2026/06/25

POST#1888 デジタル・パノプティコンによる国家という監獄の誕生

 

香港 麺

俺の手元に、藤原新也の『全東洋街道 下巻🔗』に、改革開放前夜70年代末の上海に赴いた藤原新也のルポタージュと、写真がある。これは素晴らしい写真集だから上下巻合わせて読んでみてほしい。君の世界が広がるだろう。

人々は、世界を放浪してきた熟練の写真家藤原新也が、人の群れの中に偽装して写真を撮るために人民服—そう、このころの中国人はすべて皆、人民服を着ていたんだ—に身を包んで左手にカメラを隠し持っていたのを、上海の人々は世界中のどこの人々よりも遠くから見破り、そのカメラに視線を注いでいたという一文がある。

藤原は記した。

『上海人は、私の持っていいるカメラを見たのではない。十メートル前方のある男が左手に隠すように持っているを見たのである。

言いにくいことを言う。しかしこれは事実だ。上海人は人と人が出会った時、多くのニンゲンがそうするように目と目を見合わすのではなく、おおむねまず相手の手に持つ物に意識が走り、そして目線が走っていく。

上海人の顔が無表情に見え、その目に冷たいものを感じるのは彼らが人の目を見るのではなく、モノを絶えず意識し、そして見ているせいではなかろうかと思った。』(集英社文庫版 全東洋街道 下巻 第十章 168~172頁より)

この写真集に収められた写真に収められた上海は、全体的にグレーで薄暗く、どこかブレードランナーに出てくるようなすがれた暗い雰囲気をまとっている。

そして、若き藤原新也が上海を旅したその日から、今日までの約半世紀に流れた時間の重みを想う。


ここから現在の中国の発展へのターニングポイントになったのは、まさに日本と中国の国交正常化だ。

そしてそれに続く1970年代から1990年代にかけての日本による対中支援が、つまり積極的な日本の技術移転と、そして天安門事件後も円借款を続けた日本の政府産業界の奉仕にあるのではないかってことなんだ。

中国が100年以上続いた戦乱と政治的混乱(大躍進・文化大革命)で、すっかり凍結させていた潜在能力を「再起動」させる上で、日本の政府および産業界が果たした役割は、主に以下の3つの大転換期に集約されるんじゃないかな。

1. 日中国交正常化(1972年)と大平正芳の先見性

経済協力のグランドデザインと近代化のインフラ基盤の提供

1972年の国交正常化後、1979年に当時の大平正芳首相が対中政府開発援助(ODA・円借款)の開始を決定した。藤原新也が上海を訪れたのはおそらくこのころだ。

当時、外貨も技術もなかったまさにどん底の中国に対し、日本は港湾、鉄道、発電所、通信網などの大規模なインフラ建設を円借款🔗(低金利の長期融資)で全面的に支えたんだ。これが、後に中国が「世界の工場」として外資を受け入れるための物理的な土台となったことは、今更くどくど言うまでもないよね。

2. 日本産業界による「技術移転」と鄧小平の衝撃

最高峰の技術を丸ごと移転し、経済先進地「江南」は復活

1978年に鄧小平が訪日した際、新幹線やパナソニック(当時の中下幸之助)の門真工場、新日鉄(現日本製鉄)の君津製鉄所などを視察し、日本の圧倒的な工業力に衝撃を受けたという。この話はちょっと前にもしたはずだ。覚えていてくれたかな?

この鄧小平の懇願に応じる形で、新日鉄は当時の最新鋭技術を注ぎ込み、長江下流域に「上海宝山製鉄所」を建設したんだ。

かつてポメランツの時代に経済の先進地だった長江流域(江南)が、日本の技術移転によって20世紀末に「近代重工業の先進地」として再び息を吹き返した象徴的な出来事だなこれは。

これに続き、自動車、家電などあらゆる日本企業が中国に現地法人を作り、製造業のノウハウ—つまりは熟練労働者の育成や品質管理システムをを叩き込んだわけだ。

これには当然、安い労働力を使って利益を最大化したいという産業界のそろばん勘定もあったのは間違いないだろう。また、アメリカ一辺倒ではない外交を模索する政治家や官僚の思惑もあったに違いない。しかし、その底流には中国に対して大日本帝国が行った非道の数々への贖罪という意識があったのは間違いないだろう。

歴史は途切れることなく続いているんだ。そして、あの天安門事件🔗がやってくる。

3. 天安門事件(1989年)と日本の独断による「救済」

西側諸国の孤立化を日本が打破

1989年の天安門事件により、欧米諸国は中国に対して厳しい経済制裁を科した。ウクライナ戦争の際にロシアに経済制裁を科したのと同じようなものだ。つまりは兵糧攻めってことさ。

当然ながら中国経済は再び国際社会から完全に孤立する危機=ポテンシャルの再封殺に直面することになったんだから、さぁ大変だ。

円借款の再開と「経済の血流」の維持

しかし、何にもはっきり言わねぇ♪と忌野清志郎🔗に揶揄されていた当時の海部俊樹🔗首相をはじめとした日本政府は「中国を国際社会で孤立させるべきではない」と珍しくはっきりと主張したんだ。そして1990年のヒューストン・サミットで西側諸国を説得しまくり、他国に先駆けて第3次円借款の凍結を解除したわけだ。

産業界のコミットメント

この政府の動きに連動し、日本の産業界も中国市場からの撤退ではなく投資を継続・拡大していった。この日本の決断が呼び水となり、中国は最悪の政治的危機を乗り越えちゃったんだ。これがなかったら、アイフォンだってテスラだって、中国で作られることはなかっただろう。

で、1992年、改革開放の旗を死守すべく行われた鄧小平による「南巡講話🔗」を経て、2000年代のWTO🔗加盟と爆発的な高度経済成長へと突き進む外交的・経済的なセーフティネットを得ることとなったんだ。

この流れをざっくりまとめてみると、今日の日本人の皆さんにとって、不都合な事実が浮かび上がる。

中国が「100年の国難」による荒廃から立ち上がり、かつて持っていた経済的ポテンシャルを爆発させることができた背景には、まさに「日本が国交正常化によって門戸を開き」「産業界が血肉となる技術を教え」「天安門事件の危機においても経済的血流(円借款)を止めずに支え続けた」という歴史的事実があったってことだ。

この一連のプロセスは、単なるビジネスや外交の枠を超え、中国の近代化を日本が実質的にプロデュース・牽引した側面が極めて強いといわざるを得ないってことさ。

つまり、現代の中国ってのは、日本が生みの親といっても過言じゃないんだ。


そして、日本の説得を受け入れた西欧各国も、中華人民共和国が経済的に豊かになれば、民主化するだろうという甘々な期待を持っていたんだが、あにはからんや、そこに出来上がったのはデジタルを駆使した専制国家だったというわけだ。

20世紀末から2000年代にかけて日本や西欧諸国が抱いていた「経済的に豊かになれば、中間層が育ち、自然と民主化へ向かうだろう」という期待は完全に裏切られたんだ。

代わりに西欧諸国と日本の前に立ち現れたのは、最新テクノロジーを駆使した強固な「デジタル専制国家(デジタル権威主義)」で、アメリカすらも脅かす経済大国であったという素晴らしい展開だ!

