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2015/11/16

Post #1678

Paris
ISによるパリでのテロについては、思うことは実はたくさんある。
しかし、今日は言うまい。

俺が今日考えているのは、人間の救済ということだ。
というのも、昨日親戚の家に赴いて、法事に参加してきたのだが、その時ふと思ったことだ。

その親戚の家は、臨済宗だったので、普段俺が親しんでいる浄土真宗とはずいぶん勝手が違う。
お経だの和讃だの読んでいても、行いを正して、成仏するべしといったことが書いてある。
しかし、それでみんな救われるのか?

行いをただし、殺生せず、盗みもせず、嘘もつかず、淫欲にふけることもない。

それは理念としては結構だ。そうあるべきだろう?
しかし、そもそも人間は、そうは生きられない存在なんじゃないのか?
だれだって、そんな風に生きる事が出来るのなら、そもそも苦労はしないだろうよ。
そして、そうでなければ、成仏できない、つまり救済されないのなら、そもそもほとんどの人間は、救われない存在だということになるのではないか?

人が生きることは、そもそも苦しいものであるというのが、仏教の思想の根幹にはある。
生まれてきたことも、老いることも、病むことも、そして当然ながら死ぬことも、これらはすべて苦しみだととらえられている。
無限の時のなかを、生まれ変わり死に変わりしながら、未来永劫にわたって苦しみ続ける。それが人間に限らず、この世に存在するあらゆる生命の存在様式だ。
その救いのない生死観が、仏教の根幹にどす黒く広がっている。つまり、無明といことだ。
そこでは、現代を生きる私たちが、無条件に肯定する愛情すらも、苦を生み出す元として、否定されている。

その中で救済とはいったい何を意味しているのか。

救済とは、成仏とは、二度と再びこの世に生まれ変わってこなくてもよくなるということだ。世間の皆さんが、よく意味も分からず唱えている般若心経も、この世の中の存在には、確固たるものなど何もないことに気付いて、とっとと二度と生まれ変わらない境地に至ることを説いている。

その救済を得るために、人々は、現世的なしがらみの一切合切を捨て去り、自分に関わるあらゆる縁を断ち切って、出家して修行し、二度と生まれ変わることのない境地を目指したのだ。それを幸せだと感じる現代人は、まずもって少数派だろう。

けれど、そんな生き方は、万人にできる様な類のものではない。
人は、生きていくうえで、必ず他の生命を損ない、倫理を逸脱してしか生きていくことはできないからだ。愛欲の果てに、次の世代を生みだし、苦しみの連鎖を続けていかざるを得ないのだ。

これでは、どうにも救われない。

『善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや』

この一節を含む歎異抄を聖典とする浄土真宗門徒の俺は、ふと悪人こそが救われるべき存在であると唱えた親鸞聖人のことを想う。そしてまた、その異端ともいえる思想が、それまで救済される可能性など皆無と信じられていた当時の一般大衆に対しておよぼした衝撃のすさまじさをおもい、唖然とする。

現代の生活は、親鸞の生きた1000年まえとは、比べることが阿呆らしくなるほどに便利になり、また豊かになった。その結果として、生きることそのものが持つ苦しみは、見えにくくなっている。
けれど、実際には、昔も今も変わらず、人は悪を内包した存在としてしか、生きることはできないことに変わりない。
もし君が、そんなことはないというのなら、自分の行いを静かに振り返ってみればいい。一点の瑕疵もない人間など、どこにもいないだろう。

その事実の前に、俺は独り立ちすくむ。

そもそも、この神も仏もない、つまり目に見えない超越的な存在を信じえない私たちには、救済ということそのものがあり得るのか。
一時の快楽?老後の資金?社会福祉?金銭的な援助や保証?一億総活躍社会?
いや、そういうことを言っているんじゃない。もっと、人間の存在の根幹にかかわることだ。分かってほしい。

一人のニンゲンが、この世に存在していることそのものが肯定され、苦しみながらも自らの生を全うすることができるには、なにが必要かということだ。

すでに来世だの死後の浄福などを、微塵も信じることのできなくなっている末世の衆生たる私たちにとって、救済とはなにを意味するのか?
俺はそれが知りたい。
いかにしたならば、倫理に背きながらも生き続け、苦しみにまみれて生きるしかない私たちが、この生の中で安らぎを得て、自らの生とその先にある死を、肯定し受け入れることができるのか?
俺はそれを考えていきたい。

読者諸君、失礼する。小難しい話ですまん。けれど、もし誰かこの答えを知っているのなら、頼む俺に教えてくれないか。

2015/09/27

Post #1636

Paris
今朝の4時まで仕事をして、ホテルに帰って短い睡眠をとる。
朝の8時に仕事の電話で起こされて、仕方なしに目を覚まし、シャワーを浴びるのさ。
ホテルのシャンプーは、どうして髪がキシキシしたり、ゴワゴワしたりするのかな。
朝食のクロワッサンを腹に詰め込み、コーヒーを腹に流し込むと、もう宿を出ないといけない時間が迫っている。
出発のお時間だ!

さて、今夜も銀座で夜勤なんだが、それまで何をして遊ぼうか?

ほんとうはどこかで眠っていたいんだが、流れ者のおいらには、そんな場所なんてどこにもないのさ。
いっそ、女の子でも誘って、話題の春画展でも見に行こうかな?

そんなの誘って、ホイホイついてくる女の子なんているのかな?

