2015/08/31

Post #1609

Praha,Czech
やっと8月も終わる。
俺にとって充実した8月だった。もっとも、働いてばかりだったけれどね。
昨日、3年ぶりくらいに年若い友人と会って、仕事の合間に食事をしたんだ。
年若いと言っても、俺のお客さん筋にあたる人で、3年ほど前の夏に、静岡の清水で一緒に仕事をした人だ。その時も、意気投合して一緒に焼き肉なんか食いながら、夜が更けるまで語り合ったっけ。愉しい思い出だ。

彼は、その時に俺が教えた『実るほど、首を垂れる 稲穂かな』ってことわざを、折りに触れて思い出すと言ってくれた。俺と違って、謙虚で誠実な若者なんだ。それでいて、熱意と向上心に溢れてる。まったく、若いって素晴らしいなぁ!

ずいぶんと久しぶりなんだけど、彼は俺のこのブログを見てくれている読者さんでもあるんで、全然久しぶりな気がしないって言ってくれたのも嬉しかったな。俺のとんでも発言連発の日常に、笑い転げてくれていると、俺としても嬉しいものさ。

今回もなんだかんだと仕事の話ばかりしていたようでいて、あとあとよく考えると、自分の生き方そのものを語っていたように感じるよ。
つまり俺は、趣味も仕事も、なにもかも全力投球で地続きなんだってことだ。
仕事でどう人に接するかってのは、そのまま実生活で人とどう接するかってことだしね。

嬉しいことに、彼は俺とまた是非仕事がしたいと言ってくれた。
こんな俺だけれど、自分が不器用に歩んで来た道のりが、けっして間違ってないことがわかる。
何度も苦しくて逃げ出しそうになったこの道だけれど、報われた気がする。そして、もっと先まで歩んでいきたい。ただ金のためではなく。

俺も、彼と一緒に、仕事がしたい。
もっとも、一年半くらい先まで仕事が詰まっている俺なので、なかなか彼の仕事を引き受けることができないのは心苦しいんだけれど、彼自身の仕事に対する考え方に共感しているし、彼の力になってあげたいと思っているのさ。
それになにより、俺は俺を理解して、気に入ってくれる人と仕事がしたいんだ。
そういう人との仕事なら、金の話は二の次だ。どうせ儲けたって、税務署さんにがっぽり持っていかれるのが関の山だぜ。

別れ際、俺たちは地下鉄の改札で、がっちりと握手して別れた。
形式的なものじゃなく、熱と力のこもったイイ握手だ。
握手するときには、相手の目をしっかり見据える俺なんだ。

ホントに、ひたすら仕事に明け暮れてはいたけれど、いい夏だったよ。身体はくたくただけれどね。

読者諸君、失礼する。実は俺、握手とハグが好きなんだ。

2015/08/30

Post #1608

Istanbul,Turk
昨日、仕事を終えてウィークリーに帰り着くと、そのまま倒れ込むように眠ってしまった。
カミさんから電話があったりして、今から食事をしに行くと言ったようだけれど、そのまま眠り続け、
すでに深夜2時。
今更、着替えてなか卯だの吉野家だのに出かける気にもならないのさ。
そんなわけで今夜も写真だけお送りするよ。

読者諸君、失礼する。もう一度眠ろうか、それともこのまま起きていようか?それが当面の問題だ。

2015/08/29

Post #1607

台南、台湾
くどいようだが、今夜も仕事だってことで、写真だけお送りするってばよ!

もちろん昼間だって仕事してるんだけどね。

万一事故でもあったら、俺の仕事は書類送検されちまうんだ。下手すりゃ執行猶予付の懲役刑だ。
前科一犯になっちまうってもんだ。管理監督者の責務は重いんだぜ。だから、手を抜くわけにはいかないんだ。なぁに、望むところだ。どんとこいだ!

読者諸君、失礼する。誰だよ、前科一犯のほうが、見た目に相応しいとか言ってるのは!

2015/08/28

Post #1606

HongKong
今夜もまた仕事で忙しいんで、写真だけお送りさせていただくよ。
いまが胸突き八丁なんだ。

読者諸君、失礼する。応援のお便りは、サイドバーのCONTACTから受け付けてるぜ。

2015/08/27

Post #1605

Helsinki
悪いけれど、今日は朝4時から仕事があるんで、写真だけお送りさせていただくぜ。

読者諸君、失礼する。ごきげんよう。

2015/08/26

Post #1604

Copenhagen,Denmark
台風の影響なのか、8月にしては肌寒いほどだ。
ぬくもりが恋しい季節が、一足飛びにやってきてしまった。
どうせ暑い季節と思い、出張にはカットソーくらいしか持ってきちゃいなかったんだが、これでは風邪をひいてしまうぜ。
どうせ作業服しか着てる暇はないんだろうって、君はいうかもしれないけど、俺は家の中で、だらしない格好をするのは好きじゃないんだ。ゴミ捨てや近所のコンビニに、野暮ったいジャージとクロックスなんかで行くなんてのは、言語道断だ。もっとも、そんなの持っていないけどね。
もちろん、女性とご飯を食べたりする機会があったとしたら、だらしないのは絶対ごめんだ。
ジャージにクロックスじゃ、様にならんだろう?すね毛丸出しの短パンにTシャツなんて、旅行中のアメリカ人みたいな格好も御免蒙るぜ。

俺はいつだって、イギリスあたりのロックをやってるあんちゃんみたいな恰好をしていたいのさ。
もじゃもじゃした髪を、風になびかせながら、街に解き放たれた野獣のように闊歩したいのさ。

そんなわけで、仕事を終えて銀座6丁目のZARAに行ってきた。
ここの内装は、何年か前に地元でZARAの内装工事をやったときのものと同じなので、辛い記憶がよみがえってくる。あの時は辛かったなぁ・・・。
だが、その辛い日々があったからこそ、今日の自分があるのだ。
どうせ、どんな辛いことも、過ぎてしまえば笑い話だ。さんざん辛い思いをして、あとでゲラゲラ笑えるネタにすればいいのさ。

しかし、問題なのはそれじゃない。俺の雰囲気にぴったりの服をGETできるかどうかだ。
気取った服はいらない。俺が欲しいのは、普段何も考えずに羽織って、なおかつ自分らしい雰囲気を醸し出してくれるような服なのだ。だから、世界の国民服ユニクロには行かないのさ。

しめしめ、そこそこ俺らしい雰囲気の服を見繕うことができた。申し分ない。
気になるお値段10,990円。ZARAにしちゃ高いほうだな。
まぁいい、今年の秋はこれでばっちりだ。
こんど君に会う時も、きっと着ているはずさ。
ところで君はどこにいるんだ?はやく会いたいもんだぜ。

読者諸君、失礼する。このまま涼しくなってゆくのか、それともまた暑さが盛り返すのか。まぁ、どっちだって構わないか?所詮ニンゲンの力では、どうすることもできやしないんだ。

