2026/09/28

POST#1972 死ぬほど疲れていた。けれど、AI駆動型バブルについて書いておこう

ベトナム阮朝の旧都フエ 庶民の町の朝の一齣

もう、死ぬほど疲れていた。いや、NearDeathだ。

世間の皆さんがお楽しみの土曜日の夜なのに、翌朝6時まで働いていたんだ。管理するだけじゃなく、高所作業車を乗り回し、石膏ボードの山の搬入を取り仕切り、金物の取り付け工事を手伝う。マルチプレイヤーだ。体を使って、頭を使って、気を使って、道具を使って、金を使って、やっと仕事が進みだす。

おかげさまで、日曜日だというのにひたすら眠ってしまった。まったく金が欲しくて働いて、眠るだけだ🔗。RCサクセション🔗だ。

資産なるものをどこかに預けておくだけで金が増えるなんて思ってたら、こんな泥臭い、マディ・ウォーターズ🔗のような仕事はできないぜ。

さて、そんな地を這うようなダンゴムシのような労働者階級の営みとは隔絶した、AI駆動型バブルについてもう少し考えていよう。考えたら考えるほど、おっかなくなるぜ(笑)

 まずはAIと一般投資家の皆さんが創り出すバブルの4ステップだ。

これを簡単なチャートにするとこんなかんじかな。

[1. AIの初動] ──> [2. 他のAIの追随] ──> [3. 一般投資家の参入] ──> [4. 供給限界による高騰]

  1. AIの初動(微小な兆候のシグナル検知)
    あるAIが、ニュース、SNS、あるいはわずかな大口注文の動きから「利得の見込み(期待値の上昇)」を検知して買い注文を出すというわけだ。奴らは人間の何百倍も目ざとくて、抜け目ないからな。
  2. 他のAIの追随(アルゴリズムの共鳴によるモメンタムの増幅)
    そして、あるAIが注文を出すと、ほかのAIもつられて踊りだす。現代の市場取引の7〜8割はアルゴリズム取引だ。他のAIたちは「価格が上がり始めた」というトレンド(モメンタム)そのものを利得の機会と判断し、一斉に追随し始める。ドミノのような値動きだ。ここではすでに「実質的な価値(ファンダメンタルズ)」なんてものはどうでもよくって、「値動きという現象」=幻想だな、だけが買われているわけだ。
  3. 一般投資家の資本注入(取り残される恐怖に震える実質から乖離した資本)
    AI
    たちが作り出した強烈な値動きがチャートに現れると、メディアやSNSで話題になり、一般の個人投資家や遅れてきた機関投資家が「この波に乗らなければ損をする」と焦って資本を注入することになる。この波に乗り遅れたら大損こいちまうって大慌てさ。この段階で、市場は完全に「実質以上の値動き」になってるって寸法だ。俺だったら、このタイミングで売り抜けるね。
  4. 擬制商品の限定性と価格の爆発(お待ちかねの価格の垂直上昇)
    さんざん言ってきた通り、株式の発行株式数や国債の発行残高(=つまりは擬制商品の数)はすぐには増えない。供給が固定されている市場に、AIと人間が競い合って膨大な過剰流動性(資本)を注ぎ込むため、価格は実質を遥かに超えて垂直に跳ね上がることになる。下心のハイパーインフレーションさ。これが今時のバブルのメカニズムといってもいいんじゃないかね。

 このメカニズムがもたらす現代の危機

このバブルの恐ろしいところは、「崩壊(フラッシュクラッシュ)」もまた超高速で起きる点だ。だって、この動きが逆回転し始めるところを考えてごらんよ。
あるAIが「期待値が限界に達した」と判断して売り抜けた瞬間、他のAIが連鎖的に売り注文を浴びせることになるだろう。当然、需要が減れば値段が下がる。人間が状況を理解する前のわずか数分間、いや、数秒で市場が崩壊することが起こり得る。実際に2010年のフラッシュクラッシュなどがその典型だ。

