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| 石垣島 |
江戸時代初期、儒学者の
林羅山🔗は家康、秀忠、家光、家綱と四代の将軍に仕え、朱子学をもとにした社会制度を整えた。これは戦国時代の下克上も辞さぬ気風を現代の日本人に通じる穏やかなものに上書きするのに役に立ったことだろう。
この林羅山には、ある伝説がある。彼とその息子が幕府の命で記した『本朝通鑑🔗』の前身『本朝編年録』には、羅山が天皇家の始祖・神武天皇🔗をして『呉🔗の太伯🔗の末裔なり』と記し、水戸黄門でおなじみの徳川光圀🔗を激怒させ、光圀をして大日本史を編纂させるに至ったとい伝説だ。この話は、様々な碩学によって単なるこじつけの伝説と一蹴されているが、林羅山が『神武天皇論』でこの説に言及していたのは確かなようだ。この説は古くは 『魏略🔗逸文』に初めて見えるというから、魏🔗から西晋にかけてのかなり古いころから言われていたようだ。
これによれば、倭人=日本人は自分たちの祖先は呉の国を開いた太伯の後裔であり、その姓は周王室と同じく『姫🔗姓』だというように自称していたというのだ。ちなみに、この書には邪馬台国の記述も多い。呉は、現在の蘇州あたりに位置していたから、日本に一衣帯水だったわけだ。
林羅山としては、当時の東アジアで最高の権威を持ったいた大国である中国の歴史で最も儒教的な理想の王国であった周🔗王朝と日本の皇室が縁続きだったらサイコーだ!と思ったわけだろう。もっとも太伯は、自ら断髪し(文明人は髪を結うとされてたんだ)し、自ら入れ墨をいれ周に戻ることを拒んだ。自分はもう文明人じゃないんだとね。まぁ、これは越人の箔付けなのかもしれないがね。あくまで伝説だ。
この話から中国では、長く日本は姫🔗姓であると考えられてきたそうだ。この説の真偽は、今となっては確かめる術もない。何しろ呉の国は隣接する越🔗に紀元前473年に滅ぼされたんだ。あ、呉越同舟🔗の呉と越はこの二国のことだよ。大昔の中国人は、この辺りに住んでいた東南方系の人々を百越🔗と呼んでいた。
おそらく、百以上の様々な氏族🔗に分かれていた民族集団という意味合いだろう。
当然、氏族集団が密接していると、様々な分裂生成が起きて、他所とは違う家族形式や婚姻・儀式形式を発展させて差別化するんだけれど、そのあたりのまとまりのなさも百越と呼ばれてた一因だろう。おそらく、この集団は秦🔗などの西方の文化圏からかなり離れていたので、双系的な核家族システムを採用してた、より未開な氏族連合だったんではないかと思う。
稲作をし、水に潜って漁をし、蛟龍🔗の害を避けるために顔や身体に入墨し、龍蛇神や太陽神を信仰したり、鳥を聖なる鳥とする信仰(そう、ヤタガラス🔗みたいだな)を古い時期に持っていた形跡があったりと百越と倭人とりわけ海人族🔗との類似点が歴史書に見受けられるという主張があるという。
日本人の入れ墨も、そもそもは漁師が海で死にえびすさんになったとき、ご面相は腐敗してわからなくなったときのためのIDだったんだ。この百越の人々とよく似ているね。
とはいえ、状況証拠だけじゃ、今となっては確かめる術もない。
けれど、日本人が着物を呉服🔗といったり、漢字発音に呉音🔗が広く使用されているように、日本人と呉や百越といった中国江南地方の人々っていうのは、古くからかなり密接な繋がりがあったのは間違いないだろう。
「呉服(ごふく)」や「呉音(ごおん)」という言葉が今なお日本の日常に深く息づいている事実こそ、俺や君たちが中国南方(かつての呉・越の地、つまり百越の領域)の文化構造をダイレクトに受け継いだ決定的な証拠なんじゃないか?
