2026/06/12

POST#1875 大いなる平和の法、民主主義は抗争から生まれた

 

Ubud,Bali
昨日のごたごたで、睡眠不足のままテスラも真っ青になる自動運転で帰ってきた。

カミさんが作り置きしておいてくれた食事を温めて食べながら届いたばかりの試験に出る左翼新聞の朝刊の一面に目をやると、『天皇陛下「国民理解得られるものを」 皇族数の確保策、議論巡り言及🔗』という見出しが躍っている。

以前にもPOST#1835🔗でこの件には言及させていただいたけれど、あからさまに自分たちのいいように天皇の威信を利用している人々によって、議論がミスリードされてはならないだろう。

その時その時で、雅子様や紀子様を都合よくバッシングして売り上げを伸ばす週刊誌などの過激な文言に、眉を顰め憂慮しているであろう大多数の心ある国民なら、だれしもそう思うはずだ。そういう手合いは、自分の家庭の中のことを他人から詮索されるだけでプライバシーが!とか言って大騒ぎするんじゃないのかな?知らんけど。

陛下は「制度に関わる事項については私から言及することは控えたい」と前置きなさったうえで、「皇族数の確保のあり方についての議論においても国民の皆さんの理解が得られるものとなることを望んでおります」と語られた。

陛下が穏やかに語られれるお言葉の中に、強い意志を感じる。

一部の声の大きい者のために国の在り方を誤ってはならないと、静かにしかし厳として国民にお伝えになっておられると拝察いたす。

故にこそ、七代先の未来を視野に入れた熟議と、全会一致のプロセスが社会に求められているんだ。


じゃぁ、こっから昨日の話の続きね。

イロコイ連邦=ホデショノニのシステムが作られた3つの背景

それは社会が崩壊寸前まで混乱した危機の中から生み出されたという。

血の復讐(哀悼の戦争)の連鎖

かつての部族間では、身内が殺されると相手の部族に復讐し、それがさらなる復讐を生む地獄のような内戦が続いていた。だいたい、氏族社会に限らず、人間の社会というのは、アイデンティティを確立するために、隣接する人種的に近く、文化的にも同じグループに属する者たちと、自分たちを分けるために、違うシステムを採用する。それによって、排除的にアイデンティティという共同幻想を強化していくんだけど、当時の北米東部の氏族社会も例にもれずそういう事態になっていた。これを未開人の神性などと切り捨てることは、排外主義を唱え、隣国を敵視する現代のわれわれも、まったく同じシステムにからめとられていることに気付くべきだ。

外敵(アルゴンキン語族など)への対抗

同じ語族に属する氏族同士が血で血を洗う内紛というか内戦で弱体化すると、周囲の強力な敵対部族に滅ぼされる可能性もどんどん高まってきたわけだ。

当然だ。仲たがいしてる場合じゃない。

もし地球に敵対的な宇宙人がやってきたら、ロシアとウクライナが、イランとアメリカが戦争やってる場合じゃないだろう?ウルトラセブン🔗を見て育った俺にも、そんな危機感はずっとあるんだが、当時のイロコイ諸族の中にもそんな危機感が芽生え始めたわけだ。

白人(ヨーロッパ人)到来の予兆:

この社会が不安定だった時期、ヨーロッパからの植民者たちが彼らの前に姿を現し始めた。17世紀初頭の1620年にはアルゴンキン語族🔗ワンパノアグ🔗族によって植民者に食料が与えられ、これが今日の感謝祭🔗の由来となる事例も起きている。こういった話は語族や氏族の間を素早く伝播していったことだろう。

つまり、のちに自分たちの生活圏に到来する白人入植者の脅威に備えて結束する必要があったわけだ。宇宙人の危機に結束する地球人みたいなものさ。


創始者たちの理念:「大いなる平和の法」

このシステムは、デガナウィダ🔗(偉大な調停者)とハイアワサ🔗という2人の伝説的な指導者によって作られた。彼らは武力ではなく、以下の理念で部族をまとめようとかんがえたんだ。

