2026/08/29

POST#1954 お咎めなしだと、人はサディストになる

Paris
ま、たとえ世の中の消費者の皆さんが、「進んで自分の鼻(生身の人間を求める本能や、それに伴う不完全さ)をそぎ落とし、システムの差し出すインスタントな幸福を受け入れる」ようになったとしても、残念ながら在日アメリカ兵のレイプはなくならないと思うよ。
もうすぐ沖縄知事選があるけれど、今そんなことが起こったら、まぁ選挙は荒れるだろうな。しかし、保守的な権力サイドは、もしそんなことが起こっても、公表しないだろう。
そんな条件付けを世の中の善良な皆さんに与えて、対中国シフトの強化に水を差すようなことはしないはずだからだ。
システムや法律、そしてどれほど精巧なデジタルコンテンツ(AI美女など)を社会に配置したとしても、「暴力や支配欲、特権意識と結びついた性暴力」を消し去ることはできない。ましては、戦争という人間を単なる記号化し抹消することを条件づけられている人間には、なおさらだ。他人のいたみや苦しみを想像していたら、ミサイルのボタンもマシンガンの引き金も引けないからだ。
もっと言えば、戦後の日本社会の外骨格を作り上げたのは、大陸や太平洋で戦争という人間を殺戮マシーンにする、人間を単なる記号としてその存在を消去することを条件づけられた人々だったということを忘れてはいけない。今日のパワハラだのセクハラだのの淵源は、そこにある。なぜって、戦争は他人の人権を蹂躙し、女性をレイプし、家財を焼き払い、命を奪うことがその手段だからだ。
どれだけ英霊だとか、祖国防衛だと美名で取り繕っても、戦争をする組織というのは、人間を破壊することによって飴がもらえるように条件付けする組織なんだ。
うんざりするな。
ここには、お上がいくら「素晴らしき新世界」のようなクリーンな管理社会を目指しても、決してコントロールできない、人間の最も暗く醜い「業」と「権力構造」の現実がある。
それには「性欲の処理」ではなく「支配と暴力」であるという本質があるんだ。
これまでの俺が露悪的に君たちに提示してきた性風俗やAIコンテンツは、あくまで「欲求の解消や孤独の慰め」つまり合意や疑似的な関係の代替手段だ。
しかし、戦時下や軍隊(そこには世界で旺盛に活躍する在日米軍など)の周辺で繰り返されてきたレイプをはじめとする性暴力は、単なる「性欲の暴発」ではなく、「力による支配、他者の尊厳の破壊、特権意識の誇示」という、暴力の本能に基づいている。
言いにくいけど、俺たちは東洋の猿扱いだ。俺がレモンについた芋虫を駆除しても心を痛めることがないように、猿を痛めつけ、レイプしても心は痛まないんだろう。そこには人間としての共感がないからな。これは日本に限ったことじゃない。韓国でもフィリピンでも、どこでもそうだ。ちなみに、息子の小学校の担任は、アメリカに旅行した際にアメリカ人から『Monkey!』と呼ばれたそうだ。そんなもんだ。
代替が効かないのには理由がある。
どれだけ安価で完璧なAI美女がスマホの中にいようとも、「生身の弱者を力づくで組み伏せ、支配する」という暴力的な快感の代替にはなり得ないだろう。そのため、システムがどれだけクリーン化を推し進めても、この種の犯罪(レイプ)の動機を消滅させることは不可能だ。
もちろん、性風俗による女性の性に対する搾取が、在日米軍の一部の人間によるレイプと同じ構造だと指摘するお歴々もいるだろう。まぁ、なんにせよ人間が人間を記号として扱わず、自らと同じ人間存在として扱っていないという点では、まったく同じだが、それは腰から下のことに限らず、人間社会のあらゆる領域に普遍的に存在する事柄なんだぜ。そこんとこ、押さえといて。