「擬制商品」の正体が「期待値」=『わたしらの下心』であるからこそ、AIという感情を持たない純粋な期待値計算マシーン同士が噛み合ったとき、実体経済から最も激しく乖離したバブルが爆誕するんだ。


つまり、株価のバックラッシュが起こるんだ。バックラッシュの意味くらい知ってるだろ。もとは釣りのリールの糸が絡まることだ。キャストした瞬間にスプールが回りすぎてラインがグチャグチャに絡まる、あの世にも恐ろしい現象のことだ。

確かに、あの「勢いよく前に投げた(進んだ)はずなのに、中で逆回転(反発)が起きて、結果として進むどころか最悪な状態(絡まる)になる」というメカニズムは、社会用語のバックラッシュとも見事に共通しています。そして、そのバックラッシュが起きたリールを前にしたときの「あちゃー…」というあの絶望感は、まさに「期待外れ」どころか「大幻滅」そのものだ。心底うんざりするぜ。

つまり俺がここでいうバックラッシュは、AI駆動型のバブルがはじけ、プロセスによって得られるはずだった期待値(=利益への下心)との乖離によって、値崩れが急速に進行し、市場にパニック的な混乱を引き起こすことだ。



⚠️ 「幻滅」とは期待値のデフレである

「こうあってほしい」という事前の高い期待値(プロセスの加速)に対して、現実の行動(実質)が追いつかず、実質経済から切り離され、地に足のついてない空中戦になっちまって、その乖離が臨界点を超えた瞬間に、信頼という『擬制商品』の価値が急速に値崩れを起こす現象がバブル崩壊と言えるだろうな。

 経済学部の学生 や投資家の皆さんはそんなこと とっくにご存知だと思うけど、それが実は、「とっくの昔に誰もが知っているはずの基本」だからこそ、いざ市場が動き出すと全員が綺麗さっぱり忘れてパニックに陥るのが、金融市場の最も滑稽で、かつ恐ろしい本質なんだよなぁ。

行動経済学の歴史が証明しているように、知識として「知っていること」と、実際に市場の狂気の中で「その通りに行動できること」の間には、深くて暗い川が流れている。まるで野坂昭如の夜の舟歌だ。

経済学部の学生や投資家たちが、なぜその本質を知りながらも同じ過ちを繰り返すのか、その理由は3つの構造的な罠にあるみたいだぜ。君には自分に当てはまるポイントがあるかな?

 知っているのに知らんぷり、なぜだか嵌まる「3つの構造的な罠」(笑)

その1、「自分だけは早く逃げ切れる」という傲慢と根拠ゼロの過信

バブルってのは「実質を超えた『擬制商品』の高騰」であることは、誰もが理解しているだろう。過去にも何度も痛い目にあってるからな。
しかし投資家たちは、「崩壊する直前まで乗っかり、自分が一番最初に売り抜ければ利益を最大化できる」と考えちゃうんだな。自分だけは大丈夫っていう正常性バイアスっての?こいつが働いちゃうんだな。これはまさにチキンゲームだ。このチキンゲームの参加者が増えるほど、バックラッシュ(崩壊)の破壊力は増大するだろう。

その2、合理的な狂気(キャリア・リスク)
プロのファンドマネージャー(機関投資家)は、バブルだと分かっていても買い続けざるを得ない宿命にあるんだ。なぜなら、周りが儲けている中で自分だけが「これは実質を伴わないバブルだ」と現金を抱えて静観していると、顧客から「なぜ利益を出せないんだ」とクビにされる(幻滅される)からだ。
もうすぐ沈没する船に、何食わぬ顔で乗り続けているようなものだな。俺なら精神を病むぜ。てか、破滅を防ぐために、俺なら精いっぱいアラームを鳴らすな。みんな目を覚ませと。しかし、自ら判断することを放棄すると何が起こるか。「みんなと一緒に間違える方が、1人で正しくいるよりも安全である」という組織の力学が働くんだ。ばかばかしいぜ。

