2026/09/07

POST#1962 近代経済も民主主義も、つい最近始まった実験に過ぎないんだぜ

フェス、モロッコ
話のスケールを一気に広げてみよう。俺たちは所詮自分の人生、もしくはせいぜい親、自分、子どもの三世代くらいしか思考の射程を持ってない。その射程距離の中にいる限り、現代の社会構造は盤石で普遍的なものにしか思えないだろう。だから、顕微鏡の対物レンズのターレットを回してスケールを切り替えるように、頭の中のスケールを切り替えるんだ。

人間は有史以来、フロム・ハンド・トゥ・マウスという定常経済を回してきた。それから後に作物を栽培し、収穫物を貯蓄する術を生み出したわけだ。

つまり、先を見越して貯蓄ってことを始めたのは農業が始まってからこっちの話。そしてぐんと話が今に近づいて本格的な投資が始まったのは、産業革命以降の話だ。

これは人類の歴史ってロングスパンで考えると、つい最近おっぱじまった実験的なものであるに過ぎないと俺には思えるんだ。そう、多くの人が幻滅を感じている近代的な民主主義だって、未だ数百年の積み重ねしかな壮大な社会実験であるようにね。

有史以来、人間が営んできた経済の歴史軸で並べ替えると、ごく最近始まった「貯蓄」や「投資」という仕組みが、いかに不自然で異質なものであるかが浮き彫りになるだろう。

1. 20万年 vs 1万年:貯蓄の始まり

ホモサピエンスって分類される現生人類、つまり俺たち人間が誕生してからざっくり20万年間、人類は「その日暮らし(From hand to mouth)」の狩猟採集社会を生きてきたわけだ。獲った獲物や採った果実はその日のうちに消費し、蓄えることは燻製にしたりしない限りは、まぁ難しいね。それに今日でもアマゾンの奥地などで暮らしているイゾラドと呼ばれる移動採集民のようなライフスタイルでは、常に移動しながら生活を営むため、モノは少ないほうがいいし、穀物を育てるなんて発想もなかったわけだ。

農業(約1万年前〜)という最初の実験

人類の定住と農耕が始まったことで、初めて「穀物の余剰(貯蓄)」が生まれたって言えるだろう。

最近の研究では、定住してしばらくは、割と平等な社会を営んでいたんじゃないかって推測されてる。共同体の中で富を蓄え、皆を支配しようとする者は、たいてい夜の間に喉を掻き切られたり、共同体から追放されたりしたんだ。

しかし、そうこうするうちに不平等が生み出されてくる。

貯蓄ができるようになった瞬間から、富を持つ者(ハブズ)と持たざる者(ハブナッツ)の階級が生まれる。こうして俺たち人類は「格差」という新しい課題を抱えることになったってことだ。めでたしめでたし。

2. わずか250年しか実績のない投資という最新の実験

農業以降も、基本的には「実体のあるモノ(金、銀、穀物、土地、塩など)」が価値の中心だったんだよね。しかし、18世紀後半の産業革命以降、事態は一変することになる。

250年前にイギリスを震源地にして起こった産業革命では、膨大な設備投資を回収するために「株式会社」や「近代金融」が本格化したんだ。

そこで起こったことは人類史上でも劇的な変化だ。それまで「今ここにある富」だったものが、「将来生まれるであろう富(期待)」へと姿を変え、これが現代の株価やAIバブルへと肥大化していくことになるわけだ。ケインズの言うところのアニマル・スピリットの炸裂が新たな富を求め生み出していったわけだ。

ちなみに、イスラーム金融では、今ここにないものを取引することはイスラーム法で禁じられている。ついでに言うと利子も禁じられているんだ。これが、活発な商取引を行ってインド洋からアフリカまで巨大な経済圏をつくっていたイスラーム世界が、産業革命を起こすことなく、また経済的な覇者にもならなかった原因といえるだろう。もっと言うなら、節度のある経済体制だということもできるだろう。資本主義と共産主義だけじゃなくて、世界には多様な経済の仕組みがあるんだ。俺たちがどっぷりつかっている近代経済ってのが、唯一の経済システムだと思ってもいけないし、格差が拡大していくのは当然だとあきらめてもいけない。

3. 「実験」としての近代システム

産業革命以降の資本主義も、フランス革命以降の近代民主主義も、人類の長い歴史から見れば「ここ200300年ほど、試しにやってみているだけの超短期的な実験」に過ぎない。人類の歴史の中では、昨日今日始まったばかりのことだ。だから、何もかも諦めて長いものに巻かれるだけでは面白くないってもんだろ?