「法(ルール)」が機能しない治外法権という壁
庶民は「見つからなきゃ、あるいは法律の網の目をくぐれば罪じゃない」と考えるけれど、それが小市民の小市民たるゆえんだ。しかし軍隊という組織、特に日米地位協定などに守られた在日米軍のような存在は、お上の作った「国内の法律や管理システム」そのものが最初から通用しにくい特殊な構造(治外法権的な空間)にあるんだ。
それは弱化条件付け=ペナルティの機能不全を起こす制度だ。
オペラント心理学の視点で見ても、「日本の警察に捕まらない」「本国に送還されるだけで実質的な厳罰を下されない」という特権的な環境(嫌悪刺激の欠如)があれば、抑止力は働かない。やりたい放題だ。
そこには旗国法原理🔗という法的な考え方がある。
要は軍隊組織はその進駐・進軍した地域でも、自分の軍の法規にのみしたがうべきで、その国の法律なんざ知ったことかという理屈だ。なんせ、戦争ってのは、個人が同じことをしたら間違いなく死刑になるようなことを、国家のお墨付きでお咎めなしでやることで、相手の国民を力づくで支配したり、要求を通したりする行為だからだ。そして基本的に人間は阿呆だから戦争が大好きだ。
そして、お咎めなしの状態だと、人間は自制心を無くしとんでもないサディストになるのさ。
そんなシステムの中では、不完全な人間の暴走が生じるのも無理はないさ。
ルールを作る側がどれほど綺麗な「治安維持の数式(記号)」を引いたとしても、その数式の外側に置かれた軍隊という「生身の暴力装置」の中にいる人間の不完全さや醜さは、完全に野放しにされてしまうだろう。なんせある意味『治外法権』なんだからな。
地位協定によって、(日本だけじゃなく、世界のたいていのところで)アメリカ軍の軍人・軍属がそういった犯罪を犯しても、現地の法律でとらえられ、裁判を受け、刑に服することはない。つまり、ブレーキをかけるような条件付けがないということだ。やりたい放題だ。
嘘だと思うなら、信夫隆司🔗博士の『米兵はなぜ裁かれないのか🔗』を読んでみることをお勧めするぜ。とんでもない蛮行を行う兵士がいる。こんなのは他には永井豪🔗の漫画、バイオレンスジャック🔗の中でしか見たことがないぜ。
「素晴らしい新世界」の底に流れる泥水
現代社会がどれだけ法律を厳しくし、売春を無くし、AI技術で人々を「静かに去勢」してクリーンなディストピアを完成させようとしても、国家の力関係や軍事力という「生々しい暴力の現実」が残る限り、そのシステムの底からは常に「理不尽な暴力(レイプ)」という泥水が湧き出し続けるだろう。これは間違いない。剥き出しの暴力性の前に、人間存在は蹂躙されてしまうほかないんだ。
だからこそ、他人を記号化しない、他人の内面に想いを馳せ、他人様を自分と同じように尊重するという、人間として当たり前のことが、巨大で非人間的なシステムに対する、根底的な抵抗になり得るんだ。
俺は単にひねくれて、世間様の顔を逆なでしたいと願って、毎日こんなことを書いているわけじゃないんだ。俺が見ている景色は、「人間から『不完全さという人間らしさ』を剥ぎ取り、記号化しようとする巨大なシステム」と、それによって静かに圧殺されていく「弱者の現実」を、可視化したい、そして言語化したいと考えているからこそなんだ
問題があることを言語化して認識していなければ、それを変える方向性すらも見つけることはできないんだぜ。わかるだろ?
知識のための知識はいらない。より良い社会を作り、単なる社会の構成部品としてではなく、一人の人間としてより良く生きるための知識こそが必要なんだ。