つまり「中原の漢民族」ではなく、「長江流域の呉越の文化システム」が日本人のアイデンティティに密接にかかわっていたのは間違いないようだね。
「日本人(倭人)のルーツの中には、かつて長江流域から海へ散っていった『百越(ひゃくえつ)』の広大なネットワークの一派(一支族)だった」という仮説もあるんだけれど、この説は現代の歴史学、民俗学、そして最新の分子人類学(DNA研究)においても非常に有力な視点として支持されているようだ。
1. 最新のDNA研究(科学)が証明する「百越の血」
2000年代以降のゲノム解析技術の進歩により、日本人の遺伝子(特に弥生時代に渡来した人々)のルーツが科学的に解明されつつある。
Y染色体とミトコンドリアDNAの共通性日本人の遺伝子プールの中で大きな割合を占める渡来系の遺伝子は、現在の中国華北(黄河流域の漢民族)よりも、華南(長江流域)からベトナム周辺にかけての古代ゲノム(まさに百越の民)にきわめて近いことが判明しているそうだ。
つまり、日本人は単に文化的な影響を受けただけでなく、物理的にも「百越の民の血を引き継いだ末裔」である可能性が非常に高いということだね。
2. 「百越=海の民(ネットワーク)」としての倭人
さっきも説明したように「百越」という言葉は、特定の単一民族を指すのではなく、長江以南の温暖な水辺や沿岸部に暮らしていた「数多くの海洋・河川民氏族の緩やかな連合体(ネットワーク)」を意味していた。
彼らは秦や漢の中央集権的な官僚制(タテの支配)に追われ、次々と船を出して海へと逃れたんだろう。あるいは、呉が越に滅ぼされたとき、その越が楚に滅ぼされたとき、ボートp-プルになって海に逃れた可能性が高いだろう。
このうち、ある者はベトナム(交趾・九真)へ、ある者は台湾や沖縄の島々へ、そしてある者は黒潮に乗って
九州や西日本(のちの倭国)へと辿り着いたと想定されるんじゃないかな。まさに、柳田國男が思い描いた海上の道だ。
『魏志倭人伝』に描かれる「刺青(文身)をして水に潜り、魚や貝を捕る」という倭人の姿は、中国の古文書が記録する「百越の民(断髪文身、水に便ず)」の描写と完全に生き写しだといえるだろう。
3. 日本にだけ残った「百越の精神的ユートピア」
中国大陸の百越の民は、西北方の圧倒的な軍事力(周の天=テングリ・秦や趙が西戎や北狄から受け継いだスキタイ由来の騎馬民族のDNA)に呑み込まれ、自らの言語や双系的核家族システムを破壊され、漢民族という「巨大な共同体家族のキメラ」の中に融解させられてしまったと推測される。もちろん、なかには客家🔗のように、辺境にポツンと残った氏族もあっただろうが。また、ミャオ族🔗などのように山岳地帯に後退する集団もあったことだろう。
しかし、その中の一派であった「倭人(日本人)」だけは、日本列島という海に守られたクリーンルームに到達したことで、百越の本来持っていた瑞々しい文化を奇跡的に保存することができたんじゃなかろうか。
まぁ、水戸黄門のように怒り狂う向きもあるかもしれないけどね。
神話学における「盤古🔗神話・大気津比売🔗(オオゲツヒメ)神話というハイヌウェレ型神話🔗(死体化生神話)の類似性」は、すべて長江流域から海を渡ってきた「百越(ひゃくえつ)」の文化的・遺伝子的潮流として一本の線で完璧に繋がるんだ。
ハイヌウェレ神話ってのは、神様の死体から、人々の食べ物や生活に欠かせない様々なものが生まれるという神話だ。その中でも中国の盤古神話はスケールが飛びぬけてでかいんだがね。なんせ日月天地が生まれる話だからね。
この南方的アノミーの系譜が、どのように日本に流れ着いて開花したのか、神話構造と歴史の動線から整理しよう。また今日も神話だよ。
盤古と「ハイヌウェレ(五穀起源)神話」という 神話構造の一致
百越文化圏の神話には盤古という巨人が登場する。この巨人の亡骸から万物が生まれるという神話構造だ。この構造は、記紀神話の大気津比売(オオゲツヒメ)や保食神利🔗(ウケモチ)、そして世界中の農耕民に広く見られる「ハイヌウェレ型神話」の典型なんだ。
それは農耕民の死生観なんだ
。一粒の種が泥の中で「死ぬ」ことによって、そこから無数の新しい芽(生命)が溢れ出るという、湿潤な熱帯・温帯農耕民のリアルな体験から生まれた精神世界なんだといえるだろう。
そしてそれは昨日の伏羲・女媧よりも古層に位置するとされてるんだ。
伏羲・女媧の
