2015/06/14

Post #1530

いつも、自分の拙い写真なり文章なりが、君にどう伝わるのかを考えている。
いつも、自分の備忘録や自己満足にとどまらず、君の心に何か引っかかってくれるとうれしいと思って書いている。
いつも、読んでくれている君が、どんな人なのか、思いを巡らしながら書いている。
いつも、君の心の片隅に、小さな擦り傷のようなものを、遺すことができたならと思う。

今日は両極端な二人の人物について、話してみようか。
Swayanbhunath,Nepal
カトマンズ郊外の丘の上に聳えるストゥーパ(仏塔)はスワヤンブナートと呼ばれる。長い石段を登り、丘の頂上に登ると、美しい仏塔が聳えている。
人々は、その仏塔の周りを廻り、礼拝しているのだ。
この仏塔の脇に、寺院があり、チベット仏教の僧侶たちがその寺院をおさめている。
写真の若いお坊さんは、その寺院であったのだ。
柔和な語り口で、自分たちは麓にあるチベット仏教の僧坊から通ってきているのだと語ってくれた。
薄暗い寺院の中では、彼の先輩だか師匠に当たるのであろう別の僧侶が、経を読み、仏様を供養している。
彼は、カメラを持った不信心者の俺たちが、写真を撮ってもいいものだろうかと戸惑っているのを見かねて、どうぞ写真を撮っても構いませんよと、話しかけてきてくれたのだ。
かの地の僧侶は、日本の坊さんと違って、厳格な戒律を守り修行している。
彼らから見れば、、日本の坊さんなんて破戒僧ばっかりに見えることだろう。
さほど歳をとっているわけでもないように見えるこの若いお坊さんも、その立ち居振る舞い、表情、語り口の全てから、様々な欲望を抑制した、穏やかで円満な人間性を培っていることが分かった。
俺は、静かに寺院の中の様子を何カットか撮影した後、彼の写真を撮らせてもらった。

穏やかなまなざし。口元には、静かな微笑みが浮かんでいる。
まるで、生きながら仏像そのものになったような柔和さだ。
煩悩熾盛のこの俺には、生涯こんな表情を得ることはできないだろうなぁ・・・。
物欲、色欲の塊だからな、この俺は。
俺は、その立ち居振る舞いに敬意を感じながら、快く写真を撮らせてくれたことに感謝の言葉を述べて、薄暗い寺院の中から、陽光溢れる外にでたんだ。

数多の人々が、時計回りに仏塔の中を回っている。
俺たちも、その流れに乗って仏塔の周りをまわりながら、写真を撮っていた。
そのうち、俺に何かを感じ取ったのか、I ♡ NYと書いた緑色のTシャツを着たファンキーな男が、俺に陽気に手を挙げ、アピールしてきた。俺も、気のない感じで手を挙げ、挨拶を返す。
そうこうするうちに、煙草を吸いたくなった俺は、人々の流れから離脱し、丘の上から眼下に広がるカトマンズの街を眺め、ぷかぷか煙草の煙を虚空に吐き出していた。
すると、さっきの男が話しかけてきやがった。
煙草をくれと言うのだ。
別に煙草をくれてやる義理もないが、あまりに馴れ馴れしいんで仕方なく煙草を一本やることにした。ネパールのスーリアって煙草だ。ちなみにスーリアってのはヒンドゥー教の太陽の神の名前だったはずだ。
Swayanbhunath,Nepal
もじゃもじゃした髪の毛と、むさくるしいひげ面だが、どこか憎めない愛嬌がある。この男は煙草をもらってよっぽど嬉しかったのか、頼まれてもいないのに、いろいろと自分のことを、語りだした。酔っぱらっているかのようなでかい声と口調で。
男が言うには、彼はインドのボンベイだかどこかの出身で、このカトマンズに流れ着いたんだという。 と言うのも、彼の奥さんがカトマンズに住む女医で、彼女の仕事があるので、ここを離れて里帰りすることはできないというような話だった。
話の途中で、彼はもう一本煙草をせがんだ。面白そうなので、もう一本煙草を渡すと、手を合わせて拝むようにして喜んでいる。俺は写真を撮っていいかと彼に聞いてみた。なんだか面白そうな男だったからな。彼はOK、No problemと、にんまり笑ってフレームの中に納まった。
話しているうちに、インドに帰りたいのだが、実は旅費を工面するのが大変なんだと言い出した。
おやおや、少し話が変わってきたぞ。お医者さんの奥さんがいるんなら、大丈夫だろう?と聞いてみると、いやいや自分の奥さんは高潔な人格者で、貧乏な人々に対して、献身的に尽くしているので、決して裕福ではないんだ。何とか少しだけでも援助してもらえないだろうかなんてことを言うんだ。
どうせ、そんなの嘘だろう?第一、そんな高潔な人格者の女性が、こんなジャンキーみたいな男と所帯を持つかい?そんなの口から出まかせさ。
もちろん俺は瞬時にそう思ったさ。
けど、俺はこういう霊的な場所ではいつも、ちょっと変わった人に出くわすんだ。たくさんの人がいたって、そういう人々は、俺にピンポイントで照準を定めてからんでくるんだ
そして俺は、それを土地の神様の使者のようなものだろうと思っているのさ。
土地の神様が、彼らを通じて、俺と縁を結ぼうとしているって考えるのさ。

