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2015/12/01

Post #1686

Nepal
自分の言葉の意味をわかってない馬鹿野郎が多すぎて、うんざりしています。
ろくすっぽ自分の言葉がどんな事態を引きおこすのか、その言葉を発している自分の立場立ち位置がどこいらあたりにあるのか、その辺をわからずに、思考停止したまま適当なことを口走るバカばかりです。

挙句の果てに、さっきの発言は取り消したいとか抜かし始めると、言葉の軽さと覚悟の無さに、心底軽蔑したくなります。

あんまりうんざりして、昼間っからタワーレコードに行って、CDを何枚も買いこんじまったくらいです。ロックンロールはいつも僕を支えてくれます。まるで親友や恋人のように。


ブログを放置していたのは、仕事が忙しかったからで、病んでるわけでも、もうやめようとか思ってるわけでもありません。
明日も、5時起きです。

2015/11/22

Post #1685

Hamburg,Germany
たまの休みにカミさんと出かけてみたところ、地下鉄の中でばったり高校時代の同級生の女性に出会った。
こんなことってのは、ありそうでなかなかない。なんかバツが悪いような気がして、ちょっとあたふたしちまったよ。

降りる直前だったんで、ほんの二言三言言葉を交わしただけで別れたけれど、なんだか嬉しかったな。よく考えたら、お茶でも飲みに誘えばよかったよ。

読者諸君、失礼する。君と出会ったら、迷わずお茶を飲みに行こう。名古屋人は喫茶店が好きなのさ。

2015/11/20

Post #1682

HongKong
即物的な写真というのは、言葉に詰まるものだとおもう。
言葉による詐術が入り込む余地がない。
言辞を弄することに倦みつかれ、家に帰れば眠ってばかりいる俺なのさ。

読者諸君、失礼する。

2015/11/19

Post #1681

Tokyo
自分の言葉が相手に届いている実感がないと、どうにも無力感や徒労感におそわれる。
どうせ届かないのなら、黙っていればいいじゃないかとも思う。
人間は、根本的に孤独な存在だと思う。自分という牢獄にとらわれた囚人だ。

一方で、自分の発した言葉によって、相手が感じ入ったりすると、なんだか俺は心にもない虚言を弄して、相手をたばかってしまったのではないかという、居心地の悪さを感じたりもする。

自分が正しそうなことを言っているのを客観的に見ると、自分が偽善者のように思えてきて、うんざりする。そして、その偽善者の言葉に納得する相手を見るにつけ、自分が偽り多い邪悪な人間なのではないかと疑わしくなる。

とりわけ、メールやチャット、そしてこのブログでもそうだけれど、書き言葉でコミュニケーションする機会が多いいま、その想いは強まるばかりだ。ほんらい言葉は、声質、調子、表情、語気など、文字では表すことができないもろもろの要素によって、補完されるべきものだと思う。

間違いなく目的を達すると思えるのは、相手を非難し断罪する言葉だろう。
言葉は時に、人のこころを踏みにじる暴力装置となりうる。これについては、いろいろと反省するべきことが自分にもたくさんある。
だから、そんな言葉はもう使いたくはない。そんなくだらないことで、人生を浪費するような暇はどこにもない。

しょせん、心と心が深く結びついて、信頼しあっているニンゲン相手でないと、本当の心なんて伝わらない。そしてそれは、往々にして、言葉以外の態度でしか伝わらないのではないかと思う。

そこらあたりが、このブログを、時折自分自身が生み出してしまった薄気味悪い節足動物のように感じて、放り出し、消し去ってしまいたくなる原因でもあるだろうし、ごく少数の、自分の心をゆだねられる相手としか言葉を交わしたくなくなる原因でもあると思う。

読者諸君、失礼する。

2015/11/18

Post #1680

Bruxelles
人生にウンザリしたら、日々の単調な暮らしに倦み疲れたら、旅に出るべきだ。
もしくは、誰かと恋におちるか?

