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| 熊野本宮大社 |
俺は自民党員でも何でもないけれど、長い間、日本人とは何者で、どこからきて、どこへゆくのかを考えてきた。そこから日本人の普遍性と独自性、寛容性と未来性が明らかになるはずだと確信していたんだ。
「わたしたち日本人とは何者か」という問いを、単なる歴史の授業ではなく、生存を懸けた「国民的対話」へと引き上げる。これこそが、戦後日本がひた隠しにしてきた「空虚」を埋め、自立への熱量を生む唯一の道だ。そう、俺や君、そこのおじさん、あそこのお姉さん一人一人のよって来るところはどこで、私たちは何者なんだってことだ。
柳田國男が歩いた道や、網野善彦が見出した「海民」の自由なネットワークを辿り直せば、日本人の本質は「単一民族の閉鎖的な集団」ではなく、「外来の知恵や人々を飲み込み、独自の形に昇華し続けてきたダイナミズム」にあると気づくはずだ。
俺は日本人とは何かを掘り下げることで「普遍性」という岩板に到達し、再発見したように考えてる。日本人の「和」や「察し」を、内向きの同調圧力ではなく、「異質な他者と共に生きるための高度なプロトコル」として定義し直すんだ。これは、対立が激化する世界において、極めて普遍的な価値になりえるはずだ。
そして「独自性」の武器化だ。生き神様信仰を基層に持つ天皇という「古層の権威」を維持しつつ、「最先端技術」を生み出す。構造人類学のパイオニアクロード・レヴィストロース🔗をして、アマゾンの奥地に暮らす人々とも通じる神話構造を保持しながら、世界でもまれな発展を遂げた驚嘆すべき国がこの日本だ。この極端な古さと新しさの同居こそが日本の独自性であり、米中いずれにも似ていない「第三の極」としての説得力になり得るだろう。
そして、このアンビバレンツな独自性が「寛容性と未来性」への昇華する。
「私たちはどこから来たか」を問えば、私たちは海を渡ってきた多様な血の混ざり合いであることに突き当たる。柳田國男は海上の道🔗で、日本人は南島から島伝いに黒潮に乗ってやってきたと考えた。その考え自体は現在ではおおむね否認されているが、俺自身はインドネシアや台湾、ベトナムやタイに赴いた際に、日本の習俗と非常によく似たものをたくさん目にした。人類の古層でつながった普遍的なものがつながっているという確信を抱いたんだ。様々な地域からこの列島に流れ着いた人々が、それぞれの地域にクニを作り、それを政治的に連合もしくは併合して現在の日本という国の形が出来上がった。
そんな馬鹿なと思う向きは不勉強の至りだ。一例を挙げれば、福井県敦賀は古くは大陸から一族を連れて移住してきたツヌガアラシトの名に由来する地名だ。ツヌガアラシト=角がある人、つまり角型の装飾がついて兜をかぶった戦闘的な朝鮮半島由来の民族だ。
また、各地に伝わる異形の仮面来訪神をつぶさに見てみれば日本の周縁地にはその記憶がまだ残っていることが察せられる。石川直樹🔗の『まれびと🔗』という写真集をみてみれば、その残滓が消え去りつつある最後の姿を掬い取ることができるだろう。
それらのルーツを認めれば、現代の難民や移民を「マレビト(福をもたらす客人)」として迎え入れることは、日本にとって「本来の姿(未来性)」への回帰になり得るはずだ。
同時にこの「自分たちの正体」を突き止めるプロセスは、アメリカに与えられた「戦後」という仮面を剥ぎ取る作業でもある。
固有の日本人という確固たるイメージを弊履のごとく脱ぎ捨て、どん欲に他者を包摂し同化していくアメーバーのような不定系の日本人。その姿を認識することは、杉田水脈センセーのような認識をお持ちの多くの日本人にとっては痛みは伴うだろうが、その先にこそ、核武装をも辞さない「物理的な強さ」と、多文化を包摂する「精神的な広さ」を両立させた、新しい日本が立ち現れるのだろう。
「国民的な問い直し」を始めるにあたって、まずは義務教育の現場や公共放送のあり方を、根本から作り変えることから着手すべきだろうか?それとも、もっと非公式でゲリラ的な「知の運動」から広がるべきだろうか?
