2026/05/16

POST#1851 景気のよさそうな大本営発表の裏で、子どもたちは死を選んでる

那覇の飛び梁
俺がこの問題の奥に、日本社会が明確に衰亡に向かってる、いやある意味すでにディストピアになっていると気が付いたのは、毎度おなじみエマニュエル・トッド🔗の処女作『最後の転落🔗』を読んでいた時だ。この本はソビエト連邦崩壊の15年も前に、ソビエト連邦に行ったこともないトッドが、乳児死亡率が1970年ごろから上昇していることから、社会の基盤が崩壊に向かって崩れはじめ、いずれソビエト連邦は自壊すると論じたものだ。
この本を書いた当時、弱冠25歳のトッドは実際にソビエトに行ったこともなく、ソ連の衛星国家であったハンガリーに行ったことがあるだけだったのだが、乳児死亡率というデータから、経済の発達を示す統計のウソを見破り、社会が行き詰っていることを白日にさらしたんだ。

株価60,000円突破、税収過去最高、企業の利益は過去最高という景気のいい報道が流れる中、日本の子どもの死因の第一位は自殺だ。
俺は、エマニュエル・トッドの『最後の転落』を読んでいるうちに、これは現在の日本で起きていることそのままだと感じたのさ。

このままでは、日本の社会は崩壊する。どこかのおかしなメガネの学者が言うように『老人が集団自決』すれば救われるようなものじゃない。そんなことをしても社会の崩壊は加速するだけだ。

問題から目を背けず、まずは考えることだ。

なぜ日本は子供の自殺率が高いのか?
日本の子どもの自殺率が高い背景には、「学校問題」や「精神的幸福度の低さ」といった複数の要因が複雑に絡み合っているそうだ。
G7諸国の中で10代の死因1位が自殺なのは日本のみであり、その深刻さが浮き彫りになっているといえるだろう。
主な要因として指摘されている点は以下の通りだ。
もちろんこれは世間一般で指摘されている通り一遍の内容だから、その奥の構造を深堀してみないといけないけれど、それに関しては今は留保しておこうか。

学校に関わる悩み
中高生の自殺原因で最も多いのが「進路の悩み」や「学業不振」などの学校問題だそうだ。
子どもたちの社会は、学校と家庭という閉じた社会だ。そこでの悩みは彼らの内的世界を揺るがすものになるのは容易に想像がつく。

学業・進路のプレッシャー
良い成績や進学を求める社会的・家庭的な期待が強いストレスとなっている。
けれど、言わせてくれ、人生はレールから外れたときから初めて自分のものになるんだ。
誰かの引いたトラックを順調に走るだけの人生なんて、そんなの人生じゃないだろう!

人間関係
 いじめや友人関係の悩みに加え、近年ではSNS上のトラブルが要因となるケースも増加している。そのような報道が繰り返されるたびに、無力感とやり場のない憤りに胸がいっぱいになる。純真無垢で生まれてきた子どもたちを、そんな無情に駆り立ててしまったものは何なのか?

長期休暇明けの不安
夏休み明けの9月1日前後は、学校への不適応感から自殺が急増する傾向にあるという。
それで死にたくなるくらいなら、学校なんて修羅場に飛び込む必要なんてないんじゃないのか?命を懸けていく学校も会社もないんだぜ!

精神的幸福度の低さ
ユニセフの調査(2020年)によると、日本の子どもの「身体的健康」は世界トップクラスである一方、生活満足度や自殺率を指標とする「精神的幸福度」は38カ国中37位と最低水準にある。まったく素晴らしい調査だ。
何でこんなことになるんだ?俺たち大人はもっと真剣に考えないといけないんじゃないか?

自己負担感と孤立
「周りに迷惑をかけている」という感覚、つまり自己負担感や「どこにも居場所がない」という感覚、ストレートに言えば孤立感が自殺願望を高めると分析されている。
鬱病を患って、長いことレクサプロを飲んでる俺にもよくわかるよ。

家庭環境や社会的背景
家庭内の問題
家庭不和や虐待、親からの叱責なども大きな要因の一つだ。
精神疾患の増加: 
高校生などを中心に、うつ病をはじめとした精神疾患の増加も背景にあると見られている!

原因の特定が困難なケース
文部科学省の調査では、自殺した子どもの約6割が「原因不明」とされている。
原因を追究すれば、いろいろと不都合が生じる時、人々は往々にして原因不明という鵺のような現象だと語りたがるのさ。そう、その原因は一つのものではなく、キメラのように複雑に絡み合っているんだ。
これは、周囲が異変に気づかないまま子どもが「声にならない声」を抱え込み、一人で追い詰められている現状を物語っているだろう。

俺たちのような大人が、子供たちに対してひとりの人間として真摯に向き合わないといけないんだ。しかし、そんな精神論では片づけることのできない、大きな構造が潜んでいるはずだ。
 そもそも、なんで子どもたちが周りに迷惑をかけることを極端に恐れないといけないんだ?

