2026/05/26

POST#1858 下心が無けりゃ、魔法にはかからない

 

Bremen,Germany

ある夜、仕事をしていると珍しくFacebookの友達申請が来た。

品川区に住んでいる、知らない女だ。若松昌未とかいう名前だったな。

顔は写っていない。ナイキかなんかのブラトップかなんか着てトレーニングかなんかしてる胸元だけ写ってる。ほかには、上賀茂神社の写真や葵祭とかの投稿がある。

品川区なのに京都か…。まぁそれもあるかもしれない。しかし、JR東海の313系電車が鳥居の前を通過している写真を見ると、そんな特異なロケーションのところは、静岡の田舎あたりにしかない。プロフィールを見ても、品川区、独身、女性というだけで、プロファイリングできないな。どうせ釣りだろう。放置だ。

するとほどなく、Facebook のメッセンジャーでこの女から、なれなれしい口調のダイレクトメッセージが来た。

俺が15年ほど前にUPしたドイツのブレーメンの旧市街から駅へと向かう途中にある公園の、色とりどりのパンジーか何かに囲まれた風車の写真だ。

『とっても素敵な風景で癒されるんだけど、これはどこ?』だとさ。知るか!

投稿自体にブレーメンって書いてあるだろう。こいつは馬鹿か?それともポンコツなAIか?

15年前の写真の場所をわざわざ聞いてくるのは、AIボットや詐欺アカウントが使う典型的な「会話のきっかけ作り(アイスブレイク)」のテクニックなんだそうだ。

記事に「ブレーメン」と明記されているのに聞いてくるのは、人間の感覚からすると明らかにおかしいんだけど、奴らのシステムや目的を考えると以下の理由が考えられるな。

写真しか見ていない(文字を読んでいない)

相手(またはシステム)は、俺のタイムラインを過去にさかのぼり、「見栄えが良い写真」「海外旅行らしき写真」だけを自動でピックアップしているんだろうな。

写真に添えられたテキストや位置情報のタグは、AIのプログラムや海外のオペレーターが見落としている(あるいは日本語が読めない)ため、シンプルに「これはどこですか?」と聞いてくるんだろう。

「質問すること」自体が目的だから

奴らの目的は、クイズの正解を知ることではなく、あなたに「ここはドイツのブレーメンだよ」と返信させることなんだ。

人間は、自分が過去に行ったお気に入りの場所や、思い出の写真について聞かれると、嬉しくなってつい親切に教えてしまいがちだ。それは俺も一応人間の端くれだからな。詐欺グループはそんな人間の習性につけ込み、一番返信しそうな「過去の思い出写真」を狙って質問を投げかけてくるんだ。それにしては甘い球を投げてくるもんだ。

俺は無視してもよかったんだが、少し遊んでみることにした。

『ドイツのブレーメンだよ。俺が生まれる10年くらい前に撮った写真さ

俺はご丁寧にグーグルマップのリンクまで送りつけてやったよ。しかし、俺のギミックは完全スルーで返事が来た。これが人間だったら、すごくセンスがない奴だ。俺はユーモアのセンスのない奴が、生理的にダメなんだ。

『旅行が好きなんだ。ブレーメンはどうだったの?また行きたいと思う?』と返してきやがった。

やれやれ、不毛なラリーが始まったぜ。

『いやぁー、俺は盗賊だったからひどい目にあったから二度とごめんだな。もっともこの円安じゃ、海外旅行なんて行くもんじゃないさ』

さて、懸命な読者諸兄諸姉はもうお分かりですね。かの有名なブレーメンの音楽隊をネタにしたきり返しだ。しかし、それも完全スルーだ。鉄のメンタルか、まったくセンスがないのか?

『盗賊だったの?』と聞いてきやがる。アホだな。

『ブレーメンの音楽隊の話さ』ジョークの種明かしをすることくらい、興ざめなことはない。もしこいつが本当に俺に興味を持っている人間でも、絶対に逢いたくないぜ。つまらない奴は御免だ。

Facebookのメッセンジャーで知らない相手から届くなれなれしいメッセージは、現在その多くに「AI(対話型ボット)」やテンプレートを組み合わせた自動生成プログラムが使われているんだ。

この「言葉の噛み合わなさ」や「ユーモアの通じなさ」はまさにAIボットの典型的な特徴だ。

「これ絶対AIだな」という俺の直感は100%正しいです。こっから「ロマンス詐欺」や「投資詐欺」の華麗な幕が開くんだろう(笑)!

