2026/02/19

POST#1765 また新しい現場が始まった

瀬戸市
新しい現場が始まった。

地元の名古屋でだ。出張は家族のためにならない。心も体も壊して、家族まで壊す羽目になっては元も子もない。老後に俺の面倒を見てもらわないといけないからな。

去年の暮れに仕事を切られてから、久々のまとまった現場だ。まぁ、規模は知れてるけれどリハビリにはちょうどいい。久々にまじめに働くと、どっと疲れるぜ。風邪気味の体を引きずって寝床に転がりこむんだ。

毎度毎度、夜の百貨店だ。毎度毎度、無茶ぶりや面倒なルール、初見の職人さんのわがまま、元請の準備不足、そんなものに悩まされ続けている。

近年、めっきり白髪も増えた。俺の親父より、俺のほうが早死にするに違いない。

そして、うまくいけばうちの息子は2016年生まれなので、22世紀にたどり着くかもしれない。俺たち人間はみんな長い時間軸の中の一瞬を生きてるんだ。

今だけ考えていてはいけない。次の世代、その次の世代にとって良い先祖になることを考え生きていかなけりゃいけない。そういえば、グッド・アンセスター 私たちは「よき祖先」になれるか🔗という本もあった。7世代先、200年後の世代のことを考えて自分の行動を顧みることを説いていたな。なかなか面白い本だよ。働いていると本を読む暇もないけれど、自分なりの考えを深めるために、本は読んだほうがいい。

とはいえ、社会の移り変わりは激しい。年々加速している。7世代後なんて想像もつかない。しかし、人間の中身はここ何万年も大して変わっていない。このギャップはでかいな。

そういう意味でも民族学や人類学の本を読んでおくのは、とても有益だ。

過去への学びの射程が長いほど、未来への思考の射程は長くなる。俺はそう思う。

唐突だけれど、民主主義ってのは近代西洋に始まった実験かもしれない。実験だkら、世界に他の社会システム、つまり専制国家や独裁国家があるのも当然だ。しかし、民主主義の淵源はけっしてここ300年ほどのものではないし、奴隷制の都市国家だった古代ギリシャだけにさかのぼるものではない。ある意味で、人類のプリミティブな段階では普遍的なものだったのかもしれない。人類学の本を読んでいると、往々にしてそういった記述にぶつかる。

突出した力を得ようとするものは他の集団の成員によって排除され、時に殺害された。そんなことが記されているピエール・クラストルというフランスの人類学者の記した国家に抗する社会🔗なんかも、先年のドナルドトランプ暗殺未遂などを思い起こさせてくれる。

また先年惜しくも世を去った人類学者デビッド・グレーバーの民主主義の非西洋起源について🔗などを読んでみるのも面白いだろう。民主主義が多様な状況の中で、社会の周縁で独自に生み出されてきたという興味深い論考だ。

今だけ、金だけ、自分だけの発想からシフトするにはこれらの本を読むのはもってこいだ。

俺は自分が現場監督として仕事をするうえで、心がけているのはこの未開社会の首長のように、権威や強制力を持たず、皆にどうあるべきか、どのようにふるまうべきかを諭し続けていくスタイルを守っていきたい。

俺は誰も支配したくないし、だれにも支配されたくないからね。とはいえ、この国に生きてる以上は税金だけは払わないといけないんだけどね。それを支配されてるというのか?

2026/02/18

POST#1764 ある思考実験

 


台南

今後中国共産党政権との間で、台湾をめぐる紛争が生じたとき、いったい何が起こるだろう。この言い方は妥当ではないな。中国共産党が悲願の台湾領有、国家統一に向けて軍事的に動き出したとき、わが国の政府が存立危機事態として中国人民解放軍とのあいだで交戦となった場合、なにが起こるだろうか。

まず事態が動き始めたときに俺が危惧するのは、台湾から数多くの難民が日本にやってくるであろうこと。そして、俺たちの社会がそれを受け止めることができるのか?ということ。
台湾の人々は比較的日本に対して好感を持ってくれている人も多く、同文同種(戦前のアジア主義者は日本人も含めて漢字文化圏の国々の人々を同じ文字を使う、同じ人種の人々と称していた)であることから、短期的には軋轢は少ないだろう。
多くの日本人も、台湾人に対して親しみを感じている。
しかし、ウクライナの難民とは違い、すぐお隣の台湾から万単位以上の数の難民が押し寄せて移住することになったとき、私たちの社会は彼らを包摂することができるだろうか?
実際にドイツやポーランドにはウクライナから100万を超える難民が逃れてきている。当然、政府の財政は圧迫されるし、人々の間に不満がないかと言えば嘘になるだろう。
戦前の防諜法を思い起こさせるスパイ防止法の協議が予定されているいまの情勢から察するに、多くの台湾からの難民の中に、中国共産党のスパイが紛れ込んでいるのではないかという疑心暗鬼に陥り、彼らを排斥することにならないだろうか。
自分はそんなことはしないといえるだろうか?