いやいや、もしいたとして、春画なんて見て、むらむら変な気分になったら厄介だぞ。

まぁ、どうだってイイや。

読者諸君、失礼する。なんだか眠いが、どうしようもないな。

2015/09/15

Post #1624

Paris
今日から、新しい仕事場に乗り込んだ。
46歳にして、俺が最年少とはどういう職場だ?お達者クラブだ。
しかし、この先半年、ここで学んで、ここで稼がないといけないんだ。
俺はまだまだ成長するのさ。
なぜって、まだまだ俺という人間は、完成にはほど遠いからだ。

俺はもっと寛大な人間になりたい。
俺はもっとパワフルで勁い人間になりたい。
俺はもっとましな人間になりたい。

けど、そう思えば思うほど、おかしな人間だと思われるし、粗野でずぼらな人間におもわれてしまうのさ。困ったもんだ。しらけて生きていたい奴は、四六時中スマホのゲームでもやってるがいいさ。


ふと、どうしようもなく昔懐かしいTHE BLUE HEARTSの『未来は僕らの手のなか』が聞きたくなって、CD屋を二件まわってGETしてきた。

18歳の俺にとって、THE BLUE HEARTSの登場は、衝撃だった!
ついに日本にもこんなロックをやるバカが出てきたと興奮した。

46歳になった今、もう一度聴いてみたら、やっぱりよかった。
呆れるぐらいにシンプルで、恥ずかしくなるくらいにストレート。
けど、それがいいのさ。それがサイコーなのさ。
俺はこんなシンプルでストレートなロックそのままにいきてきたんだって思ったよ。
誰もが、大人になるとそんなの忘れちゃうけど、俺は忘れなかった。
忘れなかったから、こんな人間になれた。
こんな人間になったから、毎日ドラマチックだ。人生が面白くて仕方ないんだ。

ドラマチックだから、辛かったり悲しかったりすることも、たくさんあるけどね。

読者諸君、失礼する。
決して負けない強い力を、僕はひとつだけ持ってる。
君にだけ教えよう。それはロックンロールを信じてるってことさ。

2015/09/06

Post #1615

Paris
ふとしたことが、気にかかり、それが心に引っ掛かって、どうにもすっきりしやしない。
それ以外は、何もかも順調な気がするのに、心のなかにわだかまる。

自分の発した言葉が、人の気持ちを考えていないものだったのではないかしらと思えてきて、悲しくなるんだ。
僕は、もう人の心を暗くするような言葉は使いたくないんだけれど、自分が正しいと思うことを言ったところで、それが相手にとって、分かっていてもどうしようもしがたい事だったら、言わないでいたほうが良かったのかとも思えてきたりもする。

単に相手を、今より辛い気持ちにさせただけかもしれないと思えてきて、自分が嫌になる。

どうしようもないことを、どうにかするためには、単なる言葉じゃなくて、一緒に何とかしようっていう強い意志と覚悟が必要だと思う。

じゃあ、自分にそこまでの覚悟と意志があったのか?

なかったつもりはない。
けれど・・・。僕にもどうすることもできないことについては、黙っておくほうが賢明なのかな?
でも、僕はどこかの政治家のセンセーと違って、自分の言葉を撤回したくない。
自分の言葉に責任を持ちたい。
じゃ、どうやって?
はたと考え込んでしまい、目つきが悪くなる。黙り込み、虚空をにらむ。
現場で職人さんが僕に叱られるんじゃないかって、萎縮するほどに。

だから、なんだか気分が沈む。

読者諸君、失礼する。あんまり気分がのらないんで、現場のそばの靴屋さんで、きれいなブルーの靴を買ってみたのさ。だからって、ブルースがどこかに消え去るわけでもないんだけどね。

2015/04/03

Post #1458

Paris
最近の俺の家庭での会話。

『なかなか子供ってのは、出来ないもんだな…』
『そりゃ、この年になったら、そうそう簡単にはできないって…』

しばし沈黙。

『おまえさぁ、もし俺がよその女の人に子供作ってもらったとしたら、可愛がってくれるか?』
『えっ!?』
『いやぁ、だからさぁ、お前がもう無理なんだったら、よその女性にお願いしてだなぁ、俺の子供を作るっていうことだよ』
『それは可能性としてはないなぁ…』

それどういう意味だよ?単純に俺が他の女性に縁がないってことかよ?
それとも、縁があっても相手にされないという意味なのか?
思わずムキになってしまうな。

『俺の子供だぞ、可愛がってはくれないのか?』
『だって、私の子供じゃないでしょ?』
『いや、だから俺の子供だって言ってるじゃないか?きっとかわいいぞ!可愛がってくれないのか?』
我ながら、すごい剣幕だ。
『分かった、わかった、可愛がるから…』

よしよし。

『じゃ、その子供を産んでくれたお母さんとも、女同士、仲良く付き合ってくれるかい?ぎすぎすしたのは御免だぜ。喧嘩なんかされたら、たまったもんじゃないからな』
『それは無理!』


やっぱり難しいか・・・。
そりゃ、そうだわなぁ・・・。

読者諸君、失礼する。男は虫のいい生き物だ。そして、男も女も独占欲が強いものさ。

2015/03/25

Post #1449

Paris
昨日の朝は、なんだか頭が痛くって、たまらなかったんだ。
だから仕事を終えて家に帰ってから、ロキソニンを飲んで眠ったんだ。
おかげさんでなんとか頭痛は治まったんだけど、いつもコメントを寄せてくれる“ドクターころ”に相談したら、慢性疲労症候群だって言われちゃいましてね。あと、大脳酷使しすぎだそうだ。
いつも答えの出ないことを、頭の中でグルグル考え続けているから頭が痛くなるのも当然だってことだろうな。
仕方ないぜ、いろんなことを考えていたいんだ。なにしろ、人生は短いけど、何も考えていなけりゃ、退屈で仕方ないんだ。光の速さで思考していたいんだ。

