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| Bremen,GERMANY |
この15年くらいの間だ。社会が多様性とか、共生とか言い出したころから、歩調を合わせるようにね。コンプライアンスとかハラスメントとか、日本語としてこなれていない言葉が、生活の中に土足で踏み込んできた。
その間に世の中では、多様性といいながら、共生といいながら、普通という閾値は狭くなった。行動のストライクゾーンが狭くなった。生きていくことが形苦しく息苦しくなった。普通というカテゴリーに押し込められ、そこから逸脱すれば、社会的に排除されるようになった。みんな同じような行動や思考のストライクゾーンの中での多様性や共生だったように感じる。
かつては、ストリートスナップは、ヌードと並んで写真の王道だとされていた。
しかし、今ではヌードは女性の生を商品化していると批判され、社会からほぼ排斥された。
ストリートスナップはSNSの隆盛と反比例するように、肖像権が叫ばれ、写真の中で記号として存在しているだけの人々が、異議申し立てをするようになった。
さらば荒木経惟。さらば森山大道。写真よさようなら。
このような写真は、もう今ではとることは憚られるようになった。犯罪者扱いされるのは御免被る。その一方で、災害が起これば、或いはロシアやイスラエルやアメリカの軍事攻撃では、死者○○人と単なる記号で処理される。
街を歩けば、あっちにもこっちにも24時間監視カメラが、俺たちの顔を写し取っている。誰も気にしない。誰かがモニターで、その挙動を見つめているというのに。それには無自覚だ。むしろ、管理され、守られていると安心していられると思っているかのようだ。
しかし、剥き出しの暴力性や身体性の前では、監視カメラは単なる監視カメラだ。ボブ・ディランの”All along The Watchtower"だ。くそ、どこかに抜け道があるはずじゃないのか?
俺はいつも街中で、そんなカメラを見つけると、ぐいと顔を上げ、レンズを睨めつけるように歩くことにしている。
俺は、従順な家畜じゃない。不埒なおっさんでいたいんだ。

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