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2026/11/04

POST#1996 アメリカの中間選挙が大盛り上がりだな。

 

沖縄 市場にて
アメリカで、議会の上下院の議員を改選する中間選挙が大盛り上がりだ。
トランプ帝王の行き当たりばったりの政策と縁故主義にうんざりした人々の投票のおかげで、民主党の得票が伸びているらしい。
開票結果化が確定するまでわからないが、民主党が上下院ともに過半数を押さえたら、トランプ危うしだな。彼の思い付き政策に、議会は意を唱えるだろう。様々なルール無用の行いに対して、弾劾決議を発議する可能性もあるだろう。
それよりも、トランプがまた大衆を扇動して、議会を乗っ取るようなことになるかもしれない。最悪だな。
そんな最悪な事態を回避するためにか、民主党の牙城であるカルフォルニア州の人々の投票登録が疑わしいとかいちゃもんをつけていたが、これはあっさり裁判所に否認された。
何かと権力にしがみつく薄みっともない老人だ。
仕方ない。大統領の座を追われたら、かトランプが目の敵にしているICC(国際刑事裁判所)に指名手配されるかもしれない。仲良しのネタニヤフともどもね。そうなったら、フロリダに身を寄せて事実上亡命しているブラジルのボルソナーロ親子も行き場を失うだろうな。

さた、だいたいなんでアメリカじゃ、有権者登録なんて必要なんだ?

住民票とかないのかね?にほんなら、そんな面倒なことを自己申告しなくても、選挙のお知らせが市役所から届く。投票所に行けば、この選挙のお知らせの番号と住民台帳を突き合わせて確認し、市民ならだれでも投票ができる。もちろん投票する気があればだけれどね。

アメリカで有権者登録が必要な最大の理由は、日本のような全国統一の住民票(住民基本台帳)や戸籍の仕組みが存在しないからだ。

はぁ?大事なことだからもう一度言おう。

全国統一の住民基本台帳がないんだとさ!

俺たちがたまたま生まれた日本では引っ越しをして役所に転入届を出せば、自動的に住民票が更新され、選挙管理委員会が作成する選挙人名簿に登録される。自動的にだ。ほかに何の手続きもいらない。日本全国、どこに行っても同じだ。しかし、アメリカにはこれに相当する国の一元的なシステムが、ない。

彼らは「国家が国民を一元管理する」ことへの強い警戒心を持っている。というか、国家を信用していない。

アメリカは歴史的に、中央政府が個人の情報を管理することに対して強い拒否感(プライバシー侵害や国民監視への懸念)があるのだという。そのため、日本のような「国民全員に一意の住所と身分を紐付けて登録を義務付ける」住民票システムそのものが存在しないんだそうだ。さすがは自由の国だ。

しかも選挙の管理は「州」の権限だ。

アメリカの選挙は連邦政府ではなく、50ある各州(および地方自治体)がそれぞれ独自の法律で運営しているんだとさ。

核家族社会のアメリカでは、生まれたコミュニティを離れて州をまたぐ引っ越しも多いため、各州の選挙管理委員会は「誰が今、自州のどの選挙区に住んでいて、投票資格を持っているか」を独自に把握する必要がある。

その確認作業を有権者側からの「申請(登録)」に頼っているのが現状なんだとさ。

何たる非効率!投票すらもするかしないか自由なのさ。

そしてなんだか本末転倒な気もするが、不正投票の防止策なんだとさ。

二重投票や、亡くなった人の名義での投票、資格のない人(市民権のない人など)の投票を防ぐため、事前に身元と居住地を確認するステップとして有権者登録が機能しているらしい。だから、それは日本みたいなシステムを構築するほうが間違いないだろう?

お得意のお家芸のAIに作ってもらえばいいじゃないか?


この有権者登録の手続きは、「投票率を下げる原因になっている」「特に低所得層やマイノリティの投票を難しくしている」という批判が根強くある。

そりゃ当然だ。好き放題やりたい権力者は、政府のやり口に不満を持つ低所得者やマイノリティの投票率は低い方がいい。権力を維持するためには是非ともそうすべきだ。メンバーズオンリーだ。貧乏人は黙って冷や飯くいだ。同じ理由で投票率は低い方がいい。日本でも、有権者が選挙の時に寝ていてくれたらいいと放言した、元総理大臣で元オリンピック委員会でサメの脳みそと言われた政治家がいたな。それと同じだ。

そのため、いくつかの州では改善に向けた取り組みも進んでいるそうだ。たとえば

  • 自動有権者登録(AVR): 運転免許証の更新などの手続きの際、自動的に有権者登録も行われるシステム(多くの州で導入が広がっています)。
  • 当日登録: 選挙の投票日当日に投票所で登録してそのまま投票できる州もあるそうだ。

じゃぁ、運転免許のない人、パスポートなど身分証明になる子的書類のない人はどうするんだ?

百歩譲って、連邦政府に一元的な住民台帳がないのは良しとしよう。

しかし、それぞれの州に住民票とかないのか?

そもそもそれじゃ、市民サービスとか行政そのものに支障があるだろうに。

しかし驚くべきことに、州単位でも日本のような「住民票(行政が個人の住所を一元管理する仕組み)」はない。ないったらない。

俺たち日本人の感覚からすると「どうやって行政サービスを行っているんだ?」と不思議に思えるんだが、アメリカでは目的ごとに異なる公的書類や番号を組み合わせる「分散型」のシステムで行政を回しているわけだ。

これが非効率極まる奇々怪々なものだ。屋上屋を重ねてきた結果だろうな。

1. 住所の証明は「運転免許証」や「公共料金の請求書」

アメリカで最も「住民票」に近い役割を果たしているのが、各州の陸運局(DMV)が発行する運転免許証(または車を運転しない人向けの身分証明書/ID)なんだそうだ。
引っ越しをした住民は、州の法律で「○日以内にDMVで住所変更の手続きをするように」と定められているんだと。

行政サービス(公立学校への入学、図書館カードの作成など)を受ける際の「居住地の証明」には、主に以下が使われているらしい。

  • 住所が記載された運転免許証
  • 自宅に届いた公共料金(電気・水道・ガスなど)の請求書
  • 家賃の賃貸契約書

行政側は、これら複数の書類を住民に提示させることで「本当にここに住んでいるか」を確認しているんだとさ。何たる非効率!

2. 人口の把握と予算配分は10年に1度の「国勢調査」

こんなていたらくだと、当然俺たちは「住民票がないと、行政が地域の人口を把握できず、予算やインフラの計画が立てられないのでは?」という疑問抱かざるを得ない。

でも、安心してくれ。アメリカ人もそこまで馬鹿じゃない(はずだ)。
アメリカではこれを、憲法で定められた10年に1度の「国勢調査(Census)」でカバーしているんだ。「国勢調査」ねぇ…。

このデータをもとに、連邦政府から各州・自治体への予算配分や、下院議員の議席配分(選挙区の区割り)が決まるんだそうだ。

3. 税金は「自己申告(確定申告)」が基本

税金(所得税など)の徴収は、日本のような役所主導の住民税徴収とは異なり、原則として年に1回、全員が自分で自分の住所と収入を国税庁(IRS)や州の税務当局に申告する仕組み(タックス・リターン)になっている。行政はこれにより「誰がどこでいくら稼いだか」を把握するってわけだ。

4. 国民共通のIDは「社会保障番号(SSN)」

日本でいうマイナンバーに近いものとして、社会保障番号(SSN: Social Security Number)があるんだそうだ。なんだ、ちゃんとあるんじゃん。さっさと紐付けしなよ!
元々は年金管理のための番号だったらしいが、現在は税金の申告、銀行口座の開設、就職、クレジットカードの作成など、あらゆる場面で本人確認のために必須となっているんだそうだ。

ただし、これにも「公式の住所情報」がリアルタイムで紐付いているわけではないんだとさ。だから紐付けしろってばよ!


さて、最前から俺が気にしているのはここだ。こんな有様で行政に「支障」は出ていないのか?

実際のところ、かなりの支障や非効率さが発生しているんだなぁ。

まず、手続きがとにかく面倒くさい。

住所が変わるたびに、DMV(免許)、郵便局、税務署、銀行、選挙管理委員会など、あらゆる場所に個別に住所変更を届け出る必要がある。これは面倒くさい。日本なら、市役所と警察に行くだけだ。

当然のことながら、役所の窓口が大混雑する。

 特に運転免許を発行するDMVは、全住民の身分証管理を一手に引き受けているため、常に長蛇の列ができ、アメリカで「最も行きたくない場所」の代名詞になっているんだとさ。まぁ、俺も運転免許試験場は、行きたくない場所の一つだけどね。

いちばん悪いことには、行政の横のつながりがないことだ。

 州のシステム、警察のシステム、福祉のシステムが連動していないことが多く、情報の照会に時間がかかったり、不正受給や管理漏れが起きやすいという弱点がある。生活困窮者を支援したりするのにも支障があるだろう。

けど安心して。アメリカは自由の国なので、生活婚食うして野垂れ死ぬのも自由ってことだ!

こんなていたらくなのに、アメリカ人が「一元管理された住民票」を作らないのは、やはり「政府に自分たちのプライバシーや居場所を監視されたくない」という自由主義の理念が、不便さよりも優先されているからだ。

そう、彼らは自分たちの政府を、自分たちの国を、根本のところではまったく信用していないのだ。

俺はこの状況を見てみるに、ふと一つの疑問を抱く。

この人たち、煩雑化によってGDP上げようとしてない?(笑)

これはあながち笑い話とも言えないようだぜ。

経済学やビジネスの視点から見ると、アメリカのこの「手続きの煩雑さ」や「非効率さ」は、皮肉にも巨大な民間市場(ビジネス)を生み出し、結果としてGDPを押し上げる要因になっているらしい。阿呆らしい。

これを皮肉を込めて「非効率が生み出す経済効果」と呼ぶことがでるだろう。まさに「ブルシット・ジョブ」だ。このブルシットジョブがビッグビジネスを生み出している。

1. 「確定申告が難しすぎる」から生まれた巨大産業

アメリカの税金申告(タックスリターン)は、住民票や会社による年末調整がないため、個人でやるには複雑怪奇らしい。まぁ、税金なんてそんなものだ。複雑怪奇にして、出来るだけ貧乏人から巻き上げるようにできてるのさ。
その結果、「ターボタックス(TurboTax)」などの申告ソフト会社や、街中の税務代行サービス(H&R Blockなど)、公認会計士(CPA)が数兆円規模の巨大市場を形成しているんだとさ。数兆円規模だぜ!驚きの非効率だ!
彼らは「システムがシンプルになって国民が自分で簡単に申告できるようになると困る」ため、政府が無料の公式申告システムを作るのを阻止しようと、長年激しいロビー活動(政治家への働きかけ)をしてきたことでも有名なんだとさ。ひどい話だ!

2. 「身元が信用できない」から生まれた巨大産業

住民票や戸籍がないため、アメリカでは「この人は本当に信頼できる人物か?」つまり家を貸していいか、ローンを組ませていいかを国が証明してくれないんだ。

これが中国なら、携帯と連動した社会信用スコアで一発なのにな!(笑)
そこで、「クレジットスコア(信用スコア)」を算出する民間企業(Equifax、Experian、TransUnionの3大信用情報機関)が発達したわけだ。家を借りる、車を買う、就職する、あらゆる場面でこの民間企業のデータが有料で照会され、これもまた巨大なビジネスになっているんだとさ。民間企業のほうが、公共セクターよりも信用できるという感覚が、よくわからないぜ。

政府の信用より、民間企業の担保する信用を重視するというのが、俺には意味不明だ。

公共とか社会とかいう概念が社会にないのだろうか。人々は孤に分断されたモナドとしてしか存在しえないのだろうか?