洪水型兄妹始祖神話🔗つまり「兄妹相姦による人類再創造」が、「生命のペアによる始祖繁殖」という地平に近い(アノミーから直系への移行期)のに対し、盤古やオオゲツヒメの物語は「個体の死が、集団(自然全体)の豊かな平等へと還元される」という、より原初的でフラットな混沌とした共同体の土壌から湧き上がっているといえるだろう。
アジアにおける「南方アノミー」のふたつの運命
これまで議論してきた「北・西の遊牧民(テングリの専制的な社会システム)」と「南・東の農耕民(百越の混沌)」の構図の上に、日本と中国の運命を改めて対比すると、歴史の解像度が極限まで高まっちゃいそうだな。
中国における「盤古(南方)」の運命
長江流域の百越が持っていた「ハイヌウェレ型(盤古風)のフラットなアノミー文化」は、北から降りてきた漢民族の官僚制(秦・漢)や、遊牧民(五胡・隋唐)の圧倒的なタテの支配権力(テングリ)によって完全にすり潰されてしまった。跡形もないんだ。そんなもん古い神話の記録に記述があるだけだ。
その結果、南方の「横のフラットさ(平等主義)」は、北方の「タテの支配(権威主義)」と無理やり結合させられ、個人の自由が一切ない
「中国共産主義体制の基盤(共同体家族のキメラ)」のパーツへと昇華させられてしまったわけだ。かなわないな。
日本における「オオゲツヒメ(南方)」の運命
一方で、海を渡って西日本に根づいた百越の遺伝子は、中国のような「北方の遊牧民(テングリ)」による暴力的な上書きを受けまなかったのは言うまでもないよね。
だからこそ、万葉集や源氏物語の時代まで、その流動的な「双系的婚姻形態」を純粋に保ち続けることができたってわけだ。
のちに関東武士の登場によって「直系化(家制度)」に食い破られて移行することになるんだけれど、その根底(西日本文化や民俗宗教)には、いまなお「お天道様(自然そのもの)」を愛し、神仏が混ざり合う、
盤古的な混沌を許容する豊かさが残り続けたわけだ。
日本人がいまも日常的に使う「呉服」「呉音」という言葉の向こう側には、かつて中原の全体主義的なモンスター(キメラ国家)に呑み込まれて消えていった、長江流域の百越たちの「もう一つの瑞々しいアジアのアノミー文化」が、奇跡のタイムカプセルのようにそのまま生き続けていると言えます。
その前に日本にいた縄文人🔗が一体どのような家族形態だったのかはいまいちよくわからないんだが、まずは双系的な核家族を中心としたクラン=氏族集団のようなものだったのではないかと推測できるだろう。
「百越の遺伝子」が流れ込む前にあった、日本列島の最古層である「縄文人の家族構造」について、遺跡のデータから分かっている具体的な証拠を整理すると、ビンゴ!どうにも正解のようだな。
1. 縄文人の基本ユニット
「核家族」の存在
縄文時代の竪穴住居跡の大きさを分析すると、そのほとんどが「大人2〜3人、子供数人」が暮らすのにちょうどいい広さ(直径4〜5メートル程度)だ。
中国の「共同体家族」のように、何世代もの大家族や既婚の兄弟が何十人も一堂に会して暮らしていた痕跡はない。ていうか無理だろう。
俺も竪穴式住居を復元した家に入ってみたことがあるけれど、それは狭いもんだ。親戚一同暮らすなんて、とても無理だぜ。
つまり、縄文社会の日常的な生活・経済の基本ユニットは、極めてシンプルな「核家族」であったと考えていいんじゃないかな。
2. 広域なネットワークを支える「アノミーなクラン(氏族)」
しかし、数人規模の核家族だけでは、近親交配を避けることができず、集団として生き残れない。平行いとこ婚、交叉いとこ婚、同父異母婚をフル活用しても、分母が小さければどうしようもないだろう。そこで重要になるのが、複数の核家族が緩やかに結びついた「クラン(氏族共同体)」の存在だ。
婚姻による「ヨコの繋がり」
縄文人は、
ヒスイ🔗や
黒曜石🔗といった貴重な資源を数千キロにわたって交易する驚異的な広域ネットワークを持っていたのはみなさんご存じの通り。
このネットワークを維持できたのは、異なるクランの間で頻繁に婚姻が行われ、血縁の網の目が日本列島全体に広がっていたからだと推測できるだろう。この女性を通じた結びつきが、大きな戦乱を産むことなく、社会を緩く結合させていたんだと考えられるんじゃなかろう。
高い流動性の証拠
縄文時代の墓地を分析すると、男女の埋葬方法に極端な格差がなく、どちらか一方の血統、つまり父系のみ、母系のみを絶対視して固定化したような形跡が見られないそうだ。
その時々の集落の維持や交易の都合に応じて、夫が妻のクランに行ったり、妻が夫のクランに行ったりする、極めて流動的で自由度の高い婚姻(双系的な原初形態)が行われていたと推測されていいるんだそうだ。
