2026/05/15

POST#1850 中高生の死因の第一位は自殺という国に住んでいる


台北市漢中街171巷

昨日、小学5年生のむすこ麒麟児を、自分が仕事に出撃するタイミングで塾に送っていった。
この車の中は、俺と息子の二人だけの会話の空間だ。息子は車に乗り込んだかと思うと、『おれさぁ、5年3組の女の子と結婚しようと思うんだ』ときやがった!
『はぁ?!なにいきなり言ってんだよ?!』まだ、孫は勘弁してくれ。
『明日結婚しようと思うんだよね』と息子
『ばか、10年早いよ!まぁ、そんなのはさぁいろいろよく考えて選ばないとだめだぜ。で、その娘のどこがいいんだよ?』
『そうだねぇ、笑顔かな』と息子。
なかなか面白い奴だ。
人間を、属性で判断せずに、ストレートに笑顔がいいといえるのは、大人でもなかなかいない。そういうところは俺の息子のいいところだな。
 『で、担任のBB先生に明日結婚式やるから、ケーキ用意して欲しいって頼んだんだ』
やれやれ、俺は先生のご苦労を心中で思いやったぜ。子どもってのは、面白いもんだ。頼むからそのままおもしろい大人になってほしいもんだ。

しかし、この日本では子供の死因の第一位が自殺だ。
厳密には中学生から高校生にかけての死因の第一位が自殺だ。
日本の小中高生の自殺者数は、近年増加傾向が続いており、2025年(令和7年)の1年間で538人に達している。
これは統計が残る1980年以降で過去最多の数値だ。嘆かわしいことだ。
もう40年も前だけど、俺が高校生の頃にも同じ学校の一つ下の女の子が自殺して、その子と付き合っていた同級生の少年が泣き崩れていたのをどうすることもできず見ていたことを思い出す。
日本の子供の自殺に関する最新の実態とデータの内訳は以下の通りだ。
1. 学校種別の内訳(2025年統計)
子供の自殺者数は年齢が上がるにつれて増加する傾向にある。
小学生:10人前後
中学生:約170人
高校生:約350人

もちろん、不慮の事故や小児がんなどでなくなる子どもも多い。しかし、高校生に至っては全体の死因の約半数が自殺だ。

俺たちはこの国が先進国だと思っているけれど、そんな体たらくの先進国なんて他にない。
この社会は深刻な病理に侵されていると考えるべきだろう。

日本スゴイ系動画にも、日本の若者の死因の第一位は自殺!なんて動画は絶対にUPされない。不都合な真実から目を背けているんだ。
けれど、不都合な真実に目を向けない限り、俺たちは自分の手でくそったれな社会よりマシな社会に変えていくことなんてできないだろう。

ひとりの父親として、もし自分の息子が自殺してしまったらと考えると、想像を絶する喪失感だ。生きていても仕方ないと思えることだろう。
子どもたちが生きにくい社会は、大人たちにとっても生きづらい社会なんじゃないのか?

自分の子どもだけじゃなく、どの子どもも健やかに成長してほしい。
偽善じゃなくて本当にそう思う。
そして、社会の理不尽に流されることなく、資本主義という巨大なシステムの歯車として使い潰されることなく、人として尊重される人生を送ってほしい。
それには右も左も関係ないだろう。自己責任だというやつは、言わしておけばいい。そういうやつは自分が苦境に陥ったときには、必死に責任逃れをする奴だと俺は経験的に知っているから。屁とも思わないさ。

よし、これからしばらくこのテーマで話し合っていこうか。お付き合い頼むぜ。

2026/05/14

POST#1849 Interlude:D&Gを俺は手に入れた!