この「期待の裏切り」と「デジタル専制国家の誕生」のメカニズムは、主に以下の3つの要因によって説明されるだろう。

1. 「近代化理論」の破綻

西側の過信と中国共産党の学習能力

西欧や日本には「経済発展 = 民主化」という、欧米の歴史をモデルにした「近代化理論」への強い信仰があったんだよ。

そう、日本や西欧諸国は、中国をWTO(世界貿易機関)に加盟させ、豊かにさえすれば、自由や人権を求める民衆の声が内部から高まり、共産主義独裁体制を変換してゆくことになるだろうと無邪気にも信じていたんだよ。

しかし、この自由民主主義体制って物自体が、アメリカやイギリスの社会構造から導き出されたもので、けっして人類には普遍的なものではなかったんだ。

彼らは、無邪気にもヘーゲル🔗の『歴史哲学講義🔗』に描かれた、文明史観—つまり、社会は段階を追って単線的に発達してゆき、未開な段階から東洋的専制主義を経て、最終的には自由と民主主義的な社会へと到達するという歴史観を信じていたんだ。

けれど中国共産党の指導者たちのほうが一枚上手だった。老獪というべきかな。一歩間違ったら自己批判を強要されて命がなくなるんだから、国のかじ取りも命懸けだったってことだ。

中国共産党はソ連崩壊のプロセスを徹底的に研究した。ついでに日本のバブル崩壊のプロセスも必死に研究した。その結果、「経済的な豊かさを与えつつ、政治的な一党支配は絶対に緩めない」という、西側の予測を超えた新しい統治モデル(チャイナ・モデル)を発明してしまった。いやかつて、産業革命以前には中国は世界最大の経済圏を持っていたことを考え合わせると、彼らはこのシステムを歴史の彼方から再構築してしまったというほうが正しいかもしれないな。

2. テクノロジーを「解放の道具」から「監視の武器」へ

インターネットの変質とグレート・ファイアウォール(金盾)の構築

1990年代のWeb1.0の平和な時代、西側は「インターネットが普及すれば、国境なき情報の自由な流通によって独裁体制は維持できなくなる」と考えていようだ。インターネットが人々の分断を煽りまくっている現在の地平から見ると、なんて脳内お花畑な世界線だと呆れてしまうほどの楽天的な考えだ。

けれど、中国共産党の指導部は、この予想の斜め上をいったわけだ。そう、インターネットを禁止するのではなく「網羅的に監視・コントロールする」という道を選んだんだ。

独自の巨大な検閲システムを構築して、西側諸国発のSNSGoogleFacebookXなど)を徹底的に遮断したんだ。その代わりにBaiduAlibabaTencent(のちのBytedanceなど)といった自国のIT企業を保護・育成し、国民の間に爆発的に普及させたわけだ。

3. 「デジタル権威主義」の完成

AIとビッグデータによる超監視社会と効率的な統治

日本の円借款を元手に世界の工場へと経済発展することで獲得した莫大な富と、世界トップクラスに成長した自国のハイテク技術を融合させて、中国共産党は街中に配置した顔認証AIカメラシステム(天網)や、スマートフォンの決済・行動履歴の監視システム(社会信用システム)を構築してしまった。どこでだれが何をやっているか、当局はその気になればすべて把握することができるんだ。プライバシーなんてものはそこにはないんだ。

かつてのソ連のような「物理的な暴力や恐怖による抑圧」に頼る必要すらないほどに、究極まで推し進められたデジタル技術によって「反乱の芽を事前に察知し、市民が気づかないうちにコントロールする」という、極めて洗練され、かつ効率的な専制統治を完成させるに至ったんだ。

そのうえで、人民には豊かな生活と治安の良さを提供することで、多くの国民から一定の支持=消極的合意を取り付けることにも成功しているんだ。

まさに、ミシェル・フーコー🔗が『監獄の誕生🔗』で描いたパノプティコン🔗のデジタル版、デジタル・パノプティコン🔗が完成し、中国そのものが巨大な監獄として顕現したというわけだ。なんてディストピアが出来上がっちまったんだ!

結論

日本や西欧諸国が「良かれ」と思って行った経済・技術支援は、中国を民主主義の陣営に引き入れる結果にはならず、むしろ「資本主義のダイナミズム」と「専制政治」を高度に融合させ、最新テクノロジーで武装した前例のない超大国を生み出す原動力になってしまったといわざるを得ないだろう。

17世紀の「大分岐」から始まった一連の歴史の歯車は、21世紀にいたって「西側の期待とは全く異なる巨大なデジタル専制国家の出現」という、国際秩序の最大の地政学的リスクを生み出す結果となって現在に至っている。

そして一つ言えるのは、現代のデジタル監視社会中華人民共和国というある種のディストピアは、日本人が総力をかけて生み出したフランケンシュタインの怪物のようなものなのさ。

しかし、これは単に日本や西欧諸国の読みが甘かっただけの問題ではないのではなかろうか。中国という巨大な文明圏に脈々と流れる社会のDNAが、現在の技術によってその感性を見ただけじゃないだろうか?