2015/08/25

Post #1603

Kathmandu,Nepal
まだ八月だというに、夕方吹き抜ける風はすっかり秋の気配だ。

 秋きぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる
  古今和歌集 巻第四 秋歌 上   藤原敏行朝臣

まったく、仕事をしていても、ろくに汗も出てこやしないぜ。まぁ、たいした仕事はしていない俺なのさ。

今日は特に君たちに語るべきこともない。なんということもない一日だったのさ。
人生の大半は、こんな何ということのない一日でできている。

読者諸君、失礼する。

2015/08/24

Post #1602

Bremen,Germany
ここんところ、とても眠たい。
流石に疲れがたまっているんだろうな。マカが欲しいとは思わないけれどね。
気が付くと眠ってしまっているんだ。
夜中にふっと目を覚ましてみると、ベッドのしたに先日買ったばかりのコンタックスⅡが転がっていたりするんで、目が飛び出しそうになる。
空シャッターを切ったりして、もてあそびながら、眠りこけてしまったんだろう。
ヤバいな。一度も使ってないうちにぶっ壊れるなんて、ちょっと切ないぞ。
レンズはついていないんでいいけれど、距離計の中のガラスユニットが割れてしまったら、ピント合わせが出来なくなってしまうじゃないか!
まぁ、どうせ俺のことだから目測でしょうけどね。

つまり、F8とかに絞っておいて、焦点距離は5メートルくらいにしておけば、3メートルから10メートルくらいはピントがあってくる。そうすれば、あとはシャッターを切っていくだけだ。あ、日陰に入ったら、シャッタースピードを遅くすることを忘れずに。

早くこのカメラを使って、街撮りしたいなぁ・・・。


読者諸君、失礼する。今日も朝早い俺なのさ。やれやれ。

2015/08/23

Post #1601

Kathmandu,Nepal
月が綺麗なので、ウィークリーマンションの向かいの公園で、月を眺めていた。
シャワーを浴びて洗ったばかりの髪を、優しい風が撫でるように揺らしていく。
築地は隅田川からの風が吹くのさ。
月を眺めながら、逢いたくてもなかなか逢えないあの人この人を想うのさ。
切ない気分になってくるもんだ。

そんな感傷に浸っているうちに、すっかり月は雲に隠されてしまった。
仕方ない。俺は愛用の下駄(こいつは歯がないから『右近』というらしい)をカランコロン言わせながら歩いていると、聖路加病院のほうから、スタイルのイイ素敵な女性が、歩いてきた。派手すぎないがセンスのイイブラウスに、スキニーパンツのイイ女だ。
街を歩けば、イイ女なんてのは、このご時世ごろごろいるが、袖も触れ合わないのは他生の縁すらないんだろう。俺には関係ないってことだ。
しかし、この女性の足元を見て、俺は腰が抜けそうになった。
普通なら、ハイヒールのサンダルかなんかを履いてそうなスタイルなのに、彼女が履いていたのは下駄、しかも一本歯の下駄だったのだ!そう、天狗が履いてるあの下駄だ。
世の中、俺の予想を超えることがおこるものだ。

彼女の姿を見て、さすがの俺も思わず、『負けた!』と呻いてしまったぜ。
そう、名古屋のファンキーガッツマン№1のこの俺がだ!

それに気づいた彼女がこちらをちらりと見たので、俺はすかさず『一本歯とはいかしてますね!負けました』といって話しかけた。
彼女も俺が鬼太郎みたいにカランコロン言わせて歩いているので、下駄を履いてると気が付いていたようで、『いえいえ、そちらもなかなかイイ音してますよ』と言ってくれた。
彼女の話では、彼女は腰椎を悪くして、どの医者も回復の見込みがないと言っているのが癪で履き始めたのだという。どうやら、一本歯の下駄は腰痛にイイみたいだな。確かにバランス感覚を養いつつ、体幹が鍛えられるようだしな。

負けん気の強い俺は感心しつつもちょっと悔しいので、『この下駄だって、素敵なんですよ、ほら』って、履いている下駄を脱いで見せてみた。
俺の下駄は脱いで左右を揃えると、虚空に吠える虎の姿があしらわれている。近所の履物屋で5,000円で買ったんだけどな。ちなみに、般若の面というぶっとんだ意匠もあったが、それじゃさすがに昭和のヤクザみたいなんで、虎にしたんだ。

彼女は、それを見て、『ほんと、素敵ですね』って感心してくれたんだけど、ついでに俺の足を見て、『下駄を履いているだけあって、足が綺麗ですね』って変なところを誉めてくれたよ。

俺はそこですかさず、こう切り返したのさ。
『心はもっと綺麗です!』
ダッハッハ、これは本当の話だぜ。

読者諸君、失礼する。少なくとも、行きつけの中華料理屋、築地駅前の寿楽の帰り道、公園で酒盛りしてひっくり返って眠っているサラリーマンの親父よりかは、よっぽど綺麗な心を持ってるつもりさ。

2015/08/22

Post #1600

Hamburg,Germany
昨日、朝の四時から現場に乗り込み、大声で現場の男たちを叱咤激励しつづけ、職方同士の利害と意地とのもつれた糸を解きほぐし、或いはまた一刀両断、仕事を終えたときにはフラフラだったぜ。
おかげですっかり寝落ちしてこんな時間に書いている。今、深夜3時。

夜中の公園に行って煙草を吸う。止めたはずの煙草だが、あまりのストレスにまたぞろ復活してきているのさ。
すると、銀座の夜の女だろうか、若くてスゲーいい女がやってきて煙草を吸っていやがる。
俺は気の無いそぶりをするが、5メートル離れても鼻先に押し付けられるような香水の香りが、否が応でも感じられて、『畜生、そんなに自分を主張したいのかよ』って内心イラつくのさ。
見たくないものは目を閉じればすむ。聞きたくないものは耳をふさげばいい。けど、匂いはねぇ・・・。鼻つまむのも格好悪いというか頓馬だしね。相手がイイ女だと、尚更自分の頓馬さが引き立つというものさ。
俺は鼻がきくたちで、しかも匂いが空間的な拡がりとして感じられるので、いつも道ですれ違った人間の軌跡を感じるくらいなんだ。そう、それぞれのニンゲンの匂いが、空気の中に帯のように残っているのさ。だから、あんまりキツイ香水の香りは、暴力的に感じられるんで、好きじゃないんだ。若くて色気むんむんで、きれいな女だからって、どんなおじさんもくらくらすると思ったら大間違いだ。

久々にカメラを買ってしまった。


こいつだ。そう、ツァイス・イコンの名機、ContaxⅡだ。

まさにガレージのシャッターの様な金属製縦走りのシャッター。
とんでもなく長い基線長はピント精度の高さを雄弁に物語っている。
80年たっても輝きを失わない金属の光沢。
低速シャッターを切ったときに働く低速ガバナーがたてるネズミの鳴くような音。
ごつごつと男っぽい多角形のフォルム。
ライカだけがレンジ・ファインダーカメラだと思っていたら、大間違いだ。
なにしろ、こいつはあのロバート・キャパがアメリカ軍のノルマンディー上陸作戦に同行し、恐怖に震える手で写真を撮ったカメラなんだ。男のロマンが加速するんだ。なにしろ俺の人生はいつだって、ノルマンディー上陸作戦の様なものさ。