3. 「住所やIDの証明が大変」だから生まれる民間サービス

引っ越しのたびに何十箇所も住所変更をするのが面倒なため、それを一括で代行・仲介する民間アプリやサービス、また「身元確認(バックグラウンドチェック)」を専門に行う代行会社が数多く存在し、これも立派に経済を回しているわけだ。みんな儲かってよかったね。

そのお金は誰が払うのでしょう。もちろん一人一人の市民ですよ。しかし、本来はこういうコストは、社会を維持するためのコストとして、公共セクターが負担し、責任を負うべきものだ。


こいつはまったく、「割れた窓の寓話」そのものだ。

経済学には「割れた窓の寓話」というものがある。
「パン屋の窓ガラスが割れると、ガラス屋が儲かり、ガラス屋がそのお金で服を買えば服屋が儲かる。だから災害や破損は経済を活性化させる」という一見正しそうで、実は社会全体としては富を失っているという屁理屈だ。

アメリカの行政の煩雑さは、まさにこれと同じだ。

  • 日本: 行政がシステムを一元化して、国民の「時間と手間(コスト)」をゼロにする。
  • アメリカ: 行政が不便なままなので、国民は民間企業にお金を払ってその不便さを解決する。(ここで民間企業の売上が立ち、GDPが増える!)

国民個人の時間やストレスという「目に見えないコスト」を犠牲にして、民間ビジネスの「目に見える売上(GDP)」に変換している、と言えなくもない構図があるわけだ。このあたりは、徹底的な資本主義国であるアメリカらしさとも言えるだろう。合理性のかけらもありゃしない。その割には、テック企業が検索などを通じて個人情報を吸い上げ、情報抽出するのは良いってんだから、わけがわからないぜ。

この「わざと不便なままにしてビジネスを残す」という構図は、国民皆保険がないため、複雑な民間保険と代行請求が巨大産業化しているアメリカの医療保険制度にも全く同じことが言えるようだ。

本来ならテクノロジーや行政改革で「ゼロ」にできるはずの無駄なコストを、わざわざ民間ビジネスの「売上」として計上して「我が国のGDPは成長している!」と言っているわけですから、極めて不条理だ。カミュやカフカが見たら大喜びするほどの不条理だ。

この仕組みが長年維持されている背景には、アメリカ特有の「ねじれた思想」がある。

彼らは「政府の役人」より「民間の金儲け」を信じる文化を持っている。

アメリカには「政府がやる仕事はすべて非効率で利権まみれになる。民間企業に競争させたほうが、まだマシなサービスが生まれる」という根強い新自由主義という信仰がある。教祖はミルトン・フリードマンだ。そのため、日本では「お上が一元管理して効率化するぞ、マイナンバーにみんな紐付けだ!」となる局面で、アメリカさんでは 「政府にやらせるとロクなことにならないから、不便でも民間ビジネスに解決させよう」となるわけだ。そして、民間企業にぼったくられる。企業の目的は人々の幸福の最大化ではなく、自らの、株主の利益の最大化だからだ。そんなこと、ちょっと考えればわかりそうなものなのにな。

この不条理の結果として、余計に複雑で金のかかる民間サービスが乱立することになるわけだ。馬鹿らしいぜ。

銭ゲバな奴らは「GDPの数字」さえ増えれば正義ののさ。

経済学の指標にすぎない、サイモン・クズネッツが発案したGDP(国内総生産)は、「どれだけ社会が幸せになったか」ではなく「どれだけお金が動いたか」しか計算しない。しかし、お金を使わずに個人が労力を費やした部分に関しては、お金が動いていないのでカウントされない。そこで起きるのが次のような転倒した構図だ。

住民票1枚で手続きが終わる日本 ➡ お金が動かないのでGDPはゼロ

複雑な手続きのために代行業者に1万円払うアメリカ ➡ GDPが1万円増える

諸君、如何におもわれるかな?

社会全体としてはアメリカの方が明らかに無駄なコストと労力をかけて疲弊しているわけだけど、「GDP成長率」の数字の上では、アメリカの勝ちになってしまうというバグが起きているくわけだ。阿呆らしいぜ。

この非効率な政治を動かすロビー活動という名の「合法的な買収」が社会を覆っている。

この非効率から恩恵を受けている企業(税金申告ソフト会社や民間保険会社など)は、莫大な利益を使って政治家に献金し、「行政手続きをシンプルにする法案」をことごとく握りつぶしてきた。政治家は、国民の幸福のために働いているのか?業界利権の代弁者に過ぎないのか?
こんな腐敗した時代遅れの慣行を墨守し、おかげ様で民間ビジネスが成長しすぎた結果、「不便であること」が彼らの既得権益になっている。その結果、国全体をアップデートできなくなるという本末転倒な事態に陥っているというわけだ。たわけだないの?

大丈夫か、アメリカ?


「非効率をビジネスに変えて成長する」アメリカと、「効率的で便利だけど経済が停滞している」日本。どちらが良いかは一長一短かもしれない。アメリカの成長の裏には、こうした国民の膨大な「時間、ストレス、手数料」という隠れた犠牲があるのは間違いない。

君は、日本とアメリカ、どっちに生まれたいかね?

この構造の根底には、アメリカ人と日本人の社会や国家に対する共同幻想の断絶がある。明日はそれについて話そう。


2026/10/20

POST#1988 フランス人はいつだってやりすぎる。やりすぎたおかげで近代国家が生まれた

パリ、クリニャンクール。あの日は雪だった
フランスが燃えているらしい。

数年前の黄色いベスト運動をはるかに上回る暴動がフランスで起きているようだ。

詳細はまだわからない。10月17日に、それまで続いていた高校生!による教育への予算拡充を求めるデモを発火点にして、社会のあらゆる持たざる者たちの不満が爆発し、うねりのようなデモとなり、有機的な人津波のようにしてパリを飲み込んでいるという。まるで脳を持たない粘菌が、有機的に不定形に移動してエサをのみ込むように。

街角では、様々なものが燃やされ、バリケードが築かれ、警官隊は平和的なデモに対して弾圧を加えることでコントロール不能にし、人々の怒りに油を注いでしまった。

様々な商店が略奪され、燃やされた。その損害額は数億ユーロに上るというが、いったいどれほどの損害額になるか、誰にも分らない。

デモは、大統領の官邸であるエリゼ宮に向かったという。マクロン大統領は、正当な主張には対応するが、略奪や暴動に対しては断固とした処置をとると息巻いている。

そして、外野のドナルドトランプは、いつものように『デモは移民のせいだ』と的外れなことを言っている。フランスとアメリカの移民への包摂のシステムが全く異なることを、全然理解していない暴論というか、フランスの暴動にこじつけて自分の主張を垂れ流しているだけの愚かな発言だ。

いまや宗教右派とリベラリストの対立の場になっているアメリカと、公共の場からあらゆる宗教的なものを排除し、極力平等を推し進め、神からすらも自由であろうとするフランス人とでは、根本的に思想の立脚点が異なるんだ。

そして、この神無き市民=シトワイヤンの国フランスは往々にして、やりすぎる。

やりすぎるがゆえに、往々にして暴動になる。

その根底には、フランス革命の成功体験がある。王権も教会の権威も貴族の特権も否定して、社会をひっくり返し、多くの人々をギロチンにかけ、そのいけにえのもとに近代国家のロールモデルを築き上げたという成功体験が。

だからこそ、フランス人は、徹底的な政教分離を成し遂げた。これをライシテって言うんだ。

未だに天動説を信じてるような人がゴマンといるアメリカ!とは真逆なんだ。

アメリカには、フランスの「ライシテ(laïcité)」のような、公共空間から宗教を徹底的に排除するという厳格な原則はない。

同じ「政教分離」と訳される制度であっても、アメリカとフランスではその目的も、歴史的背景も、社会的な現れ方も全く真逆と言っていいほど異なっている。「アメリカは宗教から脱却していない」んだ。

なんでそんなに違うのかって?いろいろ理由があるのさ。

1. 歴史的な「敵」の違い

なぜこれほど差が生まれたのかは、それぞれの国が建国時に「何と戦っていたか」を見れば分かるってもんだ。建国神話みたいなものさ。

• フランス(ライシテ):宗教(教会)からの自由

フランス革命において、カトリック教会は国王と並ぶ「抑圧者(特権階級)」だった。

そのためフランスにとっての政教分離とは、「国家や市民を、教会の独裁や迷信から守る(つまり、解放する)」ための戦いでもあったんだ。

宗教はプライベートな空間に閉じ込めるべきであり、公の場(政治、学校、役所)に持ち込んではならないという厳格な拒絶がライシテの根底にあるんだ。

• アメリカ:国家からの(宗教の)自由

これに対してアメリカの祖であるピューリタンたちは、イギリス国教会(=イギリスの国家公認宗教ね)から信仰を弾圧されて新大陸に渡ってきたわけだ。

そのためアメリカにとっての政教分離とは、「自分たちの多様な信仰を、国家の介入から守る」ためのものでったわけだ。

ベクトルが真逆なんだ。

「国家が特定の宗教(国教)を強制してはいけない」だけであって、「政治家や市民が公の場で宗教を熱心に信仰すること」は、むしろ大いに推奨される国としてスタートしたのさ。

2. 現実の社会における決定的な差

この違いがあるため、フランスのライシテの視点から見れば、アメリカの政治・社会は「宗教にまみれた異常な光景」に映るわけだ。

ライシテこフランスでは、宗教色を完全に排除して、大統領の宣誓に聖書は絶対に使わない。

公立学校では、宗教的シンボル(十字架、ヒジャブ等)の着用禁止だ。

そして、政治は常に宗教の持つ社会的影響力を弱めるように働く。

これに対して、宗教国家アメリカはどうか?


大統領の誓いの際には、聖書に手を置いて誓う。In God We Trustだ!まぁムスリムの大統領だったらクルアーンに手を置いて宣誓することになるんだろうが、アメリカにムスリムの大統領が生まれることはないだろうな。

学校では、神への祈りや聖書クラブの活動が信仰の自由として盛んに行われる。まぁ無差別銃撃事件もよく起きるけどね。

そして政治はいつも宗教的価値観に翻弄され、中絶禁止などを法制化しようとするわけだ。

フランスでは、公的な場所で宗教を大っぴらにアピールすることは「社会の分断を招くルール違反」とみなされる。あくまで個人の内面の問題だ。

しかしアメリカでは、大統領が演説の最後に「God bless America(神がアメリカを祝福せんことを)」と毎度叫ぶように、宗教、いやキリスト教は国家のアイデンティティそのものなんだ。

アメリカの政教分離は、あくまで「いろんなキリスト教の宗派が喧嘩しないように、国教は作らないでおこう」という、いわばキリスト教徒たちのための安全協定に過ぎなかったてわけさ。

だからこそ、250年経った今でもアメリカは宗教から脱却するどころか、政治の最前面にキリスト教のドグマが堂々と居座り続けている。

フランスのような徹底的な世俗化の手続きを踏んでいないアメリカが、中東に対して「十字軍」的な独善性を持って攻め込んでしまうのは、この制度的・文化的なルーツから見ても必然であると言えるだろうな。イラクの時も、今回のイランもそうだったぜ。


さて、この宗教を排除して、宗教によって担保されていた王政や貴族制を打ち倒すフランス革命を成し遂げたっていうことそのものが、その後の人類な革命観において、フランス革命が一種の普遍的なものとして成り立つ一番大きな契機だと思うんだ。

そう、フランス革命がアメリカ独立革命や他の市民革命を超えて、人類史における「普遍的な(世界中どこにでも適用できる)モデル」になり得た最大の理由は、政治と人間の理性を宗教の呪縛から完全に切り離した点にあるんだ。

これこそがフランス革命が世界史に刻んだ最も偉大な、そして本質的な契機です。その「普遍性」の意味を、ここまでのアメリカとの対比からさらに煎じ詰めるとこんな対比が浮かび上がるのさ。

1. 「特定の神」ではなく「全人類の理性」を土台にした

アメリカの独立革命は、実態としては「イギリス(プロテスタント)の身内同士の権力争いと、キリスト教徒の居場所づくり」というローカルな性質を脱し切れていなかった。だからこそ、今でもキリスト教という特定の宗教に縛られ続けている。政治や世界の行く末に大きな影響力を与えるほどに。

しかし、フランス革命が掲げた「人権宣言」はまるっきり違う。まぁ、白人オンリーとしか思えない愚行をフランスも散々やらかしてはきているけど、その理念は突き抜けてるよな。

彼らは、人権の根拠を「キリスト教の神」に求めず、人間が生まれながらに持つ「理性」に求めたんだ。神からの決別だ。

そしてそれは、誰にでも適用できる普遍性を持ちうるんだよね。

根拠がキリスト教の神であれば、イスラム教徒や仏教徒、あるいは無神論者には通用しないだろ?

