2015/07/05

Post #1551

Kathmandu,Nepal
土曜日、仕事がオフだったのでウィークリーマンションを借りている築地から、隅田川を渡って月島、佃島、晴海あたりをぶらついていた。
月島は再開発によって高層マンションが立ち並んでいるばかりだ。その真ん中に昔ながらの商店街が背骨のように並んでいる。もんじゃ焼き屋ばかりだがな。その路地を覗くと、かつて荒木経惟が戦後最大の思想家である、今は亡き吉本隆明(吉本ばななの父君)を撮った写真の背景そのままで、ふと嬉しくなってしまう。ちなみに、吉本隆明は佃島の生まれだったんだ。

佃島は、昭和が色濃く残っている。隅田川に沿って吹いてくる風にくせ毛の髪をなびかせながら、そぞろ歩きしてると、公園の脇の集会所のようなところで、大人にまじってお手伝いしている少女と目があう。ちょうど、今夜の写真に写っている少女と、同じくらいの年ごろだろう。
俺がにっこりと笑いかけると、少女も笑って手を振る。
俺は以前バリ島で手に入れたジャワ更紗の扇子を、殿様のように広げ、手を振って見せる。
素敵な瞬間だ。

まったく下町ってのはいいもんだぜ。ニンゲンが生きるべき世界は、こういう世界であるべきだと思えるよ。

いつも言うように、幸せってのはこんなささやかで、ふとした人と人との触れ合いの中にも感じられるものだと俺は思う。
そこから逆算すれば、幸せになるコツは、口元に笑みを浮かべていることだ。和やかな眼差しを注ぐことだ。誰に対しても、心のこもった言葉をかけることだ。
たとえ、自分の気持ちが沈んでいるときもね。

同時に、まだ10歳前後の少女が、これから辿る人生を思い、切ない気持ちになる。
見も知らぬ異様な風体のおっさんに、ニコリと素敵な笑顔を投げかける無垢な彼女が、この先どんな女性になり、その身に男染みを重ね、快楽と苦悩を知り、世間の波風に翻弄されて生きてゆくであろうことを思うと、幸多かれと思わずにはいられない。
できることなら、そののびやかな心を忘れないでほしいと、心から願わずにはいられない。
けれど、滅多なことじゃ、人はそんな風には生きられない。それを思うと、ふと、泣きたいような気分になってしまう。

俺には、人間が過去から未来へと連なる節足動物のように感じられる時があるのさ。う~ん、無理やり例えれば、時間の流れに沿って存在しているムカデみたいなイメージかな。

俺たちの生身の目に見えるのは、今この瞬間の姿だけだけれど、心の目で見れば、生まれた瞬間から、年老いて死に至るまでの姿が、ムカデみたいに連なって見えるような気がするんだ。
だから、少女の姿を見れば、その先行きに思いを巡らせ、老婆の姿を見れば、過ぎ去ってしまった花の盛りを想像してしまうのさ。人間が生きる時間の、なんと短く儚いことか!
せめて、心安かれと願わずにはいられない。

写真にはもちろん、その瞬間の姿しか映らない。しかし、その瞬間を起点に、過去へと未来へと、思いを馳せることができるはずだ。そんな写真を撮りたい。そして、君にもそんな想像力を持ってほしい。

考えすぎだって?

そうかもしれない。けれど、できることなら誰もみな、幸せで、満ち足りた人生を送ってほしい。
それはけっして、お金がじゃぶじゃぶある人生を送ってほしいと言ってるわけじゃないんだ。その辺のニュアンスを君にも察してほしい。
その人生で、心から大切に思える人にであい、自分もまた誰かにとってかけがえのない大切な人だと思われて生きてゆけるような人生こそ、幸せなんじゃないかしらん?
偽善者だと思われても仕方がないけれど、俺は人の不幸を願うほど、人間として落ちぶれちゃいないつもりだぜ。

読者諸君、失礼する。今夜から現場が動き出す。修羅の如くに活躍したいものさ。君にも俺の仕事ぶりを見せてやりたいよ。やっぱりなんだかんだ言っても、俺は自分の仕事が大好きなのさ。

0 件のコメント:

コメントを投稿