2015/07/17

Post #1563

Patan,Nepal
台風が近づいている中、俺は東京に戻ってきた。
その前に、自動車屋に事故の修理代を納め、道具を現場に送る手配をし、名古屋駅在来線1番ホームのかきつばたで、名古屋名物きつねきしめん一杯380円をしみじみ味わい、新幹線に乗り込んで築地のウィークリーマンションに帰ってきたのだ。

生活感のない、殺風景な部屋だ。包丁もまな板もない。ただ、シャワーを浴びて眠るだけの部屋だ。
人生には潤いが必要だ。俺はそう思う。
けれど、旅の空ではいかんともしがたいものさ。


俺は、いつでも自分がいまここにいて、何かをなしていることには、なにか人知を超えた意志が働いているんじゃないかって疑うようにしている。何も考えないより、退屈しないからな。
そうすると、偶然の出会いも、なにか意味があるように思えてきたりするし、そっから人生が思わぬ方向に転がりだして行ったりもするのさ。おもしろいものさ。

自分の身に起こることは、すべからく人知を超えた何者か、それを神と呼ぼうが世界そのものと呼ぼうが、なんとでも構わないんだけど、その何者かが俺に何かを伝えようとしているんじゃないかって考えるのさ。
まぁ、若い頃宗教にどっぷりはまってた名残で、そんなモノの見方をする習慣が染み付いて抜けないのさ。さすが、宗教は麻薬っていうだけあるぜ。


そういうことを言うと、無力な中年のくせに、世界を背負ったような口を利くなと言われそうだな。
面倒くせぇから、最初に謝っとくよ。はい、ごめんなさい。俺が調子にのってる男です。

けれど、だれだって、自分の肩に世界を背負っているはずだろう?自分の足で世界を踏み締めているんじゃないのかい?だったら、偉人や英雄でなくたって、世界のことを考えても悪くはないんじゃないのかい?少なくとも、もうこれ以上、偉い政治家のセンセーがたに任せてはおけないかならな。

今、この時期に東京にいること。それも、妊娠初期のカミさんを家に一人残して、ここにいること。
それには何か意味があるんじゃないかって思うのさ。

俺の好きな小説家、今は亡きカート・ヴォネガットの小説の中の一説に、人生の意味とは何だと問いかける様な落書きに対して、主人公が『神のよき目となり、耳となることだ、この馬鹿野郎』と答えるシーンがあった。

例の何者かは、俺に東京で、何かを見届けさせようと思っておいでなのに違いない。

それは、なにか?

その何者かの意図が分かったなら、どうやって行動すべきか分かるだろう。
けれどお願いだ神様、俺に国会占拠とかの大それたことの口火を切らせるようなことはやめてください。
お願いです、神様。俺にはじきに子供ができるんだ。そんなことして、おまわりにとっ捕まったり、機動隊に酷い目にあわされてカタワにされたりするのは、遠慮させていただきたいんだ。

けど、もしその何者かが、俺に、あるいは他の誰かに使命を下されたのなら、そしてそれにその人間が気付いてしまったのなら、いくら拒んだとしても、その命のままに振る舞うことになってしまうのかもしれないな。旧約聖書のヨナのように。

読者諸君、失礼する。まずは、自分の仕事に専念することだ。それが第一だな。これをやっつけなけりゃ、おまんまの食い上げだぜ。また会おう!

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