現場のすぐそばの中古カメラやのウィンドウにひっそりとたたずんでいたのさ。
流石は銀座だ。誘惑が多い。きれいなおねーさんだけが男を惑わすんじゃないんだぜ。キレ―なお姉さんには目もくれず、迷わずこいつに惚れ込んだのさ。

レンズはない。しかし、家に使えるものがある。問題ないぜ。
35ミリか21ミリのレンズをつけて、ピントは3~5メートルで固定焦点、シャッタースピードは適当に、ノーファインダーでつむじ風のように世界と切り結んでいくのさ。
なにしろ税込32,400円という嬉しい価格だ。経費でおとして買ったのは税務署さんには内緒だぜ。こいつは1936年発表の素晴らしいカメラだ。カメラだって、最新のものがイイと飛びつく奴ばかりだと思ったら大間違いだ。
ずっと探し求めていた。けれどどうしてもめぐり合うことができなかった。
それが、こんな激戦の真っただ中に見つけることがっできるなんてね。

まるで、ずっと心に思ってきた初恋の女性に巡り合い、その女性と結ばれたような気分だ。
これからこいつと一緒に、いろんな経験をするのさ。

読者諸君、失礼する。今日も朝早いのさ。

2015/08/21

Post #1599

Essaouira,Morocco
今日は朝の4時から仕事なんで、写真だけお送りするぜ。

失礼する。

2015/08/20

Post #1598

Kathmandu,Nepal
今夜は疲れてるんだ。しかも、今日は5時30分から現場に乗り込みだ。
こうしちゃいられないぜ。
おやすみ!

読者諸君、失礼する。

2015/08/19

Post #1597

Istanbul,Turk
最近まで、昼も夜も働いていたので、夜、現場が動いていないと、なんだか手持無沙汰というか、これといってやることもない。
僕はTVは一切見ないから、ウィークリーのTVはコンセントが抜かれているほどだ。
だから、時間を持て余す。

愛用の引伸機と薬品と、印画紙と山のように積みあがってるネガフィルムを、旅先にまで持ち込んで、毎晩朝までプリント出来たなら、次々と傑作を生み出すことができただろう。
残念だ。
それとも、あの人がそばにいてくれたら、どんなに素敵な時間を過ごせるだろう?
きっと朝まで眠らないさ。

読者諸君、失礼する。そんなわけで、することもこれといってなく、眠ってばかりの僕なのさ。

2015/08/18

Post #1596

Kathmandu,Nepal
昨日はいろいろあって、珍しく寝落ちしてしまった。
何があったかは君には言えないさ。
誰にも言わずに、自分の中にしまっておきたいことの一つや二つ、あってもイイだろう?

読者諸君、失礼する。さて、今日も男の仕事だ。

2015/08/17

Post #1595

Bremen.Germany
僕は、自分が何者なのかが知りたい。
この世界に、どんな使命をもってやってきたのかを知りたい。
それを求めるのは、矢を射られて傷ついた怪我人が、誰がどんな意図で矢を放ったのかわかるまで、矢を抜いて治療してはいけないというようなものかもしれない。そんなたとえをお釈迦様が語っていたのを読んだことがある。もっともだ。
それを知ることがなくても、正しく生きることはできるからだ。そして、その時々、精一杯生きていくうちに、自ずと見えてくるものなのかもしれない。
僕は、それを見出したい。

そんなものはない、人生に意味はないというのは容易い。
けれど、人生に意味を見出さないことから、人間性への軽視が芽生える。

意味のない生を貪っているのなら、さっさと死んだほうがイイという、明らかに誤った結論に、いずれはたどり着いてしまうのだから。
あるいはその手前で、ニンゲンを利益を生む肉でできた機械のように考えるようになってしまうかもしれない。
他人を、自らの快楽の道具としてしか考えない、嫌な人間へ歩みだしてしまうかもしれない。
人間の歴史にみられる、ありとあらゆる愚行に、人間性への無理解があると思える。
僕は、そんな愚か者の仲間には、なりたくはない。


昨日、公園で酔っぱらいの浮浪者と、なんだかわからない話をして笑いあった。
酔っぱらっているんで、何を言っているのかさっぱりわからないんだがね。しかし、わからないなりに、とにかく面白かったのさ。
この人の存在にも、なんらかの意味があり、その人が真っ直ぐ僕を目指して歩いてきて、語りだしたということにも、なにか意味があるように思える。

時に、地霊が浮浪者の姿を借りて、自分に縁を結びに来たように感じる事もある。
なにしろ、彼らは地面に直接身を横たえて眠り、地の気を濃厚に受けているのだから。

僕は蝶が舞い、鳥がさえずるとき、誰かの魂が蝶の姿をとって現われたように感じ、鳥のさえずりに何かのメッセージが込められているようにも感じる。

風が吹くとき、離れた懐かしい人の気配を、風が運んでくれるような気がする。

昇る朝日に向かう時、光そのものが一種の力となって、体に注がれるように感じる。


世界でも有数の文化都市東京に仮住まいしながらも、僕の中には未開の心性が息づいている。
自然と人間とが、神と精霊とが交わっていた、遙か太古の心性が自分の中に潜んでいる。
僕は自分でそう思う時がある。

読者諸君、失礼する。

2015/08/16

Post #1594

Bodhanath,Nepal
お互いに思いやりや愛情のこもった言葉を交わしていると、言葉を重ねるほどに、幸福感が増してくるよね。
ますます相手と話していたくなるのさ。
ユーモアと思いやりのこもった言葉をやり取りすればするほど、そして相手のことを知って、理解すればするほど、どんどん幸せがましてゆくような気がするんだ。
そういうもんじゃないかい?
ほら、恋人と話をしたりしてることを思い出してごらんよ。
他愛もないことかもしれないけれど、あれって幸せだろう?

人を誹謗中傷したり、批判しあったりするのは、言葉を重ねれば重ねるほど、互いに心が荒んでくるのさ。応戦しなくても、自分の尊厳を踏みにじるような言葉を投げかけられたりしたら、だれだって心が暗くなってしまうだろう。悲しい事さ。
言い返してみたところで、自分も相手も、ますますお互いのことを否定したくなって、ムキになった挙句に、自分自身の心を曇らせてしまうんだ。
しかも最悪なことに、それにじぶんで気が付かない。
それで相手を論破できたり、社会的に貶めたりできたところで、結局は自分の心が貧しくなるだけだよ。
バカバカしいッたらありゃしないぜ。
せっかく素直な心をもってうまれてきたのに、それを糞まみれにして何が幸せなんだろう?

