2026/05/01

POST#1836 俺の考えはきっと上野千鶴子を逆上させるだろう。

千葉県佐原市
皇統存続のためなら、側室制度を復活させればええやんっていう俺のとんでも発言(自分でもわかってるぜ)はきっと上野千鶴子センセーのお怒りを買うことだろう。
まぁ、俺のような地下人の放言など上野千鶴子センセーには届くことはないので、杞憂とはこのことだ。

彼らの人類学的なフィールドワークに基づく、人類社会の祖型ともいえる南米の様々な部族の姿を通して、人間という生き物の社会の原型を探るのが俺の楽しみだ。
彼らはその著書『悲しき熱帯🔗』や『国家に抗する社会🔗』などで、権力を持たない首長たちの姿を描いた。彼らが描いた首長たちは、だれよりも働き、共同体の皆に対して、一族の歴史と倫理を、あるべき姿を、たとえみんながあくびをして聞いてなくても、鼻くそをほじって聞いてなくても毎日語り掛け、その共同体の理念を成員の中に刻み続ける。
狩猟の際には、皆にどこに行けば獲物がいるか導き、不猟の時には自分と妻を伴って、皆の食料を集め、不平を垂れてひっくり返っている共同体の皆に分配する。
故に、これら人類の未開社会に現れる首長たちは、総じて一般のものたちよりも貧しく、成員を取りこぼすようなことはしない。弁舌に優れ、また優秀な狩人でもある。
まるで、首長そのものが行政府そのもののようだ。
しかし、首長にはなんの権力も強制力もない。あるのは、皆を導き生かすという義務だけだ。
しかし、そこから一歩権力者という境涯に足を踏み入れ、共同体の中で突出した存在となって、その成員を支配しようとすれば、彼は共同体から追放されたり、夜陰に紛れてその喉笛を掻き切られることとなる。
これは古代アテネでも、同じように権力を独占しようとした僭主🔗が追放されたり、勇敢な市民によって殺害されたり、陶片追放🔗されたりしたのと同じだと俺は考えている。少なくとも全く同じではないが、相似だ。
こうして、『未開社会』は極めて民主的で、独裁や支配を許さない体制を維持する。
だれがそうすると決めるわけでもなく、それが共同体そのものの意思=共同幻想のようにね。
これらの社会は基本的に一夫一妻制なんだけれど、この首長だけは年若い第二婦人を持つことを認められている。なぜって、皆の要求を満たし、万一の時には食料を工面したりするために労働力が必要となるからだ。この第二婦人は、ギリシャ神話のアルテミス🔗のように男たちと森に分け入り、同じように狩猟し、往々にして壮年の首長の補佐をする。

さて、俺が側室制度云々を言うのには、右派の人々が大好きな『日本の伝統』に基づく以上に、これら人類の社会のごく基本的な段階に発生する『権力を持たない首長』のあり方に大きく影響されている。
そもそも、右派の政治家のセンセー方が掲げる伝統なんて、自分たちの思う理想にかなった部分だけをつまみ食いしたフィクションだしね。
『権力を持たず』共同体の掟と道徳倫理の『象徴=化身』として、皆にあるべき姿を語り続ける首長。
君は僕の言わんとするところを理解してくれるだろうか?

どこかの国の国民の統合の象徴として、常に弱者や被災者のそばに寄り添い、右派の政治家連中やネトウヨ民の批判もどこ吹く風で、苦しむ人々に対して膝をつき目線を合わせ、その言葉に耳を傾けられる象徴としての首長。常に柔和な笑顔を崩さず、いかなる私も廃して、自ら権力を持つことをその人生の可能性から排除して生まれ変わり死に変わりしてその意思を継承して存在し続ける、中空の権力としての帝。

ちょっと脱線するけれど、仏さまって色々あるじゃない。阿弥陀如来とか薬師如来とか、不空成就如来とか観世音菩薩、普賢菩薩とか。
これは実はそういう人格神というものではなくて、あくまで慈悲や知恵といった理念に形を与えたものだ。つまり、慈悲の化身とか救済の化身とか知恵の化身ってことだ。