何しろ俺たちが唯一のシステムだと思ってる経済システムは、この地球の資源を無限に消費し、実体のない信用を膨らませ続ける無理ゲーなシステムだ。こんなギャンブルまがいのことが、この先何千年も持続できる可能性は極めて低いというか、ゼロだろ?持続不可能な経済なのさ。3%の利子が20年複利でのっかるだけで、2倍になるんだ。こんな負荷に、俺たち人間も地球そのものも耐えられないぜ。どう思う?

で、バブルの崩壊やマクロ経済の破綻が起きたとき、俺たち人類が立ち戻るのは、結局のところ「今日働いて、今日食べるものを得る」という、20万年間鍛え上げられてきた「From hand to mouth」の強固な生存本能しかないんだよね。

株価、新NISAAI、そして民主主義すらも、人類が長い試行錯誤の中で生み出した「一時的な流行(実験)」のひとコマに過ぎないという視点を持つと、目の前の経済ニュースの重みが全く違って見えてくるだろう?そういうメタな視点を持った方がいいぜ。世の中ががぜん面白くなる。

専制政治や王政などに、戻らないためにも、俺たちは学び続けていかないといけないと思うんだ。民主主義はもう限界だなんて呑気に思っていられるのは、民主主義社会にいるからであって、本当に専制主義や絶対王政の社会に生きていたら、その民主主義という言葉を発することすらできないんだ。

だからこそ、自分たちの周囲の人々と相対して話し合い、草の根の民主主義を形成していかないといけないと思うんだ。

そういう基盤があって初めて、富裕層への資産課税は実現化するだろうし、富の再分配っていうことがちゃんと行われる政治制度っていうのが確立できるはずなんだ。

ちなみに現在の日本で起こっているのは、富の逆再分配だ。これは本来政治制度によってきちんとした富の再分配をしてゆくべきなのに、俺たち日本人は、俺たちの貧しさは自己責任で、富裕層が富を幾何級数的に蓄積していくのは、彼らの才能が優れているからだと思い込まされてる。

思い込まされてるんだ。

じゃぁ、なぜこの「逆再分配」が起きるんだ?そして俺たち庶民は、なぜそれを当然のこととして受け入れてるのか?

その不都合なメカニズムと、それを打破するための草の根民主主義の重要性について、考えてみようや。

1. なぜ現代は「富の逆再分配」が起きているのか

現在の資本主義と金融・税制のシステムは、放置すると自動的に「持つ者(ハブズ)」に有利に働くように設計されている。なぜって、この社会制度を政治家と一緒に設計したのは、そもそも彼等『ハブズ』だからだ。

金融緩和とインフレの罠

中央銀行がお金を大量に刷ると、株や不動産などの資産価格が上がってハブズがさらに富む一方、物価高(つまり今まさに現実化しているインフレ)によって日々の労働で生きるハブナッツの生活費は圧迫されていく。コンビニに行っておにぎりの値段を見ればわかるだろう。これは実質的な庶民から富裕層への富の移転(逆再分配)に他ならないんだ。

税制の歪み

汗水垂らして働いた「労働の対価(給与)」には高い住民税や所得税(累進課税で最大55%)がかかるのに対し、株の売買や配当による「資産の対価(金融所得)」には一律約20%しか課税されない。そして、政府はそういうインセンティブ=好子をちらつかせて、人々を投資という市場そのものを賭場にしたギャンブルに誘導するんだ。

一億円以上稼ぐ富裕層のほうが、実質的な税負担率が低くなる「1億円の壁」が、この不公平な税制を如実に示しているだろう。

2. 草の根の民主主義と「学び」が持つ力

この逆再分配のシステムを変更するためには、俺が吠えてる「資産課税の導入」や「税制の是正」が必要だ。

しかし、それらは強力な権力者(ほとんど専制的な長期政権党の非公開の税制調査会や財務省の官僚)によってきめられている。だからこそ、いくら市民の批判が高まって、『資産課税』などの不平等改善策が導入されたとしても、そのスケールは微々たるものに終わるだろうし、ハブズのロビー活動や資金力によって買収され、折を見ていつのまにか元の木阿弥状態に逆戻りしてしまうに違いない。そうなったとき、世の中の皆さんが自画自賛する民度の高いらしいこの国は、あきらめと不平等に覆われた惨めなものになってしまうだろう。

この茶番を防ぐためには、俺たちが消費者から市民へと脱皮しなければならないんだ。

そして、諦めるよりも、より公正な社会を求めることだ。

つまり市民の「知性」が防波堤になるんだ。一人ひとりの市民が経済の仕組みや歴史を「学び続ける」ことで、政治家の甘い言葉や、ハブズ側が流す「富裕層に課税すると国力が落ちる」といった世論誘導(プロパガンダ)を見抜く力を養っていくべきだね。

