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2014/02/17

Post #1050

Amsterdam
読者諸君、本日はこれだけ。
いろいろとやるべきことがたくさんあるのさ。

2014/02/16

Post #1049

Amsterdam
本日、日帰り温泉に行って、露天風呂なんかに入って、頭がボーっとしておるので、これだけ。
読者諸君、失礼する。温泉に入ると、日本人に生まれて良かったなぁと、心底思える。

2014/02/05

Post #1038

Amsterdam
腰が痛い。
じじむさいことを言うようで悪いけど、先日の風邪の後遺症だと思うんだ。
せっかく今日は仕事が休みだってのに。

読者諸君、失礼する。

2013/03/29

Post #767 世界を旅する本

Amsterdam
仕事の合間を縫って、少し前にネットで海外の出版社に写真集をオーダーした。翌日には発送手配に入り、8営業日以内に到着すると書いてあったはずだった。
しかし、もう、かれこれ2週間になる。
カードの使用履歴は、とっくに決済されているというのに、どうしたことだ?
何日か前に問い合わせてみると、今、日本に向けて空輸中だよって返事が来たんだ。
そのメールには、荷物の追跡番号が書いてあったんで、指定されたサイトで確認してみることにした。
ドイツの出版社の香港オフィスから手配がかかり、スウェーデンの運送会社が発送したのが、今月の21日だって。本一冊で、ユーラシアの端から端だなんて、御苦労なこった。
でもって、27日には集積ハブ空港に立ち寄ったことになってるらしいんだが・・・。
一体ぜんたい、俺の買った本は、俺の手元に届くまで、世界中を飛行機に乗って旅しているのか?まる一日あったなら、地球の反対側のブラジルまで行けちまうご時世だ。
恥丘じゃない、地球を何回まわってるっていうんだ?それとも、この21世紀に優雅に船旅かよ?
わからないね。
まぁ、自分の手元に届くまでは、気が抜けないけれど、俺の代わりに俺の買った本が世界の旅を楽しんでるんだと思うことにして置くぜ。それはなかなかに面白い体験なんじゃないかな。もっとも、本にそれを感じる感性が備わってればの話しだけどね。
で、どんな写真集を買ったのかって?それは、着いてからのお楽しみに取っておくことにしようぜ。
読者諸君、失礼する。

2013/01/08

Post #691 カメラを持った男の怪しさに関する考察

Amsterdam
街中で仕事をしていると、昼休みなんかにカメラを持って歩いている男を見かける。
女の子がPENなんかを持って歩いていても、気にもならない。風景の中に馴化しているんだ。全然異様な感じがしない。写真が好きなの?そう、素敵ですね、とか言ってあげたくなる。どんな写真を撮っているのか、少しだけ興味が湧くが、きっと俺の好みではないと思う。
白いキャノンのズームだか328だかをカメラに取り付けている男も散見する。
俺は、あの手の存在を主張しまくるカメラは好きではない。白いデカいレンズが、撮ってます、撮ってますって自己主張を、街中にまき散らしているように感じる。風俗街の真ん中で、あんなカメラを振り回していたら、直ぐに強面のアンチャンに事務所まで引っ張られていくことになっちまうだろう。野生動物なんかどこにもいないコンクリートだらけの町中で、あんなデカいレンズを使って、いったい何を撮っているんだろう?うんと離れたところから、スナップのような写真を撮っているのだろうか?俺にはよくわからない。使ったことが無いからな?まず第一に、重くて疲れちまうぜ。
ブレッソンは、カメラを目立たせたくないので、黒いライカばかり使っていたという。ファインダーや採光窓すら黒いライカがあったら最高だと言っていてという話しすら、なんかで見たことがある。
そうだろう、そうだろうとも。
ブレッソンはきっと、写真を撮ることの中に、窃視狂的な後ろめたさが潜んでいることをわきまえていたに違いない。
デカいデジカメを持ち歩いている人のなかには、中国人も多く見かける。彼らはあからさまに観光客といったオーラを発散している。だから、何故カメラを持っているのか理解しやすい。
人は、理解できないモノには、胡散臭さを感じてしまうのかもしれない。

最近俺が見た中で最もノイジーだったのは、エプソンのRD-1だかに、Mマウントのレンズをつけて写真を撮り歩いていた男だった。彼はせわしなくせこせこ歩き回り、ふと立ち止まったかと思うと、カメラを構えて難しい顔をして、ビルの上のほうだとかを、アングルを変えながら何枚も撮っていた。
すごく変だ。
表情は真剣そのもので、その眼はどこか狂ったような真剣さに溢れている。しかし、そのレンズの狙うほうを見ても、俺にはなんもピンとは来ないんだがね。まぁ、人間の価値観や興味関心は様々だから、仕方ないか。けれど、俺ですらよくわからんのなら、世間一般ピープルに、何が面白いのかわかるわけもないんじゃぁなかろーか。分からないモノを怪しく感じるのは、世の常だ。一概に彼が間違っているわけではない。間違っているのは世間のほうだ。
しかし、そうは言ってもこの男、どうにも周りが見えていないように見受けられた。善男善女の群れの中に、静かな狂人を放り込んだようにすら感じる。
そりゃ、職質されたって仕方がない。そんな気がする。
おい、ヤバイな。俺も写真を撮って歩いている時には、そんな風に見えているんだろうか?
だとしたら、こりゃ職質されても、致し方あるまい。もっとも、俺の場合、シャブの売人かなんかと間違えられて職質されたようにも思える節もあるんだが。
しかし、不思議なことに女性(たいては俺の内縁のカミさんだけど)と一緒だと、職質されない。
男が、独りで、カメラを持って、そこいらをうろついている。そして、カメラを構えて写真を撮っている。
やはりそれがどうにも不審者とみなされ、何らかの(軽)犯罪者というか、(性)犯罪者予備軍のような印象を与えてしまうのかもしれない
どうして、写真を撮っていると、職質されるのだろうか?その答えの一端が、そこにある。
狂ったように集中して写真を撮っていると、何かしら犯罪者めいた狂気を身に纏ってしまうからなのだ。その証拠に、俺は観光客候の中国人が写真を撮っていて職質されたという話を、聴いたことが無い。いや、実際にはあるのかもしれないけれど、寡聞にして俺は聴いたことが無いぜ。
そして、もう一つ。PENとかぶら下げたカメラ女子が、写真を撮っていて、職質されたという話も、これまた聞いたことが無い。どうしてだ?
写真というのは、あくまで光学的かつ科学的(アナログ派の俺は化学的と書きたい。この違い、解ってもらえるかな?)な技術の結晶なので、男が撮ろうが、女が撮ろうが、何ら変わりない、はずだ。
しかしながら、いったい俺達ちんのついた人間がカメラを持つと、どうしてもオマワリ達を刺激してしまうのは、何故なんだ?
純粋に写真に対する狂気のなせる技なのか、それともカメラを持った男は、こっそり女性のスカートの中を撮ったりするモノだという偏見があるのか?みんながみんな植草教授じゃないんだぜ。
(もっとも俺はスカートの中の布きれよりも、そのまた中のほうに興味津々だがね。ダッハッハ!そういうこと言うから、これまた職質のフラグが経つのか?勘弁してくれよ。軽いジョーク、アメリカンジョークさ。セクハラで訴えるってのは、頼むから無しだぜ。)

