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| 芍薬 私の好きな花 |
ここ何回か、日本の右派政党を俎上に載せ、『日米合同委員会』の存在を喧伝したのは、まずは国内の似非右派の虚を暴きたかったからなんだ。奴らは一皮むけばアメリカの走狗でリバタリアンなんだよ。
いわゆる「保守」や「右派」を自称しながら、その実態は米国の軍事・経済戦略に追従し、新自由主義的な弱肉強食(リバタリアン的発想)を加速させている人々。彼らの「偽物のナショナリズム」を解体しない限り、真の独立自尊などあり得ないだろう?
彼らの「虚」を暴くポイントは、以下の3点に集約されるのではなかろうか。
1. 「対米追従」と「愛国」の矛盾
アメリカの走狗: 日本の富が米国債や兵器ローンとして吸い上げられることを容認しつつ「愛国」を唱える欺瞞。真の右派であれば、まず地位協定の改定や独自軍備などの「主権の完全回復」を最優先にするはずなんだけど、奴らはアメリカの虎の威を借る狐のように、対米従属を続けながら愛国の看板を揚げることで、自分たちの地位を守っているんだからね。
逆に言えば、アメリカとの安全保障条約がなくなったら、その存在意義を失うってことだ。
2. 「伝統」を隠れ家にしたリバタリアニズム
自助努力という名の棄民: 伝統や家族の絆を口にしながら、実際には弱者を切り捨て、セーフティネットを破壊する構造改革を支持する。これはかつて日本全国を歩きまわり、人々の暮らしをつぶさに記録してきた宮本常一が描いたような「共同体でしぶとく生き抜く日本人の互助精神」とは真逆の、冷酷な市場原理主義だ。その代わり、間違った経済政策による経済の混乱の責任をとる人間はいない。上に立つ『優秀』な皆さんは徹底して無責任で、自己責任と突き放されることも、梯子を外されることもない。
さすが、子供の頃に勉強ばかりして東大に入り、中央官庁に就職なさったような優秀な方は、責任の取り方が違う!何も責任なんて取らないんだもの(笑)!
3. 「プロイセンモデル」の亡霊
硬直した国家観: 明治以降の作られた「上からのナショナリズム」に固執し、古層にある「寛容でインクルーシブな日本のダイナミズム」を理解していない。彼らにとっての天皇は「統治の道具」であって、あなたの仰る「多様性を包摂するオーソリティ」ではありません。
この「似非右派」のメッキを剥がし、彼らが単なる「アメリカの利権の管理人」に過ぎないことを白日の下にさらす。それは、国民が「安逸な奴隷」から目覚めるための、不可欠な儀式(デトックス)になります。
俺自身が考えていることは、意外と一水会🔗に近いのかもしれない。一水会を持ち出すと、文脈がガチッと固まるようにも感じる。左に左にと進んでいったら、地球を一周して右の人と出会ったような感覚だ(笑)
一水会、特に木村三浩🔗氏らが掲げる「対米自立」と「戦後体制打破」の姿勢は、まさに俺の「似非右派(対米追従勢力)」への徹底的な批判と共通するものがある。
彼らは右派という枠組みにありながら、新自由主義的なリバタリアニズムを拒否し、イラクやロシア、中東諸国とも独自のパイプを持つなど、「米国中心の物差し」ではない世界観で動いている。それどころか、現代表の木村三浩氏は日本クルド交流連絡会顧問に就任しており、クルド人への差別に反対する活動を行っている。
俺自身が提唱するヴィジョンと一水会的リアリズムを重ねると、非常に強力なロードマップが見えてきそうだ。
「対米従属」の偽装解除
伝統や愛国を口にしながら、結局はワシントンの顔色を伺う政治家や言論人を「対米工作員」として指弾する。
「独自の正論」による国際連携
欧米のプロパガンダに染まらず、自国の生存権(核武装や永世中立)を法理に基づいて主張し、グローバルサウスや多極化勢力と手を結ぶ。
「天皇」を護憲や平和の象徴に閉じ込めない
かといって戦前の統帥権に戻すのでもなく、日本という共同体の「独立」を担保する、歴史的・精神的な最後の砦として再定義する。