自らが世界のことを、自分たちのことを知りたいという問いを立て学ぶことこそが、本当に社会を静かに揺るがし変えてゆく力を持つんだ。それはコスパとかタイパとかとは対極にある地道な営みだ。
そもそも今の学校教育や放送などの既存のシステム自体が「対米従属」と「現状維持」のOSで動いている以上、その内側から変革を求めるのは矛盾しているだろう。
まずはシステムの外側で、ゲリラ的な「知の運動」を巻き起こし、既存の枠組みを揺さぶる「問い」を突きつけることが先決なんだ。
柳田國男や網野善彦らがかつて在野の視点から「日本」を再定義したように、アカデミズムやメディアのフィルターを通さない、剥き出しの「日本人とは何者か」という探求。
それが生活の困窮という現実と結びついたとき、既存のシステムが提供する「偽りの安心」を凌駕する、強靭な共同幻想(ヴィジョン)へと育っていくはずだ。
容易く同調圧力に流されず、自分の問いに対する楽しみのために「自分の頭で考え、自分の足で立つ」個人たちが、ネットや地域コミュニティ、あるいは独自のネットワークを通じて、この「新・日本改造」のロードマップを共有し、静かに、しかし確実にシステムを侵食していく。
その「知の連鎖」こそが、この風通しの悪い世の中を少しづつ変えていく。
他と違っても、同調しなくても、自分はここにいてもいいんだという安心感。
その「知の運動」に基づいた自由な自己認知は、俺たち日本人の固定観念を揺るがせ、俺たちをもっと自由な存在にしてくれるはずだ。
何度も繰り返して語ってきたように、俺たちが「伝統」だと思い込んでいるものの多くは、明治期に国民国家を急造するためにプロイセン(ドイツ)をお手本にして捏造された「創られた伝統」というプロバガンダに過ぎないことを国民の皆様に知ってもらいたい。
この「明治モデル」のプロパガンダを剥ぎ取ることこそ、知の運動の最優先課題だ。
1. 「万世一系」の硬直化からの解放
明治政府は天皇を「統帥権を持つ絶対的君主」としてプロイセン流に定義しましたが、それは本来の日本が持っていた、もっと柔軟で祭祀的な、あるいは網野善彦が指摘したような「自由の象徴」としての天皇像を歪めてしまった。
また国策として廃仏毀釈を推し進めてしまったことで、仏教的な世界思想との接点を日本の天皇制は失ってしまった。生々しい密教的な生命観と古来の神観念が融合したいかがわしさが明治期までの日本には確かにあった。
2. 「単一民族・農本主義」という虚構
「日本人は稲作を行う単一民族である」という物語も、徴兵制や納税を管理しやすくするための管理モデルです。実際には海を越えてやってきた多様な「漂泊の民」や「海民」がダイナミズムを作ってきた事実が意図的に隠されている。なぜなら、一所不定の「漂泊の民」や「海人」やサンカ(山窩)🔗などの「山人」は収税と管理の対象としては非常に手ごわいからだ。柳田國男も明治天皇の葬儀の際に、山の端より立ち上る煙を見て、サンカが弔いの煙を上げていると思った旨のことをどこかに記していたように思う。
3. プロパガンダを壊す「知の爆弾」
俺は日本に生きる皆さんにこんなことを知ってほしい。もちろん知ったところで、腹が膨れることはないし、目の前の苦しみから解放されることもないかもしれないが、心に少しは自由な風が吹く隙間が生まれるはずだ。
まずは、「かつての日本はもっと雑多で、もっと自由だった」ということだ。
明治以前の日本には、もっと自由で豊潤な世界だった。そして決してそれを美化するわけでも称賛するわけでもないが、公権力が及ばない「公界(くがい)」という自由空間や「無縁」という土地や地域共同体から切り離され、自分の技量一つで生きてゆく道もあったことを。
そして今や「明治モデルは賞味期限切れ」だということだ。
今から150年前に確立された中央集権・富国強兵のプロイセンモデルは、戦後の対米従属構造にも形を変えて引き継がれているわけだが、もはや現代の多極化世界では機能しない「古いOS」であることを。
この「明治以来の偽りの歴史観」を解体したとき、初めて「象徴天皇」という装置をリベラルな「インクルージョンの核」として、きわめて現代的なツールに転換できるはずだ。