そこで俺は考えた。ゲージュツなんか1ミリも理解する能力の無い、オマワリどもの職質攻撃からみをまもり、のびのび写真を撮る方法をだ。

そう、女装してカメラを持って歩いてみるってのはどうかな?

ふむ、これは新しい切り口のような気もするが・・・、どうだろう。うまく行けばするりとピンチを切り抜けられそうだが・・・、あまりに怪しすぎて、職質どころか速攻逮捕されそうだな。それはそれでなかなか面白いぜ。やれやれ・・・。

本音の話をするならば、俺としては気になるのは、やはりフィルムカメラを持っている男だ。
それも、ニコンF3みたいな一眼じゃなくて、レンジファインダーだ。あれは東京写真専門学校の学生が実習で使ってるようにも見えるから、却下。
やはり俺の好みはレンジだよ。軽やかで、如何にもスナッパーという感じがするだろう。首からぶら下げるのはダメだ。いつでも構えてシュートできるように、右手一本でホールドして、しかも人差し指はいつもシャッターにかかってる。俺の引き金は軽いんだぜってカンジさ。
そう、レンジファインダーさ。カッコよく歩き、滑らかに写真を撮り、さっと風に翻るようにすぐに歩き出す。そんなカンジがしないかい?
インドネシアであった中華系シンガポール人の男性はミノルタCLEだった。
その時、俺が手にしていたのはコンタックスG2だ。ちなみに、俺のG2はチタンカラーだ。限定盤のブラックはヒジョーに高価だったので、手に入れる気にはならなかった。いや、正直に言うと21㎜のビオゴンや、16㎜のホロゴンのブラック仕様がなかったので、買う気にならなかったのだ。パンダみたいなカメラなんて、俺の美学には合わない。
そんなことはともかく、俺達はお互いのカメラをたたえあった。デジタル全盛の今だからこそ、通じ合う心と心だ。
アムステルダムであった写真の男性は、ライカM3だった。
もちろん俺はコンタックスT3だった。日本で出会うライカのユーザーが、どことなくこれ見よがしなカンジがしてしまうのに、アムステルダムの彼は、かなりのマニアっぽい雰囲気をかもしながらも、爽やかに自然なカンジでライカを使いこなしていた。出来ることならまたどこかで会ってみたいものだ。
写真を撮ってたら職質される。夜中にクラブで踊ったら検挙される。
まったく、ケツの穴の小さいしょぼくれた世の中になったもんだぜ。
俺達はお上に家畜のように管理されて暮らすのは、まっぴらごめんさ。その役どころは、自民党LOVEな愛国主義者の皆さんにお譲りするぜ。

読者諸君、失礼する。今日は疲れてるのさ。風呂に入って体を休めたいのさ。

2012/09/30

Post #637 本当の俺が分かるかい?

