2026/09/05

POST#1960 そろそろ資産課税について検討すべきフェーズじゃないか?

フエ、ベトナム この河を渡ると、かつての阮朝王宮だ

本当に国を豊かにして、経済を回そうと思うのならば、そろそろ資産課税を真剣に検討するべきなんじゃないかな。
現在の日本の税法では、所得に関しては課税されるけれど、資産に関しては課税されない。いや、固定資産税とか自動車税とかの資産課税はあるけれど、企業の内部留保や、富裕層がため込んでいる預金、或いは株式債券(起算時点の評価額に対して一定の税率を課して税金として納めてもらうってことだ)などに課税するべきなんじゃないかな。
資産課税に関しては、トマ・ピケティなどの先鋭的な経済学者からの、国を問わず実施すべきだと いう意見が上がっている。まったくごもっともだ。海外逃避っていう逃げ道をふさいでおかないとね。
そうすると、税金を嫌気する資産家は、現物資産に変換し、ため込んだ金融資産が市場に流動し始めるだろう。日本には現金預金だけで1126兆円もの個人資産が銀行預金として眠っている。困窮した若者は、詐欺やトクリュウ犯罪で、高齢の資産家から力づくで資産を奪い取っている。これはある意味での世代間での資産をめぐる闘争だ。

本当にお金を市中に回し、広く国民を豊かにしたいのであれば、資産課税を導入するべきだと俺は思うんだ。

日本の個人の現金・預金が1,000兆円以上も眠っている現状において、「お金を市中に回す(消費や投資に回させる)ためには、新NISAのような優遇措置よりも、資産課税によって滞留している富にペナルティを課す方が効果的だ」という指摘は、経済学や政策論の観点からも非常に有力なアプローチの一つだとされているようだぜ。

この「資産課税(富裕税や預金課税など)の導入」については、経済を活性化させるという賛成派の意見と、逆に経済を冷え込ませるという反対派の意見の双方が存在するのが正直なところだ。立場が違えば、意見も違って当然さ。今でも世界中で激しい議論が続いているみたいだ。

どんなことにも良い面と悪い面があるだろう。
それを天秤にかけたとき、社会にとって良い効果が大きいのなら検討し、実行に移すべきだと俺は考えてるんだ。そう、出来ない理由を探すより、出来る方法を考える方が、現実的だろう。

資産課税の導入が社会に対してよい効果があるとする賛成意見は次のようなものさ。

消費や投資への強制的な誘導
お金を持っているだけで税金が取られるようになれば、人々は税金を避けるために、お金を「使う(消費)」か「より高いリターンを求めて市場に投資する」ようになるだろう。まるでサッカーのパスを高速で回していくようにね。結果として、市中にお金が回りやすくなるって寸法だ。
格差の是正と財源の確保
一部の富裕層や高齢者層に偏っている資産を税として徴収し、それを子育て支援や若者世代への給付に回すことで、社会全体の消費底上げ(お金が回りやすい仕組み作り)につなげていくことができるだろう。いや、多くの就職氷河期世代が、資産形成などおぼつかないままに、単身で年老いていっている現在、その社会保障費が、国や自治体の財政を圧迫するようになるのは眼に見えている。
何らかの早急な対策を講じないと、社会を維持することができなくなるという危機感を俺は持っているんだ。

しかし、俺のそんな懸念をよそに、資産課税の導入に反対する意見は根強い。

キャピタルフライト(資本の海外逃避)の可能性が高い
重い資産課税を導入すると、富裕層や優秀な起業家が資産を海外(つまりシンガポールやらドバイなんかの税金の安い国)へ移転させてしまい、結果として国内の富や税収が逆に減ってしまうリスクが指摘されている。
過去に富裕税を導入した欧州のいくつかの国(フランスなど)では、これが原因で後に制度を廃止した経緯がある。だからこそ、これは世界的に協調して行っていく必要があるだろう。

投資や貯蓄の意欲低下
「努力して資産を築いても税金で持っていかれる」という心理が働くと、労働や起業、国内投資のモチベーションが下がり、中長期的に経済の活力が失われるという懸念がある。
しかし、現在の労働者の多くは、すでに努力して働いても、五公五民でなんだかんだと税金を取られ、生きていくのもカツカツという状況だ。
それでいて、税収は過去最高で、国家予算の概算要求も141兆円とかいう市場最高額なんだから、市井の一市民としては、暗澹たる気持ちにならざるを得ないぜ。
そして、そんなに税金を取られてる割には、災害が起こっても避難所で雑魚寝という状況は、百年以上前の関東大震災から変わっていないという不思議だ。

