2026/04/04

POST#1809 我に奇策あり


さて、前々回の続きだ。 この自らの掌のうえで「大国を競わせる」という前代未聞の国家戦略を進めるにあたって、決して大国に蚕食されてゆかないような日本国内の「独立自尊」の機運をどのように高めていくべきだろう。

我に奇策あり。
ここは一丁、日本政治最大の禁じ手、『天皇ナショナリズム』を利用しますか。

日本政治における究極のカードだ。男系男子じゃないと天皇を認めたくない自民党、男系女子でも構わないという中道改革連合。オリイも中道改革連合の小川代表が、自分が生きてるうちに女性天皇を見てみたいといって、発言撤回そして謝罪してたな。なぜ謝罪しないといけないのかよくわからんが、俺なら自分は200歳まで生きるつもりだからといって、うまい事はぐらかすだろうな。
だいたい保守派の言う伝統ってのは、いつだって明治憲法が基準で射程距離が浅すぎる。推古天皇🔗持統天皇🔗とか、飛鳥時代、奈良時代などは時代の節目に女性天皇🔗が即位しておいでだ。ある意味、この国の抜かずの宝剣のようなお家芸のはずだ。江戸時代にも女性天皇の御即位の例が二例もある。
正直言えば、自分としては天皇制が本当に必要なのか。憲法の定める人権を享受しえない国家の象徴として生きることを、自ら選ぶ選ばざるに関わらず生まれ落ちた瞬間から担わされる不自由な人間の存在を認めることは、まったく本意ではない。
一人の人間存在として、あまりにも過酷な人生を送ることを運命づけられておいでで、お労しい限りだと不敬ながら思わずにいられないのだ。
加えて、権力闘争のトロフィーのように扱われ、下々の庶民の敬愛と余計なお世話な好奇のまなざしにさらされ続け、報道によって毀誉褒貶にさらされる。
本来稲作農耕司祭王としての性格が濃厚な天皇陛下という存在自体が、すでに農業が国の基盤を担えなくなっている今日では、すでに不敬な言い方ではあるが、天皇制は時代とともに変貌してしまった日本の下部構造、つまり経済や大衆文化にそぐわないのかもしれない。
週刊誌に消費されるコンテンツにされてしまっているようにも見えるし、その不敬に国民自体が気づいていないのが悲劇的ですらある。

しかし、俺は天皇というアジアに広くみられる一種の生き神信仰(ダライラマとか、ネパールの処女神女クマリもその系統に連なるだろう)の持つ巨大なポテンシャルの存在を信じている。そして畏怖畏敬しているんだ。

日本の歴史において、国家の危機や体制の劇的な転換期に「天皇」という存在がレバレッジ(てこ)として使われてきたのは厳然たる事実だ。
俺は自分自身が掲げている、人間が長い闘争の末に取り戻した平等性と、個々の人間に備わった尊厳を等しく尊重するという方針は、不本意ながら一旦措く。
そのうえで、日本の閉塞状況を打ち破り、転回させる唯一のツールとして「天皇ナショナリズム」を利用するべきだと提言する。
自民党のセンセー方や日本会議なんかの右派団体の皆様なんか目じゃないほど、皇室のお方々に働いていただく。

もちろん、「天皇ナショナリズム」を独立自尊のために利用するという戦略には、凄まじい爆発力と、同時に制御不能なリスクが同居しているのは承知の上だ。
これを掲げた私たち日本人が、広くアジア諸国の皆さんに謝罪すべき過ちを犯したことも重々承知している。しかし、どう考えても、日本人の統合の象徴として一般意思🔗をその御身に体現し、銀河系の中心にある巨大ブラックホールのように日本という国家の中空の核として立ち、強力な向心力を国民に及ぼすことができるのは、ただ天皇陛下お一方しかおいでにならない。

1. 「対米従属」を断ち切る唯一の権威
現在の日本において、憲法や日米安保条約、さらには戦後民主主義の枠組みを超えて国民を一つにまとめ、既存の統治システム(官僚機構や親米政治)をリセットできる唯一の「正統性」は、理屈抜きで天皇という存在にある。
これはもう理屈じゃない。国民の間にある、一種の宗教なんだ。