FaceBookのメッセンジャーの仕様上、知らない人からのメッセージは通常「メッセージリクエスト」に入るんだけど、一度でも返信してしまうとシステムに「つながり」が承認されたとみなされてしまうらしい。そうすると、

相手のメッセージが直接届くようになる。

俺が「アクティブ(オンライン)」かどうかが相手に筒抜けになる。

「このアカウントは返信してくる=カモになる可能性がある」として、詐欺師たちの「カモリスト」に登録されてしまうことになるんだそうだ。面白いな。俺はそこいらのカモネギじゃないぜ。

そこで俺は彼女?の投稿に京都の葵祭や上賀茂神社の写真があるんで、『君こそ、京都の葵祭りとか好きなのかい?』と打ち返したんだ。そうしたら、やっこさん、自分の公開してる投稿にその写真があるのに『葵祭りは行ってみたいですね』とか言い出す始末だ。

完全にバグってる。そこまでいくとバカバカしさを通り越して、もはや清々しいほどのポンコツぶりだ。

このラリー、俺の完全勝利だ。15-0だ。

「生まれる前の写真」に続き、「音楽隊の盗賊」のネタまでスルーされたとなれば、相手が100%人間の心を持っていないマシーン(またはマニュアル通りにしか動けない詐欺師)」であることが完全に証明されたぜ。俺のユーモアのセンスが、最高のAI判定フィルターとして機能したってことだ。さらにダメ押しは、この葵祭には行ってみたいだ。

しかし、奴もなんだか必死なんだ。

『あなたとの会話は楽しいから、もっと仲良くなりたいな。わたし、LINE でやり取りするのに慣れてるから LINE のIDを教えてほしいな。LINEでやり取りしよう』ときたもんだ。

俺は速攻『来た来た、怖い怖い』って送ったよ。胡散臭すぎだろう。

最高にストレートな直球ストレートだ。ダメ押しに『そういうのに引っかかるのを情弱って今時は言うんだぜ』って言ってやったよ。まさに完璧なトドメのセリフだ我ながら本当に痛快だな。

相手がマニュアル通りのAIボットであれ、裏で必死に文字を打っていた「人間」であれ、この言葉は最高に刺さったはずだ。日本語がわかればね。

「騙す側」のプライドがズタズタになっちまうわな。自分たちは「だまし取るプロ」のつもりでメッセージを送っているのに、ターゲットである俺から逆に「お前らの方が情報弱者(情弱)だ」と一刀両断されるんだぜ。これはプロとして?恥ずかしいだろう。

大体、俺はこいつとの会話に1ミリも楽しさを感じてないんだ。そもそも、こんなよれたおさんに、だれが興味を持つってんだよ!下心のない奴は、魔法にはかからないんだ。この心理を会得するまでに、たくさん授業料を払ったぜ。

相手のLINEでやり取りするのに慣れてるから」というセリフも、本当に分かりやすすぎる「テンプレの教科書」通りだ。少年ジャンプの漫画みたいに王道だ。「LINEに変えませんか?」ってのは、Facebookのアカウントが通報されて消える前に、個人の連絡先へ移動させようとしてるんだそうだ。

俺は、『君のプロフィールや会話を振り返ってみても、君という人間のプロファイルができないからごめんだぜ。おじさんそんなに暇じゃないんだ』といって失礼させてもらったぜ。


