2026/02/28

POST#1774 夢の年間経済成長率3%!

ヴェトナム、ホイアン

高度経済成長のころはよかったと思ってるご老人や政治家はたくさんおいでだ。

しかし、あれはほら、戦争で何もかも焼け野原になったから成長したに過ぎない。ひょっとしたら、この国の指導者たちは中国を挑発してもう一度この国を焦土にしてから、爆発的な経済成長をしようとたくらんでいるのかもしれない。ん、こんなこと言うのは不謹慎だが、今のガザやウクライナが今後そうなるだろうな。 トランプはガザで一儲けすることを狙ってるしな。ほんとに自分の利益にしか関心がない酷い男だ。

一般的に、資本の成長率(キャピタルゲイン)ってのは年間3%から5%と考えられているようだけれど、今の日本の有様からすれば夢のまた夢だ。総理大臣が、成長のスイッチを押して押して押して押して押しまくると絶叫するのもわからなくはない。

経済が成長しても、富裕層や大企業だけがホクホクで税収は伸びても、国民一人一人の実体が、豊かさを感じることがなければ、幸せを感じなければ、何の意味もないんだけどな。

経済とは『経世済民』つまり世の中を運営し、民を救済するということだ。大企業や超富裕層のためのものじゃない。

さて、そこで問題。

我が国の公的負債の額も皆さん心配だろうけれど、今の経済成長が世界的に3%をキープしていったとしたら、百年後には我々人類の経済規模は今の何倍になっているでしょうか?

わかるかな?そして百年後、僕たちが生存してゆくのに欠かせない地球環境と生態系は、存続可能だろうか?考えてみてほしい。

年率3%で経済成長が100年続いたら、経済規模は19倍になる。

19倍だ。大切なことだからもう一度言おう。19倍だ。率直に言って、現在の経済規模が19倍になったなら、この地球は持たない。火星に行くか?いいだろう。あんまり楽しいところじゃないぜ。自分は死んでいるから関係ない?僕らのこどもはきっと22世紀まで生きる。そしてひどい目に合うぜ?いいのかい?地球が金星みたいな灼熱の死の星になるかもしれないぜ。やめてくれよ子供たちのために、俺たちは良き祖先グッド・アンセスター🔗にならなきゃいけないんだよ。

結論から言えば、そんな成長は物理的に不可能だ。多くの科学者や経済学者はそう考えている。けれど、みんな知らない。理解しようとしない。

途切れたハイウェイを全速力で突っ走るように経済成長を追い求めてる。けど考えてほしい、もしエネルギー需要や資源採掘が経済規模の拡大と同じペースで拡大してゆくのなら、100年後には今の19倍の資源を掘り出し、19倍のエネルギーを使い、19倍のごみを出す。

きみはそれが可能だと思うかい?思うんだとしたら、とんでもないほどおめでたい奴だってことだ。そういえばアメリカには、掘って掘って掘りまくれといった景気のいい大統領もいたな。その手合いさ。

成長は可能だって人もいる。

まぁ産業革命まで、ほとんどの社会での成長率は今の日本くらいだったんだけどね。

しかし、そのためには経済を成長させながら、環境負荷を減らし、資源消費を減らしていく必要があるってことだ。つまり、成長と資源消費の切り離し(デカップリング)だ。成長スピードよりも資源効率の上昇やリサイクル率が上回ったり、経済は伸びるけれど資源消費は減らすという考え方の二本柱だ。

だけれど、それが今の段階では夢物語でしかないことは、君にもわかってるだろう。現実から目をそらしちゃだめだ。

それどころか、俺たちは地球の再生スピードをはるかに上回るペースで資源を消費しているんだ。

生物種の絶滅スピードは、自然状態に比べて100倍から1000倍のスピードで進行してる。

近いうちに、地球にはゴキブリとネズミと人間だけになるかもな。

また人間の腹を満たすためにドバドバ使われてる窒素やリンなどの化学肥料は、そのサイクルを破綻させて、土壌環境を破壊している。土地はどんどん痩せていくんだ。

また、どこかの大統領が躍起になって否定しまくってる地球温暖化は止まる気配もない。雨が降らず、夏には記録的な猛暑が日常になり、温暖化によってかえって降雪量が増える。君も感じているだろう。何かおかしいって。

それが百年続いたら、どうなってるかかんがえてみるのも、君の人生の暇つぶしにもってこいだ。そうだ、減速する素晴らしき世界🔗という本を読んでみるのも役に立つと思うよ。

2026/02/27

POST1773 旅に行きたし金はなし

タイ、チェンマイ

初めての場所に旅をする。

自分の足で見知らぬ土地を踏みしめる。

日常暮らしている風景とは、まったく違う景色の中で生活する人がいる。

胸いっぱいに見知らぬ花の香りや、町の体臭のような臭いを吸い込む。

冷たくあるいはぬるい風を肌に受ける。

光を感じる。

カメラのストラップを手首に巻き付け、シャッターに指がかかったまま歩き出す。

眼は半眼で、何を凝視するというわけでもなく全体を見る。

弛緩しているようで、緊張に張りつめている。

刹那、一瞬の風景を写真を撮る。居合切りのようだ。

もちろん、いわゆる映える写真なんて撮らないぜ。

リアルな世界に踏み込んでいくんだ。

そしてフィルムはラボから帰ってくるまで、何が写っているかわからない。お楽しみだ。

どれも携帯の中、ネットの中では味わえない感覚だ。

久々に旅に行きたいものだが、先立つものがござらぬ。人生はこれ不如意なものである。フィルムもひところに比べると5倍以上の価格になり果て、ジャンジャンシャッターを切るのがためらわれるほどだ。