From The Who "Quadrophenia” Booklet, Phot by Eathan A Russel
1972年に発表されたThe Whoのアルバム、Quadropheniaは、ひとりのティーンエイジャーの青春と挫折を描いた、2枚組の大作だった。俺が初めて聞いたのは、まだ18くらいの頃だ。
ちなみにQuadropheniaとは、日本語に訳すと四重人格だ。メンバー四人それぞれに、テーマとなる曲が割り当てられ、それがお互いに絡み合い、全体としてトータルなアルバムとして(そう、まるでオペラかミュージカルのような音楽劇のように)作られている。
主人公として描かれるジミー少年は、60年代中ごろにイギリスを席巻していたモッズの一人で、細身のスーツを着て、ハデハデにデコったスクーターを乗り回し、夜通しクラブで踊りまくる労働者階級の少年だ。
彼は夜通し踊るために、アンフェタミンなどのドラッグを常用しており、週に一回、精神科にカウンセリングに行く。そして、精神科医に訊ねる。本当の僕が見えるかい?
そして、母親に俺は狂っているんだと言えば、その気持ちはよく分かるわ、何故ってそれはうちの家系だからって言われる。本当の僕が分かるかい、母さん?
そんな歌詞の爆裂ロックナンバー“The Real Me”からアルバムは始まる。そして、全編を通じて、一人ぼっちの自分、つまりI’m A Oneから、確固とした自己、つまりI’m The Oneへの成長が描かれる。
AとTheの違いは微々たるもののようだが、その違いはとても大きなものだ。まぁ、それも行き過ぎると、周囲から理解されない奇人変人になってしまう恐れもなくはないんだけれどね。
こいつは俺にとって、とても重要なアルバムで、LPも持っているし、CDはリマスタリングされたときに新たに買いなおしたくらいだ。最近、デモとかも含めた豪華なBOXセットが発売されたんで、買おうかどうか、ずっと迷っている。金の捨て所は他にもたくさんあるからな。けど、そのうちきっと買っちまうんだろうな。
しかしまぁ、音楽の好みは人それぞれだから、聞き流してくれて構わない。しかし、このアルバムで看過できないことは、同梱されているブックレットだ。
このアルバムの見開きのジャケット裏には、ギターのピート・タウンゼント自身によって、随分と長いジミーの物語が記されている。
このストーリーを辿るように楽曲は展開していくのだが、さらには写真家イーサン・A・ラッセルによるストーリーに沿った写真集が、単体のブックレットとして添えられている。ラッセルはビートルズのLet It Beのジャケットなんかも手がけている。ロックの周辺で活躍する写真家だ。CD版ではそれはちいさなものでしかないが、古いLP盤を手に入れると、その大きな写真から放たれる迫力には目を瞠るものがある。
全編、ざらりとした粒子のハイコントラストな写真が並んでいる。今にして思えば、少しエルスケンを思い出すようなタッチだ。
上にあげたのはそのうちの最初のほうのカットだ。労働者階級のジミーの(なんだか不味そうな)朝食と、ターゲットTシャツを着てひとり地下道を歩くジミー。日常の退屈さと、ジミーの抱える鬱屈が表現されているように感じる。俺は、このアルバムが好きなのと同じくらい、このイーサン・A・ラッセルの手による写真集“
俺は、写真を始めるずっと前から、ロックにまつわる写真を眺めて暮らしてきた。
それが、自分の写真に影響を与えているのは言うまでもない。
これはもちろん俺の写真、Amsterdamにて
俺は時折、自分の写真を見ては、そんなルーツを感じる。それが本当の僕の姿だと思い起こすように。
読者諸君、失礼する。明日も朝早いんだ。もういい加減働くのに飽きてきた。風邪で一晩寝こんだと思ったら、次の日にはもう35時間働きづめだった。そう、朝の7時から次の日の夕方6時まで働いていた。冗談じゃない。俺の人生は萎れているぜ。そろそろいい加減、俺自身のために俺自身の人生を生きていきたいと思ってるんだがな。しかし、生きていくためには、そうも言っちゃいられない。金だって必要なんだ。人生は夢と現実のはざまでいつだって揺れている。しかし、それもまた人生だ、ロックンロールだ。また会おう。

2012/02/27

Post #472 27/Feb/2012


Amsterdam
夜明け前の路上に停めた車の中で、朝が来るのを待っている。冷たい風が吹いて、体温を奪いさっていくばかりだ。段ボールの粗末な家じゃ凍えて死んでしまうことだろう。俺は車の中に閉じ籠り、エンジンを回して暖を取る。今夜も家には帰れそうにないんだ。帰ることは出来ても、朝の仕事には間に合わないだろうよ。ひとたび布団に潜り込んだら、連日連夜の仕事の疲れで、容易くそこから這い出す事は出来ないだろう。だから、路上で眠るのさ。地球温暖化なんか気にしちゃいられないんだ。ハイオクガソリンを燃やして、ヒーターをぶん回すんだよ!なに、この寒さだ、ちょっとばかり温暖化してほしいってのが、今の俺の偽らざる心境だ…。
むにゃむにゃ…
あっという間に目が覚めた。もう、こんな時間かよ。タイムトラベルしたんじゃないよな?
読者諸君、失礼する。
これから仕事だ。そろそろうんざりさ。

2012/02/25

Post #470 25/Feb/2012

睡眠不足で働き続けると、頭の中が白い靄で覆われていくような感覚で、まったく思考能力が低下してしまいます。
働き過ぎは、正常な思考能力や判断力を奪いさってしまいます。奴隷のような塩梅です。
せめて、ユーモアくらいは失なわず、ヘラヘラ笑って仕事がしたいものです。
イノベーションとか言って技術が進めば、余暇が増え、人間の生活にユトリが生まれるという寝言をしばしば耳にします。
Amsterdam
しかし、実際には、本来ニンゲン様に奉仕するための技術によって、仕事時間は短縮されるどころか、圧縮され、単位時間あたりの作業量が増大し、余暇なんか産み出されることなんかありません。携帯電話は便利ですが、本当に自由なプライベートな時間は、これによって失われてしまいました。僕ら鎖に繋がれた奴隷のような有り様です。時折、発作的に携帯電話を投げ棄ててしまいたくなります。
それどころか、余暇と称して僕らに与えられるものは、ネットやテレビや携帯ゲーム、或いは新奇な、つまりコストの掛かるレディメードの商品ばかり。まさに消費者が間断なく資源を消費し、自らを消耗させている有り様です。その影で誰かが莫大な利益を得ているわけです。
ビンボーな国の人々は、そこそこにしか働かず、貧しいけれども、僕らのような高度に発達した世界に生きてる者共よりも、遥かに生きる事を楽しんでいるよーに見えます。もちろん、快適便利で高コストな生活に慣れた僕らには計り知れない、ストレートな貧しさに起因する様々な問題があることは間違いないのですが、有史以前から今迄に、ニンゲンの暮らしが安逸安泰だった事などありません。僕らにとって、一体何がホントーに幸せなのか、仕事をサボって考えてみるヒツヨーがあります。
折からの雨で、寒さも緩み、じきに梅が咲くでしょう。そのあとには木蓮が、桜が、桃が次々と花を咲かせていくことでしょう。
糞忌々しい携帯電話の電源を落とし、身近な人とノンビリのほほんと花を眺めて、鳥のさえずりを聞く。
そういうのが、本当の余暇と言うもんじゃないかね?どーだろーか?
失礼する。そんなことを切望しつつも、仕事は絶望的にのし掛かってくる。まったく、息つくヒマもありゃしない。俺にとって、労働は刑罰のようなものさ。さて、現場に戻るとするか。
地球の皆さん、ご機嫌よう。

