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| 香港 |
最近、息子がなんだか生意気になってきて手におえない。先日も先生に暴言を吐いて暴力を振るったというんで学校に呼び出されたが、昨日は俺に暴言を吐いて暴力を振るってきたんだ。息子の部屋にクーラーをつけるから床一面にとっ散らかったおもちゃを片付けろといっただけなのに。まぁ、俺の子どもだから仕方ないな。
おまけに施設に入っている親父は、すこぶる元気で小遣いを一万五千もってこいと電話してきやがった。これもまぁ、俺の親父だから仕方ないな。
どいつもこいつも俺を打出の小槌と思っているようだ。やりきれないぜ。
閑話休題
さて、また産業革命期のお話だ。石炭という新エネルギーで工業化を果たしたイギリスが綿布などの工業製品を新大陸に売りつけることができたのとは対照的に、中国大陸では需要と供給のバランスが崩れてしまっていたんだ。
つまり、もうちょっと専門的に言えば、イギリスが新大陸という「拡大し続ける外部市場」を掴んだのとは対照的に、清代の中国大陸(国内市場)は需要と供給のバランスが崩壊し、自らの巨大さゆえに経済が構造的な限界(「高水準平衡の罠」など)を迎えることになってたんだ。中国経済がけっぷちだ。ネトウヨの皆さんが当時もいたなら、小躍りするような状況だな。
中国大陸内で需給バランスが崩れていったプロセスと、イギリスとの対比は以下のように整理できるだろう。
1. イギリス:新大陸への輸出と資本の好循環
外部市場の確保と供給と需要の連動:
イギリスは、新大陸(北米やカリブ海など)の植民地に、本国で大量生産した安価な機械工業製品(綿布など)を「売りつける」仕組みを作り上げたんだ。
このおかげで、新大陸のプランテーションで奴隷が生産した綿花を輸入し、それを本国の工場で製品化して再び新大陸に売るという、閉じた拡大再生産のサイクルが回っていったわけだ!これにより、国内の購買力だけに依存しない無限の需要を手に入れてウハウハ、設備投資も積み上がり、それがさらなる生産力を増強し、結果資本の根源的蓄積は盤石なものになったんだ。
2. 中国:購買力の低下と「過剰供給」のジレンマ
周辺地域の自給化による需要喪失と人口増加による購買力のマヒ
前にも話したように、長江上流などの「周辺地域」がそれまでの先進地域だった江南の「長江下流域」の技術を学ぶことで、自給自足を始めたため、先進地(江南)の製品に対する国内の需要が激減しちゃったわけだ。まいったな。
その一方で人口が過剰になったことで、一労働力あたりの分け前つまり「実質賃金」が極限まで下がってしまったわけだ。つまり労働単価が暴落したんだ。
このおかげで人々は「食べるだけで精一杯」になり、手工業製品を買う経済的余裕=有効需要を失ってしまったんだ。生き延びるだけで精一杯の時に、高級な時計とかブランド品とか買うバカ者はいないだろう?つまりはそういう事さ。
それでも生産過剰の罠が巻き起こる
一方で、家内制手工業に活路を見出していた農家は生き残るために、たとえ利益が薄くても家族総出で織物を織り続けることになったわけだ。
悪循環だ。
このおかげで、市場には「買い手がいないのに、生きるために作られた製品」が溢れかえり、供給過剰による価格暴落を招くことになっちまったわけだ。
なんだかここまで書いてきて、報道などで目にする現代中国の買い手のつかない幽霊マンションや買い手がつかずにヤードに整列している見渡す限りのEV自動車を思い出したよ。
歴史は繰り返しているのか?
