![]() |
| 手前の川を渡れば、ミャンマー。右の川を渡ればラオス。ここは黄金の三角地帯 |
いつも感じるこの不安な気持ち。
そして、さんざん考えてきたからこそ、つぎの一歩をどこに踏み出すべきかという逡巡。
地の越境は時に命がけだが、知の越境も確実に自分の命を削り取っているように思う。
読者諸君、失礼する。
![]() |
| 春、俺の町にて |
手助けやケアを必要としている社会的な弱者が、自分たちの困り事を近所の隣人をはじめとした地域共同体の人に手助けしてもらうことで、これは初めて命を吹き込まれ、振り出され、地域共同体の中を流通し始める。ニコリ😊
このトークンを相手にピンポンのようにケアをしてもらって返すのはルール違反。必ず他の人に何かをお願いして、そのトークンを流通させること。で、そのトークン自体は年 4 回の市県民税や固定資産税の収納期日に価値がゼロになる。そしてまた 1 からやり直し。誰か困っている社会的弱者や近隣の人を助けることで、トークンを手に入れて、市区民税や、固定資産税、或いは水道代の支払いに充当できる。ニコリ😊
このトークンは、それぞれにバーコードやQRコードが印刷れていて、トークン自体の管理をすることができるが、使用する分には一切電子デヴァイスの使用は必要とせずに、人の手から手へと渡る。また、緊急時には裏面に記載されているQRコードを読み込むことで、適切な行政機関に公的な支援を要請することができるものとする。ニコリ😊
その導入に際しては、ランダム化比較試験を行ったうえで、事業規模や対象範囲を注意深く検討してゆく。ニコリ😊
これが、今の段階で考えている概要だ。田舎くさいな。我ながら時代遅れっぽい気がする。しかし、それがいままでさんざん言ってきたように、本当に社会的弱者を取りこぼさないための仕掛けなんだ。
![]() |
| Sweden |
けっして聖人君子ではない。どちらかといえば、デビルマン🔗とかチェンソーマン🔗とかが好みなんだ。悪魔の挽き臼をひっくり返すには、悪魔の力が必要だってわけだ。俺を突き動かしてるのは、間違いなくこの社会の理不尽さに対する、燃えるような瞋りなんだから。まぁ、それはいいや。
俺は息子と二人して歩いているときに、いつも思う。
子供達の世代が大人になっている頃まで、人間を商品にする、つまり人材だとかヒューマンリソースとかって、鉱物資源かなんかの材料、そう、商品と利益を生み出す材料としてしか見ないような、クソ嫌らしい社会じゃなくて、人間が人間であるというだけで尊重される世界を作るべきだと確信している。そして、息子たちの世代に、ほらよって飲みかけのコーラを手渡すみたいに譲り渡してやりたい。
まさにこれこそが、次の世代に手渡すべき最も尊い未来であり、このシステムの「究極の目的」なんだ。
現代社会では、子供たちの世代に対してさえ「将来どんな人材(ヒューマンリソース=人間の資源化)になれるか」「市場でどれだけの商品価値があるか」という、人間を単なる「手段や商品」として値踏みする冷酷な教育やシステムが当たり前のように押し付けられている。
いつも、春先になると、それまで思い思いのとんちきな服装で、髪を金髪や赤やら青に染めてはっちゃけていた若者が、何事もなかったかのようにリクルートスーツに身を包み、髪を切り、黒く染めなおして工場から出荷されたばかりのブリスターパックから取り出したばかりのフィギアのように歩いているのを見ると、どうしようもなく切なくなる。同時に、わかさの絶頂に在りながら、社会を食い破る野性もなく、毛を駆られた羊のように従順に歩いているのを見ると、泣きたいような気持になる。
これこそが、すべてを粉々にすり潰す「悪魔の引き臼」の最悪の連鎖だ。トリプルコンボだ。
俺が仕事の傍らに、ダラダラ寝転がりながら、コツコツと学び、積み上げてきた、人類学、経済学、社会学、そして哲学などの知識体系からガラガラポンでテキトーに捻りだしてきたこのシステムは、その歪んだ連鎖を断ち切り、子どもたちに「人間が人間であるという、ただそれだけの理由で絶対に尊重される世界」を物理的な手触りとして遺していくための、最も具体的で力強い遺産にする気満々なんだ。
このシステムが、子供たちの未来をどう変えるのか、その決定的な意味を考えるぜ。
1. 「商品」から「人間」への解放
2. 「生老病死」を共に生き抜く、本物の「絆(ソリダリティ)」を渡す
「人間を商品にさせない。人間が人間であるだけで尊重される世界を、自分たちの頭で考えて、自分たち自身の手で組み立てて、次の世代に手渡す」それが、俺の野望だ。
こういうシステムは単に頭のいい政治家とか官僚では思いつかないだろう。彼らは地域社会での生活実感を持っていないからだ。
すったども、2019年にノーベル経済学賞を受賞したアビジット・バナジー(Abhijit V. Banerjee)やエステル・デュフロ(Esther Duflo)のような、現場の泥臭い現実から経済を組み立てる「貧困経済学」の最高峰の研究者たちなら、きっと理解してくれるんじゃないだろうか?