実は俺はそうにらんでるんだ。現象の奥には歴史が、それも中国4000年の歴史が渦巻いているのさ。問題は日本のODAだけじゃなかったんだ。ある意味歴史の必然だったのさ。

2026/06/24

POST#1887 中国は列強の食い物にされ、大分岐は大拡大したんだ

香港

最近、息子がなんだか生意気になってきて手におえない。先日も先生に暴言を吐いて暴力を振るったというんで学校に呼び出されたが、昨日は俺に暴言を吐いて暴力を振るってきたんだ。息子の部屋にクーラーをつけるから床一面にとっ散らかったおもちゃを片付けろといっただけなのに。まぁ、俺の子どもだから仕方ないな。

おまけに施設に入っている親父は、すこぶる元気で小遣いを一万五千もってこいと電話してきやがった。これもまぁ、俺の親父だから仕方ないな。

どいつもこいつも俺を打出の小槌と思っているようだ。やりきれないぜ。

閑話休題

さて、また産業革命期のお話だ。石炭という新エネルギーで工業化を果たしたイギリスが綿布などの工業製品を新大陸に売りつけることができたのとは対照的に、中国大陸では需要と供給のバランスが崩れてしまっていたんだ。

つまり、もうちょっと専門的に言えば、イギリスが新大陸という「拡大し続ける外部市場」を掴んだのとは対照的に、清代の中国大陸(国内市場)は需要と供給のバランスが崩壊し、自らの巨大さゆえに経済が構造的な限界(「高水準平衡の罠」など)を迎えることになってたんだ。中国経済がけっぷちだ。ネトウヨの皆さんが当時もいたなら、小躍りするような状況だな。

中国大陸内で需給バランスが崩れていったプロセスと、イギリスとの対比は以下のように整理できるだろう。

1. イギリス:新大陸への輸出と資本の好循環

外部市場の確保と供給と需要の連動:

 イギリスは、新大陸(北米やカリブ海など)の植民地に、本国で大量生産した安価な機械工業製品(綿布など)を「売りつける」仕組みを作り上げたんだ。

このおかげで、新大陸のプランテーションで奴隷が生産した綿花を輸入し、それを本国の工場で製品化して再び新大陸に売るという、閉じた拡大再生産のサイクルが回っていったわけだ!これにより、国内の購買力だけに依存しない無限の需要を手に入れてウハウハ、設備投資も積み上がり、それがさらなる生産力を増強し、結果資本の根源的蓄積は盤石なものになったんだ。

2. 中国:購買力の低下と「過剰供給」のジレンマ

周辺地域の自給化による需要喪失と人口増加による購買力のマヒ

前にも話したように、長江上流などの「周辺地域」がそれまでの先進地域だった江南の「長江下流域」の技術を学ぶことで、自給自足を始めたため、先進地(江南)の製品に対する国内の需要が激減しちゃったわけだ。まいったな。

その一方で人口が過剰になったことで、一労働力あたりの分け前つまり「実質賃金」が極限まで下がってしまったわけだ。つまり労働単価が暴落したんだ。

このおかげで人々は「食べるだけで精一杯」になり、手工業製品を買う経済的余裕=有効需要を失ってしまったんだ。生き延びるだけで精一杯の時に、高級な時計とかブランド品とか買うバカ者はいないだろう?つまりはそういう事さ。

それでも生産過剰の罠が巻き起こる

一方で、家内制手工業に活路を見出していた農家は生き残るために、たとえ利益が薄くても家族総出で織物を織り続けることになったわけだ。

悪循環だ。

このおかげで、市場には「買い手がいないのに、生きるために作られた製品」が溢れかえり、供給過剰による価格暴落を招くことになっちまったわけだ。

なんだかここまで書いてきて、報道などで目にする現代中国の買い手のつかない幽霊マンションや買い手がつかずにヤードに整列している見渡す限りのEV自動車を思い出したよ。

歴史は繰り返しているのか?

3. 需要の縮小が「機械化」を阻む

技術革新のインセンティブ喪失と手作業への逆戻り

イギリスでは「売れば売るほど儲かる外部市場」があったため、もっと大量に、もっと早く作るための「機械(蒸気機関や紡績機)」が必要になったわけだ。そうして、利益が積みあがる。資本を積み増し設備投資する。新しい機械はさらに改良がくわえられ、どんどん洗練されていく。そして生産効率は上がる。リカードみたいな重商主義者がウハウハするような状況が展開していたわけだ。

片や中国では、すでに市場の需要、つまり買い手が縮小しているのに加えて、人間が「食べさせてもらうためなら、いくらでも安く働きまっせ旦那!」という失われた30年も斯くやというひどい体たらくだったわけだ。

そんな状況では、わざわざ資本を増強し、コストをかけて機械を導入して効率的に生産するよりも、安価な人間の手作業に頼る方が合理的になり、技術革新の芽が完全に摘まれてったわけだ。貧すれば頓するとはこのことだ。

まったく、失われた30年の日本と全く同じじゃないか。泣けてくるぜ。


ここまでの流れで、「石炭・新大陸・奴隷・世界市場」を手に入れて産業革命の波に乗りまくったイギリスと、「地理的断絶・人口過剰・国内市場の飽和」に直面し産業革命の波に飲み込まれていく中国の、大分岐の全貌が完璧に君の中でもつながっただろう!

しかし、最悪なのはまだまだこれからだ。この当時の中国人じゃなかったことを感謝するがいいさ。

このイギリスと中国江南、両者の明暗がはっきりくっきりと分かれたタイミングで、イギリスをはじめとしたヨーロッパの皆の衆は、自分たちは中国に対して売るものがないことに気が付いた。

そこで、中国に対して売るものがない西ヨーロッパ諸国、とくにイギリスはインドあたりでで栽培したアヘン🔗—つまり麻薬だな、を嗜好品として中国に売りつけることにしたんだ。これによって、かつて世界のGDPの三割を稼ぎ出していたほど豊かだった中国社会は、決定的に内部から崩壊していくこととなったんだ。

この経済的な「大分岐」の流れが、まさに「アヘン」という極めて特殊な商品の登場によって、中国の国家・社会の決定的崩壊へと直結していくことになったんだ。

アヘンというとずいぶん時代錯誤な響きがあるかもしれないが、このケシから取れる成分を抽出すると医療用の麻酔薬としても使わていたり、今でも使われるモルヒネ🔗ヘロイン🔗オピオイド🔗などでが出来上がる。人間やめますか?って奴だ。

余談だが、トランプ大統領のアメリカが、中国に貿易戦争を吹っかける口実になったものがオピオイド🔗というアヘンを生成した中毒性のある鎮痛剤の輸入に関する問題だったことは、奇妙な歴史の符合に思える。そう、因果応報って奴だ。

この問題に関して興味のある向きは、アンガス・ディートン🔗アン・ケース🔗の『絶望死のアメリカ🔗』を読んでみることをお勧めするよ。

イギリスが仕掛けたこの「三角貿易」のメカニズムと、中国(清)が内部から崩壊していったプロセスは以下のように整理できるだろう。

1. イギリスのジレンマ:「売るものがない」

お茶の大量輸入と銀の大量流出

 18世紀後半から19世紀にかけて、イギリス(および欧米)では中国産の「茶(ティー)」が爆発的な大ブームとなり、輸入量が激増したんだ。

しかし、 当時の中国は完全な自給自足経済(高水準平衡)を維持していたから、別にイギリスから買うものは何もなかったんだ。中国人はイギリス製の毛織物などには全く興味を示さなかったし、工業製品も人件費がダラ安なために高い金を払ってまで導入する必要性なんか、これっぽっちも感じていなかったんだ。

