いたとき、息子を裸同然の格好にして、何十キロもの荷物を背負わせ、雨のなかに放置したり、煙でいぶしたりして、無理やり病気にして、兵士にされないように徹底的に抵抗したんだ。
やるな、金子光晴。まったくアナーキーとはあんたのことさ。

俺は自分が殺されたり殺したりするのは、絶対に御免だが、自分の子供が兵隊にとられ、どこかで弾に当たって死んじまうってのも、絶対に納得いかねぇ。俺は断じて許せねぇ。

我らが安倍首相は『集団的自衛権の行使に際して、自衛隊にある程度のリスクがあるのはやむ得ない』といっているが、そのある程度のリスクとは、俺や君の大切な人かもしれない誰かが、弾に当たって、あるいは戦争中の日本軍みたいな自爆攻撃で、虫けらのようにぶち殺されるという危険があるということだ。

君は、死ぬのは自分じゃなけりゃ、お国のために自衛隊のニンゲンが死んでも構わないのかい?
君は、この日本がアメリカの戦争のお手伝いをすることで、国際的なテロ組織の標的にされ、自分たちの住む町で、報復テロが行われ、君の大切な人が巻き添えになって死んでも、かまわないのかい?勇ましいことを言うのは簡単だぜ。けど、失われた命は、もう二度とっもどってこないんだぜ。よく考えよう!

そして、それをあっさりと、リスクだなんて血の通っていない言葉で片付けてしまうのかい?

俺は絶対に納得いかねぇ。俺は下りるぜ。
亡命だ、とんずらだ。難民になるんだ。
頼んだぜUNHCR(国連高等難民弁務官事務所)
でも、どこへ?どうやって?

だから、俺は親父には、あっさりそう答えてお茶を濁しながら、心の中では、絶対にこの国を、戦争のできる国にしちゃいけないって思ったのさ。

いいかいみんな、何時だって、戦争したがる奴は、自分たちは平和を守ってるっていうんだ。
この国の皆の衆は、昔っから自分で考えるのが苦手だから、すぐにコロリと騙されちまうんだよ。
奴らが言う平和を守るってのは、自分たちのところにちょっかいをかけてくる奴らを、ゴキブリみたいに殺せってことだ。
しかし、ゴキブリは俺たちに対して、さほど脅威ではないけれど、戦争をやってる相手は、俺たちと同じニンゲンで、ろくでもない武器をしこたま持っていて、とびっきり残酷なことを考え出す優れた脳みそと、普通の市民をただの数字としか認識しない冷酷なハートを持っているんだ。
これが脅威でなくて何が脅威だ?

だから、戦争で物事にケリをつけるような国にしては、絶対にダメなんだ。

自民党や自称平和の党の公明党が進める、安全保障法制なんて、絶対に成立させちゃならない。あれはアリの一穴だ。せっかくの70年の平和が、そこから崩れて行ってしまうんだ。自分たちの好きなように憲法を捻じ曲げて、俺たちをたぶらかそうってしているのさ。
そして、いったん法律ができてしまったら、それに反対するものは、法律違反で豚箱行きだ!
そうなったら、この国のお偉いさんたちには、中国だとか、北朝鮮だとか、エジプトだとかのことを、とやかく言う資格はないぜ。

平和ボケ?何とでもいってくれよ。それともそういうことを言うあんたは、自分でアフガンだかシリアだかにいって、ランボーみたいに大暴れしてきた経験があるのかよ?
お国のためだとかいう大義名分を吹き込まれて、うっかり死んでる奴よりも、愉しく生きてて、あいつすっとぼけてるぜって、みんなから馬鹿にされるほうがよっぽどましだ。

それに、戦争や暴力で物事を解決しないってのは、すごく勇気のいることなんだぜ。
俺は大人だから、どっちが勇気が必要かって、分かっているんだ。

読者諸君、失礼する。君も自分で考えろよ。戦争がおこったら、君はどうするんだ?君の大切な人や、君の子供を、どうやって守るんだ。いいか、考えるんだ。自分自身の問題として。

2015/06/22

Post #1538

Bremen,Germany
俺はいつも、自分のことばかり話してるように見えるかもしれないけれど、自分ではそうは思ってないんだ。
この世界の事や社会のことを、自分の経験したことや学んだこと、そして何より自分が正しいと信じていることに照らし合わせて、自分の力で考えて、自分の言葉で語りたいと思っているんだ。

それが正しいかどうかは、俺には分からない。もちろん、俺は自分でできるかぎり研鑽して、借り物の知識じゃなくて、自分の実感として腑に落ちるところまで考えて、それが君にどう伝わるのかを考えて語っているつもりなんだけどね。

だから、漠然とした日常描写の中に、とっても大事な考えを、そっと忍び込ませてみたくなる。
ただ字面だけおっていたら、大人になりきらない中年男のぐでんぐでんな日常茶飯事に見えるかもしれないけれどね。
けれど、どっかの学者や批評家が書いた言葉を、そのまま俺が語っても、上滑りするだけで、君の心に何も残りはしないだろう?

たとえば、中年男のだらしのない欲望を語っているように見えて、家族制度や男女の性愛の形を規定する社会通念に、俺なりに疑問を呈したりしてるわけだ。
もし君に行間を読む力があるのなら、この男、なんだかおかしなことを真剣に考えているなとか思ってくれると、嬉しいものさ。
あるいはまた、自分が出会ったおかしな人のことを語るときに、その人をそのようにさせている社会そのものについても、ひっそりと語りたいと願っているんだ。
ときには、俺たちの暮らすこの日本とは、まるっきり違う国での体験を書くことを通じて、俺たちの社会の抱えている病理を影絵のように映し出したりしたいと思っているんだ。

自分の目で見たこと、聴いたこと、触れたことすべてが、世界の断片で、何かのメッセージを、俺に訴えかけてきているように思えるのさ。
残念ながら、そのすべての意味を汲み取ることなんかできやしないけれど。
俺はそれを理解するだけの感性と知性が欲しい。そして、自分がいまここにある意味を知りたい。
そう思っているのさ。