3. 需要の縮小が「機械化」を阻む
技術革新のインセンティブ喪失と手作業への逆戻り
イギリスでは「売れば売るほど儲かる外部市場」があったため、もっと大量に、もっと早く作るための「機械(蒸気機関や紡績機)」が必要になったわけだ。そうして、利益が積みあがる。資本を積み増し設備投資する。新しい機械はさらに改良がくわえられ、どんどん洗練されていく。そして生産効率は上がる。リカードみたいな重商主義者がウハウハするような状況が展開していたわけだ。
片や中国では、すでに市場の需要、つまり買い手が縮小しているのに加えて、人間が「食べさせてもらうためなら、いくらでも安く働きまっせ旦那!」という失われた30年も斯くやというひどい体たらくだったわけだ。
そんな状況では、わざわざ資本を増強し、コストをかけて機械を導入して効率的に生産するよりも、安価な人間の手作業に頼る方が合理的になり、技術革新の芽が完全に摘まれてったわけだ。貧すれば頓するとはこのことだ。
まったく、失われた30年の日本と全く同じじゃないか。泣けてくるぜ。
ここまでの流れで、「石炭・新大陸・奴隷・世界市場」を手に入れて産業革命の波に乗りまくったイギリスと、「地理的断絶・人口過剰・国内市場の飽和」に直面し産業革命の波に飲み込まれていく中国の、大分岐の全貌が完璧に君の中でもつながっただろう!
しかし、最悪なのはまだまだこれからだ。この当時の中国人じゃなかったことを感謝するがいいさ。
このイギリスと中国江南、両者の明暗がはっきりくっきりと分かれたタイミングで、イギリスをはじめとしたヨーロッパの皆の衆は、自分たちは中国に対して売るものがないことに気が付いた。
そこで、中国に対して売るものがない西ヨーロッパ諸国、とくにイギリスはインドあたりでで栽培したアヘン🔗—つまり麻薬だな、を嗜好品として中国に売りつけることにしたんだ。これによって、かつて世界のGDPの三割を稼ぎ出していたほど豊かだった中国社会は、決定的に内部から崩壊していくこととなったんだ。
この経済的な「大分岐」の流れが、まさに「アヘン」という極めて特殊な商品の登場によって、中国の国家・社会の決定的崩壊へと直結していくことになったんだ。
アヘンというとずいぶん時代錯誤な響きがあるかもしれないが、このケシから取れる成分を抽出すると医療用の麻酔薬としても使わていたり、今でも使われるモルヒネ🔗、ヘロイン🔗、オピオイド🔗などでが出来上がる。人間やめますか?って奴だ。
余談だが、トランプ大統領のアメリカが、中国に貿易戦争を吹っかける口実になったものがオピオイド🔗というアヘンを生成した中毒性のある鎮痛剤の輸入に関する問題だったことは、奇妙な歴史の符合に思える。そう、因果応報って奴だ。
この問題に関して興味のある向きは、アンガス・ディートン🔗とアン・ケース🔗の『絶望死のアメリカ🔗』を読んでみることをお勧めするよ。
イギリスが仕掛けたこの「三角貿易」のメカニズムと、中国(清)が内部から崩壊していったプロセスは以下のように整理できるだろう。
1. イギリスのジレンマ:「売るものがない」
お茶の大量輸入と銀の大量流出
18世紀後半から19世紀にかけて、イギリス(および欧米)では中国産の「茶(ティー)」が爆発的な大ブームとなり、輸入量が激増したんだ。
しかし、 当時の中国は完全な自給自足経済(高水準平衡)を維持していたから、別にイギリスから買うものは何もなかったんだ。中国人はイギリス製の毛織物などには全く興味を示さなかったし、工業製品も人件費がダラ安なために高い金を払ってまで導入する必要性なんか、これっぽっちも感じていなかったんだ。
結果として、イギリスは茶の代金として「銀」を一方的に支払い続けるしかなかった。
おかげさまで深刻な貿易赤字と銀の流出に悩まされていたわけだ。
2. 「麻薬」による強制的な需要創出