結果として、イギリスは茶の代金として「銀」を一方的に支払い続けるしかなかった。

おかげさまで深刻な貿易赤字と銀の流出に悩まされていたわけだ。

2. 「麻薬」による強制的な需要創出

インドのアヘン購買力の「底流」を突く 

この赤字を逆転させるため、イギリスの勅許貿易会社で、植民地支配の尖兵でもあるイギリス東インド会社🔗は植民地化したインドでアヘンを大規模に栽培・専売化し、これを中国へ密輸するルート(イギリス・インド・清の三角貿易)を構築したわけだ。

なかなか普通の人間性を持った奴にはこんな薄汚いビジネス思いつかないぜ。さすがはブリカス🔗といわれるだけあるな(笑)。

前述の通り、当時の中国の民衆は人口過剰と経済の減速によって貧困化し、日々の厳しい労働に追われていたわけだ。

アヘンは、そうした精神的・肉体的に追い詰められた民衆や、退廃した官僚たちの「現実逃避の嗜好品」つまり『依存薬物』として、爆発的に普及してしまったわけだ。

そんな馬鹿なと思うだろう。しかし、税金の塊の煙草を吸い続けているのは、低収入で搾取されている労働者ばかりだという今の日本の現状を見ても、容易に想像がつく。

ニコチン🔗というアルカロイド🔗で感覚をマヒさせるか、オピウムというアルカロイド🔗で感覚をマヒさせるかの違いだけだ。最も、オピウム=アヘンのほうが、麻薬だけあって人間の脳や肉体へのダメージと習慣性は激しいもんがあるのは言うまでもないけどね。

このため通常の経済合理性、つまり需給バランスをぶっちぎって、吸えば吸うほどひどくなる激しい依存性によって、ほとんど無限に需要が拡大する最悪の市場が作られちまったんだ。

地獄だな。

3. 中国社会の決定的崩壊

銀の逆流による経済の崩壊と統治能力の麻痺

アヘンの代金として、今度は中国から大量の銀がイギリスへ流出し始めまた。逆流だ。

当時の清は「銀」を基準とする税制(地丁銀制)をとっていたんだ。銀本位制だな。

しかしこの銀の国外流出で国内の銀が不足して銀の価値が高騰しちまった。

それによって、実質的に農民の税負担が跳ね上がったからさぁ大変だ。ただでさえ限界を迎えていた農村経済が完全に破綻しちまったというわけだ。

しかも悪いことに、役人や軍隊の間にまでアヘン中毒が蔓延したことで、清の官僚機構は汚職まみれとなり、密輸を取り締まることすらできなくなっちまった。ブリカスやり放題だ。

アヘン戦争と連鎖する反乱

清はこの危機を止めようとアヘンの禁輸措置を発令し、国内のアヘンを没収・廃棄(林則徐🔗の断行)するわけだけれど、これがイギリスの軍事介入(アヘン戦争1840年)を招くわけだ。イギリス人の私有財産を焼却したということでいちゃもんをつけ、必勝の戦争を吹っかけてきたって筋書きだ。

この戦争に敗北した清は、多額の賠償金と不平等条約を課されて国家財政は破綻した。

おまけに泣きっ面に蜂とはこのことで、これをきっかけに国内では「太平天国の乱」などの巨大な反乱が頻発し、内部から文字通り崩壊していくことになるわけだ。

強大な中央集権国家の誕生と隆盛、そしてその衰亡と滅亡を伴う王朝交代ってのは中国史の定番だが、これはさすがにひどいもんだ。


ここまでの議論を通じて、「地理的・生態学的条件によって大分岐が起きる」「経済的に行き詰まった中国に、西欧が麻薬(アヘン)という例外的な商品で風穴を開ける」「中国の経済・社会システムが内側から瓦解する」という、近世・近代世界史の最もダイナミックな構造のパズルがすべて綺麗に噛み合っちまったわけだ。あまりの整合性にほれぼれするが、そこで起こった阿鼻叫喚の社会崩壊を想うと、血の気が引くぜ。

この混乱に乗じて、清に対して諸外国が租界などを設け、経済的に食いものにし、挙句の果てには日清戦争、清朝崩壊、日中戦争という混乱期に突入することで、中国の先進性は根底から崩れ去ったと俺は考えているんだ。

実際にアヘン戦争から20世紀半ばに至る一連の歴史的激動によって、かつて世界最高水準を誇った中国(長江流域など)の経済的・技術的な先進性は、その基盤から完全に破壊されることとなったわけだ。

このプロセスは、歴史学において中国が「半植民地化」し、開発の機会を徹底的に奪われていった過程として以下のように整理されるだろう。ちなみに租界ってのは、治外法権の外国統治地区だ。これは何もこの時代に限った話じゃない。つい最近までの香港もまさに租界だ。この現代的な展開に関しては、クィン・スロボディアン🔗の『破壊系資本主義🔗』を見てみるといいだろう。

今もなお、形を変えてこんなことは世界中で起こっていることだ。この日本も例外じゃない。それを頭に入れて読んでほしいし、この中国の混乱の最終的なカードを切ったのは俺たち日本人そのものだということも忘れないでほしい。

1. 租界の設置と「不平等条約体制」による経済的収奪

主権の喪失と関税自主権の欠如:

アヘン戦争やアロー戦争🔗以降、欧米列強は主要な港湾都市に「租界🔗(外国人が統治する居留地)」を次々と設置した。さっきも言ったように香港もそうだ。厦門、福州、上海、香港、天津、南京、寧波、蘇州、重慶、数え上げたらきりがないほどだ。明治維新を経て富国強兵に励んだ日本も含めた列強は、不平等条約を清と取り結び、清から関税自主権を奪い、不平等な低関税を押し付けたんだ。タリフマンだな。

余談だが、俺のお祖母さんノブちゃんは、若いころ二十歳まで生きないといわれていたので、生きてるうちが花なのよとばかりに九州阿久根の生家を飛び出し、天津租界に行ったそうだ。そこでドイツのバイエル社の開発した薬で病気を治し、俺のじいさんの庄六さんと出会うことになるわけだ。