小説家、高橋源一郎が、2011年4月から毎月一度、反日新聞として保守の皆様に毛嫌いされている朝日新聞紙上で続けてきた論壇時評が、一冊の新書にまとめられた。

『ぼくらの民主主義なんだぜ』という、素敵なタイトルの本だ。

朝日新書から出ている。お値段780円+TAXだ。
俺は、少年の頃の自分に、『さようならギャングたち』や『ジョン・レノン対火星人』などで衝撃を与えてくれた(それは俺にとっては、村上春樹や村上龍以上の衝撃だったよ)高橋源一郎が、気さくで穏やかな自分の言葉で展開してくれるこの論壇時評を、毎回楽しみにしてきた。
そこでは、原発や、労働問題や、テロや憲法、俺や君が暮らすこの世界が抱える、様々な問題が取り上げられてきた。
源一郎さんは、俺たちと同じ素人として、つまり一人の市民として、その様々な問題に向き合い、俺たちにも、自分自身で考えるように促してきた。その姿勢は、俺にはとても誠実なものに見えたし、とても好感が持てるものだったのさ。

そして俺は、いつも考えさせられてきた。

出来ることなら、君にもこの本を読んでみてほしい。そこで取り上げられているどの問題も、未だに解決してはいないから。
君は世界や社会のことを考えたって、意味なんてないと思うかもしれない。自分の生活で精一杯だよっていうかもしれない。
けれど、それはけっして無意味なことだとは俺には思えない。
なぜって、俺たちはみんな、この世界に生きているんだし、この社会をかたちづくっているのも、他でもない俺たち自身なんだから。

読者諸君、失礼する。どんなことでも、自分の実感に引き寄せて、そこから考えるべきだと俺は思う。自分の言葉で。

2015/06/21

Post #1537

Katmandu,Nepal
子供には、いつもたいてい好かれる。
ちょっとからむと、写真のようにめちゃくちゃにはじけてくれたりするんだ。たまらないぜ。
昨日も近所のスーパーで、行きつけの美容院の美容師さんと彼女の1歳9か月の娘さんとあった。
この娘さんは、けっこう人見知りするようなんだけれど、俺にはのっけからとびっきりの笑顔を見せてくれた。さすがに抱っこまではさせてもらえなかったけどね。

子供には、どこに行ってもたいてい好かれる。若者にも、なんか慕われる。偏屈なおじさんどもには可愛がられ、生理の終わったようなおばさんたちには、なぜか大人気だ。ついでに言えば、犬には必ず吠えられる。

できることなら、妙齢の女性にもっと好かれたいものだな。

読者諸君、失礼する。

2015/06/20

Post #1536

Bhaktapur,Nepal
先日、俺は新聞を見て思わず笑ってしまったんだ。
小牧市って愛知県の町なんだけど、そこの小学校に雄のヤギが現れて、生徒が避難した挙句、警察署員が捕獲してって話だ。
リンクはこちら➡小学校にヤギ乱入 校庭2周して逃げた 愛知・小牧
おもしろがって笑った後に、なんだかふっとさびしい世の中だなと思ったのさ。

なんでかって?

日本の社会ってのは、人間だけしかいられないように構成されてるんだなぁ・・・、てことを感じたのさ。
犬の糞はお持ち帰りください。猫に、ハトにエサを与えないでください。そんな看板を街の至る所で目にすることができる。人間が管理できないものは、この世に存在してはいけないのか?と思えるほどだ。
ネパールなんて、街中をヤギが好き放題歩いていた。
俺は真っ暗な夜道で雄のヤギを触ってみたら、怒り狂ったヤギに強烈な頭突きを喰らったことがある。あれは面白かったな。マジでビビったけどね。そん時の写真がこれだ。
Bhaktapur,Nepal
ビビった割には、ちゃんと写真を撮る余裕があるのが、俺の素敵なところだろう。
その街じゃ、そんな気性の荒いヤギが、街中を我がもの顔でうろついていても、警察が出動してとらえることもない。小牛ほどもある雄のヤギだぜ?それが町のなかを神出鬼没でうろついてるんだ。世界遺産の遺跡の上で、寝そべったりしてるんだ。
それどころか、その辺の爺さんなんかに、植込みの木の枝を伐って食わせろとねだったりしてるんだぜ。爺さんもよせばいいのに、どっかから長柄の鎌なんかもってきて、食わせるもんだから、ヤギも癖になっちまうよな。

この人間と人間以外=自然がまみれちゃってる感じが、なんだか自由でいいもんだなぁ。

日本は安全で快適だけれど、自由な風が吹いてない気がするよ。
まったく、もっと適当でいいじゃねぇかって思うよ。駅のロータリーにヤギだのウシだのがぶらぶらしてたら、それもおもしろいぜ。それで時間に遅れたからって、人生が終わるわけでもないだろう?

ちなみに、小牧で捕まったヤギは、そのまた隣の春日井市って町のおじさんが、今年の2月に買ったモノだったことが判明したそうだ。なんでも買ってすぐに逃げ出したんだってよ。
いったいこのヤギ、四か月もどこをほっつき歩いてたんだよ。日本もネパールと大差ないのか?
結果、ヤギはこのおじさんのもとに戻ってきたらしいぜ。
良かったな。

読者諸君、失礼する。どうしてそんなにヤギのことを気にするのかって?それは俺が1月11日生まれの山羊座の男だからさ。


2015/06/19

Post #1535

Malmö,Sweden
一日中、次の仕事の図面とにらめっこしていたら、頭の中がウニのようになっちまったぜ。
たまらないな。退屈しのぎにはもってこいさ。とはいえ、これはこれで結構疲れるものなのさ。

だから、今日は写真だけお送りしよう。

読者諸君、失礼するぜ。けっして君のことがどうでもイイって訳じゃないのさ。そんなときもあるさ。

2015/06/18

Post #1534

Malmö,Sweden
俺はいつだって、身に余ることを考えているんだ。
時折、ふと其れを誰かに漏らすと、異常人格者だと思われてしまうけれど、そうじゃないんだ。
反吐が出るとか言われることもある。
しかしそもそも、世間の常識とか倫理ってものは、そんなに完成されたものなんでしょうかねぇ?
結構俺の言うことを理解してくれている友人にすら、絶句されたこともある。
けど、他の人間が言うならともかく、この俺が言ってるんだから、少しは納得してもらえねぇかなって思うよ。

しかしもちろん、俺は冗談で言っているわけじゃない。な~んちゃって、冗談だよみたいな雰囲気を放って、フォローしてみたりもするが、考えていないことなど、口から出るわけない。

俺なりに、真剣に考えて考えて、考えた末にたどり着いた結論だったりするんだ。

他の凡百の男たちなら、玉砕してしまうに違いないことが、俺はなんとか切り抜けられるんじゃないかって思うのさ。そう、俺の思い込みの強ささえあればね。

何の話か分からないって?

