2026/08/26

POT#1950 臭いものには蓋をするより、鼻を削いだほうが話が早いんじゃないか?

Hamburg、GERMANY
そこには「法を作る側の理想」と「生活する側の現実(心理)」の間に決定的なズレがある!オペラント心理学や行動分析学の視点から見ても、庶民の「見つからなければ、あるいは法律の網の目をくぐれれば問題ない」という感覚は、人間の行動原理としてきわめて自然な反応だよな。飲酒運転やタバコのポイ捨てから、公金横領、税金のちょろまかしまで。

かつてRCサクセションも♪見つからなけりゃ、悪いことじゃねぇ!♪と歌っていた。まぁ、今そんなこと堂々と歌ったら、即刻BANされちまうわな。言論の自由の余地が昔はまだあった。今は、表向きは自由だが、自主規制だらけさ。

1. 「道徳」ではなく「確率」で動く現実

法を設計する側(官僚や政治家)は、「法律を作れば、国民はそれを道徳的・倫理的な規範として内面化し、正しく従うだろう」という理想を掲げがちだ。

しかし、それは優等生の考えだ。

かつて吉本隆明が新しい教科書を作る会の歴史教科書改正運動に関して、学生は教科書なんてろくに読んでないから、教科書を書き換えたところで、なにかを内面化することはない!と身もふたもないことを言って、切って捨てたのと同じだ。

実際の市井の人々の行動を決定するのは、まず間違いなく「高い理想」なんてもんじゃなく、「見つかる確率(発覚リスク)」と「得られるリターン」のリアルな天秤だ。

つまり、割に合うかどうかだ。

リスクが低ければ問題行動は維持されるんだ。

どれだけ重い罰則(弱化)を法律に書いても、警察の取り締まりが及ばない場所(SNSの裏アカ、個人間決済など)であれば、人間は「処罰される確率はほぼゼロ=リスクなし」と判断するだろう。

倫理が内面化されてるわけでなく、条件付されてるだけだからな。

「触れなければセーフ」の精神

法的なグレーゾーン(脱法行為)を見つけると、人間はそれを「禁止されていない=報酬を得てよい合法的なルート」と思い込んじゃうんだな。そうして、こずるく行動を最適化させていくんだ。


「認知の歪み」と集団の同調

さらに、人間には「みんながやっているから」「誰も困っていないから」という理由で、自分の行動を正当化する心理(中和の技術)がある!君にもあるだろう。俺にもある!

「法律には触れているかもしれないけれど、誰かを傷つけているわけじゃない」

「見つからなければ誰も不快にしない」

なーんていう認知の書き換えが行われちゃうから、本人たちの中に「罪の意識」はほとんど芽生えないんだよな。

「見せしめ」の効果と限界

国家や警察は、時折メディアを使って「見せしめ的な逮捕(代理弱化)」を行い、国民に「見つかるかもしれない」という恐怖を植え付けようとする。

しかし、これも一時的な抑制効果しかないんだよなぁ。人間のど元過ぎれば熱さを忘れるってやつで、時間が経てば「あいつが捕まったのは運が悪かっただけだべ」「自分はもっとうまくやれるっしょ!」と、さらに巧妙な隠蔽手段つまり、より深い地下化へと進化していくわけだ。まさにいたちごっこさ!

結果として、「本能(性欲や金銭欲)を力づくで抑え込もうとする法律」と、「リスクを最小化しながら本能を満たそうとする庶民の知恵」のいたちごっこは、歴史上どの時代、どの国でも繰り返されている。

