2026/03/12

POST#1786 髪を切って気分を変えるか

成田
今日は髪を切りに行こう。
もう半年も切っていない。白髪も目立つ。それは今日まで半世紀以上を悪戦苦闘して生きてきた証だ。染めるつもりもない。第一、頭皮に悪そうだしな。
母親譲りのくせ毛で、スタンダードな日本人に見えず、ある意味で苦労した。
人は他人を見かけで判断する習性をもっているから。自分たちと見た目が違うものを、排除したがる。そういう反応へのリアクションが、無意識のうちに自分の性格を作り上げたのかもしれない。
母の父方の血統である杉浦一族は、白髪の家系だ。年々増えていく白髪を見るにつけて、杉浦の一族の、もうこの世から去っていった老人たちの白髪頭を思い出す。
くせ毛は、どうなのだろう。母の母親の血統が秋田の人だったという。その地の縄文から続く血統の中に眠っていたものが受け継がれたのかもしれない。
頭のてっぺんが禿げたなら、お茶の水博士のように頭の両側にもこもこした白髪の塊がくっついているというのも面白かったが、幸か不幸か禿げる気配もない。そもそも若者はお茶の水博士なんざ知りゃしないさ。
そういえば、先日3年ぶりにあった仕事仲間は、すっかり頭が薄くなっていたな。

昔から、この国では髪は神に通じるとして、神的存在とつながるアンテナのように考える文化があった。単なる語呂合わせじゃないかと言えば、それまでだが。大本教🔗出口王仁三郎🔗も、その髪を切らずに伸ばし続けて結っていたと聞いたことがある。
感情が高ぶると、髪が逆立つ。俺の場合は頭が一回り大きくなったように見えることだろう。
波うち、絡まり、渦を巻く俺の神は、まるで自分とはかかわりない生き物の様ですらある。
頭に蛇をまとっている縄文の土偶か、諸星大二郎の海神記🔗に出てくる海の神の使・安曇磯良🔗が海藻をかぶっているようにも見える。
図太く硬そうに見えて、触ってみると意外と柔らかく細いところは、自分自身に似ているようにも思える。

物事は何だってこじつけようと思えば、どうとでも取れるものさ。

そんな見立て、こじつけが、世界の象徴的な意味をつないでいく。
象徴的なつながりで、事物と事物がつながれていくことで、森羅万象はただそこにある物質的存在であることから、霊的な意味合いを持つ不滅の存在へと変わっていく。

現代を生きる我々は、目に見えるものだけしか、数字で測ることのできるものだけしか見ない。その世界ではどこまで行ってもA=Aであるだろう。
けれど象徴的なシンボルを手掛かりに世界を読み解く術を持てば、A=AでありつつA=Bであるという豊饒な世界が広がる。一回きりの生は、神話的なアーキタイプな構造へと還元され、何度も生まれ変わり死に代わることとなるだろう。
中二病?そうかもしれないな。まっとうな人間なら、株価や原油市場の動向に一喜一憂するだろうさ。
そうだとしても、中二病のままこの年まで来たんだ。いまさら変わるものでもないさ。
失礼する。

2026/03/11

POST#1785 俺の脳はメルトダウン

Copenhagen
また一つの仕事が終わった。

仕事に没頭していないと、過去の過ちや心無い人の言葉や、信頼していた人からの裏切りや仕打ち…そういったことが頭の中に次々と沸き上がってきて、憂鬱極まる。

泳ぎ続けていないと呼吸できないマグロか何かのように、現場をおさめるために考えたり動いたりしていないと、精神が落ち着かない。

昨日も精神科を受診し、カウンセラーさんにも話を聞いてもらってきた。たわいもない話だ。そして薬局で薬をもらう。薬中同然だ。

長年の昼夜逆転のせいなのか、鬱病の薬エスシタロプラム🔗(薬品名レクサプロ)が効きにくくなっているのか、いつも夕方から夜にかけて浮遊感というかめまいの様な感覚にとらわれる。

加齢と永年の昼夜逆転の生活で、脳内物質のバランスが崩れているんだろう。

俺の業界では、①体を壊すか、②精神を病むか、③家庭が崩壊するかして一人前だといわれる。②に該当している俺は、とっくに一人前だ。

この仕事をしていると、朝帰ってきた酒を飲んで眠るという同業者の話をよく聞くが、俺は飲めない。医者から止められているのと、一人で酒を飲んでいると、際限ない鬱の沼に沈み込んでしまうからだ。

夜、車で高速道路を走っていると、そのまま吸い込まれるようにカーブを直進して死んでしまいたくなる時がある。

長年、ずっとそうだった。狂ったようにスピードを出して、頻繁に車線変更するトラックの間を縫うように車を操り、その後ろに車間距離3メートルでベタ付けしてトラックドライバーに圧をかけて走っていた。運転中は瞬きもほとんどせず、乾燥しきった目からは意味もなく涙があふれた。