人間は周りに迷惑をかけずにたった一人で生きていけるような存在じゃないんだぜ。
タワマンに住んで、十分な資産を持ち、おひとり様を満喫する人はどうか知らないけれど、人間って、お互いに迷惑をかけあうことでしか生きてなんかいけない存在のはずじゃないか?

自己責任?

地球にやってきたばかりの子どもたちにそれを求める人たちは、自分が子供のころ、自分の力だけで生きてきたと思っているおめでたい奴だとしか言いようがないぜ。

迷惑をかけあえる、そして行政につなげば憲法の精神に則って人間として尊厳のある生活を送れるような支援を受けることができる。そんな当たり前のことが、当たり前じゃない世の中なんだ。

自己責任とか言って、人間をモナド🔗化してしまってはいけない。それは人間を目的とするのではなく、人間を社会システムの維持のための部品に変えてしまうパワーワードなんだ。

みんな、目を覚ませ!そして、子どもたち、隣人たちの心の声に耳を澄ませ!

2026/05/15

POST#1850 中高生の死因の第一位は自殺という国に住んでいる


台北市漢中街171巷

昨日、小学5年生のむすこ麒麟児を、自分が仕事に出撃するタイミングで塾に送っていった。
この車の中は、俺と息子の二人だけの会話の空間だ。息子は車に乗り込んだかと思うと、『おれさぁ、5年3組の女の子と結婚しようと思うんだ』ときやがった!
『はぁ?!なにいきなり言ってんだよ?!』まだ、孫は勘弁してくれ。
『明日結婚しようと思うんだよね』と息子
『ばか、10年早いよ!まぁ、そんなのはさぁいろいろよく考えて選ばないとだめだぜ。で、その娘のどこがいいんだよ?』
『そうだねぇ、笑顔かな』と息子。
なかなか面白い奴だ。
人間を、属性で判断せずに、ストレートに笑顔がいいといえるのは、大人でもなかなかいない。そういうところは俺の息子のいいところだな。
 『で、担任のBB先生に明日結婚式やるから、ケーキ用意して欲しいって頼んだんだ』
やれやれ、俺は先生のご苦労を心中で思いやったぜ。子どもってのは、面白いもんだ。頼むからそのままおもしろい大人になってほしいもんだ。

しかし、この日本では子供の死因の第一位が自殺だ。
厳密には中学生から高校生にかけての死因の第一位が自殺だ。
日本の小中高生の自殺者数は、近年増加傾向が続いており、2025年(令和7年)の1年間で538人に達している。
これは統計が残る1980年以降で過去最多の数値だ。嘆かわしいことだ。
もう40年も前だけど、俺が高校生の頃にも同じ学校の一つ下の女の子が自殺して、その子と付き合っていた同級生の少年が泣き崩れていたのをどうすることもできず見ていたことを思い出す。
日本の子供の自殺に関する最新の実態とデータの内訳は以下の通りだ。
1. 学校種別の内訳(2025年統計)
子供の自殺者数は年齢が上がるにつれて増加する傾向にある。
小学生:10人前後
中学生:約170人
高校生:約350人

もちろん、不慮の事故や小児がんなどでなくなる子どもも多い。しかし、高校生に至っては全体の死因の約半数が自殺だ。

俺たちはこの国が先進国だと思っているけれど、そんな体たらくの先進国なんて他にない。
この社会は深刻な病理に侵されていると考えるべきだろう。

日本スゴイ系動画にも、日本の若者の死因の第一位は自殺!なんて動画は絶対にUPされない。不都合な真実から目を背けているんだ。
けれど、不都合な真実に目を向けない限り、俺たちは自分の手でくそったれな社会よりマシな社会に変えていくことなんてできないだろう。

ひとりの父親として、もし自分の息子が自殺してしまったらと考えると、想像を絶する喪失感だ。生きていても仕方ないと思えることだろう。
子どもたちが生きにくい社会は、大人たちにとっても生きづらい社会なんじゃないのか?

自分の子どもだけじゃなく、どの子どもも健やかに成長してほしい。
偽善じゃなくて本当にそう思う。
そして、社会の理不尽に流されることなく、資本主義という巨大なシステムの歯車として使い潰されることなく、人として尊重される人生を送ってほしい。
それには右も左も関係ないだろう。自己責任だというやつは、言わしておけばいい。そういうやつは自分が苦境に陥ったときには、必死に責任逃れをする奴だと俺は経験的に知っているから。屁とも思わないさ。

よし、これからしばらくこのテーマで話し合っていこうか。お付き合い頼むぜ。

2026/05/14

POST#1849 Interlude:D&Gを俺は手に入れた!