なぜエリート官僚には思いつけず、バナジーやデュフロの思想と合目的的、つまりぴったり一致するものなのか、その理由は明確だ。
1. 官僚の「エビデンス(中央管理)」とバナジーたちの「現場主義」の違い
2. 「インセンティブ(下心)」と「尊厳」の二重構造
3. 「ヒューマン・リソース」という言葉への嫌悪
バナジーとデュフロも、人間を単なる経済の道具や商品(人材・リソース)としてすり潰す「悪魔の引き臼」のような現代の資本主義に対し、激しい問題意識を持っている。そうじゃなきゃ、貧困経済なんて研究対象にしないだろう。彼らが目指すのも、「人間が人間であるだけで尊重される、貧困のない世界を子供たちに手渡すこと」に他ならない。ニコリ😊
手を伸ばせば、実際に触れることができるんじゃないかと思えるほどに具体化した「絆トークン」のグランドデザイン。しかし、まだ終わらんよ!
実際これを使ってデイサービスとかあるいは、放課後児童クラブとかをサポートするような形もできると思うんだよね。デイサービスや放課後児童クラブ(学童保育)の運営にこの仕組みを組み込むのは、まさにアナルコ・サンディカリズム的な「地域自治のユートピア」を現実化する、最高に合目的的なアイデアかもしれない。
もちろん、こういったところで正規に働いている人には公的な資格が必要なので、常駐職員などとして雇用することはできないだろう。それは解っている。そのうえであえて、考えてみるんだ。
デイサービスや学童保育ってのは、まさに「ケア(福祉・子育て)」の現場であり、現在の資本主義(悪魔の引き臼)の中で「低賃金の労働力(商品)」として最もすり潰されやすく、同時に「巨大福祉資本や利権」に最も買い叩かれやすい領域だともいえるだろう。その一方で、その現場は、低賃金と慢性的な人手不足で疲弊している。猫の手も借りたいってのが本音だろう。実際に老人介護の現場では、ヴェトナム人やインドネシア人の技能実習生という、半・移民労働者を迎え入れているところもたくさんある。
ここにもし『絆トークン』を導入すると、ケアの現場が「手段」から「目的」へと180度ひっくり返り、信じられないほど温かい循環が始まり得る可能性がある。
1. 「お世話する側・される側」の分断を溶かす
さらに一歩進めてデイサービス×学童保育の現場から
近年増え始めている「デイサービス」と「学童保育」が同じ屋根の下にある併存施設を思い浮かべてみてほしい。富山県発祥の「富山型デイサービス(共生型サービス)」をはじめ、最近では法改正(2018年の共生型サービス新設)も後押しとなり、赤ちゃんからお年寄り、障害を持った方までが同じ屋根の下でごちゃ混ぜになって過ごす拠点が各地に生まれているんだ。これと連動させることを考えないのは、もったいないばあさん🔗だ!
普段はお世話されるだけのデイサービスのおじいちゃん・おばあちゃんのもとへ、学童の子どもたちが遊びに来たり、ちょっとしたお手伝いをする。そのとき、おじいちゃんは自分の指をペロッとなめて、誇り高く割印を押した小切手を「手から手へ」ペリッとちぎって子どもに渡すんだ。
2. 「ボランティアの若者」や「シングルマザー」を巻き込む
3. 国家や巨大資本に頼らない「自主管理運営」
「デイサービス」と「放課後児童クラブ」という、老いる者とこれから生きる子供たちが交差する場所こそ、地域社会に連帯を生み出す直接行動を起こすにふさわしい、最高の実験特区かもしれないな。
実際に即して考えてみよう。例えば年食って働けなくなった、うちの近所のT 松さんみたいなおじいさんやおばあさんたちのことだ。っさやかな年金だけで暮らしていけたとしても、自宅の建物や土地には容赦なく固定資産税はくる。後期高齢者健康保険料は年金から差っ引かれて、否が応でも払わなきゃいけないわけでだ。水道代だってかかる。この『絆トークン』が、そういう人たちの生活に、少しでも足しになり得るかもしれないぞ。 ニコリ😊
年をとって現役を退き、体力が衰えて社会の歯車として稼げなくなっても、国家というリヴァイアサンは一切の容赦なく、固定資産税、市民税、そして現役世代の負担をも上回る勢いで引き上がる介護・後期高齢者健康保険料の請求書を毎年送りつけくる。
上級国民の人は措いておこう。その人たちも同じ人間だけれど、俺の中で作動している社会的なトリアージの優先順位は低い。グリーンだ。レッドやイエローの人を考えないとな。
貯蓄を切り崩し、カツカツの年金だけでそれらを支払わなければならないお年寄りたちにとって、このシステムは単なる「ちょっとした足し」を遥かに超えた、「生活を守り、尊厳を維持するための命の手綱」になる可能性がある。だいいち、助けてもらった時に、家庭菜園でとれた茄子を持っていける人ばかりじゃないからな。
この切実な問題に対し、『絆トークン』がどれほど完璧なオルタナティブになり得るだろうか?
1. 「自分の生きがい」が、そのまま「重税の免除」に化ける
2. 「施し」ではなく「自分の力」で税金を納める誇り
3. 富裕層の「逆再分配(ふるさと納税)」への最大のカウンター
「年金暮らしで容赦なく毟り取られる固定資産税や保険料を、自らの割印の力で相殺し、生き抜く足しにする」
単なる「困った人を助けるための優しいボランティア活動」のレベルを遥かに超えて、マクロ経済の裏の仕組み(インフレによる国債の目減り)、政治の利権構造(ふるさと納税という富裕層への逆再分配や巨大IT企業への公金流出)、そして人間疎外の現代社会(人間を「人材」という手段にする悪魔の引き臼)のすべてを、『絆トークン』という指をなめてめくり、自分のハンコを押す小切手帳」という究極のアナログの非対称戦でひっくり返すグランドデザインになっちまったな。とんでもない代物を考えついちまった。俺が推してるチェンソーマンのパワーちゃんセリフを借りれば、『次のノーベル賞はわしで決まりじゃな!(笑)』