2026/10/16

POST#1984 不沈空母とかいうけれど、動けない空母じゃしょうがないよな

 

沖縄。駐車場に猫

昨日の続きだ。まぁ人生は何時だって昨日の続きなんだけどね。

沖縄の負担軽減と経済振興を言うんだったら、首都機能を那覇に移転したらどうだって話だよ。

スルーされるといけないから、もう一度言っておこうかな。

沖縄の負担軽減と経済振興を言うんだったら、首都機能を那覇に移転したらどうだって話だよ。

政府の皆さんがもし本気で沖縄の『負担軽減』と『経済振興』を謳うのであれば、口先だけの振興策や数字のごまかしじゃなくて、いっそ思い切ってドドンと!首都機能を那覇に移転さたらどうじゃろう?という提案は、日米両政府がこれまで一億回くらい繰り返してきた「言葉の欺瞞」を根底から吹き飛ばす、ある意味最大にして究極のストレートな言説かもね。我ながら笑っちまうぜ。

まぁ、思考実験だ。俺の頭の中を君にのぞかせたからって、誰からも文句は言えないだろう。それがこの民主国家日本のいいところだ。中国みたいな専制国家では、そうはいかない。

もし国会、官邸、中央官庁、そして皇居が那覇に移転し、この国の政治・経済・文化の「本当の中心」が沖縄になれば、これまで本土が安全な場所から沖縄を「2級市民・捨て石」として扱ってきた構造は完全に、瞬時に消滅しちまうだろう。

この「那覇への首都移転」が、なぜこれまでの対話のすべてと完璧に一貫しており、この国の欺瞞を完全に終わらせる力を持つのか、ちょっと一緒に考えてみよまいか。

1. 「これ以上の経済振興策はない」という絶対の真理

政府や与党政治家たちは、基地を受け入れさせるための「人参」として、毎年のように数千億円規模の「沖縄振興予算」を自慢げに提示してきた。しかし、それは沖縄の自立を阻み、基地に依存させるための「欺瞞の金」に過ぎなかったわけだ。そんなことはないっていうんなら、那覇の街を歩いてみればいい。きっと君にもわかるだろう。

そこで俺がぶち上げる真の経済振興策がこれだ。

 もし首都機能が那覇に移れば、数百万人の人口、数万の企業、そして国家の富がどどんと津波のように沖縄に集まることになるだろう。

国策としての補助金に頼る「不自由で閉ざされた経済」ではなく、沖縄が名実ともに日本とアジアを結ぶ「本当の経済の中心(ハブ)」=『万国津梁』へと生まれ変わるってわけだ。「これ以上の負担軽減と経済振興はない」という俺の一見荒唐無稽な発想は、政治家や官僚たちの言い訳を完全に封じる圧倒的な奇策だろう?

2. 「満腔の怒り」を伴う本物の平和外交への強制転換

首都機能が那覇(つまり米軍基地のすぐ横)に移るということは、中国の弾道ミサイルや極超音速ミサイルの「最前線の射程内」に、勇ましい政治家のセンセーがたや優秀な官僚の皆さんといった、国家の意思決定者たちの命が文字通り配置されることを意味するんだ。

ついでに、ひめゆりの塔とかに参拝してもらうとするか。ここなら、どっかの神社と違って中国から文句が出ることもないだろう。

こいつは自作自演の終わりだ。いままでお疲れさん。いままではなんとなく安全な東京から「中国の脅威」を叫び、米軍の不安定な最高司令官トランプの気まぐれにお付き合いしてきたわけだけど、自分たちがミサイルの第一撃の標的になった瞬間、彼らは自らの命を守るために必死になるだろう?なんてったって、人間は自分の命を惜しむからな。命がかかると急に臆病で吝嗇になるものさ。

そうすると、中国共産党政権を相手に、そのメンツ第一の顔を無用に逆なでするような、勇ましく敵対的な言葉はオフィシャルな場から一瞬で消え去ることだろう。

「敵を作らないことこそが真の無敵である」という最高の価値(徹底した外交と対話)へ、政治家の皆さんは方針転換せざるを得なくなるだろう。

自らが「盾」のレイヤーに立たされて初めて、本物の平和外交がこの国の第一原則になるんだ。死ぬのはいつも他人ばかりとは限らないのさ。

3. 「1人1人のインテグラル(総和)」としての国家の回復

政府が「地政学的な優位性」を語り、沖縄の女性がレイプされ、殺害され、死体を放置されるような凄惨な事件が起きても日常生活で使わない「遺憾」という冷たい記号でやり過ごせてきたのは、自分たちが安全な本土の特権的なレイヤー(1級の安全)にいたからに他ならないんだ。