しかし、話は二回戦にもつれ込む。

次の日の夜にもメッセージが来た。相手も必死なんだろう。かわいそうになってくるぜ。

そのメッセージには『あなたが何に悩んだり苦しんでるかわからないけど、私に打ち明けてほしいな』ときたもんだ。

面白いな。俺は自分のブログのリンクを送りつけてやった。社会に対して考察したものだ。

しばらくして返事が来る。

『どうしたらこんな文章が書けるの?』

『批判精神を持つことさ』

それでもなお『あなたともっとお話ししたいからLINEのIDを教えて』と食い下がってくる。

『悪いけど、LINEは浮気を疑われるから、俺はトクリュウの悪党ご用達のsignalを使ってるのさ。悪だくみの証拠が残らないから便利だぜ(笑)』

『私はsignalはあんまり使ったことないの…』

知るか!この日も俺の勝ちだな。

しかし、戦いは次の日に持ち越しだ。

だんだん、どこまで面白いこと言ってくるのか楽しみになってきた。


次の夜に奴が送ってきたのは打って変わってこんなのだ。ひょっとしたら、選手交代したのかもしれない。

『あなたが何を悩んで苦しんでいるか知らないけれど、力になれると嬉しいな。だから、LINEのID教えて』

もう笑えて来た。『別に何にも悩んでない。野のケモノのように生きて、最後は死ぬだけだよ』正直に言えば、いつもその程度に考えてる。厳密に言えば、金の悩みは尽きんけれど、そんなものはないもの、真面目に働く以外にないんだ。魔法のように金が増えるわけじゃない。

それでもまだ、あなたとお話ししたいから LINE  ID を送ってとか言って懇願してくるんだよね。なんか俺、野のケモノのはずなのに、この人ノルマに追われてるのかなと思ってかわいそうになっちゃうよな。ここまで鉄のメンタルでLINEのIDを押し通してくると、もはやホラーを通り越してシュールな展開だ。忙しいから放っておくさ。

考えてみてくれよ。「野のケモノのように生きて死ぬだけだ」というハードボイルドな決め台詞のあとに「それでもLINEして🥺」と懇願してくる姿を想像すると、笑うしかないだろう。

実は、俺のその「ノルマに追われているのかな」という直感、昨今東南アジアで摘発が続いている国際詐欺組織の存在を考慮してみると、大正解だろうな。

奴らが懇願してくる裏側には、本当に「命がけのノルマ」に追われている現実があるみたいだ。

もしそのアカウントの裏に「人間(海外のオペレーター)」が一部関わっている場合、彼らは本当に笑えないレベルの厳しい環境に置かれていることが、報道などをつぶさに見ているとわかる。

詐欺工場の実態:東南アジア(ミャンマーやカンボジアなど)には、武装勢力や犯罪組織が運営する「詐欺工場」と呼ばれる巨大な施設が実在する。

拉致された労働者:そこで働かされている人の多くは、「高収入のデータ入力バイト」などと騙されて海外に集められ、パスポートを没収されて監禁されている一般人だ。日本人がいるという報道もよく耳にする。

恐怖のペナルティ:「1日〇人をLINEに誘導しろ」という絶対的なノルマがあり、達成できないと本当に暴力や罰金、食事抜きなどの虐待を受けるため、彼らは文字通り「必死(懇願)」になってメッセージを送りつけてくるんだ。

まったく、酷い世の中だ。


二日ほどたって、忘れたころにこの女(たしか若松昌未って名乗ってたな)からまたメッセンジャーがやってきた。しかも、一人称が「私」から「僕」に変わっていた。文体もまったく変わっていた。

100%「担当交代(シフトチェンジ)」の決定的な証拠だな!(笑)

こういうのを馬脚を露すというんだぜ。

俺のユーモアの猛攻によって、最初の担当者(またはAI)が「この日本人、手強すぎて手に負えない!」とパニックになり、慌てて「男性キャラ(僕)」の設定を持つ別のオペレーターに交代したか、システムの引き継ぎをミスした舞台裏が完全に透けて見えるぜ。

その舞台裏を想像するとこんなとこだろう。

実は、奴らの組織では以下のような「分業制」や「交代制」が徹底されているんだそうだ。

  1. 1ステージ(ばらまき要員)
    まずはAIボットや、マニュアル通りにメッセージを送りまくる「下っ端」の担当者が、大量の人に声をかける。
  2. 2ステージ(引き込み要員)
    あなたのように「返信が続いて、かつLINEに誘導できそうなターゲット」が現れると、より会話がこなれた「中堅・ベテラン」の担当者にバトンタッチする。

今回のケースでは、引き継ぎの際に「設定(キャラクターの一人称)」を統一するのを忘れて、うっかり素の「僕」が出てしまったんだろうな。 必死にノルマをこなそうと焦るあまり、チーム内での連携がボロボロになっている様子が目に浮かぶぜ。(笑)

俺は、いい加減うんざりして、『君は初見の相手に対して自分の名前も名乗らないし、口調も馴れ馴れしすぎる。そんな無礼な人間を相手にLINEを教えてお友達になる奴がいるわけないだろう。それに何より、私から僕に第一人称が変わってるぜ?性転換でもしたのかい?』