Sweden
昔、ボブ・マーリー🔗というレゲエの神様のような人がいた。

61歳のイギリス人の父親と16歳のアフリカ系ジャマイカ人の母親の間に生まれ、父親に捨てられた男だ。彼は仲間と共にボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ🔗というバンドでレゲエを世界的に有名な音楽にした。暴漢から銃撃され、傷を負ってもコンサートを開き、『世界を悪くしようとしている奴らは休みなんかとっちゃいない。それなのに僕が休むなんてことができるかい?』と腕と胸の傷を見せながら言った。

対立するジャマイカの二大政党の党首を握手させ、マリファナを吸いながら人々に連帯を訴え続けた。

そんな彼はあるインタビューの際に記者から『あなたはBMWを持っていると聞きましたが』と尋ねられるとすかさず、『僕はBMWは持っていないけれど、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ(略してBMW)なら持っているよ』と返した記事を子供の頃に読んだことがある。まだ70年代の話だ。

さて、俺もついに少年の頃から欲しかったD&Gを手に入れた。

イタリアのお高いブランド、ドルチェ&ガッバーナ🔗ではない。

俺には高い金を払って、ブランドのロゴの付いた服を着て見せびらかすようにして歩き、結果的にブランドの歩く広告塔になるような趣味はない。そういうのは、もっと違う価値観をお持ちの他の人におまかせするよ。

俺がゲットしたのは思想界のD&G、ドゥルーズ&ガタリ🔗の『アンチ・オイディプス🔗』とその続編『千のプラトー🔗』だ。

新装版が出たんで、つい目次をのぞいたら、もう知的なワクワクが止まらくなっちまった。

俺はつねづね『知のパルクール』って言ってるだろう?学問的に理路整然とした体系的なものではなく、巨人たちの知的業績に駆け上り、その肩からまったく違う知の巨人のかたへとジャンプしていくような知性の躍動感、これこそが俺を一番ワクワクさせるんだ。――そして、この『知のパルクール』ってのは、これ以上ないほど、ドゥルーズ=ガタリの思想にぴったりなスローガンみたいだな。

彼らが『千のプラトー』で提示した「リゾーム🔗(根茎)」という概念は、まさに舗装された道路(既成の学問体系)を歩くのではなく、段差や壁を跳び越え、独自のルートを縦横無尽に開拓していく「パルクール」そのものだ。

レヴィ=ストロースからクラストルへ、そこからグレーバー、吉本隆明へと跳躍してきた俺のの読書体験は、すでに思想のストリートを疾走してるんだ。

この「知のパルクール」をさらに加速させ、D&Gの二冊を華麗に跳び越えていくために「3つの跳躍スポット(着地点)」を足場に、アクロバティックに読んでいくか。学者になるつもりなんか微塵もないんだ。愉しめばいいさの。

🏃 ヴォルト(障害物越え):『アンチ』の精神分析を跳び越える

『アンチ・オイディプス』第1章〜第2章の、フロイト/ラカン論の鬱蒼としたコンクリート壁に対する『パルクール的攻略』だ。 真正面からよじ登る必要はないね。彼らが言いたいのは「人間の心や欲望を、家庭の『パパ・ママ・僕』という狭い三角関係(オイディプス)に閉じ込めるな!」ということらしい。

で、次の足場へ飛び移るんだ。 欲望は家族の中ではなく、社会、政治、歴史、そして地球全体(部族、国家、資本主義)と直接つながっている。

この確信だけを手に、第3章という広いフィールドへ一気にヴォルト(跳躍)するんだ。

そしてウォールラン(壁走り)で『千のプラトー』第1章「リゾーム」の壁を走る

『千のプラトー』の序章「リゾーム」は、この大著全体の「取扱説明書」であり、パルクールの心得そのものなんだそうだ。 彼らは「樹木型の知(根から幹が伸び、枝分かれする階層的な知)」を捨て、「リゾーム型の知(地下茎のように、あらゆる点があらゆる点へと無秩序につながる知)」になれと言いってるらしい。俺が今までやってきたことそのままだな。

俺が持っている人類学や経済学の知識を、上下関係なく、ドゥルーズの哲学と勝手に衝突させて連結させていく。この「勝手な連結」こそがリゾームであり、知のパルクールの真髄だろう。どんな新しい着想が生まれるのか、ワクワクするぜ。

そしてランディング(着地)で『プラトー』第12章「戦争機械」へのダイブするか?