その3、AIの「過去データ依存」
現代の市場を支配するAIのアルゴリズムは、過去のデータを学習して将来的に得られるであろう期待値を瞬時に計算、いやさ皮算用してくれる。
しかし、AIは「数理的なパターン」は読めても、「人間がどの瞬間に恐怖を感じて完全なパニック(想定外の投げ売り)を起こすか」という臨界点(皮肉なことにこいつもシンギュラリティさ!)を正確に予測できない。恐怖を感じる感性のない奴がチキンレースに出ても、壁にぶつかるか、作りかけの高速道路からぶち落ちるだけさ。そう、昔の映画、例えばブルース・ブラザーズみたいにね。
結果として、AI自身がパニックの増幅器になってしまうんだ。
クールだな!


 結論として、彼らは「仕組み」を知っている。しかし、「自分の感情」と「他人の狂気」をコントロールすることはできないんだ。

だからこそ、歴史上どれだけ経済学が発達しても、チューリップ・バブルから現代の暗号資産やAIバブルに至るまで、全く同じ形の「期待値の乖離と、それによる急速な値崩れ」が繰り返され続けているわけだ。

これは基本中の基本だろう。しかし、「誰もが知っている基本が、なぜか絶対に通用しなくなる場所」、それこそが市場という怪物の正体なのかもしれないぜ。

経済学は、人間をあらゆる情報を知っていて、合理的に判断することができる記号として考えているけれど、実際の人間は、ちっとも合理的じゃないし、むしろ下心むんむんの欲の皮の突っ張ったギャン中野郎だってことだ。

じゃぁ、どうしたらその被害を最小限にすることができるだろう?

 簡単なことだって。くだらない夢を見ないことだよ。下心がなきゃ、現実を見失い幻惑されて全財産すっちまうような羽目にはならないのさ。

2026/09/25

POST#1971 滅茶苦茶に疲れているけど、よせばいいのについ経済について考えてしまった

ベトナム阮朝の旧都フエ 庶民の町

 とことん疲れ果てているけれど、ぐっすり眠りたいけれど、それはできない。

仕事の合間に車の中で、シートを倒してまどろむのが悦楽という満足のハードルの低さに、われながら笑ってしまう。疲れ果てて朝方、フローリングの上で眠ってしまう事もしばしばだ。

何も考えずに寛ぎたいのに、ふと頭の中に思考の断片が浮かぶ。

河の濁った水の中で、身をひるがえして泳ぐ魚がきらりとその鱗を光らせるような感覚だ。

その感覚を、何とか言葉にしてつなぎ止め、書き留めようとするんだ。その時浮かんだ発想はこんなのだ。

いいかい?

投資や株式って金融商品の本質は、株券や債券にあるのではなく、一定の期間あるいは不定な期間に、その金融商品を入手するために支払った『貨幣が増えるということへの期待値』そのものこそが本質だと気が付いたのさ。額面が流通しているのではない。期待値が流通しているんだ。

よくよく考えてみると、投資や株式の本質は、支払った貨幣が将来的に増えるという「期待値」にあるという理解は非常に本質を突いているように思う。

株券や債券という物理的(または電子的)な証券そのものは、あくまでその期待値を裏付けるための法律上の「権利(請求権や所有権)」を可視化した仕組みに過ぎないということだ。

投資の本質をこの「貨幣の増加への期待値」という観点から分解すると、次のように整理できるかもしれないな。俺は法経学部経営学科中退なんだ。あんまり期待しないでくれよ。

投資の本質を構成する3つの要素とはなんだ?