安全地帯にいるのなら、どんな勇ましいこともいえる。しかし、現実の世界は勇ましいことを言った途端に、お前、それは本気で言ってるんだろうな?って胸ぐらをつかまれることだってある。そんな経験はうんざりするほどしてきた。それが野戦の世界だ。現実の社会だ。

那覇に首都を移すということは、国家の意思決定者たちを、切り捨てられる側の現場へ強制的に合流させることを意味するんだ。道ずれなのさ。

ここにトロッコ問題は生じないぜ。なぜって弱い立場の少数派も、強者の多数派も、同じレールの上にいるんだからね。暴走トロッコなり弾道ミサイルなりが突進してきたら、一蓮托生のお陀仏さんだ。

だからこそ、誰一人として記号にしない、国家体制維持のコストにしない、1人1人の尊厳を絶対に切り捨てない「インテグラル=国民の総和としての国家」の理念は、彼らが自らの命を沖縄の人々と等しく天秤の皿に乗せられた瞬間に、初めてこの国において本物の、血の通った政治原則へと転換されることになるだろう。

どうだい?笑えて来ないか?

現在、本土の安全な東京の官邸から、政治家たちが「中国の脅威」を叫び、威勢のいい強硬論を口にできるのは、自らの肉体が中国人民解放軍のミサイルの射程から遠く離れているような気がしてるからだ。実際には、思いっきり射程距離内にあるんだけどね。

物理的な位置関係で見れば、中国本土から東京(永田町)までの直線距離は約1,500km〜2,000kmだ。一衣帯水だ。中国人民解放軍が保有するミサイル網に照らすと、東京の中枢は「余裕で狙える」どころか、日本全土が連中の精密誘導ミサイルの射程にすっぽりと覆われているのが冷酷な事実なわけだ。どこにいたって全然安心じゃない。不沈空母とかいうけれど、動けない空母じゃしょうがないよな。

しかし、国会や官邸が普天間や嘉手納のすぐ横に移転しちゃったら、政治家のセンセー自身が「自分が不用意な一言を発した瞬間、数分後には頭上に弾道ミサイルが着弾して何もかもバラバラに吹き飛ぶ」という極限の恐怖の中で生きることになるわけだ。

小気味いいぜ。

勇ましい言葉に酔いしれる自分自身の命が人質(盾)に取られた状態では、一人一人の国民を、マクロな防衛論のもとで顔のない記号に還元して、「ガタガタ言うな」と言わんばかりに1人1人の命を必要経費扱いしていた政治家のセンセー、官僚の皆さんであっても、言葉の重みと恐怖に直面せざるを得ないよな。うふふ、楽しみだ。

2. 相手を「敵にしないための死に物狂いの外交」への転換

これまでは「中国は話が通じない独裁国家だ」と外交を諦め、中国との対話を推進しようものなら、媚中派だ、親中派だとつるし上げられてきた。そのくせ、経済は中国とデカップリングできなほど相互依存しているのにだ。経済界から中国大使になった故・丹羽宇一郎氏は、「このままではZ世代は戦後初めて実戦を経験する世代になりかねない」と現在の流れを懸念しながら世を去った。

それでも、長年寄らば大樹の陰という思考停止のまま米軍の暴力装置に依存していましたわけだが、首都機能が最前線に移れば、そんな欺瞞は一瞬で破綻するんだぜ。

サウジアラビアを見てごらん。アメリカ軍の基地がイランから、フーシ派からネチネチと攻撃されているのを君も知らないわけではないだろう。そして、アメリカはそれでも重い腰を上げない。日本の時にアメリカが即応してくれるなんて思うのは、甘ったれた考えだね。

そこで生じるのが言葉の選択の慎重化だ。

 相手を挑発して「火事」を起こせば自分が死ぬため、オフィシャルな発言から敵対的なレトリックは完全に排除されることになるだろう。いきったことは言えなくなるのさ。

じゃあ、どうするんだって?そんなの戦わずして勝つ政治の実行しかないだろう。戦いになった時点ですべてはバッドエンドなんだぜ。

好戦的な言葉の応酬から、偶発的な軍事衝突を絶対に防ぐための「常設ホットライン」の完全な運用や、経済・文化を通じた「絶対に戦争を起こせない不可分の関係」の構築など、これまでサボってきた「敵を作らないためのタフな外交努力」を、政治家のセンセー方や官僚の皆さんは自らの生存のために死に物狂いで始めるはずだ。

もっとも、ホットラインの運用不可に関しては、中国人民解放軍が意固地になってその運用を放棄してるってのが原因だけれど、その遠因はどこにあるのか、謙虚に考えてみることも大人の態度じゃないかな。


東京には「強力なミサイル防衛(イージス艦やPAC-3)」や「1,500を超える地下シェルター(地下鉄駅などの避難指定)」が優先的に整備されている。

何より「本当に戦争(台湾有事)が始まった時、最初にミサイルの雨が降り注ぎ、戦場になるのは東京ではなく、米軍基地と自衛隊のミサイル部隊が密集する『沖縄・南西諸島』である」という、軍事戦略上の冷徹な計算(盾としての沖縄の利用)がある。

沖縄の国民はどうなるのか?避難計画策定とか言っているけれど、有事にそんな大規模な人員海上輸送や、航空輸送ができるわけではない。それに、人間は持ち運びできる鉢植えじゃない。

自分たちの頭上にも刃が向いているという「本当のこと」を知りながら、その刃の切っ先を沖縄という場所に引きつけさせることで、東京の安全なレイヤーを維持しているってのがこの国の本当の姿だ。

この構造こそが、俺が君たちを辟易させながらストレートな言葉で暴いてきたこの国の安全保障の「最大にして究極の欺瞞」に他ならないのさ。

2026/10/15

POST#1983 沖縄はずっと干されてきた。自分たちの生活を守ろうと米軍基地に反対してきたからだ

那覇。裏寂れた通り
政治家たちはずっと、基地を受け入れている代償に、沖縄には経済振興策を用意するといってきた。
 そして、基地容認派の自民党寄りの知事が誕生すると、一時的に経済支援は増える。

1995年(もう30年以上前だ!)普天間基地の海兵隊員による12歳の少女(もう40過ぎだろうな)のレイプ事件を境に、反基地の機運が盛り上がり、基地容認派の仲井眞知事🔗から基地反対派の翁長知事🔗に変わり、その翁長知事の死後はその意思を受け継いだ玉城デニー氏が長らく知事を務めた。この間、沖縄は米軍基地の沖縄集中に異を唱え続けていたため、中央政府からすっかり干されまくっていた。

ネット民たちは、沖縄は基地に依存した経済だとナラティブを作り出し、人々に信じ込ませた。日本国土の0・6%しかない島嶼県に、巨大なアメリカ軍の基地が集中している。

鉄道などのインフラを設けようにも、細長い島々は基地によって寸断されている。沖縄空港から那覇市までのゆいレールくらいしか鉄道と呼べるものはないが、その輸送力は貧弱なものだ。

産業を誘致しようにも、まとまった土地もないので、大規模な産業集積地は形成されない。産業もインフラも不十分だから、雇用はかぎられる。

人々は最大の雇用先である米軍基地で働き、生計を立てることとなる。

そうでない人々は、観光業に従事して生きるか、飲み屋など小資本でささやかに始められるスモールビジネスで生計を立てるかしかない。そして、皮肉なことにこの飲食業(風俗営業法に規制されるような飲食業も含めてね)の最大の顧客は、アメリカ軍人やアメリカ軍属ということになる。

そして、観光業はこういった辛気臭い話を張りぼての裏に隠して、何事もなかったかのような顔をして、めんそーれ!とヤマトンチューに明るく開放的な南国のリゾート地のように見せかける。まるで、一種のテーマパークのように。しかし、そこかしこに有刺鉄線に囲まれた高い塀の基地が風景を侵食している。

この構造に生計を依存すると、基地がなくなることは生計を失うことになるので、内心の問題は封印し、その存続を生活のために願うようになる。

一種のエンクロージングだ。

一方で、周辺諸島のサトウキビのモノカルチャーは、さしずめ植民地経済のようだ。

最大の経済投資が基地建設や基地の維持、一部返還された基地の再開発だったりする。

かつて東松照明が言ったように、沖縄の中に基地があるのではない。基地の中に沖縄があるのだという矛盾した状況が、常識として固定される。

世論は割れる。

沖縄にだけ負担を押し付けていたい与党自民党は、基地を受け入れるなら、経済振興をすると条件付きの約束をする。

結果、その支援で基地機能は強化される。

同じ政治家の発言で、中華人民共和国との間に、軍事的な緊張が高められる。そうすると、人々の意識の中に、ますます沖縄の基地が重要に思えてくるような刷り込みが行われる。沖縄県以外に、中国に相対できる立地はないのだと日本中の人々が妄信する。

