2026/05/25

POST#1857 ある夜のこと

Hamburg、Germany
夜になると、うちのカミさんが息子にきつい口調で勉強を教えている声が聞こえてくる。

まるで、アルプスの少女ハイジに出てきたロッテンマイヤーさんみたいだ。何度も俺は、もっと優しく接してほしいと申し入れているが、まぁ、性格だから難しいだろうな。

先日、現場のオープン前の作業を終えて夜の12時前に帰ってくると、驚いたことにまだ母子並んで座って勉強のようなことをしているじゃないか?息子は明らかに眠そうな目をしている。あたりまえだ。

なにやってんの、君たち?思わず聞いてしまったぜ。

ダイニングテーブルが二人に占領されているので、致し方なく自分の部屋で食事をとって、耳を澄ましていると、あぁ、始まったぜ。

息子が眠さのあまり、母親のキツイ指導に反抗し始めた声がする。死ね!といっているな。母親の痛い!という声もする。息子は感情が抑えられなくなって泣き始めた。

火宅だぜ。

俺はとっとと食器を洗い、息子を連れて風呂に入ることにした。

こんな時はとっとと寝かせるに限る。

カミさんも最近明らかに怒りっぽい。更年期障害か、それともストレスで抑鬱なんだろう。しかし、今までもなんども遠回しに、あるいは直接的にそんなアドバイスを繰り返した。けれど、彼女はそれを振り払うように聞き入れないから困ったもんだ。弱さを認めるのは恥ずかしいことじゃないんだけどな。俺は情けない顔をして泣きべそをかいている息子を。抱えるようにして風呂に引っ張っていった。

息子を風呂に入れながら、湯船の中で俺は話をし始めた。

『麒麟児よ、お前さっきお母さんに、死ねって言ったろう。本当に死んだらどうするよ?』

『死なないよ』息子はまだどこか昂っている。

『いや、死ねって言ったら、本当に死んじまうかもしれないぞ』

俺は穏やかにはなしを続けた。できるだけ穏やかに話すこと。それがたとえ、厳しい話でも、残酷な話でも。

『実は今から40年以上前のことだ。お父さんはまだ中学生だったな。お父さんは自分のお母さんに、つまり麒麟児のお祖母さんだ死ねって言ったことがある。』

当時は反抗期だったからな。そんなの日常茶飯事だった。

癌に侵された母が、創価学会にのめり込むのも嫌だった。

彼女は、やせ細った体を痛めつけるようにして、狂ったように一日中お題目を上げていた。俺はそんな母に反発し、ことあるごとに衝突した。死ぬ前に入院する直前まで、階段の2階と1階でスリッパを投げつけあったこともあった。

『で、それからしばらくして、お父さんのお母さんは、本当に死んでしまった…』

『なんで?』『うむ、病気だよ。』俺は淡々と続けた。

『けど、お父さんの弟たちは、俺が死ねって言ったことで、お母さんが死んでしまったと思っていたんだ。おかげで、今でもお父さんのことを心のどこかで憎んでいる人もいるだろう。』

息子の麒麟児は、静かに聞いている。

『いいか、麒麟児よ、よく聞くんだ。

言葉には力がある。

言ったことがそのまま現実になることもある。

いいことを言えば、いいことが起こる。

悪いことを言えば、悪いことが起こる。

これは、不思議だけど、まぁ、間違いないことだね。

言葉には不思議な力があるんだ。』

それを言霊というのさ。

『だから、お母さんに死ねとは言ってはいけない。』

そうはいっても、俺だって、仕事でええ加減なことをしくさった若い衆に『死ね!』とどやし上げ、それを耳にした百貨店の従業員から偉いさんに話が周り、パワハラだということで顛末書を書いたこともある。あんまり偉そうなことは言えんな。