僕は、誰かを誹謗中傷するような言葉は、もう使いたくない。
もちろん、納得いかない社会のあれやこれやを指弾するのを、やめる気はないけれど、具体的な誰かを批判したりこき下ろしたりするのは、つまらないからやりたくないのさ。


自分の心を貧しくするのは、ごめんだ。
この人生をもっと大切に使いたいのさ。


もって生まれた激しい気性は、自分の大切な人たちを守るためだけにとっておくのさ。
自分の大切な人たちと、心を通い合わせるような話をして、自分も相手も、もっと幸せを感じたい。

殺しあうよりも、非難しあうよりも、愛し合ったり、思いやっりあったりするほうが、愉しく生きられるんじゃないかしら?

読者諸君、失礼する。ごきげんよう。あたりまえのことだけど、あたりまえのことをあえて言わなければいけないなんて、世の中どうかしてるぜ。

2015/08/15

Post #1593

Tokyo

本日、8月15日は終戦記念日だ。

毎年、この終戦記念日という言葉に、引っかかる僕なのさ。
まるで、ごみ処理場をクリーン・センターって言い換えるようなもんだろう?クリーンセンターなんて言うだけで、僕達自身が出したくせえゴミの臭いがぷんぷんしてんのに、さも小綺麗な場所のように感じるだろ?そんな胡散臭さを感じるのさ。

今から70年前の今日、かつてアジアに存在した覇権国家、大日本帝国って国はアメリカやイギリスを中心とした連合国に敗北したんだ。
ちなみに、この連合国を英語で表すとThe United Nation、つまり皆さんお馴染みの国連そのものだ。
戦後レジームから脱却するというのは、世界の常識からすれば、国連から脱退し、いわゆるならず者国家になることを意味するのさ。そう、戦前の大日本帝国が、当時の国際連盟から脱退したようにね。
完膚なきまでに叩きのめされたあとで、皆様の安部ソーリがつまびらかに読んでいないといっていた『ポツダム宣言』を受諾し、ありていにいえば降参したんだ。
それまで、この大日本帝国という国は、西洋文明へのカウンターたらんとして、アジアの植民地解放を謳い、イギリスやオランダの植民地をぶん取り、中国大陸から欧米人を叩きだした。
そして、やったことと言えば、そこを大日本帝国の植民地とし、或いは傀儡政権をつくり、自分たちに協力しない現地の人々を、派手に弾圧した。
町の気のいい男たちは、赤紙一枚で戦場に送り込まれ、ヒロポンを打たれ、良心理性は摘み取られ、軍隊という組織に追い詰められた挙げ句に、方々でろくでもない残虐行為を行った。そして、その悔恨を胸の奥にしまいこんだまま、多くの人がこの世を去っていったに違いない。

証拠がない、資料がない、だからやってないなんてことは、日本のなかでしか通用しない話しだろう?中国や韓国、フィリピンやインドネシア、シンガポールやマレーシアに行って、そう主張してみればわかるだろう。
実際に中国では、日本軍は『東洋鬼=トンヤンクィ』と呼ばれて人々の憎悪の的になった。僕はそれを死んだお婆さんから、直に聞かされて育った。
彼女は戦時中大陸に暮らしていたのだ。実際に見てきた人間のいうことは信用に値するぜ。
この無謀な戦争に勝利するために、国民のあらゆる力は総動員された。しかし、豊富な物量と合理的で容赦のないアメリカの圧倒的な戦力の前に、大日本帝国は消耗し尽くしたあげく、無惨に敗北したんだ。
そして、大日本帝国という国はなくなり、アメリカを中心とした国連によって統治されたのちに、日本国という別の国家が生まれた。そう、ある意味で別の国なんだ。なぜって、国家と言うのは、国民の契約によって成立するものだから。憲法ってのは、その契約書みたいなもんだ。

かろうじて天皇制は残された。
陛下はおなくなりになるまで、戦争の犠牲者を弔い続けられた。それは大日本帝国で軍の総帥であった昭和大帝が自らに課した戦争責任の取り方であったと思う。その御心は今上の陛下にも明らかに継承されている。

憲法は変わった。戦争にうんざりしていた国民はもちろん、政治家もみな、今日の日本国憲法を歓迎した。だって、もうこの憲法があるかぎり、くだらない戦争で何百万にもの人々が、焼肉や挽き肉みたいな無惨で惨めな死を、押し付けられることがなくなったんだから。

戦争を知る人々が、世を去るにつれ、あの戦争には大義があったとかいう言説が飛び交い、再び日本が戦争の出来る国にしようという政治の動きに歯止めがかからない。

僕は、70年前に終わった戦争で亡くなった全ての人に申し訳ない。そんな思いで胸いっぱいだ。

僕には来年、子供が出来るだろう。
戦争中のプロパガンダに『名誉の戦死と喜ぶ老母』というものがあった。冗談じゃない。

僕は、自分の子供が戦争で死んでしまっても、喜んでいるように振る舞わなければならないような、嘘で塗り固めた嫌な社会は、僕は真っ平だ。

自分の良心が、到底受け入れられないことに異を唱えると、隣近所から非国民と謗られ、場合によっては投獄され処刑されるような暗い社会なんて、僕は真っ平だ。

国民同士が、互いの言葉に聞き耳をたてて、密告することが奨励されるような社会なんて、僕は真っ平だ。

ネットの社会では、すでに似たようなことがおこりつつあるように感じるけどね。みんなが、匿名の裁判官のように振る舞っている。ボブ・マーリーは、『誰かを指さして非難するのなら、自分の指が汚れていないか、まず確かめろ!』と言っていたけど、どんなもんかな。

若者たちが、日本とはまったく縁もゆかりもない国で、自分たちに関わりのない戦争の片棒を担がされた挙句、弾に当たって殺されてしまい、英霊としてどこやらの神社に祀られるような社会も、気に入らない。


僕は、生まれてくる子供に、そんな不幸な世の中で苦しんで欲しくはない。

だからせめて今日は、戦争によって絶ち切られた何百万人もの人々を悼もう。

戦争によって、人生を狂わされ、大切なものを奪われて、なおも生き続けなければならなかった人々の苦しみを偲ぼう。

そしてそれは日本人に限ったことではなく、全てのあの戦争で、命を落とし、また苦しんだ人達全てのために。

この日が、奇しくも死者があの世から帰ってくるというお盆の時期に当たることに、僕はいつも不思議な符号の様なものを感じるんだ。

読者諸君、失礼する。これについてとやかく言い合うつもりはない。僕は、黙って悼みたいんだ。

2015/08/14

Post #1592

Helsinki
このブログが更新される頃、俺は夜通し続くクレーン工事の真っ最中だ。

よって、今夜は真剣にやらないと危険なんでね、写真だけで失礼するぜ。

読者諸君、失礼する。お盆休みとやらを満喫してくれたまえ。もちろん俺には縁のないものさ。

2015/08/13

Post #1591

荒木経惟 陽子ノ命日 ワイズ出版刊
全ての日付には、何らかの意味がある。

先日の原爆忌が、日本人いや、むしろ人類が共有すべき意味を持つ日付だというのは間違いないが、局地戦ともいうべき卑小な人生を生きる、個々のニンゲンにも、それぞれに忘れられない日付と、それにまつわる記憶がある。
そして、それこそが個々の人間にとっては、何よりも重大な意味を持つものだと俺は思う。
ニンゲンは、自分自身の歩んできた道程から、自由になることはできないのだから。
むしろ、その歩みを自分そのものの一部として受け入れることでしか、次の一歩は踏み出せないのではないかしら?