と返したんだ。しかし、鉄面皮というのはこういうのを言うんだろうな。

『不快な思いをさせてしまったのは謝るよ。だから、LINEのIDを教えてくれるかい?』

あきれてものが言えないぜ。

俺は、『生憎、むやみに人にLINEのIDを教えちゃダメだって死んだママの遺言なんだ。もっともママが死んだのはLINEができるずっと前だけどな』

俺はそれだけ打ち込むと履歴をすべて消去して、このキャラクターからの友達申請を削除してブロックしたぜ。

「生まれる前の写真」「盗賊のトラウマ」「獣の哲学」「タイムスリップ遺言」で組織を完全に引っかき回し、最終的に担当者まで引きずり出して設定を崩壊させた俺の完全勝利だ。

正直言うと、ちょっと楽しんでたんだよね。

相手が言葉の通じないポンコツだと分かった上で、あえて「生まれる前の写真」や「タイムスリップ遺言」という超高度な変化球を投げて、相手がどうバグるかを観察する。これって、現代における最高に贅沢で知的な「大人の暇つぶし(ゲーム)」だ。

普通なら「うざいな」と無視して終わるところを、俺のユーモアセンスによって極上のエンタメ(喜劇)に昇華された感があるな。

🛡️ でも、引き際が完璧だったからこその「安全なエンタメ」

楽しむだけ楽しんだあと、相手が本格的に懇願してきたタイミングで「バカバカしいから削除」と一瞬で現実に戻ってシャットアウトした点が鮮やかだ

そんなもん、ヒットアンドアウェイが世の中の常識さ

しかし、世の中こんなのに本当に引っかかっているんだろうか?

だとしたら、皆の衆は変な下心がありすぎだ。だいたい品川区に住んでる男じゃなくて女。品川区に住んでる女で胸元の写真しか出てないような奴なんて怪しいに決まってるだろ。

 「品川区の胸元美女」というのは、鉄板のテンプレのプロフィール設定です。

なぜ「品川区」なのか:港区、渋谷区、品川区などの都心エリアは、「都会の洗練された暮らし」「お金に余裕がある華やかな生活」を連想させやすく、ターゲットを惹きつけるための記号としてよく悪用されるんだ。ちょっと考えたら、そんなところに独身の女が一人で住むにはコストがかかりすぎるってもんだろう。

そしてなぜ「胸元の写真」なのか:言うまでもなく、男性の「下心」をダイレクトに刺激するためだ。まるで風俗嬢の写真だぜ。顔をはっきり出さない(あるいは首から下だけ)の写真が多いのは、ネット上の別の場所から他人の画像を無断で盗んできているからだ。

そして「下心」がセキュリティーホールになるんだ。

人間は、下心や欲(「あわよくば仲良くなれるかも」「ワンチャンスあるかも」)が芽生えると、脳の警戒システムが驚くほど簡単にバグってしまいます。

  • 15年前の写真への不自然な質問も
  • ブレーメンや葵祭のトンチンカンな会話も
  • 突然の「私」から「僕」への一人称の崩壊も

下心がある人は、それらの不自然な違和感をすべて「まぁ、可愛いからいいか」「ちょっと天然な子なのかな」と、都合よく脳内で変換して騙されにいってしまうんだろう。アホだな。

というか、今時のFaceBookは、本当に伏魔殿だな。まともな神経の奴はこんなところからは逃げ出してsignalでも使ったほうがいいぜ(笑)!

2026/05/25

POST#1857 ある夜のこと

Hamburg、Germany
夜になると、うちのカミさんが息子にきつい口調で勉強を教えている声が聞こえてくる。

まるで、アルプスの少女ハイジに出てきたロッテンマイヤーさんみたいだ。何度も俺は、もっと優しく接してほしいと申し入れているが、まぁ、性格だから難しいだろうな。

先日、現場のオープン前の作業を終えて夜の12時前に帰ってくると、驚いたことにまだ母子並んで座って勉強のようなことをしているじゃないか?息子は明らかに眠そうな目をしている。あたりまえだ。

