2026/03/16

POST#1790 俺たちの貧しさに乾杯!(遠藤ミチロウ風に)

Sweden
今日は今日の続きだ。まぁ、いつだってそうなんだけど。

俺はまえからずっと考えていたんだ。日本の労働者の生産性の低さには原因がある。

その一つは、この30年実質賃金がほとんど上昇していないこと。

大手企業は莫大な利益を上げているにも拘らず、それを株主に還元し、海外への再投資に回し、自社株買いに回す。労働分配率は墜落寸前の低空飛行だ。日本の中間層は激減し、社会構造は一部の富裕層と貧しい庶民に分断された。

また、アベノミクス以来、円安が進行するにつれて、円の価値はどんどん目減りしている。

これによって、日本の賃金が横ばいでも、相対的に実際の所得は低くなっていく。

この辺のことは最近売れまくっている新書 佐々木融氏のインフレ・円安・バラマキ・国富流出🔗を読んでみることをお勧めするよ。わかりやすく書いてある。

この本によれば、1990年代初頭、スイスに次いで日本人の平均収入は世界第2位だった。そして日本の経済が失われた30年とか言ってデフレ傾向のまま停滞している間に、世界中の国々では緩やかなインフレとそれにリンクした賃金の上昇によって平均所得を伸ばし、今じゃ世界ランク第24位まで後退した。じりびんだ。

同じ労働をしていても、対ドルベースでみてみれば、生産性が下がっているのも致し方ないというものだろう。

しかし、それ以上に俺が感じているのは、国民の大多数が長年にわたって賃金は据え置かれ、結果未来に希望を持てなくなっている状態への、無言のそして無意識の静かな抵抗なんじゃないかと危惧しているんだ。まるで、ソ連崩壊前夜のソ連の労働者みたいだ。

 報酬(賃金)が上がらない以上、労働者の皆さんが、企業に対して提供するエネルギー(労働の質・量)を最小限に抑えてバランスを取るのは、個人レベルでは合理的な行動だ。しょせん「頑張っても報われない」という叩き込まれた無力感が、無意識に「ほどほどに働く」スタイルを定着させた可能性があるんじゃなかろうか。そう、なに熱くなってんの?っていうシニカルな態度もそれに近いよね。

それに加えて日本特有の「長時間労働=美徳」という文化の中で、賃金が上がらないまま効率だけを上げると、さらに仕事が積み上がるだけだ。無間地獄だ。

ケインズは100年ほど前に、「私たちの孫の世代には、技術の進歩とともに労働生産性が向上し、一日に3時間、週に15時間働けば生活できるようになる」と考えていたが、労働生産性を上げた分だけ、お替り無料で仕事が詰め込まれる。まるでお仕事北京ダックだ。

これを避けるために、あえて効率を上げずに時間を埋めるという行動が、結果として統計上の生産性を押し下げている側面は否定できないんじゃないだろうか。

そしてダメ押しのように、付加価値を上げてもそれが労働者に賃金として還元されず、企業の内部留保や株主への配当に回る構造が続いたことで、労働者のやる気が世界最低水準まで低下している。 

しかも質の悪いことに、この「無言の抵抗」は労働組合などによるゼネストなんかの組織的なボイコットじゃなく、一人一人の働くおじさんおばさんが心身を守るための「適応」に近い。どこか現代のネガティブなラッダイト運動🔗のようにも思える。