世界的な写真家、荒木経惟にとって、人生最愛の妻陽子の命日である1月27日こそ、忘れえぬ日なのだという写真集だ。陽子こそ、電通のお抱えカメラマン荒木経惟を、天才アラーキーになるように支えた女性だ。アラーキーの生みの親といっても過言ではないだろう。
実際に、荒木経惟は陽子との新婚旅行を撮った私家版の写真集『センチメンタルな旅』で、真に写真家としての一歩を踏み出し、電通を辞めてフリーランスになったころは、陽子の貯金で食いつないだという。
これについては、当ブログのPhotographica #Aを参照されたい。くどいくらいに書いてあるさ。

今俺が悪戦苦闘している現場は、銀座の老舗書店の、築80年オーバーのビルにあるため、少し時間があると、その書店に作業服のままもぐりこんで、何冊かの本を買ってしまうのだ。
そこで、見つけたのがこの写真集だ。ワイズ出版から今年の5月25日に出版されている。ご覧になっておいでの方もいるだろう。
『陽子ノ命日』より
『陽子ノ命日』

思わせぶりなタイトルだ。
しかし、その中をめくれば、そこには単に荒木自身が、最愛の妻の命日にあたる一日を、コンパクトカメラで淡々と切り取って行っただけの映像的断片が収められているだけだ。

劇的なコトは、何もおこらない。

こんな写真を俺や君が、FBにUPしたとしても、だれもイイねなんてしてくれるとは思えない。
そんな写真が、ひたすら、時間の流れのままに並んでいるだけの素敵な写真集なんだ。
『陽子ノ命日』より
空、陽子の遺影、玄関の扉、家の前の道、タクシーの窓から撮ったと思しきスナップ、卓上コンロと皿に盛られた牛肉。すき焼。トイレ。などなど・・・。

拍子抜けするほど、単調な写真が延々と続く。
すき焼にしたのは、陽子の命日だからだろうか?
NHKのニュースキャスター、後藤健二さんとイスラム国、そして、交渉に応じるべきではないと語るアメリカのサキ報道官の写真なども続くが、それとて、単に陽子の命日にTVに写っていたものをとっただけとしか思えない。

唯一、その単調で平面的な写真をして、荒木経惟自身にとって、意味のある写真としているのは、写真の隅に印字された、’15 1 27という日付だけだ。

この素人じみた単調な写真は、この日付が入っていることで、深い意味を帯びてくるのだ。

もちろん、それは写真家以外にとっては、何の意味もない日付かもしれない。
しかし、俺たちは、その日が彼にとっての最愛の伴侶の死んだ特別な日だということを知っている。
そして、その一日に、稀有な力量を持った写真家が、目に付いた映像的断片を拾い集めるようにフィルムに収め、日付を印字したままプリントし、一冊の写真集にまとめ上げる事で、それらのある意味退屈な写真が、かけがえのないアウラを帯びることを目にするんだ。

『陽子ノ命日』より
荒木本人があとがきに書いていることを引用してみよう。

『だいたい人はさ、1日を繰り返しているわけだよ。
「繰り返している」って意味では、退屈なんだね。
そりゃ忙しかったり、事件がある日もあるけれど、
かならず退屈という隙間もあるのさ。
アタシのいまの写真の境地は、
その「退屈」なんだよ。
いままでだったら没写真のようなのがいいね
この写真集は、
陽子の命日だけを写したんだけど、
特別にじゃなく、
朝起きてタクシーに乗って出かけて、
夜帰ってくるっていうのを、
いつもと同じように、
同じようなトコを淡々と撮った。
1日だけを撮っても、コトは写るからね。
どんどんありのまま、そのままになっていく。
写真にあまりにも近づきすぎちゃっている。
もっと退屈でもよいくらいだよ。
『陽子ノ命日』は、
陽子の遺影にローソク1本、あげたようなもんだね。
幽かな写真の光が灯っている。』
(荒木経惟 写狂老人日記 陽子ノ命日 より)

凡庸な写真家が、退屈がイイといってある一日を写真集にまとめようとしたところで、それで写真集が成立できるとは思えない。
ましてや、写真にあまりにも近づきすぎちゃっているなんて、絶対に言えないだろう。

それが成立してしまっているのは、ひとえに荒木経惟が、この写真に日付を入れている事で、それが(私たちにとっては意味のない一日の、意味のないシーケンスでありながらも)、写真家本人にとっては、言葉では語ることのできないような、深い意味をもった一日に、彼自身が心に去来するものの反射として、写し撮ったものだという想像力が、私たち自身のなかにはたらくからだ。
それが、写真には写ってはいないが、(実際には日付として写り込んでいるのだが)すべての写真を貫くスピリットとして作用し、これらの写真を一冊の写真集として成立させているのだといえよう。

また、見る者の網膜を刺激するような写真、見るものをして驚愕驚嘆させるようなあざといイメージ(あえて写真といわず、イメージといわせていただく)が、世界中に溢れかえっている現在に、『どんどんありのまま、そのままになっていく・・・もっと退屈でもよいくらいだよ』と言ってのけることなど、荒木経惟以外の誰に言える言葉だろう?強いて言えば、中平卓馬か?

俺はこの言葉に触れたとき、かつて思想家の吉本隆明が、知の究極の目標は、知の頂点を極めたのちに、非知へとゆるやかに着地することだといった言葉を想起する。

長年にわたって培った技術もセンスもはからいも、すべて捨て去って、ただ目の前に生起する現象を、淡々とフィルムに収める。
あえて意味を問うことなく、目の前の現実を全て等しく見做して、たださらさらとシャッターを切っていく。
おあつらえ向きの構図だの効果だのと言うような、皆は重要だと思っているものを一切排除してシャッターを切っていく。

これは、できそうでできないことだ。

写真に真剣に取り組んだことのある人なら、それがどんなに驚くべきことなのか、わかってもらえると思う。

そのあたりまえながらも、誰にもできないことを、さも気の無いような様子で、サラリと言ってのける荒木経惟の驚異的な力量よ!