う~ん、そうだなぁ・・・、具体的な話じゃないけれど、たとえば、日本全国津々浦々、各都道府県に彼女が一人づついると素敵だなとかいうような話だよ。
しかも、その女たちが、仲良く集まって女子会なんかしてくれたら、男としてはサイコ―だなってような話か。

いや、そのまんま受け取らんでくれよ。
あくまで、たとえばこんな様なニュアンスの話ってだけだからな。
迂闊にそんなことを言おうもんなら、また方々から反吐が出るとか言って顰蹙を買いまくっちまうからな、ネット社会は恐ろしいぜ。

読者諸君、失礼する。人間の愛情って、やっぱり有限なものなのかしら?そもそも、その発想が貧困な気がするぜ。イエス様を見習いたいもんだな。

2015/06/17

Post #1533

Hamburg,Germany
本日は、写真のみお送りさせていただこうかなぁ・・・・。

俺がいったいどういう奴かってことは、君たちだけが知っているのさ。
今更、君たちに、俺のことをとやかく語るのも野暮ってっもんだろう?

読者諸君、失礼する。そりゃそうと、俺の禁煙は、まだ続いているぜ。

2015/06/16

Post #1532

Malmö,Sweden
ぎょえ、いつの間にかこんな時間になってしまった・・・。
明日は朝イチで新幹線に乗って、東京に打ち合わせに行かねばならんと言うのに!しかも、メールで届いた図面を、もう少し読み込んでおかねばならないだろう?

致し方ない。今夜は写真をあっさりとお送りするぜ。

デンマークのコペンハーゲンと、スウェーデンのマルメをつなぐ巨大な橋。この海峡はエーレ海峡と言うらしいぜ。

読者諸君、失礼する。また逢おう!

2015/06/15

Post #1531

Bremen,Germany
法事に行って、久々に親戚とあったり、久しぶりに履いた靴で靴擦れしたりなど、重箱の隅をつつくような細かい話は多々あるんだ。しかし、それを事細かに話してどうするよ?
靴擦れはかなり痛いけどね。左足の小指がパンパンに腫れ上がってるぜ。けど、それはどうでもいいのさ。

さて、今回様々な事情があって、煙草を止めることにした。
どんな事情かは、君の推測にゆだねるよ。
まだちょっと言えない諸般の事情があるのさ。
止めることにしたけれど、この瞬間にも、吸いたくて仕方ないぜ。
ここは一丁、ガムでも噛んで、ごまかすんだな。
禁断症状ってのは、煙草でも十分に辛いもんだな。シャブの禁断症状はホントにきついって友人に聞いたことがあるけど、煙草も習慣性強いからな。
やれやれ、様々な(ろくでなしどもとの)出会いをもたらしてくれた喫煙の悪徳とも、ついにおさらばか?
いったいこの禁煙、いつまで続くのか、自分でも自信がないな。

実は、このブログにもアクセス解析というのを利用しているわけなんだが、なんだかよくわからん海外からのアクセスを除くと、このブログの読者は俺の地元の名古屋界隈、横浜東京あたり、そして大阪界隈に比較的多く分布していることがわかる。
もちろん、個人が特定できないように、あんまり細かなことはわからないようになってるんだがね、俺はそれを見ながら、毎晩、俺のブログを読んでくれている君は、どこにいる人なんだろうかって思いを馳せ、君の人となりを想像してみることにしているのさ。

さて、名古屋が多いってのは、地元だからわかる。
東京横浜も、まぁわからなくもない。リピーターさんもいるにはいるけれど、そうじゃない比率も高い。そりゃもう、首都圏には圧倒的にたくさんの人間が住んでいるからな。当然、一見さんで来る人もおおいと思うよ。
そして大阪方面も一見さんは多いのは多いんだが、実は少数精鋭のコアな読者さんに支えられている。一見さんよりも、リピーターさんのほうが多いんだ。うれしいよ。どうもありがとう。
俺は名古屋人だが、一般的な名古屋人とは気性が異なると言われることが多いんだよね。
じゃぁ、どこの人っぽいんだい?って聞くと、たいていの人はしばらく考え込んで、強いて言えば関西人、大阪人っぽいなっていうのさ。
そう聞くと、数は決して多くはないけれど、大阪のコアな読者さんたちに親近感を覚える。
しかし、ほんとのところどうなんだろうな。このアクセス解析もどこまで正確なものか分かったもんじゃないしな。
もちろん、他の市町村にも、俺を支えてくれているコアな読者さんが散らばっている。
いつもありがとう。皆の衆のおかげで、なんとか今日も書き続けているのさ。

読者諸君、失礼する。とはいえまぁ、そんなこと気にしたって、仕方ないさ。
誰が読んでくれてるのか、そもそも俺には知りようがないし、何らかのリアクションがない限り、カンケーないんだからな。気になるあの子は、俺に興味なしなのさ。

2015/06/14

Post #1530

いつも、自分の拙い写真なり文章なりが、君にどう伝わるのかを考えている。
いつも、自分の備忘録や自己満足にとどまらず、君の心に何か引っかかってくれるとうれしいと思って書いている。
いつも、読んでくれている君が、どんな人なのか、思いを巡らしながら書いている。
いつも、君の心の片隅に、小さな擦り傷のようなものを、遺すことができたならと思う。

