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| 東京 月島 吉本隆明が生まれ育ったところにはタワマンが聳える |
すっかり寒さが緩んで、春めいてきた。
あけ放った窓からは、小学校の子供たちが休み時間に交わすざわめきが聞こえ、耳に心地よい。子供たちの歓声ほど聞いていて心の踊るものはない。
『遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけむ
遊ぶ子供の声聞けば
我が身さえこそ揺るがるれ』梁塵秘抄🔗
ベランダに出て目をやれば、保育所に通う子供たちが小さな手をつないだり、お散歩カート(というのだよ知っていたかね、乳幼児を与4,5人乗せて散歩している乳母車様のあれだよ)に乗せられて、楽し気に散歩している姿が見える。
親しくしているおじいさんは、家の前の緑道の植え込みに杖を抱えたまま座り、日差しを浴びている。
このおじいさんも、俺がここに越してきたころには、軽トラに乗って工事の仕事を請けては走り回っていたものだが、ひざがもう言うことを聞かなくなって仕事を辞めたのだ。
ずっと昔からかんがえていたんだけれど、本当に社会にとって必要な仕事は、必要のないものを作り出して、さもそれが生活するうえで欠かせないようなものだと錯覚させたりするようなものではなく、教育や保育、介護や医療、あるいはロジスティックも含めて人間の衣食住に係わる仕事だと俺は思っている。なぜって、人が生きていく上で、それは欠かせないからね。
けれど、そういった仕事は誰でもできると思われがちだ。とりわけ保育や介護などのかつて家事労働とされていたものの延長のように思われている仕事は。けれど、実際自分がやってみたり、その現場をつぶさに見てみれば、それは誤解だとわかる。
背負うべき責任、それは往々に社会的・生命的に弱い者の命にかかわるものだー求められる高度なスキルと知識。そして自分自身のメンタルや身体を損なわないように仕事を全うする健康管理。
社会の底辺を支える人々の働きに、社会は、私たち自身はもっと評価して、相応の賃金を支払うべきだ。
先年若くして亡くなった優れた人類学者デヴィッド・グレーバー🔗の名著ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論🔗を紐解いてみよう。大方人類学は未開とされている社会を研究対象にしたりするのだが、彼は非凡な人類学者だったので、私たちが暮らす現代社会そのものを研究対象にしてとんでもない事実を暴き出した。
ブルシットジョブとは、グレーバーが提唱した、「働いている本人さえ必要がないと感じており、社会に何の貢献も、消えても問題のない」無意味な終章労働の古都だ。もっぱら現代社会の組織構造から生まれる、精神的・構造的な問題として分析されているんだそうだ。この本を読んだときには、まさにわが意を得たり!とひざを打ったものだ。
そして、世の中の4割くらいの仕事は、まさにこのブルシット・ジョブそのもので、そういった仕事に従事している人ほど、社会的な評価が高く、かつ高給取りである傾向があるというものだ。なぜなら、世の中に実際に役に立つ仕事をしている人たちは、役に立つというそのこと自体で、報酬を得ていることとかわらないからと考えられているからだというのだ!
誰の役にも立たない資料を作る人々、何もしておらずろくに責任も取らない責任者、次々と必要だとされる書類を生み出し、それを精査し続ける人々…。君の周りにもいるだろう。
まるでサン=テグジュペリ🔗の星の王子さま🔗にでてくる奇妙な星の孤独な住民たちのようだ。
ふと、立ち止まって自分の生業について考える。自分の仕事はブルシット・ジョブではなく、本当に誰かのためになり、社会によって必要な仕事だろうかと。店舗工事の監督としては、竣工し、お引渡しと気の施主さんや従業員の方々の嬉しそうな顔を見るのが喜びだ。
自分はこの人生で、自分の生きる社会に対して有意義なことをして生きてゆきたい。できることならば、ジジイになっても、歓声をあげて走り回る子供たちのように、ただまっとうに生きているだけで人生を愉しんで生きてゆきたい。それで金がガバガバ儲かれば、これ以上ウハウハなことはないな!がはははは!
また会おう。そんな時には君にも大盤振る舞いだ!カタログギフトなんてケチなことは言わないぜ!けど領収書は必要だな。できれば経費で落としたいんだ!ワハハハ!