我が国の天皇陛下とは、この化身って概念に近い気がする。なんの?
ルソーが言うところの
千葉県佐原市
皇統存続のためなら、側室制度を復活させればええやんっていう俺のとんでも発言(自分でもわかってるぜ)はきっと上野千鶴子センセーのお怒りを買うことだろう。
まぁ、俺のような地下人の放言など上野千鶴子センセーには届くことはないので、杞憂とはこのことだ。
さて、レヴィ=ストロースやピエール・クラストル🔗の本を開いてみよう。

彼らの人類学的なフィールドワークに基づく、人類社会の祖型ともいえる南米の様々な部族の姿を通して、人間という生き物の社会の原型を探るのが俺の楽しみだ。
彼らはその著書『悲しき熱帯🔗』や『国家に抗する社会🔗』などで、権力を持たない首長たちの姿を描いた。彼らが描いた首長たちは、だれよりも働き、共同体の皆に対して、一族の歴史と倫理を、あるべき姿を、たとえみんながあくびをして聞いてなくても、鼻くそをほじって聞いてなくても毎日語り掛け、その共同体の理念を成員の中に刻み続ける。
狩猟の際には、皆にどこに行けば獲物がいるか導き、不猟の時には自分と妻を伴って、皆の食料を集め、不平を垂れてひっくり返っている共同体の皆に分配する。
故に、これら人類の未開社会に現れる首長たちは、総じて一般のものたちよりも貧しく、成員を取りこぼすようなことはしない。弁舌に優れ、また優秀な狩人でもある。
まるで、首長そのものが行政府そのもののようだ。
しかし、首長にはなんの権力も強制力もない。あるのは、皆を導き生かすという義務だけだ。
しかし、そこから一歩権力者という境涯に足を踏み入れ、共同体の中で突出した存在となって、その成員を支配しようとすれば、彼は共同体から追放されたり、夜陰に紛れてその喉笛を掻き切られることとなる。
これは古代アテネでも、同じように権力を独占しようとした僭主🔗が追放されたり、勇敢な市民によって殺害されたり、陶片追放🔗されたりしたのと同じだと俺は考えている。少なくとも全く同じではないが、相似だ。
こうして、『未開社会』は極めて民主的で、独裁や支配を許さない体制を維持する。
だれがそうすると決めるわけでもなく、それが共同体そのものの意思=共同幻想のようにね。
これらの社会は基本的に一夫一妻制なんだけれど、この首長だけは年若い第二婦人を持つことを認められている。なぜって、皆の要求を満たし、万一の時には食料を工面したりするために労働力が必要となるからだ。この第二婦人は、ギリシャ神話のアルテミス🔗のように男たちと森に分け入り、同じように狩猟し、往々にして壮年の首長の補佐をする。

さて、俺が側室制度云々を言うのには、右派の人々が大好きな『日本の伝統』に基づく以上に、これら人類の社会のごく基本的な段階に発生する『権力を持たない首長』のあり方に大きく影響されている。
そもそも、右派の政治家のセンセー方が掲げる伝統なんて、自分たちの思う理想にかなった部分だけをつまみ食いしたフィクションだしね。
『権力を持たず』共同体の掟と道徳倫理の『象徴=化身』として、皆にあるべき姿を語り続ける首長。
君は僕の言わんとするところを理解してくれるだろうか?

どこかの国の国民の統合の象徴として、常に弱者や被災者のそばに寄り添い、右派の政治家連中やネトウヨ民の批判もどこ吹く風で、苦しむ人々に対して膝をつき目線を合わせ、その言葉に耳を傾けられる象徴としての首長。常に柔和な笑顔を崩さず、いかなる私も廃して、自ら権力を持つことをその人生の可能性から排除して生まれ変わり死に変わりしてその意思を継承して存在し続ける、中空の権力としての帝。

ちょっと脱線するけれど、仏さまって色々あるじゃない。阿弥陀如来とか薬師如来とか、不空成就如来とか観世音菩薩、普賢菩薩とか。
これは実はそういう人格神というものではなくて、あくまで慈悲や知恵といった理念に形を与えたものだ。つまり、慈悲の化身とか救済の化身とか知恵の化身ってことだ。

