2015/11/19

Post #1681

Tokyo
自分の言葉が相手に届いている実感がないと、どうにも無力感や徒労感におそわれる。
どうせ届かないのなら、黙っていればいいじゃないかとも思う。
人間は、根本的に孤独な存在だと思う。自分という牢獄にとらわれた囚人だ。

一方で、自分の発した言葉によって、相手が感じ入ったりすると、なんだか俺は心にもない虚言を弄して、相手をたばかってしまったのではないかという、居心地の悪さを感じたりもする。

自分が正しそうなことを言っているのを客観的に見ると、自分が偽善者のように思えてきて、うんざりする。そして、その偽善者の言葉に納得する相手を見るにつけ、自分が偽り多い邪悪な人間なのではないかと疑わしくなる。

とりわけ、メールやチャット、そしてこのブログでもそうだけれど、書き言葉でコミュニケーションする機会が多いいま、その想いは強まるばかりだ。ほんらい言葉は、声質、調子、表情、語気など、文字では表すことができないもろもろの要素によって、補完されるべきものだと思う。

間違いなく目的を達すると思えるのは、相手を非難し断罪する言葉だろう。
言葉は時に、人のこころを踏みにじる暴力装置となりうる。これについては、いろいろと反省するべきことが自分にもたくさんある。
だから、そんな言葉はもう使いたくはない。そんなくだらないことで、人生を浪費するような暇はどこにもない。

しょせん、心と心が深く結びついて、信頼しあっているニンゲン相手でないと、本当の心なんて伝わらない。そしてそれは、往々にして、言葉以外の態度でしか伝わらないのではないかと思う。

そこらあたりが、このブログを、時折自分自身が生み出してしまった薄気味悪い節足動物のように感じて、放り出し、消し去ってしまいたくなる原因でもあるだろうし、ごく少数の、自分の心をゆだねられる相手としか言葉を交わしたくなくなる原因でもあると思う。

読者諸君、失礼する。

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