読者諸君、失礼する。喪失した日付は、忘れることができないものだ。それこそが、ニンゲンであるし、その喪失の意味を背負っても、なお生きてゆかねばならないものも、私たちニンゲンだ。

2015/08/12

Post #1590

Ubud,Bali,Indonesia
人生にホントーに必要なものは、たぶんそんなに多くないはずだ。

最近、よく思い出す言葉がある。たぶん高校生くらいの頃に読んだんだと思うんだけど、定かじゃないな。レゲーの神様ボブ・マーリーの言葉だ。何かのインタヴューで、ボブがそう答えたっていう断片的な記憶なんだけど。
インタヴュアー 『あなたはBMWを持っていますか?』
BMWはもちろん、ドイツの高級車だ。
ボブ・マーリー 『いや、持ってないよ。けど俺は別のBMWを持ってるんだ。ボブ・マーリー&ウェラーズだ。俺はBMWを欲しいなんて思わないけど、このBMWが俺にはふさわしいよ』

なんてカッコいいんだ、ボブ。さすがだ。
今思い出しても、かっこよさにしびれる。
虚飾でもはったりでもない、図太い自信を感じるよ。
ニンゲンは、資産や持ち物や姿かたちで評価されるべきではなく、その行いで評価すべきものだと言われているように感じるぜ。

読者諸君、失礼する。俺はボブ以外のレゲーはあまり好きじゃない。ボブの魂のこもった歌の前では、形式を踏襲しただけの安っぽいものにしか聞こえないんだ。残念なことさ。

2015/08/11

Post #1589

HongKong
子供じゃなけりゃ誰でも、二つ以上の顔を持ってると清志郎は歌っていたな。
世の中たいていは、何らかの仮面をかぶって生きてるものさ。

確かに裏表なく生きるのはしんどいもんだよ。
けど、俺はできるだけ、素のままで勝負したいと思ってるんだ。
なんの虚飾もはったりもなく、嬉しいときには笑い、悲しいときには泣き、腹が立つときには怒ればいいと思ってるんだ。簡単なことだろう。人の目なんか気にしちゃいないさ。
だって、俺の人生なんだもの。俺以外の役を演じて生きるのなんて、まっぴら御免さ。
俺は俺流なのさ。
俺の人生の主人公は俺なのさ。イイことも、悪い事も、素顔の素面で受け止めるのさ。

大人げないって言われたって、構やしないぜ。

読者諸君、失礼する。脱ぎ捨てた仮面は、そうそう格好のいいもんじゃないな。

2015/08/10

Post #1588

Izmir,Turk
珍しく仕事が休みだったので、東京に住む友人が勧めてくれた河鍋暁斎の展覧会を、丸の内の三菱一号館美術館に見に行ってきた。
なかなか面白かったよ、ありがとうとメールを送ると、なんとなく一緒に食事でもどう?なんて話になってので、たまにはってことで、銀座の裏通りにあるトルコ料理屋に行って食事をとることにした。
彼女はトルコ料理なんて食べたことないって言っていたけど、中華料理やフランス料理と並んで、世界三大料理に数えられているんだぜって教えたら、まんざらでもないってことで、トルコ料理に落ち着いたのさ。イスケンデル・ケバブやキョフテなんかを二人でおいしくいただいてきたのさ。
正直に言って、俺が久しぶりにトルコ料理を食べたかったのと、せっかくの機会だから、普段お互いにあまり食べないようなものがイイだろうって思ったんだ。
で、トルコやモロッコに旅行した話をしたり、昔話に花を咲かせたりしたんだ。
俺の不徳の致すところで、久しく会っていなかった友人だから、話は尽きない。
けれど、少年時代に濃密な時間を共有していたから、まるでそんなブランクなんかなかったみたいに話は弾むのさ。おかげさんで、すっかり夜も更けちまったぜ。
また、時間を作ってゆっくりと話し合いたいもんだな。

そんなわけで、今日はトルコの中堅都市、イズミルのバザールの写真をお送りしよう。
地中海の日差しにまぶしい光に照らされていた、あのバザールの喧騒がどうにも懐かしいぜ。

ちなみに、昼は独りで名古屋名物『みそカツ』を食ってきた俺なのさ。なにしろ俺は自分のことを、日本人である前に尾張人だと思ってるんだからな。そう、信長や秀吉と同じ尾張人だ。赤みそがないと生きちゃいけないのさ。

読者諸君、失礼する。しかし、どうにもエンゲル係数が高い一日だったなぁ。こりゃ明日からまた節制しないといけねぇな。

2015/08/09

Post #1587

Tokyo
Paul Weller
Wood Cutter's Son

Sugar town yea has turned so sour
It's people angry in their sleep
There's more small town, oh paranoia
Sweepin' down its evil sheets

Give me the chance
I'll cut you down with a glance
With my small axe, so help me
Though I'm only one and though weak I'm strong
And if it comes to the crunch
Then I'm the woodcutter's son

Cutting down the wood for the good of everyone, yea

You can tell yea, it's witching hour
You can feel the spirits rise
When the room, goes very quiet
Oh and there's hatred in their eyes
(Hatred)

You better give me the chance
I'll cut you down with a glance
Yeh, with my small axe, so help me
Though I'm only one an' though weak I'm strong
And if it comes to the crunch
Then I'm the woodcutter's son

Cutting down the wood for the good of everyone
Cutting down the wood for the good of everyone, yea

There's a silence when I enter
And a murmur, oh when I leave
You can see their jealous faces
Oh I can feel yea, the ice they breathe
(Ice they breathe)

You better give me the chance
I'll cut you down with a glance
Yeh, with my small axe, so help me
Though I'm only one and though weak I'm strong
And if it comes to the crunch
Then I'm the woodcutter's son

Cutting down the wood for the good of everyone
(So)
Cutting down the wood for the good of everyone
(Yea)
Cutting down the wood for the good of everyone
Cutting down the wood for the good of everyone
Cutting down the wood for the good of everyone


ふと、この曲を思い出して、口ずさんでいた。
虚飾も、冷笑も、憎悪も、嫉妬も、心ない人の言葉も、きこりの息子がその小さな斧で切り倒すように蹴散らしてしまうような、素朴で真っ直ぐなニンゲンでいたいと思ってね。
『俺はたった独りで弱いけれど、俺は強いんだ』ってところが、いいのさ。
自分の弱さを知らない奴は、本当の強さを手にすることはできないんだ。
たった独りで現実に立ち向かえない奴は、本当に強いなんて言えないからだ。

読者諸君、失礼する。俺にとっての小さな斧は、いったい何だろう?

2015/08/08

Post #1586

Swayambhnath,Nepal
何とか生きてウィークリーマンションに戻ってきた。
もちろん、明日も仕事だ。写真だけお送りさせて頂いて、とっととお休みさせていただくぜ。

そういえば、James Brownの曲に、Blind Man Can See Itって曲があったな。
粗削りなインストだけど、グルーヴに溢れたイイ曲だ。確か The Jungle Groove って素晴らしいアルバムにボーナストラックで入っていたような気がするぜ。あれは名盤だ。君が聞いたことがないっていうなら、それは国家的な損失だ。

目に見えるものだけを信じていると、ろくな目に合わないぜ。
心の目で見ろってことだ。

読者諸君、失礼する。俺の分まで素敵なウィークエンドを過ごしてくれよ。そういえば、Niel Youngには、Week Endって曲もあったな。これまたイイ曲だ。名盤ハーヴェストに入っているぞ。

2015/08/07

Post #1585

On The Road,Nepal
昨日の朝から始まって、この先数日は昼夜フルタイム勤務の死のロードの予感だ。
店舗屋は過酷な職業なんだ。
この暑さだ。すでに頭が割れそうに痛いけれど、カンケーないね。
マジでヤバいかもしれんが、これも男の意地だ。チキンレースだ。真夏の我慢大会だ。
満足な仕事もできないくせに、一丁前の泣き言をほざく奴らに、俺の本気を見せてやるんだ。
このままじゃ、現場で重大な事故が起きかねない気配だからな。
この現場には、俺の代わりは誰もいないんだ。
仮に死んだところで、最初っからこんな奴、この世にいなかったと思えば、別にどうってことないさ。人間なんて、そんなもんだろう?

