2026/08/07

POST#1932 盛夏、百花繚乱その3

ウブド、バリ スパティフィラム
この15年ほどで、社会がコンプライアンスだハラスメントだと大きく変わっていくのに歩調を合わせるように、荒木経惟は人々の前から消え去っていった。猥雑性が社会から失われ、的なプラスティックのような社会になり、人々は不寛容になった。かつてのアラーキーの写真には、都市の表面から覆い隠された不穏さ、混沌とした人間の欲望、逃れ得ぬ人の業としての性と死が、そしてなにより「生きることの生々しさ」が充満していた。

しかし、コンプライアンスやハラスメントという「管理と安全」の言葉が、社会全体を隈なく覆い尽くすにつれ、かつて彼を時代の寵児としていた猥雑、混沌、欲望といった生の息吹は、人々から見るもおぞましい、「排除すべき汚物」として扱われるようになった。

社会全体が滅菌され、無菌状態の「ポリティカル・コレクトネス(PC)なプラスティック社会」へと変貌していったのだ。

彼自身も、モデルとなったかつてのミューズたちから、次々と性被害を告発され、社会的に葬られたも同然となった。

そして、彼自身も失明したり、前立腺癌になったりしたことから、自然とかつての旺盛な写真集ラッシュを支えていた比類なき活力も失われたようにみうけられる。寂しいことだが、これも世の習いか。それとも、時代が大きく変わったということか。

昭和は遠くに、成りにけり。

この清潔な荒野には「含羞と露出」を許さない不寛容さが満ちている。

「顔=恥部」や「花=性器官」という見立ては、人間が本来持っている「矛盾や業」を受け入れ、面白がるという寛容さなくしては成り立たない。

社会の隅々にまで正しさの踏み絵を迫る現代の不寛容な社会では、荒木経惟が俺たちに提示してきたような「愛ゆえの猥雑さ」「剥き出しの生と死」はどこまでも忌避される。
そして、人々は、欲望や生や死を社会の表面から消し去って、そんなものはどこにもないような顔をして暮らしている。口元をマスクで覆って。まるで、内面を持ち合わせないような、記号のような人々が、せわしなくスマートフォンを見つめながら行き交う。

まぁ、こんなことを今更言ったとて、世の趨勢には及ぶべくもない。
何しろ、この俺とて、セクハラってことで契約を叩き切られたこともあるくらいだ。荒木経惟と同じで、世の人々から指弾される側の不埒な存在なのさ。
だからこそ、言わぬが花さ…。


2026/08/06

POST#1931 盛夏、百花繚乱その2

ウブド、バリ  クリステミス・ブルケラ

俺の言葉は、単なる思い付きじゃない。

分類学の父であるカール・フォン・リンネ🔗が提案したことをなぞっているだけのこと。

18世紀、リンネは植物を分類するために、花のおしべとめしべの数や配置に着目した「性分類体系(その名もズバリSexual System)」を打ち出した。その際、彼は植物の生殖器官を人間の性や結婚に見立てたため、花弁を「祝宴のベッド」、おしべを「夫」、めしべを「妻」と形容した。酔狂な学者だな(笑)。

例えばおしべが2本ある花を「1人の妻に2人の夫がいる結婚」といった具合に表現し、植物の生殖器官を大胆かつ生々しく描写した。なかなか楽しそうだな。

それまで単に美しく愛でる対象であった花が「あけすけな生殖器の露出」として捉え直されたため、当時の潔癖なピューリタン🔗の皆様は、美しい花々を「淫らで不道徳」「婦女子に見せるべきではない」と猛反発した。

バカバカしい、自分だって持ってるくせに。

荒木経惟🔗が、どこかで言っていたことを思い出した。

『裸体のいちばんの恥部であって、一番魅力的なところが顔なんだな。』(荒木経惟『すべての女は美しい』55頁より大和書房刊)

同じようなことを彼は他でも語っていた。女性の体で最も淫靡なのは、その顔なんだという。美しい花が、満開の生殖器官であるという言葉と響き合っているな。

普段からマスクをして暮らす若い女性たちは、その淫靡さを自ら悟っているからだろうか?

2026/08/05

POST#1930 盛夏、百花繚乱その1

バリ、ウブドにて
暑い時期の仕事は、肉体を蝕む。
日中に、細切れの睡眠を取っても、仕事の夢ばかり見る有様だ。窓を締め、クーラーをかけていても、セミの声が耳に響き、眠りは浅くなる。
眠れないので、息子を連れて、同級生のやっていいる耳鼻咽喉科にいく。息子は副鼻腔炎を起こしていて、この暑い中、青っ洟を垂らしていたのだ。良くなったからよかったものの、今度は乳歯がグラグラで、集中できないと宣う。俺は仕事用のベンチで抜いてやるといい、友人の耳鼻咽喉科医の藤本君は、ピンセットでグラグラさせてみて、これはまだだなと納得させる。
生きるとは、こんな日常の連続だ。

花とは不思議なもので、動物が身体の深奥に隠している生殖器官が、あたかもその植物を表す指標、つまりは顔のように露出している。
斯くほどに植物は、動物とはまったく異なる構造を持っている。むしろ、倒立した構造を持ったものだと言えるだろう。

だから、花の美しさを愛で、その香りを胸いっぱいに吸い込み賞することは、どこか淫靡で背徳的な行為に俺には思える。

だからしばらく俺の脳内で蛭子のようにくらげなし漂う思念のなかから、書きたいことが言語化されて浮かび上がってくるまで、花の写真でもお送りしよう。

こんなことを言われたら、そう、含羞を覚えずに花を眺め、香りを楽しむことはできないだろうね。
ある意味、呪いの言葉なのさ。