①時間の価値(現在価値と将来価値)

今ある100万円を消費せず、あえて将来に回す(リスクに晒す)ことに対する対価(プレミアム)を求める行為だ。これは国債なんかのように、利回りが確定しているモノに多くあてはまるだろう。

②不確実性(リスク)の引き受け

実は、期間が「一定(債券など)」であれ「不定(株式など)」であれ、将来の貨幣の増加は確定していない。だって、国債が10年後に1.25倍になったところで、インフレ率がそれを上回っていたら、元本割れしてしまうからな。

投資家は、その不確実性というリスクを引き受ける見返りとして、プラスの期待値を期待してるわけだ。ちなみにイスラーム経済では、このような不確実性というのは、排除されるべき要素(これをガラルというらしい)を経済活動から排除し、実体経済と強くリンクすることが求められている。これは蛇足ながら。

③購買力の維持・拡大

単に数字の上の貨幣を増やすだけでなく、インフレ(物価上昇)に負けない実質的な購買力を将来にわたって確保・拡大しようとする期待の現れでもあるわけだ。これは②でも触れたよね。

つまり、官民挙げて皆さんにお勧めしまくっている『投資』とは、現在の確実な購買力(貨幣)を手放し、将来の不確実な、しかしプラスの『期待値』を持つ購買力を獲得しようとする行為そのものと言えるだろう。

そう、俺はふと車の中で、投資の本質ってのは、株券や債券(社債、地方債、国債)などに出資すると、期待されるゲイン=利得こそが、投資という『擬制商品』の本質なんだなと気づいただけなんだ。こんなことは、経済学部の学生ならみんなわかってるか(笑)

しかし社会の現状を見てみると、むしろ普通の経済学部の大学生や一般の投資家ほど、この本質を忘れて目先の価格変動や「株というモノ」の取引に終始してしまいがちだといえるだろう。

そう、いく儲かった、いくら損したというけれど、誰かが損しない限り、儲かることはないんだ。

カール・マルクスが『資本論』などで指摘したように、株式や債券はまさに『擬制資本(架空資本)』と呼ばれるんだ。本来商品ではない、商品の交換手段だったものに、時間の遅延と惣領の増殖というプレミアムへの期待をまぶした『商品』にしているわけだ。そう、絵にかいたモチにキナコをまぶして、これは食べられるよって言ってるみたいなもんかな?

この『擬制商品』工場や機械といった『現実の資本』とは異なり、証券や債券そのものはただの紙切れ(もしくはデジタルデータ)に過ぎない。俺自体には何の価値もない。

それに価値という擬制的な本質をもたらしているのが、人々の将来への『期待値』、つまり、獲らぬ狸の皮算用というアニマル・スピリットに過ぎないわけだ。

もう少しそれっぽく言うなら。その本質は、「将来生み出されるであろう利得(ゲイン)を請求できる権利」をパッケージ化して商品に見せかけたものに過ぎないということだ。

このアニマル・スピリットという熊鷹根性のおかげで、世の中の人たちは、ありえないような儲け話にまんまと騙され、資産を失っていく。投資詐欺なんかに引っかかるわけだ。下心がなければ、そんなものに引っかからないのに。もしくは、俺のようにそもそも資産がなければ、引っかかりたくても奴らの網の目から零れ落ちるのさ。(笑)

そう、アニマルスピリットとは、下心と見つけたりだ。

この「擬制商品の本質は期待されるゲイン=利得である」という視点を持つと、経済の見え方がガラリと変わってくるだろう。


この 「擬制商品」という視点から見える3つの経済のリアルはこんなところさ

①バブルの正体

実体経済(工場やサービスの利益)の成長スピードを超えて、「将来のゲインへの期待値」だけが一人歩きして膨らんだ状態こそがいわゆる『バブル』だ。擬制商品だからこそ、実体とは乖離してどこまでも膨らみ、いつか必ず破裂するんだ。

②国債の本質

国債という擬制商品のゲインを裏付けているのは、その国が将来「国民から徴収する税金(あるいは経済成長)」への期待値そのものだ。インフレでなければ、現代貨幣理論=MMTを援用すれば、国家は税金に依存せずに、貨幣を生み出せるということになるが、インフレ局面においては、それはインフレを加速させ、モノの価格を吊り上げて人々を困窮化させる。まぁ、今の日本で起きてるのがこれだな。