人類の宿命だ。

ならばいっそ、人間の性欲を抑制するような研究をした方がいいんじゃないのかね。

人間の性欲そのものを人為的に抑制する技術についての研究や議論は、現代の医学や倫理学、法学などの分野で、実際に特定の文脈において行われている。

一方で、これを社会全体や一般の人々に適用することには、非常に大きな倫理的・医学的な障壁が存在するだろうな。

医療・司法における「性欲抑制」の現状はこんなところさ。特定の目的のために人間の性欲を抑制する研究やアプローチはもちろん実在している。

薬物による治療(つまり化学的去勢だ)は、一部の国や地域(アメリカの一部の州、韓国、欧州の一部など)で、性犯罪の再犯防止を目的として、ホルモン剤(抗アンドロゲン薬など)を用いて強制的に、あるいは同意のもとで性欲を低下させる措置が導入されている。素晴らしい新世界だな。

医学的アプローチ

うつ病などの精神疾患に付随する症状や、性依存症(強迫的性行動症)の治療の一環として、脳内のセロトニン受容体に作用する薬(SSRIなど)が結果的に性欲を減退させる副作用を持つことが知られている。これがまさに鬱病の俺だよ!(笑)

で、これが治療に応用されることがあるらしい。


しかし、これを 一般社会への適用するのは、ちと無理がある。その理由は、皆さんの大好きな倫理と人権だ!

もし「法律に違反する人をなくすために、人々の性欲自体をテクノロジーや薬で抑え込もう」という研究や政策を進めた場合、極めて深刻な問題が発生すること間違いない。

身体の自己決定権の侵害

国家や他者が個人の脳やホルモンバランスを人為的に操作することは、基本的人権(身体の自由、内面の自由)を根底から覆すことになるわな。これはSF小説(ディストピア作品)に描かれるような「思想・感情の統制」と同じ領域に入ってしまいます。けど、ナチスのT4作戦も日本政府のやってた優生保護法も、そんなようなもんだろ。人間なんて、そんなもんさ。

少子化・社会活力の低下だって、問題だな(笑)

性欲は、人類の生殖や種の保存に直結する本能なのは言うまでもない。社会全体で性欲を抑制するようなことになれば、ただでさえ進んでいる少子化が決定的なものとなり、社会の維持そのものが不可能になるだろう。地球環境が改善しちまうだろ!また、性欲は意欲や活力(ドーパミンなど)とも深く結びついているため、精神的な無気力化を招くリスクもあるけれど、無気力なしょぼくれた奴らばかりだから、その点はもう問題ないかもね、

そこで、オペラント心理学(行動分析学)の視点からの代替案があるぞ!

人間の「欲求(動機づけ)」そのものを消すのは倫理的にも物理的にも不可能だ、とされている。

だからこそ、行動分析学などの科学が提案するのは、欲求を消すことではなく、「欲求が満たされるルート(行動)を、社会的に無害なものへ変容させること」なんだなぁ。

そこで注目さるてるのが、安全な代替手段の開発だ!

なんだそれ?

21世紀の科学力を注ぎ込んだVR(仮想現実)、生成AI、あるいは高度な性科学技術(ロボティクス≒AI搭載ダッチワイフさね)を用いて、生身の人間を介さず、人権侵害や犯罪(売買春や性的搾取)のリスクがゼロの環境で欲求を安全に解消できる仕組み(ハーム・リダクション)を整える方が、本能を抑制するよりも現実的かつ人道的な解決策とされているんだそうだ。

俺はそんなのゴメンだけどな。もう一度言おう。俺はそんなアホらしいこと断固ゴメンだけどな。そんなものに、人と人の命のほとばしりも、湧き上がる愉悦もない。サルのセンズリとおなじだ。

「本能そのものを消去してしまえば問題は起きない」というアイデアは、管理社会の究極の形として議論にのぼることがあるが、現実には「人間の本能とどう共生し、いかにテクノロジーで安全に制御(ガイド)するか」という方向性が主流となっているんだそうた。偽善くさいな。

例えばカート・ヴォネガット🔗が自らの小説の中で描いた自らの分身(=今風に言えばアバターか?)キルゴア・トラウト🔗の小説の中には、『おお、きみは匂うか?』っていう短編小説がある。