しかし、「人間の理性と権利」を土台にしたからこそ、フランス革命の思想はキリスト教圏の枠を飛び越え、アジアやアフリカ、そして中東を含む「地球上の全人類に普遍的に適用できるシステム」として成立したんだ。

2. 「公共の場」という中立なスペースの発明

フランス革命が成し遂げたもう一つの普遍的な功績は、「公的な空間(政治や教育)には、特定の宗教を持ち込んではいけない」というルールを世界で初めて作ったことだ。ライシテはその成文化されたルールだね。

もしこのルールがなければ、国家は常に「どの宗教・どの宗派が一番偉いか」という不毛な争いに明け暮れることになるだろう。

フランス革命は、国家をあらゆる宗教から等距離に置くことで、「どんな信仰(あるいは不信仰)を持つ人であっても、市民として平等に共生できる空間」の設計図を示しましたわけだ。そこに至るまでには、ユグノーのぎゃくさとか、プロテスタントが焼き殺されるとか、ひどいことが山程起こった。ルソーやヴォルテールが人々に近代的な普遍性と人権と寛容さを説き続けた。その行く末にフランス革命が起きたんだ。

おかげさんで、近代民主主義国家が目指すべき「普遍的な理想の形」となったわけだ。

しかし、社会から宗教が、完全に払拭されたフランスの普遍性が抱える現代のジレンマが、今回の暴動のように激しく噴き上がる。この「フランス革命の普遍性」も、現代において新たな壁にぶつかっているんだ。

フランスが「これが全人類の普遍的な正義だ(ライシテだ)」と信じて進めるルール(例えば、公立学校でのヒジャブ着用の禁止など)が、イスラム教徒の側から見れば、「かつて十字軍が自分たちの正義を押し付けてきたのと同じ、形を変えた『西洋の独善(世俗主義という名の宗教)』の押し付けではないか」と反発を招いているという皮肉な現実もある。

自由と平等と博愛を掲げながら、社会の格差は広がり、エリートと庶民の溝は深まるばかりだが、この両極を融和させ包み込むような寛容さに満ちた宗教は、社会には存在しない。

彼らはフランスの市民たちは何に怒っているのか。究極的には本人たちも定かではないかもしれない。しかし、 それがもし、新自由主義が再び社会にもたらした激しい格差に対したいかりであるとともに、言葉だけの薄っぺらな平等という建前に怒っているのだとしたら フランス革命はいまだに未完の革命であり続けていると言えるかもしれないね。

2026/10/18

POST#1986 戦争したがる奴が平和を守ってるんだとさ、ケッ!

 

再び、ベトナム阮朝の旧都フエ。観光客向けのエリアの裏通り

明け方に帰ってきて、電子レンジで食事を温めて、もそもそと食事を摂る。

そして届いたばかりの新聞、すでに昨日の旧聞に化してしまった新聞を読みながらおかずを噛みしめる。うちは子供の頃から試験に出る朝日新聞だ。おかげさまで、立派なパヨクに育ったぜ!俺ら尾張人はジャイアンツ文化圏ではないので、読売新聞なんて読ませんて。

アメリカの大統領が、GDP比3.5%の防衛費支出がグローバルスタンダードだと言っている。とろくさいこと言ってござる。

要は、日本も防衛費を爆上げして、アメリカから武器をしこたま買ってくれ!と言ってるわけだ。

さて、そもそも侵略戦争は、現代の国際法理では禁止されている。だからロシアはウクライナに対して『特別軍事作戦』とかいう靴の上から水虫を掻くみたいなことを言ってるし、アメリカはイランに『宣戦布告』しない。ベネズエラの時もイランの時も不意打ちだ。

昔日本が真珠湾攻撃の時に宣戦布告が遅れたのを、今でもネチネチと持ち出すお国柄なのにな。

さて、そこから考えると、国連憲章や国際法を無視して他国に侵略する国がいるからこそ防衛費がGDP比3.5%必要だっていうことなんだと思うけど、他の国に一番侵略戦争を仕掛けてるのはどこの国か考えてみよう。

国際法違反の侵略行為や他国への軍事介入の頻度については、歴史的な期間の区切り方や「侵略」「介入」の定義、またどの機関の報告を基準にするかによって議論が異なり、複数の異なる指摘が存在するのはまぁ一旦保留しよう。俺は研究者じゃない。単なるフリーシンカーだ。

①米国の軍事介入に関する指摘

国際関係の研究や一部の批判的なデータ分析において、第二次世界大戦以降の時期に最も多く他国への軍事介入や政権転覆の関与を行ってきたのはアメリカ合衆国であるという指摘がある。というか、この国は建国以来、ほとんどの期間を対外戦争に費やしてきた。戦争してないと経済が回らないという、泳ぎ続けるマグロのような国だ。

まずは軍事介入プロジェクト(MIP)などの研究を見てみよう。

 米国のタフツ大学などの研究チームがまとめたデータ(Military Intervention Project)によると、米国は建国以来、特に第二次世界大戦後から現在にかけて、1990年代のバルカン半島、2000年代のアフガニスタンやイラク、リビアなど、世界各地で最も多くの軍事介入・武力行使を行ってきた国として記録されているそうな。

対外戦争のチャンピオンだ。そして自らの国だが線上になったことは、遥か大昔の独立戦争か南北戦争しかない。彼らにとって、戦争は自分たちの国以外で起きるエンターテインメントのような娯楽なのかもしれないな。

このアメリカの姿勢には、多くの批判が呈されてる。その論点とは、2003年のイラク戦争のように、国連安全保障理事会🔗の明確な決議がないまま行われた軍事行動は、多くの国際法学者や諸外国から国際法違反の「侵略行為」であるとして激しく批判されている。今回のベネズエラやイランに対する攻撃も、いずれは『侵略行為』だと歴史は評価するだろう。今はトランプの理不尽な怒りが怖くて誰も何も言わないがね。

いずれにせよ、アメリカは『侵略戦争』のチャンピオンだ。これに異論のある人はいますか?

一方で、国連憲章が禁じる「主権および領土一体性の侵害(侵略)」という観点からは、ロシアや中国など他の主要国による軍事行動も国際社会で極めて重大な国際法違反として位置づけられ、非難されているのはもちろんだ。 

ロシアによる侵略と言えば、やはりこれだろう。

2014年のクリミア併合や、2022年以降のウクライナへの全面的な軍事侵攻は、国連総会でも圧倒的な多数で「国連憲章に違反する侵略行為」として非難決議が採択されている。

近年の明確な「他国領土の武力による奪取・侵略」という意味において、ロシアは国際社会から最も強い非難を受けている国の一つだ。要はアメリカよりもやり方が露骨で、アメリカに対するほど批判しても、ロシアからの仕返しが大したことないってことだ。最もロシア国内で批判すれば、ポロニウム🔗で毒殺間違いなしだ。

一方で、日本の皆さんが大好きな中華人民共和国の軍事活動を見てみよう。アメリカやロシアに比べたら、今のところ慎ましいものさ。

台湾周辺や南シナ海における力による現状変更の試み、過去の中越戦争(1979年)などが、地域の安定や国際法(国連海洋法条約など)への挑戦として指摘されている。例の九段線🔗などで南シナ海の領有権を主張して周辺諸国に嫌がらせをしたり、ぼろ負けして逃げ帰った中越戦争だ。

他国に最も軍事介入を行ってきた国として「アメリカ合衆国」が挙げられる一方で、主権国家の領土を武力で直接占領・併合しようとする明白な国際法違反(侵略)の文脈では「ロシア」などの行動が強く問題視されているわけだ。

アメリカでもロシアでも中国でもいいけれど、これらの国は、国連安全保障理事会という、国際的な安全保障を協議する機関の理事国なわけなんですよね。しかも常任理事国。これ、第二次世界大戦の遺産なんだけど、おかしくないかね?

国連安全保障理事会(安保理)の常任理事国(アメリカ、ロシア、中国、イギリス、フランス)みずからが、国際法に違反するような軍事介入や侵略行為を行っている、あるいはそれらを拒否権によって正当化しているという現状に対しては、国際社会や専門家の間からも「矛盾している」「制度として機能していない」という極めて強い批判や不満が常に存在してるんだ。イギリスだってフォークランド紛争をやらかしたり、フランスだってインドシナ戦争(をベトナム人相手に)やらかしてきた豊かな事例がある!

この状況がなぜ生まれ、なぜ維持されているのかについては、主に以下のような背景や国際政治の現実があるのを君は知っているかな?

1. 歴史的な成り立ち:第二次世界大戦の「勝者の同盟」

国連および安保理の仕組みは、1945年の第二次世界大戦の戦勝国(主要同盟国)を中心に作られました。そう、国連=国際連合というのは、国際連合軍を意味してるわけだ。

当時のトルーマンとかルーズベルトとか蒋介石(これ味噌。毛沢東の共産政府じゃなくて、国民党政府だったのね)やスターリン!とかは、「世界大戦を二度と起こさないためには、強大な軍事力を持つ主要国、つまり軍事大国が一致して責任を持つ必要がある」と考えたわけだ。そこで、連合国の大国同士の意見一致の原則が設けられ、その協議の場として安全保障理事会が設けられたわけだ。更に、その常任理事国にはアメリカ、ソ連、イギリス、フランス、国民党中国が据えられたわけだ。で、いつのまにか国民党の中華民国は共産党の中華人民共和国と入れ替わり、ソ連崩壊のどさくさに紛れて、ロシアはそのままその位置をキープした。

一方で、日本やドイツなどの旧枢軸国は、常任理事国にはなれない。なぜって、かつてのお騒がせ侵略国家だったから。いまだに旧敵国条項というのが国連には残ってて、日本もドイツもその条項に縛られてる。これもあって、日本もドイツもアメリカのミニオンにならざるを得ないわけだ。

もし大国のどれか一つでも反対する決定を国連が強行すれば、その大国が国連を脱退し、結果として再び世界大戦につながるという懸念がありました。そのため、五大国には強力な「拒否権(Veto)」が与えられたわけだ。

昔のソ連はいつも拒否権の発動ばかりしていたから、ソ連の国連大使はMr.ニエット(ロシア語でNoね)という渾名をつけられたほどだ。笑えるぜ。

2. 「拒否権」がもたらす構造的な矛盾

本来は世界の平和を維持するための特権であった拒否権が、現在では常任理事国みずからの行動や、その同盟国の行為を守るための防壁として使われているという本末転倒な付が回ってきているのが、現在の世界だ。思わず笑えてくるぜ。

国連安保理はここんとこ数十年、ほとんど機能不全だ。例えば2003年のイラク戦争の際、米国を非難する決議は成立せず、2022年のウクライナ侵攻の際も、ロシアを非難する安保理決議案はロシア自身の拒否権によって否決されちまった。

しかし、この状況を少し冷静に整理して考えてみてほしい。「警察官が自らルールを破っても、自分の逮捕状に拒否権を使える」という状態に例るしかないような茶番劇が繰り返されている。こいつは現在の国際法における最大の制度的欠陥としてしばしば指摘されてる代物なんだ。なんてったって、一番人を殺してるのが警察官ってことだからな。まぁ、アメリカって社会も似たようなもんか。自由と平等の国とかいう幻想は、そろそろ捨てたほうがいい。金を持った白人にとっては自由と平等で格差を気にしなくて済む国だくらいに考えておこうよ。

3. なぜ変えられないのか?

