2015/09/22

Post #1631

Boudhanath,Nepal
金子光晴は、すごく好きだ。
贔屓の引き倒しで、このブログでも何度も紹介している。
作家の高橋源一郎は、金子光晴の詩を読めば、人生の中で、最低でも一人は素晴らしい彼女ができると断言していた。
高橋源一郎自身も5回も結婚してるんだから、大いに信憑性があるな。
僕自身のことはここでは触れないし、言えないこともあるけれど、高橋源一郎のいうことは、間違いないと思う。

この『女たちへのエレジー』のなかに収められている『愛情69』という詩集から、一つ好きなものを引用しよう。

愛情55

はじめて抱きよせられて、女の存在がふはりと浮いて、
なにもかも、男の中に崩れ込むあの瞬間。

五年、十年、三十年たつても、あの瞬間はいつも色あげしたやうで、
あとのであひの退屈なくり返しを、償つてまだあまりがある。

あの瞬間だけのために、男たちは、なんべんでも戀をする。
あの瞬間だけのために、わざわざこの世に生れ、めしを食ひ、生きてきたかのように。

男の舌が女の唇を割つたそのあとで、女のほうから、おづおづと、
男の口に舌をさし入れてくるあの瞬間のおもひのために。


(金子光晴 『愛情55』 講談社文芸文庫『女たちへのエレジー』 222頁より)

こういうのは、人によっては好き嫌いがわかれると思う。なんだよ、淫らなだけじゃないかって。
けど、一人の男として、すごく共感できる。
これに共鳴する心がないってことは、自分だったらさみしい人生だと思う。こころが乾いて、干からびてるのさ。もしくは、素敵な恋愛をしたことなんてないのかな?

その一方で、こんな気持ちもよくわかる。



神經をもたぬ人間になりたいな。
本の名など忘れてしまひたいな。

女たちももうたくさん。
僕はもう四十七歳で
近々と太陽にあたりたいのだ。

軍艦列島が波にゆられてゐる。
香料列島がながし目を送る。

珊瑚礁の水が
舟の甲板を洗ふ。

人間のゐないところへゆきたいな。
もう一度二十歳になれるところへ。

かへつてこないマストのうへで
日本のことを考へてみたいな。

(金子光晴 前掲書 『女たちへのエレジー』 14頁より)


旅が好きで、いつも旅に憧れている僕には、本当によくわかる。
本の名など忘れてしまいたくもなる。帰ってこない旅に、旅立ちたくもなる。
年が明ければ、僕も四十七歳だしね。
シベリアの針葉樹の森や、
サハラ砂漠の砂丘、
アマゾン河を抱く密林、
そして南方の島々。

いずれも彷徨ってみたいところばかりだ。
その時も、きっと古今和歌集を持っていくだろうな。
僕の古今和歌集には、飛行機のチケットの半券が、栞代わりに何枚も挟んであるくらいさ。

じゃぁ古今和歌集のなかでは、どんな歌が好きなのかと聞かれたら、とりあえずはこれかな。

わが恋は ゆくへも知らず はてもなし あふを限りと 思ふばかりぞ


(巻第十二 恋歌二、611  凡河内 躬恒)

僕はこの歌が、すごく好きだ。

いったいこの恋は、どう展開し、どこに落ち着くのだろうか、そんなのまったくわからないけれど、ただ次に逢うことだけしか、考えることが出来ないだなんて・・・。
行方も果てもないってことは、道ならぬ恋なのかもしれないな。
互いに求めあっているけれど、けっして恋愛➩結婚とかいう流れを辿ることのない恋なのかもしれない。
そんな所帯じみた落としどころなんて、端から切り捨てているがゆえに、逢いたい思いは激しく切ない。愛しい女性に、もう一度逢いたいという思いだけが、張り裂けそうな胸につまっているように感じる。

そんな狂おしいほどの想いを、胸に宿したことのない人生は、つまらない。

それがわかるようになったのは、かなり大人になってからの気がする。
けど、その一方で、物心ついたガキの頃から、僕はずっとそんなんだったような気もする。

読者諸君、失礼する。どんなロジックよりも、エモーショナルな言葉に僕は魅かれる。
もうすぐ、夜もあける。

0 件のコメント:

コメントを投稿