しかし、沖縄の米軍基地は、前にも言ったように当初から中国人民解放軍に相対するために沖縄に置かれていたのではない。現在の沖縄と同じような自治体の反対運動が日本各地で巻き起こったために、太平洋戦争末期の唯一の本土戦闘であった凄惨な沖縄戦の結果、長くアメリカ軍に占領され続けていた沖縄に集中していった経緯があるのを健忘して、沖縄県民は基地に依存しているというのは、とっても失礼極まりない話だと思うぜ。

そもそも、俺たちは生まれる時には自分でどこに生まれるか、どんな境遇に生まれ、そんな人生を送るかわからない状況で生まれてくる。無知のヴェール🔗という胞衣をかぶって生まれてくるのだ。

ならば、沖縄の人々に対してわがことのように考えるべきじゃないだろうか。

経済振興策?自民党の地方経済振興策というのが有効なのだとしたら、現在の日本各地の地方都市の衰退はなかったろう。そして、そういった衰退が止まらない地方都市では、小資本で始められる飲み屋が人口の割にとても多いと実感するのは、仕事で日本各地を渡り歩いてきた俺自身の肌感覚だ。人々はうらぶれた酒場で酒を煽り、ブルースをアルコールと共に飲み下すんだ。

しかし、沖縄県民は基地の問題を棚上げして、経済を優先することを選んだ。先日の県知事選でオール沖縄の玉城デニー🔗がダブルスコアで惨敗し、与野党相乗りオール中央政党(共産のぞく)の古謝玄太🔗が新しい知事になったことは、その選択の表れだ。いや、沖縄の人々の経済的な疲弊が限界に達しているということだ。

我に秘策あり。

いっそ、沖縄に首都機能を移転したらどうだ?

首都機能移転🔗はずっと言われてきたことだ。沖縄に首都機能を動かし、少なくとも防衛相と外務省を沖縄に持っていくか。アメリカ軍もいっぱいいるし、中国とは目と鼻の先。

G2と呼ばれる二大国の意志と力が交差する真ん中に、日本の国家機能の中枢が爆誕する。

考えたらワクワクするぜ。永田町?そんなもんん、普天間基地のすぐそばに議員会館を作るんだな。党本部の前には、飲んだくれた海兵隊員が女の子を追っかけまわしてる和やか光景が見られるだろうさ。

とんでもない経済効果があるはずだぜ。

どうせみんなできないできない、無理だ、暴論だっていうんだろう。まったくセンスのない奴らだな。そんなの承知の上だ。出来ないってんならできる方法を考えるのが知性ある大人の流儀ってもんだろ。どんな無理筋だろうが、日本には言論の自由ってのが憲法で保障されてるからな、俺は遠慮はしないぜ。

かつて沖縄は東アジア海上貿易のハブとして栄え、『万国津梁🔗』つまり世界をつなぐ海の懸け橋と呼ばれていたんだ。

2026/10/14

POST#1982 ハートマン軍曹のいかれたブートキャンプ

ベトナム阮朝の旧都フエ。庶民はスクーターで縦横無尽に駆け抜ける

かつてのアメリカ軍は、徴兵制だった。
様々な階層から徴兵された兵士が、組織の中に混在していた。なかには、後に政治家や大統領になるようなエスタブリッシュメントの若者も軍務につき、第一線で活躍してノブレス・オブリージュ🔗を身をもって果たしていた。
後のJ・F・ケネディ🔗大統領なども、小型潜水艦で戦った。何処と?大日本帝国じゃないか。パパ・ブッシュ🔗も最年少パイロットとして第一線に参戦し、撃墜されたりもした。
当時のアメリカの政治家やエスタブリッシュメントたちにとって、戦争は他人事ではなく、自らの子弟が参戦して命を懸けた戦う類のものだった。だからこそ、質の高い文民統制が機能していたんだろう。