業界あげてデジタルに移行し、消費行動が一巡して市場にいきわたると、今度はノスタルジーをあおって値段を吊り上げた昔の商品を、パッケージを変えて市場に投入する。

資本主義とは何でもありだな。しょせんは写真なんて、工業生産品に依存するしかないはかないものなのだ。今時のアナログレコードブームもおっかないったらないぜ。

せめてそれがし共のような名もなき小国民にも、カタログギフト三万円分ばらまいてほしいもんだ。まぁ、そもそも俺は自民党支持者じゃないから除外だな(笑)

仕方ない。自分が歩くこの場所を、地球を一周してたどり着いたアジアの果ての世界の辺境だと思い込むことにいたそうか。

読者諸君、写真の中から、ここではないどこかの日差しやにおい、肌をなでる風を想像してくれたらうれしいね。

2026/02/26

POST#1772 久方の光のどげき春の日に ブルシットジョブに思い巡らす

東京 月島 吉本隆明が生まれ育ったところにはタワマンが聳える

 すっかり寒さが緩んで、春めいてきた。

あけ放った窓からは、小学校の子供たちが休み時間に交わすざわめきが聞こえ、耳に心地よい。子供たちの歓声ほど聞いていて心の踊るものはない。

『遊びをせんとや生まれけむ

 戯れせんとや生まれけむ

 遊ぶ子供の声聞けば

 我が身さえこそ揺るがるれ』梁塵秘抄🔗

ベランダに出て目をやれば、保育所に通う子供たちが小さな手をつないだり、お散歩カート(というのだよ知っていたかね、乳幼児を与4,5人乗せて散歩している乳母車様のあれだよ)に乗せられて、楽し気に散歩している姿が見える。

親しくしているおじいさんは、家の前の緑道の植え込みに杖を抱えたまま座り、日差しを浴びている。

このおじいさんも、俺がここに越してきたころには、軽トラに乗って工事の仕事を請けては走り回っていたものだが、ひざがもう言うことを聞かなくなって仕事を辞めたのだ。


ずっと昔からかんがえていたんだけれど、本当に社会にとって必要な仕事は、必要のないものを作り出して、さもそれが生活するうえで欠かせないようなものだと錯覚させたりするようなものではなく、教育や保育、介護や医療、あるいはロジスティックも含めて人間の衣食住に係わる仕事だと俺は思っている。なぜって、人が生きていく上で、それは欠かせないからね。

けれど、そういった仕事は誰でもできると思われがちだ。とりわけ保育や介護などのかつて家事労働とされていたものの延長のように思われている仕事は。けれど、実際自分がやってみたり、その現場をつぶさに見てみれば、それは誤解だとわかる。

背負うべき責任、それは往々に社会的・生命的に弱い者の命にかかわるものだー求められる高度なスキルと知識。そして自分自身のメンタルや身体を損なわないように仕事を全うする健康管理。

社会の底辺を支える人々の働きに、社会は、私たち自身はもっと評価して、相応の賃金を支払うべきだ。

先年若くして亡くなった優れた人類学者デヴィッド・グレーバー🔗の名著ブルシット・ジョブ  クソどうでもいい仕事の理論🔗を紐解いてみよう。大方人類学は未開とされている社会を研究対象にしたりするのだが、彼は非凡な人類学者だったので、私たちが暮らす現代社会そのものを研究対象にしてとんでもない事実を暴き出した。

ブルシットジョブとは、グレーバーが提唱した、「働いている本人さえ必要がないと感じており、社会に何の貢献も、消えても問題のない」無意味な終章労働の古都だ。もっぱら現代社会の組織構造から生まれる、精神的・構造的な問題として分析されているんだそうだ。この本を読んだときには、まさにわが意を得たり!とひざを打ったものだ。

そして、世の中の4割くらいの仕事は、まさにこのブルシット・ジョブそのもので、そういった仕事に従事している人ほど、社会的な評価が高く、かつ高給取りである傾向があるというものだ。なぜなら、世の中に実際に役に立つ仕事をしている人たちは、役に立つというそのこと自体で、報酬を得ていることとかわらないからと考えられているからだというのだ!

誰の役にも立たない資料を作る人々、何もしておらずろくに責任も取らない責任者、次々と必要だとされる書類を生み出し、それを精査し続ける人々…。君の周りにもいるだろう。

まるでサン=テグジュペリ🔗星の王子さま🔗にでてくる奇妙な星の孤独な住民たちのようだ。

ふと、立ち止まって自分の生業について考える。自分の仕事はブルシット・ジョブではなく、本当に誰かのためになり、社会によって必要な仕事だろうかと。店舗工事の監督としては、竣工し、お引渡しと気の施主さんや従業員の方々の嬉しそうな顔を見るのが喜びだ。

自分はこの人生で、自分の生きる社会に対して有意義なことをして生きてゆきたい。できることならば、ジジイになっても、歓声をあげて走り回る子供たちのように、ただまっとうに生きているだけで人生を愉しんで生きてゆきたい。それで金がガバガバ儲かれば、これ以上ウハウハなことはないな!がはははは!

また会おう。そんな時には君にも大盤振る舞いだ!カタログギフトなんてケチなことは言わないぜ!けど領収書は必要だな。できれば経費で落としたいんだ!ワハハハ!