円安と賃金の伸び悩み、産業の空洞化という30年に及ぶ停滞が、日本人の労働観を「価値創造」から「現状維持」へと変質させてしまったというわけだ。

政府がどれだけ旗を振っても、改善しない少子化は、人々が未来に希望が持てないことと、結婚など考えるだけの経済的・生産的な余裕がないということに尽きるわけだ。

新入社員の給与水準を大幅に上げるという動きも一部には出てきているのは確かだよ。しかし、その動きはまだ小さなもので社会全体の動向を変えうるようなものではない。

先日、フランスのお騒がせおじさんエマニュエル・トッドの若干25歳のデビュー作最後の転落🔗を読んでいて、彼が崩壊を予見した旧ソビエト連邦と、現在の日本は驚くほど重なる部分があることに気が付いて慄然とした。
トッドは、統計上の「数字」ではなく、乳児死亡率の上昇労働現場の無気力といった社会の実態からソ連の制度的機能不全を見抜いた。それは今の日本における「生産性の低さ」「低下するばかりの出生率」と相似関係にあるように考えられるんだ。そう、ソビエト連邦と日本という相互に異なる社会システムへの「静かな拒絶」という点でね。当時のソビエト連邦と現在の日本を繋ぐ、いくつかの類似点を挙げてみよう。
まず「働いたふり」の蔓延
ソ連には「彼らは給料を払うふりをし、我々は働いているふりをする」という有名なジョークがあったそうだ。笑えるぜ。
実質賃金が停滞する日本でも、表面的には従順ですが、内実としては「最低限のエネルギーしか投入しない」という、ソ連型に近いサボタージュが起きていると言えるんじゃないか?
イデオロギーと現実の乖離
ソ連が「共産主義の勝利」という虚構を維持しようとしたように、日本も「真面目な労働文化」という過去の残像を捨てられず、非効率な慣習を維持している。その挙句、日本の会社員は、自分のことを社畜と自嘲気味に捉えている。理念と現実の乖離によって精神が破壊されるんだ。
の硬直化
国家(または企業)が資源を独占し、末端の労働者に成果が還元されない構造が、個人の創意工夫を完全に削いでしまった点も酷似している。トッドの視点を借りれば、生産性の低さは単なる経済指標ではなく、その社会が「構成員を幸せにする機能を失った」という末期症状のサインかもしれない。
経済はそれ自身では倫理的なものではなく、人々の欲望によってダイナミックに動いてゆくものだ。そして、そのダイナミックな富の循環において、もっとも有利なプレイヤーは資本を独占するものだということは、マルクスが資本論で描いたころと何ら変わりない。ペゾスやマスクを見てみるがいい。
その濁流を法によって制御し、社会の構成員たる市民に富の再分配をするのが政府の務めではないかしらん?しかし実際に起こっていることは、国富の海外への流出と富の逆再分配=富裕層への集中だ。こんな社会で伴侶を見つけ、子供を産み育てることは無理ゲーってもんじゃないか?だからと言って、外国人を悪者にして叩いても何も変わらないぜ。俺たち日本に住んでいる市民自身が、日本の社会に希望を見出せるようにしないといけないんだ。
さて、今の日本政府に、みんな大好き早苗ちゃんに、この流れを変えることはできるかな?
日本の円が安いことの一因には、俺は日本という国に将来への理想も未来へのビジョンもなく、ただアメリカに従属して漂流しているだけだという残酷な現実が根底にあるように思えてならないよ。

2026/03/15

POST#1789 日本の生産性の低さは日本社会の衰亡の印

労働生産性の高いDenmark,Copenhagen
日本の労働者の生産性が低いと、何年も自嘲気味に語られている。

働けど 働けど猶
わが生活(くらし) 楽にならざり
ぢっと手を見る 
ってやつだ。

確かに、普遍的に社会のあらゆる階層に存在する自ら責任をとろうとしないリーダー、そして責任回避のために作られる無意味な書類、情報を共有し、責任を分散させるためにやたら増えてゆくメールのCC、そしてそんなメールに目を通すだけで過ぎてゆく時間。こんなものが労働生産性を鰹節のようにゴリゴリ削っていく。

俺が昔働いた組織では、水曜日に本社のプロジェクト推進者の会議があり、火曜日にその会議に備えるための現地組織の会議が行われすり合わせが行われる。そして月曜日にはその火曜日の会議に向けてのセクション内の情報共有会議が行われるという有様だった。そして、その水曜日の会議で提起された問題は、その場で解決することなく、本社に持ち帰って検討調整されるというマトリョーシカのような面白いことになっていた。そして、その瞬間にも現場は進捗し、問題は次々と発生していく。方針は示されない。誰も責任を取らず、最終的には現場の末端労働者に、過重なスケジュールが押し付けられ、責任者たちが枕を高くして眠っている間、現場は労災スレスレ状態の不眠不休で働き続け疲弊することになる。
これは、確かに生産性が低い。
そして、その責任者たちはとんでもなく高給優遇で、なおかつ責任は分散し、個人的に責任を問われることもない。
そんな責任者たちは、さっさとAIに置き換えてもらっても構わないだろう。くそ!

また、ずっと円安が続いている。あらゆる資源を輸入に頼っている我が国としては、円安によって調達コストが膨れ上がると、利益率は減り、それにリンクするように生産性は低下してゆくだろう。現状の円安傾向が決して良いものではないにもかかわらず、日本人の中には円高になると日本製の製品が売れなくなるという信仰がある。とりわけ、製品を海外に出荷する企業は調達コストの上昇を納入メーカーに転嫁し、自らは円安の恩恵を受ける。それどころか、生産拠点自体が海外に出て行ってしまい日本には帰ってこないので、円安になろうとどうってことないじゃないかな。むしろ日本で作った部品を円ベースで安く調達し、外貨で売れば差額が増えるのかもしれない。

いずれにせよ、日本人の労働者の生産性は低いといわれる。その一方で、日本人は優秀だとかいう言説も流布する。要は、安い賃金で文句も言わずにまじめに働くってことだ。
そして、実質賃金はもう30年ほど上昇していない。
近年の賃金上昇も、物価上昇ペースに追い付かず、給料の額面は大きくなっても、購買力は下がるという笑えないけど笑うしかないコントのような不条理な有様だ。