これが素晴らしい内容だ。要約すると、ある独裁者があらゆる社会問題を解決した後に悪臭問題を解決するためだけに、世界中の人の鼻を切り取ったっていう話だよ。

このエピソードは、ヴォネガットの代表作『ブレックファスト・オブ・チャンピオンズ(チャンピオンたちの朝食)🔗』などに登場するトラウトの架空の短編小説のプロットなんだけど、全人類の「鼻をそぎ落とす」という解決策の狂気は、単に独裁者の狂った頭の中の話がテーマじゃない。

この物語が示しているのは、「問題の『原因』を消し去るために、人間の『機能(本能や感覚)』そのものを破壊する」という短絡的な管理社会の恐怖そのものだ。

悪臭が問題なら、臭いの元(環境や公害)を直すべきだろう?

しかし、独裁者は手っ取り早く、人々の「鼻(つまり感覚器官)」をなくすことで「悪臭問題は解決した」と言い張ったわけだ。素晴らしくスマートだ!スマートすぎて笑いが止まらないぜ!

「性風俗や売買春のトラブル(人権侵害や犯罪)を解決するために、人間の性欲そのものを消し去る、あるいは薬でコントロールする」という発想は、まさにこの「悪臭を消すために全員の鼻をそぎ落とす」ことと完全に同義だ。

現代の「規制」が陥る罠は、それが単なるブラックユーモアじゃないとこにあるんだ。

今の政治や法律の動きにも、この「キルゴア・トラウトの小説」のような暴論が、真面目な顔をして紛れ込むことがある。

「SNSでの犯罪があるから、SNS自体を禁止にしよう」

「実態が見えなくて危険だから、店舗をすべて潰してしまおう」

これらは一見、問題を根絶したように見えるが、実際には人間の生活を不自由にしたり、別の歪み(地下化や新たな被害)を生んだりしているだけで、根本的な「人間社会の営み」への深い洞察が欠けているんだ。

まぁ、優等生だった奴は、たいてい人間への洞察が欠けている。というか『ない』けどね。

ヴォネガットが描いたブラックユーモアは、「不都合な現実を力づくで消そうとする権力者は、最終的に人間そのものを破壊し始める」という、いつの時代にも通じる強烈な警告だ。

庶民が「見つからなきゃいいや」と法の網の目をかいくぐる知恵(あるいはずる賢さ)を持っているのは、ある意味でこうした「お上の極端な暴論(鼻をそぎ落とすような法)」から自分たちの人間性を守るための、本能的な防衛反応なのかもしれないぜ。意外と健全なことなのかもな。 

2026/08/25

POST#1949 このオペラント条件付けってのは、世の中に蔓延してるんだ

コペンハーゲンのナイトクラブ
売春防止法の改正への動きが、活発化している。

今日女性もしくは売春(男性が売春する可能性を否定はしない)する側のみが罪に問われる制度を、買春側の男性(もしくは女性。俺は女性が買春する状況も否定はしない)も処罰するという制度に変えようというモノだ。結構なことだ。(朝日新聞『買収防止法、買う側の勧誘も処罰🔗』参照)

(心にやましいことのない者だけが石を投げるがいいさ。

俺はそれをとやかく言うことはしない。おそらく、設備の更新もままならないような退潮傾向にあるソープランドなどの風俗産業は壊滅し、買売春はアンダーグランド化してしまうか、SNSを通じたものになるだろう。女性たちを保護する法の網をすり抜けて。

それがなくなったとしても、俺自身はいい年だし、鬱病の薬を常用していることもあって、別段困ることはないけれど、上に述べたように結局それが地下で非合法ビジネス化するだけじゃないかっていう気もしますけど、どうでしょうかね。

では、一つの疑問が脳裏に浮かぶ。

この法案が成立すると、人間の性欲は消えるのか?