まず「心の武器」を捨てる

彼らは復讐の連鎖を断つため、殺し合いの代わりに「言葉」と「贈り物(ワムパム🔗)」で悲しみを癒やす法を編み出したんだ。

全会一致による「遺恨」の排除

多数決にすると負けた側に不満が残るのは、世の中どこに行っても古今東西同じだ。

それは反対する者を一時的に抑え込むことはできても、これによって生じた文壇や違和感は間違いなくくすぶり続け、将来の争いの火種になるだろう。

つまり多数決は51人が49人を切り捨てる数の専制にほなならないんだ。

全員が納得するまで話し合うことこそが、内紛の再発を完全に防ぐ手段になるという、単なるお花畑のきれいごとではない切実な要求がそこにはあったんだ。

「母」に与えられたストッパー権

どこの世の中でも、たいてい男ってのは阿呆なもんだ。すぐに調子に乗ったり、頭に血が昇って相手とドンパチ始める。どっかのおかしな髪型のおじいさんを見ればわかるだろう?そしてくだらないメンツのために引くに引けなくなってしまうんだよな。阿呆だ。これは古今東西変わらない。君のご家庭も俺の家庭も変らない。で、男性首長が戦争に暴走するのを防ぐため、命を産み育てる女性(クランマザー)に、首長の選出・罷免権という最強のブレーキ役を任せることにしたんだ。


このイロコイ連邦の創始者たちの意図に学ぶことが、今日のさまざまな組織の「深い対立」を解消し、全員が納得する仕組みを作るヒントになるだろう。

では、以下に創始者のハイアワサたちにまつわる伝説を見ていこう。

そのままのことが史実としてあったと考えなくていい。そのストリーが伝えようとしている構造をつかみ取るんだ。それが、どんな組織や状況にも対応可能な抽象化されたフレームを君に提供してくれるかもしれない。神話や伝説とは、そうやって向かい合うべきものだ。

神様の子孫が僕らの王様だとか信じるのは、ナイーブすぎるぜ。

1. ハイアワサの絶望と「大いなる平和の法」が生まれる経緯

モホーク族🔗のハイアワサは最初から英雄だったわけではない。彼は激しい憎しみと絶望のどん底からスタートしたんだ。

狂気の独裁者による略奪

当時、オノンダガ族にはタドダホ🔗という、髪の毛がヘビでできていると恐れられた残忍な首長(独裁者)がいた。タドダホは平和を嫌い、他部族に略奪を仕掛け、部族間の戦争を煽っていた。

家族の皆殺しとハイアワサの闇落ち

この動きに対して、モホーク族のハイアワサは部族間の平和を訴えましたが、それに怒ったタドダホによって、最愛の妻と3人の娘をすべて殺されてしまったんだ。

残念ながら、人間の歴史ではよくあることだ
絶望したハイアワサは狂気にとらわれ、森を彷徨い、出会った旅人を襲って食べる「人食い(怪物)」にまで身を落としてしまった。いわゆる『闇堕ち』だ。

ちなみに、人食いとは人間を飲み込み、自然のサイクルに一旦回収することで、本当の人間=文明の中に逢って自然の原理を会得したハイブリットな存在へと成長させるプロセスを象徴してるんだと考察できるだろう。

偉大な調停者「デガナウィダ」との出会い

そこへ、別の部族(ヒューロン族🔗)からやってきた精神的指導者デガナウィダ(聖なる調停者)が現れた。デガナウィダはハイアワサの深い悲しみを受け止め、彼の心を癒やしたんだ。すごいことだな。

俺なら死ぬまで闇堕ち確定だ。誰の手も払いのけてしまうだろう。

しかし、デガナウィダの働きで正気を取り戻した、つまり自然の威力を身に宿したハイブリッドな目覚めた人とした人間社会に帰ってきたハイアワサは、デガナウィダの「平和の思想」に共鳴し、彼の「雄弁な代弁者」(デガナウィダは吃音があったとされるため)として、部族を説得する旅に出ることになったんだ。