やれやれ、ため息しか出てこないぜ。
現在の日本政府は、資産課税という「ムチ」ではなく、新NISAという「アメ」の手法を選択しているんだ。俺はそんな余力がないから、金が手に入ったらすぐに市中に華麗なパス回しだから、そんな高級ギャンブルに手を出す余裕はない。
これは、国民に強制的に資産を動かさせるのではなく、「税金をゼロにするから、自主的に投資へ回してほしい」というインセンティブ(動機付け)による経済活性化を狙ったものだ。
ここんとこ話してるオペラント条件付けでいうところの、好子というやつだ。餌をぶら下げて、行動を制御しているのさ。

さて、この資産課税を導入する場合、どのような層(超富裕層のみか、一般の預金者も含めるか)を対象にすべきだと考えるべきだろうか。また、海外への資産逃避(キャピタルフライト)を防ぐためには、どのような対策が必要だろうか?
俺は、それ等の問題は『持つもの』と『持たざるもの』、つまりハブズHAVESとハブナッツHAVE NOTS(HAVE NUTSじゃないぜ、ピーナッツもってどうするのさ)の間の論争に過ぎないと考えてるんだ。

富の再分配や税制をめぐる議論は、どれだけ高度な経済理論で飾られても、最終的には「財産を守りたい側」と「公平な分配を求める側」の利害衝突に行き着いちゃうんだ。そりゃそうだろ。

この対立構造は有史以来といってよいほど根深い。

立場によって主張が完全に正反対になるため、純粋な正解なんて存在しないんだ。

持つ者の論理はこんなところかな。
「自分が努力して築いた資産や、すでに税金を払った後の財産に、さらに課税されるのは二重課税であり不当だ」
対して、持たざる者の論理としてはこんなところだ。
「社会のインフラや仕組みの恩恵を受けて富が集中しているのだから、格差を是正するために多く持つ者が社会に還元すべきだ」
お互いに立場が違うから、いつまでたっても平行線だ。
そんな時、ジャッジを下すのは政治の役割であるはずだけれども、如何せん政治家のセンセー方は、資産をお持ちの方がたと懇意にしておいでなので、そちらの声を市民の声、国民の意見として採用しがちだ。

ここで、民主主義における「数の力」のジレンマが浮上してくるんだ。

民主主義のルールでは、数が多い側の意見が通りやすくなるのはご承知の通り。とはいえ、これは政治家のセンセー方の口約束に頼ってる部分が非常に多くて心もとないけどね。

ハブナッツ(多数派)の視点
投票数では勝るため、資産課税や富裕層増税を求める政治勢力を支持しやすいはずだが、不思議と日本の有権者は現状維持を求めがちだ。なにがしかのイデオロギーに基づいた世論誘導がうまいことされてるんじゃないかと考えざるを得ないな。社会民主的な主張をすれば、『悪夢のような民主党政権』という方々も多い。しかし、あの頃のほうが国際的に円の評価は高かったけどね。

ハブズ(少数派)の防衛策
人口比で10%ほどに過ぎない富裕層は、有権者の数では負けるため、政治献金やロビー活動、あるいは最終手段としての「海外移住(資本逃避)」という経済的な力で対抗することになるだろう。

そして、その両者の間で社会設計をしてゆくべき政府という仲介者は、どっちつかずの矛盾した態度に終始してる。そう、政府は両者の間で常に板挟みになっているんだ。煮え切らないとはこのことだ。

建前としては「格差是正」や「中間層の復活」を掲げちゃいるが、本音ではハブズ(企業や富裕層)に逃げられると国力がガタ落ちするため、思い切った資産課税に踏み切ることはできないでいる。
結果として、新NISAのような「誰でも参加できる(建前上の)平等な機会」でお茶を濁している側面があるんだ。まぁ、前にも言ったけど国に期待せず、投資という名のギャンブルやビットコインなどを買って資産形成しておくれよ、とくるわけだ。うまくいけば君も『億り人』になれるぜ!ってことだ。