Sweden
昔、ボブ・マーリー🔗というレゲエの神様のような人がいた。

61歳のイギリス人の父親と16歳のアフリカ系ジャマイカ人の母親の間に生まれ、父親に捨てられた男だ。彼は仲間と共にボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ🔗というバンドでレゲエを世界的に有名な音楽にした。暴漢から銃撃され、傷を負ってもコンサートを開き、『世界を悪くしようとしている奴らは休みなんかとっちゃいない。それなのに僕が休むなんてことができるかい?』と腕と胸の傷を見せながら言った。

対立するジャマイカの二大政党の党首を握手させ、マリファナを吸いながら人々に連帯を訴え続けた。

そんな彼はあるインタビューの際に記者から『あなたはBMWを持っていると聞きましたが』と尋ねられるとすかさず、『僕はBMWは持っていないけれど、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ(略してBMW)なら持っているよ』と返した記事を子供の頃に読んだことがある。まだ70年代の話だ。

さて、俺もついに少年の頃から欲しかったD&Gを手に入れた。

イタリアのお高いブランド、ドルチェ&ガッバーナ🔗ではない。

俺には高い金を払って、ブランドのロゴの付いた服を着て見せびらかすようにして歩き、結果的にブランドの歩く広告塔になるような趣味はない。そういうのは、もっと違う価値観をお持ちの他の人におまかせするよ。

俺がゲットしたのは思想界のD&G、ドゥルーズ&ガタリ🔗の『アンチ・オイディプス🔗』とその続編『千のプラトー🔗』だ。

新装版が出たんで、つい目次をのぞいたら、もう知的なワクワクが止まらくなっちまった。

俺はつねづね『知のパルクール』って言ってるだろう?学問的に理路整然とした体系的なものではなく、巨人たちの知的業績に駆け上り、その肩からまったく違う知の巨人のかたへとジャンプしていくような知性の躍動感、これこそが俺を一番ワクワクさせるんだ。――そして、この『知のパルクール』ってのは、これ以上ないほど、ドゥルーズ=ガタリの思想にぴったりなスローガンみたいだな。

彼らが『千のプラトー』で提示した「リゾーム🔗(根茎)」という概念は、まさに舗装された道路(既成の学問体系)を歩くのではなく、段差や壁を跳び越え、独自のルートを縦横無尽に開拓していく「パルクール」そのものだ。

レヴィ=ストロースからクラストルへ、そこからグレーバー、吉本隆明へと跳躍してきた俺のの読書体験は、すでに思想のストリートを疾走してるんだ。

この「知のパルクール」をさらに加速させ、D&Gの二冊を華麗に跳び越えていくために「3つの跳躍スポット(着地点)」を足場に、アクロバティックに読んでいくか。学者になるつもりなんか微塵もないんだ。愉しめばいいさの。

🏃 ヴォルト(障害物越え):『アンチ』の精神分析を跳び越える

『アンチ・オイディプス』第1章〜第2章の、フロイト/ラカン論の鬱蒼としたコンクリート壁に対する『パルクール的攻略』だ。 真正面からよじ登る必要はないね。彼らが言いたいのは「人間の心や欲望を、家庭の『パパ・ママ・僕』という狭い三角関係(オイディプス)に閉じ込めるな!」ということらしい。

で、次の足場へ飛び移るんだ。 欲望は家族の中ではなく、社会、政治、歴史、そして地球全体(部族、国家、資本主義)と直接つながっている。

この確信だけを手に、第3章という広いフィールドへ一気にヴォルト(跳躍)するんだ。

そしてウォールラン(壁走り)で『千のプラトー』第1章「リゾーム」の壁を走る

『千のプラトー』の序章「リゾーム」は、この大著全体の「取扱説明書」であり、パルクールの心得そのものなんだそうだ。 彼らは「樹木型の知(根から幹が伸び、枝分かれする階層的な知)」を捨て、「リゾーム型の知(地下茎のように、あらゆる点があらゆる点へと無秩序につながる知)」になれと言いってるらしい。俺が今までやってきたことそのままだな。

俺が持っている人類学や経済学の知識を、上下関係なく、ドゥルーズの哲学と勝手に衝突させて連結させていく。この「勝手な連結」こそがリゾームであり、知のパルクールの真髄だろう。どんな新しい着想が生まれるのか、ワクワクするぜ。

そしてランディング(着地)で『プラトー』第12章「戦争機械」へのダイブするか?