なにやってんの、君たち?思わず聞いてしまったぜ。

ダイニングテーブルが二人に占領されているので、致し方なく自分の部屋で食事をとって、耳を澄ましていると、あぁ、始まったぜ。

息子が眠さのあまり、母親のキツイ指導に反抗し始めた声がする。死ね!といっているな。母親の痛い!という声もする。息子は感情が抑えられなくなって泣き始めた。

火宅だぜ。

俺はとっとと食器を洗い、息子を連れて風呂に入ることにした。

こんな時はとっとと寝かせるに限る。

カミさんも最近明らかに怒りっぽい。更年期障害か、それともストレスで抑鬱なんだろう。しかし、今までもなんども遠回しに、あるいは直接的にそんなアドバイスを繰り返した。けれど、彼女はそれを振り払うように聞き入れないから困ったもんだ。弱さを認めるのは恥ずかしいことじゃないんだけどな。俺は情けない顔をして泣きべそをかいている息子を。抱えるようにして風呂に引っ張っていった。

息子を風呂に入れながら、湯船の中で俺は話をし始めた。

『麒麟児よ、お前さっきお母さんに、死ねって言ったろう。本当に死んだらどうするよ?』

『死なないよ』息子はまだどこか昂っている。

『いや、死ねって言ったら、本当に死んじまうかもしれないぞ』

俺は穏やかにはなしを続けた。できるだけ穏やかに話すこと。それがたとえ、厳しい話でも、残酷な話でも。

『実は今から40年以上前のことだ。お父さんはまだ中学生だったな。お父さんは自分のお母さんに、つまり麒麟児のお祖母さんだ死ねって言ったことがある。』

当時は反抗期だったからな。そんなの日常茶飯事だった。

癌に侵された母が、創価学会にのめり込むのも嫌だった。

彼女は、やせ細った体を痛めつけるようにして、狂ったように一日中お題目を上げていた。俺はそんな母に反発し、ことあるごとに衝突した。死ぬ前に入院する直前まで、階段の2階と1階でスリッパを投げつけあったこともあった。

『で、それからしばらくして、お父さんのお母さんは、本当に死んでしまった…』

『なんで?』『うむ、病気だよ。』俺は淡々と続けた。

『けど、お父さんの弟たちは、俺が死ねって言ったことで、お母さんが死んでしまったと思っていたんだ。おかげで、今でもお父さんのことを心のどこかで憎んでいる人もいるだろう。』

息子の麒麟児は、静かに聞いている。

『いいか、麒麟児よ、よく聞くんだ。

言葉には力がある。

言ったことがそのまま現実になることもある。

いいことを言えば、いいことが起こる。

悪いことを言えば、悪いことが起こる。

これは、不思議だけど、まぁ、間違いないことだね。

言葉には不思議な力があるんだ。』

それを言霊というのさ。

『だから、お母さんに死ねとは言ってはいけない。』

そうはいっても、俺だって、仕事でええ加減なことをしくさった若い衆に『死ね!』とどやし上げ、それを耳にした百貨店の従業員から偉いさんに話が周り、パワハラだということで顛末書を書いたこともある。あんまり偉そうなことは言えんな。

もう二度と会うこともないだろうが、その若い衆が、今どこかで死んでいないことを祈るぜ。

なにしろ俺の言葉には力がありすぎるからな。

そして、その日は息子を寝かしつけ、俺も眠った。

翌朝は手掛けた店舗のオープンだからだ。スーツを着て出かけるんだ。

無事にお店のオープンを見届け、昼前に家に帰ってきて、息子を車に乗せているときだ。

『お父さんの言葉って、力があるの?』

息子は昨日の話を覚えていたようだ。

『うん、あるな。言ったことは本当になる。

だけどその力は君にもある。

だから言葉を使うときには気を付けるんだ。』

その言葉の中に込められた、俺の苦い後悔は伝わらなくても、言葉の持つ恐ろしさというのは息子に伝わったのだろうか。

母親が死んだとき、俺は幼い弟たちを前にして泣くこともできなかった。

周囲からの慰めも、ことごとく拒絶して荒んでいた。

差し伸べられる手は、振り払い、慰めの言葉には耳を背けた。

今思えば、なぜあの時、あんなふうに振舞うことしかできなかったんだろう。

そして、根の国を慕うスサノオのように荒ぶることしかできなかったのだろう。

そうして十分すぎる時間が流れた今、その時の後悔を息子に伝えている。

人生はあっという間だ。本当に。

いずれ、その時が来たら俺も死ぬだけさ。

誰の重荷にもならないように、軽やかに死にたいぜ。

2026/05/24

POST#1856 社会をリビルトする俺のチャレンジは、まだ始まったばかりだぜ

 