結局のところ、この論争は単なる経済政策の選択ではなく、「どのような社会であるべきなのか」という価値観のぶつかり合いなんだ。

この分断が広がり続ける現代社会において、両者が妥協できる「中間の解決策」は存在するんだろうか?
ハブズは株価が暴落してしまったり資産価値が減ってしまったり、あるいは為替の価値が暴落してしまうといった事態には、ある意味で非常に脆弱だ。
対してハブナッツ=無産階級は、日々の労働によってささやかながら価値を生み出し続けているので、そういったマクロな価値の変動に対しては、ある意味で非常に堅固な防衛力を持っているとも思えるな。

つまりは「持つ者(ハブズ)」は実体のない市場の変動に怯え、「持たざる者(ハブナッツ)」は自らの労働という実体で生きているからこそ、マクロの暴落に対してある程度は耐性があるっていう、いささか斜に構えた見方だ。

金融資産は、人々の「信用」や「期待」という不確実な土台の上に成り立っているため、パニックが起きれば一瞬で紙切れ同然になり得る可能性が否定できない。そう、暴落する前にうまく売り抜けることができるかどうかという、ババ抜きみたいなもんだ。
一方で、人間の「労働力」や「スキル」は、社会が存在する限り常に必要とされる「最後のリアルな価値」だろう。なぜって、そいつがなければ、実社会は回らないからだ。
マルクスが言ったみたいに、『労働者階級は、鎖のほかに失うものなど何もない』ってわけだ。

ハブズ(資産家)が抱える「虚構」の脆弱性

ハブズの富の多くは、冒頭の議論通り「換金して初めて価値が出るもの」だ。株券や国債をどれだけ持っていても、換金しない限りはただの紙切れ、いや今時電子データだな。

彼らは労働市場では、王のように君臨しているけれど、それは砂上の楼閣だともいえるだろう。しかし実のところは、彼ら自身が市場の奴隷なんだ。
どういうことかって?
株価や為替の暴落、あるいは急激なインフレ(通貨価値の暴落)が起きると、個人の努力とは関係のない「マクロの荒波」によって、彼らは一晩で資産の大部分を失うリスクと隣り合わせなんだ。
そして「持っている」という恐怖。持っているからこそ、失うものがある。失うものがあるから、社会が自らの意図しない方向に変わってしまう事に大きな恐怖を抱くのさ。
そう、失うものが大きいがゆえに、常に市場の動向を監視し、防衛し続けなければならないというナーバス・ブレイクダウンと背中合わせってわけだ。

 ハブナッツ(労働者)が持つ「実体」の強靭さ

ハブナッツは、金融システムという「虚構」ではなく、「自らの身体と時間」という絶対的な実体を原資にしている。なんせフロム・ハンド・トゥ・マウスだからな。

つまり、日々の過酷な労働によるささやかでも確かな価値の自家発電ってわけだ。
どれだけ株価が暴落しようが、円やドルの価値が半分になろうが、社会が必要とする「サービス」や「モノ」を労働によって生み出している限り、その時点での適正な対価(リターン)を即座に得ることができるだろう。

ささやかながらのインフレ耐性
通貨価値が落ちれば、基本的には名目賃金(給与の額面)も物価に合わせて上昇するため、労働市場における自分の価値はマクロの変動に対して自動的にアジャスト(調整)されるというのが経済学の定説だ。
しかし、あくまでそれは幻想だ。現実を知らないおめでたい理論としか俺には評価できないな。今回のようにあんまり円が暴落して、挙句その価値が目減りしたら、大衆は物価高に苦しむことになる。
労働単価って物価は、なぜかなかなか上がらない。これは資本主義最大の疑問だ。
要はお前の代わりはいくらでもいるってことなんだろうな。
しかし、これからの労働人口が減少の一途をたどる時代、そんなこといつまで行っていられるかな?こいつは壮大なチキンレースだな。それともAIやロボットに仕事をしてもらうってことかね。

結局のところ、どちらが「本当に強い」のさ?