2012/02/23

Post #468 23/Feb /2012


Amsterdam
どうにもこう、明けても暮れても仕事ばかりじゃ、青春が台無しさ。
まぁ、もっともこちとら、とっくに青春なんて年齢ではないけどね。このブログも暇をぬっていくしかないんだよねぇ。やれやれ。
毎日働いていると、すぐにうんざりしてくる。こんなことをするために生まれて来たんじゃないぜって思うのさ。
もっと知らないところに行って、見たこともないような人々の暮らしを見てみたい。ネットやテレビやガイドブックには載ってない経験をしてみたい。出来れば写真におさめて、雨の日なんかに、じっくりプリントしてみたい。忘れかけた頃に、そうして遥かな国の、二度と赴く事のない路地裏に当たっていた陽射しを、流れていた匂いを、吹き渡っていた風を、髪を揺らして歩み去っていった、言葉も通じない娘さんを、プリントしながら思い返すんだ。
現実逃避?どちらも抜き差しならない現実さ。そういったことに現実味を感じるかどうかは、自分次第だろうよ。そして、すべては人生の儚い暇潰し穀潰し。その意味じゃ、すべては、日々の暮らしも、旅での経験も、儚いマボロシなのさ。あとには、写真だけが、ベットに残った女の温もりのように残るって寸法なのさ。
失礼する。まだまだ忙しいんだ。いつまでもこうしちゃいられないのさ。

2012/01/28

Post #442 28/Jan/2012

Amsterdam
性懲りもなく、今夜も仕事。明日は時間を作って、久々にプリントでもしてみようかと考えているんだが、どんなもんでしょうねぇ。モロッコのフィルムを少し攻めてみたいんだけれど、この寒さじゃねぇ。イマイチやる気も衰えるってもんですわ。
読者諸君、また会おう。

2012/01/24

Post #438 24/Jan/2012

今日でやっと仕事が一段落だが、眠るヒマもないんだ。
小忙しい。今の仕事が終わっても、次の日からまた別の仕事が始まる。一息つくヒマなんてもちろんない。資金が豊富にあって、いつも旅から旅だったら、さぞかし人生気楽で楽しいもんだろう。
しかし、人生ってそんなにあまいもんじゃあ、ないよな・・・。
Amsterdam
あぁ、せめてゆっくりとプリントしたいもんだ。睡眠不足で頭が痛くなってきやがったぜ。
さぁ、シャワー浴びて少し眠ろう。今日も朝から仕事なんだから。こんなことしてる場合じゃないだろう。
読者諸君、申し訳ないが、ここんところ毎日こんな調子だ。水際作戦だ。一日が50時間くらい欲しいと思えてくるぜ。ただし、50時間のうち、仕事が45時間とかはナシだぜ。そいつは勘弁してほしいもんだ。ワークライフバランスってのが適正じゃないと、人生は不毛地帯になっちまうことだろう。
では、失礼する。御機嫌よう。

2011/11/18

Post #370 Insturment

いつも、音楽を聴いて暮らしている。
ピート・タウンゼントやジェフ・ベック、ジミー・ペイジなどが、感情の赴くがままに、その内側から噴出するがごときうねりに、ギターを通して形を与えたような、エモーショナルなギター・プレイを聞くと、自分自身の中にも、火がともり、熱い炎となって心を融かすような、胸を焦がすような思いを抱く。音楽があったから、今の自分になれたと思う。結構なことだ。
そして、自分がやっている写真に、そんな熱がこもるのだろうかと、自問自答する。
写真は、あくまで静かなメディアだ。
音楽の様に、大勢のオーディエンスを前にして、インストゥルメント=楽器に命を吹き込み、自らの心の昂ぶりのままに、どこまでも飛翔するがごとく自在に旋律を奏で、瞬時に人々を熱狂させるようなことは、残念ながら写真にはできないと、思う。残念だ。
写真に出来るのは、カメラというインストゥルメントを用いて、この世界の一定の範囲の光を切り取り定着させることだけだ。俺の内なる心のうねりは、写真には写らない。リンダリンダだ。
俺は写真を撮っている時の、自分自身の昂ぶりを、君にも味わってほしいのに。
飢えた獣が獲物を求めて、五感を総動員して歩き回り、ついに見つけた獲物に襲い掛かり、その血肉を喰らうような、内心の昂ぶりを感じて欲しいのに。
醜いものを美しいモノへと自在に変容させる、錬金術のような営みに、知覚が痺れるような感覚を味わってほしいのに。
それには、タイムラグがあり過ぎる。
タイムラグだけが問題なら、いっそデジタルというのもひとつの解決手段かもしれないけれど、それで、多くのオーディエンスを熱狂させることが出来るとも思わない。それは黄金期のロックを捨てて、テクノ・クラブサウンドに乗り換えろというようなものさ。
それは、俺の表現様式では、無い。
モノクロ写真という、制約の多い表現に、俺は魅力を感じているんだ。
写真と音楽。同じようにカメラなり楽器なりのインストゥルメントを用いる芸術なのに、どうしてこんなに、オーディエンスに与えるモノが違うのだろう。
ひょっとしたら、音楽には連続しつつ変化していく流れがあり、写真は逆に、連続しつつ変化していくものの一瞬を切り取るものであるが故かもしれない。瞬間の音楽にはイントロクイズのような使い道しかないし、微分化していくと、音は意味を失ってしまう。これは写真とは真逆だ。
一方で、連続する写真は、すでにアニメーションもしくは映画へと歩みをはじめ、別のものに変容しようとしている。
時に俺は悲しくなる。写真で、他者を熱狂させることはできないものかなと。とりわけ、このブログを読んでくれている君を、もっともっとワクワクドキドキさせたいんだがな。
Amsterdam
写真と音楽には、大きな相違点がある反面、両者の間に、俺が共通すると感じている項目がある。
それは、言語によるくだらない能書きによってオーディエンスを感動させるのではなく、目の前に示された画像や、耳に響く音色そのものによって、ストレートに人間の中にある何かを揺り動かし、感動させるということだ。
音楽を批評する言葉は、まやかしだ。それは何も生み出しはしない。
写真を眺めて、能書きを垂れる奴は、うるさくて不愉快だ。
どんな音楽も、百万言を費やした批評を聞くより、音楽そのものを聴くこと以上に、その音楽を理解する手立てはない。
どんな写真も、写真に関する解説を読むよりも、写真そのものを静かに凝視し、その写真に写されている時空に、そう、カメラを携えていた撮影者の視点にたって、その世界を感じること以上に、写真を理解する手立てはない。
俺は、そう思う。
つまり、音楽も写真も、ロジカルな言説では捉えることのできない性質のものだということだ。決して網にかからない魚のようなものか。どんな音楽か、何を写した写真かは、言葉で伝えることはできる。しかし、その本質は、言説によって表現されるものではなく、音楽そのもの、写真そのものによって表現され得るものであるべきなのだ。
写真も音楽も、自分のいる世界を一旦棚に上げて、感覚で楽しむものなのだと、俺は考えている、いやむしろ、感じている。それには本来、マニアックな知識など必要ではないと確信している。
もし、音楽や写真を補完する言葉があるならば、それは詩的な言葉だろうと思う。
読者諸君、今日は珍しく日頃自分が思ってる事を書いてみた。いい年こいて、こんなことを毎日ぼんにゃり考えながら生きている。あぁ、ひょっとしたら、写真で他人を熱狂させられないのは、俺の写真がヘボってことかもしれないな。その可能性も考慮しておこう。失礼する。