読者諸君、失礼する。

2015/08/06

Post #1584

Malmö,Sweden  かつての造船所は、風力発電のシャフトをガンガン製造している。
全ての日付には、何らかの意味がある。

今日は原爆忌だ。

70年前の今日、人類の歴史で初めて使われた原子爆弾によって、何万にもの人が、殺戮された日だ。その爆弾を落としたのは、日本が追従しているアメリカという戦争がたいそうお好きな国で、年がら年中、世界中のどこかで戦争をしている。
そのアメリカと言う国の戦争のお手伝いをできるようにする法律が、皆様の自民党の手で、国民の皆様がお選びになった安倍ソーリの主導のもとで、粛々と進められている。
答弁を聞いていると、頭が悪いとしか思えない防衛大臣は、この法案が成立すれば、アメリカ軍の核兵器を日本の自衛隊が、後方支援という美名のもと、運ぶことも可能だという。Yahoooooh!

これが、原爆で死んでいった数多くの広島の人々に対する侮辱でなくて、なんだというんだ?

俺たち日本人は、忘れっぽいのさ。そういえば、震災のことなんて、みんなすっかり忘れちまったんじゃないのかい?

銀座のど真ん中で働いていると、本当にそう思う。
ギラギラと照り付ける日差しのなかを歩いているときに、ふと百貨店やハイブランドやスーパーブランドのエントランスが開くと、冷気の塊がそこからどっと噴き出してくる。
寒気がするくらいだ。
冷房をいくらかけても、屋上にある室外機からは熱がどんどん発散し、気温は上昇してゆく。
なのに、サラリーマンはスーツを着ている。失礼だから?
まるで土人の掟だな。馬鹿じゃないかしら?

震災の後には、深刻な電力不足で、日本中が戦争中みたいな空気だったのに。
『欲しがりません、勝つまでは』なんてスローガンと同じように、節電が叫ばれていた。
あれは何だったんだ?
日本中が『絆』だとか『頑張ろう、東北!』とかいって、まるで『大政翼賛会』みたいに盛り上がっていたけれど、所詮あんなのは一過性のブームだったのか?

俺たちは、みんな忘れっぽい。

太陽光発電ブームがやってきて、知り合いの電気工事屋や屋根屋は、空前の利益を得ていたものさ。けれど、原発を再稼働させたい政府は、電力の買取り制度を改悪してしまった。
原子力がそんなに好きなら、いっそ東京湾とか大阪港あたりに原子力発電所を作ってみるってのはどうだい?安全なんだろう?それをやらないのは、本当は危険だからさ。

福島の原発は、未だに放射性物質をじゃんじゃん生み出しているというのに、政府はそれを完全にコントロールできているという。そして、世界で最も安全な基準に基づいているから、原子力発電所を各地で再稼働させようと、日夜努力している。それどころか、世界中に日本の原子力発電所を輸出しようとしている。意味が解らないぜ。

スウェーデンのマルメは、かつて世界でも有数の造船産業の街だった。

かつて鋼鉄製の巨大な船が作られてた工場では、今、風力発電のシャフトが大量に作られている。船を作っていた技術を転用しているんだ。
北欧からドイツあたりでは、海の上にずらりと巨大な風力発電の風車が並んでいる。
のどかな牧場や農場の向こう、地平線ににょきにょきと、巨大な風力発電の風車が並んでいる。

彼らにできて、どうして日本人には出来ないんだろう?未曽有の災害を経験したのに、忘れてしまったんだろうか?

忘れることは、死んでいった人たちに対する冒涜だと思う。俺は、わすれたくない。

読者諸君、失礼する。大事なことだから、もう一度言おう。今日は原爆忌だ。

2015/08/05

Post #1583

HongKong
眠って起きて、現場にゆき、汗と埃にまみれながら、一日中大声で現場を切り回し、真夜中に帰って眠るだけの暮らしなんで、君に何か言うべきことがあるだろうか?
そこが田舎のショッピング・モールだろうが、銀座のど真ん中だろうが、俺の仕事のスタイルは、いささかもぶれないのさ。
仕事があれば、どこにだって行くんだ。そう、俺の根っこは流れ者なのさ。そして、どこに行っても名古屋弁だ。赤だしのみそ汁やきしめん、みそカツだの鉄板スパゲティーが食いたくて仕方ないんだ。

けど、俺はそんな暮らしが気に入っているのさ。毎日同じところに通うなんて、厭きちまうだろうし、デスクワークなんて、俺には向いてないんだ。なにしろすぐに眠たくなっちまうからな。

読者諸君、失礼する。俺は懐具合以外は充実してるのさ。俺のことは心配はいらないよ。夏バテなんて気配もないぜ!

2015/08/04

Post #1582

Ubud,NBali,Indonesia
毎日がジェットコースターにシートベルト無しで乗ってるような勢いだ。
おまけにこの暑さだ。
正直いって、たまらないぜ。

読者諸君、失礼する。ゆっくりと眠りたい。

2015/08/03

Post #1581

Moulay Idriss,Morocco
今日は眠くて仕方ないんで、写真だけ。
これはイスラム圏でよく見かけるファティマの手を象ったドアノブだ。

ファティマはたしかムハンマドの娘で、非常に慈悲深い女性だったと伝えられていたと記憶してるんだが、彼女の手が差し伸べられ、守護されるように、イスラムの人々は、手のひらを象った装身具を身に着けたり、家に飾ったりする。

このドアノブの意匠は、イスラム教徒によって一時期支配されていたスペインなんかでも見ることができたはずだ。なんか見た覚えがあるんだよ。

読者諸君、失礼する。おやすみ。

2015/08/02

Post #1580

Kathmandu,Nepal
妊娠初期のカミさんを残して、独り東京に出張してるんだが、現場は相変わらず火を噴いている。
ヤバいほどに火柱が上がれば上がるほど、こっちもヤル気が湧いてくる。
睡眠時間を削っても、ジャンクなものばかり食う羽目になっても、俺はへっちゃらなのさ。暑さだって、地元名古屋のねっとり肌に絡みつくような暑さに比べりゃ、どうってことない。ねっとり肌に絡みつくのは、エッチなおねーさんだけにしてほしいがな。

一昨年の正月明けに亡くなったばあさんの納骨に関して、弟や父親ともめている。
俺は、自分が7,8月は仕事でいないので、9月になって俺が地元に戻ってから、お彼岸までにお寺さんにお願いして納骨するという話になっていたのに、何の連絡もなく、弟はお盆前に納骨を行うことを決めてしまった。
俺は猛烈に怒った。
どうしてわざわざ俺が頼んだことと真逆のことを、俺になんの相談もなしに決めるのか?
カミさんは、日にちを変えればいいじゃないというが、そういう問題では、ないんだ。

俺は親兄弟ながらほとほと愛想が尽きたので、自分の名字を捨てることにした。

ちょうどいい。子供も生まれてくることだ。そろそろカミさんとも正式に入籍するべきだろうし、それならそれで、ここはいっちょう、カミさんの姓を名乗ることにするか。

さらば服部一族。伊賀忍者の末裔たちよ。いつまでも天井裏に潜んでるがいいさ!

