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| 那覇の街角にて |
自分でB全紙を買ってきて、枠を書いて受かりそうな偏差値の志望校を書くんだ。
それを学校の先生たちが見て、ここを受けてもいいけど、ここは落ちるからやめておけって判定するんだ。今はどうだか知らない。もう40年も前のことだ。
書いていてしょうもない大学ばかりだったから、大学に行くのはやめることにした。こんな大学行くくらいなら、馬鹿田大学でもいったほうがましだ。いっそ、志望校馬鹿田大学って書いてやればよかったかな?なんせ第一志望が早稲田大学第二文学部、つまり中退1流、留年2流、四年で出るのはただのバカといわれた早稲田大学文学部の夜間コースだ。
それすら難しかった。
結局、今は亡き友人の誘いで地元の愛知大学を受験した。
友人は落ちた。俺は法経学部経済学科と経営学科を受けて経営学科だけ合格した。
友人は母親の実家の松島に近い仙台の大学に進学した。皮肉な話だが、世の中往々にしてそんなもんだ。
俺は仕方なく、後ろめたさを抱えながら大学に通ったのだが、あまりいい生徒ではなかった。英語のマルカム・ダフ先生には、遅刻をするたびに叱られた。
フランス語の河原先生は、はっとりをフランス語風にアトゥヒと発音するのが、鬱陶しかったな。
俺は高校の頃から、ユングとかフロイトとかに興味があったから、一般教養課程で心理学を履修することにしたんだ。
そこで出くわしたのが、行動主義心理学🔗に属するオペラント心理学🔗という代物だった。
俺が想像していた、人間の精神世界を探るような心理学とは、バラス・フレデリック・スキナー🔗教授が構築したオペラント心理学はまったくの別物だった。
オペラント心理学(オペラント条件づけ)とは、端的に説明すると行動のあとに起こる「結果」によって自発的な行動の頻度が変わる仕組みを研究する学習心理学だ。
その基本の仕組みはこんなところだ。
①自発的行動(オペラント行動):動物や人間が自ら行う動作。
②スキナー箱の実験:ネズミが偶然レバーを押してエサが出ると、レバーを押す回数が増える現象。
③結果の影響:良い結果が起きると行動が増え、悪い結果が起きると行動が減る。
そして被験体の行動を変化させる4つの要素は強化と弱化に分類される。
①正の強化:良い結果(報酬)を与えて行動を増やす。
②負の強化:嫌なこと(苦痛)を取り除いて行動を増やす。
③正の弱化(罰):嫌なこと(罰)を与えて行動を減らす。
ぶっちゃけて言えば、ボタンを押せば餌が出るということを学習させることによって、その被験体の行動を操作することができるという素敵なものだ。
そこに、人間の精神とか尊厳の入り込む余地はなかった。すべては、刺激に対する反応だった。同じ教科書の中で、ハリー・ハーロウ🔗の『愛着実験』の様子を撮影した、ケージの中で、母親の形に作られた粗末な人形の前で怯えてような表情を見せている子ザルのモノクロ写真は、今でもありありと思い出せる。
俺はうんざりした。こんなバカバカしい功利主義的なことを学ぶために大学に入ったんじゃない。俺が大学を辞めることにした原因の一つに、このオペラント心理学があったんだ。
この行動主義心理学は人間を「環境の刺激に対して反応する機械」のように扱い、内面の意識を排除する傾向がある。人間を機械のように、記号のように扱うにはもってこいだ。
そして、利益というニンジンを鼻面にぶら下げて人間の行動をいかようにでも操作できるようになるという思想だ。
これに対して、人間性心理学は人間の自由意志、自己実現、独自の精神性を重視し、行動主義を「非人間的」だと強く批判してきた歴史がある。
なにしろスキナーの理論は実験室の動物(ネズミやハト)をベースに作られたため、「人間の高潔な精神や尊厳を無視している」という批判は当時から現在に至るまで根強く存在してるんだ。俺の直感は正しかったってわけだ。
つい最近、シャショナ・ズボフ🔗の『監視資本主義🔗』を読んで、この言葉が出てくるまで、そんなことすっかり忘れていたのに。
俺たちの生活の隅々まで入り込んだデジタル封建制のビックテックの思想には、このオペラント心理学が息づいている。

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