この構造がおかしいという認識は世界中で共有されており、安保理改革の議論は数十年にわたり続けられています。日本やドイツ、インド、ブラジル(G4)などは常任理事国の拡大を訴えていますが、改革が進まないのには以下の理由がある。

この5大国の大旦那さんたちは、憲章改正にも拒否権を持ってるんだな。

 国連憲章を改正して安保理の仕組みを変えるためには、現在の常任理事国5カ国すべてが同意(批准)しなければならないんだ。しかし、自らの特権を薄める改革に5カ国がそろって賛成することは極めて困難というか、まぁありえないよな。

そして利害の一致の難しさって問題もある。

日本の常任理事国入りに中国や韓国が反対する、インドの加盟にパキスタンが反対するなど地域ごとの主導権争いもあり、加盟国全体で一貫した合意形成ができない。これにはいろんな歴史的な抜き差しならない事情がある。

制度としての倫理的な正当性や「おかしさ」という観点からは、とんでもない矛盾の塊だ。しかし、国際政治の実効性(リアリズム)の観点からは、「これら核保有大国を国際協調の枠組み(国連)に繋ぎ止めておくための必要悪」として、不完全なまま維持されているのが現在の国際社会の現実らしい。こうしてあきらめムードの中、世の中はどんどん悪くなっていくのさ。

これは要はさ、泥棒が普通の家はセコムとかに契約するもんですよと警備会社のセキュリティをお勧めしておいて、実はその警備会社が泥棒集団みたいな話だ。こんな茶番を信じていられるなら、風刺のきいてないコントで馬鹿笑いするのも無理はないぜ。

この例えは、安保理の常任理事国が抱える「ルールを作る側でありながら、自らそれを破り、さらに他国に防衛を迫る」という矛盾した構図を表してるんだ。

まさに「セキュリティを売っている本人が、裏で他人の家に押し入っているではないか」という不条理さだ。あまりに不条理で理解に苦しむぜ。

そう、「警備会社」自体が最大のリスクというのが常識の遥か上を行く超現実なんだ。

民間企業のALSOKやセコムであれば、もし信頼を裏切るような犯罪行為をすれば契約を解除され、警察に逮捕されるだろう。法人としての信頼は地に落ちることなるだろう。

しかし、国際社会には国連の上に立つ「世界警察」や「裁判所」が存在しない。あ、ICCはあるけれど、トランプのわがままで、風前の灯火だ。

安全保障の「警備」を担えるほどの強大な軍事力(核兵器など)を持っているのが、まさにその常任理事国であるという現実がある。安全保障理事会ってのは、要は核兵器愛好会なんだ。力こそ正義って考えだ。

「そんな剣呑な武器を持ってる連中が暴れないようにするために、彼らを警備会社の幹部(常任理事国)にして機嫌を取っておく」という、本末転倒な仕組みにならざるを得なかったのが現在の国際連盟の限界だな。まるで、モンティパイソンみたいな喜劇がhっ現実に起きて世界をハチャメチャにしてるのさ。

そこで「防衛費3.5%」が表す二面性が浮かび上がるのさ。

アメリカが主張する「GDP比3.5%の防衛費」というグローバルスタンダードに対しても、マッチポンプのような構造を持った欺瞞の二面性がある。

実際にロシアや中国といった大国による現状変更(侵略リスク)が目の前にある国々(東欧や台湾周辺、つまり日本だ)にとっては、身を守るために民間防衛や防衛費の増額(セキュリティ契約)を急がざるを得ないのは事実です。けど、そのロシアも中国も、国連安全保障理事会常任理事国なんだけどね。

 一方で、最も多くの軍事介入を行い、世界最大の武器輸出組織でもあるアメリカから「防衛費を増やせ」と言われることに対しては、「自国の軍事産業の利益や、自国の安全保障戦略の負担を同盟国に肩代わりさせるためのセールストークではないか」という疑惑しか感じられないぜ。

だって、防衛費GDP比3.5%が国際的なスタンダードなんて、単なる幻想だろう?

日本以上の防衛費13兆円をかけて、アメリカからバカ高い武器を爆買いしたサウジアラビアだって、フーシ派の低コスト攻撃の前に手をこまねいているのが、この21世紀の現実だ。

国際法や国連という「綺麗なお題目」の裏にあるのは、結局のところ「力(軍事力)を持つ大国がルールを都合よく運用している」という冷徹な現実だ。

力こそが正義なのか?

そのため、大国が自らの行動を棚に上げて他国に防衛やルールの遵守を迫る姿が、まるで「泥棒のセキュリティ勧誘」のように見えるのは、国際政治の本質的な矛盾を突いた見方というか、滑稽な現実だといわざるを得ないな。

戦争したがる奴が、平和を守ってるらしいぜ!ケッ、笑わせんじゃねぇ!

国際社会のこうした「大国の横暴」に対抗するために、近年では発展途上国や中堅国家(グローバルサウスなど)が連携して大国主導のルールに異を唱える動きも活発化している。じゃんじゃんやるべきだ。この国際社会はちっとも平等じゃないんだ。そんな世界は俺たちの世代で終わりにしなくちゃならない。

2026/09/07

POST#1962 近代経済も民主主義も、つい最近始まった実験に過ぎないんだぜ

フェス、モロッコ
話のスケールを一気に広げてみよう。俺たちは所詮自分の人生、もしくはせいぜい親、自分、子どもの三世代くらいしか思考の射程を持ってない。その射程距離の中にいる限り、現代の社会構造は盤石で普遍的なものにしか思えないだろう。だから、顕微鏡の対物レンズのターレットを回してスケールを切り替えるように、頭の中のスケールを切り替えるんだ。

人間は有史以来、フロム・ハンド・トゥ・マウスという定常経済を回してきた。それから後に作物を栽培し、収穫物を貯蓄する術を生み出したわけだ。

つまり、先を見越して貯蓄ってことを始めたのは農業が始まってからこっちの話。そしてぐんと話が今に近づいて本格的な投資が始まったのは、産業革命以降の話だ。

これは人類の歴史ってロングスパンで考えると、つい最近おっぱじまった実験的なものであるに過ぎないと俺には思えるんだ。そう、多くの人が幻滅を感じている近代的な民主主義だって、未だ数百年の積み重ねしかな壮大な社会実験であるようにね。

有史以来、人間が営んできた経済の歴史軸で並べ替えると、ごく最近始まった「貯蓄」や「投資」という仕組みが、いかに不自然で異質なものであるかが浮き彫りになるだろう。

1. 20万年 vs 1万年:貯蓄の始まり

ホモサピエンスって分類される現生人類、つまり俺たち人間が誕生してからざっくり20万年間、人類は「その日暮らし(From hand to mouth)」の狩猟採集社会を生きてきたわけだ。獲った獲物や採った果実はその日のうちに消費し、蓄えることは燻製にしたりしない限りは、まぁ難しいね。それに今日でもアマゾンの奥地などで暮らしているイゾラドと呼ばれる移動採集民のようなライフスタイルでは、常に移動しながら生活を営むため、モノは少ないほうがいいし、穀物を育てるなんて発想もなかったわけだ。

農業(約1万年前〜)という最初の実験

人類の定住と農耕が始まったことで、初めて「穀物の余剰(貯蓄)」が生まれたって言えるだろう。

最近の研究では、定住してしばらくは、割と平等な社会を営んでいたんじゃないかって推測されてる。共同体の中で富を蓄え、皆を支配しようとする者は、たいてい夜の間に喉を掻き切られたり、共同体から追放されたりしたんだ。

しかし、そうこうするうちに不平等が生み出されてくる。

貯蓄ができるようになった瞬間から、富を持つ者(ハブズ)と持たざる者(ハブナッツ)の階級が生まれる。こうして俺たち人類は「格差」という新しい課題を抱えることになったってことだ。めでたしめでたし。

2. わずか250年しか実績のない投資という最新の実験

農業以降も、基本的には「実体のあるモノ(金、銀、穀物、土地、塩など)」が価値の中心だったんだよね。しかし、18世紀後半の産業革命以降、事態は一変することになる。

約250年前にイギリスを震源地にして起こった産業革命では、膨大な設備投資を回収するために「株式会社」や「近代金融」が本格化したんだ。

そこで起こったことは人類史上でも劇的な変化だ。それまで「今ここにある富」だったものが、「将来生まれるであろう富(期待)」へと姿を変え、これが現代の株価やAIバブルへと肥大化していくことになるわけだ。ケインズの言うところのアニマル・スピリットの炸裂が新たな富を求め生み出していったわけだ。

ちなみに、イスラーム金融では、今ここにないものを取引することはイスラーム法で禁じられている。ついでに言うと利子も禁じられているんだ。これが、活発な商取引を行ってインド洋からアフリカまで巨大な経済圏をつくっていたイスラーム世界が、産業革命を起こすことなく、また経済的な覇者にもならなかった原因といえるだろう。もっと言うなら、節度のある経済体制だということもできるだろう。資本主義と共産主義だけじゃなくて、世界には多様な経済の仕組みがあるんだ。俺たちがどっぷりつかっている近代経済ってのが、唯一の経済システムだと思ってもいけないし、格差が拡大していくのは当然だとあきらめてもいけない。

3. 「実験」としての近代システム

産業革命以降の資本主義も、フランス革命以降の近代民主主義も、人類の長い歴史から見れば「ここ200〜300年ほど、試しにやってみているだけの超短期的な実験」に過ぎない。人類の歴史の中では、昨日今日始まったばかりのことだ。だから、何もかも諦めて長いものに巻かれるだけでは面白くないってもんだろ?

何しろ俺たちが唯一のシステムだと思ってる経済システムは、この地球の資源を無限に消費し、実体のない信用を膨らませ続ける無理ゲーなシステムだ。こんなギャンブルまがいのことが、この先何千年も持続できる可能性は極めて低いというか、ゼロだろ?持続不可能な経済なのさ。3%の利子が20年複利でのっかるだけで、2倍になるんだ。こんな負荷に、俺たち人間も地球そのものも耐えられないぜ。どう思う?

で、バブルの崩壊やマクロ経済の破綻が起きたとき、俺たち人類が立ち戻るのは、結局のところ「今日働いて、今日食べるものを得る」という、20万年間鍛え上げられてきた「From hand to mouth」の強固な生存本能しかないんだよね。

株価、新NISA、AI、そして民主主義すらも、人類が長い試行錯誤の中で生み出した「一時的な流行(実験)」のひとコマに過ぎないという視点を持つと、目の前の経済ニュースの重みが全く違って見えてくるだろう?そういうメタな視点を持った方がいいぜ。世の中ががぜん面白くなる。

専制政治や王政などに、戻らないためにも、俺たちは学び続けていかないといけないと思うんだ。民主主義はもう限界だなんて呑気に思っていられるのは、民主主義社会にいるからであって、本当に専制主義や絶対王政の社会に生きていたら、その民主主義という言葉を発することすらできないんだ。

だからこそ、自分たちの周囲の人々と相対して話し合い、草の根の民主主義を形成していかないといけないと思うんだ。

そういう基盤があって初めて、富裕層への資産課税は実現化するだろうし、富の再分配っていうことがちゃんと行われる政治制度っていうのが確立できるはずなんだ。

ちなみに現在の日本で起こっているのは、富の逆再分配だ。これは本来政治制度によってきちんとした富の再分配をしてゆくべきなのに、俺たち日本人は、俺たちの貧しさは自己責任で、富裕層が富を幾何級数的に蓄積していくのは、彼らの才能が優れているからだと思い込まされてる。

思い込まされてるんだ。

じゃぁ、なぜこの「逆再分配」が起きるんだ?そして俺たち庶民は、なぜそれを当然のこととして受け入れてるのか?