リベラリストとしての「寛容・インクルージョン」を目的とし、一水会的な「対米自立・独自の国益追求」を手段(ツール)とする。この「左翼的理想と超右翼的リアリズムの融合」こそが、今の日本に最も欠けている、しかし唯一システムを揺るがし得る劇薬なんじゃないかな。デモをするだけで、平和になればいいけれど、世の中なかなか厳しいんだ。
「似非右派」の虚を暴き、一水会的なエッジの効いた自立論をぶち上げてみたと想像してみよう。
その時、テレビのコメンテーターたちが真っ青になって「それは極論だ」と騒ぎ立てる姿が目に浮かびぜ。
俺が一水会を知ったのは、書店で手に取った先年物故した一水会顧問の鈴木邦男🔗の著書『天皇陛下の味方です🔗』でその主張に驚いたことからだ。一水会は、意外とリベラルだと感じます。右翼のはずなのに排外主義でもないことに驚いた、というか戦前の国士のような言説に感心したことに始まる。
まさにそこが、一水会の極めてユニークで本質的な部分だ。
世間一般が抱く「右翼=排外主義、タカ派」というステレオタイプとは真逆の性質を持っている。その機関誌は『月間レコンキスタ』スペインがモロッコ人王朝から国土を奪還したレコンキスタに、日本をアメリカから取り返すという情熱を感じるが、行動くしているわけではない。
俺が感じた「一水会のリベラルさ」は、実は俺が構想する「天皇を核とした寛容な永世中立国」というヴィジョンと深く共鳴している。
1. 「対米自律」ゆえの多極化・共生
一水会が排外主義に走らないのは、敵を「近隣諸国や移民」ではなく、日本の主権を縛り続ける「米国の覇権システム(ワシントン体制)」に見定めているからだ。
米国一極支配に反対する立場から、ロシア、イラン、イラク、キューバなど、米国と対立する諸国とも対等に交流している。この「相手の主権を尊重する」姿勢は、極めてリベラルな国際協調主義の裏返しでもあるだろう。
2. 「マレビト」を受け入れる度量
彼らが掲げるナショナリズムは、血統主義的な排外主義ではなく、「日本の伝統や文化を尊び、共にこの国を自立させる意志があるか」という精神性に重きを置いている。
これは、俺が歴史に学んだ「奈良・平安初期の渡来人を包摂したダイナミズム」や、折口信夫の「マレビト」信仰に近い感覚だ。外からの力を拒絶せず、日本の「古層」に取り込んで豊かになろうとする、開かれたナショナリズムだ。先にも上げたように代表の木村氏は埼玉のクルド人差別を批判し、カウンター運動を行っている。
3. 反・新自由主義(反リバタリアン)
一水会は、市場原理ですべてを切り捨てるリバタリアニズムを強く批判している。
弱者を切り捨てる「似非右派」とは違い、日本人がしぶとく生き抜くための「共同体の維持」を重視しているのだ。この「互助」の精神は、宮本常一的な常民の知恵や、リベラルな社会保障の考え方とも親和性が高いものだろう。
一水会という「ツール」を通してみると、「核武装した強靭な国家」というハードウェアと、「排外主義に陥らない寛容なインクルージョン」というソフトウェアが、一気に現実的な色彩を帯び、矛盾なく共存できることが見えてくる。
この「リベラルなエッジを持つ真の右派」という存在を、今の日本人はまだ正しく認識できていない。俺はアナルコ・サンディカリズムをベースとした愛国者なんだけどね。
「愛国」とは、誰かを憎んだり排除したりすることではなく、「自分たちの足で立ち、誰の顔色も伺わず、世界中の多様な人々と対等に握手できる強さを持つことだ」というメッセージであるべきだ。本当に日本のことが好きだから、日本が誰かの操り人形であったり、不寛容で日本に庇護を求めてきた難民を、入館施設に何年も放り込んで飼い殺しどころか実際に殺してしまうなんて狭量なことをしてほしくない。
依存(属国)から自立(主権)へ。
誰かを叩くことで得る偽物のプライドではなく、自分たちの文化と技術への信頼。
弱いから群れて他者を排除するのではなく、強いからこそ異質な「マレビト」を迎え入れ、共に豊かになれるという器の大きさ。
この自立を物理的に担保するには、今のままでは難しいだろう。 しかしトランプ以降国際的な信用を自ら棄損し続け迷走を続けるアメリカという泥船に乗り続けているのは、安全保障上大いに問題があるんじゃないのか?