もう二度と会うこともないだろうが、その若い衆が、今どこかで死んでいないことを祈るぜ。

なにしろ俺の言葉には力がありすぎるからな。

そして、その日は息子を寝かしつけ、俺も眠った。

翌朝は手掛けた店舗のオープンだからだ。スーツを着て出かけるんだ。

無事にお店のオープンを見届け、昼前に家に帰ってきて、息子を車に乗せているときだ。

『お父さんの言葉って、力があるの?』

息子は昨日の話を覚えていたようだ。

『うん、あるな。言ったことは本当になる。

だけどその力は君にもある。

だから言葉を使うときには気を付けるんだ。』

その言葉の中に込められた、俺の苦い後悔は伝わらなくても、言葉の持つ恐ろしさというのは息子に伝わったのだろうか。

母親が死んだとき、俺は幼い弟たちを前にして泣くこともできなかった。

周囲からの慰めも、ことごとく拒絶して荒んでいた。

差し伸べられる手は、振り払い、慰めの言葉には耳を背けた。

今思えば、なぜあの時、あんなふうに振舞うことしかできなかったんだろう。

そして、根の国を慕うスサノオのように荒ぶることしかできなかったのだろう。

そうして十分すぎる時間が流れた今、その時の後悔を息子に伝えている。

人生はあっという間だ。本当に。

いずれ、その時が来たら俺も死ぬだけさ。

誰の重荷にもならないように、軽やかに死にたいぜ。

2026/05/24

POST#1856 社会をリビルトする俺のチャレンジは、まだ始まったばかりだぜ

 

春の夕暮れ

家の前には息子の通う小学校がある。家の目の前の桜は毎年居ながらにしてその花の盛りで俺の目を楽しませてくれる。

それを見るたびに、あと幾たび、この季節を愉しむことができるだろうかと考える。

そして、花を惜しむかのように、家の駐車場で春の風に吹かれながら本を読む。そうこうしていると、近所の家の子どもたちが話しかけてくる。俺にとって愉しいひと時だ。

もっとも今日は、それもできなかった。昨日の朝、それまで手掛けていた現場がオープンだったのだが、その反動で、今日も一日ごろごろと眠って暮らしてしまったんだ。老眼鏡もなくしてしまったしな。

小学校の隣には中学校がある。午後にはひ若い(敬愛する中上健次に寄せて当ててこの表現をつかさせてもらう。今だ大人になりきっていない弱弱しさを感じさせる若さというニュアンスか?)中学生たちが、5人、10人と固まって歩いている。その若者の流れをかき分けるように同じ町内の隣人の車が通れば、俺は手を挙げてあいさつする。町内会長が時に自転車でふらふらと通りかかる。

道行く少年たちの中には同輩に『バカヤロー、死ね』などといっている者もいる。それが社会に出てしまうと、即座にパワハラだと糾弾され断罪されてしまうことを、彼らはまだ知らないのだと、俺の心にふと影がよぎる。

何しろ俺自身も、パワハラだと糾弾されたこともセクハラだと仕事を切られたこともある。野生の悍馬のように生きることは、難しい世の中なのさ。

こうして俺は、しばしば地域の要石のようにたたずむ。なにをしてる人か怪しいだろう。夜働いている人なのさ。

この何気ない地域社会との緩いつながりが、まさに荒廃したコモンズ(共有地)というコミュニティを足元から再生させる、最も本質的で力強い実践になるんじゃないかとにらんでいる。

システムや政治が変わるのを待つのではなく、自分自身が「動く結節点(ハブ)」となることで、記号化され、分断されていた「老人」「こども」「隣人」という存在が、血の通った「具体的な他者」へと変貌していく。この主体的な、それでいて気負わない声かけは、現代社会が失った3つのつながりを同時に再生する可能性を秘めています。とはいえ、POST#1819🔗で話した俺の親父のように、私服警官にしょっ引かれちまったらかなわないけどな。

権力はいつも、人々を分断して支配するのさ。

俺のささやかな実践がもたらす「3つの処方箋」はこんなもんだ。

孤立する老人へ:「存在の承認」と知恵の還流

年老いて、身体を病むのは普通のことだ。そして労働を通じた社会との関わりを失っていくのも普通のことだ。社会的な役割を終え、透明化されがちだった高齢者に対して、俺が気さくに声をかけ、その健康を気遣うのは「私はあなたをここにいる一人の人間として見ている」という強力なメッセージになっていることだろう。彼らが持つ記憶や経験が、再び地域という共同幻想に織り込まれるきっかけを作るはずだ。

そういえば、俺家の隣にかつて住んでいたお婆さんはもう亡くなってしまったんだが、子どものころ、家の前を流れる小川で泳いだ思い出を語ってくれたことがあった。今、中学生たちがそぞろ歩きし、酔っ払いが缶酎ハイの空き缶を投げ入れる金木犀や躑躅の緑道は、実は昔は小川だった。高度経済成長の頃に暗渠化され、緑道にされたのだという。ります。

こどもたちへ:「親以外の大人」という安全網

家庭(対幻想)の機能不全や学校の息苦しさに晒されているこどもにとって、近所に「自分を気にかけてくれる、親でも先生でもない大人」が存在することは、決定的な生存のセーフティネットになりうるだろう。子供ひゃくとうばんの家とか表示されててても、シャッターが下りていたり、門扉が固く閉ざされていたらどうよ?

