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| 瀬戸市 |
地元の名古屋でだ。出張は家族のためにならない。心も体も壊して、家族まで壊す羽目になっては元も子もない。老後に俺の面倒を見てもらわないといけないからな。
去年の暮れに仕事を切られてから、久々のまとまった現場だ。まぁ、規模は知れてるけれどリハビリにはちょうどいい。久々にまじめに働くと、どっと疲れるぜ。風邪気味の体を引きずって寝床に転がりこむんだ。
毎度毎度、夜の百貨店だ。毎度毎度、無茶ぶりや面倒なルール、初見の職人さんのわがまま、元請の準備不足、そんなものに悩まされ続けている。
近年、めっきり白髪も増えた。俺の親父より、俺のほうが早死にするに違いない。
そして、うまくいけばうちの息子は2016年生まれなので、22世紀にたどり着くかもしれない。俺たち人間はみんな長い時間軸の中の一瞬を生きてるんだ。
今だけ考えていてはいけない。次の世代、その次の世代にとって良い先祖になることを考え生きていかなけりゃいけない。そういえば、グッド・アンセスター 私たちは「よき祖先」になれるか🔗という本もあった。7世代先、200年後の世代のことを考えて自分の行動を顧みることを説いていたな。なかなか面白い本だよ。働いていると本を読む暇もないけれど、自分なりの考えを深めるために、本は読んだほうがいい。
とはいえ、社会の移り変わりは激しい。年々加速している。7世代後なんて想像もつかない。しかし、人間の中身はここ何万年も大して変わっていない。このギャップはでかいな。
そういう意味でも民族学や人類学の本を読んでおくのは、とても有益だ。
過去への学びの射程が長いほど、未来への思考の射程は長くなる。俺はそう思う。
唐突だけれど、民主主義ってのは近代西洋に始まった実験かもしれない。実験だkら、世界に他の社会システム、つまり専制国家や独裁国家があるのも当然だ。しかし、民主主義の淵源はけっしてここ300年ほどのものではないし、奴隷制の都市国家だった古代ギリシャだけにさかのぼるものではない。ある意味で、人類のプリミティブな段階では普遍的なものだったのかもしれない。人類学の本を読んでいると、往々にしてそういった記述にぶつかる。
突出した力を得ようとするものは他の集団の成員によって排除され、時に殺害された。そんなことが記されているピエール・クラストルというフランスの人類学者の記した国家に抗する社会🔗なんかも、先年のドナルドトランプ暗殺未遂などを思い起こさせてくれる。
また先年惜しくも世を去った人類学者デビッド・グレーバーの民主主義の非西洋起源について🔗などを読んでみるのも面白いだろう。民主主義が多様な状況の中で、社会の周縁で独自に生み出されてきたという興味深い論考だ。
今だけ、金だけ、自分だけの発想からシフトするにはこれらの本を読むのはもってこいだ。
俺は自分が現場監督として仕事をするうえで、心がけているのはこの未開社会の首長のように、権威や強制力を持たず、皆にどうあるべきか、どのようにふるまうべきかを諭し続けていくスタイルを守っていきたい。
俺は誰も支配したくないし、だれにも支配されたくないからね。とはいえ、この国に生きてる以上は税金だけは払わないといけないんだけどね。それを支配されてるというのか?