今日は両極端な二人の人物について、話してみようか。
Swayanbhunath,Nepal
カトマンズ郊外の丘の上に聳えるストゥーパ(仏塔)はスワヤンブナートと呼ばれる。長い石段を登り、丘の頂上に登ると、美しい仏塔が聳えている。
人々は、その仏塔の周りを廻り、礼拝しているのだ。
この仏塔の脇に、寺院があり、チベット仏教の僧侶たちがその寺院をおさめている。
写真の若いお坊さんは、その寺院であったのだ。
柔和な語り口で、自分たちは麓にあるチベット仏教の僧坊から通ってきているのだと語ってくれた。
薄暗い寺院の中では、彼の先輩だか師匠に当たるのであろう別の僧侶が、経を読み、仏様を供養している。
彼は、カメラを持った不信心者の俺たちが、写真を撮ってもいいものだろうかと戸惑っているのを見かねて、どうぞ写真を撮っても構いませんよと、話しかけてきてくれたのだ。
かの地の僧侶は、日本の坊さんと違って、厳格な戒律を守り修行している。
彼らから見れば、、日本の坊さんなんて破戒僧ばっかりに見えることだろう。
さほど歳をとっているわけでもないように見えるこの若いお坊さんも、その立ち居振る舞い、表情、語り口の全てから、様々な欲望を抑制した、穏やかで円満な人間性を培っていることが分かった。
俺は、静かに寺院の中の様子を何カットか撮影した後、彼の写真を撮らせてもらった。

穏やかなまなざし。口元には、静かな微笑みが浮かんでいる。
まるで、生きながら仏像そのものになったような柔和さだ。
煩悩熾盛のこの俺には、生涯こんな表情を得ることはできないだろうなぁ・・・。
物欲、色欲の塊だからな、この俺は。
俺は、その立ち居振る舞いに敬意を感じながら、快く写真を撮らせてくれたことに感謝の言葉を述べて、薄暗い寺院の中から、陽光溢れる外にでたんだ。

数多の人々が、時計回りに仏塔の中を回っている。
俺たちも、その流れに乗って仏塔の周りをまわりながら、写真を撮っていた。
そのうち、俺に何かを感じ取ったのか、I ♡ NYと書いた緑色のTシャツを着たファンキーな男が、俺に陽気に手を挙げ、アピールしてきた。俺も、気のない感じで手を挙げ、挨拶を返す。
そうこうするうちに、煙草を吸いたくなった俺は、人々の流れから離脱し、丘の上から眼下に広がるカトマンズの街を眺め、ぷかぷか煙草の煙を虚空に吐き出していた。
すると、さっきの男が話しかけてきやがった。
煙草をくれと言うのだ。
別に煙草をくれてやる義理もないが、あまりに馴れ馴れしいんで仕方なく煙草を一本やることにした。ネパールのスーリアって煙草だ。ちなみにスーリアってのはヒンドゥー教の太陽の神の名前だったはずだ。
Swayanbhunath,Nepal
もじゃもじゃした髪の毛と、むさくるしいひげ面だが、どこか憎めない愛嬌がある。この男は煙草をもらってよっぽど嬉しかったのか、頼まれてもいないのに、いろいろと自分のことを、語りだした。酔っぱらっているかのようなでかい声と口調で。
男が言うには、彼はインドのボンベイだかどこかの出身で、このカトマンズに流れ着いたんだという。 と言うのも、彼の奥さんがカトマンズに住む女医で、彼女の仕事があるので、ここを離れて里帰りすることはできないというような話だった。
話の途中で、彼はもう一本煙草をせがんだ。面白そうなので、もう一本煙草を渡すと、手を合わせて拝むようにして喜んでいる。俺は写真を撮っていいかと彼に聞いてみた。なんだか面白そうな男だったからな。彼はOK、No problemと、にんまり笑ってフレームの中に納まった。
話しているうちに、インドに帰りたいのだが、実は旅費を工面するのが大変なんだと言い出した。
おやおや、少し話が変わってきたぞ。お医者さんの奥さんがいるんなら、大丈夫だろう?と聞いてみると、いやいや自分の奥さんは高潔な人格者で、貧乏な人々に対して、献身的に尽くしているので、決して裕福ではないんだ。何とか少しだけでも援助してもらえないだろうかなんてことを言うんだ。
どうせ、そんなの嘘だろう?第一、そんな高潔な人格者の女性が、こんなジャンキーみたいな男と所帯を持つかい?そんなの口から出まかせさ。
もちろん俺は瞬時にそう思ったさ。
けど、俺はこういう霊的な場所ではいつも、ちょっと変わった人に出くわすんだ。たくさんの人がいたって、そういう人々は、俺にピンポイントで照準を定めてからんでくるんだ
そして俺は、それを土地の神様の使者のようなものだろうと思っているのさ。
土地の神様が、彼らを通じて、俺と縁を結ぼうとしているって考えるのさ。

そうさ、いつだって聖なるものが聖なる姿かたちで現れるとは限らないんだぜ。
女神が風俗嬢として君の前に顕現することだって、ありえない話じゃないだろう?

だから俺は、今回もそのパターンだなってピンと来たんで、面白半分に100ルピーほど渡してやったんだ。なに、大した額じゃないさ。かまやしないぜ。それも一種の税金みたいなものさ。

彼は大喜びで大げさなジェスチャー付きで俺に礼を言うと、煙草をふかしたまま人々の流れの中に溶け込んでいった。その足取りは、酔っぱらいみたいだったな。

しばらくして、俺たちが石段を下りながら、沿道の屋台の土産物なんかを見ていると、彼は俺たちの横をすり抜けて、大股で石段を下りて行った。
もちろん、俺たちに陽気に手を振り挨拶をかわし、意気揚々と下って行ったんだ。
土産物屋の娘さんは、彼を見て顔をしかめ、あのフーテンはこのスワヤンブナートに巣食うろくでなしで、みんなの鼻つまみ者なんだって、心底嫌そうに俺たちに教えてくれた。
旅行者に小銭や煙草をたかって毎日を暮しているんだそうだ。
俺は、もちろん彼の言ったことなんて、全部でたらめだってわかっていたけれど、それがたとえ本当の事でも、でたらめであっても、正直って俺にはどっちでもよかった。
なぜって、彼の態度に微塵も悪意の様なものが感じられなかったし、むしろ俺たちを面白がらせようっていう、ホスピタリティーのようなものすら感じていたんだからな。
そう、彼がどれほど土地の善男善女に嫌われていようが、俺には憎めない男なのさ。
俺たちは、土産物屋の娘さんの言葉に、少し驚いたような顔をしながら、思った通りだなって内心面白がっていたのさ。
で、山を下りてそのあたりの庶民の街をぶらついていると、一軒のカフェ、というより一杯飲み屋みたいなボロい店の中から、俺たちを呼ぶ声がする。そちらを見ると、奴がビールだか何だか飲みながら、ゴキゲンに挨拶してきやがった。
そう、彼は俺から、まんまと飲み代をせしめたったってことだ。
しかも、奴の言うことがサイコ―だったんだ。
『おーい、兄弟!俺がおごるから一緒に飲むかい?』
俺は爆笑したよ。まったく懲りない奴だ。最高だぜ!
まぁ、面白ついでに一緒に飲んでもよかったんだが、そうなりゃまたもや俺が勘定を持つ羽目になっちまうだろう?それは面白すぎるってもんだ。何事もほどほどが肝心さ。
俺は丁重にご辞退させていただいたぜ。

