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俺の手元に、藤原新也の『全東洋街道 下巻🔗』に、改革開放前夜70年代末の上海に赴いた藤原新也のルポタージュと、写真がある。これは素晴らしい写真集だから上下巻合わせて読んでみてほしい。君の世界が広がるだろう。
人々は、世界を放浪してきた熟練の写真家藤原新也が、人の群れの中に偽装して写真を撮るために人民服—そう、このころの中国人はすべて皆、人民服を着ていたんだ—に身を包んで左手にカメラを隠し持っていたのを、上海の人々は世界中のどこの人々よりも遠くから見破り、そのカメラに視線を注いでいたという一文がある。
藤原は記した。
『上海人は、私の持っていいるカメラを見たのではない。十メートル前方のある男が左手に隠すように持っている物を見たのである。
言いにくいことを言う。しかしこれは事実だ。上海人は人と人が出会った時、多くのニンゲンがそうするように目と目を見合わすのではなく、おおむねまず相手の手に持つ物に意識が走り、そして目線が走っていく。
上海人の顔が無表情に見え、その目に冷たいものを感じるのは彼らが人の目を見るのではなく、モノを絶えず意識し、そして見ているせいではなかろうかと思った。』(集英社文庫版 全東洋街道 下巻 第十章 168~172頁より)
この写真集に収められた写真に収められた上海は、全体的にグレーで薄暗く、どこかブレードランナーに出てくるようなすがれた暗い雰囲気をまとっている。
そして、若き藤原新也が上海を旅したその日から、今日までの約半世紀に流れた時間の重みを想う。
ここから現在の中国の発展へのターニングポイントになったのは、まさに日本と中国の国交正常化だ。
そしてそれに続く1970年代から1990年代にかけての日本による対中支援が、つまり積極的な日本の技術移転と、そして天安門事件後も円借款を続けた日本の政府産業界の奉仕にあるのではないかってことなんだ。
中国が100年以上続いた戦乱と政治的混乱(大躍進・文化大革命)で、すっかり凍結させていた潜在能力を「再起動」させる上で、日本の政府および産業界が果たした役割は、主に以下の3つの大転換期に集約されるんじゃないかな。
1. 日中国交正常化(1972年)と大平正芳の先見性
経済協力のグランドデザインと近代化のインフラ基盤の提供
1972年の国交正常化後、1979年に当時の大平正芳首相が対中政府開発援助(ODA・円借款)の開始を決定した。藤原新也が上海を訪れたのはおそらくこのころだ。
当時、外貨も技術もなかったまさにどん底の中国に対し、日本は港湾、鉄道、発電所、通信網などの大規模なインフラ建設を円借款🔗(低金利の長期融資)で全面的に支えたんだ。これが、後に中国が「世界の工場」として外資を受け入れるための物理的な土台となったことは、今更くどくど言うまでもないよね。
2. 日本産業界による「技術移転」と鄧小平の衝撃
最高峰の技術を丸ごと移転し、経済先進地「江南」は復活
1978年に鄧小平が訪日した際、新幹線やパナソニック(当時の中下幸之助)の門真工場、新日鉄(現日本製鉄)の君津製鉄所などを視察し、日本の圧倒的な工業力に衝撃を受けたという。この話はちょっと前にもしたはずだ。覚えていてくれたかな?