世界のこと、写真のこと、仕事のこと、人生のこと、女の子のこと。そしてなにより、君のことをね。

俺が先日暇つぶしにやってみたネットの性格診断では、俺は『ストイックな修行僧』並みに、孤独に対して耐性があることになっていた。ボッチ耐性MAXっていうことだ。

意外な結果だなぁ・・・。

俺は自分では、自分のことをずいぶん寂しがりだと思ってるんだがな。

それによると、価値観が違う人間と話すよりも、少数の価値観を共有できる友人さえあればいいというタイプなんだそうな。質素で、充実した生活を送るのが好きなんだそうだ。
まぁ、確かにそれは当たってはいるけどな。実際に、俺には友達と呼べる奴は少ないんだ。
きっと俺がずいぶんみょうちきりんな奴に見えてるのか、怖い顔をした性格破綻者だとたいていの奴は思っているのさ。残念なことだ。もっとも、金の話しかできないようなつまらない奴と話していても、時間の無駄だとは思うけどね。

けど、同じ価値観の人間だけで寄り添っていては、世界は狭くなってしまうし、心も狭くなってしまう。それは大きな問題だ。

価値観なんてのは、人それぞれだろう?
その違いを認め、愉しみ、受け入れることが出来るニンゲンでありたいよ。
そもそも価値観の違いを認め合わないところから、世界はぐちゃぐちゃになってるんだからな。

読者諸君、失礼する。俺はまいにち寂しく暮らしているのさ。まるで、月の裏側から君たちにメッセージをせっせと送ってるように感じているよ。

2015/03/23

Post #1447

Paris
夜中にプリントしようとして、ふとフィルムの埃を吹き飛ばすために使っているエアコンプレッサーが、けっこうな振動と音を発生させることに気が付いた。
昼間なら全然気にはならないだろうが、しんと静まり返った深夜では、安普請のアパートでは、ちと迷惑というものだ。

プリントはまたの機会に譲ることにして、本棚から本を抜き、読むことにした。

中上健次の『千年の愉楽』だ。
今まで何度も読んだ。しかし、何度でも読み返してしまう。
紀州熊野の被差別部落に生まれた、高貴にして澱んだ血脈を持つ男たち。
その血故に、淫蕩を好み、世間並みに生きることが出来ず、生きる事そのものが苦痛だというように生き急ぎ、生命の絶頂で、あるものは些細なことで刺殺され、あるものは自ら首を吊り、ことごとく命を失う。
その物語の中心には、その男たちの全てを母の胎内から取り出した老いた産婆がいる。この年老いた産婆の回想を軸に、自在に話は時空を駆け巡るのだ。
まばゆい光の照り付ける熊野が舞台でありながら、どこか妖しい夜の気配が漂っている。

日本人が到達した文学の、一つの頂点だと俺は思っているのさ。

明け方まで布団の中で読みすすめ、8割がた読み進めたところで、眠りに落ちてしまった。
夜は開けようとする頃だった。

目を覚まし、腹が減ったので例によってスパゲティーでも作り、食後にコーヒーをドリップして淹れる。十分に休養をとった目で見てみると、家のなかは埃まるけだ。
掃除をする必要があるな。
ここんところサボっている帳簿付も、そろそろやっておかねば月末に面倒なことになるだろう。
自分の人肌のぬくもりが残っている寝ぐさい布団も、カバーを洗い、風を通してやらなけりゃな。

太陽に照らされていると、こうも真っ当な考えが浮かぶものかと、自分でも驚くよ。
やはり人間は、太陽の下で生きるようにできているんだって、納得するよ。

それはそうと、小説を読む合間に、このブログに寄せられた古いコメントを読み返してみた。
何年もコンスタントにコメントを寄せてくれる、殆んど同志のような人々がいる一方で、匿名でコメントを寄せてくれた人もいる。
何度かコメントをよせてくれた後、ぷっつりと便りの絶えてしまった人も大勢いる。
いったいその人たちは、どうしていることだろう。
今も時折覗いてくれているのだろうか?
元気に暮らしているのだろうか?
人と人の縁は、クモの糸ほどにか細く、互いに心して繋いでいこうとしなければ、容易く切れてしまうものだと思い、寂しいような心細いような思いを味わったよ。
みんな、よろしくやっているのだろうか?

読者諸君、失礼する。さてと、夜の仕事までまだ間がある。掃除をしたり、銀行に行ったり、クリーニング屋に冬物の服でも持っていくとするかな。

2015/03/21

Post #1445

Luxembourg Garden,Paris
春分の日だ。
春らしい雰囲気の写真をお送りしよう。
パリのリュクサンブール公園だ。季節は春。マロニエが咲き誇っていた。
俺は、うららかなパリの一日を想い出すのさ。スノッブな奴なのさ。

かつて、遥かな昔。まだこのクニがヤマトと呼ばれていた昔、春分の日には、女たちは日の出から太陽を目指して東へ歩き、正午にいたって陽が中天に差し掛かると、踵を返して、太陽の沈む西に向けて歩いて一日を送る習いだったという。
折口信夫の民俗学の本で読んだように記憶しているが、ずいぶん前のことでもあるし、またそれを探して蔵書の山に分け入っていくのも、難儀なことなので、そんな雅でおおらかな風習が、この国にはかつてあったそうだくらいの話でとどめておいてほしい。
政治家や右翼の人々がいう我が国の固有の文化など、折口信夫が、我々に残された僅かな文献から描き出して見せた、古代の習俗文化からすれば、実に最近の事ばかりであり、政治家のセンセー方の不勉強なことがわかるというものだ。
いずれにせよ、今日を境にいよいよ本格的に春がやってくるのだ。

朝、近所の小川から物音がするので覗き込むと、黒々とした鯉が何匹も泳いでいる。
メスとおぼしき一匹の後を、五匹ほどのオスがついて泳ぎ、求愛しているのだ。
魚すらも恋する季節か!