どちらも、ある意味で未知との遭遇だ。

お互いに片言の英語を使って、何とか意志を通じ合わせるのは、愉しい。見知らぬ街の普通の人々がやってくるような飯屋で、なんとか注文し、うまいものにありついたあの瞬間の充実感!

今までの生きてきた道程も、人生観も違う異性と、心をより合わせていくのも愉しい。そういえば、男と女の間では、言葉が通じない国に行ったかのように、思いを伝えあうのは難しいしね。
言ってくれなきゃわかんないとか言いながら、言ってみたって本気にされなかったりもするしな!

そういえば、俺のことを『港みなとに女がいるタイプ』と評した人がいたけれど、いったい俺の何処がそう見えるのか?自分じゃぜんぜんピンとこない。まったくの謎だ。

どちらも、指先と心の乾ききった中年男性たる俺の心を、少年の頃のように瑞々しくさせるだろうよ。これ以上にワクワクすることなんか、世の中にあるとは思えないね。

ブラジル、ニューヨーク、インド、シベリア、ボルネオ、チベット、サハラ砂漠・・・。
俺は行ってみたい場所を次々思い浮かべる。

あぁ、本だのCDだの家財道具の一切を始末して、帰ってこない旅に出るのも、悪くないかもな。
おっと、冥途の旅路は御免蒙るぜ。
こればっかりはいつか必ず行く道だからな。急ぐこたぁねえのさ。

読者諸君、失礼する。旅行に行きたい。カメラをもって。できうればカミさん以外の素敵な女性と!(笑)

2015/11/16

Post #1678

Paris
ISによるパリでのテロについては、思うことは実はたくさんある。
しかし、今日は言うまい。

俺が今日考えているのは、人間の救済ということだ。
というのも、昨日親戚の家に赴いて、法事に参加してきたのだが、その時ふと思ったことだ。

その親戚の家は、臨済宗だったので、普段俺が親しんでいる浄土真宗とはずいぶん勝手が違う。
お経だの和讃だの読んでいても、行いを正して、成仏するべしといったことが書いてある。
しかし、それでみんな救われるのか?

行いをただし、殺生せず、盗みもせず、嘘もつかず、淫欲にふけることもない。

それは理念としては結構だ。そうあるべきだろう?
しかし、そもそも人間は、そうは生きられない存在なんじゃないのか?
だれだって、そんな風に生きる事が出来るのなら、そもそも苦労はしないだろうよ。
そして、そうでなければ、成仏できない、つまり救済されないのなら、そもそもほとんどの人間は、救われない存在だということになるのではないか?

人が生きることは、そもそも苦しいものであるというのが、仏教の思想の根幹にはある。
生まれてきたことも、老いることも、病むことも、そして当然ながら死ぬことも、これらはすべて苦しみだととらえられている。
無限の時のなかを、生まれ変わり死に変わりしながら、未来永劫にわたって苦しみ続ける。それが人間に限らず、この世に存在するあらゆる生命の存在様式だ。
その救いのない生死観が、仏教の根幹にどす黒く広がっている。つまり、無明といことだ。
そこでは、現代を生きる私たちが、無条件に肯定する愛情すらも、苦を生み出す元として、否定されている。

その中で救済とはいったい何を意味しているのか。

救済とは、成仏とは、二度と再びこの世に生まれ変わってこなくてもよくなるということだ。世間の皆さんが、よく意味も分からず唱えている般若心経も、この世の中の存在には、確固たるものなど何もないことに気付いて、とっとと二度と生まれ変わらない境地に至ることを説いている。

その救済を得るために、人々は、現世的なしがらみの一切合切を捨て去り、自分に関わるあらゆる縁を断ち切って、出家して修行し、二度と生まれ変わることのない境地を目指したのだ。それを幸せだと感じる現代人は、まずもって少数派だろう。

けれど、そんな生き方は、万人にできる様な類のものではない。
人は、生きていくうえで、必ず他の生命を損ない、倫理を逸脱してしか生きていくことはできないからだ。愛欲の果てに、次の世代を生みだし、苦しみの連鎖を続けていかざるを得ないのだ。