国内産業の発展妨害

このグデグデの状況で、なし崩し的に欧米の機械制工業製品が関税の障壁なしに大量流入したんだ。

欧米の工業化を果たした国々の製品供給地とされちまったんだな。使う当てもないのに。

おかげさんで、ただでさえ需給バランスが崩れていた中国在来の綿織物などを主体とした家内制手工業は壊滅的な打撃を受けた。

国内資本が自発的に近代工業を育成する芽は、文字通り「食いものにされる」形で摘み取られちまったんだ。

これは他人事じゃない。日本だって一歩間違っていたら、そうなっていてもおかしくなかったんだ。いや、バブル崩壊後の日本は似たようなもんかもしれないな。

2. 日清戦争と「大分岐」の決定打

巨額の賠償金とさらなる特権割譲と外国工場の設置容認

 189495年の日清戦争での敗北は、清朝の衰退を決定づけた。下関条約🔗によって科された巨額の賠償金(当時の清の国家予算の数年分)は、すべて外国からの借款で賄わざるを得ず、清の国家財政は完全に列強に担保として握られちまったわけだ。

まるで第一次大戦後のドイツみたいなもんだ。ちなみに賠償金を吹っかけるのは社会を崩壊させるのでよろしくないと、彼のジョン・メイナード・ケインズ卿🔗も『平和の経済的帰結🔗』でおっしゃっていたぞ。

この条約で「中国の開港場での外国人の製造業(工場経営)の自由」が認められたため、列強の資本が直接中国内に乗り込んでくることになったわけだ。ただでさえダラ安の労働力を、とことんまで搾取する構造が完成したってわけだ!きっとアイフォンでも作っていたに違いないぜ(笑)。洋務運動🔗などの中国独自の近代化の努力はここで完全に挫折してしまうわけだ。まさにデッドエンドだ。

3. 清朝崩壊、軍閥割拠、そして日中戦争という「連続する戦乱」

政治的空白とインフラの破壊と日中戦争による壊滅的打撃(19371945年)

1912年の清朝崩壊後、中国大陸は統一政府を欠いた「軍閥割拠」の時代に入った。中国の歴史ではよくあることだ。三国志時代然り、五胡十六国然りだ。

おかげさまで国内市場は細切れになっちまった。

そして最大の致命傷となったのが、日本との全面戦争だ。

そうこの日本、正確には大日本帝国だよ。(俺の認識では、大日本帝国と日本国は、憲法が違うので違う国家だ。法人だって商号と定款が変われば、それは別法人だろう?)

当時、上海や武漢など長江流域を中心にようやく育ち始めていた中国独自の近代工業地帯やインフラ、水運ネットワークは、日本軍の侵攻と占領、そして戦火によって徹底的に破壊された。長年の経済的蓄積や知識、熟練労働者のネットワークはこの大混乱期に根底から崩壊したんだ。

そして、そのごく初期の1937年に起きた南京事件🔗は、かつてイギリスと比肩するほど発展していた江南の中心都市だったのは、歴史の不気味な符合に思える。

こうして中国の先進性は失われ、「100年の遅れ」が生じた

かつてポメランツが描いた「1718世紀の豊かな中国(江南)」の姿は、「生態学的限界による自発的な減速」にだけ留まらず、そこに「外圧(アヘン・租界)による構造的収奪」「半世紀以上に及ぶ連続的な戦乱(日清・日中戦争など)」が追い打ちをかけたことで、修復不可能なレベルで解体されてしまった。

この一連のプロセスで、中国は「近代化のスタートライン」に立つことすら阻まれちまったわけだ。日本が戦争に負けたのちも、国民党政府と共産党政府の内戦、国共内戦は1949年まで続き、国土は完全に荒廃した。そして国民党が台湾に逃れたのちも、毛沢東のとち狂った大躍進政策や文化大革命という反動的なほとんど内戦のような国家騒乱で、中国の発展は停滞し続けた。人口は激減し、生産から消費までの経済サイクルもすべて崩壊した。この異常事態の連鎖が中国社会のポテンシャルを完全に封殺していたんだ。

日中戦争から間髪入れずに突入した第二次国共内戦🔗19461949年)」、そして1950年代末からの大躍進政策🔗という二つの歴史的災厄は、中国の国土と社会システムを完全に破壊し、本来持っていた経済的潜在能力(ポテンシャル)を長期にわたり「封殺」することになっちまったんだ。

この暗黒期における構造的破壊と、社会ポテンシャルの凍結プロセスはまとめてみればこんあもんだが、まったくもってひでぇもんだ。

1. 国共内戦による社会・経済サイクルの完全崩壊

絶え間ない戦乱と国土の荒廃、それに続く経済サイクルの消滅とハイパーインフレ 

1937年から始まった日中戦争の終結(1945年)から、わずか1年足らずで全面的な内戦が再開した。明日の敵は今日の友とはこのことだ。

10年以上に及ぶ断続的な戦乱により、長江流域などの経済先進地のインフラ、工場、水運網はまたしても完全に寸断されちまったわけだ。これに拍車をかけたのが、ハイパーインフレだ。

蒋介石🔗率いる国民政府🔗が戦費調達のために紙幣を乱発したことで、都市部では天文学的なハイパーインフレが発生したんだ。

貨幣価値が完全に崩壊したため、人々は物々交換に逆戻りし、生産者が物を作り、市場で流通し、都市で消費するという基本的な経済サイクルそのものが完全に麻痺してしまった。まぁ、戦後の日本の闇市と似たようなもんだ。借金がかさむと、政府はハイパーインフレを起こして、借金の圧縮をもくろむのさ。

人口への影響

当然ながら、社会が混乱を極めれば、社会を構成している人々もひどい目に合う。

戦死者や戦生餓死者、難民の大量発生によって、社会の土台を支える「熟練労働者」や「知識層」のネットワークが散り散りになり、人的な資本も大打撃を受けることになったわけだ。要は国の根幹を支える人材がいなくなっちまったってことだ。

2. 「大躍進政策」による人為的なポテンシャルの封殺

1949年の中華人民共和国成立によってようやく平和が戻り、復興が始まったのも束の間、1958年に毛沢東が発動した「大躍進政策」が致命傷となった。

本当にこの毛沢東という人物は、中国史上に時折現れる『怪物』そのものだ。

史上最悪の政策起因型「大飢饉」

「15年以内にイギリスを追い抜く」という無謀極まりないとち狂ったスローガンのもと、農村の労働力を無理やり原始的な製鉄(裏庭での製鉄運動)やインフラ建設に動員しまくった。

その結果、農業の手が完全に疎かになってしまったんだ。そりゃ農民が本業そっちのけでなんちゃって製鉄をあちこちでおっぱじめたら、だれが食料を作るんだ?