その一方で、ひとり夜明けの道を歩みながら、俺は自分を持て余し、ふさぎ込んでいる。
花は去年と同じでも、俺は去年より一つ年を取り、死に近づいている。俺に残された時間は確実に減っているのだ。俺は自分がまだ生きていることを確かめるように、息を深く吸い、花の香りを味わう。

俺は秘かに、何らかの使命を帯びてこの世に生まれたはずなのに、その使命をすっかり忘れて、身過ぎ世過ぎのちんけな仕事と、ささやかな道楽、うたかたの恋に幾年月費やしたことだろうかと、自問自答しながら一歩、また一歩と家路をたどるのさ。

しかし、そもそも俺にそんな使命があったものだろうか?

もちろん、そんなものはありはしないだろう。
生まれちまったから、今日も生きているというのが、俺たちの人生の究極の在り様だ。

けれど、俺はこんな年になっちまっても、まだ何か俺には使命があるような気がしてならないんだ。
ただ、堅実安楽に暮らし、小金を貯めて、年老いて死ぬために生まれてきたわけでもあるまいし!
けれど、春が来るごとに、一日一日を過ごすごとに、俺に残された時間は減っているのだと思うと、思わず叫び出したくなってくる。こうしちゃいられないと、力強く駆け出したくなってくる。
そんなわけで、俺は今日も、自分の身の内に滾る力と方向性のない意志を持て余して、内心では悶々としているのさ。

読者諸君、失礼する。俺は赤々とした太い火柱が立つように生きていたいんだ。一瞬だって、手を抜いちゃいられないぜ。

2015/03/20

Post #1444

Paris
先日、蕾だった木蓮が、昨日の雨が上がった途端に、満開だった。
毎日春を実感する。歩く度に、花の薫りに誘われて、心浮き立つような気分が湧いてくるのさ。

しかし、陽気がよくなると、おかしな奴がたくさん出てくるようになる。
毎日、新聞を開くたびに、奇妙な出来事ばかりなのに驚き呆れる。
この国のことだ。
自分の国の国民が、海外でテロにあって亡くなったというのに、『危険なところへ行くやつが悪い』というような発言を垂れ流す阿呆な大臣。
海外の邦人を救出するために、自衛隊の運用法規を変えようと躍起になっている政党の人間の言葉とは、さらさら思えないね。
きっと、そんなのは憲法を骨抜きにして、アメ公の戦争の片棒担ぎをするための口実だけで、実際に海外で国民が危機に巻き込まれたとしても、そんなところへ行くやつが悪い、自己責任だとおっしゃって、見捨てることになるに相違あるまい。
後藤さんの時も、結局見捨てたようなもんだったしな。

日本の政治家は、どんな阿呆なことを思い付きで抜かしても、いやいやいや、言葉が足らなかったんだ、発言を撤回するよ、陳謝します、ご不快に思われたなら申し訳ない、といえば、誰からも追及されない、ぬるい商売だ。
普通の社会では、言ったからには自分の言葉に責任を持たなくちゃなるめぇが、信義ある言葉を武器にしているはずの政治家の世界では、何を言っても、無かったことにですんじまうんだから、驚くよりもうんざりするぜ。
何かを言うということは、自分の立ち位置を明らかにすることだ。そして、何かを言えば、それに対する責任が生じる。つまり、自分の背後に、ここから後ろには退けないという線を引くことだ。仕事だろうが、女の子相手の睦言だろうが同じことさ。ましてや、国のまつりごとを担う人間の言葉が、そうやすやすと無かったことに出来るはずがないだろ?
知ってるかい?言葉には言霊が宿っているんだぜ。

自民党と安全保障法制の改革に合意した、平和の党・公明党。
奴等は、いつだって創価学会の信者とその他大勢の国民に、軽減税率だの平和の党だの、自民党のブレーキ役だのと、やり抜く気概もないようなきれいごとを並べて、自分たちをよく見せておきながら、いつだってそんなのポーズだけで、必死に政権にしがみついている薄みっともないドぐされ集団だが、今回もなんだかんだ言って、自民党に丸め込まれやがった。予定通りだ。
とりあえず、議論したっていう自民党のアリバイ作りのために政権にいるんだろうよ。
とっくに看板倒れしている理念を掲げながら、とりあえずごねてみるだけみたいなのはとっとと止めて、今すぐ連立解消して、下野したらどうなんだい?

1票の格差が、2倍以上でも憲法違反じゃないという判決を下した東京高等裁判所。
ということは、都市部の人間の政治的な権利は、ド田舎の人間の半分以下ってことか。
田舎の人間の政治的な価値は、都市部に住む人間の倍もあるってことだ。
都市部から吸い上げた税金を、田舎にじゃぶじゃぶつぎ込むのは、田舎のじんさん、ばあさんの人間の値打ちが、大都市で生きている人間の値打ちより、倍もあるからだってことだよ!