これでは、どうにも救われない。

『善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや』

この一節を含む歎異抄を聖典とする浄土真宗門徒の俺は、ふと悪人こそが救われるべき存在であると唱えた親鸞聖人のことを想う。そしてまた、その異端ともいえる思想が、それまで救済される可能性など皆無と信じられていた当時の一般大衆に対しておよぼした衝撃のすさまじさをおもい、唖然とする。

現代の生活は、親鸞の生きた1000年まえとは、比べることが阿呆らしくなるほどに便利になり、また豊かになった。その結果として、生きることそのものが持つ苦しみは、見えにくくなっている。
けれど、実際には、昔も今も変わらず、人は悪を内包した存在としてしか、生きることはできないことに変わりない。
もし君が、そんなことはないというのなら、自分の行いを静かに振り返ってみればいい。一点の瑕疵もない人間など、どこにもいないだろう。

その事実の前に、俺は独り立ちすくむ。

そもそも、この神も仏もない、つまり目に見えない超越的な存在を信じえない私たちには、救済ということそのものがあり得るのか。
一時の快楽?老後の資金?社会福祉?金銭的な援助や保証?一億総活躍社会?
いや、そういうことを言っているんじゃない。もっと、人間の存在の根幹にかかわることだ。分かってほしい。

一人のニンゲンが、この世に存在していることそのものが肯定され、苦しみながらも自らの生を全うすることができるには、なにが必要かということだ。

すでに来世だの死後の浄福などを、微塵も信じることのできなくなっている末世の衆生たる私たちにとって、救済とはなにを意味するのか?
俺はそれが知りたい。
いかにしたならば、倫理に背きながらも生き続け、苦しみにまみれて生きるしかない私たちが、この生の中で安らぎを得て、自らの生とその先にある死を、肯定し受け入れることができるのか?
俺はそれを考えていきたい。

読者諸君、失礼する。小難しい話ですまん。けれど、もし誰かこの答えを知っているのなら、頼む俺に教えてくれないか。

2015/11/09

Post #1671

Patan,Nepal
朝、仕事に行こうと最寄りの駅まで歩いていると、右の下っ腹になんだか鈍い痛みが走った。
しかし、俺は痛風だの結石だのをさんざん経験してきたおかげで痛いのにはすっかり慣れているのさ。だからこんなの、どうってことないぜってフツーに仕事に行ったのさ。こんな差し込み、すぐに治るだろうってね。

しかし、痛みは一向にひかない。現場に出て大音声を張り上げて忙しくしていると、これまた全然痛みを感じないんだ。脳内麻薬だ。けれど、事務所に戻ってくると、やはり痛い。

俺はさっさと早引きして医者に行くことにした。

診断結果は盲腸だった。素晴らしい!冗談じゃないぜ。

思わず笑えてきたぜ。こんなに元気なのに、なぜ病気だっていうんだ?確かに腹は痛いがな。笑いすぎても腹は痛くなるもんだ。

手術か薬か、それが問題だ。どっちが現場にはやく復帰できるかな?そこが焦点なんだ。

明日の朝も、点滴を打ちに来いとお医者さんには言われたが、そのあとさっさと仕事に行き、現場をうろついたり、名古屋の監督の中でもっともデカいと言われる声で、会議を切り盛りしたり、現場をおさめていくつもりなんだが。

カミさんは、腹膜炎になったら困るから、無理しないでくれという。
医者は、2,3日は安静にしろっていう。

冗談じゃない。今はそんなことしてられるような時期じゃない。

俺は行かなけりゃならないんだ。俺がやらなくて、誰がやるっていうんだ

こじらせて腹膜炎になったとしても、そん時はその時だ。大丈夫だ。俺には息子ができてるんだからな。死んだところでどうってことないさ。あとは息子に任せてりゃいいのさ。とはいえ、まだ妊娠7か月だけどな。

読者諸君、失礼する。今夜はとっとと眠るとするさ。

2015/10/31

Post #1669

Copenhagen,Denmark
人生の目的は、う~ん、誰かを愛することしかないような気がするんだが、どうだろうね?