この鄧小平の懇願に応じる形で、新日鉄は当時の最新鋭技術を注ぎ込み、長江下流域に「上海宝山製鉄所」を建設したんだ。
かつてポメランツの時代に経済の先進地だった長江流域(江南)が、日本の技術移転によって20世紀末に「近代重工業の先進地」として再び息を吹き返した象徴的な出来事だなこれは。
これに続き、自動車、家電などあらゆる日本企業が中国に現地法人を作り、製造業のノウハウ—つまりは熟練労働者の育成や品質管理システムをを叩き込んだわけだ。
これには当然、安い労働力を使って利益を最大化したいという産業界のそろばん勘定もあったのは間違いないだろう。また、アメリカ一辺倒ではない外交を模索する政治家や官僚の思惑もあったに違いない。しかし、その底流には中国に対して大日本帝国が行った非道の数々への贖罪という意識があったのは間違いないだろう。
歴史は途切れることなく続いているんだ。そして、あの天安門事件🔗がやってくる。
3. 天安門事件(1989年)と日本の独断による「救済」
西側諸国の孤立化を日本が打破
1989年の天安門事件により、欧米諸国は中国に対して厳しい経済制裁を科した。ウクライナ戦争の際にロシアに経済制裁を科したのと同じようなものだ。つまりは兵糧攻めってことさ。
当然ながら中国経済は再び国際社会から完全に孤立する危機=ポテンシャルの再封殺に直面することになったんだから、さぁ大変だ。
円借款の再開と「経済の血流」の維持
しかし、何にもはっきり言わねぇ♪と忌野清志郎🔗に揶揄されていた当時の海部俊樹🔗首相をはじめとした日本政府は「中国を国際社会で孤立させるべきではない」と珍しくはっきりと主張したんだ。そして1990年のヒューストン・サミットで西側諸国を説得しまくり、他国に先駆けて第3次円借款の凍結を解除したわけだ。
産業界のコミットメント
この政府の動きに連動し、日本の産業界も中国市場からの撤退ではなく投資を継続・拡大していった。この日本の決断が呼び水となり、中国は最悪の政治的危機を乗り越えちゃったんだ。これがなかったら、アイフォンだってテスラだって、中国で作られることはなかっただろう。
で、1992年、改革開放の旗を死守すべく行われた鄧小平による「南巡講話🔗」を経て、2000年代のWTO🔗加盟と爆発的な高度経済成長へと突き進む外交的・経済的なセーフティネットを得ることとなったんだ。
この流れをざっくりまとめてみると、今日の日本人の皆さんにとって、不都合な事実が浮かび上がる。
中国が「100年の国難」による荒廃から立ち上がり、かつて持っていた経済的ポテンシャルを爆発させることができた背景には、まさに「日本が国交正常化によって門戸を開き」「産業界が血肉となる技術を教え」「天安門事件の危機においても経済的血流(円借款)を止めずに支え続けた」という歴史的事実があったってことだ。
この一連のプロセスは、単なるビジネスや外交の枠を超え、中国の近代化を日本が実質的にプロデュース・牽引した側面が極めて強いといわざるを得ないってことさ。
つまり、現代の中国ってのは、日本が生みの親といっても過言じゃないんだ。
そして、日本の説得を受け入れた西欧各国も、中華人民共和国が経済的に豊かになれば、民主化するだろうという甘々な期待を持っていたんだが、あにはからんや、そこに出来上がったのはデジタルを駆使した専制国家だったというわけだ。
20世紀末から2000年代にかけて日本や西欧諸国が抱いていた「経済的に豊かになれば、中間層が育ち、自然と民主化へ向かうだろう」という期待は完全に裏切られたんだ。
代わりに西欧諸国と日本の前に立ち現れたのは、最新テクノロジーを駆使した強固な「デジタル専制国家(デジタル権威主義)」で、アメリカすらも脅かす経済大国であったという素晴らしい展開だ!
