2026/03/05

POST#1779 私たちの神は 一枚の葉や一匹の蟲にすら宿っている

沖縄 斎場御嶽
啓典の宗教を奉じる啓典の民🔗が、宗教の違いで理解できず争いあうのは、自分のような本質的にアニミズム🔗 の日本人には意味が分からない。なんせ日本はアニメ大国だからな。アニミズムとアニメーションは同じ語源なのさ。

奉じる宗教や文化、家族形態とそれを基層にした社会構造が違っても、人間であることは同じではないか。なぜいつまでたっても理解しあえないのか、まったく意味不明だ。

自分と異なる文化に属する人々を、野蛮人と称し、劣等人種と差別し、殺戮しても何の痛痒も感じない。それは残念ながら人類にはよく見られることだ。ことに、自らのアイデンティティーを確立し、自らの集団の独自性と優秀性を強調するときにはありとあらゆる形態の文化で見られる。あえて他集団とは違う様式を選好し、その選好故に、他集団よりも自らの集団が優れていると喧伝し、信じ込む。

しかし、文化も人種も可塑的なものだし、相対的なものだ。人間は所与の環境次第で、いかようにも変化する柔軟性を持っている。いささかトートロジーめいて恐縮だが、この人類の多様性こそがその柔軟性の証左だ。その違いをあげつらって争っていても仕方がないのではないかな。

その違いをあげつらうことなく、異なった価値観のもの同士が共存するためのものが法だ。

国際法を自分には必要ないと言い切るものに従属し続けるならば、その無法はいずれ自分たちにも向けられるだろう。16世紀の覇権国家スペインの首相が、アメリカによるイランへの攻撃をはっきり国際法違反だと指摘し、自国内にあるアメリカ軍の基地のイラン攻撃への使用を拒否したことは、見事なふるまいだった。また、イギリスの政権もアメリカの大義無き軍事行動には賛意を示していない。まぁ、イラクの時に彼らはひどい目に合ってるからな。

一方で、ダボス会議ではアメリカの批判を展開しつつ、軍事行動に関しては早々に指示を打ち出したカナダ。がっかりだ。

北朝鮮はますます核ミサイルの実験にいそしみ、ハリネズミのようになっていくだろう。

中国はますます軍事費を積み増し、その伸び率は年率7%。兵は凶器也。肥大化した人民解放軍(実は対外的な戦争に勝ったことはないけど)をどこまで抑え込めるのか。それは外に向かうのか。それとも、経済的に疲弊し、国民が豊かになる前に老い始めてしまった社会がその重さに耐えきれず自壊するともに、地方軍閥化し、国家を分裂させてゆくのか。

世界はますます混沌としてる。しかし、俺には自分の仕事を誠実にこなすことしかやれることはない。

閑話休題。

俺には、もし神的存在があるとするならば、木々を照らす光の中、風に揺らぐ一木一草の中にも、もちろん私たち一人一人の中にも存在するとしかおもえない。

仏陀の開いた最高にクールな仏教ですら、この国に生まれた神観念をベースに取り込んだことで、山川草木悉有仏性を唱えるようになった。宮沢賢治、手塚治虫、宮崎駿、こういった人々の作品にもその思想が色濃く流れているのがわかる。ナウシカは言った『私たちの神は 一枚の葉や一匹の蟲にすら宿っている』(風の谷のナウシカ7巻208頁)

アジアの東の果てに長く伸びるこの国は、山川草木悉皆成仏の国なのだ。

できることならば、万物に霊性を見出すその普遍主義に則って、あらゆる生命をこそ判断基準の根拠に据える寛容で、それを蔑ろにするものを正しく諫めることのできる国であってほしい。まぁいろいろ事情があって無理なのはわかってるけどね。

2026/03/04

POST#1778 車の鍵が一晩外泊してきやがった

Copenhagen
一昨日、車のカギを落とした。

仕事の打ち合わせを終え、夜の作業が始まるまで車に戻って待機しようと思っていたんだが、カラビナで付けていたはずの鍵がない。リモコンキーなので、誰かがそれを拾い、操作すれば容易く誰の車か明らかになってしまう。

車の中には仕事の道具も満載だ。こういう道具はしばしば盗難の対象となるんだ。

世の中には善人ばかりじゃないからな。

早速、スマートフォンを使い警察に遺失物届を出し、電車に乗って家から最寄りの駅に向かった。家人に車のスペアキーを持ってきてもらうんだ。

こうして駅の改札で家人から車のスペアキーを受け取り、何とか事なきを得たんだが、再度カギをオーダーしたりするのは億劫だな。面倒を見てくれている車の整備工場のおっちゃんにも連絡はしておいたんだが、金額はさほどでもないけど、リモコンキーの設定に手間がかかるから、しばらくはやりたくないなぁ(笑)という返事だ。