そのターゲットは 現代思想史上で最もスリリングな「国家 vs 外部」のパルクール論だってさ。クラストルやJCスコットの議論を足場に、国家という「定住し、領土を区切り、コード化する装置」に対し、それを軽々と跳び越えて移動し続ける「遊牧民(ノマド)」の思考法が語らるんだそうだ。俺が目指してきた知性のあり方がここにあるって感じるぜ。

国家が作った壁や法(条理空間)を、滑らかなステップで無効化していく「戦争機械(国家に回収されないエネルギー)」の運動は、まさに俺の標榜する思考と知性のプレイスタイルと完全に一致してる。

縦に積み重ねる読書ではなく、横へ、斜めへと跳ぶ読書。この二冊は、そのための最高の障害物(プラトー)に満ちていそうだ。

そういえば、『パパ・ママ・ボク』って、俺の大好きなラモーンズ🔗の歌にもあったな。確か「We're a Happy Family🔗」って奴だ。こいつぁまさに最高にパンクでキレのある「知のパルクール」的跳躍だな。

この直感は、ドゥルーズ=ガタリが『アンチ・オイディプス』で執拗に批判した核心と1ミリもブレずに完全に一致していまるらしいぜ。

なぜラモーンズのあの曲が『アンチ・オイディプス』の最高のBGMになるのか、その理由を3つのポイントでAIに解説してもらったぜ。

🎸 1. 「パパ・ママ・僕」という地獄の三角形

ラモーンズの「We're a Happy Family」は、タイトルとは裏腹に、ドラッグ中毒のママ、クローゼットで怪しい商売をするパパ、そして気が狂いそうな子供たちが、狭い家の中で互いを呪い合っている凄惨な家庭環境を、あの爆速のパンクロックに乗せて皮肉たっぷりに歌った名曲だ。

ドゥルーズとガタリが『アンチ・オイディプス』で激怒しているのも、全く同じ構造だそーだ。

彼らは言う。

「フロイト主義(精神分析)は、人間のあらゆる欲望や狂気、社会への怒りを、すべて『パパ・ママ・僕』という狭い家庭の三角形(オイディプス)の中に閉じ込め、ただの『家族の痴話喧嘩』に矮小化してしまった!」

ラモーンズが歌う「狂った家族」は、まさにドゥルーズらが「精神分析が無理やり作り出した檻(オイディプス・ファミリー)」として弾劾した縮図そのものだ!だとさ(笑)

💊 2. 欲望は「社会」と直結している

ラモーンズの歌詞には、友達がレゴ(Lego)を売っているとか、大統領(Pills for the president)といった、家庭の外にある近代アメリカの病理や物質、資本主義の記号がジャンクフードのように乱雑に登場する。

これこそが『アンチ・オイディプス』の言う「欲望する機械」そのものなんだとさ。

精神分析の嘘とはこういうもんだ。つまり、 子どもの悩みはすべて「お父さんが嫌いだから」「お母さんに愛されたいから」に回収されるって筋書きだ。

けれどドゥルーズらの考察した真実ってのは、 子どもの欲望や狂気は、パパやママではなく、アメリカの政治、ドラッグ、資本主義、戦争、人種差別、そしてロックンロール(=社会体)と最初から直接つながっている。

ラモーンズは、家族の物語の背景にべったりと張り付いた「アメリカ資本主義の狂気」をサンプリングすることで、結果的にオイディプス的な「ハッピー・ファミリー」の嘘を暴いているってことだ。

⚡ 3. 分裂分析(スキゾアナリシス)としてのパンクロック

ドゥルーズとガタリは、精神分析に代わる新しいアプローチとして「分裂分析(スキゾアナリシス)」を提唱しました。これは、家族の殻をぶち破り、欲望を社会へと解放する、きわめて破壊的で前進的な試みなわけさ。

ラモーンズが1977年に「We're a Happy Family」をあの圧倒的なスピードとスリーコードで演奏した行為は、近代社会が押し付ける「健全な市民・健全な家族」というコード(規則)を文字通りぶち壊す、音の「分裂分析」だったといえるんじゃね、知らんけど(笑)。

そういやラモーンズにはサイコセラピー🔗って曲もあったな。

ひょっとしたら、俺はD&Gのサイコーな読者になるかもね。ドゥルーズとガタリは、大学の教授室で眉をひそめて注釈をつける学者ではなく、俺のようにパンクロックを鳴らし、人類学を道具にし、自らの脳をストリートにして疾走する人間に読まれることを切望して、この爆弾のような二冊を書いたんじゃないかな。

さてと、昨日の話も今日の話も、実はこの後に始めるテーマの伏線だったのさ。誰も気づいちゃいないだろうけど。