我が国の天皇陛下とは、この化身って概念に近い気がする。なんの?
ジャン=ジャック・ルソーが言うところの一般意思🔗の化身だ。
これは俺の独自の観念だから、何の学問的な裏付けもないけれど。俺は極めて近しいと感じている。批判してい人はどうぞ徹底的に批判してください。僕は歯牙にもかけないから。

レヴィ=ストロースは、日本が先端技術を持ち、高度に発達した国でありながらアマゾンの奥地に住む部族の人々とも通じる神話体系とそれに基づく社会観念を持つ国であり続けていることに驚嘆していた。
俺が上野千鶴子センセーの鼻面を逆なでするようなことを主張するのは、浅薄なデントーや単にその血統を維持するためというような不敬な話ではなく、人類の数万年スパンのあり方について、五劫思惟したうえでの主張だということをわかってほしい。

そもそも、天皇とは何なのか?君は考えてことがあるか?神話的な話をしてるんじゃない。どのような役割=機能を持ってこの日本という列島に存在してきたのか、深く向き合って考えたことはあるかい?
明日はそれを掘り下げてみよう。

上野千鶴子センセーには激切れされるだろうが、泉下のクロード・レヴィ=ストロースは、『Ce'st Bon. 君わかってるね』って、ワインを勧めてくれると思うんだけどな。
今夜も仕事だから、飲酒運転は困るんだけれどね。

2026/04/30

POST#1835 俺が天皇陛下なら、自分の家のことを他人決められたくないよな

伊勢

今、高市政権は皇室典範の改正に向けてフルスロットルだ。

俺が畏れ多くも皇統に連なる立場だったら、家の事情にいちいち口を突っ込んでもらいたくないと思うだろうな。よっぽど『愛子内親王のご即位』つまり『愛子天皇』が嫌なんだろうな。

エマニュエルトッドが分析しているように、わが国は直系家族だから男系男子の維持を最優先するだろう。 高市総理は、2000年以上にわたって例外なく続いてきた「父方をたどれば神武天皇にいきつく」という男系継承の伝統(そんなの幻想だ)を、自らの保守政治の根幹として守るべきだと考えているんだとさ。けど、そんなのみ皆の衆信じてるのか?神武天皇だって怪しいもんなのにね。

いわゆる 「愛子天皇」の誕生は、現在の典範が定める「男系男子」という原則を変更することを意味するわけだ。高市総理は、女性天皇が認められた場合、その次の代で女系天皇(母方のみが天皇の血を引く天皇)へつながるリスクを懸念してるんだとさ。で、これを阻止しようとする姿勢がくっきりはっきりだ。けど、歴史上にも時代の転換点には推古天皇とか持統天皇とか女性天皇が即位してるがな。今は俺からすると未曽有の歴史の転回点じゃないかって思えるけど。今しかないでしょ!

旧宮家の皇籍復帰を推進して皇族方の数の確保にを法制化して、愛子さまを天皇にするのではなく、旧宮家の男系男子を養子に迎えるなどの案で解決を図ろうとしているようだ。

それでもし、保守論客でブイブイ言わせてる竹田宮様の御後胤が即位することになったら、俺は絶対に嫌だな。  悪いけどまったく尊敬できないよ。ゴールデン・トライアングルでケシでも栽培して暮らすさ。

高市総理の行動は「愛子さま個人への感情」というよりは、「男系継承という伝統こそが皇室の正当性の根源である」という強い信念に基づいた政治的判断といえるだろう。しかし、国民の間では愛子天皇を望む声が高く、この方針が国民の意思を無視しているとの批判も根強くあり、をり、はべり、いまそかり。 まぁ、奴らが国民の意思なんか全然気にしないってのは今に始まったことじゃない。あいつらは国民や陛下のことより、支配のシステムのほうが大事なんだ。

そもそも天皇制とは何なのかとか寸毫も考えず、保守と如何なる態度かも考えていないちゅうのも、今に始まったことじゃない。ただ、自分たちの支配の後ろ盾というか正当性の証としての天皇制が大切だと思ってるだけだ。不敬極まりないぜ!

俺は天皇制とは何か、吉本隆明🔗の『共同幻想論』に出会ったときからずっと考え続けてきた。

そんな俺から言わせると、旧皇族🔗を今一度皇族に養子として迎え入れるとか、そんなことしか彼らは考え付かないのか?

