2018/11/11

Post #1711


月島
子どもが産まれてから、仕事は極力セーブしていた。夜7時までに、保育園にお迎えに行かなきゃならないからだ。
仕事がないときには、以前なら焦燥感に身も心も苛まれ、先行きの不安におののいていたが、息子の麒麟児と一緒にいられるなら、仕事がないのも、まぁそう悪いことではないなと思えるようになった。
なにしろ、普通なら、もう孫がいても不思議ではない年齢だ。この先を考えると、この子と一緒に居られる時間は、さほど多いとは思えない。
一緒に散歩をしたり、公園で遊んだり、コンビニで買い食いしたりするのは、僕にとっても楽しみだし、人生で出会ったどんな女の子より、可愛いと思える。
だから、いつもそばにいたいと思っていたのさ。

しかし、豚児(間違いではない。これこそ自分の息子の事を、謙遜して言う言葉なんですぞ!)と一緒にいたいからと無為安逸に遊び暮らしていては、いずれ生活は困窮するであろう事は明々白々、コンビニで倅にうまい棒の一本も買ってやれなくなってしまうことであろう。
また、いいおっさんが毎日子供の送り迎えをしていると、自分よりも隣近所の皆様に、大丈夫か?と訝しく思われるであろう。

そこで、致し方なく、ここ最近出稼ぎしている。出張なんざ三年ぶりだ。
子供と離れていることが、こんなにさみしいとは思わなかったよ。僕には単身赴任なんて、無理だと痛感するよ。
仕事はストレスフルだ。受忍限度いっぱいいっぱいだ。ストレスと食生活の偏りで、痛風発作が足首に襲いかかってくる。かみさんが送ってくれる息子の写真だけが、慰めだ。
Photo by かみさん 

失礼する。
出来ることなら、自分が死んだあと、ゲゲゲの鬼太郎の目玉親父みたいになって、息子をフォローしてやりたいもんだなぁ!
とはいえ、玉は玉でも金玉親父ってのは流石に御免だな!(笑)

2018/10/15

Post #1710

築地2015夏
人間とは、すべからく皆、いずれ死に逝く者として、平等であると思い至るようになりました。
以前は、意のままにならない他者に、『死ね!』と思うことしばしば、実際に罵声を浴びせることもありました。
しかし、自分なり誰か他の人間が手を下すこともなく、いずれ誰もが、この世からおさらばして行きます。もちろん、私もあなたもね。
当たり前のことかもしれませんが、この広大無辺な宇宙のうちに、束の間の生を得て、生きていることの不思議さの前には、肌の色、言語習慣、性別年齢、地位財産の別などなく、その儚さをこそ、互いにいとおしむべきではないのかと、遠い目をして想うのです。


まぁ、どうでもいいことと言えば、どうでもよいことですが。

2018/09/21

Post #1709

Tokyo 2015
生産性をめぐって、様々な言説が飛び交っている。
そういった内容に関する僕の個人的な意見を、ここに表明するつもりは、さらさらない。
そういう争いからは、一線を引いて距離を置きたいからだ。
しかし、その代わりに僕の好きな小説の一説を引用しておこう。
初めてこの言葉を知ったのがいつか、もう覚えてないけれど、読み古されてよれよれになった文庫本の奥書には、1996年5月31日 13刷とある。すでに20年以上大昔だ。

『いずれそのうちに、ほとんどすべての男女が、品物や食料やサービスやもっと多くの機械の生産者としても、また、経済学や工学や医学の分野の実用的なアイデア源としても、価値を失う時がやってくる。だからーーもしわれわれが、人間を人間だから大切にするという理由と方法を見つけられなければ、そこで、これまでにもたびたび提案されてきたように、彼らを抹殺したほうがいい、ということになるんです』
(キルゴア・トラウト談  カート・ヴォネガット・ジュニア/朝倉久志訳「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」ハヤカワ文庫288ページより引用)

僕らは、1960年代に記されたこの言葉が、現実味を増してきた時代を生きている。能無しとして、あるいはまた自分は有能だと思い込んでいる能無しとして。