その不都合なメカニズムと、それを打破するための草の根民主主義の重要性について、考えてみようや。

1. なぜ現代は「富の逆再分配」が起きているのか

現在の資本主義と金融・税制のシステムは、放置すると自動的に「持つ者(ハブズ)」に有利に働くように設計されている。なぜって、この社会制度を政治家と一緒に設計したのは、そもそも彼等『ハブズ』だからだ。

金融緩和とインフレの罠

中央銀行がお金を大量に刷ると、株や不動産などの資産価格が上がってハブズがさらに富む一方、物価高(つまり今まさに現実化しているインフレ)によって日々の労働で生きるハブナッツの生活費は圧迫されていく。コンビニに行っておにぎりの値段を見ればわかるだろう。これは実質的な庶民から富裕層への富の移転(逆再分配)に他ならないんだ。

税制の歪み

汗水垂らして働いた「労働の対価(給与)」には高い住民税や所得税(累進課税で最大55%)がかかるのに対し、株の売買や配当による「資産の対価(金融所得)」には一律約20%しか課税されない。そして、政府はそういうインセンティブ=好子をちらつかせて、人々を投資という市場そのものを賭場にしたギャンブルに誘導するんだ。

一億円以上稼ぐ富裕層のほうが、実質的な税負担率が低くなる「1億円の壁」が、この不公平な税制を如実に示しているだろう。

2. 草の根の民主主義と「学び」が持つ力

この逆再分配のシステムを変更するためには、俺が吠えてる「資産課税の導入」や「税制の是正」が必要だ。

しかし、それらは強力な権力者(ほとんど専制的な長期政権党の非公開の税制調査会や財務省の官僚)によってきめられている。だからこそ、いくら市民の批判が高まって、『資産課税』などの不平等改善策が導入されたとしても、そのスケールは微々たるものに終わるだろうし、ハブズのロビー活動や資金力によって買収され、折を見ていつのまにか元の木阿弥状態に逆戻りしてしまうに違いない。そうなったとき、世の中の皆さんが自画自賛する民度の高いらしいこの国は、あきらめと不平等に覆われた惨めなものになってしまうだろう。

この茶番を防ぐためには、俺たちが消費者から市民へと脱皮しなければならないんだ。

そして、諦めるよりも、より公正な社会を求めることだ。

つまり市民の「知性」が防波堤になるんだ。一人ひとりの市民が経済の仕組みや歴史を「学び続ける」ことで、政治家の甘い言葉や、ハブズ側が流す「富裕層に課税すると国力が落ちる」といった世論誘導(プロパガンダ)を見抜く力を養っていくべきだね。

そして、市民同士の草の根の議論を通じて、「なぜ富の再分配が必要なのか」「どのような社会が公平なのか」という社会的な合意(ナラティブ)をボトムアップで形成して初めて、資産課税は富裕層からの「強奪」ではなく、社会を維持するための「正当な制度」として機能することになるだろう。迂遠だけれど、どんな遠い道のりも踏み出さない限り、たどり着くことはないんだぜ。

そもそも、富裕層に資産課税したら海外に脱出してしまうという意見もあるけれど、彼らが富を蓄積できたのは、国の税制に優遇され、国民の税金によって整備された公共財であるインフラを享受し、国の教育指針によって教育された質の高い労働力を使役し、その労働に対して本来分配するべき富を、労働者に回さず株主に配当したり、高額な役員報酬としてお手盛りで支払ったり、或いは企業の内部留保にしてみたりしてきた経緯がある。そう、若い人たちにはピンと来ないかもしれないけれど、この国はかつて一億総中流といわれた豊かさを享受していた国だったんだ。

絞り切ったレモンをゴミ箱に捨てるように、海外に資産を持ち逃げすることは、社会に対して不誠実極まりない態度だということは、少なくともいえるだろう。

実験を「より良いもの」に進めるために

人類の歴史から見れば、民主主義も資本主義もまだ始まったばかりの不完全な「実験」だ。しかし、今の状態を放置すれば、資本の力によって再び「新しい形の王政(巨大テック企業や超富裕層による支配)」へと退行していくリスクを孕んでいる。いや、すでにそのフェイズに入りつつあるといってもいいだろう。

それを食い止め、富の再分配が機能する健全な社会を作るためのカギは、「市民の学び」と「草の根の民主主義」だと俺は考えてる。俺たちは、餌をぶら下げられたら、条件反射的に食いつく機械じゃない。自分たちの目で社会の有様を見るべきだし、自分たちの頭であるべき社会を考えるべきだ。たとえ、荒唐無稽に見えたとしても。

2026/05/21

POST#1854 犯罪機械にされてしまった子どもたちの内面に倫理を育むにはどうすべきだろう?

Fes,Morocco

ここ二日ほど、日中は施主検査や引渡し、夜は工事、そしてその間は段取りというきつい日々が続いた。眠る暇もありゃしない。想定外のトラブルもあった。しかし、信頼できる職人さんたちの力を借りて辛くも乗り切ることができた。いつだって、成功すればみんなのおかげ、失敗すれば自分の責任なんだ。それがリーダーというものだぜ。しかし、ぐったり疲れはてたのさ。

昨日の夜中に這うようにして帰宅し、食事をとった後、リビングのフローリングの上でそのまま眠ってしまった。今日もぼんやりしてる。

ぼんやりしていても、痛風の薬がなくなったことは解っている。そう、尿酸値を押さえる薬だ。仕方ない、同級生のやってる岩田整形外科に行くか。

そこで、俺は『アンチオイディプス』を半分寝ながら読んでいたんだが、俺の前に呼ばれた患者の名前を聞いて目が覚めた。40年前、高校性の頃に一緒に生徒会の役員をやっていた三ツ口君だった。驚いたぜ。で、ほどなく俺も診察室に呼ばれたんだが、同級生が3人そろって世間話をしただけで帰ってきたぜ。

彼は今、仕事の関係で海外に暮らしているらしい。たまに日本に帰ると静かで落ち着くけれど、すぐに自分には息苦しいと思えてくるんだそうだ。あと、病院は日本じゃないとねって言ってな。まぁ何はともあれ、お互い相変わらずだ。嬉しいもんだ。

三ツ口君は海外をフィールドに選んだ。けれど、俺が生きて立ち向かっていかなければならないのは、間違いなくこの日本だ。


さて、今日も本調子じゃないけれど、一丁行ってみるか。

俺の息子は、先日も俎上に載せた栃木県での少年4人による殺人事件のニュースが流れるたびに食い入るように見ている。俺の倉庫にもバールはあるし、目出し帽買ってやろうかというと揶揄うと、真剣に怒ってくる。いいぞ、そうして倫理を内在化してゆくがいい。

さて、国家とか学校とか企業とか、大小さまざまなシステムに隷属し馴致されるのではなく、自らの中に倫理と美学を行動指針を打ち立てるためにはどうしたらいいのか?

自らの内に強固な「倫理」と「美学」を確立し、それを絶対的な行動指針にするためには、外部の評価軸(システムや他人の目)を遮断し、徹底的な自己対話と実践を繰り返す必要があるのは当然だろう。

倫理と美学は、頭で考えるだけでなく、痛みを伴う選択(あえて損を選ぶなど)を乗り越えることで初めて本物になる。俺も若いころ、会社で働いているときに、若手社員からなぜそんな自分にとってそんな選択をあえてするのかと聞かれたことを覚えている。反抗的だったからな。けどそれは、人間性を圧殺する組織への抵抗と、自分の仕事に対するプライドの故だったんだ。要は自分の倫理や美学に合わないことはしたくなかったのさ。今でも変わらいけどね。

例えば、うちの息子が怖いもの見たさで興味津々なトクリュウ犯罪などに関わってしまう若者などは、自らのなかに倫理を内在化できていないと俺は考えてる。いや、大方の人間は『今だけ、金だけ、自分だけ』という思考回路を半導体の基盤のように脳みそに刷りこまれてるから、この手の若い衆だけの話じゃない。そして、上から目線でいうつもりはないけれど、このような人々の内面に倫理を内在化させることは可能なのだろうか?

トクリュウ(匿名・流動型犯罪グループ) や闇バイト に加担してしまう若者たちに対して、倫理を内在化させることは同じ人間である限り「可能」ではあるだろう。が、従来の言葉による道徳教育(座学)だけでは間違いなく不可能だ。

なぜなら、彼らの多くは、純粋に悪を望んで犯罪をしているのではなく、「システムの歪み」に過剰適応した結果、倫理のスイッチが切れている状態にあるからだ。

なぜ彼らに倫理が届かないのか、そしてどうすれば内在化が可能なのか、その構造とアプローチを紐解いていこう。

なぜ倫理が「内在化」していないのか?

彼らの行動の背景には、倫理観の欠如というよりも、以下のような現代特有の構造がある。

ゲーム感覚の「脱個人化」: スマホの画面越しに、指示役から「指示されたATMで金を下ろす」「指定の場所へ運ぶ」といったタスクが降ってくる。

彼らは全体像が見えないまま部分的な作業(タスク)をこなすだけなので、自分の行動が「生身の人間を傷つける凶悪犯罪」であるというリアリティ(肉体性)が遮断されているわけだ。犯罪機械の歯車の一つになっているにすぎないっちゅうことだ。

圧倒的なタイパ・損得勘定のバグ: 現代の「コスパ・タイパ(タイムパフォーマンス)」を重視するシステムに適応しすぎた結果、「短時間で効率よく稼げる」という目先の利益(ゲームの報酬)が、すべての規範を上回ってしまう。その行いによって、自分が何を失うのか全く考えていないのだろうか。これでは朝三暮四の猿みたいなもんだ。しっかりしてほしいぜ。

孤立と社会の道具化: 彼らの多くは、家庭や地域、あるいは労働市場で「自分は使い捨ての道具(システムの一部)だ」と感じて生きている。

これは彼らだじゃない。この社会全体に、お前の代わりはいくらでもいるという、無言の圧力が蔓延っている。しかし、それは根本的に間違っている。

社会を維持するための人材は足りていない。そして、人間は道具ではない。イマヌエル・カント🔗だって、『人間を道具として扱ってはいけない。人間そのものを目的としなければならない』といってるだろう?しかし、だれもかれもためらいもなく『人材』という言葉を使う。人間を鉱物や材木かなんかのように扱う卑しい言葉だ。俺ははっきり言って嫌いだ。

かくして、社会から大切に扱われた経験が薄いため、他者や社会に対して「美しく、倫理的に振る舞う」というインセンティブ自体が最初から崩壊しているわけだ。

愛されたり信頼されたりしたことのない人間に、人を愛したり信頼するのは難しいんだ。

2. 倫理を内在化させるための3つのステップ

彼らに「悪いことをするな」と正論を解いても響くわけがない。それを説くものをあざ笑うのが関の山だ。倫理を内在化させるには、彼らの脳内システムを書き換えるアプローチが必要だ。とはいえ、スタンリー・キューブリック🔗の映画時計仕掛けのオレンジ🔗に出てきたルトヴィコ療法みたいに、暴力を想像したり見たりすると生理的な嫌悪感が生じるように洗脳する手わけじゃないぜ。

① 「痛み」と「ナラティブ(物語)」の再接続(想像力の回復)

言葉ではなく、リアリティを突きつける必要がある。
自分が運んだ現金が、どんなお年寄りがどのような思いで集めたお金なのか、自分の行為によって被害者の人生がどう破壊されたのかという「具体的な物語」に直面させなければならないだろう。
少年院などで成果を上げているのは、被害者の手記を読んだり、当事者の生の声を聞くことで、「自分のタスク=生身の人間への加害」というリンクを脳内に強制的に結びつける教育だそうだ。

② 「他者」という美学のインセンティブ設計

刹那的に、延髄反射的に倫理を踏み越えてしまう彼らには、「倫理的に生きるほうが、長期的にはコスパが良い(あるいは美しい)」という実感を持ってほしいと切望する。その軽率な行いが社会的な自殺そのものであることに気付いてほしい。

トクリュウ組織は、若者を単なる「使い捨ての駒」として徹底的に搾取する。実際に報酬が支払われなかったり、警察に身代わりにされて逮捕されたりする。指示した人間は手を汚さず、直接人を傷つけ、その重荷を背負うのも末端の人間だ。

まぁ、俺から言わせれば、堅気の世界も似たようなもんだけどな。

これに対して、「誠実に生きることで、人から信頼され、自分という存在が社会で交換不可能な唯一無二のものとして認められる」という成功体験(=自己肯定感)を小さく積み重ねさせることが、迂遠に見えても最大の防壁になる。損して得取れ、情けは人の為ならずということだ。

