2019/02/06

Post #1714

Vietnam
世の中に満ち溢れる言説の大半は、ある意味、(あくまでも個人の感想です)に過ぎない。
最近、それがわかってきた。

もちろん、これも個人の感想だよ。

客観的に物事を記しているように見えても、大抵の言説は、論者の立ち位置によって偏ってしまう。光が恒星の引力によって屈曲するように。

あったことのない誰かの個人的感想より、自分が見たこと、聴いたこと、触れたこと、そしてそこから考えたことこそが、自分には大切なのではなかろうか。
さらには、その個人的に体験を敷衍し、万人にとって普遍的な何物かを見いだしてゆくという、自分自身の経験に立脚した地に足のついた思考こそが、僕には必要だということだ。

まぁ、50にもなって、なにを今更だけどね。

2019/02/05

Post #1713

Vietnam
12年ぶりにベトナムに行った。
決して短くはないこの時間のなか、彼の地がどう変わったのか、興味があった。

誰もがスマートフォンを持って、画面にみいっていた。それが、一番大きな変化だと感じ、うんざりした。

携帯電話という鎖から自由になった生活を夢想した。
その途端、人混みのなかで、僕の携帯電話はすられた。

世の中、うまくできてやがる。

2018/12/02

Post #1712

東京2015
前回も書いたように、久々に出張して、首都圏で仕事をしている。
僕は食文化から商習慣まで、独特で排他的な中部圏の人間だ。赤だしの味噌汁が飲みたくて仕方ない。味覚のテイストが、ちょっと違うのだ。
同じように内装業界といっても、使っている材料、職方と職方の間の受け持ち範囲の微妙な違いなどに、地域性の違いを実感する。
なにより、建築現場で働く外国人労働者の比率の違いに、俺は驚かされる。

僕の住む名古屋界隈でも、ヴェトナム人や日系ブラジル人の職人はちらほら見かけた。日系ブラジル人は、リーマンショック以降めっきり少なくなったが、残った若者が、自動車業界の工場労働者になることを選ばず、建築業に参入してくるといった構図だった。
ヴェトナム人は、今、話題になっているいわゆる『技能実習生』といわれる人々がほとんどだった。
解体業者には、いつの頃からかトルコ人が進出していた。日本人の解体業者は、家屋解体などでは、彼らの単価に太刀打ちできないとこぼしていたものだ。
他にも、コンビニの店員には中国人はもちろん、ネパール人も多く見受けられた。

僕の住んでいる町は、かつて繊維産業で有名だったのだが、いまや価格的な競争力をなくし、ほとんどの工場が廃業してしまったのだが、わずかに生き残った工場で働くのは、中国人の女性たちだった。彼女たちが、小さな古い家で共同生活をしているのを、日常的に目にしていたのだ。そして、彼女たちがあり得ないほどの低賃金で働かされているというのは、公然の秘密だった。
同じような構図は、第一次産業、小規模な第二次産業によって地域経済をかろうじて延命させているような地域には、普遍的なものだと思う。

つまり、僕ら日本人の生活は、こうした外国人労働者の存在がなければ、成立しなくなっているということだ。そう、古代ギリシャやローマの奴隷制みたいにね。
仕方ない。日本人はもう、工場で何かを作ったり、農業や漁業をしたり、工事現場で働いたりすることなんかに価値や意味を見出せなくなっている。価値や意味を見出せないから、できるだけ金は払いたくない。金がもうからないから、人手不足になる。そこで、国を挙げて労働のアウトソーシングという流れになるわけだ。

まったくもって仕方ない。時代の流れなんだろうよ、仕方ない。

いつものことだが話がそれた。(しかし、それたところに実は本当に言いたいことが書いてあったりする場合もあるものだ。)
今回出張してみて実感したのは、首都圏の建築現場における、中国人、ヴェトナム人の比率の高さだ。何しろ、中国語やヴェトナム語の事故防止用啓発ポスターが貼ってあるくらいだ。俺が受け持っている現場には、常時15,6人の作業者が働いているが、その8割がたが中国人の若者たちだというのが現実だ。
こういった話をすると、こういう現実に縁のない読者の方々は、意思疎通もできず、単純労働に従事している外国人労働者というイメージを持つのかもしれない。
しかし、それは間違っていると断言しておこう。
彼らの中には、日本人よりも技能に優れた職人がたくさんいる。そうでなくても、一般的な同年代の日本人の職人さんの技量に、何ら劣るところはない。当たり前だろう、同じ人間なんだもの。
彼らは仲間同士、大きな声で話しながら仕事をしている。にぎやかで楽しそうだ。
(かつては僕たちも、仲間とにぎやかに冗談を言ったり、仕事のおさまりに関して言いあったりしながら陽気に仕事に取り組んでいた。しかし、いつしか仕事は細分化され、階層化され、協力して一つのものを作っていた仲間たちは、単なる賃労働者の寄せ集めに分断され、不機嫌に年を重ねてしまった。)
そういうと、こちらの作業指示もよくわからない外国人労働者ってのをイメージするかもしれないが、それは違う。彼らは僕らに対しては、日本語で話してくれる。多少怪しいところはあっても、日本人が話す英語だって怪しいもんだぜ、大目に見なけりゃ。それどころか、同じ日本人でも、何言ってるのかさっぱりわからない馬鹿野郎には、小生今日までお目通りかなったこと、実に多士済々という有様であった。
これが逆の立場だったら、どうだろう。必要だから身についた日本語だとしても、今の自分が、上海あたりにゆき、中国語で作業指示して仕事ができるかと自問すれば、彼らの優秀さは、自ずと理解できる。
僕はせめて、『你好』とか『早上好』といって挨拶をかわし、『明天見!』といって帰っていく彼らを送り出す。或いは『小心!』と声をかけて注意を促す。彼らはそんな僕のささやかなふるまいを人懐っこく笑って喜んでくれる。それはつまり、彼らに少しなりとも歩み寄ろうとする日本人が、どれほど少ないかという裏返しでもあるように思える。

こういうことを書くと、いろいろとご批判を頂戴することもある。
しかし、銀河系の中心から見れば、僕も、貴方も、彼らもみな、ひとしく辺境の野人に過ぎないという視点で、僕は物事を考えている。人間を同じ人間として遇したいだけである。燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんやである。