2016/01/28

Post #1697

Bali,Indonesia
朝から、暴力団組員の二十歳の若者が、自分の女の子供を殴り殺したというニュースを見て、どうしようもなく悲しくなる。

ひとつの命が産まれてくるのに、どれ程大変だったのか、想像もつかないのか?
一度失われた命は、もう戻らないんだぜ。
それに、この二十歳の若者も、無垢な心を持って生まれたはずなのに、どうしてそんなんなってしまった?

来月子供が産まれてくる俺だが、二十歳の息子がいたっておかしくない年だ。それを思うと、胸が締め付けられるように悲しい。

放っておいても、人はいつか死ぬ。憎い奴も、愛しい人も。
ならば、出来るだけ愛し合っていた方が、この星で楽しく過ごせるんではないかい?

それを声を大にするのでもなく、しかし、力強く言いたい。

愛し合ってるかい?

2016/01/19

Post #1696

Essaouira,Morroco
Essaouira,Morroco
今年の正月に、ガキの頃からお世話になっている師匠のもとに挨拶にゆき、近々子供が生まれること、そして長年連れ添ったかみさんと、ついに籍を入れるつもりだと報告した。

師匠は『おまえの結婚と子供のことを手放しで目出度いという手合いもいるが、俺はおまえのことを子供の頃から知っているから、その決断をするのにどれだけ悩んで決断したかわかっているつもりだ』

さすがは我が師匠。
俺の父親以上に俺の事がわかっている。
俺は、何も言わず冬の日射しを不意に眩しく感じたかのような面持ちで、何も言わずに師匠の次の言葉を待つ。

『自由とは、なにか?』

師匠が短い沈黙のあとに、重い言葉を放った。
もちろん、師匠も俺も、その問いに答えはしない。なんとも答えることの出来ない重たい問いだ。
それは、師匠自身が探し求めてきた問いだとわかるし、それが今、俺に引き継がれたことを感じだ。むろん俺もその問いを求めて生きてきた。その何十年に、喜寿を越えた師匠の何十年の重みが加えられたのを、感じる。

『放浪と定住…。それが俺にもお前にもテーマだった。』

師匠はそう続けた。

さすがは我が師匠。どうしてこうも的確に人生の問題の本質を抉るのか。生涯年収だとか老後の生活資金にはいくら必要とか、この二つの問いの前では、くだらない些末なことにしか見えない。

『その上で、よく決心したと言っておこう』

まるで禅問答のような師匠の言葉だけれど、俺には痛いほど伝わっていた。
女房子供を背負って、なおかつ何処まで自由に生きて行けるのか、とくと見せてみろと言われた気がしたんだ。
安穏と一所に定住することなく、常に挑戦と放浪の人生を送り、より広い世界を見ろと
言われた気がしたんだ。

俺が師匠に出会ったのは、12才のころ。今から35年前。当時の師匠は白髪長髪の型破りな数学教師だった。42歳だったはずだ。

以来、今日まで実の息子のように教え諭され、導かれてきた。思えばこの日が、師匠から自由人としての免許皆伝をうけた日だった。
忘れたくないので、ここに記しておくことにした。

2016/01/18

Post #1695

ヘルシンボリ、スウェーデン
参考までに申し添えると、今日市役所に行って婚姻届を出してきた。
さらば、放蕩無頼の日々よ!

もう、早いとこ子供生まれてこねえもんかな?

2016/01/15

Post #1692

Istanbul.Turk
それが例え、世界のどこであっても、もうテロにはうんざりだ。
自分の大切な人が、巻き込まれて命を失うことを考えてみたことがあるかい?

Istanbul.Turk

平和をわれらに

2016/01/12

Post #1689


まさか、47歳の誕生日、倉庫の打ちっぱなしの床の上、仕事で使う養生用の毛布にくるまって眠ることになるとは、思わなかった。

誰か誕生日プレゼントに寝袋をくれたら良かったのに!  

人生はいつだって予測不能なもんだな。

2016/01/11

Post #1688 47歳になっても自由な風に吹かれていたい

蝶は誰か死者の魂が、私の前に現れたもののように感じる
もう、写真にも倦み疲れた。どこまでやってもきりがない。
誰が読むのかわからない文章を書き綴る事にも厭き厭きした。
直接誰かの心に届く言葉を、確かな手応えがかえってくる言葉を紡ぎたいとねがった。

だから、日銭稼ぎの仕事に専念し、こいつは放り出しておいたのさ。



先日、ふと今は亡き東松照明の傑作写真集『太陽の鉛筆』が復刊されていることを知り、無性にほしくなって、その日のうちに手入れた。

斜めに走る水平線の上に、青い空、そしてその空と海のはざまに浮かぶ白い雲。
あまりにも有名なこの一枚の写真で、この写真集は広く知られていた。
僕の部屋にも、その写真のポスターが貼られている。

本土復帰前後の沖縄の、そしてその辺境たる宮古島の、およそ40年前の人々の姿が、そこにはあった。
東松照明の視線は、島から島を伝うように、最南端の波照間島を経由して、台湾、フィリピン、マレーシア、シンガポール、バリ島へと伸びていく。民族が海流に乗って拡散していった道をたどるようにして。

その写真集をしげしげとながめ、目には見ることのできない国境や、自ら選ぶことのできない民族的な出自など、意に介することもなく軽々と越境し、自由に吹き渡る風が自分の心に吹き付けてくることを感じていた。

誰しもが情報を発信しうる現代、誰もが自らの主張の正しさを掲げ、異なる意見の者を認めようとはしない。誰しもが、自分こそ絶対だと信じているかのように見える。

しかし、それは所詮、相対的な世界の出来事でしかないように思える。
民族、国家、文化、言語、宗教、習俗、思想、貧富・・・・。
それがどうした?
正直、どれもこれもどうでもいい。しょせんはみんな相対的なものだ。

自分自身が、今ここで、現実の世界に直接対峙したときに感じる何かとは、まったく関わりのないものだと思える。
相対的なものを、相反するものを、等しく受け入れ、包摂するようなおおらかな思考の営みを持つことはできないだろうか?


気が付くと、47歳になってしまっていた。

1969年1月11日、午前2時36分、出生。以来47年。
ふと、金子光晴の詩が頭をよぎる。
こんな詩だ

南方詩集
           この詩集を東南亜細亜民族混血児の諸君にささげる。

神経をもたぬ人間になりたいな。
本の名など忘れてしまひたいな。

女たちももうたくさん。
僕はもう四十七歳で
近々と太陽にあたりたいのだ。

軍艦鳥が波にゆられてゐる。
香料列島がながし目を送る。

珊瑚礁の水が
舟の甲板を洗ふ。

人間のゐないところへゆきたいな。
もう一度二十歳になれるところへ。

かへつてこないマストのうへで
日本のことを考へてみたいな。

高橋源一郎 編 金子光晴詩集『女たちへのいたみうた』(集英社文庫刊)92頁

Ubud,Bali
誰しもが人と人の間に線を引き、自分は他とは違うことを必死に言い募る営みよりも、自分と他人の間に共通点を見出して笑顔を交わし、大地や海上にひかれた目に見えない線を、風がわたるように易々と踏み越えていくていくような、おおらかな営みのほうが、僕は好きだ。
そう、たとえ愚かだと言われようとも。

世界はもっと、豊かで驚きに満ちているはずだ。
美しいはずだ。

僕はそう、信じたい。

また、旅がしたいな。カメラを手にして。