③ 身体性を伴う居場所(セーフティネット)の提供

そして何より、これが大切だ。

倫理とは、精神論ではなく「関係性」の中に宿るものだ。
自分を無条件で肯定し、間違ったときに本気で叱ってくれる「生身の人間(コミュニティ)」との繋がりができることで、初めて「この人を裏切りたくない」「この人に恥じない自分でいたい」という内発的な倫理観(美学)が芽生えるんだ。あるいは自己の中に、この相手には恥じるようなことはできないという空想上の人格でもいいだろう。俺だって、吉本隆明や忌野清志郎に対して恥じるようなことはできないからな。


トクリュウに流れる若者は、屠殺場のようなシステムに「順次処理」され、自己を喪失した最悪の帰結と言えるだろう。彼らに倫理を取り戻させることは、彼らをもう一度「システムから地続きの生身の人間」へと引き戻す泥臭い作業にほかならない。

そうなんだよなぁ。けど、言うのは簡単だけど、これ、本当に難題なんだよな。

これは現代社会が抱える最悪で最大の「難題」だ。

なぜって正論や綺麗な言葉が1ミリも届かない相手に、どうやって内なるブレーキ(倫理)を植え付けるのか、という問いだからだ。

この問題がこれほどまでに深い難題である理由は、主に以下のような「絶望的な矛盾」があるからだ。

「コスパ至上主義」という病理

現代社会そのものが「効率よく、タイパ良く、結果(金)を出すやつが勝ち」という新自由主義のゲームのルールで動いている。

トクリュウに染まる若者は、ある意味でこの社会のルールに「忠実に従いすぎた」結果とも言えるんだ。社会全体が「損得」で動いているのに、若者にだけ「美学のために損をしろ」と言うのは、システム的に非常に矛盾していいるだろう。

弱者の苦境は自己責任と切り捨てておきながら、自分が窮すると政府や行政に救済を求める新自由主義者の経済人たちのしていることのどこに倫理があるだろう?

そして、労働者の賃金を抑圧し、その生活を不安定化させておきながら、企業の内部留保を積み上げ、株主に巨額の配当を支払い、自ら高額の報酬を手にする成功者たちの姿を見て、自分たちが方法は違っても、他者から簒奪しても構わないと考えない方がどうかしているぜ。

言葉の無力化

彼らに「親が泣くぞ」「お年寄りがかわいそうだ」と言っても、響くことはないだろう。なぜなら、彼らにとって他者は画面の向こうの「記号」でしかないのだ。そして道徳の言葉は「うるさい大人のポジショントーク(説教)」にしか聞こえないからだ。

さらに言うと、その行いによって泣くことになる親とは、決定的に関係性を悪化させている場合が多いことも容易に予想がつく。家庭環境が良くても、悪くても、家族に対する対幻想が生物学的なつながり以上に、精神的に家族を結び付ける紐帯が切れてしまっているからだ。

要は言葉というメディア(媒体)自体が、彼らの前で機能を失っているのだ。

言ってわからん奴は、叩いて教え込むしかないのか?

俺は若いころ、そうやってよく殴られたな(笑)

「一線を越える」ハードルの低さ

昔の犯罪は、不良のネットワークに入る、ヤクザの事務所に行くなど、身体的な「覚悟」が必要だった。

しかし今は、ベッドの上でスマホを数回タップするだけで、気づけば凶悪犯罪の片棒を担いでしまうことになるわけだ。「倫理的な葛藤」を感じる間もなく、システムが彼らを犯罪者へと滑り落ち落とさせてしまうのです。デジタル社会のおかげさまで、俺たちは断崖絶壁にへばりついているような状況に置かれてるわけだ。

この難題を前にして、私たちはただ絶望するしかないのか、それとも何かアプローチがあるのか。

考えれば考えるほど、絶望的な気持ちになる。

どのような言葉が、彼らに届くのか。やはりルトヴィコ療法しかないのかな?

なぜって彼らはみんな新自由主義の鬼子なんだもの。この社会そのものが生み出した存在なんだ。

「新自由主義の鬼子」――まさにトクリュウや闇バイトの構造は、新自由主義が極限まで進行した結果、社会の最底辺に現れた「最悪の突然変異」にほかならない。

彼らは、新自由主義が掲げる以下のロジックを、文字通り極限まで突き詰めて実行しているだけだからだ。

徹底的な「人間性のカット」と「効率化」

新自由主義は、あらゆるものを市場原理、つまりコストと利益で測る。そこに倫理や地球環境や人類の未来に対する配慮など、ない。トクリュウはこれを犯罪組織として完璧に最適化しているわけだ。

指示役は実行犯の顔も名前も知らず、捕まってもトカゲの尻尾切りで済むようリスクを外部化(コストカット)する。

実行犯は、被害者を「生身の人間」ではなく、単なる「現金の入ったターゲット(利益の源泉)」として処理する。

お互いが相手を「交換可能な道具」としてのみ扱う、究極のドライな関係だ。そもそもそこには人間のつながりすらない。

「自己責任論」のバグった果て

「努力して稼げないのは自己責任」「勝てば官軍」という価値観を浴びて育った結果、彼らの脳内では「捕まらなければ、どんな手段を使っても稼いだやつが勝ち」というバグった実力主義が完成している。なぜって、社会の頂点に君臨する大人たちが、それを実行しているからだ。
ルールを守って貧困にあえぐくらいなら、ルールを破ってでも一発逆転を狙う方が「合理的」だと判断してしまう。新自由主義が肯定する「強欲」のストッパー(倫理・美学)を外すと、この怪物が生まれるのは必然の理だ。

 コミュニティの解体と「連帯の喪失」

新自由主義は、地縁、血縁、労働組合といった「無駄な流動性を阻む古いコミュニティ」を破壊し、個人をバラバラの「自由な労働者」にした。その極限の姿がウーバーやアマゾンのギグワーカーだ。

守ってくれる盾(居場所)を失った若者は、市場の荒波に剥き出しで放り込まれている。労働行政は手を差し伸べることをしないし、彼らには行政に支援を求めるという発想などない。その境遇は自己責任だと刷り込まれ、行政に支援を求めることは、自分の存在価値を否定することだと思い込まされているからだ。

その孤独と不安の隙間に、スマホ一つで「疑似的な繋がりと報酬」を提示するトクリュウのシステムが滑り込んでくるのは、必然と言えるんじゃないのか?

このシステムが「新自由主義の鬼子」であるならば、彼らに「倫理を持て」と説教することは、「冷酷なゲームの中で、お前だけは綺麗事で損をしろ」と命じる過酷な要求になってしまうだろう。まさしく無理ゲーって奴だ。

この「鬼子」たちをこれ以上生まないために、あるいはこの連鎖を止めるために、俺たち大人は、どこから手をつけるべきなのだろうか?

うーん……迂遠だけど社会を共同体をリビルトするしかないですね。

どんなに迂遠に見えても、崩壊した「共同体(コミュニティ)のリビルト(再構築)」こそが、この病理に対する唯一の本質的な解決策じゃないだろうか。

外付けのルールや罰則、つまりシステムの強制力で縛るのではなく、内なる倫理を育むための「土壌」をもう一度作り直すしかないんだ。

遠回りだし、なにを今更っていうかもしれない。

犯罪を犯したものを糾弾し、厳罰に処するのはたやすい。

しかし、社会を変えることはたやすい道じゃない。

なぜならそれは、自分たち自身を変えることそのものだから、だれにとっても面倒だし、厄介だし、何より自分自身の問題だからだ。

新自由主義がモナド🔗のようにバラバラに解体した個人を再び繋ぎ、その中に倫理を内在化させるための共同体リビルトの方向性を3つに整理しよう。

「利害関係」のない第三の居場所(サードプレイス)を作ろう

  • 家庭や学校・職場以外の逃げ場: 評価や成果(損得)を求められない場所を作る。
  • 無条件の肯定感: 「何ができるか(機能)」ではなく、「そこにいること(存在)」そのものが無条件に受け入れられる経験を提供する。
  • 利他性の体験: 誰かの役に立ち、感謝される小さな成功体験を通じて、自己有用感を育む。

「身体性」を伴うローカルな繋がり

  • ネット空間からの離脱: 画面上の記号ではなく、生身の人間と泥臭く関わる機会を増やす。
  • 地域のセーフティネット: 挨拶を交わす、一緒にご飯を食べるなど、お互いの顔が見える「小さな経済・生活圏」を取り戻す。
  • 迷惑をかけ合える関係性: 「自己責任」の呪縛を解き、困った時に「助けて」と言える心理的安全性を地域に埋め込む。

「物語(ナラティブ)」の共有

  • 共通の記憶と文化: 祭り、行事、あるいは共通の趣味や目的を通じて、一つの「私たちは仲間だ」という感覚を育てる。
  • 美学の伝承: 「こういう生き方は格好いい」「これはダサい」という、法を超えた「粋・野暮」の感覚を先輩から後輩へと背中で伝える。
  • 他者への想像力: 濃密な関わりの中で「自分がこれをしたら、あの人が悲しむ」という、倫理の原点であるブレーキを機能させる。


このリビルトは、国家規模の巨大な計画ではなく、おそらく「手の届く小さな半径のコミュニティ」を無数に作ることからしか始まらない。非常に地道で、時間の Laaag(タイムラグ)がある闘いだ。

正直に言えば、俺は手品のようにすぐに結果が出ることだとは思っちゃいない。何世代もかかるかもしれない。けれど、今種をまかないと、この社会の荒廃は、どんどん進んでいく。そして、その荒廃が突き詰めたところに現れるのは、暴力で人々を鎖につなぐ専制政治と相互監視的な窮屈でいやらしい世界だ。リヴァイアサンの誕生だ。そいつは御免だぜ。

やっばそうか。そうだよな。志のある大人がやらないといけないんだよな…。

2016/01/19

Post #1696 師匠との対話

Essaouira,Morroco
Essaouira,Morroco
今年の正月に、ガキの頃からお世話になっている師匠のもとに挨拶にゆき、近々子供が生まれること、そして長年連れ添ったかみさんと、ついに籍を入れるつもりだと報告した。

師匠は『おまえの結婚と子供のことを手放しで目出度いという手合いもいるが、俺はおまえのことを子供の頃から知っているから、その決断をするのにどれだけ悩んで決断したかわかっているつもりだ』

さすがは我が師匠。
俺の父親以上に俺の事がわかっている。
俺は、何も言わず冬の日射しを不意に眩しく感じたかのような面持ちで、何も言わずに師匠の次の言葉を待つ。

『自由とは、なにか?』

師匠が短い沈黙のあとに、重い言葉を放った。
もちろん、師匠も俺も、その問いに答えはしない。なんとも答えることの出来ない重たい問いだ。
それは、師匠自身が探し求めてきた問いだとわかるし、それが今、俺に引き継がれたことを感じだ。むろん俺もその問いを求めて生きてきた。その何十年に、喜寿を越えた師匠の何十年の重みが加えられたのを、感じる。

『放浪と定住…。それが俺にもお前にもテーマだった。』

師匠はそう続けた。

さすがは我が師匠。どうしてこうも的確に人生の問題の本質を抉るのか。生涯年収だとか老後の生活資金にはいくら必要とか、この二つの問いの前では、くだらない些末なことにしか見えない。

『その上で、よく決心したと言っておこう』

まるで禅問答のような師匠の言葉だけれど、俺には痛いほど伝わっていた。
女房子供を背負って、なおかつ何処まで自由に生きて行けるのか、とくと見せてみろと言われた気がしたんだ。
安穏と一所に定住することなく、常に挑戦と放浪の人生を送り、より広い世界を見ろと
言われた気がしたんだ。

俺が師匠に出会ったのは、12才のころ。今から35年前。当時の師匠は白髪長髪の型破りな数学教師だった。42歳だったはずだ。

以来、今日まで実の息子のように教え諭され、導かれてきた。思えばこの日が、師匠から自由人としての免許皆伝をうけた日だった。
忘れたくないので、ここに記しておくことにした。