資本主義の平時においては、資本効率の良いハブズが圧倒的に有利に見えるな。
しかし、歴史的な大恐慌やハイパーインフレ、あるいは社会の構造変化といった有事においては、自らの労働で価値を生み出し続けられるハブナッツの方が、生存能力(つまり防衛力)が圧倒的に高いと言うこともできるだろう。

金融資産という「他人が決めた価値」に依存するハブズと、労働という「自分が生み出す価値」に立脚するハブナッツ。どっちがいいか、よく考えてみよう。まぁ俺の実感では、いつだって金のない奴はひどい目にあうもんだ。
そこで俺の個人の処世訓を公開しよう。『金はないものだと思って、要らん見栄を張らずに暮らすべきだ』庶民としてはこれに尽きるぜ。
けれど、その欲しがりません勝つまでは!のような処世訓もそろそろ限界だ。
いい加減、資産課税を検討する時期に来てるんじゃないだろうか。
まぁ、お金持ちの皆さんには悪いけどね。

2026/09/04

POST#1959 労働者の皆さんに、新たな福音だ!

ハノイ、ベトナム
全国の労働者の皆さんに、新たな朗報だ!

最低賃金が56円引き上げられて、全国平均で1177円になったそうだ!よかったね!朝日新聞『最低賃金、56円上げ1177円 過去2番目の上昇幅 全国平均🔗

俺が唱えてる時給3000円には遥かに遠いけどな。

ガンダーラ🔗イスカンダル🔗のように遠い。

しかし、物価上昇が続いている。物価上昇に比べれば、賃金の上昇率は低い。お情け程度だ。こんなしょぼくれたお鳥目(おちょうもくというのだよ。昔のお金は真ん中に穴が開いていて鳥の目みたいだったからね)で庶民は我慢しとけって感じがサイコーに笑えるな。

しかし、心配ご無用!皆さんの大好きな政府の偉い人たちは、2029年度までに政府は、「物価上昇を年1%程度上回る賃金上昇」を社会通念(=ノルムっていうらしいぜ)として定着させる方針を掲げているんだろうだ。素晴らしい!素晴らしすぎて笑えてくる。むしろ笑いが止まらない。

だって、誰が金出すんだよ。政府が出してくれるわけじゃないだろう。それに政府が出したところで、そのおかげ様で、庶民の税金があげられたり、福祉が削られたりしたら、たまったもんじゃない。貨幣なんてのは、現代貨幣理論=MMTを考慮すれば、インフレにならない限りいくらでも発行することができるが、インフレ局面ではそうはいかない。つまり、今の状況では、あくまで庶民の税金が原資だということだ。だまされちゃいけない。

 この方針に関しては、すでに方々から「民間への負担押し付けやないけ!」「言うだけなら簡単、猿でもいえる!」という批判や冷ややかな視線が強く存在している。

もっとみんな騒ぐがいいさ!

この目標が「お題目」と揶揄される背景と、それに対する政府の建前(施策)には以下のようなギャップがある。

「お題目」と批判される主な理由はこんなところだ

中小企業の原資不足は深刻だ。そんな余裕があるわけないだろう!

 日本の雇用の約7割を占める中小企業・小規模事業者では、原材料費や光熱費の高騰分すら価格転嫁できていない企業がおおい。これから原材料コストの高騰が続けば、バッタバッタと潰れていく企業が増えるのは、あたかも燎原の火を見るよりも明らかだ。

そう、賃上げの原資そのものがないんだ。

しかも、労働者の皆さんの生産性向上の具体策だって底をついている。つまり、乾いたぞうきんを限界まで絞った状態にあるってわけだ。

自分は大して困らないエコノミストなどからは「実質賃金を上げるには労働生産性の伸びが不可欠だが、政府の方針にはそれを劇的に向上させる具体的な弾込め(つまり公金じゃぶじゃぶの成長戦略)が足りない」と指摘されているわけだ。批評家のセンセー方は、自分は金も出さなきゃ、対案も出さない。予想を言って外れても、しらばっくれているから平和なものだ。

しかし、庶民は、そうはいかない。生活が懸かっている。

おまけに言わせていただけば、この政府の方針は、一歩間違えれば、無理な賃上げによる企業の倒産や失業の増加を招くリスクもあるわな。

 それに対して政府側の「言い分」と環境整備の建前はこんなところだそうだぜ

政府も単に目標を叫ぶだけでなく、「企業が賃上げできる環境を作る」として以下のような施策の総動員を掲げているそうだ。庶民の皆さん、喜んでくれ!