仕事なんて、それに比べたら大したもんじゃないんじゃないかな?
とはいえ、今の自分は仕事を通じて形作られてきたようにも思うから、それはそれで大切なんだろうけど、誰かを愛して幸せにすることに比べたら、ほんの暇つぶしじゃないかって俺にはおもえるのさ。それも愛する人に逢いたくても逢えないあの退屈な時間の暇つぶしに過ぎないような気がするんだけどさ、どうだろう?

大切な人を幸せにするってのは、人が一生かけてやっと為し得るほどの難事業だと、俺には思えるよ。

さてと、今夜は月末だから帳簿でもつけようかな?

読者諸君、失礼する。どうでもいいけど、もう、10月も終わりかぁ・・・。いやぁ~、まいったなぁ・・・。

2015/10/30

Post #1668

Hamburg,Germany
企業の不祥事が続いている。
TVや新聞紙上では、普段偉そうにしているであろうおっさんたちが、神妙な顔つきで深々と頭を下げて、ご迷惑をおかけしましたとかいう姿を度々目にする。

それが今どきの責任を取るということなんだろうか?まぁ、きっとそうなんだろうな。
しかし、やってしまったことは、なかったことにはできない。当たり前のことだ。
それが人の生命にかかわることであったり、かけがえのない環境を、回復不能に汚損してしまうような出来事であったりした場合、いったいお偉いさんが頭を下げることに、どんな意味があるのだろう?
ぬるいなと、思う。

鹿児島県は阿久根市出身だった俺のお婆さんは、もうとっくに亡くなったんだけれど、俺が子供の頃に、いろんな話をしてくれた。それは、幼い頃の俺の心にしっかりと刻まれて、自分の人格形成の核になっている。
その中に、おばあさんのそのまたおじいさんの強烈な話があった。

このおじいさんは、当時村長だかなんだか、とにかく責任ある立場にあった人物だったのだが、自分の部下に当たる村の助役だかが密かに業者と結託し、村有林の木を勝手に切り倒し、売り飛ばし、利益を自分の懐に入れていたことが発覚したそうだ。

そこで、そのおじいさんはどうしただろう。このような不祥事を起こしたことを、深くお詫び申し上げますといって、村人に頭を下げたのだろうか。


薩摩隼人のそのおじいさんは、責任を取って切腹した。


簡単に切腹と書くが、実際にはまず短刀で腹を横に切り、次に刀を腹に刺したまま縦に切る。十文字だ。さらに短刀を引き抜いた後、臓物が飛び出してくるのを防ぐため、さらしまで巻いたというのだ。当然介錯、つまり時代劇なんかでよくあるように、腹に刀を突きさした途端、後ろから他の人間が日本刀で首を一気に切り落とすというのは、なかった。
しばらくの間、苦しみ悶えて死んだことだろう。

俺のおばあさんが生まれたばかりのころというから、それが本当なら大正時代の話だ。本当ならば、時代錯誤も甚だしい気がする。しかし、強烈な話だ。

こうして俺の子供心に、いささかの恐怖心とともに、男の責任の取り方の究極は、切腹であるという考えが、しっかりと叩き込まれた。そしてまた、自分自身のしでかしたことでなくても、自分の部下がしでかしたことの責任から、人は逃れられないということも。
物事がうまくいけば、自分を支えてくれた皆のおかげであり、うまくいかなければ責任者たる自分自身の責任だという考えも。

少し前にも、責任を取らない責任者という話を書いた。
だから俺は、その手のニンゲンが嫌いだ。甘ったれやがってと思う。
減俸?降格?辞任?
君たちはそんなにちょろい仕事しかしていないのかね?それとも、仕事を舐めてるのかね?って思うのさ。