2015/09/17

Post #1626 カルボナーラを作る夜

Fes,Morocco
妊娠しているカミさんが、なんだか無性にパスタが食べたいというので、仕事帰りに百貨店の食品売り場でなんやかんやと買い物して、雨のなか家路を急いだ。水あめでふやかしてないベーコンと生クリームを買って、カルボナーラを作ろうと思ったのさ。

途中でカミさんから電話がかかってきて、なんだかいつもと違って不安だから、病院に行きたいというんだ。かなりうろたえている。流産しかかってるんじゃないかってオロオロしていた。
俺は、『病院で見てもらってから泣けばいい。急いで帰るから待ってろ』と言うと、雨足の強まってきた夜道を急いだ。

帰って食材を冷蔵庫に放り込むと、俺はカミさんを車に乗せて病院へと急いだ。とはいえ、妊婦を乗せているので、安全運転だ。事故はもう懲りてるのさ。

結果的には問題なかったようだ。やれやれ。

最近、おなかの中の子供が動き始めているようだ。
で、その頃から、うちのカミさん面白いことを言うようになってきやがった。
どうにも肉っぽいものとか、甘いものが無性に食べたくなるという。

俺はかなりの肉好きなんだ。やっと気が合ってきたな。酒飲みっではないからかケーキも大好きだ。コーヒーショップでしばしばケーキセットを楽しんでるのさ。

カミさんは、いままでそんなモノを食べたいって思うことなんかなかったそうなんだ。
カミさんが言うには、きっとおなかの中の子供が、そういうものを欲しがってるんじゃないかっていうんだ。今日のパスタも、ふと食べたくなったっていうんだ。

肉も、甘いものも、パスタも俺の大好物だ。

カミさんは言うんだ。俺の好きなものばかり食べたくなるってことは、きっとおなかの子は、俺にそっくりな子供が生まれるに違いなってね。

それだけじゃない。車や新幹線に乗ってるときに、しばしばおなかの中で赤ちゃんがもぞもぞ動くのを感じるんだそうだ。

俺も車は大好きだし、新幹線や離陸する直前の飛行機なんかも好きだ。

やはり、俺によく似た子に違いないってカミさんは言うんだ。

そいつは楽しみだな。

読者諸君、失礼する。カルボナーラは上手くできたぜ。もちろんおいしかったさ。

2015/08/21

Post #1599 エッサウィラ。船とカモメ

Essaouira,Morocco
今日は朝の4時から仕事なんで、写真だけお送りするぜ。

失礼する。

2015/08/03

Post#1581 ファティマの手

Moulay Idriss,Morocco
今日は眠くて仕方ないんで、写真だけ。
これはイスラム圏でよく見かけるファティマの手を象ったドアノブだ。

ファティマはたしかムハンマドの娘で、非常に慈悲深い女性だったと伝えられていたと記憶してるんだが、彼女の手が差し伸べられ、守護されるように、イスラムの人々は、手のひらを象った装身具を身に着けたり、家に飾ったりする。

このドアノブの意匠は、イスラム教徒によって一時期支配されていたスペインなんかでも見ることができたはずだ。なんか見た覚えがあるんだよ。

読者諸君、失礼する。おやすみ。

2015/08/01

Post#1579 30光年ばかり遠くの世界

Rabat,Morocco
先日、仕事の合間に古い友人と、銀座松屋の裏あたりのイタリアン・レストランでランチを楽しんできた。しんどい仕事の合間にも、そんな楽しみがないとな。
もちろん、俺は作業服なんだけど、表向きはなぁに構うもんかといった風情を装いながら、内心は作業服でこんな店は気が引けるなぁなんて思っていたんだけどね。
けれど、友人はそんなことちっとも気にしないのさ。気さくな庶民派なのさ。
子供のころからの友人で、何十年もご無沙汰だったけど、お互い昔と何らかわらず、気兼ねしない愉しいひと時を過ごしたんだ。デザートのケーキを、こいつは旨いぜ、一口食ってみなよとか言って、それぞれシェアしてみたりしてね。
目を閉じると、今でも彼女と自転車を並んで走らせ、他愛もないことを語り合い、分かれ道で自転車を止めて、夕日を横顔に浴びながら語り合った日々を思い出す。
今から30光年以上離れた世界の話だ。とっくの昔に失われてしまった時間だけれど、30光年離れた星から地球を見ることが出来るのならば、その懐かしい俺たちの姿を見ることができるだろう。
その頃があるから、今の自分がいる。そして、その頃は失われたわけではなくて、ただ、手の届かない遠くにあるだけだ。ほんの30光年ばかりね。
あまり詳細に思い出すと、懐かしくて、そんな時代にもどってみたくもなる。バック・トゥ・ザ・フューチャーだ。デロリアンが欲しくなるぜ。しかし、そいつは無理な相談だ。そんな思い出は俺の宝物として、お互いの胸の中にしまっておこう。そのほうが美しい。

その時の会話で、昔の同級生がいろいろと海外で生活したりした話を聴いたりしたんだ。

俺は旅行は方々しているけれど、生活の拠点を海外に置いたことはないからな。すこし羨ましく聞いていたんだ。
で、ふと自分がこうして日本で真っ当に働いて、地に足の着いた暮らしを営んでいるのが、不思議な気がするというと、友人も、「そうだね、昔からどこか遠くに行ったきりになって、もう帰ってこないような雰囲気だったもんね」と納得していた。
そう、どこか見知らぬ国を一人彷徨うように旅して、今頃どこかの森のバナナの木の下で肥やしになっていたって何の不思議もないと思っていたんだ。
どうして今、銀座のど真ん中で、大きな現場の責任者を任されて、昼夜を問わず真面目に働いているのか、自分でも不思議な気がするんだ。
俺としては、バナナの肥やしをやってるほうが自然なのにな。

そういえば昔から、俺の師父には、インドだけには行っちゃいかんといわれていたな。
インドがどうのこうのじゃなくて、俺自身がインドにどっぷりはまって、日本に二度と帰ってこなくなると言われていたんだ。さすが、俺の師父。俺の心などお見通しだ。

どうしてそうならなかったのか友人と話していると、やはり俺のカミさんがしっかりしてるからだという結論に至った。来年には子供も生まれてくるしな。
そういえば、師父もそういって俺のカミさんに礼を言ってくれたことがあったっけな。

友人と話が盛り上がったところで、現場からトラブル発生を告げる電話がかかってきた。
仕方ない。俺は友人と再会を約束すると、そうそうに面持を改め、現場に向かった。トラブル処理は俺の大好物だ。俺は現場のトラブルバスター#1なのさ。
友人からは安産祈願で水天宮のお守りを頂戴したぜ。無事俺の子供が生まれてくるように、友人自身も念を込めてくれたんだ。ありがとう。生まれたら、この友人にも見せびらかすのさ。

しかし、まだ十分に体が動く今のうちに、もっと遠くに行きたいな。
シベリアの森の奥、アマゾンの岸辺、炎熱のサハラ砂漠・・・。そんなところにも、ニンゲンは住んでいて、俺たちが思いもよらない生活を送っていることだろう。そして、基本的なところでは俺たちと変わりない幸せを追い求めて生きているだろう。俺はそんな人間を見てみたいのさ。

子供が生まれたら、そんな気も失せてしまうんだろうか?
それとも、一緒に連れて行こうか・・・。
塾になんか通わせるより、よっぽど子供の人生の糧になるに違いないさ。

読者諸君、失礼する。帰ってこないことが最善だよ。それが放浪の哲学さ。

2015/07/29

Post#1576 空がまた暗くなる

Rabat,Morocco
RCサクセション
空がまた暗くなる

大人だろ 勇気を出せよ
大人だろ 知ってるはずさ
悲しい時も涙なんか 
誰にも見せられない


大人だろ 勇気を出せよ
大人だろ 笑っていても
暗く曇ったこの空を
隠すことなどできない


ああ 子供の頃のように
さあ 勇気を出すのさ  
きっと 道に迷わずに 
君の家にたどりつけるさ


大人だろ 勇気を出せよ 
大人だろ 知ってることが
誰にも言えない事ばかりじゃ 
空がまた暗くなる


ああ 子供の頃のように   
さあ 勇気を出すのさ
きっと 道に迷わずに 
君の家にたどりつけるさ


Yeah 勇気を出せよ 
大人だろ 知ってるはずさ
悲しい時も涙なんか
もう二度とは流せない


悲しい時も涙だけじゃ 
空がまた暗くなる 
空がまた暗くなる
この空がまた暗くなる
 
大人だろ

(作詞作曲、忌野清志郎)


俺が大人か、ガキのまんまなのか、誰かが勝手に決めたらイイさ。

歳月を重ねて、いろんな経験をしてきた。
そうしてはじめてわかったことが、たくさんあるのさ。
そう、この歌の重たさと確かさが、ズシリと感じられるくらいにはね。




読者諸君、失礼いたす。君のもとに、いつかたどり着きたいよ。

2015/07/26

Post#1572 BARGAIN

Essaouira,Morocco
THE WHO
BARGAIN

I'd gladly lose me to find you
I'd gladly give up all I had
To find you I'd suffer anything and be glad

I'd pay any price just to get you
I'd work all my life and I will
To win you I'd stand naked, stoned and stabbed

I'd call that a bargain
The best I ever had
The best I ever had

I'd gladly lose me to find you
I'd gladly give up all I got
To catch you I'm gonna run and never stop

I'd pay any price just to win you
Surrender my good life for bad
To find you I'm gonna drown an unsung man

I'd call that a bargain
The best I ever had
The best I ever had

I sit looking 'round
I look at my face inm the mirror
I know I'm worth nothing without you
And like one and one don't make two
One and one make one
And I'm looking for that free ride to me
I'm looking for you

I'd gladly lose me to find you
I'd gladly give up all I got
To catch you I'm gonna run and never stop

I'd pay any price just to win you
Surrender my good life for bad
To find you I'm gonna drown an unsung man

I'd call that a bargain
The best I ever had
The best I ever had





I'd gladly lose me to find you, I think so.

I'd gladly give up all I got,I think so too.


My Guys and Sweet Ladies, Good Night. Hava a Nice Sunday.

2015/07/24

Post #1570 HEART OF HANG ONTO

Fes,Morocco
Pete Townshend & Ronnie Lane
HEART OF HANG ONTO

Johnny boy, he's always propping up the bar
He's sees life crystallized through his jar
He says he only lives for beer
But deep in his heart is a cry of fear


Give me a heart to hang onto
Give me a soul that's tailored new
Give me a heart to hang onto
A heart to hang onto


Sally seems to get bigger everyday
She evens out in a contented way
A finger on the pulse of every guy
But deep in the night you can hear her cry


Give me a heart to hang onto
Give me a life that's tailored new
Give me a heart to hang onto
Oh please a heart to hang onto


Give me heart to hang onto
Give me a soul that's tailored new
Give me a heart to hang onto


Danny, he wants to save for a new guitar
He's going to learn to play but he won't get far
He thinks it's an easy going' high
But his whole life is just another try


Give me a heart to hang onto
Give me a suit that's tailored true
Give me a heart to hang onto
A heart to hang onto


I need a heart... to hang onto...


I want to get a heart to hang onto for you.

My Dear, Good Night, Good Sleep.