しかし、ベトナム戦争における市民の反発を受け、徴兵制はなくなった。
なくなる前から、エスタブリッシュメントの劣化は進んでおり、徴兵逃れが蔓延していた。
世界のノーベル平和賞候補No.1を自称するドナルド・トランプ大統領も、足の骨に棘ができて痛くて軍務に耐えられないということで、徴兵逃れをしたらしい。彼らしい微笑ましいエピソードだ。
第一期ドナルド・トランプ政権の痛烈な批判者だったジョン・マケイン🔗はベトナム戦争で海軍のパイロットととして参戦して、ベトナム軍に5年間も捕虜にされていた。
そして、生還した彼は英雄と讃えられた。
そんな生きた英雄で、トランプの暴政に節を曲げなかったマケインを、トランプはとことん嫌い『彼は(ベトナム戦争で)捕虜になったから戦争の英雄だと言われているが、私は捕虜にならなかった人たちの方が好きだ』とイランことを言って顰蹙を買っていた。
マケインが死んだとき、トランプは周囲に対して、マケインの葬儀をサポートすることに難色を示し、「我々はなぜあの負け犬の葬儀を支援しているんだ?」といった趣旨の不満を漏らしていたという疑惑が浮上したという。彼らしい微笑ましいエピソードだ。
 

さて、徴兵制が廃止された後に、誰が自発的に軍隊にはいることになるだろう?
そう、生活に余裕がない者。もっとストレートに言えば貧困層だ。アメリカの製造業の退潮に伴い、かつての好況な時代なら、工場でそこそこの仕事にありついていた層が、ズルリと貧困ラインを割り込んでいった。そして、そのクラスの若者たちが割の良い収入、大学への学費補助、家族も含めた無料の医療費などを目当てに軍に入る。
そして、ブートキャンプで軍人、つまり戦争機械へと脳改造されるって筋書きだ。

アメリカ軍の5つの軍種(陸・海・空・宇宙・海兵隊)の中で、海兵隊は最も訓練が過酷で、規律が厳しいことで知られている。フルメタル・ジャケット🔗を見れば分かるだろう。そう、ハートマン軍曹🔗が出てくるあれだよ、あれ。
このブートキャンプで行われるのは、訓練という名の洗脳だ。オペラント条件付けだ。

そこでは徹底的な自己の破壊と再構築が行われるんだぜ。
まぁ、もっとスマートに言えば洗脳だ。
俺はごめんさ。
「ブートキャンプ」と呼ばれる新兵訓練では、ハートマン軍曹みたいなドリルインストラクター(つまり鬼教官)から凄まじい怒声と精神的プレッシャーを浴びせられ、個人のプライドを一度完全に破壊されることになる。
もともと経済的、家庭的に恵まれず、自己肯定感が低い傾向にある若者たちの精神にとって、それがどれほど過酷なことか、君には想像できるだろうか?人間としての中身が徹底的に否定され、空っぽにされてしまうんだ。
この過程で、「上官の命令には条件反射で従う」という、戦場でパニックにならないための強靭なメンタルを植え付けられるわけだ。兵器としての軍人に、自分で考える必要はない。
撃てと言われたら、条件反射のように撃つ。殺せと言われたら、躊躇なく殺す。そんな優秀な兵士に、戦闘員に洗脳されるのさ。
そういえば、ハンナ・アーレント🔗はユダヤ人虐殺を指揮したアイヒマン🔗を考察するなかで、『考えないことが罪』であるという結論に達していたっけな。
その対極の人間性を叩き込まれるのさ。

そのかわりと言っちゃなんだが「海兵隊員」としての強烈な誇りがインストールされるんだ。
一度海兵隊員になった者は、退役後も "Once a Marine, Always a Marine"(一度海兵、生涯海兵)と言われるほど、組織への忠誠心と戦闘集団としての規律を叩き込まれるんだけど、それは除隊したあともその狂気のメンタリティを自ら肯定し続け、自らのうちに内包しながら市民社会で生きるということを意味してるんだ。
そんなの残酷な呪い以外の何物でもないな。

かつて、日本軍も中国で捕虜にした中国人な首を、新兵に日本刀で刎ねさせた。これも、市民社会での倫理や常識を破壊し、上官の命令によって、犯し尽くし、殺し尽くし、焼き尽くすという苛烈な、非人道的な指令を全うさせるためだった。当時の日本人は、東洋鬼(トンヤンキー)と言われたもんだ。
未だに日本人に対して、中国人が仮想敵と考えるのはそのためだ。彼らの反日感情の根底には、日本人がかつて大陸で繰り広げたウルトラ・バイオレンスがある。それを忘れ去って、敵視するのはお門違いも甚だしい。
まぁ、いつだって靴を踏んだほうは覚えていないが、踏まれたほうは忘れないものさ。
俺はそんな話を子供のころ、おばあさんから何度も聞かされた。俺のばあさんはある意味俺のハートマン軍曹みたいなもんだな(笑)。


このブートキャンプで徹底的に、その兵士自身の自尊心や市民してのメンタリティを徹底的に破壊することこそが、海兵隊員などによる、終わりのないレイプや強盗殺人などの凶悪犯罪を生み出す契機になっていないだろうか?