インドのアヘンで購買力の「底流」を突く
この赤字を逆転させるため、イギリスの勅許貿易会社で、植民地支配の尖兵でもあるイギリス東インド会社🔗は植民地化したインドでアヘンを大規模に栽培・専売化し、これを中国へ密輸するルート(イギリス・インド・清の三角貿易)を構築したわけだ。
なかなか普通の人間性を持った奴にはこんな薄汚いビジネス思いつかないぜ。さすがはブリカス🔗といわれるだけあるな(笑)。
前述の通り、当時の中国の民衆は人口過剰と経済の減速によって貧困化し、日々の厳しい労働に追われていたわけだ。
アヘンは、そうした精神的・肉体的に追い詰められた民衆や、退廃した官僚たちの「現実逃避の嗜好品」つまり『依存薬物』として、爆発的に普及してしまったわけだ。
そんな馬鹿なと思うだろう。しかし、税金の塊の煙草を吸い続けているのは、低収入で搾取されている労働者ばかりだという今の日本の現状を見ても、容易に想像がつく。
ニコチン🔗というアルカロイド🔗で感覚をマヒさせるか、オピウムというアルカロイド🔗で感覚をマヒさせるかの違いだけだ。最も、オピウム=アヘンのほうが、麻薬だけあって人間の脳や肉体へのダメージと習慣性は激しいもんがあるのは言うまでもないけどね。
このため通常の経済合理性、つまり需給バランスをぶっちぎって、吸えば吸うほどひどくなる激しい依存性によって、ほとんど無限に需要が拡大する最悪の市場が作られちまったんだ。
地獄だな。
3. 中国社会の決定的崩壊
銀の逆流による経済の崩壊と統治能力の麻痺
アヘンの代金として、今度は中国から大量の銀がイギリスへ流出し始めまた。逆流だ。
当時の清は「銀」を基準とする税制(地丁銀制)をとっていたんだ。銀本位制だな。
しかしこの銀の国外流出で国内の銀が不足して銀の価値が高騰しちまった。
それによって、実質的に農民の税負担が跳ね上がったからさぁ大変だ。ただでさえ限界を迎えていた農村経済が完全に破綻しちまったというわけだ。
しかも悪いことに、役人や軍隊の間にまでアヘン中毒が蔓延したことで、清の官僚機構は汚職まみれとなり、密輸を取り締まることすらできなくなっちまった。ブリカスやり放題だ。
アヘン戦争と連鎖する反乱
清はこの危機を止めようとアヘンの禁輸措置を発令し、国内のアヘンを没収・廃棄(林則徐🔗の断行)するわけだけれど、これがイギリスの軍事介入(アヘン戦争、1840年)を招くわけだ。イギリス人の私有財産を焼却したということでいちゃもんをつけ、必勝の戦争を吹っかけてきたって筋書きだ。
この戦争に敗北した清は、多額の賠償金と不平等条約を課されて国家財政は破綻した。
おまけに泣きっ面に蜂とはこのことで、これをきっかけに国内では「太平天国の乱」などの巨大な反乱が頻発し、内部から文字通り崩壊していくことになるわけだ。
強大な中央集権国家の誕生と隆盛、そしてその衰亡と滅亡を伴う王朝交代ってのは中国史の定番だが、これはさすがにひどいもんだ。
ここまでの議論を通じて、「地理的・生態学的条件によって大分岐が起きる」→「経済的に行き詰まった中国に、西欧が麻薬(アヘン)という例外的な商品で風穴を開ける」→「中国の経済・社会システムが内側から瓦解する」という、近世・近代世界史の最もダイナミックな構造のパズルがすべて綺麗に噛み合っちまったわけだ。あまりの整合性にほれぼれするが、そこで起こった阿鼻叫喚の社会崩壊を想うと、血の気が引くぜ。
この混乱に乗じて、清に対して諸外国が租界などを設け、経済的に食いものにし、挙句の果てには日清戦争、清朝崩壊、日中戦争という混乱期に突入することで、中国の先進性は根底から崩れ去ったと俺は考えているんだ。
実際にアヘン戦争から20世紀半ばに至る一連の歴史的激動によって、かつて世界最高水準を誇った中国(長江流域など)の経済的・技術的な先進性は、その基盤から完全に破壊されることとなったわけだ。