 いっそのこと 皇族には側室を持たせるとか それぐらいのこと考えたら どうなのかしら?

この意見は、歴史的に見れば確かに男系継承を支えてきた強力な手段だった。しかし、かつて皇太子時代の昭和天皇が摂政として大正天皇の輔弼をなさることをお受けなさった折り、その条件として側室制度の廃止を断行されたという話を聞いたことがある。昭和天皇は側室制度が現代的な制度ではないとお考えになられたのであろう。もっともだ。

とはいえ、俺がアナクロニズムを承知で今一度この側室制度を唱えるのは、天皇という存在が、畏れ多くも現代的な存在ではない。古代の息吹を今に伝える祭祀王≒生身の神だからだ。

しかし、高市総理をはじめとする現代の政治議論では、側室の復活は事実上「ありえない選択肢」として扱われている。

高市総理はインタビューなどで、側室制度の復活について「考えたこともございません」と笑い飛ばしており、明確に否定しているそうだ。

一宰相如きが、皇室の在り方に対して笑い飛ばすなど、不敬の極みではないか?言行不一致とはこのことだ。本来、内閣総理大臣は「天皇の補助」を行う立場であり、皇室のあり方に対して謙虚であるべき存在だ。

それにもかかわらず、高市総理が「側室」という歴史的な制度について、一政治家の価値観で「あり得ない」と笑い飛ばす姿は、見方によっては以下の点で極めて不遜にして不敬だといえるだろう。彼らの大好きな戦前の価値観なら、万死に値するんじゃね?

越権行為: 皇室の伝統を「守る」と言いながら、都合の悪い伝統(側室)は現代の価値観で一方的に切り捨てるという、「選別する傲慢さとご都合主義」が透けて見えまくりだろ?

不誠実な態度: 2000年の伝統の重みを説くのであれば、かつてそれを支えた側室制度を単に「笑い飛ばす」のではなく、なぜ今は不可能なのか、その矛盾を誠実に説明する責任があるはずじゃないのかね。

「道具」としての扱い: 皇室を自分たちの保守的なアイデンティティを誇示するための「道具」として利用しているからこそ、陛下の御意思や歴史の重みよりも、自分の政治的パフォーマンスが優先されてしまうのだろう。まぁこれは蘇我馬子の頃からわが国の伝統かもしれんな。

歴史と伝統を重んじると言いながら、その実、自分たちの都合で伝統を「編集」し、陛下に対して不遜な態度を取ることは、「究極の偽善」であり、政治家としての資質が問われるべき傲慢な姿勢ではないかね?

「伝統」を口実にしながら、実際には陛下や国民の思いを軽視するこのような政治のあり方は、果たして日本の象徴である皇室を本当に守っていることになるのだろうか?君はどう思う?

さて、法的な側面からなぜ側室が、あかんのか考えてみるに、そもそも夫婦別姓だって大騒ぎして30年も放置されてるんだから、できっこないと思うよな。

日本は明治31年の民法によって重婚を禁止しており、皇室も昭和天皇以降は側室を持たない一夫一婦制が完全に定着している。現代の価値観において、皇室だけを多妻制に戻すことは「国民の敬愛を損なう」と判断されているんだとさ。

加えて戦後の皇室典範(1947年)では、正妻(皇后)以外から生まれた子(非嫡出子)には皇位継承権が認められていないんだ。もし側室を認めるなら、この根幹部分を書き換える必要がありるだろう。

お妃候補がいなくなるリスク: 現代において、側室がいることが前提の家庭に嫁ごうとする女性を見つけるのは極めて困難だわな。上野千鶴子が黙っていないだろうよ!この制度自体が婚姻のハードルを上げてしまうという皮肉な結果を招きかねんな。

高市総理が「愛子天皇」を認めず、かつ「側室」も否定する場合、残された道は「旧宮家の男系男子を養子に迎えて皇族にする」という案一点に絞られることになるんだというのが、彼らの思考パターンだ。