俺にとって、自分の仕事の責任とは、非常に重いもので、期日内に満足のいくものができなかったとしたら、それは金銭的にも多大な迷惑を施主さんにかけることになるし、万一事故など起こしたら、取り返しなどつかない。
申し訳ありませんでしたと、額を地面に擦り付けるようにして謝ったととしても、それがいったいなんになるというのだ。
そんなことになれば、ごく狭い業界で、自分一人の信頼と実績だけで成り立っているチンケな俺の商売は、たちまち行き詰ってしまうだろうよ。
呑気そうに見えて、実は毎日が危うい綱渡りなのさ。

何事もなく、現場をおさめ、お客様に引き渡すこと。当たり前だけれども、それ以上の責任の取り方はない。なにしろ、そうそう切腹するわけにはいかないからな。

だから、企業のお偉いさんたちの振る舞いみていると、謝らないよりはましだとは思うけれど、なんの責任もとっちゃいないだろって思わずにはいられないんだ。

責任を自覚すれば、実はどんな仕事でも、命がけなんだ。俺はそう思ってる。

読者諸君、失礼する。俺は伊賀忍者の血筋に、薩摩隼人のスピリットが隠し味でブレンドされてるのさ。

2015/10/29

Post #1667

Hamburg,Germany
毎日のように、TVのニュースでヨーロッパに押し寄せる難民の姿を目にする。

難民というと、なにか特殊な人のように感じるが、その人たちの姿を目にすると、俺たちと何も変わらない普通の人々だとわかる。

幼子を抱いた母親、家族を気遣う父親、子供たちは無邪気にカメラに向けてピースをしていたりする。容姿は違えど、その振る舞いは俺たちと何も変わらない。
ただ、宗教や民族の相違に起因する様々な争いによって、自分たちの国から命からがら逃げださざるをえなくなったというだけだ。

なにも特別な人たちじゃない。自分と自分の大切な人の命を守りたいと願う普通の人々だ。そう、俺たちと何も変わらないんだ。
けれど、生きていくためには故郷も家も、仕事もなにもかも捨てて、見も知らぬ国に、命がけで逃げ出さねばならなかったというだけだ。

シリアを脱出した難民は、すでに400万人をこえたという。

この日本に暮らしていると、大方の人にとっては、そんな話は他人事というか、対岸の火事かもしれない。けれど、ほんの少し想像力を働かせてみて、それがどれほど辛くて困難なことなのか、想像してみてほしい。
それは別段難しい事じゃない。
自分が彼らの立場だったらどんな気分だろうかって考えてみるだけだ。
もし、少しでも興味があるのなら、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のホームページを見てほしい。(リンク➩UNHCR) なにが起きているか知ることは、何事においても大切な第一歩だ。そうじゃないかい?

いいかい君たち、戦争は不幸しか生み出さないんだぜ。
戦争で酷い目にあうのは、いつだって俺や君と同じような普通の人々だ。人を殺して英雄呼ばわりされるのなんて、恥ずかしいことだぜ。殺し合いに参加するんではなく、自分の家族を守るために、命がけで故郷を捨てた人々を、俺は尊敬せずにはいられないよ。
自分たちはカンケーないわけじゃない。この世界に生きている全てのニンゲンが、等しく考えていくべき問題だと、俺には思えてならないんだ。

どんなことも、もし自分が当事者だったら?って考えること。
それが俺の考えの基本方針なんだ。
なにが正しくて、誰が悪いのかなんて、興味はない。ただ、自分がその立場だったら、どう感じ、どう行動するだろうかって思うことが、大切なんじゃないかな?