そして、市民同士の草の根の議論を通じて、「なぜ富の再分配が必要なのか」「どのような社会が公平なのか」という社会的な合意(ナラティブ)をボトムアップで形成して初めて、資産課税は富裕層からの「強奪」ではなく、社会を維持するための「正当な制度」として機能することになるだろう。迂遠だけれど、どんな遠い道のりも踏み出さない限り、たどり着くことはないんだぜ。

そもそも、富裕層に資産課税したら海外に脱出してしまうという意見もあるけれど、彼らが富を蓄積できたのは、国の税制に優遇され、国民の税金によって整備された公共財であるインフラを享受し、国の教育指針によって教育された質の高い労働力を使役し、その労働に対して本来分配するべき富を、労働者に回さず株主に配当したり、高額な役員報酬としてお手盛りで支払ったり、或いは企業の内部留保にしてみたりしてきた経緯がある。そう、若い人たちにはピンと来ないかもしれないけれど、この国はかつて一億総中流といわれた豊かさを享受していた国だったんだ。

絞り切ったレモンをゴミ箱に捨てるように、海外に資産を持ち逃げすることは、社会に対して不誠実極まりない態度だということは、少なくともいえるだろう。

実験を「より良いもの」に進めるために

人類の歴史から見れば、民主主義も資本主義もまだ始まったばかりの不完全な「実験」だ。しかし、今の状態を放置すれば、資本の力によって再び「新しい形の王政(巨大テック企業や超富裕層による支配)」へと退行していくリスクを孕んでいる。いや、すでにそのフェイズに入りつつあるといってもいいだろう。

それを食い止め、富の再分配が機能する健全な社会を作るためのカギは、「市民の学び」と「草の根の民主主義」だと俺は考えてる。俺たちは、餌をぶら下げられたら、条件反射的に食いつく機械じゃない。自分たちの目で社会の有様を見るべきだし、自分たちの頭であるべき社会を考えるべきだ。たとえ、荒唐無稽に見えたとしても。

2026/09/06

POST#1961 とっとと資産をためて、リタイヤしたいもんだぜ

カトマンズ、ネパール

毎日毎日、仕事の電話がかかってくる。やってもやってもきりがないぜ。俺もできることなら、とっとと十分な資産形成して、リタイアしたいもんだぜ。そう、FIREとかいうやつ?

最近偉く流行ってるみたいだけど、俺には無理だろうな。死ぬまで小商いを続けていくしかないのさ。まぁ、仕事してなかったら、部屋にこもって本を読み耽る毎日だろうが、カミさんに嫌がられるだろうよ。そうなると家に居場所なんてないしな。

FIREは確かに魅力的だ。

しかし、大幅な株式の相場の下落、あるいは円なりドルなりの価値変動が起こった場合、この人たちの生活っていうのはすぐに脅かされるんではないかと想像しちまうんだ。

いや、そんなこたぁ起きっこないと思うかもしれないが、資本主義の歴史はバブルとその崩壊の歴史だからね。

冷静に考えてみよう。株価の暴落や急激なインフレ(通貨価値の低下)が起きると、FIREつまり早期リタイアを達成した人たちの生活は瞬時に窮地に追い込まれることになるだろう。

彼らは「労働」という最強の防衛手段を手放し、100%「金融資産という虚構の価値」に依存して生きているため、マクロ経済の変動に対して最も脆弱な存在と言えるんじゃないか?

FIREの生活が崩壊する過程は、こんな風に想像できるな。

4%ルール」の前提が崩れるリスク

FIREの多くは、資産をアメリカ株などで運用し、毎年4%ずつ取り崩せば資産は減らないという米国の理論(トリニティ・スタディ)を根拠にしているんだとさ。しかし、ここには大きな落とし穴があるんじゃないか?

収益率の順序リスク(シーケンス・オブ・リターン・リスク)

リタイアした直後の数年間に大暴落が来ると、目減りした資産からさらに生活費を取り崩さなければならなくなるだろう。

そうなっちまたらさぁ大変!資産の寿命が極端に縮まり、理論通りに運用が回らなくなって、数年で資産ショート、つまり破産する確率が跳ね上がるよな。

それだけじゃないぜ。為替とインフレのダブルパンチだ。

日本のFIRE達成者の多くは、米国株(ドル建て資産)を保有しているようだ。

今のトレンドでは予想もできないが、いつ円高・株安の同時進行に潮目が変わるかはわからない。そうなったとき、AI関連一択の米国株が暴落し、同時に為替が円高に振れると、円ベースの資産価値は一瞬で半減するだろう。