「国民の象徴」としての決断
天皇陛下が「日本の自立と平和」を直接的に示唆なさるだけで、戦後80年以上の対米追従のロジックは一瞬で無効化される可能性がある。
しかし、政治学者の白井聡🔗が主張しているように、わが国の「国体」における天皇の至上性は、戦後アメリカによってとってかわられたという見方もできる。国民統合の象徴がアメリカ合衆国という奇妙によじれた状況だ。アメリカの政権が共和党であるか民主党であるかにかかわらず、日本の政権がアメリカに従属し続けているのがその証左だ。
このポジションを、日本人の手に取り戻し、衰退してゆくであろうドル覇権と圧倒的な武力で意にそわない国を攻撃し続けるならず者国家と心中することを避けるためには、陛下の「御聖断」を仰ぐしかないだろう。

2. 多極化外交の「重石」としての権威
中露の基地を受け入れるような極端な等距離外交(ジブチ方式)を進める際、国内は激しい分断に見舞われることが容易に予想されるだろう。
その混乱を抑え、「これは日本が生き残るための聖断である」という空気を作るには、政治家レベルの言葉では絶対に不可能だ。今は亡き安倍晋三が1ダースいたところで、予算案一つ年度内に通せなかった早苗ちゃんがどれだけ頑張ったところで、無理なものは無理だ。
畏れ多くも天皇陛下という歴史的権威がその背後に透けて見えることで、保守層も含めた国民の納得(あるいは沈黙)を引き出す装置になり得る。

3. 歴史の再現とリスク
かつての「尊王攘夷🔗」も、アメリカ、ロシア、イギリス、フランスといった欧米列強の外圧に抗うために天皇の権威を利用し、古い幕府体制を破壊し殲滅し転換した。しかし、この手法には大きな危うさもあるのは、皆様ご存じの通りだ。
まずこれは扱いを誤ると自らの首すら切り落とす諸刃の剣だということだ。
ナショナリズムが一度火を噴けば、それは国民の選民思想的な幻想を燃料にして燎原の火のように燃え広がり、火をつけた当の本人たちも巻き込み焼き尽くしてしまう業火となるだろう。
そうなってしまえば、「対米自立の等距離独自外交」という冷静な計算を超えて、排外主義や暴走した軍国主義に繋がりかねない。
それが幕末から明治大正昭和を経て、大東亜戦争=太平洋戦争へと至る私たち日本人が歩んだ道のりだった。俺自身はその歴史を誇る気持ちなどさらさらないが、右派的な世界観では大っぴらには言えなくてもそれこそが我が国の栄光の歴史だと認識されていると俺は考えている。彼らは万世一系の天皇を中心にした長子相続家父長制の神の国に戻したいんだ。
我々は、二度とその道を歩むわけにはいかない。
(そもそも家父長制も、長子相続性も、夫婦同姓もプロイセン(今のドイツね)をモデルにして作られた明治憲法を通じて生み出されたものだ。日本古来の伝統でも何でもない。それはここに言い添えておく。)

さらに大日本帝国の明治憲法と違い、日本国では、天皇陛下は国民の統合の象徴である。
 ここで付言させていただく。
 俺は大日本帝国と日本国は憲法が違うんだからこれは本当は違う国家だと考えている。
 国家のOSである憲法が大きく書き換えられている、というか全く別物になっている以上、同じ国ではないんだ。
 会社の定款が違ったら、それは別法人だろう。
 日本国という法人は、日本国憲法という定款で、破産廃業した大日本帝国の社員=国民を再雇用して作られた別法人なんだ。
 もっと平たく言えば、異なるOSを採用しているWindowsとMacが、同じパソコンだ言う人はいないだろう。
 この両者は全く似て非なるものなのだ。
ここをしっかり踏まえておかないと、国民統合の象徴たる天皇陛下の政治利用を不敬を承知で試み、国民の安寧のためとはいえ陛下を政治闘争の道具にすることは、皇室そのものの存続を危うくする賭けでもある。しかし、現状では皇室の血統を維持していくのはかなりの困難が予想される。
同じように存続が危ぶまれるのであれば、俺は未来を開く方向へと陛下をはじめとした皇族の御皆様方に踏み出していただきたい。