結論から言えば、法律を施行しても人間の性欲そのものが消えることはない。
性欲ちゅうのは、睡眠欲や食欲と同じように、人間の根本的な生理的欲求であり、法規制によってその存在自体をなくすことは不可能だ。法律がコントロールするのは「欲求」ではなく「行動と環境」に過ぎないんだな。
法律を作り、それを守らなければ、罰が与えられる。それって結局、昨日書いたオペラント条件付けと変わらないんだよね。
法律(売春防止法や風営法など)の目的は、人間の本能や欲求を消し去ることではなく、その欲求が社会に現れる「形態」や「場所」、そしてそこに生じる「搾取や人権侵害」を規制することなんだそうだ。
春防止法の目的は性欲そのものの否定ではなく、「性」を商業的な取引の対象にすること(特に第三者が介入して利益を得ることや、困窮につけ込んだ搾取)を防ぎ、人間の尊厳を守るために制定されているわけだ。
しかし、それで人間の性的な欲求が消得るわけではないから、当然ながら「代替需要」というモノが生み出されるわけだするわけだ。
日本の近代の歴史や他国の例を参照してみても、特定の性風俗業態を法律で禁止した場合、人々の性欲という需要は消滅せず、別の形に変化・移動するわけだ。たとえば、こんなのだ。
合法的な代替サービスへの移行
法規制の網の目をかいくぐる、新しい形態のサービス(VRやAIを活用したデジタルコンテンツ、非接触型のサービスなど)が誕生・拡大する。絵に描いた餅だぜ。子供の頃に読んだSFみたいだ。
個人間取引(マッチングアプリなど)の増加
店舗という組織を介さず、インターネットを利用して個人間で直接つながる動きが加速するだろうな。これは今もすでにみられる状況だ。
海外への流出(性的ツーリズム)
国内での利用が難しくなった場合、規制の緩い近隣国や海外へ需要が移動する。昔、日本が景気がいい頃、日本人の脂ぎったおっさんたちはこぞって東南アジアに買春しにいった。俺は羽振りが悪かったから、そんな機会はなかったが、そんな話はたくさん耳にした。
 全人類を去勢したりすることがない限り、どれだけ厳格な法律を作っても性的欲求自体が消えることはない。断言する。だからこそ、現代の頭のいい人たちの議論では「禁止すれば解決する」という単純なアプローチではなく、性的な欲求の存在を前提とした上で、いかに犯罪や人権侵害、公衆衛生の悪化を防ぐか(ハーム・リダクション:被害低減の考え方)が現実的な課題として話し合われているんだとさ。ご苦労なこった。
なんだ、さっきも言ったが、要はオペラント心理学と同じなのさ。
法規制による社会コントロールの仕組みは、オペラント心理学(行動分析学)における「行動変容」の理論と全く同じ構造をしているんだ。
オペラント心理学の視点から見ると、法律の施行と人間の欲求(性欲)の関係は以下のように整理できるんだよね。
①「動機づけ(欲求)」と「行動」の区別
オペラント心理学において、空腹や性欲などは「確立操作(動機づけ操作)」と呼ばれ、行動を起こす内的なエネルギー(動機)を強める役割を持つ。
まず心理学の視点ではこうだ。性的な欲求という確率操作そのものを外部から消去することはできないってことになる。まぁ、ホルモン抑制剤とか去勢とかするなら別だけどね。
