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| フェス、モロッコ |
人間は有史以来、フロム・ハンド・トゥ・マウスという定常経済を回してきた。それから後に作物を栽培し、収穫物を貯蓄する術を生み出したわけだ。
つまり、先を見越して貯蓄ってことを始めたのは農業が始まってからこっちの話。そしてぐんと話が今に近づいて本格的な投資が始まったのは、産業革命以降の話だ。
これは人類の歴史ってロングスパンで考えると、つい最近おっぱじまった実験的なものであるに過ぎないと俺には思えるんだ。そう、多くの人が幻滅を感じている近代的な民主主義だって、未だ数百年の積み重ねしかな壮大な社会実験であるようにね。
有史以来、人間が営んできた経済の歴史軸で並べ替えると、ごく最近始まった「貯蓄」や「投資」という仕組みが、いかに不自然で異質なものであるかが浮き彫りになるだろう。
1. 20万年 vs 1万年:貯蓄の始まり
ホモサピエンスって分類される現生人類、つまり俺たち人間が誕生してからざっくり20万年間、人類は「その日暮らし(From hand to mouth)」の狩猟採集社会を生きてきたわけだ。獲った獲物や採った果実はその日のうちに消費し、蓄えることは燻製にしたりしない限りは、まぁ難しいね。それに今日でもアマゾンの奥地などで暮らしているイゾラドと呼ばれる移動採集民のようなライフスタイルでは、常に移動しながら生活を営むため、モノは少ないほうがいいし、穀物を育てるなんて発想もなかったわけだ。
農業(約1万年前〜)という最初の実験
人類の定住と農耕が始まったことで、初めて「穀物の余剰(貯蓄)」が生まれたって言えるだろう。
最近の研究では、定住してしばらくは、割と平等な社会を営んでいたんじゃないかって推測されてる。共同体の中で富を蓄え、皆を支配しようとする者は、たいてい夜の間に喉を掻き切られたり、共同体から追放されたりしたんだ。
しかし、そうこうするうちに不平等が生み出されてくる。
貯蓄ができるようになった瞬間から、富を持つ者(ハブズ)と持たざる者(ハブナッツ)の階級が生まれる。こうして俺たち人類は「格差」という新しい課題を抱えることになったってことだ。めでたしめでたし。
2. わずか250年しか実績のない投資という最新の実験
農業以降も、基本的には「実体のあるモノ(金、銀、穀物、土地、塩など)」が価値の中心だったんだよね。しかし、18世紀後半の産業革命以降、事態は一変することになる。
約250年前にイギリスを震源地にして起こった産業革命では、膨大な設備投資を回収するために「株式会社」や「近代金融」が本格化したんだ。
そこで起こったことは人類史上でも劇的な変化だ。それまで「今ここにある富」だったものが、「将来生まれるであろう富(期待)」へと姿を変え、これが現代の株価やAIバブルへと肥大化していくことになるわけだ。ケインズの言うところのアニマル・スピリットの炸裂が新たな富を求め生み出していったわけだ。
ちなみに、イスラーム金融では、今ここにないものを取引することはイスラーム法で禁じられている。ついでに言うと利子も禁じられているんだ。これが、活発な商取引を行ってインド洋からアフリカまで巨大な経済圏をつくっていたイスラーム世界が、産業革命を起こすことなく、また経済的な覇者にもならなかった原因といえるだろう。もっと言うなら、節度のある経済体制だということもできるだろう。資本主義と共産主義だけじゃなくて、世界には多様な経済の仕組みがあるんだ。俺たちがどっぷりつかっている近代経済ってのが、唯一の経済システムだと思ってもいけないし、格差が拡大していくのは当然だとあきらめてもいけない。
3. 「実験」としての近代システム
産業革命以降の資本主義も、フランス革命以降の近代民主主義も、人類の長い歴史から見れば「ここ200〜300年ほど、試しにやってみているだけの超短期的な実験」に過ぎない。人類の歴史の中では、昨日今日始まったばかりのことだ。だから、何もかも諦めて長いものに巻かれるだけでは面白くないってもんだろ?
何しろ俺たちが唯一のシステムだと思ってる経済システムは、この地球の資源を無限に消費し、実体のない信用を膨らませ続ける無理ゲーなシステムだ。こんなギャンブルまがいのことが、この先何千年も持続できる可能性は極めて低いというか、ゼロだろ?持続不可能な経済なのさ。3%の利子が20年複利でのっかるだけで、2倍になるんだ。こんな負荷に、俺たち人間も地球そのものも耐えられないぜ。どう思う?
で、バブルの崩壊やマクロ経済の破綻が起きたとき、俺たち人類が立ち戻るのは、結局のところ「今日働いて、今日食べるものを得る」という、20万年間鍛え上げられてきた「From hand to mouth」の強固な生存本能しかないんだよね。
株価、新NISA、AI、そして民主主義すらも、人類が長い試行錯誤の中で生み出した「一時的な流行(実験)」のひとコマに過ぎないという視点を持つと、目の前の経済ニュースの重みが全く違って見えてくるだろう?そういうメタな視点を持った方がいいぜ。世の中ががぜん面白くなる。
専制政治や王政などに、戻らないためにも、俺たちは学び続けていかないといけないと思うんだ。民主主義はもう限界だなんて呑気に思っていられるのは、民主主義社会にいるからであって、本当に専制主義や絶対王政の社会に生きていたら、その民主主義という言葉を発することすらできないんだ。
だからこそ、自分たちの周囲の人々と相対して話し合い、草の根の民主主義を形成していかないといけないと思うんだ。
そういう基盤があって初めて、富裕層への資産課税は実現化するだろうし、富の再分配っていうことがちゃんと行われる政治制度っていうのが確立できるはずなんだ。
ちなみに現在の日本で起こっているのは、富の逆再分配だ。これは本来政治制度によってきちんとした富の再分配をしてゆくべきなのに、俺たち日本人は、俺たちの貧しさは自己責任で、富裕層が富を幾何級数的に蓄積していくのは、彼らの才能が優れているからだと思い込まされてる。
思い込まされてるんだ。
じゃぁ、なぜこの「逆再分配」が起きるんだ?そして俺たち庶民は、なぜそれを当然のこととして受け入れてるのか?