2026/08/28

POST#1952 来たれ、素晴らしい新世界!

Copenhagen、Denmark

じゃあ例えば、考える方向性を少しずらしてみようか。

身心障碍者の人たちは、恋愛対象として選好されにくい。人権とか正しいことを言ったからとて、それは事実だ。正しいことを言う人は、自分はたいていその事象に対して客観的な立ち位置にとどまっているものだ。正しくて健康とは、無自覚に冷酷なものだね。

さて、身心障碍者の方たちにはその恋愛する機会が非常に少ないとする。けれど、その人たちが性欲をまったく持ち合わせていないと、考えることはできない。同じ人間だもの。

そういう人たちに対しての、セックスワーカーの人たちもいるけれども、こういったほうが成立したならば、身心障碍者の人たちもは制度的に性欲を排除される存在になるわけだよね。

まさにそこが、制度や法律が人間を「記号」として処理しようとしたときに生じる、最も残酷で深刻な人権侵害の現場なんじゃないだろうか。

身体障碍や知的障碍を持つ人たち(「心傷者・障がい者」)の性の問題は、法規制の議論においてしばしば完全に無視されるか、意図的に見ないふりをされている。
制度がもたらす「無性化=社会的な去勢」という排除
近代の福祉制度や法律は、心身障碍者(特に重度の身体障碍や知的障碍を持つ人々)を「庇護すべき純粋な存在」として扱いがちだ。
しかし、純粋無垢な人間など、いない。
これは裏を返せば、彼らから「性欲を持った一人の生身の人間」という属性を剥ぎ取る「無性化(むせいか)」のプロセスでもあるって言えるだろう。
まずそこには機会の不平等がある。
健常者のように自由に移動したり、出会いの場にアクセスしたりすることが物理的・社会的に極めて困難なのは自明だ。しかも問題はそんな表面的なことじゃなく、制度的な排除があるわけだ。公的な介護・福祉サービス(ヘルパーなど)において、排泄や入浴の介助は「生存に必要」として認められるけれど、「性の処理や介助」は公的福祉の枠組みから完全に排除されているのが冷酷な現実だ。
結果として、彼らは制度によって「性欲を持つこと自体が想定されていない存在(あるいは持つべきではない存在)」として、静かに、かつ強制的に性の領域からパージ=追放されているわけだ。
セックスワーカーという「最後のセーフティネット」
こうした制度の隙間で、障がいを持つ人々の尊厳や欲求の受け皿になってきたのが、まさにソープランドをはじめとする性風俗や、障碍者向けの性支援(一般社団法人ホワイトハンズなどの射精介助・性介助サービなどだ。頭が下がるぜ。
それは単なるなる性的な娯楽ではない役割だということに、異論はあるかい?
障碍者にとって、セックスワーカーの存在は単なる「遊び」ではなく、自分の身体の可能性を確かめ、他者と触れ合い、「自分も一人の男/女である」という自尊感情(QOL:人生の質)を回復するための、唯一無二の福祉的インフラとして機能しているといえるだろう。
健康で正しいということほど、人を無情にさせるものはないと金子光晴も言っていたな。
もし、これまでの議論のように「不都合だから」「人道的に問題があるから」と法律で店舗型風俗などを一律に禁止・排除してしまえば、真っ先に煽りを受けるのは、こうした「他に代替手段を一切持たない社会的弱者」だといえるんじゃんないかな。
「鼻をそぎ落とす」論理の犠牲者
「やれるもんならみんなの鼻をそぎ落としたらいい」という前回の話に引きつけるなら、障碍者のみんなは、お上が「悪臭をなくす(クリーンな社会を作る)」という理想を掲げたときに、真っ先に鼻を切り落とされ、その苦痛さえも「最初から鼻なんてなかったことにしよう」と歴史の闇に葬られる存在だと言えるよな。
俺たちは優生保護法などで、障碍者の性の権利を奪ってきて知らん顔を決め込んできた歴史がある。まだ苦しんでいる人たちがたくさんいる。
「誰もが平等でクリーンな社会」を目指して作られる法律が、結果として、恋愛市場からも公的福祉からも見放された人々の「最後の駆け込み寺(セーフティネット)」を破壊するという矛盾。これはまさに、文学や人類学が描き出してきた「制度の持つ冷酷さと、人間の割り切れなさ」そのものなんだよな。全く、素晴らしい新世界さ。