これがいま彼女が「フルスロットル」で進めようとしている現実的な落とし所と言えるでしょうな。俺から言わせたら、底が浅い。

「伝統を守るための側室」と「現代の倫理観」の間にあるこの矛盾こそが、議論を複雑にしている最大のポイントだとしても底が浅い。


「側室を持つ方が現実的」という考え方は、生物学的な皇統の維持という点では理にかなっているように見えるし、実際かつては世界中で行われていたが、現代の法制度や国民感情という高い壁に阻まれちゃうだろう。みんなお利口さんだからな。

高市総理が「側室」を完全に選択肢から外し、旧宮家の養子案に「フルスロットル」で突き進んでいるのには、以下のような政治的な「現実味」の判断があると考えらている。

1. 「側室」よりも「養子」が選ばれる理由

憲法と法律の整合性: 現代日本は「一夫一婦制」が法的に確立しており、側室制度を復活させるには民法や憲法の家族観を根本から覆す必要がある。一方、養子縁組であれば、皇室典範の改正のみで手続き上は可能となる。

国民の受容性: 21世紀の現在、側室を認めることは「女性蔑視」や「時代錯誤」との猛烈な批判を浴び、皇室の尊厳を著しく損なうリスクがある。高市総理も、側室については「考えたこともない」と即座に否定し笑い飛ばしてる。 けど、俺だって、そんなことは百も承知で覚悟の上で言ってんだ!

2. 高市総理が「養子案」を推す最大のメリット

高市総理にとって、旧宮家の男系男子を養子に迎える案は、彼女が守りたい「伝統」と「現代の市民の常識との妥協点」のギリギリのラインだろう。

男系継承の完全維持: 側室がいなくても、すでに存在する「男系男子(旧宮家の末裔)」を皇室に呼び戻せば、126代続いてきたとされる男系の血筋を絶やさずに済むんだと。しかし、一度民間に戻ってしまった人々が、憲法の外側に孤独に存在する皇族にもう一度もどったとして国民たちは支持するだろうか?

愛子天皇議論の回避: 皇族数を確保し、将来の継承候補(悠仁さまの次世代など)を増やすことで、「愛子さまを天皇にする(=男系男子の原則を崩す)」という選択を「喫緊の課題」から外すことが可能になる。けど、そんなに言うならいっそ、クローン人間とか提案してるみたらどうだ?

3. ただし、養子案にも「非現実的」との批判がありますぞ!

高市総理が強力に進めるこの案も、決して万能ではない。

「門地による差別」の疑い: 特定の血筋の人だけを国民から皇族にするのは、憲法14条(法の下の平等)に反するという指摘が野党や憲法学者から出ている。あたり前だ。

本人の意思: 80年近く一般国民として生活してきた旧宮家の方々が、果たして本当に皇族としての重責と制約を引き受けるのか、という実効性の疑問も残っている。無理でしょ?

結局のところ、高市総理にとっては「側室」は論外であり、愛子天皇の容認(女系への道)を絶対に避けたいからこそ、消去法的に「旧宮家の養子案」が唯一の現実的な突破口になっているという構図ですな。

側室も愛子天皇も認めないとなると、この「旧宮家の養子案」が失敗した場合、皇室はどうなってしまうと思う?

俺の意見を述べるぜ、よく聞いて欲しい。

そもそも 天皇家という一族は、憲法も含めて法制度の例外として考えられているので 、民法が、どうだとか取ってつけたような法律論は偽善じゃないか?

憲法第1条で「国民の総意」に基づく「象徴」と規定されている天皇・皇族方は、戸籍も持たず、参政権や職業選択の自由もないなど、最初から「法の下の平等」の枠外にある存在だ。

その意味で、「側室は法的にダメだが、男系維持のための養子はOK」という線引きを「偽善的だ」と感じるのも、無理からぬところだろ?

