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| TOKYO |
さて、昨日の話の最後で、中国の「東洋的デスポティズム」は他国に類を見ないほど強固で、王朝が何度交代しても壊れない不滅のシステムとして完成したって話をしただろう。
じゃ、そのガチガチの管理体制の中で、14億人もの人々はどうやって生きているんだ?
結論から言えば、この強力な国家システムの中で、人々は「日々の生活さえうまく回れば、誰にどう統治されても構わない」という、諦念(ニヒリズム)と紙一重の楽天主義を身に着けたんだ。これこそが、中国の民衆が数千年の過酷な歴史(王朝交代、戦乱、大躍進などの災厄)を生き抜くために身につけた、究極の生活の知恵であり、強力なメンタリティなんじゃないかな。
この精神性が、なぜ現在のデジタル専制国家において「従順でありながら、極めて個人主義的に利益を最大化する」という一見矛盾した振る舞いを生み出すのかを考えてみよう。
1. 政治への諦めと「私」の防衛と現代の「ルール内での最適化」
一言で要約すれば、「天子の力など自分には関係ない、毎日お腹を叩いて歌っていられればそれでいい」というスタンスだ。これは一見すると平和な理想郷にも見えるけれど、その裏には「王権や官僚という政治システムを信じても裏切られるだけだ。自分たちの生活は自分たちで守る」という、政治に対する徹底的な距離感(ニヒリズム)があるといえないかな。2. 「共同体家族 ✕ 法家」が育んだ「公」の不在と個人主義
3. デジタル専制と「ニヒリズムに基づく楽天主義」の奇妙な共生
「食えれば文句はない」という取引とシステムを利用した利益の最大化
中国共産党体制が提供する「圧倒的な経済成長」と「デジタルによる治安の良さ、利便性」は、この民衆のメンタリティと完璧に合致しているんだろうな。
「お腹いっぱい食べて(経済)、安全に暮らせる(治安)」のであれば、政治的自由や人権がいくら制限されようが、多くの民衆にとって満足した生活そのものであり、積極的に体制を覆す動機にならないんだ。欧米や日本の社会の状況はグレートファイヤーウォール=金盾で入ってこないようになってるしね。知らなければ、どうということはないよな。
人民は人民で、監視カメラや社会信用システムを「恐ろしいディストピア」と怯えるだけでなく、「これを利用すれば騙されずにビジネスができる」「真面目にやっていれば得をする」と、そのゲームのルールをハックし、自らの利益最大化のために内面化していくことになるんだ。
煎じ詰めて言えば、西側の「期待」が滑稽に見えるほどの精神的タフさを持っているってことさ。
西欧や日本は「圧政に苦しむ中国の民衆は、いつか自由を求めて立ち上がるはずだ」というナイーブな(純真な)期待を抱き続けてきた。実際に劉暁波をはじめ人権派の弁護士など多くの知識人が民主化を訴えた。けれど、それらの人々は人々の前から消え去り、二度と帰ってこなかった。どういうことかわかるよね。
中国の人々だって、それは俺たち以上にわかっているだろう。わかっているからこそ、黙っている。命が惜しいからだ。そしてそれは中国の人民の精神的なバイタリティの裏返しでもあるんだ。
だからこそ、経済的に豊かになれば中国が民主化するというのは、中国の民衆が持つ「数千年鍛え上げられた、冷徹なニヒリズムと、だからこそ輝く凄まじい生活のバイタリティ(楽天主義)」の深さを全く理解していない暴論だったと言えるんじゃないかな。
彼らにとって民主主義なんざ、『命を懸けて手に入れるべき絶対的正義』なんかではさらさらなく、自分たちの生活を豊かにするための「一つの手段(道具)」に過ぎなかったってことだろうね。


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