結論として、アメリカという「外圧」と、中国という「現実」に挟まれた今の日本で、骨までしゃぶられ続ける現状をひっくり返すには、「戦後という枠組み自体を終わらせる儀式」が必要なのかもしれません。
その中心に天皇を据えることは、日本にとって最後の、そして最も危険な独立手段と言えるだろう。
しかし、考えてみてほしい。ナショナリズムといって左派の良識派はしばしば妖怪に出くわしたかのように震え上がるが、ナショナリズム無しにまとまっている国家、独立を果たした国家があるだろうか?なんだかこれじゃ、マルクスの共産党宣言🔗に出てきた共産主義という名の妖怪みたいだな(笑)
「一つの妖怪が日本を徘徊している――天皇ナショナリズムという妖怪が…」ってところか(笑)
俺自身は国家とは、ざっくり言って一般意思に基づく憲法という契約によって成立する法人だと考えている。その一般意思を表明する人々をどこで線引きするかといえば、まぁナショナリズムに基づくアイデンティティーしかないのではなかろうか。マイナンバーカードやパスポートなんていうのは、支配管理のためのツールに過ぎないからね。

この「天皇ナショナリズム」による独立自尊を成し遂げた後の日本は、「民主主義国家」としての形態を維持できるだろうか。
それとも、全く別の新しい統治形態へと変貌してしまうのだろうか?
一つだけ言えることがあるとすれば、この同調圧力世界最強のこの国の民は、ひとたび結束すると恐ろしいほどの力を生み出す。その力をどう制御して大国のスーパーパワーに対峙してゆくかだ。

我に奇計あり つづく

2026/04/03

POST#1808 今日は西行忌

 

家の真ん前の小学校の桜 この木を見てこの家を買うことに決めた
昨日と今日は真清田神社の祭礼だ。桃花祭🔗という。
昨日は俺の町内で、祭りの一環としてこども獅子の引率をしたんだ。何しろ俺はこう見えて子供会の副会長だからな。祭壇を設け、神饌を供え、鐘の音と拍子木でリズムをとりながら町内をすすむ子供たちの獅子を引率するんだ。これは思うに町内の祓い清めなんだ。
鈴の余韻のある澄んだ音で、獅子の威容で町内の罪穢れ諸々の禍事を鎮め治める大切なものだと俺にはわかってる。だから、子供たちの健やかなること、町内の皆様の安寧をおもいながら務めを果たした。
前日まで降り続いた雨にも耐え、桜は咲き誇っていた。

願はくば
花の下にて春死なむ
そのきさらぎの望月のころ

そして今日は旧暦で西行🔗の命日にあたる二月十六日。
ちなみに昨日は旧暦二月十五日、お釈迦様の命日とされる涅槃会だ。
若いころ、如月、つまり2月の15日に桜が咲くとは面妖なことだと思っていた。2月の半ばなどまだまだ寒さ厳しい季節だ。こんな時期には寒椿しかなかろうにと思っていた自分の不明を恥じるばかりだ。そう、旧暦のことが全く頭に入っていなかったんだ。
温かく、桜が咲き誇るこの時期なら、あの世に行くには本当にもってこいだ。

ちなみに、鳥羽院に仕える武家のエリート北面の武士であった佐藤義清は、同僚の死を契機に出家遁世し、山中に草案を結んだ。出家しようとする自分の足に縋り付く子供を、縁側から蹴落として出家した話は印象に残っている。ちなみに、同時期の北面の武士には平清盛も名を連ねていた。時代感覚がわかってもらえるだろう。

山河を跋渉し、数多の歌を詠み、桜の花を愛でた西行は沙羅双樹の花の下にて死んでいった釈迦のように、桜の花の咲き誇る時期に死ぬことを願って先にあげた歌を詠んだ。
そして、その願い通りに、如月十六夜の日に世を去った。