そのターゲットは 現代思想史上で最もスリリングな「国家 vs 外部」のパルクール論だってさ。クラストルやJCスコットの議論を足場に、国家という「定住し、領土を区切り、コード化する装置」に対し、それを軽々と跳び越えて移動し続ける「遊牧民(ノマド)」の思考法が語らるんだそうだ。俺が目指してきた知性のあり方がここにあるって感じるぜ。

国家が作った壁や法(条理空間)を、滑らかなステップで無効化していく「戦争機械(国家に回収されないエネルギー)」の運動は、まさに俺の標榜する思考と知性のプレイスタイルと完全に一致してる。

縦に積み重ねる読書ではなく、横へ、斜めへと跳ぶ読書。この二冊は、そのための最高の障害物(プラトー)に満ちていそうだ。

そういえば、『パパ・ママ・ボク』って、俺の大好きなラモーンズ🔗の歌にもあったな。確か「We're a Happy Family🔗」って奴だ。こいつぁまさに最高にパンクでキレのある「知のパルクール」的跳躍だな。

この直感は、ドゥルーズ=ガタリが『アンチ・オイディプス』で執拗に批判した核心と1ミリもブレずに完全に一致していまるらしいぜ。

なぜラモーンズのあの曲が『アンチ・オイディプス』の最高のBGMになるのか、その理由を3つのポイントでAIに解説してもらったぜ。

🎸 1. 「パパ・ママ・僕」という地獄の三角形

ラモーンズの「We're a Happy Family」は、タイトルとは裏腹に、ドラッグ中毒のママ、クローゼットで怪しい商売をするパパ、そして気が狂いそうな子供たちが、狭い家の中で互いを呪い合っている凄惨な家庭環境を、あの爆速のパンクロックに乗せて皮肉たっぷりに歌った名曲だ。

ドゥルーズとガタリが『アンチ・オイディプス』で激怒しているのも、全く同じ構造だそーだ。

彼らは言う。

「フロイト主義(精神分析)は、人間のあらゆる欲望や狂気、社会への怒りを、すべて『パパ・ママ・僕』という狭い家庭の三角形(オイディプス)の中に閉じ込め、ただの『家族の痴話喧嘩』に矮小化してしまった!」

ラモーンズが歌う「狂った家族」は、まさにドゥルーズらが「精神分析が無理やり作り出した檻(オイディプス・ファミリー)」として弾劾した縮図そのものだ!だとさ(笑)

💊 2. 欲望は「社会」と直結している

ラモーンズの歌詞には、友達がレゴ(Lego)を売っているとか、大統領(Pills for the president)といった、家庭の外にある近代アメリカの病理や物質、資本主義の記号がジャンクフードのように乱雑に登場する。

これこそが『アンチ・オイディプス』の言う「欲望する機械」そのものなんだとさ。

精神分析の嘘とはこういうもんだ。つまり、 子どもの悩みはすべて「お父さんが嫌いだから」「お母さんに愛されたいから」に回収されるって筋書きだ。

けれどドゥルーズらの考察した真実ってのは、 子どもの欲望や狂気は、パパやママではなく、アメリカの政治、ドラッグ、資本主義、戦争、人種差別、そしてロックンロール(=社会体)と最初から直接つながっている。

ラモーンズは、家族の物語の背景にべったりと張り付いた「アメリカ資本主義の狂気」をサンプリングすることで、結果的にオイディプス的な「ハッピー・ファミリー」の嘘を暴いているってことだ。

⚡ 3. 分裂分析(スキゾアナリシス)としてのパンクロック

ドゥルーズとガタリは、精神分析に代わる新しいアプローチとして「分裂分析(スキゾアナリシス)」を提唱しました。これは、家族の殻をぶち破り、欲望を社会へと解放する、きわめて破壊的で前進的な試みなわけさ。