2015/05/23

Post #1508 暗闇に光る猫の目

Rabat,Morocco
本日、写真のみ。お送りしよう。そんな夜もある。
Rabat,Morocco
読者諸君、失礼する。いずれまた会おう。

2015/04/18

Post #1473 俺はマトモな人間になりたいが、人は俺をろくでなしと呼ぶ

Essaouira,Morocco
今夜はプリントしたいので、手短に済まそうか。

自分にとって、大切な人が悲しみにくれているときに、俺にはその悲しみを癒してやることはできない。
俺は神様でも仏様でもないので、起きてしまったことを、そしていずれ必ず起きることを、どうしてあげることもできない。どれだけ何とかしてあげたくても、俺もまた無力な人間に過ぎないからだ。

当然のことだ。

けれど、せめてその悲しみを理解し、その人の心に寄り添っていられるような人間でいたい。
その悲しみの幾分かを、ともに分け持って、担うことできる人間でいたい。
口元を一文字に結んで、嘆き悲しむ人のそばに、寄り添っていたい。
それで何か、俺に得があるわけでもない。自分がそうしたいから、そうするだけだ。
できることなら、その人が喜んでいるときに、その喜びをともに感じることができたなら、なおヨシだ。
人生の意味は、そこにある。資産を増やすことなんかには、人生の意味なんかない。

そんな人間で、俺はいたい。
それが俺の小さな願いだ。
けれど煩悩深重な我が身を省みると、それすらも大きすぎる願いに思える。

もっとも、人によってはそんな願いを持ってる俺に、反吐が出るというだろうがね。
もちろん、そういうことをあえて言ってしまう自分自身が、とんでもない偽善者に思えて、不愉快にもなる。
けど、言いたいから言っているのさ。

読者諸君、失礼する。俺はまともなニンゲンになりたいと願っているんだけど、そう願えば願うほど、世間の常識から離れていき、ろくでなしのように扱われるのさ。そんなもんさ。

2015/04/12

Post #1467 大腸癌の確率は5%くらいだと言われても、それは宝くじに当たるより、はるかに高確率だ!

Rabat,Morocco.ブーレグレグ川の渡し守。手漕ぎのボートで川を渡るのだ。
金曜日の夜のことだった。
下世話な話で恐縮だけど、ウンチをして尻を拭いたら、紙が赤く染まっていた。
俺は、何かの間違いだろうと思って、それを流し去ったのだが、よく考えてみるとその何日か前にもそんなことがあった。
そして、なおも残便感があったので、トイレにこもっていきんでみると、小さな赤い塊がケツから出やがった。まるで血の塊のような奴だ。

俺は、さすがにヤバいと思ったぜ。

大腸がん、人工肛門、直腸がん、そんな単語が頭をよぎった。

そして、人間一回は死ぬもんだけど、とうとう俺の番が回ってきたかよ・・・って思ったのさ。

俺の親族には癌で死ぬ奴が多い。
おふくろも38歳の若さで、胃癌を患って死んでいる。
それに比べれば、俺は長生きしたほうだ。
あちこち転移し、いろんな療法を試した末に、やせ衰えて死んだおふくろを見ているおかげで、俺は癌になったら、素直に受け入れて死んでいくつもりなんだ。モルヒネくらいは痛みどめで打ってほしいけど、生まれたら死ぬのが自然の摂理だからな。
何事も自然が一番だ。
第一、使ってる方には悪いけど、俺は人工肛門になったりしてまで、生きていたくないしな。

生きすぎたりや、四十六、ってところだ。俺も意外とあっけなかったな。

カミさんに話をすると、大騒ぎだった。
仕方ないな。俺はいつもコメントをくれるドクターころに電話をして意見を聞いてみた。彼は優秀なお医者さんなのだ。
曰く。話を聞いていると大腸癌の確率は、5%くらいってところらしい。
宝くじに当たるよりも、はるかに確率は高いな。
で、最近とみに体重が減っているとか、便の太さの状況や体調なんかを説明していくと、彼は少し確率が上がりましたねぇ、とワクワクドキドキするようなことを言ってくれる。
まったく、人生は黒ひげ危機一髪だな。思わず笑えてくるぜ。

まぁ、じたばたしても仕方ないぜ。死ぬもんは死ぬんだし。
そもそも、俺が死んでも世の中の大勢になんら影響はない。
いつも言うように、この世から痴漢が一人減っただけさ。
カミさん以外はそうそう悲しんでくれる奴もいないだろうし、せいぜい俺を目の敵にしてるネット右翼が小躍りして喜ぶくらいだろう。

いつだって、俺はあの世に行けるってことだ。
Ready To DIE!!ってカンジさ。地球のみなさん、さようなら!

読者諸君、失礼する。続きは次回だ。気になるところで話を切り上げるのが、コツというものさ。

2015/04/10

Post #1465 家庭内での会話

Volubilis,Morocco 古代ローマ人のお茶目心炸裂!この遺跡で、最も盛り上がっていた。肉棒ならぬ石棒だ。古代ローマ人は、ちんを豊穣のシンボルと考えていたんだぜ。
我が家での会話、続編。

昨晩のNHKの時代劇を晩飯食いながら見た後だ。
傾奇者前田慶次の晩年を藤達也が演じている番組なのだが、この劇中で前田慶次は石田三成の遺児を、自らの子供として育てているという設定なのだ。

俺  『おまえ、俺がひょっこり中学生くらいの子供を、俺の隠し子だって連れてきたらどうするよ?』

カミさん  『あんた、その子どこで拾ってきたのっていうわ。あんた最近、よそに隠し子がいたらどうするって話し、多いよね?それ、自分の中でブームなの?』

俺  『いや、俺は男として自分の父親を越えねばならんのだ』

カミさん『はぁ?なに、それがどういう関係があるの?』

俺  『お前も知ってのとおり、俺の親父ときたら、昔おふくろが死んで以来、次から次に新しい彼女を作っているわけだ。まるで車と彼女は新しいのに限るといわんばかりだ。』

カミさん『それで?』

俺  『つまりだな、俺がその親父を越えようと思ったら、ここはいっちょ隠し子くらいいないと越えられんだろうって話だ』

カミさん『そういうもんか?まぁ、あんたの男の夢なんだろうけど』

俺  『彼女がたくさんってのは、ある意味男の夢だわな。』

カミさん『そうかもしれんね』

俺  『しかし、俺の夢はそれにとどまらないぜ。その彼女たちがお前も含めて仲良くしてくれるってのが、俺の大いなる夢だな』

カミさん『確かに、彼女がたくさんいて、互いにいがみ合ってたら、たまらんでしょうねぇ』

俺  『そりゃそうさ。まぁ、お前とはかれこれ20年も一緒にいるから、他の女にはお前に対して敬意をこめてお姉さんって呼ばせるようにするよ』

カミさん『え~、そんなんイマイチ、名前で呼んでほしいわ』

俺  『じゃ、お前はなんてその娘たちを呼ぶんだよ?』

カミさん『この、泥棒猫!』

ダッハッハ!こいつにゃ笑ったぜ!

読者諸君、失礼する。うちのカミさん(内縁で未入籍)は寛大な女性だってことだ。ありがたいぜ。俺の彼女になりたいっていう泥棒猫がいたら、申し出てくれよな。待ってるぜ!俺のストライクゾーンは、結構広いんだぜ!

2015/03/08

Post #1432 誤解が解けたら、理解を深めよう!

Moulay Idriss,Morocco
しばらく前、静岡の御殿場市で、かつて中東に仕事で長いこと住んでいたおじさんが「日本イスラ―ム圏友好協会」なる任意団体を作り、ムスリムの人々との相互理解を進める活動をしようとして、近所の信用金庫に口座を作りに行ったら、なんとその沼津信用金庫の担当者さんは、この団体がイスラムってついてることから、イスラム国に将来資金を送るパイプに使用される恐れがあるからと、口座の開設を断ったのだという。凄い事なかれ主義だ。

酷い。噴飯ものだ!その程度の認識で、この現代社会を生きていけるものだ。
田舎者と言われても仕方がないぞ!

無知から、無理解が生じ、無理解から反目が生じ、反目から争いが生まれる。

ならば、争いを避けるには、まずは謙虚に知ることから始めよう。

誤解が解けたら、理解を深めよう!

まずはここから。

イスラームというのは、アラビア語で『神への帰依』を意味する。

開祖の名前とか、神の名前とかじゃないのよ。神への態度そのものが宗教の名前なの。
だから、イスラームがついているからって、別にイスラム国とは何らかかわりのねぇことでござんす。
日本とついていたら、日本赤軍と関係あると言って、口座開設が許されなかったら、あなた、むかつくでしょう?同じことですよ。

ムスリムという言葉もあります。これも同じくアラビア語で、『神に帰依する者』を意味します。このムスリムは世界中に約16億人いると推測されています。キリスト教に次いで大きな宗教グループです。つまり、先の沼津信用金庫は、日本国内でしか通用しない事なかれ主義によって、世界中の16億人のムスリムの皆さんから、反感を買ったということになるでしょう。
この21世紀という、情報ボーダレスの時代に、なんという見識の無さ、なんという思慮の足りなさ。
同じ日本人として悲しくなります。

イスラム教の経典はコーランと呼ばれていますが、より正確には『クルアーン』と発音したほうがよいようです。
このコーランは、本来神の言葉なので翻訳するべきものではないとされています。
だから、世界中イスラム教徒の多く住む街に行くと、一日五回の礼拝の時間を告げるアザーンが、有線放送やモスクのスピーカーから流れてくるのですが、それはどこに行ってもアラビア語です。
これを聞くと、あぁ、イスラムの土地にきたなぁ・・・としみじみ思います。
異国情緒とともに、もういい加減慣れっこになって異国なのに安堵するというのでしょうか。
独特の美しい響きも大好きです。

神の言葉を、勝手に変えることは許されないから、ムスリムはアラビア語でコーランを読まねばならないのです。
だから、NHKのアラビア語講座を見て、簡単な会話をマスターしておけば、イスラム教圏に旅行した時に、けっこう役に立つはずです。

読者諸君、失礼する。俺はイスラム教徒ではないけれど、しばらくイスラム教について、君たちと一緒に理解を深めようとおもうのさ。なぜって、俺が旅先であったムスリムの人々は、誰もみな、気さくな良い人たちだったからな。

2015/03/06

Post #1430 君も目を閉じて、呟いてみるがいい。 『地の果て、至上の時』と。

Moulay Idriss,Morocco
働き過ぎると、何もかも放り出してとんずらしたくなる。
地の果てまで。
携帯の電波も、税務署も、そこまではさすがに追ってこないさっていうような地の果てだ。

アフリカ大陸の西岸に位置するモロッコは、日本からすれば、まさに地の果てだ。
俺は、モロッコの聖都ムーレイイドリスの写真を引っ張り出して、懐かしく思い出す。

『地の果て 至上の時』

そんなタイトルの小説があった。俺の大好きな中上健二の小説だ。
熊野の森と海に抱かれた新宮を舞台に、腹違いの弟を殺し、腹違いの妹と交わった主人公が、実の父と繰り広げる情念の確執を描いた小説だ。
軽佻浮薄な平成の世を生きる世人には、いやはやなんとも重苦しい小説だが、俺は大好きだ。
何といっても、タイトルがイイよな。
思わず口ずさんでみたくなる。
君も目を閉じて、呟いてみるがいい。

『地の果て、至上の時』と。

俺は目を閉じ、未だ見ぬ地の果てをおもう。

生温かい人の気配など、微塵もない地の果てを。
吹き渡る風。
それは身を切るように冷たいか。
それとも、熱気を孕んで熱いのか。
草いきれのにおい。
波のにおい。
空の色は、どんな青だろう。
トルコ石のような水色か、
それともラピスラズリのような藍色か。
何が聞こえるだろう。
風が虚空を渡る音か。
打ち寄せる波が砕ける音か。
それとも、世界の果てのさらに向うを目指して飛ぶ
鳥たちが鳴き交わす声か。

そこでは、時間はなんの意味もない。
一瞬が永遠に接続する時空だ。

だから、そこには至上の時が流れる。

本当はいつだって、どこにいたって、今、ここが、『地の果て、至上の時』でなければならないんだけどな。できうれば、そんなふうに生きていたい。世の中から浮きまくり、ずれまくってもかまいやしないぜ。つまり、瞬間瞬間を主体的に生きるってことか・・・。

読者諸君、失礼する。そうはいっても、来月には旅行に行くんだった。もう少しの辛抱だ。

2015/03/02

Post #1426 僕は疲れてるのさ

Fes,Morocco
昨日は仕事が休みだったので、美容院に行って髪をきった以外は、ひたすら眠って暮らした。
こう見えても、俺は疲れ果ててるんだ。くたくたなのさ。
だから、何も言うべきことはありゃしない俺なのさ。

よって、今夜はこの写真だけ、そっと君に届けよう。

読者諸君、失礼する。顔パックしたいからとっとと止めてくれと言われてるんだ。