さて、この一対の聖者と愚者。いったいどっちが君の心に響くだろうか?
俺は柔和な聖者のような僧侶を尊敬はしても、自分があんな風にはなれないことを知っている。
けれど、あの底抜けに陽気で悪気の欠片もない鼻つまみ者のことは、決して嫌いになれない。
思えば、俺の友人の中にも、あんな愛すべきろくでなしが、何人かいたっけな。もしかしたら、近所の人たちから、俺もそんな風に思われてるかもしれないしな。

読者諸君、失礼する。また逢おう。

2015/06/13

Post #1529

Bremen,Germany
先日、夜の現場の前に14カットほどプリントしてみた。
その中の一枚だ。
何のことはない、習作のような写真だな。
昔はカメラのシャッタースピードやレンズの絞りを変えて、滝の水を止めたり流してみたりして遊んだものだ。

けど、最近なぜか、こういう写真に、食指が伸びるわけです。

年齢とともに、吉野家の牛丼が旨くないように感じ始めたりするように、煙草の煙の匂いが臭く思えるようになってきたりするように、写真の好みも少しづつ変わっていくもんだな。

女の子に対する好みは相変わらずだけどな。
どんなのが好みかなんて、ここでは言う気もないけれど、あえて嫌いなタイプを挙げると、まず第一に頭が悪くて品のない女は、嫌いだ。
はやりのものに流されるだけで、自分自身のものの見方のない女も好きじゃない。
かといって、化粧やお洒落にまったく無頓着ってのも御免蒙る。
消去法でいえば、そんなあたりに落ち着くか。そんなこと、誰も聞いてないって?!
まぁいいじゃねぇか、参考意見として聞いておいてくれたまえ。

そういえば、昔好きだったマンガの主人公は『イイ女なんて、向こう側(=社会の主流派、体制側)に決まってるじゃねぇか!』って断言していたっけな。まったくその通りだと思うぜ。

けど、どっちだってイイや。向こうだって俺には興味もないだろうしね。
俺は独り、川の流れるのを一日中見ていたりするのがお似合いなんだろうよ。

読者諸君、失礼する。往く川の流れは絶えずして、然ももとの水にあらずさ。あばよ。

2015/06/12

Post #1528

Malmő,Sweden
本日は、久々に夜中に仕事をしているので、写真のみお送りしよう。
ちょっとうんざりすることもあったしね。
読者諸君、失礼する。

2015/06/11

Post #1527

Hamburg,Germany
安保法制を巡る、防衛大臣だの官房長官だの、内閣法制局局長だのが抜けしゃあしゃあと垂れ流す、白いものを黒と言い張って憚らない態度に、呆れてものも言いたくないぜ。
国民を馬鹿にするのも大概にしてほしいぜ。
そういえば、馬鹿って言葉も、秦の始皇帝が死んだあと、大臣が二世皇帝の前に馬を引張て来て、あくまでこれは鹿だと言い張り、馬だという若い皇帝を、白痴のように扱って権力を自分のものにした話に由来してるんだ。
まさに、俺たち国民はアメリカの戦争のお手伝いをして誉められたい連中に、馬鹿扱いされているのさ。
言っとくけど、俺は政府与党のやり口には反対だ。三権分立も立憲主義もゼンゼン分かってないんだからな。

読者諸君、失礼する。バカバカしくてやってられないぜ。

2015/06/10

Post #1526

ヨーロッパ旅行の写真をプリントしていると、どうにも気分が沈む。
どうしてかな。北欧特有の薄ら寒い気候と、弱弱しい光のせいかな。
いやいや、陽光溢れるバルセロナの写真でも、そんな気にさせられるんだ。
光や気温のせいじゃないだろう。
人々の深刻そうな表情から、人が生きる、その幸せとは何かということを、暗室の中で考えさせられてしまうからだろうか。
いずれにせよ、写真が楽しくないってのは、俺にとっては辛いことだ。

けれど、去年の秋に行ったネパール旅行の写真は、そんな陰気な気分に陥ることなく楽しく焼けたし、愉しんでみることができる。出会った人々の多くが、笑顔だったからだろうか。

少し、自分の気分を変えてみたくて、久々にネパールの写真をお届けしよう。
Bhaktapur,Nepal
ゴムとびをする少女や、路地を駆け回って遊ぶ子供たちを写真に撮りながら、バクタプルの町の路地から路地へと流れるように歩き、ようよう夕闇が迫ってきたころ、どこからか人々が楽しげに謳う声が聞こえてきた。
アコーディオンや鈴の音とともに、男女が歌う声が聞こえるのだ。
見ればその声は、辻の真ん中にヒンドゥーの神を祀った祠のすぐそば、路地の角地に立った一件の建物から流れてくる。
俺たちは声につられて窓から覗きこむ。
そこは集会所か公民館の様な10畳ほどの部屋の中だった。
おじぃやおばぁが車座になって座り、日本でいうところの御詠歌を謳っているのだ。
何を言っているのか、俺たちには一言半句もわからないけれど、神様を讃える歌を謳っているのは、しっかりと分かった。
体を揺らしながら、楽しげに、鉦を叩き、太鼓を鳴らし謳っている。
誰もがニコニコしている。見ているこっちまで愉しくウキウキした気分になってくる。
すると、帽子をかぶったメガネのおじぃと目があった。おじぃはパーカッション担当だ。
おじぃはうなずき、謳いながら手招きする。
俺たちはちょっと躊躇ったけれど、面白そうなので遠慮しながら入り口に回り、靴を脱いで中に入った。
Bhaktapur,Nepal
小さな金属製のシンバルのようなものを叩きながら、経本の頁を繰っている一番奥のおじぃが、部落の長老だろう。その横に座る小太りのおじさんは、小さなシンバルを叩きながら、体をゆすって謳っている。ノリノリだ。
俺たちの座る向かいには、おばぁたちが3、4人座り、アコーディオンの様な楽器を弾いたり、トライアングルの様な鉦をたたいたりしている。