これは、民主主義の根幹にかかわることなんだが、それがこんな有様でいいってんだから、民主国家が聞いてあきれるぜ。

司法も、立法も、行政もすべて腐ってるぜ。
民主主義と三権分立の名のもとに、こんな無法がまかり通る世の中だ。
もしくは、世の中のことなんて、自分にはカンケーないし、関係があっても何も変わらないって、考えることを放棄してしまう奴ばかりになっちまっても、テロリズムという直接行動でしか、この世の中は変わらないって思い込馬鹿野郎がごまんと出てきても、ちっとも驚くような事じゃないのさ。

読者諸君、失礼する。俺はバカバカしくてやってられないぜ。もう眠らせてもらうとするぜ。腹が立って、眠くもならないぜ。

2015/03/19

Post #1443

Paris
雨が降っている。
けれど、俺は傘をさすのが嫌いだ。少々の雨くらいでは、傘なんか必要ないのさ。傘を持ってないわけじゃない。カバンの中には、折り畳み傘が入っちゃいるんだけど、手が塞がるのが嫌いなんだ。万一、曲がり角なんかで暴漢に襲われたとき、手が塞がってちゃ、満足に応戦することも出来やしないからな。
だから、『春雨じゃ、濡れてまいろう』なんて独りうそぶきながら、濡れたままで歩いて家に帰るのさ。
けど、今朝問題だったのはそこじゃない。

痛風だ。

昨日から、俺の左足の親指の付け根に、毎度おなじみの痛風発作が襲ってきているのさ。
去年の12月から、ずっと夜勤を続けて来たからな。そろそろ疲労が蓄積されてきてるだろうから、痛風の発作に見舞われたって、全然不思議じゃないだろう。
まったく、金はたまらないのに、疲労はたまるというのが、人生の味わい深いところだな。面白いぜ。

いやいや、誤解されるといけないんであえて言うけど、別に贅沢なもん食ってるわけじゃないんだぜ。これでも毎日質素な食生活で、下手すりゃ一日一食って日も珍しくない。今年になって4キロも痩せたくらいだ。しかも、素面じゃやってられないようなやりきれない時だって、酒も飲まずにせっせと働いてるのさ。
こう見えて、俺の生活は至極真面目なもんなのさ。
そもそも俺は、遺伝的に尿酸を排出する機能が弱いらしいんだ。
で、疲れが溜まってバランスが崩れると、発作が出てくるって寸法だ。
まったく、我ながらよくできてやがるぜ。

仕事をしてる時は、まだ薬も効いてるし、気も張ってるからさほど気にはならないんだけど、やはり帰り道は結構くるね。俺はオイディプス王のように、踏ん張れない足を引きずりながら歩くんだ。しかも雨の中。

けど、最近俺は思うんだ。
俺のような破格のパワーを持った男なら、その程度のハンデがないと、世の中の男性諸君に対して、不公平なんじゃないのかってね。

そう思えば、この鈍い痛みも、まんざらではないってもんだ。
たまにはこいつが疼いてこないと、物足りないくらいの境地に達してきたぜ。

読者諸君、失礼する。俺のことは心配無用だ。みんなもっと自分のことを心配した方がイイ。俺はこの痛みを、ポジティブに面白がってるのさ。もっとも、女性に心配されるのだけは、まんざらでもない俺なんだけどな。

2015/01/15

Post #1380

Paris
髪を切りに行って、まじまじ鏡を見ていると、ここんところずいぶん痩せてしまった。
体重計にのっているわけではないので、どれくらいってのは解からないけれど、首や顎がすっきり削ぎ落としたようになっている。頬にいたっては、光の当たり具合によってはげっそりしているようにすら見えることだろう。そういえばここんところ、腰回りもかなりすっきりしていたっけ。
今度の法事の時に、スーツを着るのが楽しみだ。

別にダイエットとかしてるわけじゃない。
悩みがあるわけでもない。

飯を食わないだけのことなんだ。
仕事の時間が不規則なんで、朝家に帰って、かみさんが作っておいてくれた夕食?をレンジで温め食べると、次の日の朝まで、ほんの少ししか食べない。時には何も食べないことすらあるほどだ。
もともと、食い物に執着するタイプではないので、何かを無性に食いたいってこともない。
何か口にしなけりゃと思い、コンビニに行ったりしても、何も食いたいものがなくて困惑するんだ。
仕方なく、カップヌードルとかを、ガソリンを給油するように食べていると、かみさんにもっとましなものを食べるようにと叱られる。

そのかみさんも、今日は出張でいない。
俺はヤルときはヤル男だし、食事も自分で作れるんだけど、誰かに食べてもらわないと作る気がしない。自分に関するその辺のことは、はっきり言ってどうでもイイといったルーズな男なんだ。そもそも、なにか食べたいって欲が希薄だから、スーパーに買い物に行っても、なにも思い浮かばない。
くわえて、外には冷たい冬の雨が降り続いている。体の芯まで冷え切ってしまいそうだ。そんな冷たい雨の降る暗がりの中を、俺は傘もささずに仕事に出かけるんだ。傘ぐらいさせばいいようなもんだけどな。

しかし、朝、家に帰っても誰もいないしんと冷えた部屋というのは、どうにも寂しいものだな。俺にはお世話にしてくれる人が必要なんだ。手のかかる老いぼれなのさ。
誰か、こんな俺を温めてくれないか?手も足も氷のように冷え切っているのさ。そして心の奥もね。

読者諸君、失礼する。今夜も漢の仕事が待っているのさ。

2015/01/13

Post #1378

Paris
今年の春にスペインとかパリに旅行する計画が急浮上している。
それも悪くないなって感じだ。
この円安のご時世だ、せいぜいお小遣いを貯めておかないとな。

昨晩は、仕事が激戦激闘だった。
どんな現場でも、乗り込みの際には緊張する。そして闘志が燃え上ってくる。
困難なら困難なほど、男冥利に尽きって気がするぜ。楽して儲けてる奴には、けっしてわからない世界がそこにはあるのさ。
仕事は決して好きじゃないんだが、自分の生き方にケチをつけられないためには、たかが仕事と侮らず、全力で取り組まないとダメなんだ。自分の仕事も満足にできないような奴が、社会で自分の我をおし通せるわけがない。
強いけど、扱いづらいキャラクターを秘かに目指しているんだ。