この「期待の裏切り」と「デジタル専制国家の誕生」のメカニズムは、主に以下の3つの要因によって説明されるだろう。
1. 「近代化理論」の破綻
西側の過信と中国共産党の学習能力
西欧や日本には「経済発展 = 民主化」という、欧米の歴史をモデルにした「近代化理論」への強い信仰があったんだよ。
そう、日本や西欧諸国は、中国をWTO(世界貿易機関)に加盟させ、豊かにさえすれば、自由や人権を求める民衆の声が内部から高まり、共産主義独裁体制を変換してゆくことになるだろうと無邪気にも信じていたんだよ。
しかし、この自由民主主義体制って物自体が、アメリカやイギリスの社会構造から導き出されたもので、けっして人類には普遍的なものではなかったんだ。
彼らは、無邪気にもヘーゲル🔗の『歴史哲学講義🔗』に描かれた、文明史観—つまり、社会は段階を追って単線的に発達してゆき、未開な段階から東洋的専制主義を経て、最終的には自由と民主主義的な社会へと到達するという歴史観を信じていたんだ。
けれど中国共産党の指導者たちのほうが一枚上手だった。老獪というべきかな。一歩間違ったら自己批判を強要されて命がなくなるんだから、国のかじ取りも命懸けだったってことだ。
中国共産党はソ連崩壊のプロセスを徹底的に研究した。ついでに日本のバブル崩壊のプロセスも必死に研究した。その結果、「経済的な豊かさを与えつつ、政治的な一党支配は絶対に緩めない」という、西側の予測を超えた新しい統治モデル(チャイナ・モデル)を発明してしまった。いやかつて、産業革命以前には中国は世界最大の経済圏を持っていたことを考え合わせると、彼らはこのシステムを歴史の彼方から再構築してしまったというほうが正しいかもしれないな。
2. テクノロジーを「解放の道具」から「監視の武器」へ
インターネットの変質とグレート・ファイアウォール(金盾)の構築
1990年代のWeb1.0の平和な時代、西側は「インターネットが普及すれば、国境なき情報の自由な流通によって独裁体制は維持できなくなる」と考えていようだ。インターネットが人々の分断を煽りまくっている現在の地平から見ると、なんて脳内お花畑な世界線だと呆れてしまうほどの楽天的な考えだ。
けれど、中国共産党の指導部は、この予想の斜め上をいったわけだ。そう、インターネットを禁止するのではなく「網羅的に監視・コントロールする」という道を選んだんだ。
独自の巨大な検閲システムを構築して、西側諸国発のSNS(Google、Facebook、Xなど)を徹底的に遮断したんだ。その代わりにBaidu、Alibaba、Tencent(のちのBytedanceなど)といった自国のIT企業を保護・育成し、国民の間に爆発的に普及させたわけだ。
3. 「デジタル権威主義」の完成
AIとビッグデータによる超監視社会と効率的な統治
日本の円借款を元手に世界の工場へと経済発展することで獲得した莫大な富と、世界トップクラスに成長した自国のハイテク技術を融合させて、中国共産党は街中に配置した顔認証AIカメラシステム(天網)や、スマートフォンの決済・行動履歴の監視システム(社会信用システム)を構築してしまった。どこでだれが何をやっているか、当局はその気になればすべて把握することができるんだ。プライバシーなんてものはそこにはないんだ。
かつてのソ連のような「物理的な暴力や恐怖による抑圧」に頼る必要すらないほどに、究極まで推し進められたデジタル技術によって「反乱の芽を事前に察知し、市民が気づかないうちにコントロールする」という、極めて洗練され、かつ効率的な専制統治を完成させるに至ったんだ。
そのうえで、人民には豊かな生活と治安の良さを提供することで、多くの国民から一定の支持=消極的合意を取り付けることにも成功しているんだ。
まさに、ミシェル・フーコー🔗が『監獄の誕生🔗』で描いたパノプティコン🔗のデジタル版、デジタル・パノプティコン🔗が完成し、中国そのものが巨大な監獄として顕現したというわけだ。なんてディストピアが出来上がっちまったんだ!
結論
日本や西欧諸国が「良かれ」と思って行った経済・技術支援は、中国を民主主義の陣営に引き入れる結果にはならず、むしろ「資本主義のダイナミズム」と「専制政治」を高度に融合させ、最新テクノロジーで武装した前例のない超大国を生み出す原動力になってしまったといわざるを得ないだろう。
17世紀の「大分岐」から始まった一連の歴史の歯車は、21世紀にいたって「西側の期待とは全く異なる巨大なデジタル専制国家の出現」という、国際秩序の最大の地政学的リスクを生み出す結果となって現在に至っている。
そして一つ言えるのは、現代のデジタル監視社会中華人民共和国というある種のディストピアは、日本人が総力をかけて生み出したフランケンシュタインの怪物のようなものなのさ。
しかし、これは単に日本や西欧諸国の読みが甘かっただけの問題ではないのではなかろうか。中国という巨大な文明圏に脈々と流れる社会のDNAが、現在の技術によってその感性を見ただけじゃないだろうか?
実は俺はそうにらんでるんだ。現象の奥には歴史が、それも中国4000年の歴史が渦巻いているのさ。問題は日本のODAだけじゃなかったんだ。ある意味歴史の必然だったのさ。


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