さらに自然災害や人民公社🔗による無茶な中央統制が重なり、19591961年にかけて数千万人(近年の研究では1,500万〜4,500万人以上)の餓死者を出すという、世界史的にも類を見ない大惨劇をもたらしたわけだ。

経済の構造的自殺と生産性とポテンシャルの「完全な封殺」

現場の役人たちは、処罰を恐れて「今年は大豊作です」という虚偽の報告(浮誇風)を中央に上げ続けた。これは今も変わらないような気がするな。中国の地方役人が上の顔色ばかりうかがう痴呆役人だったという大問題だ。

このため、中央政府は実態を把握できないまま、まったく存在しない「余剰食糧」をソ連への債務返済や外貨獲得のために無理やり徴収し、輸出に回すというとんでもない暴挙に出ることになった。無茶苦茶やな。

この統治構造の欠陥が、農民から最後の餓死を免れるための食糧まで奪い尽くす結果となっちまったんだ。共産主義国ってのは、自分の国の人間をただの数字としてしか見ていないんじゃないかと思える時がある。これこそまさにそんな事態だ。

 ポメランツが描いた、かつて中国が誇った「網の目のように発達した高度な市場経済」や「農民たちの高度な手工業技術・勤勉性の伝統」は、この共産主義的な教条主義と徹底的な中央統制(人民公社化)によって完全に解体されたんだ。

個人の経済活動や自発的な技術開発の動機はすべて「」とみなされ、中国社会の潜在能力は完全に底流で凍結されてしまったんだ。冗談みたいなせかいだぜ。

まさにこれこそが20世紀後半にいたるまで西欧や日本に対して決定的な遅れをとる原因となったんだ。つまり一言で言えば『大分岐の大拡大』だ!

中国を文明的に遅れた民度の低い国家とみなす向きがいまだに我が国には多いが、それはこのような歴史的な経緯をまったく認識していない暴論に過ぎないんじゃないかな。

歴史的な因果関係や構造を無視して、現在の状況のみを切り取って優劣を議論することは、学術的な事実を見誤る原因にしかならないぜ。百害あって一利なしだ。

こうしてみると17世紀から20世紀半ばにかけて中国大陸がたどった「生態学的限界」「外圧による市場の破壊」「長期にわたる戦乱」というプロセスは、社会や経済の基盤を根底から揺るがすに十分なものだったろう。

この地獄遍歴のような歴史的経緯(コンテクスト)を理解することは、現代の国際関係や地域情勢を客観的に分析する上で極めて重要なことに間違いない。そして、一人の日本人として、うんざりするような自己嫌悪におちいらざるを得ないんだ。

遅れ馳せながら、現代の歴史学や経済史においては、次のような視点から、特定の地域を「内発的に遅れていた」とする従来の西欧中心主義的な見方が見直されることになったみたいだ。

  • 環境と資源の制約どの文明もその土地の資源(石炭の有無や人口密度)に縛られており、発展の方向性は優劣ではなく「環境への適応」の結果であること
  • 外部要因の影響: 植民地化や不平等条約、戦乱などの外的な衝撃が、その後の近代化や社会秩序の形成に決定的な遅れをもたらしたこと
  • 歴史の連続性: 20世紀後半以降の中国の急速な経済成長は、かつて江南地方などが持っていた高い市場経済の潜在能力や、教育・勤勉性の伝統が再評価される形で説明されることも多いこと
う~ん。なんだかとってつけたようなきれいごとにしか感じられんが…。
なんせ、さんざん好き放題やった連中の子孫が経済的な自由を享受しながら定義してることだろう。
どこか嘘くささというか、自分たちの責任を棚に上げるような不誠実なにおいを感じるのは俺だけだろうか…。
まぁいいさ。少しは人間賢くなったってことだろう。いや、ひょっとするとずっと巧妙になっただけかもしれないがね。

ネトウヨや右派的な思想の皆さんのように、中国人に対して批判的な言説を垂れ流すのは、多くの場合、こうした複雑な歴史の連鎖や構造的な背景への理解がないのが原因だ。どいつもこいつも大脳辺縁系ってトカゲの脳みそで反応し、感情的に喚き散らすだけだ。何の益もないぜ。ま、お相手も大概だけどな。つまりあれだ、お互い、お勉強が必要だってことさ。

1718世紀にはヨーロッパと互角だった中国が、20世紀後半にいたるまで「極度の貧困国」に甘んじることになったのは、まさにこの時期に社会のあらゆるポテンシャルを政治的に圧殺されていたからだという俺の見立ては、歴史的な因果関係から見ても間違いないといえるんじゃないかな。

この社会的混乱から立ち直ろうと、日本を筆頭に世界各国と国交を樹立し、鄧小平が主導する改革開放路線の下で社会の経済発展に取り組んできた中国が、その軌道に乗り始めたときに起きた大事件が天安門事件だったというわけだ。

日本が率先して、円借款再開に動き、中国を支援した事実の底流には、間違いなく中国に対して、多大な犠牲を伴う戦争を仕掛けたという自責の念があったのは間違いないだろう。

けど、どうして中国って国は民主主義が馴染まないのか。その答えには全然たどり着いてないな。

2026/06/23

POST #1886 まずは近代の中国の状況を見てみよう。手がかりがあるかもしれないぞ!

 

香港

胸ぐらをつかみ問いかけるような『なぜだ!

その内なる疑問を解き明かすための一歩として、近代の中国の状況までさかのぼってみてみよう。今日の民主主義国家つまり、―いち早く産業革命を成し遂げて工業化に邁進し、資本家への富の集中という本源的な蓄積を成し遂げて、国益と国益のぶつかり合いから国家間の総力戦という概念を生み出し、兵士を広く国民から徴募する過程で民主主義をいやいやながら採用し、富の上位集中による資本家への反動とその融和策として社会民主的な福祉国家へと成長していった西欧の国々と、中国と何が違うのかを考えるんだ。

ん、なんか今スゴく巻いた感じでヨーロッパの近代史を総括しちまった気がするな。まぁいいか。

中国を西欧や日本に比べて遅れた社会だったと考えるのは、とんだ見当違いだ。今日、西欧的な民主国家というのがスタンダードで、人類の普遍的な社会進化の到達点のように評価する傾向が強いが、これは俺の視点からすれば、単なるエスノセントリズム=自民族中心主義だ。

