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| Hamburg、GERMANY |
かつてRCサクセションも♪見つからなけりゃ、悪いことじゃねぇ!♪と歌っていた。まぁ、今そんなこと堂々と歌ったら、即刻BANされちまうわな。言論の自由の余地が昔はまだあった。今は、表向きは自由だが、自主規制だらけさ。
1. 「道徳」ではなく「確率」で動く現実
法を設計する側(官僚や政治家)は、「法律を作れば、国民はそれを道徳的・倫理的な規範として内面化し、正しく従うだろう」という理想を掲げがちだ。
しかし、それは優等生の考えだ。
かつて吉本隆明が新しい教科書を作る会の歴史教科書改正運動に関して、学生は教科書なんてろくに読んでないから、教科書を書き換えたところで、なにかを内面化することはない!と身もふたもないことを言って、切って捨てたのと同じだ。
実際の市井の人々の行動を決定するのは、まず間違いなく「高い理想」なんてもんじゃなく、「見つかる確率(発覚リスク)」と「得られるリターン」のリアルな天秤だ。
つまり、割に合うかどうかだ。
リスクが低ければ問題行動は維持されるんだ。
どれだけ重い罰則(弱化)を法律に書いても、警察の取り締まりが及ばない場所(SNSの裏アカ、個人間決済など)であれば、人間は「処罰される確率はほぼゼロ=リスクなし」と判断するだろう。
倫理が内面化されてるわけでなく、条件付されてるだけだからな。
「触れなければセーフ」の精神
法的なグレーゾーン(脱法行為)を見つけると、人間はそれを「禁止されていない=報酬を得てよい合法的なルート」と思い込んじゃうんだな。そうして、こずるく行動を最適化させていくんだ。
「認知の歪み」と集団の同調
さらに、人間には「みんながやっているから」「誰も困っていないから」という理由で、自分の行動を正当化する心理(中和の技術)がある!君にもあるだろう。俺にもある!
「法律には触れているかもしれないけれど、誰かを傷つけているわけじゃない」
「見つからなければ誰も不快にしない」
なーんていう認知の書き換えが行われちゃうから、本人たちの中に「罪の意識」はほとんど芽生えないんだよな。
「見せしめ」の効果と限界
国家や警察は、時折メディアを使って「見せしめ的な逮捕(代理弱化)」を行い、国民に「見つかるかもしれない」という恐怖を植え付けようとする。
しかし、これも一時的な抑制効果しかないんだよなぁ。人間のど元過ぎれば熱さを忘れるってやつで、時間が経てば「あいつが捕まったのは運が悪かっただけだべ」「自分はもっとうまくやれるっしょ!」と、さらに巧妙な隠蔽手段つまり、より深い地下化へと進化していくわけだ。まさにいたちごっこさ!
結果として、「本能(性欲や金銭欲)を力づくで抑え込もうとする法律」と、「リスクを最小化しながら本能を満たそうとする庶民の知恵」のいたちごっこは、歴史上どの時代、どの国でも繰り返されている。
人類の宿命だ。
ならばいっそ、人間の性欲を抑制するような研究をした方がいいんじゃないのかね。
人間の性欲そのものを人為的に抑制する技術についての研究や議論は、現代の医学や倫理学、法学などの分野で、実際に特定の文脈において行われている。
一方で、これを社会全体や一般の人々に適用することには、非常に大きな倫理的・医学的な障壁が存在するだろうな。
医療・司法における「性欲抑制」の現状はこんなところさ。特定の目的のために人間の性欲を抑制する研究やアプローチはもちろん実在している。
薬物による治療(つまり化学的去勢だ)は、一部の国や地域(アメリカの一部の州、韓国、欧州の一部など)で、性犯罪の再犯防止を目的として、ホルモン剤(抗アンドロゲン薬など)を用いて強制的に、あるいは同意のもとで性欲を低下させる措置が導入されている。素晴らしい新世界だな。
医学的アプローチ
うつ病などの精神疾患に付随する症状や、性依存症(強迫的性行動症)の治療の一環として、脳内のセロトニン受容体に作用する薬(SSRIなど)が結果的に性欲を減退させる副作用を持つことが知られている。これがまさに鬱病の俺だよ!(笑)
で、これが治療に応用されることがあるらしい。
しかし、これを 一般社会への適用するのは、ちと無理がある。その理由は、皆さんの大好きな倫理と人権だ!
