今夜は実は月末だから、俺は自分のささやかな商売の〆をしなくちゃならない。しかも、フリーランスになって一年だからな。一足早く決算だ。儲からないぜ、まったく♪
だから今日は、俺の敬愛する金子光晴の詩を、俺の写真に添えて、お送りしよう!写真やカメラの話は、また後日だ。大丈夫、忘れてなんかない。プアマンズ・ハッセル、ゼンザブロニカS2を買った話からだ。OK、それはまた次回に行こうじゃないか。
こんな意志薄弱な俺を、どうかみんな許してくれ。
『女たちへのいたみうた』
あゝ、けふもゆきずりの女たち、
みしらぬ女たち、ことばもかはさず
まためぐりあふ日もない女たち。
うき雲のやうに彩られて
こころに消えぬ女たち。
その誰と住んでも年月はとび去り
おなじやうに生はからっぽだらう。
放蕩よ。つかひへらした若さは
こぼれた酒とおなじで、ふたたび
このこころを沸かすすべもない。
おしろいにまみれた裸虫さん。
まだあったかい牛乳壜さん。
ねどこのうへにこはれたせとものさん。
二十年前の匂やかだった女たちのやうに。
二十年後は、若いあなたも老いてゐるか。
私は、かなしげに眼をつむる。蒼穹のふかみ
おびただしい石の円柱が倒れる。
退場するもののすさまじい鳴響。
さかさまにながれる『時』の血流のなかで、私は叫ぶ。
「一千万人の女たちよ。さやうなら。」
以前、たまたま知り合った女の子に、この詩を読んであげたことがあった。酒を飲みながらね。彼女は、エキゾチックな顔立ちで、個性的なセンスを持った素敵な女性だった。この詩の中にあるように、人生の中で、美しさが匂やかに香るような年頃だった。そして、どこかその眼は、笑っていても寂しそうだったんだ。俺は、その寂しさがどこから来るのか知りたかった。
彼女は、俺がこの詩を詠みあげると、しばらく間をおいてから『・・・なんだかさみしいね・・・』と言ったんだ。一体この詩のどこに彼女がさみしさを感じたのかは、今となってはわからない。今や俺には知る術すらない。何故って、所詮はゆきずりの一期一会だったんだろうから。
そう、まさに彼女は、『まためぐりあふ日もない女たち。』の一人だったのさ。
けれど、それは同時に、いつまでも『うき雲のように彩られて、こころに消えぬ女たち。』でもあるんだぜ。
みんな、ここが大事なポイントだ。きっと試験に出ることだろう。
俺は、そんな時間をほんのつかの間でも持った女の子に、この先の俺の人生で、おそらく、もう二度と逢うことがないだろうってこと自体が、途轍もなく寂しいし、悲しいのさ。
俺は悲しげに目をつぶるのさ。
そして叫ぶだろう。『一千万人の女たちよ、さやうなら。』ってね。
まるで、大海原を行く船の上から、かけがえのないものを波間に落としてしまったような、取り返しのつかないようなさみしさなのさ。胸の中に、ぽっかりと虚無の穴が開いてしまったようだ。そう、ちょうど『ブリーチ』に出てくるホロウのようになってしまいそうだよ。そして、底知れないさみしさが、この胸の穴に満ちるのさ。
だからせめて、そんな二度と逢うことのない女の子たちの幸せを、星に祈ろう。昇る太陽に祈ろう。
だから、俺は今日も道ですれ違う、そしておそらく二度とは出会うことのない御嬢さんたちを、シュートするんだ。
いつか捕まるだろうって、みんなが言うぜ。
でも、人生で一番美しく、若さが匂い立つような女たちを、その若さや美しさが、はかないが故に、いずれ老いくすみ、生活苦の皺が刻まれるその前に、俺は世界のフラグメントとして、焼き付けたいのさ。
どうして、写真を撮るのかと言えば、よくわからないけど、強いて言えば、さみしーからさ。
純粋なものがいつまでも純粋でいられないことが、美しいものがいつまでも美しくいられないことが、
苦しんでいるものが誰にも知られないでいることが、愛するものといつまでも一緒にはいられないことが、そんなすべてが愛しくいと惜しく、同時に悲しくてさみしーからこそ、写真を撮るのさ。
ああ、今日はなんだかセンチメンタルだ。フランス語でいえばサンチマンだ。
Al Greenの“I'm Still In Love With You”とRoberta Flackの“First Take”なんか聴いてたからだろうよ。しかもLPでだ。20世紀の遺物だ。だが、どっちも名盤だ。素晴らしい。センチメンタルになって、悪いかよ?これを聴いてセンチメンタルにならない奴とは、ちょっと分かりあえないぜ。
そうさ、俺は世界のむなしさに、俺たちの生のはかなさに、そして何より二度と帰らぬ時間の無常さに、立ち向かうために写真を撮るのさ。
OK、結局写真から離れられないんだ。ロックンロールとカメラがあって、俺がいるのだ。
いつか、君の写真を撮らせてくれないか?