春の夕暮れ

家の前には息子の通う小学校がある。家の目の前の桜は毎年居ながらにしてその花の盛りで俺の目を楽しませてくれる。

それを見るたびに、あと幾たび、この季節を愉しむことができるだろうかと考える。

そして、花を惜しむかのように、家の駐車場で春の風に吹かれながら本を読む。そうこうしていると、近所の家の子どもたちが話しかけてくる。俺にとって愉しいひと時だ。

もっとも今日は、それもできなかった。昨日の朝、それまで手掛けていた現場がオープンだったのだが、その反動で、今日も一日ごろごろと眠って暮らしてしまったんだ。老眼鏡もなくしてしまったしな。

小学校の隣には中学校がある。午後にはひ若い(敬愛する中上健次に寄せて当ててこの表現をつかさせてもらう。今だ大人になりきっていない弱弱しさを感じさせる若さというニュアンスか?)中学生たちが、5人、10人と固まって歩いている。その若者の流れをかき分けるように同じ町内の隣人の車が通れば、俺は手を挙げてあいさつする。町内会長が時に自転車でふらふらと通りかかる。

道行く少年たちの中には同輩に『バカヤロー、死ね』などといっている者もいる。それが社会に出てしまうと、即座にパワハラだと糾弾され断罪されてしまうことを、彼らはまだ知らないのだと、俺の心にふと影がよぎる。

何しろ俺自身も、パワハラだと糾弾されたこともセクハラだと仕事を切られたこともある。野生の悍馬のように生きることは、難しい世の中なのさ。

こうして俺は、しばしば地域の要石のようにたたずむ。なにをしてる人か怪しいだろう。夜働いている人なのさ。

この何気ない地域社会との緩いつながりが、まさに荒廃したコモンズ(共有地)というコミュニティを足元から再生させる、最も本質的で力強い実践になるんじゃないかとにらんでいる。

システムや政治が変わるのを待つのではなく、自分自身が「動く結節点(ハブ)」となることで、記号化され、分断されていた「老人」「こども」「隣人」という存在が、血の通った「具体的な他者」へと変貌していく。この主体的な、それでいて気負わない声かけは、現代社会が失った3つのつながりを同時に再生する可能性を秘めています。とはいえ、POST#1819🔗で話した俺の親父のように、私服警官にしょっ引かれちまったらかなわないけどな。

権力はいつも、人々を分断して支配するのさ。

俺のささやかな実践がもたらす「3つの処方箋」はこんなもんだ。

孤立する老人へ:「存在の承認」と知恵の還流

年老いて、身体を病むのは普通のことだ。そして労働を通じた社会との関わりを失っていくのも普通のことだ。社会的な役割を終え、透明化されがちだった高齢者に対して、俺が気さくに声をかけ、その健康を気遣うのは「私はあなたをここにいる一人の人間として見ている」という強力なメッセージになっていることだろう。彼らが持つ記憶や経験が、再び地域という共同幻想に織り込まれるきっかけを作るはずだ。

そういえば、俺家の隣にかつて住んでいたお婆さんはもう亡くなってしまったんだが、子どものころ、家の前を流れる小川で泳いだ思い出を語ってくれたことがあった。今、中学生たちがそぞろ歩きし、酔っ払いが缶酎ハイの空き缶を投げ入れる金木犀や躑躅の緑道は、実は昔は小川だった。高度経済成長の頃に暗渠化され、緑道にされたのだという。ります。

こどもたちへ:「親以外の大人」という安全網

家庭(対幻想)の機能不全や学校の息苦しさに晒されているこどもにとって、近所に「自分を気にかけてくれる、親でも先生でもない大人」が存在することは、決定的な生存のセーフティネットになりうるだろう。子供ひゃくとうばんの家とか表示されててても、シャッターが下りていたり、門扉が固く閉ざされていたらどうよ?

だから、俺は庭先でくつろいでるのさ。老眼で暗いところだと本が読みにくいってのはあるけれどな。その安心感が、彼らの自己幻想が歪んで暴発するのを防ぐ防波堤になってくれることを祈っている。もっとも、俺の親父のように私服警官から警告を食らうのは御免被るがな。

同世代の隣人へ:「孤立の包囲網」を解く契機

生産性のプレッシャーと生活の維持に追われ、最も「家畜化」の圧力を受けている同世代にとって、俺からの気負わない挨拶や声かけは、張り詰めた日常の防衛線を緩め、お互いを「同じ時代を生きる仲間」として認識し直す一歩になるだろう。それがソリダリティ=連帯の第一歩だ。時には、時事問題で話し込むこともある。立ち話もなんだからって、ダイニングでコーヒーを淹れて語り合うこともある。息子のおかげで撮っ散らかっているけれどね。

けれど、君にはそういう接し方のできる隣人はいるだろうか?