このプロセスは、歴史学において中国が「半植民地化」し、開発の機会を徹底的に奪われていった過程として以下のように整理されるだろう。ちなみに租界ってのは、治外法権の外国統治地区だ。これは何もこの時代に限った話じゃない。つい最近までの香港もまさに租界だ。この現代的な展開に関しては、クィン・スロボディアン🔗の『破壊系資本主義🔗』を見てみるといいだろう。
今もなお、形を変えてこんなことは世界中で起こっていることだ。この日本も例外じゃない。それを頭に入れて読んでほしいし、この中国の混乱の最終的なカードを切ったのは俺たち日本人そのものだということも忘れないでほしい。
1. 租界の設置と「不平等条約体制」による経済的収奪
主権の喪失と関税自主権の欠如:
アヘン戦争やアロー戦争🔗以降、欧米列強は主要な港湾都市に「租界🔗(外国人が統治する居留地)」を次々と設置した。さっきも言ったように香港もそうだ。厦門、福州、上海、香港、天津、南京、寧波、蘇州、重慶、数え上げたらきりがないほどだ。明治維新を経て富国強兵に励んだ日本も含めた列強は、不平等条約を清と取り結び、清から関税自主権を奪い、不平等な低関税を押し付けたんだ。タリフマンだな。
余談だが、俺のお祖母さんノブちゃんは、若いころ二十歳まで生きないといわれていたので、生きてるうちが花なのよとばかりに九州阿久根の生家を飛び出し、天津租界に行ったそうだ。そこでドイツのバイエル社の開発した薬で病気を治し、俺のじいさんの庄六さんと出会うことになるわけだ。
国内産業の発展妨害
このグデグデの状況で、なし崩し的に欧米の機械制工業製品が関税の障壁なしに大量流入したんだ。
欧米の工業化を果たした国々の製品供給地とされちまったんだな。使う当てもないのに。
おかげさんで、ただでさえ需給バランスが崩れていた中国在来の綿織物などを主体とした家内制手工業は壊滅的な打撃を受けた。
国内資本が自発的に近代工業を育成する芽は、文字通り「食いものにされる」形で摘み取られちまったんだ。
これは他人事じゃない。日本だって一歩間違っていたら、そうなっていてもおかしくなかったんだ。いや、バブル崩壊後の日本は似たようなもんかもしれないな。
2. 日清戦争と「大分岐」の決定打
巨額の賠償金とさらなる特権割譲と外国工場の設置容認
1894〜95年の日清戦争での敗北は、清朝の衰退を決定づけた。下関条約🔗によって科された巨額の賠償金(当時の清の国家予算の数年分)は、すべて外国からの借款で賄わざるを得ず、清の国家財政は完全に列強に担保として握られちまったわけだ。
まるで第一次大戦後のドイツみたいなもんだ。ちなみに賠償金を吹っかけるのは社会を崩壊させるのでよろしくないと、彼のジョン・メイナード・ケインズ卿🔗も『平和の経済的帰結🔗』でおっしゃっていたぞ。
この条約で「中国の開港場での外国人の製造業(工場経営)の自由」が認められたため、列強の資本が直接中国内に乗り込んでくることになったわけだ。ただでさえダラ安の労働力を、とことんまで搾取する構造が完成したってわけだ!きっとアイフォンでも作っていたに違いないぜ(笑)。洋務運動🔗などの中国独自の近代化の努力はここで完全に挫折してしまうわけだ。まさにデッドエンドだ。
3. 清朝崩壊、軍閥割拠、そして日中戦争という「連続する戦乱」
政治的空白とインフラの破壊と日中戦争による壊滅的打撃(1937〜1945年)
1912年の清朝崩壊後、中国大陸は統一政府を欠いた「軍閥割拠」の時代に入った。中国の歴史ではよくあることだ。三国志時代然り、五胡十六国然りだ。
おかげさまで国内市場は細切れになっちまった。
そして最大の致命傷となったのが、日本との全面戦争だ。
そうこの日本、正確には大日本帝国だよ。(俺の認識では、大日本帝国と日本国は、憲法が違うので違う国家だ。法人だって商号と定款が変われば、それは別法人だろう?)