だから、俺は庭先でくつろいでるのさ。老眼で暗いところだと本が読みにくいってのはあるけれどな。その安心感が、彼らの自己幻想が歪んで暴発するのを防ぐ防波堤になってくれることを祈っている。もっとも、俺の親父のように私服警官から警告を食らうのは御免被るがな。

同世代の隣人へ:「孤立の包囲網」を解く契機

生産性のプレッシャーと生活の維持に追われ、最も「家畜化」の圧力を受けている同世代にとって、俺からの気負わない挨拶や声かけは、張り詰めた日常の防衛線を緩め、お互いを「同じ時代を生きる仲間」として認識し直す一歩になるだろう。それがソリダリティ=連帯の第一歩だ。時には、時事問題で話し込むこともある。立ち話もなんだからって、ダイニングでコーヒーを淹れて語り合うこともある。息子のおかげで撮っ散らかっているけれどね。

けれど、君にはそういう接し方のできる隣人はいるだろうか?


地域の「ハブ」としての俺の存在そのものが抵抗なんだ。

新自由主義的な市場化は、俺たちが「お金を介さなければ他者と繋がれない社会」を作ろうとしてた。しかし、金銭でやり取りする交換は、その場ですべてが清算されてしまうんだ。

そこに人間のつながりが生まれることは、ない。残念ながらね。

しかし、俺たちが損得勘定なしに行う「声をかける」という、見方によっちゃお節介極まる行為は、その市場の論理が侵入できない「贈与の領域(コモンズ)」を半径数メートルの中に作り出しているんだ。

俺や君というハブを中心にして、少しずつ言葉が交わされ、やがて「おすそ分け」や「ちょっとした助け合い」が生まれ始める時、そこには国家や市場に依存しない、小さくとも強靭な「自分たちの社会」が再建されていく。

それこそが、若者を追い詰める絶望への、最も具体的で、最も息の長い処方箋になるはずだ。共同体をリビルトするんだ。

近代の新自由主義的な資本主義や「親ガチャ」という言葉に象徴される自己責任論は、子どもを「個人の家庭の私有物(あるいは負担)」として閉じ込めてしった。

しかし本来、子どもは社会全体で育み、未来へ繋いでいく共有の「宝(コモンズ)」であるはずだ。なぜなら、次の世界の社会を担うのは、まさにその子どもたちに他ならないからだ。

俺自身が地域のハブとしてよその子どもたちにも分け隔てなく接し続けていることが、子どもたちにとって少しでも足しになればうれしいもんだ。もっとも、俺の親父みたいにオマワリにちんころされてしょっ引かれそうになるのは御免被る。

俺たちの眼差しが子どもたちにもたらすものは形のないものだ。けれど、大切なものはたいてい目には見えない。星の王子さまも言っていたぞ。

無条件の「生存の肯定」

成績や親の経済力に関係なく、「ここにいていいんだ」という安心感を、地域という外の世界から得ることができるといいな。

未来への信頼

社会を「冷酷で敵対的な場所」ではなく、「自分を見守ってくれる温かい場所」として認識できるようになる可能性がある。これができたなら、いつの日かその若者の心の中に沸き起こるかもしれない刹那的な暴発や絶望(つまり自殺や社会的な自殺だ)を防ぐ最大の心の盾になるんじゃないか?