俺個人の考えでは、それは受け入れて包摂してゆくべきものだと考えてる。

西暦660年に朝鮮半島南西部にあった百済がほろんだ際に、その王族をはじめ多くの難民が日本に移住した。そして彼らは日本人の中に溶け込んでしまった。その名残の地名はいまでも各地に残っている。それに似たことがまた起こるということだ。

またさらに、思考実験を進めてみよう。
中国共産党政権と我が国が交戦状態となり、核兵器などで国土が荒廃し人間が住むことができなくなったとき、あるいは圧倒的な物量で押し切られた自衛隊は地上部隊の上陸を許し、アメリカには梯子を外されてしまった末に、政権崩壊してしまったとき、俺たちはどうするのか?
中華人民共和国日本省から難民となって世界に散っていくことになるのか。

あくまでこれは思考実験だから、それについての是非や可能性を云々するつもりはない。
今日まで俺たち日本人は、難民を受け入れることに後ろ向きだったが、はたしてその俺たち日本人を受け入れてくれる社会はあるだろうか?

知らない相手のことを誹謗中傷するのはたやすい。社会的な弱者を吊し上げるのも簡単だ。
しかし、その不寛容の先にあるのは、ナチスのような自民族中心主義ではないだろうか?
ドイツ人も日本人も、直系家族を社会の基盤に据える民族だ。直系家族の民族は長男が財産を相続し、次男以下もしくは姉妹とは一線を画すという家族形態だ。
家族の中に序列をつける性向を持つがゆえに、社会に序列があり、自民族と自民族以外を峻別し、そこに優劣をつけたがる。
事実、俺は日本人の一般的な性向として、白人には迎合し、有色人種には尊大にふるまう傾向をしばしば目にする。先進的文明人→日本人→アジア人など有色人種。ナチスと変わらんじゃないか。

しかし、人間は世界中どこに行っても、嬉しければ笑い、悲しければ泣く。自尊心を傷つけられれば怒り、また苦しむ。
俺たち自身がそうであるように、民族や肌の色、言語や習慣が違っても、それは普遍的で変わらないはずだ。

誰かが言っていることを鵜呑みにする前に、自分の目や耳で確かめてみよう。
そして誤解がとけたら、理解を深めよう。
俺たち日本人が自ら民度が高いと誇るのなら、なおさらだ。

2026/02/17

POST#1763 俺にはいつも考えてしまうことがある

Bhaktapur,Nepal
近年、排外的な主張をよく耳にする。
とりわけ国政選挙や地方選挙の争点になっていたりすることもしばしば耳にする。
中国人、クルド人、ヴェトナム人、トルコ人、ミャンマー人、タイ人、日系ブラジル人、ネパール人・・・。
クルド人の件に関しては、自分が当事者となったことはないのでコメントできないが、民族国家を持たない最大の民族集団の一つのクルド人の方々が、一定数日本に住んでおり、それが気に入らないという方がたくさんおいでなのだという。
様々なデマが飛び交っているようだが、そのいちいちを取り上げるつもりはない。
同じ土俵に立って水掛け論を繰り広げることになるのはごめんだからだ。
現場で働いていると、若い労働者のかなりの割合が外国からやってきたアジア系の若者たちだ。彼らの力がなければ、もう日本の社会は成り立たない。オフィスで働いているだけならそれに気づくことは難しいかもしれない。けれど、生産や建築、農業など日本人がやりたがらない仕事を、彼らは支えている。
しかし、俺たち日本人の心の中に、白人には何も言わず、アジア人には高圧的になる人種差別的な性向は潜んでいないだろうか?

俺には、ないとは言い切れない。

何度も言葉の通じない技能実習生を罵倒する日本人を見てきた。妊娠したら強制送還されるということから、産み落とした嬰児を自ら殺してしまう事件も度々耳にする。俺たち日本人は、彼らをものを食う機械だと思っていないだろうか?
去年暮らしていた京都には、多くのネパール人がいた。コンビニの店員は夜にはネパール人かスリランカ人だった。
コンビニやカレー店で、ネパール人の若者に接するとき、かつてネパールを旅した時に無邪気に話しかけてきてくれた子供たちの姿が思い出される。彼らが今、日本に来たとして、どんな気持ちになるだろう。いつも考えるんだ。

読者諸君失礼する。今日から新しい現場が始まる。緊張で吐きそうだ。