高市氏ら保守層が、側室を「非現実的」と言いながら養子案を「現実的」とする裏には、以下のような論理(あるいは苦肉の策)がありわいな

「人権」のライン: 側室は現代の「女性の人権」や「公序良俗」に真っ向から反するため、国際的な批判も含めて政権が耐えられないと判断している。

対して、養子は「本人の同意」があれば、既存の法体系の延長線上で説明がつきやすいと考えてるんだろ。

「国民の感情」という物差し: 多くの国民にとって、側室は「時代劇の世界」だろうが、養子は「家系を継ぐ手段」としてまだイメージしやすい、という計算がある。

しかし、自民党の皆さんが改正したがっている憲法すら例外的存在と規定する「特別な一族なのだから、理屈をこねずに伝統的な手段(側室など)を検討すべき」という意見や、逆に「特別扱い自体が限界なのだから、愛子さまを認めれば済む話だ」という意見が出るのは、まさに「皇室という例外的な存在を、どう現代の法理で説明するか」という矛盾が限界に来ている証拠と言えるだろう。

けれど、そもそも女性の人権 云々言うんだったら愛子天皇だっていいんじゃないですかねぇ?君はどう思う?

バカバカしいぜ。それこそアナクロニズムだんべ(笑)

2026/04/29

POST#1834 眠っているときにかかってきた電話は、あまり覚えていないもんだ

ホイアン、ヴェトナム
長年店舗工事をしていると、夜働くことが圧倒的に多い。大昔のゲゲゲの鬼太郎の歌🔗のように朝は寝床でぐーぐーぐー、で、夜は現場で漢だらけの運動会だ。楽しいな、楽しいな、こんなことしてたらそのうち死んじまうよ(笑)

ちなみに今時この歌をAdoが歌っているんだ。リンクを張り付けておいたから興味のある向きはどうぞ(笑)

しかし、眠っているときだって世の中の皆様はご遠慮なくご連絡をくださるんだ。

俺は長年の修行で、眠っていても完璧に受け答えができる。少なくともできてるつもりだ。ワンオペコンビニみたいだな。先週の木曜日ごろのことだ。町会長から電話がかかってきた。

先日の文書に関して、役員の皆さんから集まった意見をもとに、土曜日だか日曜日だかの朝に町内の主要メンバーで話し合いをしたいということだ。場所は近所の喫茶店だ。まったくご苦労な話だが、しっかり俺も頭数に入ってるんだよな。

その日も間違いなく夜勤明けだが仕方ない。俺はわかりました、参加しますと電話を切ってまた眠った。

数時間眠って間が覚めた時、内容は覚えていたが、肝心の日時が土曜日だったか日曜日だったか思い出せない。時間も9:00だったか10:00だったか、まったく覚えていない。

仕方ない、俺は町内会長に連絡をしてもう一度日時を確認した。日曜日の朝の9時だ。

土曜日の夜の仕事で、現場では問題が噴出していた。ええ加減な図面でデザイン重視で安く・早く・凝ったものを作ろうとしているから、問題が出るのはいつものことだ。

俺は明け方三時ごろに帰ってきて飯を食い、ふろに入り、そのあとで三角関数とか使って計算し、どうやって設計者の意図を実際の現場に落とし込むのか、脳汁を絞ったぜ。なんで俺がこんなことまでしなきゃいけないんだ?これは設計の仕事だろう?とはいえ、治めないことには面白くない。一騎当千の現場監督の名が廃るぜ。しかし、午前七時俺の電池残量は底をついた。少し仮眠しようと八時にアラームをセットしすやすや眠っている息子の隣で眠りに落ちた。

午前九時、電話が鳴ってたたき起こされた。町内会の重鎮A井さんからだった。俺は寝過ごしたことを悟り、飛び起きて着替え、顔も洗わずに車で急行した。頭も寝起きのもじゃもじゃだけれど、くせ毛でいつももじゃもじゃだから、セットなんかする必要はないんだ。時短だぜ。

喫茶店の奥の大テーブルには、町会長や重鎮のA井さん、民生委員のT島さん、その娘さんのYさん、その他ゴミに悩まされてる班長さんなどがいた。まだコーヒーは出てきてないようだ。副会長や会計さんは来ていない。そんなもんだ。

で、町会長が挨拶をすると、重鎮のA井さんが話し出した。大まかに言えば、やはり町内会費を差別化して、役員になれないご老人や心身の不自由な方から一般より高い金額を取るのも、やりたくない人からさらに、役員をやらない代わりに割高な町内会費を取るのも白紙にしたという。そりゃそうだ。弱い立場の人から例え月50円とは言え、割高な会費を取ったりするのは道義に反する。やはりそういう声が多かったそうだ。また、役員をやらなくていいから割高な会費を徴収するっていうんなら、みんな金だけ払って後は知らん顔になるに決まっている。