それに加えて激しい物価高(インフレ)だ。

円やドルの価値が下がり物価が上がると、想定していた生活費(例えば月20万円とかね)では暮らせなくなります。資産価値が減る一方で、取り崩す額を増やさなければならないという弱り目に祟り目、泣きっ面に蜂状態に陥ることになるだろう。

そしてもう「ハブナッツ」に戻れない恐怖

最も致命的なのは、暴落に直面したときに、労働市場(ハブナッツの側)へすぐに戻れないマインドになっちゃってるところだ。

まずはスキルの陳腐化だ。

数年間労働を辞めていたのんびり暮らしていた人は、キャリアの空白(ブランク)があるため、以前と同じ条件で再就職することが困難になるだろう。俺なら心が折れるというか、億劫極まりないと思うぜ。

それに加えて買い手市場の不況だな。

そもそも株価が暴落している時期は社会全体が不況であるため、企業は採用を絞ってるだろう。そんな時に、リタイア崩れの人々が仕事を得るの何らかのコネがないと厳しいよな。

俺の結論はFIREは「平時限定」の危うい空中配線だってことさ。

FIREは、ここ十数年の「右肩上がりの株高」と「安定した物価」という極めて恵まれた経済環境(平時)が生み出した、一過性の流行に過ぎない側面があるだろう。もっとも、俺はいつだって自転車総業だけどな。会社の名前を自転車総業に変えようかと思うくらいにね。(笑)

労働という「価値を生み出すリアルな手段」を完全に捨ててしまう行為は、マクロ経済の地殻変動に対して無防備に身をさらすことなんだ。

おかげさんで最近では、完全に仕事を辞めるのではなく、週に数日だけ働いて生活費を稼ぎ、資産の暴落に備える「サイドFIRE」や「バリスタFIRE」を選ぶ人が増えているのも、この脆弱性に気づき始めたからだと言えるだろう。まぁ、あれだ。宝くじに当たったからといって仕事を辞めた奴がたいてい碌なことにならないのと同じことだ。

さて、絶好調な米国株と言ってもそのほとんどは、AI 関連株とレバレッジやデリバティブを多用した金融取引、つまりはマネーゲームに依存しているのが実情だ。つまり、実体経済から大きく乖離しているというのが冷徹な事実だ。

かつての米国株は、自動車や工場、エネルギーといった「目に見える実体=リアル」が中心だった。しかし現在の構造は、極めていびつで脆弱なものになっている。

1. 「ビッグ・テック」というAIバブルへの極端な依存

米国株全体のインデックス(S&P500など)は、時価総額の大きな上位数社(エヌビディア、マイクロソフト、アップル、アルファベットなど)だけで全体の約3割を占めているんだそうな。危ういな。

これらの企業の原動力は「AIが将来もたらすであろう利益」という未来の予測(期待)で、明確な実体=リアルなサブスタンスではない。

おまけにAI同士の循環取引だ。

テック企業がAIサーバーを買い、そのAIを使って別のテック企業がサービスを作るという「業界内での身内のカネの回し合い」が続いており、一般消費者の生活(実体経済)にどこまで浸透し、本当の利益を生んでいるかは不透明だ。まぁ、自社株買いで株価を上げるってのよりはマシだろうが、似たようなもんだ。倒れる時はドミノみたいに一気に行くぜ。

2. 金融取引(アルゴリズムとレバレッジ)による肥大化

現在の株式市場の取引の過半数は、人間ではなくAI(アルゴリズム)による高速自動取引だ。

個々の企業の業績や製品の価値ではなく、チャートの動きやニュースのキーワードにAIが反応することで、一瞬で巨額の資金が動く。動くんだけれども、そこにビジネスの実体はあまり考慮されない。機械的に相場の動向によってオッズが積みあがり、株価が上昇するって寸法だ。

そして危なっかしいレバレッジの連鎖だ。

機関投資家やヘッジファンドは、デリバティブ(金融派生商品)や借金を使って実体の何倍もの規模で取引している。株価が上がればさらに自動で買いが入り、実体経済の成長速度を遥かに超えて株価だけが膨らんでいくバブリーな構造だ。

3. 実体経済(オールドエコノミー)の地盤沈下

アメリカの国内を見渡すと、製造業の空洞化や地方都市の衰退、インフラの老朽化など、実体経済の課題は山積みだ。過積載だ。

マクドナルド、ウォルマート、キャタピラーといった「リアルなモノやサービス」を扱う皆様お馴染みの伝統的な企業の株価の伸びは、AI・ハイテク株に比べて鈍い。

つまり、「米国株が強い」というのは、アメリカの経済全体が強いわけではなく、一部の金融・AIセクターが世界中のマネーを吸い上げて肥大化しているだけという歪みが生じてるわけだ。います。

この壮大な虚構がこけたときの、ジャイアント・インパクト

いまの米国株は「AIへの信仰」と「高度な金融工学」という砂上の楼閣の上に成り立っている側面が否定できないんだぜ。違うと思う人は、手を挙げて!