2011/11/06

Post #357 I'm So Tired

いやはや、今日はまったく山場だった。予定通りだ。順調だ。もう23時過ぎだ。疲れはてたぜ。腰も痛くてたまらねぇんだ。
Amsterdam
I'm So Tired だ。ビートルズだ。ホワイトアルバムだ。知ってるだろう、君も?そう、疲れ果てたのさ。
駅前の吉野家で牛鮭定食でもかっ喰らって、ねぐらに帰って、さっさとねむるぜ。
読者諸君、そんなわけで失礼いたす。

2011/11/03

Post #355 Some Girls

久々に、ネーチャンフォトでも行ってみようかな。こういうのがないと、何だか俺のブログから潤いってもんが失われてしまっていけねぇや。
Amsterdam
俺は、しばしばその辺の女の子の顔をぼんやりと眺めながら、いろいろと想像して楽しんでるのさ。例えば、そうだな、この子の顔、メイクを落としたらどんなだろうなんてのは、まぁ初歩の初歩だ。チョイと遺伝子のいたずらで、この女性が男に生まれていたら・・・、うむ、こんなカンジの貌になるのかとか、母娘で歩いている女の子を見るときなんか、いや~、今は結構かわいく見えても、行きつくところはそこら辺りか、人生とはままならんものだなぁとかね。他にも、この娘のオヤジさんは、どんな顔してんだろうとかもよく考える。
まぁしかし、最近はどいつもこいつもおんなじようなメイクで、すっぴんの顔がよくわからねぇってのもたくさんいるんで、なかなか想像力にブーストかけないと、この暇潰しが出来ないんで、困ったもんです。想像力とはいえ、脳みそを稼働させると、何だか甘いもんが無性に食いたくなっちまって、ついついスニッカーズなんかを買ってしまうのさ。
いずれにせよ、若くてきれいな時期はすぐに過ぎ去ってしまうんだ。くだらない男に引っかかったり、つまらないことで悩んだりして、人生のかけがえのない時期を無駄に送ってほしくはないもんだね。とはいえ、つまらない男に引っかかって所帯を持っちまったり、他人から見れば、全くどーでもいいようなことで悩んだりするのが、人間の人生さ。そういうもんだ。
読者諸君、失礼する。ふと気が付くと、このブログをはじめて、あと一週間ほどでまるっと一念が過ぎようとしている。我ながら、よく続くもんだって呆れてるんだ。よくもまぁ、毎日どーでもよさそうなことを書き散らすもんだなぁってね。

2011/10/25

Post #346 嗅覚

毎日、白金台5丁目のウィークリーマンションから1キロほど歩いて恵比寿駅に行く。
そこで山手線にのり、原宿まで向かう。男の現場は原宿だ。周囲には小娘と、誤飲なキャッチセールスを展開する黒人ばかりだが、そここそが俺の当面のステージだ。
こいつをクリアしなければ、次には進めない。面倒なことばかりの仕事だが、一筋縄ではいかない現場ほど、やりがいがあるというものだ。そう、達成感もあるだろう。だからといって報酬が高いわけでもないがね。
毎日毎朝、5分ほど電車に乗っていくんだ。恵比寿の次が渋谷、渋谷の次が原宿だからな。あっという間だ。居眠りするヒマもありゃしないんだ。もちろん読書なんて出来ないぜ。そうそう、痴漢に間違われないように気を付けないとな。とはいえ、ほんの5分ほどだ。本当は歩いたってたかが知れている。俺の友人には、紀伊半島を歩いて一周し、大阪まで言った奴がいる。驚くぜ。
で、毎日ぼんやり外を眺めていた。渋谷駅のあたりにビックカメラが見える。一度行かねばと俺の嗅覚が告げていた。そんな時には何かがあるのさ。俺の嗅覚は鋭いんだ。特に物欲が絡むとね。本当に欲しいモノ、俺に使って欲しがっているモノが俺を待っている店には、自然と引き寄せられ、もうこれは俺を待っていたんだという、珍獣を発見する。
そして、永年の修行の甲斐あって、欲しいものは即座にGETすること出来るようになった。お金の手持ちがなければ、即座にカードをきる、金額が高ければ、迷わずリボ払いだ。ふふふ、この境地に達するまでに、どれほどの逸品を逃したことか。しかし、迷って逃すようなものは、所詮は必要のないものだったということだ。本当に必要なものがわかっていれば、人生はシンプルだ。金の心配だけしてりゃいんだからな。
Amsterdam
てなわけで、俺は自分の嗅覚を信じて、つい先日仕事が比較的早く終わった時に、行ってみたんだ。そう、金力は絶対必要条件だが、あまりに疲労していると、気力体力が削がれるし、珍獣を発見したときの瞬発力が鈍るんだ。ちゃんとカードを持っていたかどうか、胸のポケットに手をやって確認するための瞬発力だ。
そう、そうして気力体力充分の俺が、ビックカメラ渋谷東口店で見出したもの。それは、発表しよう。既に生産中止になったFUJIの六切りモノクロ印画紙、100枚入りケース二箱だ。
しかも、商品入れ替えの為の見切り品ちゅうことでお安くなっている。
俺はこの二箱を鷲掴みにして、レジへ一直線だ。そうして、俺はカードを差し出していたのさ。そして元気よく『一括払いで!』
俺にとって印画紙は、次元大介のマグナム44、五右衛門の斬鉄剣、峰不二子のお色気のように欠かせないものだ。
毎朝感じていたあの、いかなければ、行けばわかるさという感覚は、この印画紙が俺に向かって訴えかけてきたものなんだろう。
よし、今度この仕事を片付けて家に帰ったら、ジャンジャンプリントさせてもらうぜ。楽しみだ。これでこそ、男の仕事にも張りと潤いが出てくるってもんだ。
それじゃ毎度まいどでなんだけれどいつもの奴を言ってみよう!親愛なる読者諸君、失礼するぜ。