ふとしたことで感情が決壊し、脈絡不明な涙があふれた。

その一方で、些細なことで怒りを制御できなくなり、そんな自分に絶望した。

ある夏、近所の町で些細な口論から、自分の妻を刺殺した男がいた。男は幼い息子と娘を連れて車で湖のほとりに行き、子供たちの首を絞めて殺した。そして自分は死にきれず、2日後に発見された。自分に重なった。このまま自分を放っておけば、車で事故って落っことしたハンバーグのようになってしまうか、女房子供を殺して家に火をかけることになるに違いないと思った。

発達障害グレーゾーンの息子を、病院に連れていき、会計でお金を払うとき、俺は会計の女性に、「すみません、希死念慮があります。死にたくてどうしようもありません。どうしたらいいですか?」と訊いた。女性は顔色を変え、すぐに医師の診察の予約を取るように俺に促した。

鬱病だった。自分にも発達障害の傾向があるのではないかとテストも受けてみた。発達障害の傾向はなかった。鬱病以外の何物でもなかった。

以来、薬は手放せない。

誰も助けてはくれないし、だれも助けられない。そして一人じゃないときの俺を見て、鬱にとらわれていると気が付いてくれる人もいないし、信じてくれる人もいない。家族ですら気にもかけてくれない。

だからなにかに夢中になり、脳のリソースをそっちに振り向ける。

そうしているときだけ、鬱のスパイラルから逃れられる。

俺がいつも本を読んでいるのは、鬱から逃れたいからだ。

俺がいつも音楽を聴いているのは、鬱から逃れたいからだ。

俺がいつも仕事にのめりこんでしまうのは、鬱から逃れたいからだ。

そしてそれが結果的に自分を追いつめているのかもしれない。

そうじゃないとき、俺の脳はメルトダウンしそうなんだ。

大脳も小脳も、ダウン、ダウン、ダウン…。

2026/03/10

POST#1784 お花畑の無敵

名古屋市、大須
理想主義を掲げると、脳内お花畑とたわけ扱いされるようなシニカルでニヒリスティックな風潮は、いったいいつから始まったんだろう。

きっと、ジャン=ジャック・ルソーも永遠平和のために🔗を書いたイマヌエル・カント🔗も、脳内お花畑野郎と散々コケにされたことだろう。

そもそも、人間というのは他と差別化することで自律性を確立しようとする悲しい性の生き物だ。それは、アマゾンの奥地の部族も、近代国家も何ら変わりがない。

隣の部族が父系家族なら、うちは母系家族を正当なものとして差別化しましょう。

母系家族の連中なんて、なんて文化的に遅れた奴らなんだ!あんな奴らは人間じゃない!しらみの仲間だなどと、自分たちで作った差異にとらわれる。そして、自分たちの観念にとらわれて、同じ人間を悪魔かはたまた生きる価値のない野蛮人だと忌み嫌い出す。

この父系家族と母系家族を、任意に入れ替えてみても同じだ。

キリスト教徒とイスラム教徒、専制国家と民主国家、富裕層と労働者階級、左派と右派、改憲派と護憲派、王党派と共和派、etc,etc...AsYou Like!

その自他の区別を認めず、敵視する限り、人類は無限に殺しあっていかなければならない。病院や学校を壊しあい、無害な子供や女性を焼き殺し、男たちをハチの巣にする。

人類って、バカなんじゃない?

そんな世界で無敵でいられるのは、どんな奴か。

君が身体を鍛え続け、格闘技を極め続けたら、人類最強の達人になったなら、それは無敵なんだろうか?

無敵による安心は、世界最強の軍隊を持っているきまぐれな王様だけのものなのか?

違う。

俺は断じて違うと思う。なぜなら俺はみんな大好き脳内お花畑野郎だからな。俺の頭の中には色とりどりのルピナスやガーベラが咲き乱れているのさ。おめでたいことだ。

敵を作らないこと。棍棒を振りかざすことなく、だれも敵視しないこと。

そして、共通の法に基づいて、正々堂々と正しいことを主張すること。

そう振舞うだけで、俺も君も、たちまち無敵の人だ。失うものがないヤケクソのローンウルフ型犯罪者のことじゃないぞ。間違えちゃだめだ。

すべての争いは、幻想から生み出される。あいつは敵だと名指しし、彼我の違いを強調し、憎しみをあおることから、生み出さる。

しかし宗教や国境、社会体制、そういった幻想を一旦横に置いてみれば、目の前にあるのは、空と大地と海、そして様々な生き物とともに生を享けた人間だけだ。

生きて、老い、病み、死んでゆく定めの人間だけだ。

皆がそう認識したとき、だれもがみな無敵の存在となるんだ。御目出度いことだろう。

頭を冷やせ。そして寛容になるんだ。君がたった一人のかけがえのない君のように、だれも皆まったく同じ奴なんていない。寛容になることなしに俺たちの子供たちが22世紀を迎えることなんか出来っこないんだ。 

そういえば、ジョン・レノンはWAR IS OVER  IF YOU WANT ITと掲げていたな。