当時、上海や武漢など長江流域を中心にようやく育ち始めていた中国独自の近代工業地帯やインフラ、水運ネットワークは、日本軍の侵攻と占領、そして戦火によって徹底的に破壊された。長年の経済的蓄積や知識、熟練労働者のネットワークはこの大混乱期に根底から崩壊したんだ。
そして、そのごく初期の1937年に起きた南京事件🔗は、かつてイギリスと比肩するほど発展していた江南の中心都市だったのは、歴史の不気味な符合に思える。
こうして中国の先進性は失われ、「100年の遅れ」が生じた
かつてポメランツが描いた「17〜18世紀の豊かな中国(江南)」の姿は、「生態学的限界による自発的な減速」にだけ留まらず、そこに「外圧(アヘン・租界)による構造的収奪」と「半世紀以上に及ぶ連続的な戦乱(日清・日中戦争など)」が追い打ちをかけたことで、修復不可能なレベルで解体されてしまった。
この一連のプロセスで、中国は「近代化のスタートライン」に立つことすら阻まれちまったわけだ。日本が戦争に負けたのちも、国民党政府と共産党政府の内戦、国共内戦は1949年まで続き、国土は完全に荒廃した。そして国民党が台湾に逃れたのちも、毛沢東のとち狂った大躍進政策や文化大革命という反動的なほとんど内戦のような国家騒乱で、中国の発展は停滞し続けた。人口は激減し、生産から消費までの経済サイクルもすべて崩壊した。この異常事態の連鎖が中国社会のポテンシャルを完全に封殺していたんだ。
日中戦争から間髪入れずに突入した「第二次国共内戦🔗(1946〜1949年)」、そして1950年代末からの「大躍進政策🔗」という二つの歴史的災厄は、中国の国土と社会システムを完全に破壊し、本来持っていた経済的潜在能力(ポテンシャル)を長期にわたり「封殺」することになっちまったんだ。
この暗黒期における構造的破壊と、社会ポテンシャルの凍結プロセスはまとめてみればこんあもんだが、まったくもってひでぇもんだ。
1. 国共内戦による社会・経済サイクルの完全崩壊
絶え間ない戦乱と国土の荒廃、それに続く経済サイクルの消滅とハイパーインフレ
1937年から始まった日中戦争の終結(1945年)から、わずか1年足らずで全面的な内戦が再開した。明日の敵は今日の友とはこのことだ。
10年以上に及ぶ断続的な戦乱により、長江流域などの経済先進地のインフラ、工場、水運網はまたしても完全に寸断されちまったわけだ。これに拍車をかけたのが、ハイパーインフレだ。
蒋介石🔗率いる国民政府🔗が戦費調達のために紙幣を乱発したことで、都市部では天文学的なハイパーインフレが発生したんだ。
貨幣価値が完全に崩壊したため、人々は物々交換に逆戻りし、生産者が物を作り、市場で流通し、都市で消費するという基本的な経済サイクルそのものが完全に麻痺してしまった。まぁ、戦後の日本の闇市と似たようなもんだ。借金がかさむと、政府はハイパーインフレを起こして、借金の圧縮をもくろむのさ。
人口への影響
当然ながら、社会が混乱を極めれば、社会を構成している人々もひどい目に合う。
戦死者や戦生餓死者、難民の大量発生によって、社会の土台を支える「熟練労働者」や「知識層」のネットワークが散り散りになり、人的な資本も大打撃を受けることになったわけだ。要は国の根幹を支える人材がいなくなっちまったってことだ。
2. 「大躍進政策」による人為的なポテンシャルの封殺
1949年の中華人民共和国成立によってようやく平和が戻り、復興が始まったのも束の間、1958年に毛沢東が発動した「大躍進政策」が致命傷となった。
本当にこの毛沢東という人物は、中国史上に時折現れる『怪物』そのものだ。
史上最悪の政策起因型「大飢饉」
「15年以内にイギリスを追い抜く」という無謀極まりないとち狂ったスローガンのもと、農村の労働力を無理やり原始的な製鉄(裏庭での製鉄運動)やインフラ建設に動員しまくった。
その結果、農業の手が完全に疎かになってしまったんだ。そりゃ農民が本業そっちのけでなんちゃって製鉄をあちこちでおっぱじめたら、だれが食料を作るんだ?