もし「法律に違反する人をなくすために、人々の性欲自体をテクノロジーや薬で抑え込もう」という研究や政策を進めた場合、極めて深刻な問題が発生すること間違いない。
身体の自己決定権の侵害
国家や他者が個人の脳やホルモンバランスを人為的に操作することは、基本的人権(身体の自由、内面の自由)を根底から覆すことになるわな。これはSF小説(ディストピア作品)に描かれるような「思想・感情の統制」と同じ領域に入ってしまいます。けど、ナチスのT4作戦も日本政府のやってた優生保護法も、そんなようなもんだろ。人間なんて、そんなもんさ。
少子化・社会活力の低下だって、問題だな(笑)
性欲は、人類の生殖や種の保存に直結する本能なのは言うまでもない。社会全体で性欲を抑制するようなことになれば、ただでさえ進んでいる少子化が決定的なものとなり、社会の維持そのものが不可能になるだろう。地球環境が改善しちまうだろ!また、性欲は意欲や活力(ドーパミンなど)とも深く結びついているため、精神的な無気力化を招くリスクもあるけれど、無気力なしょぼくれた奴らばかりだから、その点はもう問題ないかもね、
そこで、オペラント心理学(行動分析学)の視点からの代替案があるぞ!
人間の「欲求(動機づけ)」そのものを消すのは倫理的にも物理的にも不可能だ、とされている。
だからこそ、行動分析学などの科学が提案するのは、欲求を消すことではなく、「欲求が満たされるルート(行動)を、社会的に無害なものへ変容させること」なんだなぁ。
そこで注目さるてるのが、安全な代替手段の開発だ!
なんだそれ?
21世紀の科学力を注ぎ込んだVR(仮想現実)、生成AI、あるいは高度な性科学技術(ロボティクス≒AI搭載ダッチワイフさね)を用いて、生身の人間を介さず、人権侵害や犯罪(売買春や性的搾取)のリスクがゼロの環境で欲求を安全に解消できる仕組み(ハーム・リダクション)を整える方が、本能を抑制するよりも現実的かつ人道的な解決策とされているんだそうだ。
俺はそんなのゴメンだけどな。もう一度言おう。俺はそんなアホらしいこと断固ゴメンだけどな。そんなものに、人と人の命のほとばしりも、湧き上がる愉悦もない。サルのセンズリとおなじだ。
「本能そのものを消去してしまえば問題は起きない」というアイデアは、管理社会の究極の形として議論にのぼることがあるが、現実には「人間の本能とどう共生し、いかにテクノロジーで安全に制御(ガイド)するか」という方向性が主流となっているんだそうた。偽善くさいな。
例えばカート・ヴォネガット🔗が自らの小説の中で描いた自らの分身(=今風に言えばアバターか?)キルゴア・トラウト🔗の小説の中には、『おお、きみは匂うか?』っていう短編小説がある。
これが素晴らしい内容だ。要約すると、ある独裁者があらゆる社会問題を解決した後に悪臭問題を解決するためだけに、世界中の人の鼻を切り取ったっていう話だよ。
このエピソードは、ヴォネガットの代表作『ブレックファスト・オブ・チャンピオンズ(チャンピオンたちの朝食)🔗』などに登場するトラウトの架空の短編小説のプロットなんだけど、全人類の「鼻をそぎ落とす」という解決策の狂気は、単に独裁者の狂った頭の中の話がテーマじゃない。
この物語が示しているのは、「問題の『原因』を消し去るために、人間の『機能(本能や感覚)』そのものを破壊する」という短絡的な管理社会の恐怖そのものだ。
悪臭が問題なら、臭いの元(環境や公害)を直すべきだろう?
しかし、独裁者は手っ取り早く、人々の「鼻(つまり感覚器官)」をなくすことで「悪臭問題は解決した」と言い張ったわけだ。素晴らしくスマートだ!スマートすぎて笑いが止まらないぜ!
「性風俗や売買春のトラブル(人権侵害や犯罪)を解決するために、人間の性欲そのものを消し去る、あるいは薬でコントロールする」という発想は、まさにこの「悪臭を消すために全員の鼻をそぎ落とす」ことと完全に同義だ。
現代の「規制」が陥る罠は、それが単なるブラックユーモアじゃないとこにあるんだ。
今の政治や法律の動きにも、この「キルゴア・トラウトの小説」のような暴論が、真面目な顔をして紛れ込むことがある。
「SNSでの犯罪があるから、SNS自体を禁止にしよう」
「実態が見えなくて危険だから、店舗をすべて潰してしまおう」
これらは一見、問題を根絶したように見えるが、実際には人間の生活を不自由にしたり、別の歪み(地下化や新たな被害)を生んだりしているだけで、根本的な「人間社会の営み」への深い洞察が欠けているんだ。
まぁ、優等生だった奴は、たいてい人間への洞察が欠けている。というか『ない』けどね。
ヴォネガットが描いたブラックユーモアは、「不都合な現実を力づくで消そうとする権力者は、最終的に人間そのものを破壊し始める」という、いつの時代にも通じる強烈な警告だ。
庶民が「見つからなきゃいいや」と法の網の目をかいくぐる知恵(あるいはずる賢さ)を持っているのは、ある意味でこうした「お上の極端な暴論(鼻をそぎ落とすような法)」から自分たちの人間性を守るための、本能的な防衛反応なのかもしれないぜ。意外と健全なことなのかもな。