どうだい、なかなか面白そうだろう。面白そうなところで気を持たせといて、次回につなぐのは人類の常套手段さ。


2026/06/11

POST#1874 現代民主主義のモデルは、北米先住民社会だったんだぜ

Sweden

今日は朝から、まいった。

夜勤を終えて明るくなった帰ってきて、ふろも入らずにベッドに倒れ込むように眠っていたんだが、しつこく鳴る電話でたたき起こされた。

時計を見ると午前九時だ。

横を見ると、まだ息子が眠っている。学校はどうしたんだ?

カミさんからの電話だった。どうやら昨夜、俺が仕事をしている間に息子とカミさんは勉強のことで揉めて、息子は母親に『死ね!』と暴言を吐いたらしい。で、精神的に昂っていたからそのまま寝かして仕事に出かけたというのだ。

やれやれ、で、この時間か…。

俺は息子を揺り起こすと、息子は寝ぼけながら『お母さん、死なないよね』と俺に訪ねてきた。それは以前、やはり母親に切れて『死ね』と暴言を吐いたときに俺が息子に語って聞かせた言葉を覚えていたからのようだ。言葉には言霊が宿ってるからな。POST#1857🔗に書いた話だ。

どうも息子はしっかり覚えていたようだ。覚えていてもつい言っちまうのが人間だ。

『僕の言葉にも、力があるんだよね』

そう、だれの言葉にも力が宿っている。しかも、その見えない力はひとたび口から放たれたならば、取り消すことなどできない。それが撤回できると思っているのは、阿呆な政治家だけさ。

俺は行きたくなければ、行かなくても構わないといったんだけど、変に真面目な息子は、いや行くと聞かない。そうか、君の好きにするがいい。

息子に食事をとらせ、学校に送り出し、なんやかんや家事や仕事の経理事務を片付けて眠るころにはもう正午を回っていた。

そして、一時間半ほど眠ったところで、おっとり刀でカミさんが帰ってきて、息子が学校で担任の先生に暴言を吐き、先生を攻撃して興奮しているというので、迎えに来てほしいという連絡があったという。マジかよ。

俺はカミさんと二人で学校に行った。

百年近いこの小学校の歴史で初めての女性校長とは、良好な関係を保っている。

俺とカミさんは、とりあえず校長先生と話したんだ。話を聞いてみると、どうやら息子は学校が窮屈で辛いようだった。

しばらくすると、クールな感じの教頭先生と、熱意のあるスポーツマンの担任の先生が無s子を連れてやってきた。

そうして一時間ほど、どうしていくのがベストなのかを話し合ったんだ。

おかげさまで、眠い。今この瞬間も眠くて仕方ない。しかし、もうしばらくしたら車を転がして仕事に行かないといけないんだよな…。

ただでさえ、俺が夜働いているのを知っているはずなのに、GERMANYもこいつも朝から連絡してくるんだ。俺は24時間365日営業中のコンビニエンスな男なのさ。


さて、最近話の縁によく上らせていたイロコイ連邦🔗の合議制だ。

イロコイ連邦(ホデノショニ)の合議制は、全会一致を原則とする高度な民主的意志決定システムだ。

16世紀頃に結成され、母系社会を基盤とした独自の権力分立と相互監視の仕組みを備えていたという。一説には14世紀半ばまでさかのぼるんじゃないかともいわれている。日本で言ったら南北朝時代ってとこか。

この合議制には、近代の民主主義国家のシステムにも影響を与えたの4つの特徴があったんだ。

まず第一に、全会一致の原則だ。

彼らは多数決は使わず、すべての代表者が納得するまで徹底的に話し合った。

これは彼らの氏族社会ならではの特徴で、母系社会の権力バランス構造を持っていたことだ。

実際に政治を行う男性首長(サチェム)の選出や罷免の権限を握っていたのは、各氏族の女性の族長(クランマザー)が握っていた。どこかの国の男系男子以外は認めない家族氏族システムとは大きく違っていたんだ。