まず価格転嫁の徹底だ。

下請け企業が労務費や物価高騰分を大企業(発注元)に適正に上乗せできるよう、公正取引委員会などを通じた監視や指針の周知を行っているんだそうだ。しかし、公正取引委員会に告発=チンコロしないと彼らは動いてくれない。俺は中小企業庁にチンコロしたことがあるが、普通はその後の取引の減少や報復措置を恐れてできないもんさ。残念だね。

でもって、もう一方の攻めの姿勢として生産性向上のための投資支援だそうだ。

 人手不足が深刻な宿泊・飲食などの業種へ省力化投資(IT化やロボット導入など)を促すため、官民で60兆円規模の投資計画を進めるとしているんだとさ。良かったな、どこに行ってもホテルがロボットだらけの変なホテル🔗みたいになるかもな。てか、それでどうにかなる問題か?ロボットが増えても、俺たちが豊かになることと何が関係あるんだ?労働者が首切られて困窮するだけじゃなかとですか!

で、政府の切り札が公定価格の引き上げなんだが、俺はこれにも疑問符が大陸横断ウルトラクイズ🔗の帽子のように、ピコンと?マークが飛び出すぜ!

つまりこの施策は、政府がコントロールできる医療・介護・保育などの分野(エッセンシャルワーカー)の処遇改善を進めるとしているんだそうだ。ただでさえ、この分野への財政負担が大きいから、当然、今の自民党や維新の施策の方向性からすれば、受益者負担の拡大、つまり庶民の負担を増やす方向に進む以外考えられないだろう!

まったく、何をかんがえているんだ?

2026/09/03

POST#1958 新しい本を買うと、新しい知見が広がる

那覇 分岐点
ここんとこ、金利3%の話をしていただろう。

大体、標準的な経済の成長の目安がこの数字、年率3%から5%だ。

しかし、年率3%で20年成長したり、20年お金を借りていると、資産はほぼ倍になり、負債はほぼ倍になる。これが富裕層が益々富み栄え、負債を抱えている庶民がいつまでたっても富裕になれないからくりの一つだ。

この基準ってのは、もともと地主が土地を貸していた時の年間所得をもとに標準とされているんだ。要は、一年間その土地を借りると、土地代金のおおよそ3%から5%を支払うことになるという慣行だ。

これが金融の仕組みにそのままビルトインされたってわけだ。

この辺りのことは、トマ・ピケティの『21世紀の資本』や『資本とイデオロギー』などを読むと詳しくわかる。まぁ、資本主義って大きなシステムは、資本家が富み栄え、庶民はいかさぬように殺さぬようにカツカツやっていくというように設計されているということだ。まるで徳川幕府のようだが、そんなのよりもさらに巧妙だ。

この世界に、ほかの道はないのか。俺は思案に暮れる。

さまざま思案した末に、イスラーム金融論に関する本を買って読んでみることにした。名古屋大学出版会刊行 長岡慎介京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 教授の書いた『現代イスラーム金融論🔗』という硬派な本だ。ビックテック企業のAmazonではなくて、近所のくまざわ書店にe-hon🔗で注文して取り寄せたんだ。近所の本屋さんの利益になってほしいからね。近所の本屋さんがなくなると、その地域から知の前線基地が消える。知の前線基地が減ると、ますますみんな阿呆になっていく。だから地域の本屋さんを応援しないといけない。

イスラム金融は古くから、イスラム法にのっとって、利子を取ることを禁じていた。

これは、中沢新一が述べているように、一神教と深く結びついているという見方もある。キリスト教圏で発達した近代金融は、神と子=イエスキリストの間に増殖してゆく精霊とい存在を置いた。この精霊が増殖することが、資本の増殖へと援用されたという見方だ。

一方で、同じイスラム教では神と預言者ムハンマドの間に、精霊のような存在は考えられていない。融資は相互の信頼と一種の喜捨=イスラム教徒が行うべき善行の一つとしてとらえられている。

イスラム教というだけで、拒否感を示す人々は多い。しかし、それは人間を記号に還元する愚かな行為だ。その意図するところを現代的な意味を知りたいと思ったのさ。

見れば見るほど、知るだろう。

知れば知るほど、わからなくなる。

わからなくなるという、森の中を歩くような感覚を愉しみたいのさ。