Bhaktapur,Nepal
何を謳っているのかさっぱりわからないが、ゆったりとした、懐かしい旋律だ。
節に合わせて手拍子を打つ。旋律に合わせてハミングする。いつの間にか、小さな拍子木の様な楽器が回されてきて、気が付くと、俺も一緒に叩いている。
上手くやろうと思わなくってイイのさ。
心地よい流れに身をゆだねていれば、自然と調子はあってくる。
心がほぐれて、暖かいヴァイブのなかを漂っていくのを感じる。

みんな、幸せそうだ。

一曲終わるごとに、果物や飴が回されてくる。
思わぬ来客のはずなのに、田舎の親戚の家に遊びに来たような気安さだ。こういう時に遠慮すると、場が白けちまうんだ。ミカンのような果物を、喜んで食べてみた。
おじぃたちは、あんたらどこからいりゃあたね?日本かね!そりゃええがね!なんてことを言って喜んでいる。
そのうち長老が、たどたどしい英語で、何か尋ねてくる。
このおじいはどうにも一座でも別格の存在のようで、この人が話すときは、他のおじぃやおばぁは静かにしているんだ。まるで校長先生のようだ。
長老の言うことを聞いていると、どうにも、『遠来の客人にお尋ねいたしたいのですが、わたくしども、スウィートなポテトなるものをこの地の名物にしたいのでありますが、それを英語で何というのか教えてほしいのであります』と言っているようだった。
俺たちは、そのスウィートなポテトとはいったい何だ?って、その場ではさっぱりわからなかった。そして、お互いに筆談したり、絵をかいたりして何とかそのスィートなポテトがどういうものか理解しようとしたんだが、どうにも見当がつかなかった。そして、長老に申し訳ないが、僕らは作物に詳しくないので、お答えすることができませんと答えると、長老はしょんぼりしていたっけ。
が、あとでよくよく考えてみたら、それはサツマイモのことだと思い至った。
英語名はもちろん、スウィートポテトだ。
長老、気が付かなくてすまなかった。
Bhaktapur,Nepal
仕事を終えたと思しきおじさんが新たに入ってきては、おや、外人さん来とんのか?みたいな表情を浮かべながらも、何事もなかったように空いた席に座ると、芋の話はまぁええで、つづけよまいか(あえて名古屋弁で書いてみた)と誰かが言ったようで、おじぃやおばぁたちは、また席に着き、楽器を奏で歌い始める。
もちろん、俺たちも拍子木を叩き、手を打ち、鼻歌の様にふんふんと旋律をなぞるんだ。

また、あったかいヴァイブがその場を包み込む。

御詠歌や念仏と、何ら変わりがない。日本人だのネパール人だの、そんな線引きも関係ない。
目には見えないけれど、その場に神様がいるんだろうってことが、はっきりと分かる。
神様は、俺たちが求めれば、実はどこにでもいるんだからな。俺はそういう感受性を持ってるのさ。なにしろ、若い時分に宗教にのめりこんで、山にこもって修行したりしてたくらいだからな。
神様がいるってことを、はっきり感じ取れてあたりまえだ。
Bhaktapur,Nepal
おじぃやおばぁの御詠歌に、なんだか変な外人が紛れ込んで、一緒になって謳っとるぞ!なんて噂が、狭い路地にはすぐ伝わるのか、窓から子供たちが覗き込み、じっとこっちを見ている。目を合わせて笑いかけると、照れくさそうに笑っている。
おばぁの孫の様な少女が、間を割って入ってくる。さっき外で見かけたゴムとびをしていた少女だ。

一緒になってどれだけ楽しんだことだろう。
おばぁの一人が、壁の(まさしく)神棚に祀られた神像に、賽銭をだすように言っているのがわかる。
おじぃの一人は、『そんなおみゃぁ、お客さんにそんなもん出さしてまってはいかんて』って、首を振っているが、おばぁは平然として『おみゃぁさんこそ何いっとんの。この人ら、わしらと一緒に神さんお祀りしたんだで、まぁはやこの人ら他所の人だないて、うちんたらの仲間だがね。だで、出してまったらええんだわ、これも何かの縁だで』なんて言っている。
そんなやり取りをしているのが、言葉は通じなくても、はっきり伝わってくる。
俺は、そりゃ『おばぁの言うとおりだわ、賽銭出さしてもらわないかすか』と、笑いながら名古屋弁でからりというと、たくさんの腕を持つ神像の足元に一枚の100ルピー紙幣を供えた。
神様の名はと問うと、おじぃやおばぁは満足そうに、口々に『ナラヤン』と答えた。
ナラヤンはヒンドゥー教の主要三神のうちの一柱、ヴィシュヌの化身だ。シヴァと並んでヴィシュヌは人気があるのだ。
きっと、このヴィシュヌの化身ナラヤンが、俺たちをこの場に導いてくれたんだろう。ありがとう。

さぁ、どこかおいしいネパール料理屋でも見つけて、晩飯にありつかないとな。俺たちは初めて会ったのに、懐かしいおじぃやおばぁ、そして子供たちに別れを告げて、すっかり真っ暗になった路地に出ていったんだ。

いま、こうして文章にして振り返っていても、あれは心の奥底から愉しいと思えるひと時だったよ。そこにはろくに電気もなかった。俺たち日本人が、最低限の生活に必要なものだと思っているもののいくつかが、きれいさっぱり欠落していた。けれど、あんな楽しそうな老人は、日本でも、そしてヨーロッパでも見たことなかった。そう、人間の幸せには、人と人のつながりが何より大切だって、俺はあの夜、改めて学んだんだ。


読者諸君、失礼する。できることならもう一度、あのおじぃやおばぁたちに会いたいもんだな。その時は君も連れて行ってあげたいよ。おっと、旅費は自分で用意してくれよ。頼むぜ。

2015/06/09

Post #1525

Barcelona
先日、この写真をプリントしていて、言いようのない憂鬱な気分に落ち込んでしまった。憂鬱な気分に引きずられるようにして、風邪までひいてしまったほどだ。