余談ながら、こういう事例に接すると、男系男子、直系男子による長子相続制度ってのも、単なる多様な家族システムの一つのパターン、つまりその社会の人たちの選好=単なる好みに過ぎないことがわかる。普遍的なせいどなんてものは、ないんだ。

秀逸なのは二院制に似た審議構造を備えており、反対意見を述べるものが選定され、それを排除するのではなく、どうすれば反対意見を持つ者たちも納得できる制度を作ることが出くるのかを、全員が納得するまで、根気よく話し合う習慣を持っていたことだ。

彼らは自分たちの合議制度を、伝統的な「ロングハウス(長屋)」になぞらえ、部族間で役割を分担して段階的に議論したと伝えられている。

また、七代先の子孫たちにとって、今日の自分たちの決定がどのような影響を及ぼすかをその議題の検討過程に導入するという、社会の持続可能性にその価値観の重きを置いていたわけだ。

そして連邦という呼び名の通り、各氏族は明確な主権を維持していた。

各部族は自立しており、連邦全体の共通課題(外交や戦争など)のみを中央会議で扱っていたという。これをモデルにして、それぞれ異なる植民地をルーツにする州=ステイトが連邦を形成するアメリカ合衆国が 構想されることになったわけだ。


この中央会議(50人の首長会議とも呼ばれている)の仕組みは、簡単にまとめればこんな感じだ。

連邦の意思決定は、構成する各部族から選ばれた50人の首長による会議で行われる合議制だ。そして議論は以下の3つのグループに分かれて段階的に進められたという。

[第一段階: 東の門番] ―――→ [第二段階: 西の門番] ―――→ [最終段階: 火の番人]

モホーク族 & オナイダ族       セネカ族 & カユーガ族        オノンダガ族

(議案を審議・修正)           (別の視点から再審議)        (拒否権の発動・最終決定)

  1. モホークとオナイダ(東の門番): 最初に議案を審議し、意見をまとめた。
  2. セネカとカユーガ(西の門番): 東のグループが出した結論を、別の角度から検証・審議した。野党のような立ち位置になるだろうけれど、このシステムが機能するために、このポジションは実にじゅうような立ち位置だったのさ。これがないと、深く考えることもなく、重要な議題が決まってしまう。そして、ここで出される対案は単なる反対意見ではなく、最初に提出された議題を違う角度から批判的に検証し、その施策の有効性を検証するために欠かせないものだと考えられていたことだ。どこかの国の民度の高い人々が、野党は反対ばかりで、政府の施策の足を引っ張っているだけで意味がない無用なものだと、与党に巨大な議席を与えるような考え方とは、同じ民主主義といってもまったくレベルのちがうものだと感心せざるを得ないよ。
  3. オノンダガ(火の番人): 両者の意見を調整し、最終決定を下す役回りだ。オノンダガには議論を差し戻す拒否権もあった。まる議長のようなものだな。俺は元井桐下院議会議長のジョン・バーコウ🔗をもい出したぜ。ブレクジットをめぐって紛糾する議会を、中立公平な立場で運営し、その大きな声で『order!order!』と議員たちに冷静で秩序ある議論を呼びかけた名議長だ。どこかの国のついうっかり、皇室の養子の子どもは皇位継承権を持つとかペロッといっちまうようなのとは、まったく違うな。

近代民主主義への影響

この完成された合議制と連邦制度は、のちのアメリカ合衆国憲法の草案に大きなヒントを与えたとされている。

[アメリカ合衆国の建国の父] の一人であるベンジャミン・フランクリン🔗らは、バラバラだった植民地を統合するモデルとして、このイロコイ連邦を参考にしたとされている。