その不都合なメカニズムと、それを打破するための草の根民主主義の重要性について、考えてみようや。
1. なぜ現代は「富の逆再分配」が起きているのか
現在の資本主義と金融・税制のシステムは、放置すると自動的に「持つ者(ハブズ)」に有利に働くように設計されている。なぜって、この社会制度を政治家と一緒に設計したのは、そもそも彼等『ハブズ』だからだ。
金融緩和とインフレの罠
中央銀行がお金を大量に刷ると、株や不動産などの資産価格が上がってハブズがさらに富む一方、物価高(つまり今まさに現実化しているインフレ)によって日々の労働で生きるハブナッツの生活費は圧迫されていく。コンビニに行っておにぎりの値段を見ればわかるだろう。これは実質的な庶民から富裕層への富の移転(逆再分配)に他ならないんだ。
税制の歪み
汗水垂らして働いた「労働の対価(給与)」には高い住民税や所得税(累進課税で最大55%)がかかるのに対し、株の売買や配当による「資産の対価(金融所得)」には一律約20%しか課税されない。そして、政府はそういうインセンティブ=好子をちらつかせて、人々を投資という市場そのものを賭場にしたギャンブルに誘導するんだ。
一億円以上稼ぐ富裕層のほうが、実質的な税負担率が低くなる「1億円の壁」が、この不公平な税制を如実に示しているだろう。
2. 草の根の民主主義と「学び」が持つ力
この逆再分配のシステムを変更するためには、俺が吠えてる「資産課税の導入」や「税制の是正」が必要だ。
しかし、それらは強力な権力者(ほとんど専制的な長期政権党の非公開の税制調査会や財務省の官僚)によってきめられている。だからこそ、いくら市民の批判が高まって、『資産課税』などの不平等改善策が導入されたとしても、そのスケールは微々たるものに終わるだろうし、ハブズのロビー活動や資金力によって買収され、折を見ていつのまにか元の木阿弥状態に逆戻りしてしまうに違いない。そうなったとき、世の中の皆さんが自画自賛する民度の高いらしいこの国は、あきらめと不平等に覆われた惨めなものになってしまうだろう。
この茶番を防ぐためには、俺たちが消費者から市民へと脱皮しなければならないんだ。
そして、諦めるよりも、より公正な社会を求めることだ。
つまり市民の「知性」が防波堤になるんだ。一人ひとりの市民が経済の仕組みや歴史を「学び続ける」ことで、政治家の甘い言葉や、ハブズ側が流す「富裕層に課税すると国力が落ちる」といった世論誘導(プロパガンダ)を見抜く力を養っていくべきだね。
そして、市民同士の草の根の議論を通じて、「なぜ富の再分配が必要なのか」「どのような社会が公平なのか」という社会的な合意(ナラティブ)をボトムアップで形成して初めて、資産課税は富裕層からの「強奪」ではなく、社会を維持するための「正当な制度」として機能することになるだろう。迂遠だけれど、どんな遠い道のりも踏み出さない限り、たどり着くことはないんだぜ。
そもそも、富裕層に資産課税したら海外に脱出してしまうという意見もあるけれど、彼らが富を蓄積できたのは、国の税制に優遇され、国民の税金によって整備された公共財であるインフラを享受し、国の教育指針によって教育された質の高い労働力を使役し、その労働に対して本来分配するべき富を、労働者に回さず株主に配当したり、高額な役員報酬としてお手盛りで支払ったり、或いは企業の内部留保にしてみたりしてきた経緯がある。そう、若い人たちにはピンと来ないかもしれないけれど、この国はかつて一億総中流といわれた豊かさを享受していた国だったんだ。
絞り切ったレモンをゴミ箱に捨てるように、海外に資産を持ち逃げすることは、社会に対して不誠実極まりない態度だということは、少なくともいえるだろう。
実験を「より良いもの」に進めるために
人類の歴史から見れば、民主主義も資本主義もまだ始まったばかりの不完全な「実験」だ。しかし、今の状態を放置すれば、資本の力によって再び「新しい形の王政(巨大テック企業や超富裕層による支配)」へと退行していくリスクを孕んでいる。いや、すでにそのフェイズに入りつつあるといってもいいだろう。
それを食い止め、富の再分配が機能する健全な社会を作るためのカギは、「市民の学び」と「草の根の民主主義」だと俺は考えてる。俺たちは、餌をぶら下げられたら、条件反射的に食いつく機械じゃない。自分たちの目で社会の有様を見るべきだし、自分たちの頭であるべき社会を考えるべきだ。たとえ、荒唐無稽に見えたとしても。