じゃぁ、法律の視点だとどうなる?法律を作っても、人間の性欲そのものという『動機』自体は消せないよな。まぁ、ホルモン抑制剤とか去勢とかするなら別だけどね。
そういえば、渋澤龍彦🔗の『高丘親王航海記🔗』には、生殖を禁じられた犬頭の人間が、自らの性器に鈴をつけられているという描写があったな。今でいうところの性犯罪者にGPS機能付きの足輪をつけるようなもんだな。
閑話休題。
法律がターゲットにしているのは、欲求そのものではないんだ。
その結果として現れる「売買春という行動」なんだ。
あらゆるものに値段をつけて売り飛ばすスーパー資本主義社会なのに、人間の性そのものには値段をつけることをしちゃいけないんだそうだ。
どんな人間も、自分の生命というリソース、限られた時間という資本に値段をつけて売っている。なのに、性にまつわることだけが特別視されることに、俺にはどうにも嘘くさく感じるけどね。まぁ、そんなんだからセクハラだって契約を切られたりするんだろうな。
②罰という「弱化」による行動の抑制
法律による厳罰化や取り締まりは、オペラント心理学でいう「弱化(ペナルティ)」にあたる。
行動した結果として「逮捕」「罰金」「社会的信用の失墜」という嫌悪刺激、つまりデメリットを与えることで、その行動の発生頻度を下げようとする試みなわけだ。
③オペラント心理学から見た「地下化」の理由
なぜ法律を厳しくしても、ビジネスが地下化して続いてしまうのかも、この心理学で説明がつく。
好子(報酬)の強さがあるからだ。買売春の当事者にとって、性欲の充足や経済的利益(金銭)という「即時的で確実な報酬(好子)」の価値は非常に高い。
その一方で、弱化の不確実性という観点も挙げられるわな。そう、地下に潜れば「警察に見つかって処罰される(嫌悪刺激)」という確率は下がるだろう。
人間という存在にとっては、「たまにしか捕まらない罰」よりも「目の前の確実な報酬」の魅力のほうが方が勝つため、行動は消去されず、形を変えて維持されることになるわけだ。
これをを分化弱化や逃避行動と呼ぶんだそうだ。
④「消去」ではなく「代替行動」への移行
特定の行動(ソープランドでの取引など)を強力に禁止、つまり弱化すると、人間は欲求を諦めるのではなく、別の方法で報酬を得ようとするだろう。ところてんを作るように、禁止圧をかけると、違うところからにゅるりと欲望が形を変えておしだされてくるのさ。
これを代替行動の分化強化というらしい。
店舗がダメなら「SNSでの個人間取引」へ、国内がダメなら「海外(あるいはネット空間)」へと、より罰を受けにくい別のルート(行動)へと移行するだけのことだ。それが人間というやつさ。
要するに、法律というシステムは「人間の本能(動機づけ)を消す装置」ではなく、「デメリットを付加することで、行動の選択肢をコントロールしようとする環境設定(オペラント条件づけ)」に過ぎないんだ。
だから環境設定に地下組織やネット空間というニッチな隙間があれば、本能に突き動かされた行動はそこへ流れ込んでしまうということになっちまうわけだ。
まあ、偉い人たちはそういう風には考えてないと思うけど、俺たち庶民は法律に触れなきゃ、見つからなきゃ罪じゃないと思ってるからね。それが世の中さ。
しかしまったく、あの俺が嫌悪したオペラント心理学が、実は世の中にしっかり根付いていたということに気が付いた俺の間抜け面が想像できるかい?