連邦制(各州の主権と中央政府のバランス)、二院制、大統領の弾劾制度など、現代の政治システムの基礎にその思想が反映されているわけだ。つまり民主主義のOSを作ったいたのがこのイロコイ連邦だったというわけだ。

では、なぜこのような一見迂遠に見える優れて民主的なシステムを、彼らは作り出したのか?気にならないかい?俺は気になる。とっても。

イロコイ連邦がこの合議制システムを作った最大の理由は、部族間の果てしない血の復讐(殺し合い)を終わらせ、永遠の平和を実現するためだった

彼らの格言にある「一本の矢は簡単に折れるが、束ねた矢は折れない」という言葉の通り、生存をかけた切実な背景がありったんだ。

さて、今夜も仕事に行ってくるからここいらでおしまい。続きは明日!


2026/06/10

POST#1873 この社会で民主主義をリビルトするにはどうしようかな?

 

台南市、安平老街

今日からは民主主義について考えてみる。

民主主義はもう古いと思ってる人が世界中にたくさんいる。あのかたやこの方、あなたの頭の中に浮かんだこわもてのじいさんや、おかしな髪型のおじいさんやそのお友達だ。

民主主義に無力感を感じている人もたくさんいる。

ただ黙って、決まったことだと受け入れるしかないと思っている人もたくさんいる。

けれど、俺は専制主義🔗全体主義🔗は御免被る。

なぜって、少なくともこの日本国は法治国家で、その根本には日本国憲法という権力構造のフレームワークがあり、国民がその主権者として定められているからだ。

それに何より、自分自身が誰かを支配したり、誰かに支配されたりするなんて真っ平御免だからだ。鬱陶しいし、面倒くせぇよ。(笑)

しかし、その国民の代表たる国会議員の先生方が繰り広げる、貶しあいと数合わせのゲームに誰もかれもうんざりしてる。

実質的には、何も話し合われていないのにもかかわらず、儀礼的に質疑して、落としどころは国民の見えないところで決まっていく。俺や君は、自分たちが多数決で選んだ人の属する政党の限られたお偉いさんや、たいそう優秀な官僚のかたがたいそうお金儲けの御上手な財界のお歴々のお考えに沿った法律が決められていくのを横目に、何も変わらないさとあきらめたように自分の生活を回す。

そりゃ、民主主義にうんざりするのもわかる。

斯くいう俺も若いころにはプラトン🔗のように、正しく理念と高い見識を持った哲人王🔗が統治する、専制的で合理的に設計された整然とした社会のほうが良いのではと考えたこともあったんだが、それはやはりよくない。

その哲人王による統治システムってのは、カール・ポパー🔗が、ナチス・ドイツ🔗に統治された故郷オーストリアのウィーンを逃れニュージーランドで、まさに専制主義やソビエトの共産主義政権に思想的な戦いを挑むために記されたその著書『開かれた社会とその敵』🔗で、激しく批判したものだ。

この『開かれた社会とその敵』という本は、岩波文庫から4巻本で出ているが、民主主義を脅かすプラトン的な国家観、マルクス主義🔗的共産主義国家、ファシズム🔗国家、ナチズム🔗の温床になったヘーゲル🔗哲学への徹底的な批判に貫かれている。とても有益な書物だ。興味のある向きは、ぜひお読みになることをお勧めする。


俺は現在の日本の政治的な状況は、非常に危ういものがあると考えているんだ。

圧倒的な議席数を擁する与党は国家主義的、全体主義的な傾向を強めている。

史上初の女性宰相となった高市総理は自らの掲げる政策を自らの言葉で説明することなく、SNSでの一方的な情報の垂れ流しに安穏としている。

また、かつての政治的な師匠に当たる安倍晋三を髣髴とさせるように、、自らに向けられた批判や疑惑には気色ばんで反論するが、何ら真実を明かさずはぐらかし続ける。

その裏で、粛々と皇室典範は書き換えられ、きっと上皇陛下より続くリベラルで開かれた天皇観を、国民民族の上に君臨し、与党によって操縦しやすい反動的な天皇に挿げ替えてゆく道筋がつけられている。