現実問題としてイランとの戦争を見てみなよ。アメリカにはもう打てる弾が払底しつつある。新自由主義経済体制の下、株価最優先でリアルな製造をおろそかにしてきた付けが回ってきてるのさ。これで、2027年に創立百周年の中華人民解放軍が、台湾進攻をおっぱじめたとしても、今のアメリカでは中国の勢いを押しとどめることはできないだろう。近代戦争ってのは、総力戦であり、製造能力とロジスティクスがその勝敗を決するのさ。

さて、そんな状況のなかで、ひとたび「AIは思ったより儲からない」「金融規制が強まる」「金利が高止まりしてレバレッジが維持できない」といったようなきっかけで、危ういバランスで維持されている市場への信用が崩れれば、実体経済の裏付けが薄い分、過去のITバブル崩壊を上回るような猛烈な暴落を引き起こすリスクを秘めているといってもいいだろう。

そう、ネパールの氷河崩壊みたいなことになるのさ。

まさに「ハブズ(持つ者)」が最も恐れるべきは、この「実体のない数字だけの価値が、一瞬で本来の実体経済のサイズまで縮小する(暴落する)こと」に他ならないんだ。

ハブナッツの俺は、この AI バブルが弾けた時に一体何が起こるのか、想像しただけでワクワクするぜ。

実体なき虚構の価値が剥ぎ取られ、世界が「リアルな実体経済」へと強制的に引き戻される瞬間への知的好奇心や高揚感は、考えただけでもカタルシスだぜ!(笑)

もしこの「AI・金融バブル」が弾けた場合、単なる株価の下落にとどまらず、社会の構造そのものが大激変することになるだろう。一体どうなることやら。

まず 「ハブズ(持つ者)」の資産が文字通り蒸発するだろうな。

米国株の上位を占めるメガテック企業の時価総額は、数兆ドル(数百兆円)規模に達しているそうな。それが崩壊するんだぜ。見ものだな。

AIの収益化が行き詰まったと市場が判断した瞬間、アルゴリズム取引が売りを一斉に誘発し、世界の富の数十%が一瞬で消え去ることになるだろう。まさに富の強制リセットだ。

もしそんなことになったら、画面上の数字だけに依存していたハブズや、借金でレバレッジをかけていた投資家は、担保割れや資産激減により、一転して生活の困窮に追い込まれちまうぜ。FIRE民・レバレッジ投資家の退場だ。百年前の世界大恐慌の時には、この世から退場する奴がごまんといた。だからといって、そんなことする必要はないぜ。生きていれば、何とかなるってもんさ。

そして連動するように 「ハブナッツ(労働者)」の価値の逆転と再評価がワンチャンあるかもだ!

バブル崩壊直後は社会全体が不況の波をかぶるだろう。リーマンショックの時もそうだった。しかし、中長期的には「堅固な防衛力」を持つハブナッツの時代が到来するかもしれないぜ。

電力、食料、医療、物理的なインフラなど、「それがないと明日生きていけない」というリアルなモノやサービスを生み出す労働者の価値が、AIのプログラマーや金融ブローカーよりも圧倒的に高くなるだろう。だって、そうじゃないとみんな死んじまうからな。つまり、オールドエコノミーへの部分的かもしれないが回帰が起こるってわけだ。

市場の数字に振り回されず、日々の労働で社会を回し、具体的なスキルを持つ人々が、最もたくましく生き残ることになる可能性がある。あくまで楽観はしないけれどね。

残念ながら、そうなったときには政府の「新NISA」戦略の破綻が確定だな。

国が推進してきた「貯蓄から投資へ」というスローガンは、俺の見立てでは大打撃を受けるだろう。なんせ一億総ギャン中計画だからな。

国を信じて新NISAで米国株信託などを買った一般の人々が元本割れを起こし、政府への不信感が爆発するだろうよ。なんせただでさえ、いろいろと信用ならないことばかりしてる政府に官僚だからな。結果として、再び「現金・預金最強」の時代へ先祖返りする可能性だってあるかもしないぜ。

要は、いつだって結局、歴史は「実体」へと収束するのさ。

過去のオランダのチューリップ・バブルに始まり、2000年のITバブル、2008年のリーマンショック。形を変えながら繰り返されてきたバブルの歴史が証明しているのは、「実体のない期待は、必ず最後はリアルな価値のサイズまで縮小する」という鉄則だ。

AIバブルの崩壊は、一時的な大混乱をもたらすだろう。最小限度に抑えるために、各国政府は、財政規律を無視して企業救済に邁進するだろう。いつもの光景だ。そして、うまくいけば行き過ぎた金融資本主義をリセットし、人間が生み出す「労働」や「実体経済」の尊さを社会が思い知る、最大の転換点になるかもしれないな。

まぁ、そうだとしてもどうせ俺たち人間は喉元過ぎれば熱さを忘れるんだ。けど、喉元過ぎても熱いものは熱いままだ。鈍感な内蔵の粘膜に深刻なダメージをコツコツ蓄えていくのさ。

てなわけで、しょうもない夢はベッドの中で見るに限るな。

2026/09/05

POST#1960 そろそろ資産課税について検討すべきフェーズじゃないか?