さらに自然災害や人民公社🔗による無茶な中央統制が重なり、1959〜1961年にかけて数千万人(近年の研究では1,500万〜4,500万人以上)の餓死者を出すという、世界史的にも類を見ない大惨劇をもたらしたわけだ。
経済の構造的自殺と生産性とポテンシャルの「完全な封殺」
現場の役人たちは、処罰を恐れて「今年は大豊作です」という虚偽の報告(浮誇風)を中央に上げ続けた。これは今も変わらないような気がするな。中国の地方役人が上の顔色ばかりうかがう痴呆役人だったという大問題だ。
このため、中央政府は実態を把握できないまま、まったく存在しない「余剰食糧」をソ連への債務返済や外貨獲得のために無理やり徴収し、輸出に回すというとんでもない暴挙に出ることになった。無茶苦茶やな。
この統治構造の欠陥が、農民から最後の餓死を免れるための食糧まで奪い尽くす結果となっちまったんだ。共産主義国ってのは、自分の国の人間をただの数字としてしか見ていないんじゃないかと思える時がある。これこそまさにそんな事態だ。
ポメランツが描いた、かつて中国が誇った「網の目のように発達した高度な市場経済」や「農民たちの高度な手工業技術・勤勉性の伝統」は、この共産主義的な教条主義と徹底的な中央統制(人民公社化)によって完全に解体されたんだ。
個人の経済活動や自発的な技術開発の動機はすべて「罪」とみなされ、中国社会の潜在能力は完全に底流で凍結されてしまったんだ。冗談みたいなせかいだぜ。
まさにこれこそが20世紀後半にいたるまで西欧や日本に対して決定的な遅れをとる原因となったんだ。つまり一言で言えば『大分岐の大拡大』だ!
中国を文明的に遅れた民度の低い国家とみなす向きがいまだに我が国には多いが、それはこのような歴史的な経緯をまったく認識していない暴論に過ぎないんじゃないかな。
歴史的な因果関係や構造を無視して、現在の状況のみを切り取って優劣を議論することは、学術的な事実を見誤る原因にしかならないぜ。百害あって一利なしだ。
こうしてみると17世紀から20世紀半ばにかけて中国大陸がたどった「生態学的限界」「外圧による市場の破壊」「長期にわたる戦乱」というプロセスは、社会や経済の基盤を根底から揺るがすに十分なものだったろう。
この地獄遍歴のような歴史的経緯(コンテクスト)を理解することは、現代の国際関係や地域情勢を客観的に分析する上で極めて重要なことに間違いない。そして、一人の日本人として、うんざりするような自己嫌悪におちいらざるを得ないんだ。
遅れ馳せながら、現代の歴史学や経済史においては、次のような視点から、特定の地域を「内発的に遅れていた」とする従来の西欧中心主義的な見方が見直されることになったみたいだ。
- 環境と資源の制約: どの文明もその土地の資源(石炭の有無や人口密度)に縛られており、発展の方向性は優劣ではなく「環境への適応」の結果であること
- 外部要因の影響: 植民地化や不平等条約、戦乱などの外的な衝撃が、その後の近代化や社会秩序の形成に決定的な遅れをもたらしたこと
- 歴史の連続性: 20世紀後半以降の中国の急速な経済成長は、かつて江南地方などが持っていた高い市場経済の潜在能力や、教育・勤勉性の伝統が再評価される形で説明されることも多いこと
ネトウヨや右派的な思想の皆さんのように、中国人に対して批判的な言説を垂れ流すのは、多くの場合、こうした複雑な歴史の連鎖や構造的な背景への理解がないのが原因だ。どいつもこいつも大脳辺縁系ってトカゲの脳みそで反応し、感情的に喚き散らすだけだ。何の益もないぜ。ま、お相手も大概だけどな。つまりあれだ、お互い、お勉強が必要だってことさ。
17〜18世紀にはヨーロッパと互角だった中国が、20世紀後半にいたるまで「極度の貧困国」に甘んじることになったのは、まさにこの時期に社会のあらゆるポテンシャルを政治的に圧殺されていたからだという俺の見立ては、歴史的な因果関係から見ても間違いないといえるんじゃないかな。
この社会的混乱から立ち直ろうと、日本を筆頭に世界各国と国交を樹立し、鄧小平が主導する改革開放路線の下で社会の経済発展に取り組んできた中国が、その軌道に乗り始めたときに起きた大事件が天安門事件だったというわけだ。
日本が率先して、円借款再開に動き、中国を支援した事実の底流には、間違いなく中国に対して、多大な犠牲を伴う戦争を仕掛けたという自責の念があったのは間違いないだろう。
けど、どうして中国って国は民主主義が馴染まないのか。その答えには全然たどり着いてないな。

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