家庭や学校という狭い世界の人間関係で行き詰まったとき、周囲の大人の「おかえり」「気をつけてね」という何気ない一言が、子どもの命を繋ぎ止める最後の砦になる瞬間が必ずあるだろう。人間の契機なんてそんなもんだ。

社会の構造を変えることは容易なことじゃないことくらい百も承知だけれど、俺の半径数メートルの中では、すでに「子どもが宝物として大切にされる、あるべき社会」が現実のものとして動き出しているんだ。

この春のある日、俺は近所に住んでいる女の子に久々に出会った。彼女は小学校から中学校にかけてほとんど不登校で引きこもっていた。彼女のお母さんとも面識のあった俺とカミさんは、ひそかに彼女の将来を案じていたんだ。

彼女は家族の仕事の関係で、二年ほど海外に行っていたんだ。それが良かったのかもしれない。みんなと違っていてもいいと思えるようになったと話してくれた。結果、日本に帰ってきて自分から学校に通ってみようと動き出したんだそうだ。

俺は彼女と話す中、『本当は僕たちの世代が頑張って、君をちゃんとインクルージョン=包摂できる社会を作らなければならなかったんだ。けれど、僕たちの世代も生きていくだけで必死だった。で、そんな社会を君に間に合うように作ることができなくてすまなかった。君自身も寛容な人になってほしい』

彼女は少しはにかむように笑ってから、どことなく嬉しそうに帰っていった。その後ろ姿を見ながら俺は思ったのさ。『社会をリビルトする俺のチャレンジは、まだ始まったばかりだぜ』ってね。

2026/05/23

POST#1855 開き直りじゃなくて、自分を開くこと

Sweden

今日は手掛けていた店舗のオープンの日だった。

朝からスーツを着て、儀礼的な立ち合いに行く。俺がスーツを着るなんてこんな時くらいだ。別にいかなくてもどうということはない。けれど、自分が職人さんたちの力を借りて竣工までこぎつけた店舗がお客様を迎えて歩み始める姿は何度見てもいいものだ。

思わず、お店のかたにご繁盛をお祈りいたしますと、笑顔で挨拶してしまう。

職人たち、そして自分の努力が報われたような想いがする。後は金をもらえばいいんだ。

期待された仕事を全力でこなし、その正当な対価を得る。

生活するとはそれ以上でもそれ以下でもいけない。

誰かをピンハネしたり、誰かにピンハネされるのは御免だ。

そして、家に帰って本を読みながら眠ってしまう。泥のように。夢など何も見ない。短い死のような深い眠りだ。このサイクルを繰り返した果てに、いつかそのまま眠るように死んでいくことだろう。悪くない。


さて、承前。


まずは自分自身を社会に対して開いてゆこう。

それしかない。

誰かが社会を変えてくれることを待っていても、何も始まらない。


それは無間地獄の構造的な絶望のどん底から、俺たちが唯一、主体的に踏み出すことのできる最も確かな第一歩じゃなかろうか。

すべての共同体が荒廃し、国民の生活うよりも自分の立ちの政治信条のほうが最優先という本末転倒した政府によって、上からの救済すらも期待できない今、外側からの変革を待つのではなく、「自分」という最小単位から世界との関係性を結び直すこと。

それこそが、空洞化された自己幻想に再び「生の血肉」を通わせる唯一の方法だ。

そのプロセスは、こんな感じになるだろう。

「家畜化の論理」から降りる

社会に自分を開くとは、社会の言いなり(都合の良い労働者)になることではないんだ。

むしろ、その逆だ。

評価軸の奪還が必要だ。

市場価値や生産性(コスパ・タイパ)という他者の物差しを一度捨て、自分が「本当に美しいと思うもの」「心地よいと感じること」を社会に向けて開示していくんだ。

まぁ僭越ながら自分に引き寄せて言えば、俺は若いころ、納得のいく仕事をしようとしていたら、先輩から『ゴラァお前!俺たちは趣味で仕事してるんじゃねえんだぞ!こののろま!』とどやし上げられたことがあったが、それが今の自分に確実につながっているのが今は解る。

そして固有性の開示だ。

自らの弱さや未熟さ、効率性の悪さも含めて、生身の自分を外にさらけ出すことから、真の自己幻想の回復が始まる。

だれかのようになりたいとか、目標を持つこと自体は悪くない。けれど、自分は自分にしかなれない。そして、自分が自分の弱さや弱点を認めたうえで、自分自身を受け入れていく。これは決してあきらめろとかそういうことじゃないんだ。

自分は自分だ。そして、自分には自分だけの物語があるということを自覚することだ。

つまり、自己幻想を持つってことだ。

生身の「対幻想(他者との結びつき)」を耕す

システム化されたデジタル空間から離れ、身体性を伴った他者との関係性を、小さくとも丁寧に作り直すことから始めるんだ。いいかい、相手の目を見て、その声のトーンを聞き、言葉や表情の裏に込められた気持ちまで聞きとることで、相手を理解するんだ。