フエ、ベトナム この河を渡ると、かつての阮朝王宮だ

本当に国を豊かにして、経済を回そうと思うのならば、そろそろ資産課税を真剣に検討するべきなんじゃないかな。
現在の日本の税法では、所得に関しては課税されるけれど、資産に関しては課税されない。いや、固定資産税とか自動車税とかの資産課税はあるけれど、企業の内部留保や、富裕層がため込んでいる預金、或いは株式債券(起算時点の評価額に対して一定の税率を課して税金として納めてもらうってことだ)などに課税するべきなんじゃないかな。
資産課税に関しては、トマ・ピケティなどの先鋭的な経済学者からの、国を問わず実施すべきだと いう意見が上がっている。まったくごもっともだ。海外逃避っていう逃げ道をふさいでおかないとね。
そうすると、税金を嫌気する資産家は、現物資産に変換し、ため込んだ金融資産が市場に流動し始めるだろう。日本には現金預金だけで1126兆円もの個人資産が銀行預金として眠っている。困窮した若者は、詐欺やトクリュウ犯罪で、高齢の資産家から力づくで資産を奪い取っている。これはある意味での世代間での資産をめぐる闘争だ。

本当にお金を市中に回し、広く国民を豊かにしたいのであれば、資産課税を導入するべきだと俺は思うんだ。

日本の個人の現金・預金が1,000兆円以上も眠っている現状において、「お金を市中に回す(消費や投資に回させる)ためには、新NISAのような優遇措置よりも、資産課税によって滞留している富にペナルティを課す方が効果的だ」という指摘は、経済学や政策論の観点からも非常に有力なアプローチの一つだとされているようだぜ。

この「資産課税(富裕税や預金課税など)の導入」については、経済を活性化させるという賛成派の意見と、逆に経済を冷え込ませるという反対派の意見の双方が存在するのが正直なところだ。立場が違えば、意見も違って当然さ。今でも世界中で激しい議論が続いているみたいだ。

どんなことにも良い面と悪い面があるだろう。
それを天秤にかけたとき、社会にとって良い効果が大きいのなら検討し、実行に移すべきだと俺は考えてるんだ。そう、出来ない理由を探すより、出来る方法を考える方が、現実的だろう。

資産課税の導入が社会に対してよい効果があるとする賛成意見は次のようなものさ。

消費や投資への強制的な誘導
お金を持っているだけで税金が取られるようになれば、人々は税金を避けるために、お金を「使う(消費)」か「より高いリターンを求めて市場に投資する」ようになるだろう。まるでサッカーのパスを高速で回していくようにね。結果として、市中にお金が回りやすくなるって寸法だ。
格差の是正と財源の確保
一部の富裕層や高齢者層に偏っている資産を税として徴収し、それを子育て支援や若者世代への給付に回すことで、社会全体の消費底上げ(お金が回りやすい仕組み作り)につなげていくことができるだろう。いや、多くの就職氷河期世代が、資産形成などおぼつかないままに、単身で年老いていっている現在、その社会保障費が、国や自治体の財政を圧迫するようになるのは眼に見えている。
何らかの早急な対策を講じないと、社会を維持することができなくなるという危機感を俺は持っているんだ。

しかし、俺のそんな懸念をよそに、資産課税の導入に反対する意見は根強い。

キャピタルフライト(資本の海外逃避)の可能性が高い
重い資産課税を導入すると、富裕層や優秀な起業家が資産を海外(つまりシンガポールやらドバイなんかの税金の安い国)へ移転させてしまい、結果として国内の富や税収が逆に減ってしまうリスクが指摘されている。
過去に富裕税を導入した欧州のいくつかの国(フランスなど)では、これが原因で後に制度を廃止した経緯がある。だからこそ、これは世界的に協調して行っていく必要があるだろう。