2011/10/21

Post #342 Gloomy Sky #3

うう、忙しい。忙殺という言葉があるが、その状況に向かって錐揉みしながら毎日が落下している感覚だ。たった今の今まで仕事のメールをジャンジャン送っていた。
まぁ、いいさ。誰だってこの日本に住んでる奴は、何かしら忙しいもんだ。それが日本人の国民性だ。かつて世界中からエコノミック・アニマルと馬鹿にされていただけのことはある。人生の満足度だって、そりゃ低かろう。馬車馬か奴隷のように朝も早くから夜遅くまで働いていちゃ、頭がおかしくなってしまうというもんだ。さすがに年間3万人が自殺する国だ。交通死亡事故死者よりも、自殺する奴が多いくらいだ。おかしな国だ。しかし、ひょいと視点をずらせば、そんなのどれもしょせんは金儲け。少しくらい遅れたって、失敗したって、殺されるようなこともないし、世界が終わるわけでもないのさ。もっと気楽に行きたいもんだ。
Amsterdam/我が国も風力発電で脱原発してくれよ
曇った空も、いつかは晴れるさ。そして陰気な雲の上には、青空が広がり、その空は無限の宇宙につながっている。その宇宙から見たら、毎日毎晩飽きもせず、納期だ信用だの、利益だ信頼だので上や下への大騒ぎの俺たちのなんてけち臭いことか。我ながらうんざりするぜ。
しかし、この日本に生きてる以上、そんなスナフキンみたいに自由気ままに生きるのは、至難の業だね。やれやれ、世間の連中のことはともかく、俺の暮らしに垂れ込めるこの雲は、いつになったらすっきりと晴れるのだろうか。線路に飛び込めば、すぐに晴れるさってのはナシだぜ。

読者諸君、失礼する。ミストのような雨が降り続いている。俺には関係ないが、週末がやってくるというのに、残念なことだ。お出掛けの予定が流れてしまったんなら、暇潰しに俺のブログでも読んでみてくれ。しょうもないぜ、きっと。

2011/10/20

Post #341 Fetishism

本来、性的な対象でないものに性的な興奮を覚えることを『Fetishism』というのだが、俺はよく、俺の写真を見た人から、足フェチだと指摘される。
ふむ、俺は苦笑いしながらいつも思うのさ。『当たらずも遠からずだ』ってね。
足フェチじゃないと思うんだよ。むしろ俺はストッキングとかタイツとかに対する嗜好性があると思うんだ。俺の中では、それは女性の象徴のようなものだからだ。
いやいや、だからって干して女性のストッキングを盗んだり、夜道で女性を襲って掃いているストッキングや網タイツを無理やりに脱がせてしまうようなことは、無い。それは犯罪だ。ただでさえ、国家権力の走狗オマワリどもから職務質問を受けやすい独特のオーラを放っている俺のこった、そんな変態じみた犯罪行為をしていたら、一年の半分は刑務所入りだろう。一年のうちの半分は、何かしら故障して、ディーラーの修理工場に入っていたと言われる昔のジャガーみたいだ。人生の楽しみが半減だ。
しかし、問題としては写真をずらりと並べてみると、やはりそんな性的な嗜好がうかがえるような傾向にあるのは否めんことだ。
あ、そうそう、誤解が無いように言っておくと、男がストッキングやタイツを穿いていたとしても、決してぐっとしないから。中世のフランスの貴族とかのように、イイおっさんが白いタイツとかはいて俺の前にしゃしゃり出てきやがったら、きっと俺は、不快感のあまり吐き気を催すだろう。もしくはローリングソバットをお見舞いしてやるぜ。
やはり、ストッキングやタイツが女性のはくものだという点が重要なんだろう。中身もそれなりに重要なんだ。しかし、それなりだ。やはり目が行ってしまうのは、黒くて少し透けてるようなストッキングや、厚手でも光沢があったり、目を引くような柄がプリントされているタイツだったり、少し肉付きの良いももやふくらはぎに食い込むようにまとわりついている網タイツだったりするわけだ。
うむ、これではますます変態だと勘違いされてしまうわ。まいったなぁ・・・。
Amsterdam
俺のような好青年が、いやむしろすでに好中年か、寂しいことだ、何故にそんな性的な志向性を持つようになってしまったのか。疑問は尽きない。ここはひとつ、よく考えてみよう。
精神分析学の開祖・フロイトは、フェティシズムの原因の大半は、幼児期のトラウマにあると考えていた。ふむ、幼児期にねぇ。俺は自分の記憶の海に潜り、普段は表面に上がってこんような、そう深層海底水のような記憶を漁ってみる。あった、あった。ありましたよ。
この地球にやってきて間もない子供の頃、俺は私立のカトリック系の幼稚園に通っていた。キリスト教に関することは、この幼稚園時代に学んだことが、基礎になっている。毎月貰っていた旧約聖書や新約聖書の内容を翻案した絵本の図柄を、今でもはっきりと覚えている。神の命令に逆らったヨナが、クジラから吐き出されるシーンなんか今でもはっきり覚えている。
この頃、冬になると俺はタイツをはかされていた。俺はそれが嫌で嫌でイヤでしてね。何故ってすでに幼稚園の年中さんくらいで、タイツなんかは女の子のはくもんだっていう堅固な認識があった訳だ。しかし、はかされてしまった。それが俺の、まだ生みたて卵のように新鮮な心に、トラウマとなってしまったんだろう。
幼い子供をお持ちの読者諸君、もしくは今後子供を授かる可能性のある読者諸君。子供を育てるときには、くれぐれも変なトラウマを植え付けないように、心掛けてくれたまえ。
今日はいささか疲れているんだ。俺はそろそろ休ませていただくぜ。なんせ、明日も朝から男の仕事が俺を待っているんだ。失礼させてもらうぜ。