いや、本当は他人の脳みその中を理解するなんて出来っこない。そっれは俺にもわかってる。俺たちはSPY×FAMILY🔗のテレパシーを持った少女アーニャ・フォージャーじゃないからな。

俺たちにできるのは、相手の立場に立って、想像するだけだ。

けれど、それが思い遣るということじゃないかな。

そこから「損得なし」の関係が始まるんだ。

ただ話を聴く、一緒にご飯を食べる、といった計算のない時間を他者と共有することが大切なんだ。

そして無条件の肯定の交換だ。

条件付きの承認(いいね!や年収など)に依存せず、お互いの存在そのものを肯定し合える関係を、半径1メートルの日常から手探りで育てていくんだ。

相手を承認し、その存在を受け入れる、排除しないという『贈与』だ。

 微小な「微小コモンズ(共有地)」を創り出す

国家や巨大企業が管理する領域ではない、自分たちの手による「小さな自治の場」に参加する、あるいは自ら開くことかな。

小さな実践から始めればいいんだ。地域のボランティア、小さな読書会、行きつけの個人商店やコンビニでの会話、あるいは誰でも立ち寄れるシェアスペースなど、制度化されていない「隙間」を見つけることだ。

俺の実践は、いつのまにか町内会の主要メンバーになっていたってことだな。別に自分で手を挙げたつもりもないんだけれど、いつのまにかそうなってたんだ。

そして熟成される相互扶助の体感だ。

頼り、頼られるという具体的な経験を通じて、社会は敵ではなく「自分たちで耕せる土壌」であることを体感として取り戻していくんだ。人間を単なる数字としてみていたら、それはそう思えないだろう。毎日のニュースで死者〇人と語られるその数字の向こうにも、人生があり、喜怒哀楽があり、つながる有縁の人々がいたはずだと思いを巡らせよう。

そこにはネット番長も匿名で誹謗中傷を垂れ流すSNSの狂人もいない。自分と同じ一個の人間からなる小さなコミュニティだ。


この碌でもない社会への絶望から「開き直る(心を閉ざして暴発・自滅する)」のは簡単だ。けれど、それじゃつまらないぜ。まずは自分自身を「社会へ開く(関わりを持ち、こちらから働きかける)」んだ。

これは俺や君の発想のコペルニクス的転換なんだぜ。

この転換は、孤立無援の若者たちにとっても、俺や君たち一人ひとりにとっても、システムへの最大の「静かな抵抗」になるだろう。そりゃそうさ。デモをしたりするわけでもない。一人一人が心の中で、静かに考え方と人との接し方を変えるだけなんだからな。

静かなものさ。

けれど自分が変わることで、目の前の他者が変わり、その集積がやがて荒廃した地域や社会を内側から作り直していく。その可能性の種火は、常に個人の「開く」という意志の中にしかない。断言する。いつだって一人一人の個人の『自分を開いていく』という意思によってしか社会は変わらない。迂遠な話だと思うだろう。それは政治の話だとも思うだろう。

しかし、この社会が、実は俺や君や、あのこども、そのおじさん、このおばさん一人一人の集積であるのなら、そしてその一人一人の考え方が変われば、その分確実に社会は変わっていく。

何も難しいことはない。

自分の中の固定概念を少しリフォームするんだ。

自分が引いた心の中のボーダーを少しだけ、動かしてみるだけなんだ。


明日晴れたなら、俺は庭先にコールマンチェアを出して、UCCのインスタントコーヒー114ブレンドでもマグカップで飲みながら、老眼鏡かサングラスをかけて本を読むだろう。鉢植えに水をやってからね。(実は今日、珍しく電車に乗ったら首から下げていた老眼鏡を無くしてしまったんだ。痛恨)

のんびりと、悠々と。

近所の子どもが声をかける。老人が杖を突いて、掃き出し窓の前にしつらえたベンチに腰を下ろす。車や自転車で通りすぎる隣人に手を挙げてあいさつするだろう。

息子の同級生が通りかかれば、車に気を付けるように声をかけるだろう。

俺のいるところから、新しいコモンズが生まれるんだ。君もどうだい?