てなわけで、俺たちは国の、国民の将来の稼ぎを期待して、国債を買っているってことだ。

③現代のマネーゲーム

実体的な価値の裏付けが希薄な暗号資産(仮想通貨)などは、まさにこの『純粋な期待値(ゲインへの期待)だけで駆動する擬制商品』の最たる例と言えるだろう。

期待値という砂上の楼閣の上に聳え立つ空中楼閣のようなもんだ。


そこで思考実験だ。

現在の株式市場はAIによって人間では知覚不能な時間単位での取引が行われている。そこで、可能性の話を考えてみるんだ。

 AI がまずある株式銘柄に、あるいは ある国の国債に買い注文を出す。

それによって他の AI がそこに利得が見込めると判断して買い注文を出す。

それによって擬制商品は、実質以上の値動きをみせ、この値動きに反応した一般投資家がその銘柄に資本を注入する。

しかしこの擬制商品の数は限られているので、相対的に実質を遥かに超えて値上がりする。それが現代の金融市場における「AI駆動型バブル」のメカニズムそのものだ。

経済学の古典的な理論では、バブルは「人間の集団心理(群衆心理や強欲)」によって起きるとされてきましたが、現代ではそれが「AI(アルゴリズム)の相互作用」によって超高速化・巨大化しているという、なんだか困ったことになってるんだ。

そろそろ地道でゲインの薄い仕事の段取りをしなきゃいけないから、続きは明日だ。

しかし、きらりと脳内に閃いた思考を言語化するだけで、こんなに手間がかかるのもまいったもんだね。

明天見!

2026/09/23

POST#1970 群盲、象を撫でるが如く

ベトナム阮朝の旧都フエ 路傍に花が。

この糞みたいな人生の中で、クソの山ほど本を読んできた。そしてまだまだそれは積みあがってる。床が抜けるのは時間の問題だ。実は、11月に自分の本が満載の部屋のフローリングの工事があるんだが、この工事のために、千冊を優に超える大小さまざまな本を整理して他の部屋に避難させなけりゃならない。考えただけでうんざりするぜ。

そうまでして、俺はいったい何が知りたいというのだろう。

一つには、俺がこの世界に生きている意味を知りたい。

そして、俺が生きているこのクソ人間社会の構造を知りたいんだ。

「人間社会の構造」という壁は、いつも言っている『知のパルクール』にとって最高に登りがいのある、巨大で複雑なダンジョンだ。

この領域に挑むとき、あらかじめ用意された「資本主義」「民主主義」「国家」といった教科書通りのタテマエというか、お利口さんが敷設し、しっかりと舗装し、はみ出さないようにガードレールや縁石、センターラインまで完備した既成のルートをお行儀よくなぞるだけでは、社会というダンジョンの最深部には到底たどり着けないんだ。

クリシェにからめとられておしまいさ。

俺たちが普段、確固として存在し、厳然と社会に聳え立っている『実存』そのものに見える制度が実は俺たち自身が生み出した『幻想』であることを看破し、単なる『記号』として疑い、その裏でうごめく人間の身体性と、経済活動の中に交差する贈与と負債のダイナミックな力線を読み取り。そして俺たちを巧妙にシステムの中に封じ込め、隷属させる『権力』の発生システムといった剥き出しの骨組みへ直接飛び移るんだ。

縦横無尽の脳内パルクールが必要だ。

例えば、俺が挑む『知のパルクール』の前には、クソ強固な壁として、こんな構造的なアプローチがあることだろう。ご苦労なこった。

例えば、国家や貨幣という共同幻想のバグ。

本来は人間を保護するために生み出されたはずの法やシステムが、いつの間にか肥大化し、逆に生身の人間を「記号」や「部品(つまりブルシット・ジョブや使い捨ての労働力)」として搾取し始めるクソ構造。