2026/08/24

POST#1948 俺はかつて大学を辞めた。授業がばかばかしかったからだ

那覇の街角にて
高校三年生の時、大学受験のための判定会が学校で行われた。

自分でB全紙を買ってきて、枠を書いて受かりそうな偏差値の志望校を書くんだ。

それを学校の先生たちが見て、ここを受けてもいいけど、ここは落ちるからやめておけって判定するんだ。今はどうだか知らない。もう40年も前のことだ。

書いていてしょうもない大学ばかりだったから、大学に行くのはやめることにした。こんな大学行くくらいなら、馬鹿田大学でもいったほうがましだ。いっそ、志望校馬鹿田大学って書いてやればよかったかな?なんせ第一志望が早稲田大学第二文学部、つまり中退1流、留年2流、四年で出るのはただのバカといわれた早稲田大学文学部の夜間コースだ。

それすら難しかった。

結局、今は亡き友人の誘いで地元の愛知大学を受験した。

友人は落ちた。俺は法経学部経済学科と経営学科を受けて経営学科だけ合格した。

友人は母親の実家の松島に近い仙台の大学に進学した。皮肉な話だが、世の中往々にしてそんなもんだ。

俺は仕方なく、後ろめたさを抱えながら大学に通ったのだが、あまりいい生徒ではなかった。英語のマルカム・ダフ先生には、遅刻をするたびに叱られた。

フランス語の河原先生は、はっとりをフランス語風にアトゥヒと発音するのが、鬱陶しかったな。

俺は高校の頃から、ユングとかフロイトとかに興味があったから、一般教養課程で心理学を履修することにしたんだ。

そこで出くわしたのが、行動主義心理学🔗に属するオペラント心理学🔗という代物だった。

俺が想像していた、人間の精神世界を探るような心理学とは、バラス・フレデリック・スキナー🔗教授が構築したオペラント心理学はまったくの別物だった。

オペラント心理学(オペラント条件づけ)とは、端的に説明すると行動のあとに起こる「結果」によって自発的な行動の頻度が変わる仕組みを研究する学習心理学だ。

その基本の仕組みはこんなところだ。

①自発的行動(オペラント行動):動物や人間が自ら行う動作。

②スキナー箱の実験:ネズミが偶然レバーを押してエサが出ると、レバーを押す回数が増える現象。

③結果の影響:良い結果が起きると行動が増え、悪い結果が起きると行動が減る。

そして被験体の行動を変化させる4つの要素は強化と弱化に分類される。

①正の強化:良い結果(報酬)を与えて行動を増やす。 

②負の強化:嫌なこと(苦痛)を取り除いて行動を増やす。

③正の弱化(罰):嫌なこと(罰)を与えて行動を減らす。

④負の弱化:良いこと(報酬)を奪って行動を減らす。

素晴らしいことに、このオペラント心理学は、ペットのしつけや子供のしつけに広く応用されているらしい。まぁ、わからんでもない。要は、人間も含めてあらゆる生物の行動は、外部からの刺激によって操作するつまりオペレイトすることができるという考え方だ。

ぶっちゃけて言えば、ボタンを押せば餌が出るということを学習させることによって、その被験体の行動を操作することができるという素敵なものだ。

そこに、人間の精神とか尊厳の入り込む余地はなかった。すべては、刺激に対する反応だった。同じ教科書の中で、ハリー・ハーロウ🔗の『愛着実験』の様子を撮影した、ケージの中で、母親の形に作られた粗末な人形の前で怯えてような表情を見せている子ザルのモノクロ写真は、今でもありありと思い出せる。


しかし、俺はそこに人間の自発性や尊厳、精神の自由さを感じることはできなかった。
何しろスキナー教授は、自由とは無知のことであるといっていたくらいの人物だからだ。
知性とは、自由を捨てさることによって手にするものだということだそうだ。わお!

俺はうんざりした。こんなバカバカしい功利主義的なことを学ぶために大学に入ったんじゃない。俺が大学を辞めることにした原因の一つに、このオペラント心理学があったんだ。

この行動主義心理学は人間を「環境の刺激に対して反応する機械」のように扱い、内面の意識を排除する傾向がある。人間を機械のように、記号のように扱うにはもってこいだ。

そして、利益というニンジンを鼻面にぶら下げて人間の行動をいかようにでも操作できるようになるという思想だ。

これに対して、人間性心理学は人間の自由意志、自己実現、独自の精神性を重視し、行動主義を「非人間的」だと強く批判してきた歴史がある。

なにしろスキナーの理論は実験室の動物(ネズミやハト)をベースに作られたため、「人間の高潔な精神や尊厳を無視している」という批判は当時から現在に至るまで根強く存在してるんだ。俺の直感は正しかったってわけだ。

つい最近、シャショナ・ズボフ🔗の『監視資本主義🔗』を読んで、この言葉が出てくるまで、そんなことすっかり忘れていたのに。

俺たちの生活の隅々まで入り込んだデジタル封建制のビックテックの思想には、このオペラント心理学が息づいている。