俺は、双系的な核家族形態の中でも、割と母系のウェイトが大きかったんじゃないかと推測してる。その後の日本社会の、通い婚や子供が母方で養育されるシステムからもわかるけれど、何より彼らが残した土偶から読み取れるんじゃないかな。
縄文人が「双系性(あるいは流動的な)の家族をベースにした氏族(クラン)社会」であり、かつ「女性(母系)の象徴性が非常に強かった」という俺の見立ては、考古学の最新の研究成果とも完全に合致しているようだ。
「土偶の圧倒的多数が女性をモデルにしている」という事実は、縄文人の精神世界において女性の「生命を生み出す力」が決定的な中心にあったことを示す、これ以上ない物理的証拠だといえるだろう。俺の家も、カミさんが中心だ。
1. 土偶が語る「母なる大地の信仰」
縄文時代を通じて数万点以上出土している土偶のほとんどは、発達した胸や大きなお腹、強調された臀部など、「妊娠した女性」の身体的特徴を持っているのは周知の事実だ。
これは、新しい生命を宿し、出産する女性の神秘的な力を、そのまま植物の芽吹きや狩猟の獲物の繁栄(=社会全体の生存)に重ね合わせる「地母神(母なる大地)信仰」の表れだとも解釈できるだろう。これをトッドの家族論に引き付ければ、今日の日本の家族のスタンダードだと考えられている父系の直系家族が「父の血筋」を絶対視するのに対し、原初のアノミー・双系社会では、誰から生まれたかが最も確実であるため、『母』という生命のハブ(中心)を中心に社会の心理的紐帯が形成されやすいという特徴があったんだと考えられるだろう。そう、昨日のブログにも書いた中上健次🔗の小説に出てくる秋幸の母のような感じさ。
2. 「抜歯🔗(ばっし)」の痕跡が示す、女性が繋ぐネットワーク
しかも縄文人の骨を分析すると、成人儀礼(元服のようなもの)として健康な歯を抜く「抜歯」の風習があったことが広く知られている。近年の骨のストロンチウム同位体比(育った土地の成分)の分析から、非常に興味深い事実が分かってきたようなんだ。
多くの集落遺跡において、
「男性は生まれた集落に留まり、女性が外部の集落から嫁いできていた(父系居住)」、あるいはその逆の「母系居住」が、固定化されずに地域や時期によって非常に流動的に行われていた痕跡があるんだ。どっちやねん。どっちもありや。
特に注目すべきは、外部からやってきた女性(つまりお嫁さん)が、実家のクランと嫁ぎ先のクランを繋ぐ「外交官」の役割を果たしていたということだ。女性たちがクラン間の横のネットワークを維持していたからこそ、縄文社会は平和的な広域交易を維持できという見立てだ。あるいは、小規模な小競り合いによって、強力な権力が生じることを防いでいた可能性もある。女性の交換に失敗したら、戦争という違う形の交換形態が発動するのがプリミティブな氏族社会というものだ。
レヴィ=ストロース🔗が言うように、『戦争とは失敗した交換』なんだ。これは
ピエール・クラストル🔗が、『
国家に抗する社会🔗』で参与観察していた
ヤノマミ族などにも共通することだ。
3. 「縄文のアノミー」と「百越のアノミー」の奇跡的な合流
こうして見ると、日本の歴史には「アノミーの二重構造」があったことになるだろう。
そのベース(土台)には日本列島に元々いた縄文人たちが、1万年以上かけて育んだ「核家族を中心とする、フラットで流動的な双系的な氏族社会があった。
そこに上書きされた百越の一派の構造。
この縄文人の双系的核家族氏族集団の中に、大陸の中央集権システムから逃れて海を渡ってきた、同じく「フラットで流動的な双系的な海洋民」である百越の一派=大陸系の弥生人が合流した構図だ。
北方の遊牧民(テングリ)のようなスキタイ由来の「圧倒的なタテの暴力と権威主義」を持たない二つの集団が出会ったからこそ、日本列島では激しい民族虐殺や社会構造の完全な破壊が、奇跡的に起きなかった。
むしろ、縄文と百越の「フラットでアノミーな遺伝子」同士が、お互いに違和感なく、パズルのピースのようになだらかに融合(ハイブリッド化)したと考えていいだろう。
だからこそ、その数百年後に完成する『万葉集』の時代になっても、特定の家に縛られない自由な『通い婚』や大らかな『歌垣』の気風が、日本社会の幸福な古層としてごく自然に息づいていたのだと言えるだろう。
疲れたぜ。明日はこの日本に直系家族、そう自民党の皆さんの大好きな男系男子の直系家族のルーツにいこう!Follow Me!