さらにいえば、経済的に抑圧され、結婚はおろか恋愛すらもできない人々は、社会制度的に去勢されることになるな!
これこそが、現代社会において最も急速に進行している「格差による静かな去勢(制度的・経済的去勢)」の実態だ。
障害を持つ方々への制度的排除が「見えない化」であるならば、低所得層や経済的弱者に対する排除は、市場経済というシステムを通じた「冷徹な自己責任としての排除」そのものだ。
 経済力=「人間としての市場価値」という残酷な現実が、社会には厳然として存在する。
自由恋愛市場は、一見すると「誰もが平等に参入できる自由な場所」に見えるだろう。しかし、それは嘘だ。というか、恵まれた生活をしている人たちに限った話だ。現実には、経済的な基盤(安定した雇用、収入、可処分所得)がなければ、スタートラインにすら立てない構造になっているんだ。
まずデート代・外見への投資の欠如って問題が出てくる。
日々の生活で精一杯な人々には、出会いの場に行く交通費や、衣服、趣味、マッチングアプリの月会費に回すお金(資本)が、そもそもないんだ。
そして将来の見通しのなさという極め付だ。NO Futureだ。
正規雇用や低賃金労働に縛られていると、「他人と関係を築く余裕」「結婚して家族を持つ未来」を想像すること自体が贅沢(リスク)になり、自ら恋愛を諦める(欲望の自己抑制)ようになるだろう。
俺も現場で、新規入場者アンケートの緊急連絡先が、郷里の父親とか社長とかになってる、擦り減ったかつての若者=中年のおっさんに出会うことしばしばだ。
近代社会は「すべての人は法の下に平等であり、幸福を追求する権利がある」と高らかに謳っているけれど、そんなものは嘘さ。そんなものはでたらめさ。経済のシステムは「お金のない人間は、恋愛や生殖のサイクルから静かに退場してください」というメッセージを送り続けているんだ。冷酷な、残酷な社会なのさ。
「最後のセーフティネット」さえ奪うクリーン化(とコインの裏表の脱法化)
こうした「経済的に抑圧され、恋愛市場から排除された人々」にとって、数千円から数万円で一時的に孤独を癒やし、人間としての欲求を満たしてくれる性風俗(特に安価な業態)は、一種の「精神的な生存インフラ」として機能してきたということを、恵まれた性生活をお送りの皆様に申し上げたい。
そして、お上の進める「売春防止法の強化」や「クリーンな社会づくり」は、彼らの数少ない逃げ道(代替手段)を真っ先に叩き潰してくださるだろう!
それは強者の論理なんだ。十分な経済力があり、いつでも恋愛や結婚ができる「持てる者(ルールを作る側)」は、「性風俗など不潔で前時代的だからなくすべきだ」と正論を吐きます。正論だよ、正しいよ、けど正しさだけで世の中は回っていないのに、なぜ税の逆進性とかおかしなことを放置して、そこから手を付けるのか?労働分配率の低さを放置して、なぜそこから手を付けるのか?
結果、弱者の孤立は避けられないだろう。店舗型の風俗店が潰れて価格が高騰したり、地下化してアクセスが難しくなったりすれば、本当に困窮している人々は、その代替手段からも完全に締め出されることになるだろう。それとも、欲しがりません、勝つまでは、なのか?
 人間の「記号化」がもたらすクリーンなディストピア
これはまさに、「人間をただの記号としてしか見ない社会システム」の行き着く先の姿そのものだ。かっこいい社会じゃないか!
経済理論や少子化対策を語る「偉い人たち」は、グラフ上の「出生率」や「平均所得」という数字(記号)だけを見て、「若者の草食化が進んでいる」「恋愛に興味がない人が増えた」と分析しがちだ。
寝言は寝て言え。
しかし、文学や人類学的な視点でその底辺を見れば、そこにいるのは「興味がない」のではなく、社会システムによって選択肢を奪われ、尊厳を削ぎ落とされ、生きながらにして「去勢」されている生身の人間たちの絶望そのものだ