2011/10/05

Post #326 バカらしくてやっちゃいられねぇさ

ゆとり世代と言われる連中がいる。
俺から言わせると、責任感もなく、甘ったれた馬鹿野郎ばかりだ。
こんな連中と組んで仕事をするのは、貧乏くじを引いたようなものだ。冗談じゃない。そんなのにもすっかりうんざりして、一人で商売しているというのに、またぞろ元請の甘ったれた小僧のおかげで、俺は泣きたいほど悔しい想いをしている。
四十男が、悔しさにむせび泣くほどの事をしでかしてくれても、そいつは全くヘイチャラだ。カエルの面に小便だ。責任感もないくせに、すぐに泣き言を垂れ流し、結果も出していないくせに、自分は一生懸命やっていると弁解する。そして、挙句の果てには給料が少ないとぼやく。開いた口がふさがらないとはこのことだ。殴る蹴るの暴行を、いや制裁を加えてやりたくなる。実際、俺が若いころには、舐めたことをすれば、年長者から、否応なしの制裁を受け、悔しさと自分の不甲斐なさを噛みしめて、成長したものだ。
しかし、今時の小僧どもは違う。いい年こいて全く責任感もなく、どれだけ相手に迷惑をかけているのか、想像する能力も持ち合わせちゃいない。少しきつく言えば、感情的になって逆切れするから始末が悪い。
自分の仕事も満足にこなせない奴が、一人前ぶったことをぬけぬけとほざくのを聴くのは、胸くそ悪いものだ。俺は心の中で、叫び続けているんだ。
そう、人生はそんなに甘くないんだぜ。
Amsterdam
俺は疲労で痛風の発作が出ている足を引きずりながら、ネオンきらめく雨の歓楽街を抜けてホテルにたどり着く。21時間働いても、お客からはグデグデしているだけだと罵倒される。俺は悔しくて、涙を流す。傘を持っていなくてよかった。この流れる涙も、篠つく雨に紛れ、誰に悟られることもないだろう。この悔しさを、ゆとりの小僧にも味あわせてやりたいが、人生の苦みを渋みを味わう舌を、人生の底に流れるブルースを聞き取ることのできる耳を持たない奴に、何を言っても無駄だろう。自己弁護をたっぷりと聞かされ、しまいには逆切れされるのが関の山さ。
何を言っても虚しいだけだ。馬鹿らしくってやっちゃいられねぇ。連れ合いが待っている家に、とっととトンズラしたいぜ。しかし、俺は大人の男だ。そんな無責任なことが出来るわけがないだろう。悔しくても、やり遂げなけりゃならないんだ。疲れ切った体に鞭をうって、痛風で痛む足を引きずるようにして、自分の出来得るベストを尽くさねばならないんだ。たとえどんなに悔しくてもな。

読者諸君、これだけは言っておきたい。腐った木には、釘は打てないんだ。人間は基礎が大切だ。ガキのうちに甘やかして育てると、ロクな大人になれっこないんだぜ。ふやけきったガキどもに、本当に必要なのは、屈辱と挫折だ。もっとも、人間の足腰のできていない奴は、そんな挫折や屈辱を味わった途端に、噛みしめることもなく、吐き出してしまうことだろう。
バカらしくって、付き合っちゃいられねぇ。けれど今夜も、眠るヒマもなくまた仕事だ。この世の中、何のコネも資本も無く、会社の後ろ盾もなく、男一匹生きていくのは、ヒジョーにキビシーものなのさ。
単騎、荒野を行くがごとくさ。しかし、それが人生だ。本物の人生だ。ロックンロールさ。

2011/09/23

Post #314 こういっちゃなんだが、素人に21㎜は荷が重いのではないだろーか?