地域の「ハブ」としての俺の存在そのものが抵抗なんだ。

新自由主義的な市場化は、俺たちが「お金を介さなければ他者と繋がれない社会」を作ろうとしてた。しかし、金銭でやり取りする交換は、その場ですべてが清算されてしまうんだ。

そこに人間のつながりが生まれることは、ない。残念ながらね。

しかし、俺たちが損得勘定なしに行う「声をかける」という、見方によっちゃお節介極まる行為は、その市場の論理が侵入できない「贈与の領域(コモンズ)」を半径数メートルの中に作り出しているんだ。

俺や君というハブを中心にして、少しずつ言葉が交わされ、やがて「おすそ分け」や「ちょっとした助け合い」が生まれ始める時、そこには国家や市場に依存しない、小さくとも強靭な「自分たちの社会」が再建されていく。

それこそが、若者を追い詰める絶望への、最も具体的で、最も息の長い処方箋になるはずだ。共同体をリビルトするんだ。

近代の新自由主義的な資本主義や「親ガチャ」という言葉に象徴される自己責任論は、子どもを「個人の家庭の私有物(あるいは負担)」として閉じ込めてしった。

しかし本来、子どもは社会全体で育み、未来へ繋いでいく共有の「宝(コモンズ)」であるはずだ。なぜなら、次の世界の社会を担うのは、まさにその子どもたちに他ならないからだ。

俺自身が地域のハブとしてよその子どもたちにも分け隔てなく接し続けていることが、子どもたちにとって少しでも足しになればうれしいもんだ。もっとも、俺の親父みたいにオマワリにちんころされてしょっ引かれそうになるのは御免被る。

俺たちの眼差しが子どもたちにもたらすものは形のないものだ。けれど、大切なものはたいてい目には見えない。星の王子さまも言っていたぞ。

無条件の「生存の肯定」

成績や親の経済力に関係なく、「ここにいていいんだ」という安心感を、地域という外の世界から得ることができるといいな。

未来への信頼

社会を「冷酷で敵対的な場所」ではなく、「自分を見守ってくれる温かい場所」として認識できるようになる可能性がある。これができたなら、いつの日かその若者の心の中に沸き起こるかもしれない刹那的な暴発や絶望(つまり自殺や社会的な自殺だ)を防ぐ最大の心の盾になるんじゃないか?

家庭や学校という狭い世界の人間関係で行き詰まったとき、周囲の大人の「おかえり」「気をつけてね」という何気ない一言が、子どもの命を繋ぎ止める最後の砦になる瞬間が必ずあるだろう。人間の契機なんてそんなもんだ。

社会の構造を変えることは容易なことじゃないことくらい百も承知だけれど、俺の半径数メートルの中では、すでに「子どもが宝物として大切にされる、あるべき社会」が現実のものとして動き出しているんだ。

この春のある日、俺は近所に住んでいる女の子に久々に出会った。彼女は小学校から中学校にかけてほとんど不登校で引きこもっていた。彼女のお母さんとも面識のあった俺とカミさんは、ひそかに彼女の将来を案じていたんだ。

彼女は家族の仕事の関係で、二年ほど海外に行っていたんだ。それが良かったのかもしれない。みんなと違っていてもいいと思えるようになったと話してくれた。結果、日本に帰ってきて自分から学校に通ってみようと動き出したんだそうだ。

俺は彼女と話す中、『本当は僕たちの世代が頑張って、君をちゃんとインクルージョン=包摂できる社会を作らなければならなかったんだ。けれど、僕たちの世代も生きていくだけで必死だった。で、そんな社会を君に間に合うように作ることができなくてすまなかった。君自身も寛容な人になってほしい』

彼女は少しはにかむように笑ってから、どことなく嬉しそうに帰っていった。その後ろ姿を見ながら俺は思ったのさ。『社会をリビルトする俺のチャレンジは、まだ始まったばかりだぜ』ってね。