そうやって仕事をしてると、それ以外のことは何も考えられないくらいだ。

写真のことも、あの娘のこともなにもかも、頭からすっ飛んで、清々しい充実感が自分の心と体に満ちているのが解かる。
毎日がこれほどの激戦だったら、それはそれで人生面白いもんだろうぜ。

だからどうしたって言われても、困るんだけどな。

そうして、朝になると、疲労と抜けきらない昂ぶりのために、ぞっとするほど陰惨な目つきをして家路をたどる羽目になるのさ。おまわりに出くわせば、間違いなく職質喰らうだろうぜ。


読者諸君、失礼する。今夜も当然男の仕事だ。浮ついたことなんか、考えてる暇はないのさ。

2015/01/12

Post #1377

Paris
早朝、粉雪の舞う中とぼとぼと帰ってきた。新聞が届いている。いつものように取り出して、何の気なしに一面を開いてみて、驚きかつ感動した。
パリが凄いことになっている。
100万人もの人々が、テロに屈しないとレピュブリック広場に集まり、3キロにも及ぶデモ行進をしたというのだ。その熱狂ぶりはナチスドイツからのパリ解放以来のものだという。

凄い。素晴らしい。こんなの見るのは、ベルリンの壁崩壊以来だ。
出来る事なら、俺もパリでそのデモに参加して、フランスの皆の衆に連帯を表明したかった。

ネットから引っ張ってきた写真を見ても、すごい人だ。
200万人くらいしか住んでないパリで、100万人のデモ行進って、すごいことだよ。
ほとんど世界史レベルのことが起きてるんだ。
つくづく、フランスの、いやヨーロッパの市民社会の成熟度に敬意を表するよ。
彼らにとっては、社会というのは、お上がうまいことどうにかしてくれるものではなく、自分たち一人一人の市民がつくり上げていくものだというのは、きっと『自明の理』なんだろう。
そして、その根底には、『自由、平等、博愛』という、フランスの国是が社会の根本原理として存在してるんだ。
なんて民度が高いんだ。
俺は、今回のテロで、俺自身が何度か訪れて感じたパリの最大の魅力、つまり誰がどんな価値観を持っていたり、どんな肌の色をしていようが、なんら構わない、それは個々の人間の自由だという、風通しの良い心地よさが、失われてしまったら悲しいことだと思っていた。
けれど、今回のデモのニュースを知り、パリジャンのエスプリは毫も揺るぎはしていないことが分かった。
こんなうれしいことはない。

そもそも、テロリズムってのは人々に恐怖を与え、委縮させ、人々を疑心暗鬼に陥らせて、社会を分断させることがその究極の目的だ。
確かに、デモをしたからといって、無惨なテロがなくなるわけではない。現に、同じ新聞には、アフリカで猛威をふるっているボコ・ハラムが、10歳ほどの女の子に爆弾を取り付けて、市場で爆破させて多くの人々を殺傷したという、憤る以外にないような卑劣なテロが報じられていた。
けれど、ヨーロッパの人々は、テロに屈しないという強い姿勢を示した。
それはとても心強いことだ。

読者諸君、失礼する。俺は、人間が人間であるというただそれだけで、尊重される世界が、いつの日かきっと来ると信じている。そして、いまを生きている俺たちは、その長くて遠い道のりの一歩を、日々歩んでいるんだ。

2015/01/08

Post #1373

Paris
昨晩、仕事をしているとカミサンからメールが入ってきて、パリの新聞社で銃乱射で多数の死者が出ていると教えられた。
まだ、事件の背景はよくはわかっていないようだが、どうにもイスラム教過激派の犯行であるらしい。
近年、頻発するこの手のニュースには、いささか食傷気味ではあるけれど、これが同じ人数のイスラム教徒の皆さんが、アメリカ軍の無人飛行機による誤爆でぶち殺されたとしても、何のニュースにもなりはしないさという、穿った考えが思い浮かび、人間の命の非対称性、つまり不平等ということに思い至り、悲しいような気分になる。

『君の意見には反対だが、君が意見を述べる権利は命にかけても護る』というヴォルテールの言葉にもあるように、フランスは自由という価値観に重きを置いている社会だ。
なんと、フランスの民法には『人間は、自分の意思に基づいて、道徳的に堕落する権利を有する』という、驚きの文言すらあるらしい。ヴァタイユの『眼球譚』か何かを読んでいた時に見つけて、笑い転げたものだ。
この底抜けな自由に、平等と博愛を加えて今日、俺たちが暮らす先進的な社会の基本的な価値観が形成されている。
俺自身は、『自由、平等、博愛』というフランス人の最大の発明が大好きだし、世界都市パリに行って感じる、風通しの良さ(もっとも、中に入ればそこには厳然たる格差や階級間の軋轢があるのは解かる)には憧れにも似た親近感を感じてきた。
それは、日本社会で俺が感じる息苦しさの裏返しのようなものかもしれない。

そのパリで、今回のような事件が起きた。
これについて思うことをいくつか挙げてみよう。

まず、何を言うのも自由ではあるが、それにはリアクションが伴い、時には命がけでそれを受け止めねばならないというものだ。
また、何を言うのも自由ではあるが、そこには謙虚さと相手に対するある種の敬意がなければならないのではなかろうか。自由の旗のもとに、自分たちの属する集団の成員以外を貶めることは、単なる傲慢でしかないではなかろうか。
つまり、自由だからなにをしてもイイのではなく、自由だからこそ、相手のことを尊重したうえで慎重に発言しなければならないのではないかということだ。自由だからこそ、何を言うべきで、何を言うべきでないかを、峻別しなければならないということだ。