昨日話したバルセロナのカフェには、一台のスロットマシンが設けられていた。
そして、俺がカミさんとコーヒーを飲んでいると、一人の太った老女が店に入ってきて、カウンターに向かってなにやら注文するや否や、このスロットマシンに飛びつくようにしてかじりつき、小銭をどんどんつぎ込みながら、何度もプレイしはじめた。財布を握りしめ、1プレイ終わると、すぐに小銭を投入して、またプレイし始める。何度も、なんども。ギャンブル依存症なんじゃないかって思うくらいだ。

日本では、公設カジノを設けて観光客の誘致をしようというようなふざけた議論が、世間知らずの坊ちゃんたちの学級会ともいうべき国会なるところで議論されているようだが、俺自身がいろいろと世界を旅してみたところ、日本ほど大っぴらに賭博が行われている国は、見たことがない。そりゃマカオみたいに町全体が賭博場の様な所もあるが、それはあくまで特殊な事例だ。あそこの主要産業はカジノだからな。
日本全国、どこに行ってもパチンコ店がある。競輪、競馬、競艇など公営ギャンブルも大っぴらに御開帳されている。どのギャンブルも、親方日の丸だ。
ついでに言えば、世界で最も手軽に性的なサービスにありつける、つまりもっとストレートに言えば、女を買えるのも、この日本だろう。

カジノはどこの観光地にもある。とはいえ、それはあくまで観光客向けのものだし、ハンブルグの裏町でみたカジノに至っては、そこに入ったら身ぐるみはがされないと出てこれないようなヤバい雰囲気が漂っていた。けっして、一般庶民がカジノで身を持ち崩すことはなさそうだ。もちろん、どこにでも例外はあるだろうが。
で、人々は日々の暮らしのやるせなさと、その双子の兄弟ともいうべき射幸心を、このようなカフェの片隅のスロットマシンにゆだねるしかないのだろう。

スロットマシンにかじりつくこの女性の姿から、俺は彼女の生活を想像してみた。
この女性は、むくむくと太っているが、服装もどこか薄汚れていたし、幸薄いオーラが立ち込めていたからだ。なにより、スロットマシン以外は、眼中にないといった様子が、俺にはどこか病的に見えたのだ。
余計なお世話かもしれないが、それはお世辞にも幸せという言葉から縁遠いもののように思われた。彼女の心の穴を埋めるものは、スロットマシンしかないのだろうか?家族と呼べる人はいないのだろうか?
ありえないことではない。

考えても見てほしい。彼女も生まれながらに年老いていたわけではないだろう。そして、みっともなく太っていたわけでもないだろう。
彼女にも、希望にあふれた時代はあったことだろう。友人と夢を語り合ったり、恋人と愛を交わしたりしたことだろう。精一杯着飾り、人生を愉しんでいた時期だってあったはずだ。
しかし、いまの彼女の姿から、その片鱗を見出すのは、なかなかに難しく思える。

誰の人生も、足早に過ぎ去ってしまう。俺たちに与えられた時間の、なんと儚く短いことだろう。けれどそれは、他人ごとではないんだ。たった一度しかない人生を、能う限り良く生き切ることこそが重要なんだ。でも、どうやって?
そして、スロットマシンに魂の救済をゆだねているように見える彼女の姿は、俺たちの誰もが無縁のものとは、決して言い切れないんじゃないかと俺には思えるのさ。

そう思うと、いてもたってもいられないような思いに駆られるとともに、自分が無駄に年を取りすぎたことを思い、何とも言えないわびしく憂鬱な気分に陥ってしまったって訳さ。

子供の写真を撮るのは、未来に希望を見出したいから。
女性の写真を撮るのは、男性の俺にとって、どこまで行っても女性は未知の世界だから。
それに比べて、老人の写真を撮るのは、あんまり愉しいものじゃないな。

この短い人生で、本当に大切なものは何か。俺たち自身にとって、幸せとは何か?それを日々考えながら生きていきたいもんだぜ。きっとそれは、そんな大それたものじゃないはずだ。

読者諸君、失礼する。想像力を働かせてみれば、一枚の写真から受け取るものはたくさんあるんだ。

2015/06/08

Post #1524

Barcelona
風邪なんかに負けちゃいられないと思い、焼き肉をしてみたんだ。アメリカ産の牛肉を、がつがつ食ってみたのさ。誰が何と言おうが、俺は肉食系中年だからな。あまりにたくさん肉を食ったってんで、家人に呆れられ、かつ叱られてしまったくらいさ。
そうしたら次の朝、いつもの痛風で足の指の付け根が痛くなってしまった。
予想通りだ。まったく、マンガのようなていたらくだ。
まぁ、この痛みには慣れっこだ。痛みどめさえ飲めば、どうってことないんだぜ。ちょろいもんだ。こいつのおかげで、俺は生命保険に加入できないのさ。

バルセロナのカフェにて。

ヨーロッパでは飲食店の中では禁煙なので、煙草の吸いたい奴は、雨が降ろうが風が吹こうが雪が降ろうが、外だ。
しかも、このカフェは入り口の横に小さな丸テーブルが置いてあるだけ。つまり立ち飲みだ。

それでも、おっさんたちは渋いコーヒーと煙草を愉しんでいる。
ヨーロッパでは、1mgなんてスカスカの煙草を吸ってるような奴は、お見受けしなかったな。

煙草は、誰が何と言おうと緩慢なる自殺行為だ。人生が退屈で仕方ないから、みんな煙草を吸って、終わりを早めようとしているのさ。
拳銃と度胸があったら、わざわざ煙草なんか吸い続ける必要もないだろう?