まぁ、悪いほうに考えても仕方ない。

駅や商業施設など、通りかかった場所の遺失物受付や、立ち寄ったコンビニなんかにもすべて聞いて回ったが、車の鍵など届いていないという返事だった。

自分自身も何度か来た道を思い出しながら探してみたが、どこにも見つからない。

とはいえ、そんなことばかり気にしているわけにもいかない。仕事をしないといけないんだ。それになんとなく見つかるような気がしていたんだ。

で、夜間の仕事をこなして、スペアキーを使って帰ってきたわけだ。

次の朝。9時を過ぎたばかりで警察から連絡があった。それらしい鍵が届いているということだ。

俺はさっそく電車に乗って警察署に向かい、鍵を受け取った。ビンゴ!間違いない。俺のカギだ。

日本って国はこういうところはすごいもんだと思う。日本以外の国なら、絶対に戻ってこないだろう。それどころか、打ち合わせを終えて戻った時点で、車の中の道具は残っていないだろうし、下手をすれば車そのものがなくなっていても何ら不思議はない。

このような社会システムの信頼性と人間の善良さというのは、GNP指標とかには直接現れるものではないだろうけれど、 間違いなく日本の強みなんだ。以前にヴェトナムで携帯電話を掏られた時の警察の対応は、時間ばかりかかるうえに、まったくやる気がなさそうだったものな。

まぁ、あんまりこんなことばかり書くとネット上にあふれる日本すごい!SNSや日本最高!ユーチューブみたいだから気乗りしないんだけれど、この日本人の持つ秩序や規範意識、洗練された社会システムなどはもっと評価されるべきだと思う。そしてそれが日本のソフトパワーそのものじゃないかと思えるよ。

それにしても、俺はよく物を落としたりなくしたりするもんだ。俺の周りだけ重力が強くってすぐにモノが落ちてしまうんじゃないかって心配になるぜ。

2026/03/03

POST#1777 文明人とはだれか、野蛮とは何か

 

Istanbul,Turk
アメリカの、というかアメリカ大統領ドナルド・トランプの愚かな戦いは止まらい。

人間には必ず党派性があるので、それを称賛する者も、非難する者もいるだろう。また、口をつぐむ者もいる。我が国の最高責任者も口をつぐんでいる。言わぬが花だってことか。

武力をかさに着て交渉を迫り、その交渉のさなかに空爆を仕掛けて一国の最高権力者を爆殺する。その昔の悪名高い関東軍だってそこまでの非道はできなかっただろうよ。あまりに情けなくて脱力した笑いが出てくるぜ。

去年の6月にイランの核開発施設を攻撃して、その核開発能力を挫いたといっていたはずなのに、イランはすでに核開発能力を復旧させたのだろうか?そんな核に関する優れた知見があるなら、福島の原発廃炉に協力していただきたいものだ。

どうせイラクの時のように、何も出てくることはないんだ。エプスティーン疑惑からみんなの目をそらしたいだけなんだろ?正直にいこうぜ。イスラエルだって、イスラム教徒をぶっ殺し続けていないとネタニヤフの権力基盤の維持ができないってだけだろう。

ミサイルで政権中枢をたたけば、地上軍の侵攻無しに、イランの革命防衛隊がイラン国民に対して自ら銃を置いて降伏し、体制転換ができると考えているという。なんて能天気なんだ。イラクやアフガニスタン、シリアやリビアの惨状を見てみるがいい。なんなら君も『バクダードのフランケンシュタイン🔗』という小説を読んでみるがいい。アメリカがかつてイラクで引き起こした戦争で、社会がどんなに混乱し、混沌とした荒廃に叩き込まれたかがわかるってもんだ。

いいかい、物事はいつだって、皮算用道理には進まないんだ。むしろ、いつだって最悪の事態が起こる可能性がある時には最悪の事態に至る。マーフィーの法則🔗を知らないのかしら?いつだって最悪を考えて対処するのがリスクマネジメントだ。

当のご本人は、自分には国際法も必要ないとのたまっておいでだ。まさに非理法権天。権力のあるものを裁き得るのは天しかないのか?そんな傲慢な人間が自らをピースメーカーと僭称する。単なる僭称者=タイラントにすぎないぜ。