勘違いしてはいけない。

現在、民主的な価値観を持つ国々が覇権国家になっているのは、いくつかの偶然によって生じたものにすぎないんだ。歴史にIFはないかもしれないが、歴史の道のりは、常にどう転ぶかわからない蟻の戸渡を進んできた結果なんだ。もし、サイコロが違う目に出ていれば、現在の中国的な専制主義が世界のスタンダードになっていたかもしれない。

いや、ひょっとしたら世界の人口の大半を占めるグローバルサウスの人々(この言い方も偽善的ではあるわな)からすれば、この専制的な国家体制のほうが普遍性のあるものに見えている可能性も高い。その複眼的な視点を忘れてはいけない。

まず、ケネス・ポメランツ🔗大分岐🔗という名著を紐解いてみることにしよう。

そもそも、17世紀ごろまで、中国を中心とする東アジアと西ヨーロッパに経済的優劣はなかった。これはケネス・ポメランツ🔗大分岐🔗からも明らかなことだ。人々は、余暇を織物の生産などに充て、勤勉に暮らすことで生産性を上げていたんだ。

ケネス・ポメランツ🔗の『大分岐』などで知られる近世世界経済論では、18世紀後半以前の東アジア(特に中国の江南地方🔗)と西ヨーロッパ(イギリスなど)の間に、生活水準や市場経済の成熟度において本質的な優劣はなかったとされているんだ。

おっと、一口に中国の江南地方というけれど、この地域だけでイギリスとほぼ同じ広さがあることを頭に入れておこう。

先にも書いたことだけれど、人々が余暇を紡績や織物などの農閑期の手仕事(農村工業)に充て、生産性の向上に寄与していた点も、この時代の労働集約的な経済発展を語る上で重要なポイントとして挙げられるだろう。こういう紡績などは婦女子のたしなみとして奨励されてもいたんだ。

また、東アジアでは日本も含めて水運が発達しており、陸上輸送よりも大きな輸送力も持っていたことも忘れちゃならない。対して西欧社会では元来、畜獣つまり牛や馬などによる荷車けん引による陸上輸送が主体だった。畜獣を養うには、それ相応の牧草地が必要だ。これは食糧生産の枷となり、人口の増加を妨げる要因にもなっていたことだろう。

ここで決定的な分岐を生み出したのは、イングランドの大量消費地であるロンドンの近郊で炭鉱が見つかったことだ。

これで蒸気機関が発明され、エネルギー革命が起きたことがまず第一の分岐だったんだ。

次に、大きな分岐となったのは、イギリス人は新大陸に綿花や食料などの生産をアウトソーシングすることで、国土を新たな産業に割り振ることができるようになり、ここから土地と労働人口が生じたことによって経済をテイクオフさせることができるようになったわけだ。

さらにダメ押しは、新大陸での生産性を向上させるために奴隷貿易を通じて、アフリカでとっ捕まえてきた黒人奴隷という安価な労働力を供給し得たことが挙げられるだろう。

本源的蓄積がここから始まるんだ。けっしてマックス・ヴェーバー🔗が『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神🔗』で説いたように、プロテスタントの連中が、コツコツ真面目に働き倹約するという信仰姿勢を持っていたから本源的な蓄積がなされたわけじゃない。どんなきれいごとにも裏があるのさ。ここには奴隷制とイギリス⇄アメリカ⇄アフリカという三角貿易の搾取構造があったわけだ。これは都合が悪いから、西欧の学者はあんまり言わないけどね。これは大事なことだから覚えておいて。

さてと、上野話を整理するとイギリスが東アジア(つまり辮髪の中国やちょんまげの日本)と異なる道を歩み、近代化を達成できた要因は、この3点に集約されるかな。

1. 石炭の地理的優位(エネルギー革命)

ロンドン近郊の炭鉱と水運の活用

イギリスでは主要な消費地(ロンドン)の近くに大規模な炭鉱があった。で、 掘り出した石炭を、効率的な水運(沿岸航路)で大量に安く都市へ運べたわけだ。石炭は上記期間だけじゃなくてもちろん暖炉を使った暖房にも使える。でもって、後はジェームズ・ワット🔗にお任せだな。

中国との違い

中国の主要な炭鉱は満州や山西省などの北西部の内陸にあり、豊かな消費地(江南地方)から数千キロも離れていたんだ。数千キロだよ!これにより輸送コストがひき合わず代替エネルギーになり得なかったんだ。

2. 生態学的制約の打破(新大陸という広大な外延)

土地(エーカー)の節約

 当時の東アジアもヨーロッパも、人口増加による「土地不足(燃料・食料・繊維の不足)」に直面していたんだ。

アウトソーシング

イギリスは新大陸(北米など)から綿花や食料、木材を大量に輸入することにしたんだ。それに加えたタバコや砂糖などの嗜好品を大量に輸入することで、労働者階級の需要を喚起し、その労働生産性(つまりタバコを吸ってアルカロイド成分でしゃっきとし、砂糖入りの紅茶などを飲むことで、エネルギーの効率的な摂取を可能にしたんだ)を向上させたわけだ。

リソースの解放

おかげさんで、国内の土地を農業に縛り付ける必要がなくなったわけだ!こうして農業用地や薪を取るための共有地は、あっという間に工場用地になり、仕事にあぶれた農民は共同体からスピンアウトして工業労働力(人口)へと大胆にシフトすることになったわけだ。これをポメランツは「幻のエーカー」と呼んだんだ。

3. 大西洋奴隷貿易による低コスト化

安価な労働力の強制供給と綿花生産の爆発的向上

新大陸の広大なプランテーション🔗を稼働させるため、アフリカから過酷な奴隷労働力を投入しまくったわけだ。まったくひどい話だ。

これによって、産業革命の主力商品である「綿花」を大変お値打ちに、かつ大量にイギリス本国へ供給し続けるシステムが完成しちまったわけだ!

わお、悪魔の碾き臼いっちょ上がりだ!