また、襲撃され死亡した編集長は、『我々はコーランのもとに暮らしているのではなく、フランスの法のもとに暮らしているのだ』と語っていたそうだ。それはそうだろう。
対して、襲撃した犯人たちは『神は偉大なり』と叫んでいたという。それも分からなくはない。
しかし、それはそれぞれにまったく異なる領域の概念だと俺には思える。そして、それが同じ地平で比較されていることに、互いを認めることの難しさが現れているように考えるわけだ。

どういうことかと言えば、襲撃されたフランスの言論人と、襲撃したイスラム教徒の両者は、そもそも、自己が立脚する幻想の基盤が根本的に異なっていたということだ。
人間は、宗教なり法なり国家なり、何らかの個を超えた共同の幻想を自らの基盤として生きている存在だ。
その基盤となる大本が、根本的に異なっているのだ。かたや世界で最も先進的な自由思想のもとに打ち建てられた観念体系があり、もう一方には、宗教的な権威を絶対視する古代あるいは中世的な観念体系があるように察せられる。
歴史は一方向に進んでいくというような、単純な理解では世界は捕らえられない。中世的な観念を内包しながら、現代の文明を享受する、異質な社会だって、十二分にあり得るし、現に存在するのだ。卑近な例を取って見れば、現代の中国は、かつて皇帝によっておさめられていた巨大帝国的システムの今日的な展開であるし、北朝鮮なんか三国志に出てくる地方軍閥の独立地帯と同じようなものだ。
それを反動的だの、時代に合っていないだの批判しても、何も解決しないんじゃないか。

どうしたら、解決の糸口が見つかるのか、俺にもわからない。なにしろ俺は馬鹿野郎だからな。

ただ、お互いの最小公倍数を見出していくしかないんじゃないかって思えるぜ。

今のところそれは、あらゆる幻想を排除したうえで、『俺もアイツも、突き詰めれば同じニンゲンだ。』というところしかないように思える。すべては、そこからだ。

読者諸君、失礼する。今回もまたまた難しい話になっちまってすまん。俺だって、小難しい話はしたくないんだ。女の子のことでも考えてムラムラ悶々していたいんだ。

2014/09/20

Post #1263

Paris
久々に家に帰ってきた。
なかなかに眠いので、今夜も写真だけで失礼させてもらうぜ。

2014/09/15

Post #1258

Paris
出張先で、夜勤明けとはいえ、一日仕事がなかったのに、あろうことか目が覚めたら夕方の5時だった。
仕方ないので、本屋に行って武田泰淳の『十三妹』を買ってきて読んでいたら、またまた途中で眠ってしまった。
人生は夢のようだ。
確かにこの調子で眠っていたら、夢を見るだけで終わってしまうというもんだ。

読者諸君、失礼する。それはそれで悪くないか。荒唐無稽な夢ばかり見てるからな。

2014/08/15

Post #1227

今日は年に一度の敗戦の日だ。
世間では、終戦記念日という。しかし、あの戦争は単に終わったのではなく、スコンスコンに負けたんだぜ。ワンサイドゲームだ。
終戦と言えばどこか、双方痛み分けで武器を置き、講和に至ったかのような響きがあるが、大日本帝国は完膚なきまでに打ちのめされ、敗北したんだ。言葉のすり替えで、本質を誤魔化しているように思えるのさ。だから、俺は毎年密かに敗戦の日とこの日を呼んでいる。
過去に目を閉ざす者は、未来に対して盲目になる。
国にも、人間にも、いつかきちんと向き合ってかたをつけなきゃいけない事実があるものさ。
恥と後悔の多い俺の場合、数ある清算対象の一つがあの人のことだ。いつかきちんと自分の中で整理しておきたかったんだ。じゃないと俺は過去から自由になれないだろう。たまたまそれが今だったてだけだよ。
Paris
もし俺がみっともなく、二本足の豚のように太ったら、死んだほうがましだ。
たぷたぷした腹を、ベルトの上に乗せて生きるなんて、みっともなくてあの人に会わせる顔がない。

通勤電車に犇めいている、朝から疲れ果てた顔をした、目に光のないそこいらの中年のオジサンのようになってしまったら、とっとと死んだほうがイイ。そんな脱け殻みたいな男に成り下がったら、あの人はきっと俺を軽蔑するだろう。

目先の利益や快楽だけを追い求め、安楽と保身だけしか頭にないなんてつまらない男にはなりたくない。筋の通らないことでも、生活のためといって唯々諾々と従い続けて生きるなんて、真っ平ゴメンなんだ。そんな俺を見たら、あの人の眼差しはますます悲しげに曇ってしまうに違いない。
もし俺が、そこいらのつまらない奴のように、立場に胡座をかいて、実力もないのに偉そうに振る舞ったり、お偉いさんにびびって卑屈になったりしたら。あの人はきっと俺を見損なうことだろう。


そうさ、あの人の眼差しだけは、忘れられないんだ。
俺は目を閉じれば、いつだって思い出せる。たとえ他はもうすっかりあやふやでもね。何十年も想い続けているうちに、俺自身のなかに繰り込まれているんだ。
そして、その少し寂しげな眼差しは、俺の中にしっかり根を張って、俺を見つめている。あの人自身が俺の事をとっくに忘れていたって、(きっと忘れているだろう。あの頃の俺はしょせんその程度の、つまらない奴だった) あの日の眼差しは、俺のなかから俺の事を見据えている。

だから誰も見ていなくても、あの人に恥ずかしい真似なんて、断じて出来るわけがない。
俺が俺でいられるのは、あの人の眼差しが俺自身のなかから、俺を見つめてくれているからさ。
こんなこと、今迄誰にも言ったことがないけと、本当のことさ。