こうして、人々は混乱に突き落とされる。貧困と危険の中で、多くの家族が崩壊し、多くの人間が命を落とす。自分の国にそんな理不尽なことが起こったら、君ならどうする。どんな時も、自分を安全圏において考えてゐてはいけない。自分の身に引き寄せて、何が正しいのか考えるべきなんだ。

俺が一番気にかかるのはトランプのものの言いようだ。いつものことではあるが。トランプはイランが『文明そのものに戦争を仕掛けてきた』と述べ自らの正当化を図る。

そこには強烈なエスノセントリズム=自民族中心主義がある。一言でいえば自己中だ。

イランにももちろん文明はある。もっと言えば、未開人とされる人々にも独自の文明がある。文明とは、進化論のように一つにつながって単線的に進み、いずれ収斂してゆくものではない。様々な形の多様な文明があるはずだ。民主主義もその一形態に過ぎないし、キリスト教文明も、イスラム教を基盤とした文明も、どれも形は異なっていても文明という点では同じだ。

文明人たる最も重要な素養は『法を定め、法に従い、他者と合意を得るために話し合うこと』のはずだ。それはアマゾンの奥地の民族集団でも、高度に産業が発達した国家でも変わりないはずだ。その点で、アメリカの大統領は自らは無法の野蛮人だと宣言しているに等しい。


ここで、レヴィストロースの言葉を引いてみよう。名著『人種と歴史/人種と文化🔗』からだ。


文化の多様性が人類によってあるがままに、すなわち諸社会のあいだの直接的あるいは間接的な関係から生ずる必然的現象として受け止められたことは稀で、むしろある種の奇形、あってはならないことと見られてきた。こと、この問題に関しては、知識の進歩はこの幻想を喪失させてより正確な見方を育むよりは、むしろ幻想を受け入れ、あるいは甘んじてその幻想を受けいれる方法を探ることにあったように思われる。

きわめて古くからあるのは、われわれが自分のものだと思っているものから遠くかけ離れた道徳的、宗教的、社会的、美的などといった文化形態を、ただひたすらに拒絶するという態度である。この態度が、予期せぬ状況に直面した時にはわれわれのなかかに回帰してくる傾向があることから見れば、おそらく確固とした心理的な基礎があると思われる。「野蛮人の慣習だ」「それはわれわれのやり方ではない」「そんなことを許してはならない」等々、見慣れない生き方、信仰のあり方、考え方に出会ったときの、あの旋律や青の反発を表現する粗暴な反応の数々である。古典時代においてはギリシャ文化(のちにはグレコ=ローマン文化)を共有しないものはすべて野蛮(バルバール)と呼ばれ、それに引き続く西洋文明は同じ意味で野性(ソヴァージュ)という言葉を使った。これらの形容詞の背後には、一つの判断が隠されているいる。すなわち、バルバールという語が語源的には、意味を担った価値である人間の言語活動に対比して、混沌とした未分節な鳥の囀りを示す語であることはほぼ確実である。そして「森の」という意味のソヴァージュというご緒、人間の文化に対立する動物的な生き方を喚起する。これら二つの事例では、文化的多様性という事実そのものが承認されていない。自分が生きている規範とは合致しないものは、すべて文化から排除して自然の中に放り棄てることを人は選好するのだ。

ー中略ー

ここではこの視点には、かなり意義深い一つの逆説が孕まれていることに注意を向けておけば十分である。「野生人」(あるいは人がそうみなそうとするすべて)を人類の枠の外に放り出すことの根拠となるこの思考態度が、まさにこれら「野生人」自身のもっとも特徴的な態度であるという点である。

(クロード・レヴィ=ストロース『人種と歴史/人種と文化」みすず書房刊34~36頁より)


俺が何を言おうとしているか、懸命にして聡明な諸兄諸姉(これはYo!ブラザー・シスターだな)にはお分かりのことと思う。

ちなみにウクライナで辺境から駆り集めた自国民や騙された出稼ぎ労働者を肉挽き機に放り込みながら、ウクライナ人殲滅を画策しているトランプの盟友プーチンも、イランのペゼシュキアン大統領あての文書で「人間の道徳と国際法のあらゆる規範を冷笑的に踏みにじる形でハメネイ師が殺害されたことにこころから哀悼の意を表す」と伝えたそうだ。

まったく、21世紀もはや4分の1過ぎたのに、俺たち人類は何をやってるんだ?北朝鮮の大将もビビりまくっているだろうけど、俺たち庶民は未来を憂うしかないのか?くそ!