東アジア(日本・中国)が選んだ別の道

一方、これらの方程式(石炭・新大陸・奴隷)を持たなかった東アジアは、限られた国内の土地と資源の中で生産性を上げるため、人間の労働力をさらに精密に投入する「勤勉革命(Industrious Revolution)」の道を歩むことになったわけだ。

おかげさんで、日本人も中国人も、細かいものを作らせたら世界で右に出るものはいないってことになってるわけだ。

実は、日本人も中国人もひじょうによく似た発展経路をたどっているんだ。今の日本が曲がりなりにも民主主義国家として成立しており、中国がデジタル専制国家となっているのには、実は深い理由、それも数千年単位の理由があるのだけれど、近代の経済構造だけ見てみれば、双子のように瓜二つなんだ。


閑話休題


先にもあっさり触れたけれど、中国人が蒸気機関を発達させるには、無理があった。

長江流域の生産消費地付近に石炭の産出地がなかったことが原因に考えられている。ちょっと満州あたりで石炭が採れても、消費地まで何千キロも輸送しなければならないからだ

中国が蒸気機関や石炭エネルギーを中心とした産業革命へ移行できなかった理由は、まさにその「資源の産出地」と「経済の先進地(消費地)」の決定的なミスマッチにあったわけだ。ぶっちゃけて言えば、ついてなかった。

1. 「先進地(江南)」と「炭鉱(華北・満州)」の断絶

経済の中心は長江流域で炭鉱は数千キロの彼方

当時、最も市場経済や手工業が発達し、資本や労働力が集積していたのは長江下流域(江南地方)だったのはすでにお話しした通り。けれど、 有望な炭鉱の多くは、満州(東北地方)や山西省といった華北・内陸部に偏っていたわけだ。

輸送コストの壁

当時の技術では、これほどの長距離を陸上輸送(または当時の水路網を迂回して)で江南まで運ぶと、燃料としての採算が全く合わなかった。この江南地方と北部を結ぶ構想は、隋🔗煬帝🔗京杭大運河計画🔗からわかるように、中国という巨大なエリアが宿命的に持つ大問題だったわけだ。

2. イギリスとの決定的な「距離」の差

イギリスは「隣国」レベル:

この中国の絶望的な状況に比べイギリスでは、炭鉱(ニューカッスルなど)から大消費地(ロンドン)まで、河川と沿岸水運を使って極めて安価に石炭を運ぶことができたそうだ。ニューカッスルからロンドンまでは直線距離でおよそ400キロ。水路で迂回すると実質560キロ。それでも十分遠いが、それでも数千キロに比べたらまだましだ。

技術開発の動機

イギリスでは「炭鉱の排水」という切実な課題のために蒸気機関が作られ、手元にある安い石炭を使ってそれを改良できたんだ。

しかし中国では、炭鉱のある地域に最先端の技術者や資本が集まる経済・都市基盤がなかったため、開発のサイクル自体が生まれなかったんだ。残念…。

3. 動力(蒸気機関)を必要としなかった江南

完成された水運ネットワーク

これに比べて江南地方は網の目のように水路が張り巡らされており、すでに人間や家畜の力、風力を利用した効率的な舟運システムが完成していたんだ。完成されたシステムが目の前にあるのに、どうして苦労して何千キロも石炭を運んでこなけりゃならい?

安価で豊富な労働力

おまけに人口が密集していたため、わざわざ莫大なコストをかけて「石炭を運び、蒸気機関を作る」よりも、既存の水運と豊富な労働力を組み合わせる方が、当時の経済合理性に適っていたわけだ。そう、中国のお家芸の人海戦術だ!

このように、中国は「技術力がなかった」わけではなく、資源と先進地が地理的に離れすぎていたため、石炭エネルギーに依存するインセンティブ(動機)が生まれなかったというのが、ポメランツら近世世界経済史の共通した見解なんだ。そしてそれが、その後の社会の発展の大きな分かれ道、つまり『大分岐』になったわけだ。


 中国は、その後生態学的限界、資源作物の需要拡大によって食糧生産の頭打ちと農耕に使用できる土地の減少などに突き当たったっていった。

また先進地帯の技術が広く普及することで、先進地帯はコストのかかる高級品に生産をシフトしていかざるを得なくなったんだ。

おかげさんで、生産性を伸ばすことに限界が訪れ、経済発展が減速していったんだ。

中国(特に経済先進地である江南地方)が直面した生産性の限界と減速のプロセスをまとめるとこうなるかな。

1. 生態学的限界と食糧生産の頭打ち

「内発的発展」の限界、そして人口増加と土地の奪い合い

イギリスが新大陸という「外延(アウトソーシング先)」を得たのに対し、中国は国内の土地を徹底的に使い回すしか道はなかったんだよ。

18世紀を通じて人口が爆発的に増加(清代の人口激増)したため、耕作可能な限界まで開墾が進んじまったわけだ。

そんなこともあって、清の乾隆帝🔗は何度も外征を繰り返して領土の獲得に必死だったのかもしれないな。

資源作物の圧迫

木材、燃料(薪)、繊維(綿花・絹)といった「工業のための資源作物」の需要が拡大した結果、主食である米を育てるための水田と土地を奪い合う形になり、食糧生産の成長が限界(頭打ち)を迎えてしまった。本末転倒だ。

2. 先進地技術の普及と経済の「自己完結化」

周辺地域への技術移転と周辺地域の自給自足化

かつては江南地方が独占していた高度な織物技術や加工技術が、長江の上流・中流域(湖広地方など)や華北といった「周辺地域」に広く普及してゆくこととなった。

で、技術を得た周辺地域は、自分たちで綿花を育てて衣類を自給できるようになり、わざわざ江南から綿製品を買う必要がなくなっちまったわけだ。同時に、自分たちの食糧(米)も自らの地域内で消費するようになり、江南への米の輸出を減らしたわけだ。まさに地産地消だな。

3. 高級品へのシフトと生産性向上の限界

コストと付加価値のジレンマと 高級品への特化

周辺地域が安価な一般向け綿布を大量生産し始めたため、江南地方の既存の産業は競争力を失うのは世の必然だ。そこで江南の生産者は生き残るため、「より手間とコスト(労働力)がかかるが、高く売れる」絹織物、高級綿布、精巧な民芸品といった高級品・特産品の生産へシフトせざるを得なくなったという算段だ。

経済成長の減速(インボリューション)

このシフトは、人間の手作業をさらに細かく詰め込む「超・労働集約型」への移行を意味するわけだ。要は手数が増えるんだ。

そのため、単位労働時間あたりの生産性(効率)を劇的に上げることはできず、経済全体のダイナミックな発展は減速していくことになるんだ。(黄宗智🔗氏らが提唱する「過密化(インボリューション)」の議論とも合致する現象だ。)


このように、イギリスが「土地と労働を機械と新大陸に代替してブレイクスルーした」のに対し、中国は「限られた土地に労働力を極限まで詰め込んで現状維持と最適化を極めた」結果、19世紀以降の決定的な差へとつながっていくことになったわけだ。

そこにさらに、現在の西欧民主主義国家の銭ゲバな攻撃が中国に対して繰りだされ、19世紀の中国は社会崩壊してゆく。

それは、アヘン貿易だ。