そうさ、いつだって聖なるものが聖なる姿かたちで現れるとは限らないんだぜ。
女神が風俗嬢として君の前に顕現することだって、ありえない話じゃないだろう?

だから俺は、今回もそのパターンだなってピンと来たんで、面白半分に100ルピーほど渡してやったんだ。なに、大した額じゃないさ。かまやしないぜ。それも一種の税金みたいなものさ。

彼は大喜びで大げさなジェスチャー付きで俺に礼を言うと、煙草をふかしたまま人々の流れの中に溶け込んでいった。その足取りは、酔っぱらいみたいだったな。

しばらくして、俺たちが石段を下りながら、沿道の屋台の土産物なんかを見ていると、彼は俺たちの横をすり抜けて、大股で石段を下りて行った。
もちろん、俺たちに陽気に手を振り挨拶をかわし、意気揚々と下って行ったんだ。
土産物屋の娘さんは、彼を見て顔をしかめ、あのフーテンはこのスワヤンブナートに巣食うろくでなしで、みんなの鼻つまみ者なんだって、心底嫌そうに俺たちに教えてくれた。
旅行者に小銭や煙草をたかって毎日を暮しているんだそうだ。
俺は、もちろん彼の言ったことなんて、全部でたらめだってわかっていたけれど、それがたとえ本当の事でも、でたらめであっても、正直って俺にはどっちでもよかった。
なぜって、彼の態度に微塵も悪意の様なものが感じられなかったし、むしろ俺たちを面白がらせようっていう、ホスピタリティーのようなものすら感じていたんだからな。
そう、彼がどれほど土地の善男善女に嫌われていようが、俺には憎めない男なのさ。
俺たちは、土産物屋の娘さんの言葉に、少し驚いたような顔をしながら、思った通りだなって内心面白がっていたのさ。
で、山を下りてそのあたりの庶民の街をぶらついていると、一軒のカフェ、というより一杯飲み屋みたいなボロい店の中から、俺たちを呼ぶ声がする。そちらを見ると、奴がビールだか何だか飲みながら、ゴキゲンに挨拶してきやがった。
そう、彼は俺から、まんまと飲み代をせしめたったってことだ。
しかも、奴の言うことがサイコ―だったんだ。
『おーい、兄弟!俺がおごるから一緒に飲むかい?』
俺は爆笑したよ。まったく懲りない奴だ。最高だぜ!
まぁ、面白ついでに一緒に飲んでもよかったんだが、そうなりゃまたもや俺が勘定を持つ羽目になっちまうだろう?それは面白すぎるってもんだ。何事もほどほどが肝心さ。
俺は丁重にご辞退させていただいたぜ。

さて、この一対の聖者と愚者。いったいどっちが君の心に響くだろうか?
俺は柔和な聖者のような僧侶を尊敬はしても、自分があんな風にはなれないことを知っている。
けれど、あの底抜けに陽気で悪気の欠片もない鼻つまみ者のことは、決して嫌いになれない。
思えば、俺の友人の中にも、あんな愛すべきろくでなしが、何人かいたっけな。もしかしたら、近所の人たちから、俺もそんな風に思われてるかもしれないしな。

読者諸君、失礼する。また逢おう。

2 件のコメント:

  1. 両方とも素晴らしい写真ですね。
    自分のココロのそれぞれ違うところに力強く届くものがあります。
    人智を超えたモノの前では彼等に隔たりなんて無いんでしょうね。

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    1. このおっきな世界そのものからしたら、人間のできる善も悪も、たかが知れているように思います。
      小さな善行を誇ったり、悪行の報いを怖れることなく、ただあるがままにあればよいようにも思えます。

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