2026/02/10

POST#1766 人生に謎はつきもんだろう

蝙蝠
あんまり仕事が暇なので、何百本もあるモノクロフィルムをすべてスキャンする計画を立てている。ちなみに今時の若者は、フィルムを使って写真を撮り、ラボでデータ化してもらったらネガはいらないと処分を依頼することもあるそうだ。
しかし、こちとら昭和生まれ。何百本ものネガがうなりをあげている。納戸の棚の中からどす黒いオーラを出し続けて俺の精神を蝕んでいる。何万カットあるのかわからない。
メインで使っていた京セラ・コンタックスT3だけでなく、京セラ・コンタックスG2のネガも埋もれている。G2に至っては、プリントさえされていない。モノクロ時代の前に撮っていたリバーサルフィルムもある。いったい何万カットあることやら。
遠大だ。遠大な計画だ。というか、計画なんかない、行き当たりばったりだ。

そもそも、そんなことをする必要があるのかわからない映像的くずばかりかもしれん。
とはいえ、その映像的くずを飽きもせず何万カットも拾い集めてきたのは、ほかならぬ自分自身だということに、なんというか、流砂のように流れ去ってしまった自分の人生が、決して幻ではなかった証拠のように思える。
俺は、其処に確かにいて、シャッターを切ったのだ。AIじゃないぜ。
この作業を始めてから、読書がなかなか進まない。しかし、こんな時でないとやる気にならないからな。一日で400カットくらいスキャンするので精いっぱいだ。
道は遠い。

さて、物理的に遠い道を、2025年五月の終わりに俺はひた走った。
子供のころの友人、ケニーに35年ぶりに会いに行くために。仕事も休んださ。
仕事なんかよりこっちが大事だ。
一旦単身赴任している京都から地元に帰って、その前の週末に納車されたばかりの車に乗り込み、慣らし運転代わりに片道600キロの道をひた走ったのさ。
途中、京都で借りているマンスリーによって仮眠し、夜明けとともに走り出す。
明石海峡大橋を渡るのは何年ぶりだろう。この辺りでケツが痛くなってくる。

明石海峡大橋 運転しながらの撮影は危険だぜ
ケニーはブラジルからニューヨークに移った後、美術関係の学位をとるために学校に行っていたらしいんだが、当地に暮らす日本人の子供たちにサッカーを教えるというかサッカーチームのコーチをすることになったそうだ。芸は身を助けるだな。
そこから、彼はコーチングの面白さに目覚め、ライセンスを取り23年間ニューヨークでサッカーのコーチをしてきたらしい。全米サッカーコーチ協会の最優秀コーチ賞をとったこともあるらしい。
で、この15年ほどはキルギスタン、ガーナ、ナイジェリア、京都、スリランカなんかを渡り歩きサッカーチームのコーチをして暮らしてきたそうだ。
俺は10年ほど前、彼が京都でコートをしていた時に朝日新聞に取り上げられた記事を今でも大切に持っている。
35年もたって、もう一度逢えるなんて思ってもみなかったぜ。俺は四国の山の中、中央構造線に沿って走る高速道路をひた走り、愛媛の果ての宇和島まで向かった。

しかし、どうしてこんなところにケニーはいるんだ?
こんなところにサッカーチームなんてあるのか?
俺はホテルにチェックインして、彼にメッセージを入れ、返事が返ってくるまで初めての町をぶらつくことにした。
宇和島 ホテルの窓から

宇和島市 須賀川
人生に謎はつきものだ。そして、謎が多いほど面白く、何かしら意味があるように錯覚することができるものさ。まぁ、何かしら自分の人生に隠された意味があるように思えたほうが面白いんじゃないのか?しかし、ぜんぜん人の歩いていない町だな。俺の町も大したことは言えないが、地方はどこに行ってもこんなもんか。日本の行く末が心配になってくるぜ。
諸君、今日はここまでで失礼する。晩御飯の買い物に行くのさ。

2026/02/09

POST#1755 どんな時代だかヘイヘイヘイ

名古屋かな
自民党、歴史的な大勝か。

憲法も変えられてしまうだろう。集団的自衛権や交戦権が大っぴらに認められることになるんだろう。スパイ防止法で、なにかと息苦しい世の中になるかもしれない。物価高や格差の是正が行われるかは未知数だ。きっとそれはないだろう。