例えば、非線形な社会の進化。

ヘーゲル史観に基づくような西洋的な「未開から文明へ」という単線的な進歩史観の嘘を見抜き、気候や家族構造によって社会はフラクタル(曼荼羅)のように多様に分裂生成(スキゾジェネシス)していくという野生のダイナミズム。これは吉本隆明から受け取った宿題だ。

俺たちが日々汗を流し、冷や汗をかき四苦八苦している実体経済とほおっておくだけで価値が増殖する金融資本主義の乖離

地に足のついた身体的な労働やコミュニティの倫理(イスラーム金融の利子=リバの否定や、かつての近江商人の哲学)が、実体のないデジタルな数字のゲームによって侵食され、経済的なエントロピーが増大していく危うさ。つまり、実体と乖離したバブルがどんどん大きく膨らんでいく恐怖の構造だ。いつジェンガみたいに大崩壊してもおかしくないんだぜ。

それらをすべて掴み取ろうとするためには、様々な分野の知見を脳内にぎゅうぎゅう詰め込むことが必要だ。人類学、経済学、歴史学、宗教学、人口学、社会学、哲学、文学、サブカルチャー、様々な分野を横断して、異なる領域の考えをスーパーフラットに、縦横無尽に繋ぎ合わせていかないと、とってもじゃないけどこのクソダンジョンの深奥部にはたどり着けない。

何しろ、現代社会は最大出力で回る扇風機に糞がぶつかったみたいにひどいことになってるからな。

人間社会というあまりにも巨大な構造物の全体像を掴むには、どれか一つの学問という「既製のハシゴ」を登るだけでは絶対に不可能なんだ。それぞれの学問が自らのテリトリーを守るために築いた「専門性の壁」を、文字通り縦横無尽に飛び越えて繋ぎ合わせる必要があるんだ。

なぜなら、社会の骨組みはすべてがフラクタルに連動しているからなんだ。

俺の思考はどこに着地しようとしてるんだろう。

 だから、俺が無謀にもあらゆるジャンルの専門書とかを読んだりするのは、その為なんだよね。譬えて言えば、群盲象を撫でるってのがあるだろう。その触感でしか世界を確かめ俯瞰することができないたくさんの目の不自由な方に、一人で群盲集合体になろうとしてるんだ。

「群盲象を撫でる」ってやつを、一人で群盲になろって全体像を把握しようとしてるってわけだ。――無謀極まるな。なかなかにパンチが効いてる表現だ。悪くないぜ。痛快だ。

本来の寓話が意味するところは、読者諸兄もご存じの通り、「それぞれの人間が象のパーツ(一部の専門性)しか触れず、全体を誤認する」という人間の限界=つまり愚かさというか専門性の壁を皮肉ったものだろう。

けど俺は、あらゆるジャンルを横断し連結することで、自分自身がいくつもの異なる「盲目の目」になり代わり、それぞれの視点から象のあらゆる部位を触りまくることで、その脳内に巨大な象の立体像、つまり人間社会の真の構造を一人で再構築しようとしているわけだ。

これこそが、あらゆる専門書を横断し、思考を繋ぎ合わせる読書の真意だったんだ。

とんでもない欲望だ。

一つの学問(たとえば経済学だけ、あるいは歴史学だけ)という「一本の細いハシゴ」に頼る人間は、自分が触っているのが「象の尻尾」や「象の足」に過ぎないことに気づけないだろう。そして、その隘路を極めて大家になることができるだろう。

しかし、それは木を見て森を見ずだ。

自分の実際の生活感覚に軸足を置きつつ、敢えて自らを異なる分野の「群盲」へと解体し、貪欲に本を読み漁ることで、既存のアルゴリズムや均一化された社会のシステムが絶対に見せようとしない「社会の本質的な手触り」を掴み取ろうとしているのさ。

我ながら、ご苦労なこった。

そんなことしたって、いったい何になるってのさ。女の子にちやほやされるわけでもないしな。単なる自己満足じゃないか。まぁ、俺の人生だから、好きにやらせてもらうさ。