まったく、出来すぎだな。

ちなみに西行を慕っていた高杉晋作🔗は、東則ち幕府を倒しに行くという決意と西行をもじって東行と称していたそうだ。

その高杉晋作の詠んだ辞世の句は

おもしろき 
こともなき世を おもしろく
すみなすものは 心なりけり

27歳で亡くなる直前、病床で「おもしろきこともなき世を おもしろく」と書き、下の句を看病していた野村望東尼が付け加えたとされている。

面白くない世の中を、面白くするのは自分自身の心持ちだな。俺は君たちが考え付かないようなことを日ごと夜ごとに考えているのさ。例の奇策は明日また話そう。仕事の書類を作らないといけないんだ!

2026/04/02

POST#1807 我に秘策あり

 

台南

まったく残念ながら、わが国はアメリカの属国だ。

ホワイトハウスで行われた先日の日米首脳会談の様子を見れば、いやでも認めざるを得ないだろう。あれに憤慨した人も多いだろうし、それで憤慨する奴をわかってないとこき下ろす人もいる。立場が違えば見える風景も違うのは仕方ない。俺が見てる風景も他の人々と全く違うかもしれない。みんな日本がアメリカに抱かれて庇護されているのがいいと、心の底から思っているのかもしれない。ほかの選択肢など存在しないと『現実的』に考えているのかもしれない。しかしそれも共同幻想だし、もっと言えばほとんどの人は目の前の生活で精いっぱいだ。

アメリカへの際限のない資金援助(防衛費増額や米国債の買い支え、アメリカ国内への内容不明な巨額投資など)を「同盟のコスト」として受け入れ続ければ、いずれ国内のインフラや社会保障は痩せ細り、国民の生活は文字通り「棄民」に近い状態に追い込まれることになるだろう。まぁ今ですら、困窮した人々が市役所の福祉課で門前払いを食う状況なんだから、この先どんなことになるのやら思いやられるさ。

敗戦後80年以上、わが国の行く手を一貫してきた「対米追従」という単一のレールが、今や日本を物理的な紛争の最前線へと引きずり込み、同時に経済的にも心中させるルートに変わっている。おそらく、自衛隊はこの瞬間にもホルムズ海峡に向かう準備を進めているだろうよ。

はっきり言って、このままアメリカの属国でアメリカと心中道中歩んだどころで、日本はジリ貧だ。今まで言ってきたように、ドル覇権だって永遠じゃない。俺たちはアメリカとドルに自発的に隷属してるんだ。

アメリカにも、中国にも、ロシアにも与せず偏らず、それぞれうまく接しつつ激動する国際社会でリスクヘッジしてゆく。そしてこれらの大国以外のミドルパワー諸国と足並みを合わせていくという「独自外交(等距離外交)」を模索する上で、極めて困難ながらも避けて通れないハードルがいくつか浮かび上がる。

まず、それから考えてみよう。

経済的リアリズムの追求

現在の我が国のサプライチェーンが中国と深く結びついている以上、米国の「デカップリング(切り離し)」要求に盲従せず、実利に基づいた独自の通商ルールを周辺国と結び直す必要がある。

「盾」としての防衛から「橋」としての外交へ

そして東南アジア(ASEAN)諸国のように、大国間の対立を逆手に取り、どちらにも決定的に肩入れしないことで自国の安全と利益を最大化する、よく言えば「したたかな中立性」、悪くいば「二股膏薬」な外交関係が求められるだろう。まるでイソップ童話のコウモリだけれど、是々非々であくまでリアリズムに基づいて自国の国益を最優先で考えるんだ。

内政の立て直し

日本は、デッドストックしている外貨を国際金融市場に垂れ流す前に、エネルギーの自給率向上や食料安全保障など、他国に「急所」を握られないための基礎国力を再建しなければ、独自外交の交渉力すら持てない。電力も圧倒的に石油に頼っている。東日本大震災の後、下火になった原子力発電を推進する方向に政府は家事を切っている。しかし、一歩間違えば関東がノーマンズランドになって、首都名古屋となっていたかもしれない事態を経験したはずなのに、のど元過ぎれば熱さを忘れるとばかりに、原子力の旗を振る政府と経済産業省のセンスを疑うぜ。風力発電など、世界の技術から一周遅れている。政府や官僚の発想が従来型の昭和なセンスだからなのか?