俺の予想通り、軍事心理学や社会学の研究、そして元海兵隊員たちの証言においても、ブートキャンプにおける「自我の徹底的な破壊と戦闘員への再構築」が、退役後や駐屯地周辺での凶悪犯罪、アルコール・薬物依存、そしてPTSD(心的外傷後ストレス障害)を引き起こす重大な要因(トリガー)になっていることは、繰り返し指摘され、問題視されている。
海兵隊の訓練システムが、どのようにしてご指摘のような問題につながっているのか、見てみよう。

1. 自我の破壊と「超攻撃的・男性優位」な人格の刷り込み

ブートキャンプでは、これまでの市民としてのモラルや自尊心を奪う代わりに、「海兵隊(集団)としての誇り」と「敵を殺傷するための攻撃性」が新しい自我として植え付けられる。

それは一言でいえば、暴力性と支配欲の肯定だ。
訓練の中では、攻撃的であること、強靭であること、相手を圧倒することが最大の美徳とされる。
このマインドセットが基地の外(一般社会)に出た際、特に女性や市民などの「自分より弱い立場の人」に対する支配欲や暴力の衝動(レイプや強盗、暴行など)として歪んだ形で破裂してしまうケースが後を絶たないわけさ。


そして彼らが社会を見る視点は「組織の内と外」で極端に分離するんだ。
自我を破壊し、海兵隊員であるという代替物をインストールされた彼らの脳みそのなかには、「自分たちは選ばれた最強の海兵隊員(身内)であり、それ以外(一般市民)は守るべき対象、あるいは格下の存在」という選民思想的な歪みが生じるという歪んだエリート主義だ。今回のバラード容疑者のSNSの投稿にも見て取ることができるように思う。
しかし、本当の自分自身に基づいていない自尊心に、いったいどんな意味があるというのだろう。
そして、この肥大した自尊心がこれまた現地住民への犯罪に対する心理的ハードルを下げてしまう効果絶大だ!

2. 空虚になった内面を埋めるための「酒・薬物」への依存

人間は、自尊心や個人のアイデンティティを根本から奪われると、内面に深い精神的空洞(トラウマや過度なストレス)を抱えることになる。
人間は、どんなに肉体を鍛えても精神を鍛えることは難しいのだ。
そして「男らしさ」の証明としての飲酒ってのが厄介極まるな(笑)
海兵隊のカルチャーでは、過酷な任務の後に大量の酒を飲むことが「タフな男の証明」として容認・推奨される傾向があるという。
訓練で麻痺させられた恐怖や不安、良心の呵責、あるいは失った本来の自分から逃避するために、多くの隊員がアルコールに依存し、それが理性を失わせ、さらなる凶悪犯罪(飲酒運転、暴行、殺人など)の引き金になっていくんだ。こんなのうちの小学生の息子でも分かりそうなもんだぜ。

3. 「戦場(異常)」と「日常(正常)」のスイッチの切り替えの難しさ

海兵隊員は「いつでも戦場へ行き、人を殺せる状態」を維持するための訓練を受けている。即応部隊だからな。
しかし、その高ぶった精神(過覚醒状態)のまま一般社会に戻されると、脳がバグを起こしちゃうわけだ。

ここには、自衛隊との決定的な違いがある。
日本の自衛隊は「法を遵守する公務員」としての自我を維持したまま訓練を受けるけれど、海兵隊は「戦う戦闘マシン」としての自我を求められる。
この「人を殺すための規律」は、一歩間違えれば一般社会における最悪の犯罪者を生み出すシステムと紙一重であり、アメリカ国内でも海兵隊員の退役後の犯罪率の高さやホームレス化、自殺率の高さは深刻な国家問題となっているんだ。
なんて素晴らしい社会!
なんて素晴らしいシステム!
こいつは一体、誰が幸せになるシステムなんだ?

さて、こんなことを知っても、君は海兵隊員のナイスガイを、君の家にホームステイさせるかね?
俺は厄介事はゴメンだぜ。