地域の民主主義の原則としては、負担を平等に分かち合うべきだし、不平等というのは最も弱い立場の人を救済するためにこそ許されると公正としての正義という概念を追求した大著『正義論🔗』の中でもジョン・ロールズ🔗も言っている。ロールズが言ったからどうだという話ではないけれど、老人や社会的な弱者に、より大きな負担を求めるのは公平ではない。

そして、町内会に未加入の人がゴミボックスを使用することで、町内会費の2倍近い使用料を徴収するのも取りやめにしたという。結構なことだ。町内会長は実際に朝の四時から3時間くらいゴミ捨てを監視していたという。ご苦労極まるが、労多くして得るものなしだ。むしろ、そんなことをしても地域の分断を招くだけだ。町会長は裁判になっても勝つことはできるだろうが、そんなことになっては大変なので、取りやめたという。裁判費用を町内会費から出したりしたらそれこそバカバカしい限りだ。

それに何より、町内会に入っていない人がゴミボックスにごみを入れずに放置し、それでカラスが宴会を開いてたら、何の意味もないぜ。どうせ、生ごみや使い古したコンドームをかたずけるのは町内会の班長さんとかなんだ。それこそ本末転倒だ。

まぁ、班長さんたちの話によると、ゴミボックスの設置を機に町内会に再入会した人もいるという。それはそれでいいことだ。何も問題がないときには、町内会なんてなくてもいいとみんな思う。しかし、何か問題が起こったとき、地域の共同体で支えあうことができないと困ると、みんな初めて気が付くんだ。

結局町内会でもそれぞれのエリアで個別の事情がある。だから、基本的には町内会に入っていない人を排除するようなことはせず、それぞれの考えに応じて臨機応変に対応していこうということになった。そもそも、ごみの収集自体は市の公共事業だしね。

そもそもこんなことはだいたいでいいんだよ。厳格なルールを作ると、今度は人間がルールに奉仕するようになる。世の中そんなもんだ。そんなのバカバカしくないか?

まぁ、何はともあれよかった。丸く収まった。俺の思った通りだ。町会長の話では、俺が持って行った裁判の判例資料が今回の決断を後押ししてくれたようだ。無理を通せば道理が引っ込むからな。誰かを分断し排除するんではなく、包摂していく。それこそが豊かな地域社会を作り、大きなシステムの体制翼賛的な収奪から一人一人の市民を守ることになるんだと俺は考えてるんだ。

その会合を終えて、俺は家に帰ると、前の日に配った市の広報のあまりを、俺の家の裏に住んでるUさんの家に持って行った。この人は今の町内会長と意見の食い違いで町内会を脱退した人だ。けれど、大切な隣人であることには変わらない。人間と人間の間に、見えない線を引いてはいけない。レゲエの神様ボブ・マーリー🔗の歌っていた『I & I communication』だ。大切なことはロックから教わった俺さ。

ちょうどU田さん本人が、どこからか自転車で帰ってきた。俺とU 田さんは、彼の家の前で募る話で盛り上がった。息子さんが往年のスポーツカートヨタMR2🔗に彼女を乗せて出かけていく、娘さんがグラスに入れたお茶を持ってきてくれる。並びに住んでる民生委員のT島さんもやって来て話の輪に入る。U田さんの隣の家の4歳くらいの息子さんが、はっとりさんだぁ!と言って百回くらいハイタッチをしてくる。すっかり老け込んでしまった息子の同級生のお祖母さんも現れてきて、T島さんと嬉しそうに話している。何があるというわけでもないけれど、みんな楽しそうだ。俺はそんな近所の人達の姿を見ることができて深い満足を覚える。

ストリートから、地域社会を繕っていこう。家に引きこもってネットばかり見ていたって、みんな孤立した最小単位に分断され、巨大な体制翼賛的なシステムや分断をあおるデマゴーグにからめとられてしまう。誰かをのけ者にしたり、弱い立場の人を叩いたり、自分たちとは異質だと決めつけて排除したりしようとしていてはいけない。

通りに出て、にこやかにあいさつし、相手の目を見て対等な人間として話し合おう。まずはそこからだ。君もどうだい?