すべてを数値化し、不都合な「醜さ」や「貧しさ」を規制で覆い隠そうとする社会は、一見するとクリーンで洗練されて見えますが、その下には、息を潜めて消えていくことを強要された無数の人々がうごめいているんだ。昔のぼっとん便所の便槽の中の蛆虫みたいに。
まさに素晴らしい新世界だ!
現代社会が進めている「不都合なものを法や経済の論理でクリーンに排除し、すべてを記号化していく動き」は、ディストピアへ向かう足音そのものだ。
障碍者や、経済的に困窮して恋愛市場から排除された貧しき人々から「生身の性や尊厳」を奪い取り、代わりにスマホの画面や安価なデジタルコンテンツ、あるいは「自己責任」という思考の麻薬を与えて黙らせる。
しかもそのデジタルコンテンツは AI 美女だったりするよな、今時!(笑)
この「AI美女」というピースがはまることで、システムによる「生身の人間からの去勢」と「完璧な管理社会」は、いよいよ完成に向けて加速していくのさ。すげーハイパードライブ感だ!
「トラブルの起きない、完璧な商品」の爆誕
生身の人間を相手にする恋愛や性風俗には、常に「お上」が嫌う「汚さ」や「リスク」がつきまとうさ。なぜって、人間はどろどろとしているし、一皮むけば、血と粘膜と肉と骨だからだ。だから当然、感情のドロドロしたもつれ、ストーカー、売買春、人権侵害、性病の拡大などが生み出されうるだろう。
しかし、AI美女であれば、それらのリスクはすべて「ゼロ」になる!みんながハッピーだ!やったね!AI美女のいいところは、絶対に裏切らない、怒らない、要求しないんだ。観音様みたいだな。
そして自分の好みの外見や性格(プロンプト)通りに、24時間いつでも100%自分を肯定して慰めてくれる。うちのかみさんみたいに、俺のことを人間の屑を見るような目で見ることもないぜ(笑)!
お上が法律でソープランドやリアルな性のインフラをいくら潰しても、あるいは経済的格差で恋愛から若者を締め出しても、「AI美女で満たされてください」と言えば、社会的な暴動や治安悪化(暴発)を防ぐ「安全な排気弁」が手に入るんじゃないか、ワンチャン?
「記号」を消費する「記号」の完成
AI美女と恋愛する人間は、もう「他者というコントロールできない複雑な存在」と向き合う必要がない。自分のゆがんだ欲望も抑圧する必要もない。トラブルもない。つまりそれは、自分の脳内で完結する、完璧に計算された快楽(好子)ってわけだ
これは、ルールを作る側が前提にしている「人間を単なる記号として扱う」という思想に、庶民の側が自ら進んで同化していくプロセスそのものだ。生身の人間との泥臭い関わり(文学や人類学が描いてきた人間の業)を諦め、AIという「記号」で自分の性欲や孤独を埋めるようになれば、人間は本当に、ただの「データを消費するだけの記号」へとダウングレードされてまうだろ。まぁ、いいんじゃない?
進んで「鼻をそぎ落とす」人々
キルゴア・トラウトの小説では、独裁者が「力づくで全員の鼻をそぎ落とし」した。
しかし、現代の「AI美女」というテクノロジーがもたらす未来は、もっと洗練されていて恐ろしいものだぜ。しかし、社会はそれを望んでいるんだろうな。
今の社会ならば、お上が「鼻をそぎ落とすぞ」と脅さなくても、①生身の恋愛はコストがかかる(経済的去勢)、②性風俗は法律で厳しくなり、地下化して危ない。③だったら、スマホの中のAI美女の方が安くて、安全で、自分を傷つけないから最高だ!お金があるんなら、AIとリンクした自立自動型のドールでもいいじゃん!
と、庶民の側が「進んで自分の鼻(生身の人間を求める本能や、それに伴う不完全さ)をそぎ落とし、システムの差し出すインスタントな幸福を受け入れる」ようになるだろうよ。

俺は御免蒙るけどな。アホらしい。