ラモーンズが1977年に「We're a Happy Family」をあの圧倒的なスピードとスリーコードで演奏した行為は、近代社会が押し付ける「健全な市民・健全な家族」というコード(規則)を文字通りぶち壊す、音の「分裂分析」だったといえるんじゃね、知らんけど(笑)。

そういやラモーンズにはサイコセラピー🔗って曲もあったな。

ひょっとしたら、俺はD&Gのサイコーな読者になるかもね。ドゥルーズとガタリは、大学の教授室で眉をひそめて注釈をつける学者ではなく、俺のようにパンクロックを鳴らし、人類学を道具にし、自らの脳をストリートにして疾走する人間に読まれることを切望して、この爆弾のような二冊を書いたんじゃないかな。

さてと、昨日の話も今日の話も、実はこの後に始めるテーマの伏線だったのさ。誰も気づいちゃいないだろうけど。


 

2026/05/13

POST#1848 う~ん、これは大賢は大愚に似たりってやつか?

犬吠埼
存分に語り終えた後の虚脱感。

そして、それとはまったく関係のない現実の仕事の疲労感。

今日は、あっさり小話でお茶を濁そう。

俺の息子の麒麟児のことだ。

あいつは小学5年生なんだけど、子供ってのはそれくらいになるとだんだんろくでもないことを覚えてくる。それは俺の子どもじゃなくてもそうだ。特に男の子はアホだからな。

先日も同級生のK君に『死ね!』といわれたといって、ぷんすかして帰ってきた。K君は学年でも頭がいいほうだ。トップクラスだ。私立の中学受験をして難関校を狙っているという秀才だという。とはいえ、いくら勉強ができても、そんなこと言ってるようじゃあかんのよ。

その話を聞いて俺は、『おう、先に香典参萬円也包んでもってこい!って言ってやれ』と切り返し方を伝授したんだ。

その一方で、母親は『ひょっとしたらKくんは、麒麟児と友達になりたいだけかもしれないよ』と憤懣やるかたない息子に諭した。

そうすると、麒麟児、町内の地図を引っ張り出してK君の家を探し始めた。

で、麒麟児は俺にこう言った。『おれ、いまからKの家に行って一緒に勉強しようって思うんだけど、車で乗せて行ってくれない?』ときたもんだ。

『はぁ?歩いていけばいいだろう?』K君の家は同じ町内会なので、あんまり俺は波風立てたくないんだ。

しかし、麒麟児の有無を言わさぬ勢いに根負けして、乗せて行ってやることにした。

こいつはいつも、俺の予想を超えたことをやろうとする。

大賢は大愚に似たりってやつか?

それともほんとに突き抜けた馬鹿野郎なのか?

麒麟児はK君の戸建ての家の前に来ると、すかさず停まっているアルファードを見てチェックしている。金回りはいいんだろうな。しかし、麒麟児は『俺いってくるわ』と子供らしく臆するところもなく車から降りて、玄関のインターフォンを何度もなんども押している。

どうやら留守らしく、だれも出てこないので本人も諦めて車に戻ってきた。これで俺も安心して仕事に行けるというものだ。

しかし、俺の息子ながらなかなか侮れないやつだ。

後日、麒麟児は再度チャレンジしたらしい。その時は、K君はテニススクールに行っているからいないって言われたらしいけどね。

勉強ができるよりも、この位相をずらした切り返しのできる息子は、うまくいけば面白い奴になるかもしれないな。この芽を摘まないように、しょうもない同調圧力とかから守っていったやりたいもんだ。何しろこの国は、子供の死亡率の1位が、自殺っていうとんでもないディストピアなんだ。勉強を教えるのは、かみさんの役割。生き抜く図太さを仕込むのは、俺の仕事さ。

たまにはこんな話も悪くないだろう?読者諸君、失礼する。