今回のイランへの攻撃によって石油の輸入に暗雲が垂れr込めただけで、あらゆるものが値上がりしている。俺の仕事にかかわることでいえば、塗装用のシンナーが入手困難になっている。

また、いまだ収束する気配のない令和の米騒動に端を発する米価高騰。コンビニのおにぎりがいつのまにか倍の値段になっているのに、うちのカミさんは旋律狼狽していた。とはいえ、給与明細を見て給料が倍になっていて狼狽するということはないのがまた脱力するしかない。そこに加えてフルスイングでからぶった感のあるお米券騒動だ。

この国の政府や官僚はいったいどこを向いているのか。まさに外憂内患だ。

このような満身創痍な現状の日本の政治構造や、ほとんど不平等条約といいたくなる「日米地位協定」などの縛りを見ると、この大胆不敵な舵切りは国家の存亡を賭けた「第二の開国」ほどの衝撃を伴うものになるだろう。

アメリカによる「骨までしゃぶる」構造から脱却し、中国とも対等に渡り合う。この極めて細い糸を渡るような「日本独自の生存戦略」を実現するためには、まず何から着手すべきか?


これから俺が言うことは、きっと万に一つも実現する目はない。君たちもできの悪いファンタジーでも読む気で読んでほしい。俺の脳内ではかなり本気だけれど、現実になる目はサイコロを振って七が出るほどの確率だ。けど、言うだけタダだぜ。

みんな覚悟はいいか?いくぞ。


唐突だけど、中国の基地を鹿児島あたりに受け入れ、ロシアの基地を秋田あたりに受け入れるのはどうかな。ジブチ🔗方式、つまり「複数の大国が同地で基地を構える」を日本に適用するという、極めて大胆かつ戦略的な逆転の発想だ

ジブチはどこにあるかみんな知らんだろうが、なんとそこには我らが自衛隊の基地もある!

ジブチ共和国はエチオピアとソマリア(正式にはソマリランドに当たる部分だ)のあたりにある。いわゆるアフリカの角だ。この対岸のこの国は今話題のイエメン。イランと同盟するイスラム教フーシ派🔗が陣取っていて、イランと連携して紅海のバル・エル・マンデブ海峡🔗を封鎖すると息巻いているところだ。まぁ、そうなったらサウジアラビアの石油はどうにもならないな。

さて、この小国はアメリカ、中国、フランス、イタリアさらには日本の自衛隊の拠点をも受け入れている。しかも日本も中国もアメリカもフランスも、みな恒久施設として基地を置いている。日本と中国がなぜこんなところに基地を持っているかというと、ソマリアの海賊対策だ。

まぁ、こりゃ以前話した軍事的なゾーンだな。一見節操がないように見えるけれど、実にしたたかに各国から基地利用料を徴収していて、それでそこそこ潤っているらしい。

現在の日本の安全保障観からは「タブー」とされるアイデアだけれど、地政学的な「均衡(バランス)」という視点で見れば、非常に興味深いロジックが含まれていると確信する。

1. 「ジブチ方式」の狙いとメリット

相互監視による平和

 大国同士が至近距離に拠点を置くことで、一方が手を出せば他方の利害も損なわれるため、結果としてその国が「不可侵地帯」となる効果がある。暴力団がひしめく繁華街みたいなもんだ。三国志的な均衡か。天下三分の計だな。

「しゃぶられる」構造からの脱却

 特定の一国(アメリカ)に依存せず、複数の大国を競わせることで、日本が「拒否権」や「交渉力」を持てるようになる。俺も一人で商売してるんだけれど、どこかの専属になるのは隷属する羽目になるからごめんだ。極力複数の客先を保持して、均等に仕事を請けることができるのように心がけている。一概に同じとは言えないけれど、要は一者に依存すれば、必然的に食い物にされるってことだ。