読者諸君、失礼する。

2015/06/07

Post #1523

Barcelona いかにもエスパニョーラって感じの娘っ子だな。
風邪を引いたおかげで、ひねもす食べて眠り、眠っては食べてを繰り返す。
豚の生活だ。
いくらでも眠れそうだし、いくらでも食べられそうだ。しかし、それがまた鬱の症状と似ているので、ふと不安になる。
タバコに関しては、丸一日以上吸っていないんだがな。
思うにあれは、退屈だから吸うもののような気がする。
こうしていても吸いたくて仕方ないんだがな。
ニコチン1mgとかのヤニのない煙草を、みんな吸っているけれど、そんなもの吸うくらいなら、すっぱりやめてしまいたいぜ。
ちなみに俺が、ここ何年か吸ってるラッキー・ストライクはニコチン11mgだ。
タバコらしい味がする。

正直言って、俺は自分を持て余してるのさ。俺のエンジンは特大なんだ。
だから、のんびりしていると、かえっておかしくなっちまう。
過酷な仕事で寝る暇もないくらいじゃないと、充実してるように思えないんだ。

読者諸君、失礼する。

2015/06/06

Post #1522

Hamburg,Germany
昨日、やることもないままにプリントした。朝から雨が降っていて、涼しかったからな。
何枚かやっつけてみたところ、出来はわるくない。しかし、どうにも気分が乗らなかった。
ちなみに、気分が乗っているときには、自分が向かうところ敵無しの天才だと感じるのだが、昨日はまったく違った。
暗室の闇の中で、たった独り、無力感と徒労感でいっぱいだった。
なおかつ写っている被写体の姿にすら、人生の倦怠と侘びさを感じてしまい、フィルム一本分、10カットプリントしただけで、早々に店じまいしてしまった。
煙草を吸うのも嫌になって、まだ中に何本も残っている煙草の箱を、ゴミ箱に叩き込んだ。せいせいするぜ、もうごめんだ。

横になり、目を閉じる。

自分がこれまでの人生で、なんら意味のあることができてこなかったように思われ、無力感にまみれる。
いったいぜんたい、俺は今まで何をやってきたんだ?
もう人生は残り少ないってのに・・・。
自分の支えになってきた写真までが、まったく意味のないものに思えてくる。
胸の奥から吐き気の様な拳大の塊がせりあがってくるように感じる。
俺は退屈してしまうと、こんな風にメランコリックな気分に襲われる。
また、雨の日には気圧や光の加減で、気分が冴えない。

こんなときは、生きていることそのものすら、億劫になる。
かといって、自殺するほど追いつめられているわけでもない。
いや、もし俺が、アメリカとかに住んでいて、手元に銃とかあったなら、とっくにいつか自分の頭をふっとばしていたことだろう。日本人でよかったぜ。

そんな自分を客観的にみると、自分は鬱病なんじゃないかと思えてくる。
気分の浮き沈みが激しいから、双極性鬱病なんじゃないかってね。そう、いわゆる躁うつ病だ。

ふと、自分の体調を冷静に見てみると、どうにも寒気がする。布団にくるまっていても、寒い。
そういえば鼻もぐずついている。身体がだるくて、なにをするにも意欲が湧かない。体温を測ってみると、いつもより1度ほど高い。

OK、俺は自分は単に風邪なんだと言い聞かせることにした。
気分が乗らないのも、プリントに集中できないのも、みんな風邪のせいさ。悪い風が吹いているのさ。ここんところ、寒暖の差が激しいからな、身体の調子を崩しちまったんだろう。
そうだ、そういうことにしておこう!
俺はかかりつけの医者に行き、薬をもらって帰ってきたのさ。ちなみに、その先生に、俺は鬱病じゃないかと思うと言ったら、一笑のもとに否定されちまったよ。そんなもんさ。
誰もかれも、俺の悩みの深さを知らないのさ。

読者諸君、失礼する。よく考えたら、人生がどん詰まりなのは、なにも俺だけじゃないだろう?たいていみんなそうさ。

2015/06/05

Post #1521

Copenhagen,Denmark
読者諸君、本日写真のみお送りしよう。

失礼いたす。ごきげんよう!

2015/06/04

Post #1520

Copenhagen,Denmark
今日、6月4日は天安門事件から26年。
当時俺は20歳だった。
あのころ、中国で民主化を訴え戦った若者たちは、俺と同世代だろう。
君はタンクマンを知っているかい?未だに氏名不詳なその男は、人民解放軍の戦車の車列の前にたった一人で立ちはだかり、その進行を妨げた。名も無き英雄だ。当時、その姿はBBCなどによって世界に配信され、人々に大きな衝撃を与えたんだ。

さて、はたして今の俺に、圧倒的な力を持つ国家の非道に対して、徒手空拳で立ち向かうことはできるだろうか?
口先三寸の詭弁で国をミスリードしている政府に対して、徒手空拳で立ち向かうことができるだろうか?
一見民主的な手順を経ているように偽装されているがゆえに、その非道には正面から立ち向かうのは、なかなかに難しいよな。

けどまぁお調子者の俺のことだ、状況次第のその場のノリで、ついうっかりやっちまいそうな気がするな。

読者諸君、失礼する。

2015/06/03

Post #1519

Hamburg,Germany
俺の写真には、生肉みたいなパワーがあふれている。
それを知っているのは、俺自身と君だけだ。
他は誰も知らない。分からない奴には、きっとわからない。

けど、それでいいのさ。

読者諸君、失礼する。

2015/06/02

Post #1518

Hamburg,Germany
読者諸君、本日も写真をお届けしよう。

最近、俺は自分自身が、引き算の段階に入ったと感じているんだ。
不要なものを削ぎ落とし、もっとシンプルに、もっと鋭く、もっと自然に、そしてより力強く。
無駄なことには目もくれず、矢のように真っ直ぐに、君に届けたい。

君が受け止めてくれるなら、俺はこの大地をしっかりと踏みしめて歩むことができるさ。

失礼するぜ。

2015/06/01

Post #1517

Copenhagen,Denmark
今までにいろんな国に行ったけれど、ユートピアなんてどこにもなかった。
残念なことだ。しかし、至極当然だが・・・。

じゃぁ、ユートピアとは?
ジャン・ジャック・ルソーの言葉を引いてみよう。
『もはや存在せず、恐らく決して存在しなかったし、これからも多分永久に存在しないであろうが、それについて正確な観念をもつことは、われわれの現在の状態をよく判断するために必要であろう』そんな測定器のようなものと考えてほしい。俺だって、呑気な夢想家じゃないんだ。

どこもかしこも、誰もみな、それなりに苦労して生きているように俺には見えた。
煎じ詰めれば、どこで生きるにせよ、要は自分の気の持ちよう次第ってことだよな。

読者諸君、失礼する。俺は自分が自分の世界の中心だと確信してるぜ。