Photographica #F

深瀬昌久

『鴉』

1986年蒼穹社刊

2008年RAT HOLE再刊






深瀬昌久は、1934年に北海道で、写真館の二代目として生まれ、2012年に亡くなった。亡くなったころに彼については、このブログでも触れたし、この写真集も取り上げたと思う。
遺された壮年の頃の深瀬の写真を見ると、がっちりとした体格に、ごりっとした実に男らしい容姿をしている。対談なんか読んでいても、不要なことは話さない無口な人だったように感じる。一言で言えば、ハードボイルドな印象の写真家のように俺は受け取っている。
そして、そのどこか険しい表情の中に、周囲に対する違和感というか、一種の孤独感を感じる事すらできる。
深瀬に関しては、自分を追求した写真家と評されることが多い。
最初の妻、洋子をモデルにした写真集、家族の(幸せの絶頂から父の死を経て、家業の写真館の廃業に至る)歴史を撮り続けた写真集、愛猫サスケを撮った写真集、などなど。
その中でも、深瀬の写真集の珠玉は、やはりこの『鴉』だろうと思う。
もっとも、俺が持っている深瀬の写真集は、これだけなんだがね。

『鴉』と題されているのだが、鴉を追い回すようにして写真を撮り続けた果てに、深瀬が捕らえようとしたものは、やはり深瀬自身だったのではないだろうかと思える。
写真評論家の長谷川明も、鴉は深瀬自身の孤独感の象徴であるというような趣旨の解説を、RAT HOLE版に付している。

写真集を開くと、まず飛び込んでくるのは、シルエットだけに焼きつぶされた鴉の姿だ。
俺には、これが深瀬自身の自画像、もしくはアイコンのように思える。

実際に鴉を写真に収めようと思うと、奴らは俊敏で勘の鋭い生きものなので、なかなか難しい。
深瀬自身が、何かに憑りつかれたように、鴉を狙い、追い回していたんだろうというのが伝わってくる。
そして、その営みを通じて、深瀬は自分自身の内面の姿を捕らえようとしていたのではないかと思える。

この写真集を見ていると、いつも感じるのはディスコミュニケーションだ。
鴉は、どれほど被写体として迫ろうが、こちらを警戒こそすれ、親しむことはない。
そして、鴉自身、どこか不吉なイメージの漂う、害鳥として世の人々から忌避されている。
その鴉に自らの姿を投影するということが、すでに自分自身の解からなさを見極めたいという想いの現れのようにも見て取れるし、自らをこの社会と通じ合えないある種のアウトサイダーとして定めているようにも思えるのだ。

夕暮れ時。
空を覆うように群舞する鴉。

この写真を見るたびに、やるせない寂寞と癒し難い孤独感が胸に湧いてくる。


もっとも、俺の好きな金子光晴に言わせると、孤独なんて言ってる奴は、女の気を惹きたいだけの奴だということにされてしまうのだが、深瀬の写真に漂う孤独感は、決してそんな生易しいものではない。
底の知れない黒々とした穴の縁に立ち、風に背中を押されながら底を覗き見ているような、強烈なもののように俺には思える。
深瀬自身は、92年に生前葬の案内を冗談半分に友人たちに送り、そのしばらく後、新宿ゴールデン街の飲み屋の階段から泥酔して転落、重度の脳挫傷を負った。これによって重度の障害を背負うこととなり、二度と再びカメラを持つことなくして逝ってしまった。
これも、深瀬自身の孤独と寂寞が招いた惨事だったようにも解釈できるように感じる。

友人の森山大道は、雨で階段が滑っていたのだろうと、自らに言い聞かせるように記していた。


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