そうなると、会社の登記簿も書き換えないといけないな。これには5万円かかる。
パスポートだって、免許証だって書き換えが必要だろう。これも出費は出費だ。
けど、ケツの穴の小さい馬鹿どもと親戚づきあいを続けて、人生を浪費することに比べりゃちょろい。

まったく、セイセイするぜ。

生まれ変わるような清々しい気分だ。占い師のババアにも、さっさと入籍しろ!って叱られていたしな。渡りに船だ。

それをカミさんに相談してみたところ、『子供ができたから入籍しなきゃいけないなんて、どうして我が家が日本の慣習にしばられなきゃいけないの?』と、一刀両断されてしまった。どうやら、うちのカミさんにとっちゃ、日本の戸籍制度なんて、土人の掟と大差ないらしいぞ。

いつもながら、凄い切れ味だ。並の女ではこんなことは言えないぞ。いつだって、彼女は俺の予想の斜め上を行っている。

そのカミさんは、今まさに切迫流産の危機に直面している。

子供は胎のなかでスクスク育っているのに、子宮からチョロチョロ出血が続いているんだ。
家で安静にしてなけりゃ、せっかく授かった俺の子供が、流産してしまうんだ。
安静にしていなけりゃならないのに、カミさんの食事とかは、誰がどうするんだ?
俺は何百キロも離れた東京で、今までの自分のキャリアのなかで、最も重要な仕事に没頭していて、昼も夜もなくかかりきりだってのに。
安静にしているのはいいけど、飢え死にしちまったら元も子もないぜ。
くそ!さすが俺の子供、生まれる前から人生最大のピンチだ!冗談じゃない!


俺は、東京の現場を離れることもできない。
一族の糞野郎共に頭を下げるのも御免だ。
ニンゲンのクズと言われても、祈ること以外何もできないんだ。

読者諸君、失礼する。どうしてこう、いろいろあるんだ?人生退屈するひまもないぜ。

2015/08/01

Post #1579

Rabat,Morocco
先日、仕事の合間に古い友人と、銀座松屋の裏あたりのイタリアン・レストランでランチを楽しんできた。しんどい仕事の合間にも、そんな楽しみがないとな。
もちろん、俺は作業服なんだけど、表向きはなぁに構うもんかといった風情を装いながら、内心は作業服でこんな店は気が引けるなぁなんて思っていたんだけどね。
けれど、友人はそんなことちっとも気にしないのさ。気さくな庶民派なのさ。
子供のころからの友人で、何十年もご無沙汰だったけど、お互い昔と何らかわらず、気兼ねしない愉しいひと時を過ごしたんだ。デザートのケーキを、こいつは旨いぜ、一口食ってみなよとか言って、それぞれシェアしてみたりしてね。
目を閉じると、今でも彼女と自転車を並んで走らせ、他愛もないことを語り合い、分かれ道で自転車を止めて、夕日を横顔に浴びながら語り合った日々を思い出す。
今から30光年以上離れた世界の話だ。とっくの昔に失われてしまった時間だけれど、30光年離れた星から地球を見ることが出来るのならば、その懐かしい俺たちの姿を見ることができるだろう。
その頃があるから、今の自分がいる。そして、その頃は失われたわけではなくて、ただ、手の届かない遠くにあるだけだ。ほんの30光年ばかりね。
あまり詳細に思い出すと、懐かしくて、そんな時代にもどってみたくもなる。バック・トゥ・ザ・フューチャーだ。デロリアンが欲しくなるぜ。しかし、そいつは無理な相談だ。そんな思い出は俺の宝物として、お互いの胸の中にしまっておこう。そのほうが美しい。

その時の会話で、昔の同級生がいろいろと海外で生活したりした話を聴いたりしたんだ。

俺は旅行は方々しているけれど、生活の拠点を海外に置いたことはないからな。すこし羨ましく聞いていたんだ。
で、ふと自分がこうして日本で真っ当に働いて、地に足の着いた暮らしを営んでいるのが、不思議な気がするというと、友人も、「そうだね、昔からどこか遠くに行ったきりになって、もう帰ってこないような雰囲気だったもんね」と納得していた。
そう、どこか見知らぬ国を一人彷徨うように旅して、今頃どこかの森のバナナの木の下で肥やしになっていたって何の不思議もないと思っていたんだ。
どうして今、銀座のど真ん中で、大きな現場の責任者を任されて、昼夜を問わず真面目に働いているのか、自分でも不思議な気がするんだ。
俺としては、バナナの肥やしをやってるほうが自然なのにな。

そういえば昔から、俺の師父には、インドだけには行っちゃいかんといわれていたな。
インドがどうのこうのじゃなくて、俺自身がインドにどっぷりはまって、日本に二度と帰ってこなくなると言われていたんだ。さすが、俺の師父。俺の心などお見通しだ。

どうしてそうならなかったのか友人と話していると、やはり俺のカミさんがしっかりしてるからだという結論に至った。来年には子供も生まれてくるしな。
そういえば、師父もそういって俺のカミさんに礼を言ってくれたことがあったっけな。

友人と話が盛り上がったところで、現場からトラブル発生を告げる電話がかかってきた。
仕方ない。俺は友人と再会を約束すると、そうそうに面持を改め、現場に向かった。トラブル処理は俺の大好物だ。俺は現場のトラブルバスター#1なのさ。
友人からは安産祈願で水天宮のお守りを頂戴したぜ。無事俺の子供が生まれてくるように、友人自身も念を込めてくれたんだ。ありがとう。生まれたら、この友人にも見せびらかすのさ。

しかし、まだ十分に体が動く今のうちに、もっと遠くに行きたいな。
シベリアの森の奥、アマゾンの岸辺、炎熱のサハラ砂漠・・・。そんなところにも、ニンゲンは住んでいて、俺たちが思いもよらない生活を送っていることだろう。そして、基本的なところでは俺たちと変わりない幸せを追い求めて生きているだろう。俺はそんな人間を見てみたいのさ。

子供が生まれたら、そんな気も失せてしまうんだろうか?
それとも、一緒に連れて行こうか・・・。
塾になんか通わせるより、よっぽど子供の人生の糧になるに違いないさ。

読者諸君、失礼する。帰ってこないことが最善だよ。それが放浪の哲学さ。