スパークス、ついにダウンだ。
いや、死んだわけじゃないよ、もちろん。今こうしてブログってるし。単に疲労困憊して。一日ダラダラ眠っていただけさ。仕方ない。365日のうち、そんな日もたまにはあるさ。とはいえ、溜まりに溜まった洗濯物をかたずけ、散らかった部屋を掃除し、行きつけのカメラ屋にフィルムを出しに行き、プリントの薬品を調合するところまではやったんですよ。やったんですが、それで力尽きた。俺は眠ったぜ。一日ダラダラ眠って暮らしたんだ。友人のケンちゃんから借りたCDも、一曲だけ聞いて止めてしまったほどだ。イイプリントを作るのも、イイ音楽を聴くのも、結構体力が必要だってことだ。疲れてぼうっとしてると集中することもできないからね。
Amsterdam
先日仕事関係で知り合った若者は、GR21が欲しいと言っていた。
GR21かぁ・・・。森山大道センセーもお使いの名機だ。リコーGRシリーズの行くとこまで行った精華だ。いいカメラだ。俺としては、レンズが完全に沈胴できへんのがちと難点だが。レンズが完全に沈胴しないコンパクトカメラは、俺のように結構ヤバ目のシチュエーションで写真を撮りたがる阿呆には、イマイチ不向きなんだ。パッと撮って、さっと逃げる。これ肝心。今まで、それを怠りトラブルになったこと多数ありだからな。その時、沈胴しきらないと、機動性が悪い。まぁ、これは単に俺の都合ではあるがね。
21㎜は、まぁ現在、フツーに使われる中ではもっとも広角レンズの部類に入るだろう。もちろん12㎜とか16㎜とか、さらに広角な玉があるのは承知の上で言ってるんだぜ。しかし、実際のところ、21㎜よりも広角のレンズになると、何か特殊な表現意図がないと使わないだろうという意味で言ってるわけだ。
GR21が欲しーなんて言う若者だと書くと、カメラに詳しい読者さんからすると、なかなかにいまどき見どころのある若者じゃないかという事になるだろうが、実際に話を聞くと、そんなたいそうなもんじゃなかった。がっくりだ。
きけば、フィルムカメラは持っていないということだし、何故21㎜かと聞くと、とりあえず撮り洩らしがなく、なんでも写るからと、素人丸出しな事を言っていた。俺は若者の意欲に水を差すのもなんだったので、言わなかったが、正直21㎜舐めるなって言いたかったぜ。21㎜の持つ奥の深さ。言い換えれば、その扱いにくさ。それは意図して画面を構成することを撮影者に要求するシビアなレンズだってことを、写真を真面目にやったことのある人は、理解してくれるはずだ。
テキトーに写真を撮っているように見える俺が言うのもなんだけど、被写体にどうやってアプローチするのか、どれくらいの距離感でシャッターをきるのか、写真にはそういったセンスが絶対的に必要だと思うぜ。何でも写るから広角21㎜なんて感覚じゃ、フィルムに何も写せやしないさ。何でも写るってんなら、心霊写真でも撮ればいいのさ。
かつて、ハリー・キャラハンは、1950年代にやっと開発された21㎜レンズ(そう、コンタックスのBiogon21mm f4です。レンズ史上に燦然と輝くあのBiogonです!ライカが、シュナイダーにスーパーアンギュロンを開発させ、発売したのはそのあとですよ)を使うために、中判カメラからコンタックスⅡaにカメラを替えたほどでした。当時の21㎜レンズは現代の12ミリとかのような特殊レンズだったようです。
21㎜は、正直難しいレンズです。俺もG2を投入するときには、必ず使うレンズですが、21㎜は画角が広い分、被写体との距離のとり方がかえって難しい。主題に持っていきたい被写体が、マメ(これは俺の用語で、肝心要の被写体が小さくなっていること)になってしまうこともしばしばだってことです。周辺光量の低下や空間の歪は、広角レンズの味だから置いといても、メインの被写体がどれって状態は困る。
広角レンズならではの被写界深度の深さを応用したテキトー且つ大胆なピント合わせや、広角ならではの開放値の暗さ(もちろん、昔ほどじゃないけどね)などを考慮しても、素敵なスナップ用レンズだと思いますが、むしろ近接した場所でポートレイトを撮るとか、もっとクリエイティブな使用法を試していきたい上級者向けのレンズですわ。そう、さらりと言っておくけど、俺に写真を撮ってほしーという人は、ぜひとも名乗り出てください。出来れば、若くてキレーな女性がイイです!
だから、ロクに写真を撮ったこともなく、フィルムカメラを使った事もないようなボーヤが買っても、箪笥の肥やしに直行便なのは明明白白なんですから、決して賛同出来ね―ぜ。そういったカメラは毎日ガンガン写真を撮りたい、やりたい盛りの思春期の小僧みたいに写真が撮りたいっていう、ハードコアな奴にこそ持ってほしーもんだ。
で、俺は奴に35㎜とか28㎜をお勧めしてみたんだけれど、人の話しをロクに聴かない奴で、まったく聞く耳を持たないんだ、困ったなぁ。せめてレンズ交換の出来るカメラで徐々に感覚を磨いていく方がいいと思うんだけれどね。まぁ、仕事じゃないからそいつの好きにしてくれていいけれど、仕事でもそんな風に、ロクに分かってもいないくせに人の意見を容れないような奴と組むのは、骨が折れるだろうぜ。自分のところの若い衆なら、回し蹴り一発で教え込むんだけれど、そうもいかんしな。
Amsterdam
やれやれ、困ったもんだ。しかしまぁ、自分の稼いだ金で買って、無駄にするなり苦労するなりして勉強していけばいいのかもね。どんな写真を撮りたいのか知らないけれど。まぁだけど、21㎜なら撮り洩らし無しなんて言ってるようじゃ、マジにロクな写真は撮れないだろうな。もったいないぜ。マータイさんもきっと『モッタイナイ』というと思うぜ。
そう、ガチで被写体と切り結ぶ覚悟が感じられんぜ。冗談じゃない、カメラはアクセサリーじゃないんだぜ、侍で言ったら刀、次元大介で言えば44マグナムだ。けど、本質的なことを言えば、本当に撮りたかったら、写るんですでもケータイでも十分に写真は撮れるさ。なんせこの俺だって、写るんですで写真をとりはじめたんだからね。
カメラがあるから写真を撮るんじゃない。写真を撮りたいからカメラが必要なのさ。問題なのは、写真を撮りたい気持ちであって、写真を撮る俺たちのセンスと覚悟であって、カメラなんて何でもいいのさ。まぁ、そうは言いつつも、俺だってコンタックス信者だけどね。
読者諸君、写真はシャッターを押せば写る。だけれど、いやだからこそ、カメラ以外に問われるものがたくさんあるってことだ。毒にも薬にもならんような写真を撮りたくはないのさ。そう、森山大道も言ってたぜ、覚悟しろ!ってね。