だから今日は、俺の敬愛する金子光晴の詩を、俺の写真に添えて、お送りしよう!写真やカメラの話は、また後日だ。大丈夫、忘れてなんかない。プアマンズ・ハッセル、ゼンザブロニカS2を買った話からだ。OK、それはまた次回に行こうじゃないか。
こんな意志薄弱な俺を、どうかみんな許してくれ。
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| Barcelona |
あゝ、けふもゆきずりの女たち、
みしらぬ女たち、ことばもかはさず
まためぐりあふ日もない女たち。
うき雲のやうに彩られて
こころに消えぬ女たち。
その誰と住んでも年月はとび去り
おなじやうに生はからっぽだらう。
放蕩よ。つかひへらした若さは
こぼれた酒とおなじで、ふたたび
このこころを沸かすすべもない。
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| HomeTown |
まだあったかい牛乳壜さん。
ねどこのうへにこはれたせとものさん。
二十年前の匂やかだった女たちのやうに。
二十年後は、若いあなたも老いてゐるか。
私は、かなしげに眼をつむる。蒼穹のふかみ
おびただしい石の円柱が倒れる。
退場するもののすさまじい鳴響。
さかさまにながれる『時』の血流のなかで、私は叫ぶ。
「一千万人の女たちよ。さやうなら。」
(金子光晴 『人間の悲劇』 講談社文芸文庫より)
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| HomeTown |
彼女は、俺がこの詩を詠みあげると、しばらく間をおいてから『・・・なんだかさみしいね・・・』と言ったんだ。一体この詩のどこに彼女がさみしさを感じたのかは、今となってはわからない。今や俺には知る術すらない。何故って、所詮はゆきずりの一期一会だったんだろうから。
そう、まさに彼女は、『まためぐりあふ日もない女たち。』の一人だったのさ。
けれど、それは同時に、いつまでも『うき雲のように彩られて、こころに消えぬ女たち。』でもあるんだぜ。
みんな、ここが大事なポイントだ。きっと試験に出ることだろう。
俺は、そんな時間をほんのつかの間でも持った女の子に、この先の俺の人生で、おそらく、もう二度と逢うことがないだろうってこと自体が、途轍もなく寂しいし、悲しいのさ。
俺は悲しげに目をつぶるのさ。
そして叫ぶだろう。『一千万人の女たちよ、さやうなら。』ってね。
まるで、大海原を行く船の上から、かけがえのないものを波間に落としてしまったような、取り返しのつかないようなさみしさなのさ。胸の中に、ぽっかりと虚無の穴が開いてしまったようだ。そう、ちょうど『ブリーチ』に出てくるホロウのようになってしまいそうだよ。そして、底知れないさみしさが、この胸の穴に満ちるのさ。
だからせめて、そんな二度と逢うことのない女の子たちの幸せを、星に祈ろう。昇る太陽に祈ろう。
だから、俺は今日も道ですれ違う、そしておそらく二度とは出会うことのない御嬢さんたちを、シュートするんだ。
いつか捕まるだろうって、みんなが言うぜ。
でも、人生で一番美しく、若さが匂い立つような女たちを、その若さや美しさが、はかないが故に、いずれ老いくすみ、生活苦の皺が刻まれるその前に、俺は世界のフラグメントとして、焼き付けたいのさ。
どうして、写真を撮るのかと言えば、よくわからないけど、強いて言えば、さみしーからさ。
純粋なものがいつまでも純粋でいられないことが、美しいものがいつまでも美しくいられないことが、
苦しんでいるものが誰にも知られないでいることが、愛するものといつまでも一緒にはいられないことが、そんなすべてが愛しくいと惜しく、同時に悲しくてさみしーからこそ、写真を撮るのさ。
ああ、今日はなんだかセンチメンタルだ。フランス語でいえばサンチマンだ。
Al Greenの“I'm Still In Love With You”とRoberta Flackの“First Take”なんか聴いてたからだろうよ。しかもLPでだ。20世紀の遺物だ。だが、どっちも名盤だ。素晴らしい。センチメンタルになって、悪いかよ?これを聴いてセンチメンタルにならない奴とは、ちょっと分かりあえないぜ。
そうさ、俺は世界のむなしさに、俺たちの生のはかなさに、そして何より二度と帰らぬ時間の無常さに、立ち向かうために写真を撮るのさ。
OK、結局写真から離れられないんだ。ロックンロールとカメラがあって、俺がいるのだ。
いつか、君の写真を撮らせてくれないか?



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