投資や貯蓄の意欲低下
「努力して資産を築いても税金で持っていかれる」という心理が働くと、労働や起業、国内投資のモチベーションが下がり、中長期的に経済の活力が失われるという懸念がある。
しかし、現在の労働者の多くは、すでに努力して働いても、五公五民でなんだかんだと税金を取られ、生きていくのもカツカツという状況だ。
それでいて、税収は過去最高で、国家予算の概算要求も141兆円とかいう市場最高額なんだから、市井の一市民としては、暗澹たる気持ちにならざるを得ないぜ。
そして、そんなに税金を取られてる割には、災害が起こっても避難所で雑魚寝という状況は、百年以上前の関東大震災から変わっていないという不思議だ。

やれやれ、ため息しか出てこないぜ。
現在の日本政府は、資産課税という「ムチ」ではなく、新NISAという「アメ」の手法を選択しているんだ。俺はそんな余力がないから、金が手に入ったらすぐに市中に華麗なパス回しだから、そんな高級ギャンブルに手を出す余裕はない。
これは、国民に強制的に資産を動かさせるのではなく、「税金をゼロにするから、自主的に投資へ回してほしい」というインセンティブ(動機付け)による経済活性化を狙ったものだ。
ここんとこ話してるオペラント条件付けでいうところの、好子というやつだ。餌をぶら下げて、行動を制御しているのさ。

さて、この資産課税を導入する場合、どのような層(超富裕層のみか、一般の預金者も含めるか)を対象にすべきだと考えるべきだろうか。また、海外への資産逃避(キャピタルフライト)を防ぐためには、どのような対策が必要だろうか?
俺は、それ等の問題は『持つもの』と『持たざるもの』、つまりハブズHAVESとハブナッツHAVE NOTS(HAVE NUTSじゃないぜ、ピーナッツもってどうするのさ)の間の論争に過ぎないと考えてるんだ。

富の再分配や税制をめぐる議論は、どれだけ高度な経済理論で飾られても、最終的には「財産を守りたい側」と「公平な分配を求める側」の利害衝突に行き着いちゃうんだ。そりゃそうだろ。

この対立構造は有史以来といってよいほど根深い。

立場によって主張が完全に正反対になるため、純粋な正解なんて存在しないんだ。

持つ者の論理はこんなところかな。
「自分が努力して築いた資産や、すでに税金を払った後の財産に、さらに課税されるのは二重課税であり不当だ」
対して、持たざる者の論理としてはこんなところだ。
「社会のインフラや仕組みの恩恵を受けて富が集中しているのだから、格差を是正するために多く持つ者が社会に還元すべきだ」
お互いに立場が違うから、いつまでたっても平行線だ。
そんな時、ジャッジを下すのは政治の役割であるはずだけれども、如何せん政治家のセンセー方は、資産をお持ちの方がたと懇意にしておいでなので、そちらの声を市民の声、国民の意見として採用しがちだ。

ここで、民主主義における「数の力」のジレンマが浮上してくるんだ。

民主主義のルールでは、数が多い側の意見が通りやすくなるのはご承知の通り。とはいえ、これは政治家のセンセー方の口約束に頼ってる部分が非常に多くて心もとないけどね。

ハブナッツ(多数派)の視点
投票数では勝るため、資産課税や富裕層増税を求める政治勢力を支持しやすいはずだが、不思議と日本の有権者は現状維持を求めがちだ。なにがしかのイデオロギーに基づいた世論誘導がうまいことされてるんじゃないかと考えざるを得ないな。社会民主的な主張をすれば、『悪夢のような民主党政権』という方々も多い。しかし、あの頃のほうが国際的に円の評価は高かったけどね。

ハブズ(少数派)の防衛策
人口比で10%ほどに過ぎない富裕層は、有権者の数では負けるため、政治献金やロビー活動、あるいは最終手段としての「海外移住(資本逃避)」という経済的な力で対抗することになるだろう。

そして、その両者の間で社会設計をしてゆくべき政府という仲介者は、どっちつかずの矛盾した態度に終始してる。そう、政府は両者の間で常に板挟みになっているんだ。煮え切らないとはこのことだ。

建前としては「格差是正」や「中間層の復活」を掲げちゃいるが、本音ではハブズ(企業や富裕層)に逃げられると国力がガタ落ちするため、思い切った資産課税に踏み切ることはできないでいる。
結果として、新NISAのような「誰でも参加できる(建前上の)平等な機会」でお茶を濁している側面があるんだ。まぁ、前にも言ったけど国に期待せず、投資という名のギャンブルやビットコインなどを買って資産形成しておくれよ、とくるわけだ。うまくいけば君も『億り人』になれるぜ!ってことだ。