こんな状況で、生産性が低いというのは、至極当然、まっとうなことではないだろうか。

サナエノミクスとか言って浮かれている場合じゃないんじゃいか?すでに四月から、今まで経営者にだけ課されていた、こども子育て拠出金が すべての労働者に課されてゆく。5月給付分の賃金から、標準報酬月額の0.23%を労使折半だ。君は知っていたか?金持ちが自分の孫のために投資して、そこから出てくる利益には非課税という社会の不平等を助長する制度も、すでに岸田内閣で決まっていたこととして、粛々と始められる。

やってられんな。

俺は思うに、日本の労働者の生産性の低さというのは、日本社会の衰亡の印以外の何ものでもないんじゃないのか?君はどう思う?まるでソ連崩壊前夜みたいだ。

2026/03/14

POST#1788 俺は勉強は嫌いだが、学問は好きだ

名古屋駅西
どれだけ頑張って仕事に取り組んでも、俺はカミさんからダメな奴と思われているんだ。

仕方ない。若いころは根拠のない自信満々だったし、エネルギーに満ち溢れていたからな。なんでもその気になればできるし、なんにでもなれると思っていた。それが、今ではしがない現場監督だ。それがシビアな現実だ。

どれだけその世界で一線級の一騎当千でも、しょせんはブルーカラーだ。肉体労働の端くれだ。実際には頭使って、体使って、気を使って、金も使うという総合的な人間力が問われるんだけれど、外資系企業でじゃんじゃんバリバリやってるカミさんからすれば、稼ぎの悪い非効率的な仕事のブルーカラーだ。

世の中には職業に貴賎なしという建前があるが、実際にはブルカラーの人間を蔑視する傾向は抜きがたくある。そういった職業の人々の中にも、自発的に卑下するような卑屈な発言をする奴がいる。一般の皆さんのご迷惑にならないように、歩道は一列で歩きましょうとか自ら提案する卑屈な考えの持ち主もいた。現場で働いてる人間は二級市民のように扱われる。まるで士農工商穢多・非人だ。白戸三平のカムイ伝🔗の世界みたいだ。

職業に貴賎なしなんて、嘘だ。

俺が息子とひと悶着あった朝、美容院に出かけて帰ってくると、カミさんは相変わらずむすっとしていた。

俺の朝の態度が気に入らなかったんだろう。にもかかわらず、俺が「塾と塾の課題を夜遅くまでやって学校が蔑ろになるんなら、本末転倒じゃないか?」というと、憮然として「じゃぁ塾辞めればいいの?中学受験やめればいいの?」とすごい剣幕で畳みかけてくる。

「私立の中学行かなくっても、死ぬことはないけれど、毎日遅刻して学校行くなんて意味ないじゃないか」俺は抗弁したが、いまだかつてカミさんに口論で勝てたことがない。

「じゃぁ、あきらめろっていうの?なに!市立の中学行って、通信制の高校でも行けばいいの?!あんたが麒麟児にパンでも焼いて一生暮らせって言ったんじゃないの!そんなのかわいそうでしょ!」カミさんは半泣きで怒っている。

パンでも焼いて生きろってのは、発達障害で本当に学校の勉強がままならなかったころ、俺がしばしば言っていた話だ。小学校から特別支援学校に移り、先々は発達障害や身体障碍、知恵遅れの人などの施設で、入所者や通所者の自立のために、パンを焼いて売ったりしてるようなところに行くしかないんじゃないかって言っていたことを指してるんだ。

俺はパン焼いて生きるのも、けっして意味のない人生ではないし、惨めなものでもないと思うけど。それはあえて言わない。そこに無意識の差別意識が潜んでいることを俺は感じ取るけれど、それも黙っておく。そもそもまぁ、どんな人生も意味があるといえばあるし、意味がないといえばない。どっちでもいいさ。

俺は言葉に窮した。確かに俺はそういったことが何度もある。けどもう、そうなったら自分の部屋にこもるしかないんだ。

で、なんだかんだ言って昨日の夜も、夜12時前まで二人でわあわあ言いながら勉強していたわな。俺はさっさと風呂に入って休ませてもらったぜ。

最後に一言。俺は勉強は嫌いだった。けれど、学問はいまでも好きだ。

勉強って「強いて勉める」って書くだろう。その自分の外から強いられて何かのためにする、将来いい稼ぎを得るためにするっていう功利主義が見え隠れするのが嫌なんだ。なんか子供を作るためにだけにする、種付けのようなセックスみたいでげんなりする。

ただ、自分の中から湧き上がってくる疑問や好奇心といった「問いを学ぶ」という、見返りは自分の満足だけの愉楽としての学問。俺が好きなのはそれだ。読者諸君、失礼する。よい週末を過ごしてくれ給え。