自己責任の声は日々大きくなるが、責任を取らない責任者だらけだ。裏金や統一教会のことはみんなすっかり忘れてしまったんだろう。維新の国保逃れとかも。

まぁ、そんなこともある。アメリカのもとの平和の時代つまりパックス・アメリカーナも終わりつつある。時代の変換期が来てるんだろう。

やれやれ、人生で2度も世界史的な転換期に遭遇するとはね。ついてるな。一度目は天安門事件からソ連崩壊に至る時期だったな。あの頃は若かった。

そこから30年余り、新自由主義の下で地を這うように生きてきた。地を這うように生きてはきたが、自由、平等、友愛というリベラルの旗印を降ろしたことはないつもりだけどね。

どんな時代がきたって、長いものに巻かれ、勝ち馬にのり、自分より弱い立場の人間を、安全地帯から叩いて溜飲を下げるような人間にはなりたくない。誰かに支配されたり、誰かを支配するのも真っ平だ。

この年まで好きにいきてきたんだ。今更変わらねぇよ。いつ自分の出番が来ても良いように、知識見識をせいぜい磨いておくさ。

失礼する。


 

2026/02/08

POST#1754 君は公正な政治家と世紀末覇者、どっちが必要だと思う?

タイ、メーサロン
今日は選挙だったので、例の親父を連れて選挙に行ってきた。

俺の家の目の前が小学校で、そこがいつも投票所となっている。俺は施設に親父を迎えに行き、投票させた。日本人が主権者として振舞うことができる唯一の機会だからだ。

親父は今まで自民党にしか投票したことはなかったようだが、今回は俺と話をして、中道改革連合の候補に投票したらしい。隠れ創価学会員の親父は、長年今だけ金だけ自分だけというスタンスでやってきたのだが、それでは自分が社会的弱者に転落したとき、どうにもならないという現実に気が付いたのならありがたいが、齢85ともなればもう遅いか。

俺はジョン・ロールズが正義論🔗で説いているように、不平等は、社会の最も不遇な人々の最大の便益に資するものであることでしか容認されないという公平な考えに共感しているんだ。ざっくりと知りたい人はWikipediaで正義論(ロールズ)🔗を検索してみてほしい。

富裕層への累進課税は不平等であるかもしれないが、社会の最も不遇な人々の生活を支えてより公正な社会を作るためならば容認されうるという考えだ。

そうでなかったら、社会なんて必要なく、強いものや狡猾なものが、弱いもの貧しいものを食い物にするだけの修羅場になってしまう。そうであるならば、国家というリヴァイアサンは不要だ。北斗の拳の世界になってしまう。政治家よりも世紀末覇者が必要になっちまう。


さて、昨日の話の続きだ。

ケニーのメッセンジャーにメッセージを送って2週間くらいたったころ、ひょいと返事が来た。

『自分は今、日本の愛媛にいます。愛媛まで来る気があるなら、連絡ください』

やった、日本にいた。俺はさっそく『返信ありがとう。ちょっと時間が作れるように工夫してみます。モロッコとかじゃなくて、よかった。あそこもいいとこだけど…』

『別にモロッコでも構わん』そっけない返事だ。まぁ、何十年もあってないんだ、そんなもんだな。しかし、俺としてはチャンスだ。

『行くのにコストがかかりすぎる』

モロッコでもトンガでも、生きている限りは逢える。しかし一言でいえば、ない袖は振れないってことだ。ご存じの通り、親父のことでいろいろ物入りだし、息子もなかなか金がかかる。カミさんは月々家に入れる金の増額を常に要求してくる。だとしたら、愛媛くらい隣町だ。

『じゃあそれまでだな』割り切り早いな。

『なかなか物入りでね(笑)』

『イスタンブールでもよい』

『あそこも素敵なところだわ。』俺は、携帯からかつてイスタンブールに行ったときに撮ったブルーモスクの写真を送った。ボスポラス海峡漢一匹だ。

『そういう生活なのか?ならば、あっても良いかな』

お、手ごたえありだ。この短いやり取りで、俺がつまらないおっさんじゃないことが伝わったぞ。

『そういうわけでもないけどね。旅行は好きさ。』

『へー、まぁいろいろききたい』

よし!愛媛宇和島まで家から片道600キロ。どおってことないぜ。

で、俺は次の日にリース更新されるハイブリッドの黒いプロボックスで、愛媛まで行く計画を練り始めた。待ってろよ、ケニー!