結局のところ、この論争は単なる経済政策の選択ではなく、「どのような社会であるべきなのか」という価値観のぶつかり合いなんだ。

この分断が広がり続ける現代社会において、両者が妥協できる「中間の解決策」は存在するんだろうか?
ハブズは株価が暴落してしまったり資産価値が減ってしまったり、あるいは為替の価値が暴落してしまうといった事態には、ある意味で非常に脆弱だ。
対してハブナッツ=無産階級は、日々の労働によってささやかながら価値を生み出し続けているので、そういったマクロな価値の変動に対しては、ある意味で非常に堅固な防衛力を持っているとも思えるな。

つまりは「持つ者(ハブズ)」は実体のない市場の変動に怯え、「持たざる者(ハブナッツ)」は自らの労働という実体で生きているからこそ、マクロの暴落に対してある程度は耐性があるっていう、いささか斜に構えた見方だ。

金融資産は、人々の「信用」や「期待」という不確実な土台の上に成り立っているため、パニックが起きれば一瞬で紙切れ同然になり得る可能性が否定できない。そう、暴落する前にうまく売り抜けることができるかどうかという、ババ抜きみたいなもんだ。
一方で、人間の「労働力」や「スキル」は、社会が存在する限り常に必要とされる「最後のリアルな価値」だろう。なぜって、そいつがなければ、実社会は回らないからだ。
マルクスが言ったみたいに、『労働者階級は、鎖のほかに失うものなど何もない』ってわけだ。

ハブズ(資産家)が抱える「虚構」の脆弱性

ハブズの富の多くは、冒頭の議論通り「換金して初めて価値が出るもの」だ。株券や国債をどれだけ持っていても、換金しない限りはただの紙切れ、いや今時電子データだな。

彼らは労働市場では、王のように君臨しているけれど、それは砂上の楼閣だともいえるだろう。しかし実のところは、彼ら自身が市場の奴隷なんだ。
どういうことかって?
株価や為替の暴落、あるいは急激なインフレ(通貨価値の暴落)が起きると、個人の努力とは関係のない「マクロの荒波」によって、彼らは一晩で資産の大部分を失うリスクと隣り合わせなんだ。
そして「持っている」という恐怖。持っているからこそ、失うものがある。失うものがあるから、社会が自らの意図しない方向に変わってしまう事に大きな恐怖を抱くのさ。
そう、失うものが大きいがゆえに、常に市場の動向を監視し、防衛し続けなければならないというナーバス・ブレイクダウンと背中合わせってわけだ。

 ハブナッツ(労働者)が持つ「実体」の強靭さ

ハブナッツは、金融システムという「虚構」ではなく、「自らの身体と時間」という絶対的な実体を原資にしている。なんせフロム・ハンド・トゥ・マウスだからな。

つまり、日々の過酷な労働によるささやかでも確かな価値の自家発電ってわけだ。
どれだけ株価が暴落しようが、円やドルの価値が半分になろうが、社会が必要とする「サービス」や「モノ」を労働によって生み出している限り、その時点での適正な対価(リターン)を即座に得ることができるだろう。

ささやかながらのインフレ耐性
通貨価値が落ちれば、基本的には名目賃金(給与の額面)も物価に合わせて上昇するため、労働市場における自分の価値はマクロの変動に対して自動的にアジャスト(調整)されるというのが経済学の定説だ。
しかし、あくまでそれは幻想だ。現実を知らないおめでたい理論としか俺には評価できないな。今回のようにあんまり円が暴落して、挙句その価値が目減りしたら、大衆は物価高に苦しむことになる。
労働単価って物価は、なぜかなかなか上がらない。これは資本主義最大の疑問だ。
要はお前の代わりはいくらでもいるってことなんだろうな。
しかし、これからの労働人口が減少の一途をたどる時代、そんなこといつまで行っていられるかな?こいつは壮大なチキンレースだな。それともAIやロボットに仕事をしてもらうってことかね。

結局のところ、どちらが「本当に強い」のさ?

資本主義の平時においては、資本効率の良いハブズが圧倒的に有利に見えるな。
しかし、歴史的な大恐慌やハイパーインフレ、あるいは社会の構造変化といった有事においては、自らの労働で価値を生み出し続けられるハブナッツの方が、生存能力(つまり防衛力)が圧倒的に高いと言うこともできるだろう。

金融資産という「他人が決めた価値」に依存するハブズと、労働という「自分が生み出す価値」に立脚するハブナッツ。どっちがいいか、よく考えてみよう。まぁ俺の実感では、いつだって金のない奴はひどい目にあうもんだ。
そこで俺の個人の処世訓を公開しよう。『金はないものだと思って、要らん見栄を張らずに暮らすべきだ』庶民としてはこれに尽きるぜ。
けれど、その欲しがりません勝つまでは!のような処世訓もそろそろ限界だ。
いい加減、資産課税を検討する時期に来てるんじゃないだろうか。
まぁ、お金持ちの皆さんには悪いけどね。