また、中国を仮想敵国としてロックオンすることで、教育や福祉の予算を削減したうえで軍備を増強し、移民政策などを通じて人々に排外的な思想を植え付けてゆく。

米がなければ流通過程で目詰まりしている、ナフサが市場から払底すればこれまた流通過程で目詰まりしていると具体的な証拠も挙げず、責任転嫁に終始している。

東京一極集中による、1票の格差の拡大は放置されている。

そして、維新の会は与党になることで、自らの政治的利益の核心である大阪都構想というリバタリアニズム的な政策をごり押ししようと跋扈している。

自民党と日本維新の会からなる与党は、圧倒的な議席数を保持してるがゆえに、民主主義の根幹たる与野党の熟議はないがしろにされ、何もかも多数の専制のもとに決まってゆく。

人々は各地でデモをして抗議しているが、それは国家権力という重戦車に立ち向かう蟷螂之斧のように無力だ。

結果、世の人々に蔓延する無関心と無力感。


これは健全な民主主義国家の姿ではない。

かつて、麻生太郎が言ったように、『ナチスの手法に学ぶべきだ』という常識外れの手法が着々と現実化しているとしか思えない。

気が付いたときには、俺たち市民はとんでもない社会になっていることに気が付くだろう。

そう、このままでは日本政治形態は、現在の高市政権が仮想敵国とみなしている中華人民共和国の共産党政権と、思想信条的に大差ないものに成り下がってしまうだろう。

そうなったら、彼らを仮想的に据える必要もない。

なぜなら似た者同士だから、どっちに転んでも専制国家ってことになる。風呂の温度が違うだけさ。

だからこそ、俺はオルタナティブな民主主義を構想してるんだ。

上から社会が変わることを待っていても、今のままでは悪いほうにしか変わらないと俺は見てるんだが、君はどうだい?

学級会や町内会をイロコイ連邦🔗=ホデショノニのような熟議の場に変える民主主義だ。

イロコイ連邦、(ハウデノサウニ / ホデショノニ)の「大いなる平和の法」に基づく合意形成プロセスを、学級会や町内会といった俺や君たちの身近なコミュニティの仕組みとしてハックし、リビルドするという構想だ。

これは、多数決の数の暴力や、空気による同調圧力を排除するための処方箋、つまり極めて高度で具体的な「熟議のシステム実装」になると考えてるんだ。

もちろん、全会一致ってのが難しいのは重々承知している。

一人でも反対すれば、決まらないデッドロックに陥る可能性だって常にある。その挙句、その一人がコミュニティーからパージ=追放されてしまうという恐れもあるだろう。

けど、それは民主主義じゃなくて、ソフトな専制政治だ。

じゃぁ、逆に今の多数決システムがそんなに優れているとも思えない。51対49で数の多いほうの意見だけが通ってしまったら、社会の中に切り捨てられたあ49ersの不平不満は蓄積され、分断は拡大し、非平等や格差も歩調を合わせて拡大していくことになるだろう。

だからこそ、お互い意見のちがうもの同士が、全会一致を目指して話し合いを重ね、歩み寄り、妥協点を探り、お互いに納得したうえで社会を変えるような決断を下す。そういった本当の民主主義が求められているんだと考えているんだ。

イロコイ連邦=ホデショノニは、ベンジャミン・フランクリンなどのアメリカ建国の父たちが合衆国憲法🔗のモデルにしたとされるネイティブアメリカンの部族連邦なんだ。

ちなみにジャミロクワイ🔗はそのバンド名の中にイロコイ族🔗の名前が織り込まれてる。

彼らは「全会一致(コンセンサス)」に達するまで、何日でも、何段階ものプロセスを踏んで議論を尽くす仕組みを持っていたという。

それはそもそも敵対するもの同士が同盟を組むために生まれたシステムだ。

さて、今日はこれくらいにしておこう。また明日話し合おう。失礼する。