あの人に、いつかどこかで会えるのなら、会うことが許されるのなら、自分が今日までロックンロール・スタイルで生きてきたと、胸を張っていたいんだ。
あの人に、どうだい、ずいぶん長いこと会わなかったけど、俺はちっとも変わっちゃいないんだぜ。いや。むしろカメラ片手に男道を歩き続けて、もっとパワーアップしてるんだ、今がサイコーの俺なんだって言いたいのさ。
そして、今の俺があるのはズバリ君のおかげだよ、ありがとうって言いたいのさ。
そして何より、昔の俺は小さな男で、君の思いにさっぱり応えられなかったヘタレ野郎だった、本当にすまなかったって、心の底から謝りたいのさ。
そして、なによりも、幸せに暮らしていますかって聞きたいのさ。

読者諸君、失礼する。俺は誇り高く生きたいのさ。あの人に恥ずかしくないように。

2014/07/23

Post #1204

Paris
昨晩、TVのスポーツニュースで大相撲の試合結果を見ていたら、ふとかつては俺にも夢があったなぁと思い出し、すこしばかり切なくなった。
どんな夢かって?

それはパリの歓楽街ピガールあたりで、胡散臭い女相撲のプロモーターになる夢だ。

日本から連れて行ったむっちりしたお姉さんをメインに、現地のフランス人の女の子も取り混ぜて、まわし一丁のトップレスで、ガチですもうを取らせるというキワモノの興行主だ。もちろん相撲は真剣にとってもらう。

女性を食い物にしているとか、神聖な土俵に女性を上げるとはどうゆうことだという、至極まっとうな批判の数々しか聞こえてこないような、不埒な夢だ。そんなことは承知している。俺は夢の話をしてるんだ。道徳だのなんだのと言ったお堅い話をしてるんじゃない。どんな夢でも、見るのは勝手だろう?OK、続けよう。

薄暗いホールの真ん中に、土俵をこしらえ、土俵だけはスポットライトで照らすのさ。
升席を象ったような客席には、フランスだけじゃなく、世界中から集まったお客がひしめいている。
場内には鳥居だのしめ縄だので演出するんだ。力士のお姉さんたちは、鳥居をくぐって出てくるんだ。東西二つ設けて、片方には狛犬、片方には稲荷のお狐さんでもおいてみるってのもいいな。行事には天狗のお面なんかかぶせてみるか。
あまりにもいかにも過ぎてキッチュな和風空間で、ムチムチぷりぷりした大和撫子が、おっぱいをたゆんたゆんさせながら、がっぷり四つに組むのさ。島田髷なんかにしてやったら、ヨーロッパ人に受けるかもしれないな。なぁに、かつらで構やしないさ。
俺は、これ見よがしな紋付き袴を着て、高下駄を履いたりして、いかにも胡散臭い日本人候といった風情で、娘さんたちの取組に見入るフランスの物好きたちを、うなづきながら眺めるのさ。キセルで煙草なんか吹かしながらね。煙草盆も忘れちゃならねぇな。
ときには狩衣を着て、行司をやるってのもいいだろう。

なんて、下らない夢物語を、真剣に夢想して、友達に会うごとに吹聴し、話のディテールを膨らませていった時期があった。
どうせ人生はくだらないんだから、思いっきり下らなく俗悪な事をしてみたかった。それでいて悪びれることもなく、堂々と開き直っていたかった。なにしろ、世の中の人々は真剣に物事に取り組もうとして、どんどん愚かなことをしでかしている。ここはひとつ、その逆をついて、真剣に愚かでくだらなくて、俗悪な事を突き詰めてみるべきだと考えていたのさ。

けれど、しっかりしたカミサンがついているので、そうはならなかったのさ。放蕩無頼に憧れるだけの善良な小市民だ。しょせんその器じゃないってことさ。

読者諸君、失礼する。真面目に働いてばかりの人生じゃ、つまらないってもんさ。そうじゃないかい?

2014/07/05

Post #1186

Paris
今日の一言。
『愛国心を持つなら地球に持て。魂を国家に管理されるな!』
―ジミ・ヘンドリックス

読者諸君、失礼する。

2014/02/26

Post #1059

Paris
今日は休みだ。
何をして遊ぼうか?
電子レンジを買いに行かなけりゃな。昨日の夜壊れちまったらしいんだ。
仕方ない。形あるものはいつか壊れる。しかし、無いと仕事から帰って飯を食う時に、冷や飯を寂しく食う羽目になる。そいつは残念極まりないってものさ。
思えば、この電子レンジは17,8年使っていた。
当時、毎晩アルバイトに通っていた洋風居酒屋のマスターが、俺が仕事を辞めた時に呉れたんだったっけ。懐かしいな。
当時は昼間に土方仕事をし、仕事を終えるとドカジャンを着たままヴェスパに乗ってCD屋に行き、毎日のようにCDを買っていた。
そして、家に帰るとシャワーを浴びて、またまたヴェスパにのって夜のアルバイトに向かい、深夜まで厨房でピザを焼いたり、皿を洗ったりしていたっけ。

一年365日、まるっと休みの日なんてほとんどなかった。
朝の7時から夜の11時まで働いていた。働きすぎだ。
生きることに全力投球だったのだ。あんまり働き過ぎて、頭がおかしくなりそうになって、夜の仕事を辞めたんだ。
今でも、あの頃のことを思い出すと、ちょっとやそっとの苦労なんて屁でもないぜって思える。
残念なことに、若さはとっくに失われてしまったけれどな。
もっと残念なことは、懐具合も暮らしぶりも、さほど変わっていないってことさ。
さて、一眠りしよう。で、洗濯機を回してシャワーを浴び、あたらしい電子レンジを買いに行くのさ。
読者諸君、失礼する。俺はいつまでたっても、こんな素寒貧のままだ。うんざりしすぎて、笑えてくるぜ。