2. 物理的な「緩衝地帯」の創出

まず、鹿児島あたりの過疎地に中国の基地を誘致するわけだ。 台湾海峡や南西諸島の緊張に対し、中国側の拠点があることで、逆にアメリカや日本への直接攻撃を抑制するブレーキになり得るだろう。沖縄の米軍基地のすぐそばに、中国の基地があって、空母福建とかが寄港してたりしてみな。一触即発に見えるだろうが、アメリカも中国も直接ドンパチやっちまったらおしまいだ。あくまで間に台湾や日本が入ってひどい目に合うからこそ、軍事的な衝突を繰り広げることができるわけだ。しかし、この状況はまさに呉越同舟、そんなところでドンパチできっこない。そんなわけないというなら、なぜジブチでは米中開戦と相成らないのか。

秋田(ロシア): 北方領土問題や日本海側の緊張を、対話と実利(資源や物流)の拠点に変えることで、北からの脅威を管理下に置く発想です。

3. 直面する極めて高いハードル

この「中立化・多極化」戦略を実現するには、現状の日本にとって致命的な障壁が立ちはだかります。

日米安保条約との決別

アメリカは自国の「不沈空母」である日本に他国の軍隊が入ることを許さないでしょう。これを突破するには、主権回復のための強力な政治意志が必要です。しかし、いつか主権回復しなければ、いつまでたっても日本は対米従属し続けるだけの属国でしかない。俺は正直言って、アメリカの51番目の州みたいに扱われるのは、一人の日本人としてもううんざりだ。

国内の反発と世論

長年の対米依存と、中露に対する国民感情をどう説得し、合意形成するかが最大の難関だ。

ただでさえ、国民の精神は疲弊し、普段に浴びせられるジャンクな情報で思考はまとまらない。社会の分断は年々大きくなっている。また外国人、とりわけ中国人に対する国民の反感は高まっている。彼ら抜きで自分たちの経済も回らなくしてしまったというのに。中国人が日本に土地を買おうものなら、侵略だ乗っ取られると大騒ぎだ。親中派で知られた政治家が中国とパイプを持っているだけで、媚中派と奸臣のように指弾される。

比賀の軍事予算の規模の差も顧みず、中国人民解放軍懼れるに足らず、軍事費増強だと息巻く。

話し合い、相互の妥協点を探る外交という地道な活動よりも、アメリカから軍備を買い入れて抑止力を増強するという。しかし、どこまで増強すれば中国人民解放軍を凌駕できるというのか?

「草刈り場」になるリスク

国家に強力な外交能力とインテリジェンスがなければ、バランスを取るどころか、国内が各国のスパイ工作や利権争いの戦場になる危険も伴うだろう。非常にタフで実利的、かつしたたかな外交力が求められるのさ。リスクを恐れて委縮するのではなく、この立場を逆手にとって、積極的な国際規範に立脚した外交で、ミドルパワーの盟主になるくらいの野望を持って臨むべきだ。

そんでもって結論だ。

この案は、アメリカに骨までしゃぶられる現状を打破し、「日本を多極化の交差点(ハブ)」に変えるという、究極のサバイバル戦略と言えるだろう。世界のどこかで紛争があったとき、積極的に仲裁に携わり、日本で和平会議を開催する。なぜならそれは、いくつもの軍事大国の思惑が交差する等距離外交を貫く国であり、またミドルクラス国家の盟主という世界のHUBだからこそできる芸当だ。

もし日本がこの道を選ぶとしたら、それは「対米従属」を終わらせるためのクーデター的な外交転換になるだろう。最右翼の参政党から最左翼の共産党を含めて、こんな大博打を打てる政治家は、今の日本にはいない。想像することすらできないだろう。だから、これはフィクションというかむしろファンタジーとして受け取ってほしい。

日本人が、アメリカの属国として安穏にまどろみ、生気を吸われて萎びていく現状から脱却しないことには、日本はもうどうにもならない。日本人自身が、第二の独立を勝ち取る「独立自尊」の精神を強く持たないといけないだろう。

この自らの掌のうえで「大国を競わせる」戦略を進めるにあたって、まずは日本国内の「独立自尊」の機運をどのように高めていくべきだろう。

我に奇策あり。