読者諸君、失礼する。いい加減みんな平和に暮らそう。自分と違う人々を、受け入れよう。
俺はけっして、綺麗事を言ってるんじゃないんだぜ。

2015/10/28

Post #1666

Hamburg,Germany
久々に雨が降っている。
前にも書いたことがあるけれど、俺は傘がさすのが好きじゃない。手に何かを持つのが好きじゃないからってだけではないんだ。
人からなぜいつも傘を差さないのかって訊かれると、『ほら、ヨーロッパ人ってあんまりか差さないじゃない?肌が潤っていいんだよ』ってはぐらかしている。
けど、どうもそれだけじゃないんだ。カバンの中に折り畳み傘が入っていても、よほどの雨じゃないと傘は差さない俺なのさ。

自分でも何故だろうって考えて、思い至ったのはシーナ&ロケッツの歌だ。
作詞は今は亡き日本歌謡界の巨匠、阿久 悠。作曲はもちろん鮎川 誠だ。
それはこんな歌だった。


RAIN<突然雨が降ると>


突然雨が降ると 
人間の正体がわかる
突然雨が降ると 
人間の正体がわかる

恋人だって 先ず走り出し
それから慌てて手を差しのべて
急げという

濡れるから 濡れるから 
僕と同じスピードで走れという
ご親切に ご親切に 
あんたは心優しい人なのね

でもわたし あの一瞬 
あんたが一人で逃げ出したことを 
忘れやしない

雨だもの 濡れてあたりまえ
びっしょり濡れてしまおうと 
わたし言ってほしかった

突然雨が降ると 
人間の正体がわかる
突然雨が降ると 
人間の正体がわかる

しあわせだって転がり始め
話のつづきが見つからなくて 
またねという

傘がない 傘がない
なぜに傘がないか ぼやいて言う

運がない 運がない
あんたはいつもそういう人なのね

でもわたし 雨のまえ
あんたが言おうと思ってたこと
知りたくない

雨だもの 濡れて当たりまえ
一緒に濡れてしまおうと 
わたし言ってほしかった

はじめてこの曲を聴いたとき、ちょっとした衝撃だったのを覚えている。
このおれが、にわか雨で自分の恋人を置き去りにして、一目散に駆けだすような屁たれであっていいわけがない。そんなんじゃ、素敵な恋人に愛想を尽かされちまうだろう。冗談じゃない。たかがにわか雨くらいで、そんな目にあってたまるか!

そこで、俺は考えた。考えて考え抜いて、普段から傘をさす習慣をなくせば、そんな無様なことにはならないという結論に達したわけだ。
そう、雨だもの、濡れて当たり前。一緒に濡れてしまおうと言える男でありたいのさ。

もちろん、それは雨だけの話じゃない。避けられない人生のあれやこれやの話でもあるのは当然だ。そう思わないかい?

ロックンロールは時に、大切なことを教えてくれる。クレバーじゃなくても、人間味のある男でいるにはどうしたらいいかってことも。

読者諸君、失礼する。おかげでしばしば風邪をひく俺さ。

2015/10/24

Post #1662

Kathmandu,Nepal
世の中には、責任を取らない責任者がたくさんいる。
責任をとらされるのは、いつも下っ端で、責任者はたいてい自分たちの非を認めようとしない。

その手の責任者は、物事がうまく運ぶと、自分の手柄にしたがり、ヤバくなると誰かのせいにしたがる。
けれど、俺は上手くいったときには、こんな自分についてきてくれた仲間たちのおかげだと素直に思いたい。上手くいかない時には、自分の責任として、自分の非を認めたい。

当節、クレバーな生き方は責任を取らない責任者のほうさ。
責任を取らないから、そこそこ出世する。羽振りだってイイ。しかし、そいつらはシコシコ貯め込むだけだ。飲みに行っても、絶対に割り勘だ。しみったれた野郎だぜ。

けれど、それは卑しい事なんだぜ。どんなに偉そうにしていたって、ここ一番でケツをまくるような人間を、俺は漢とは認めないんだ。

俺は、そんな奴らには、負けない。

男の器量で、一歩も引けを取ることもない。誰に対しても、誠実にひとりの人間として向かい合うだけさ。そんな人としてあったりまえのことができない時点で、そいつは負けてるのさ。
その立場とやらがなければ、他人と対峙することもできやしないのさ。立場の下駄を履いてることを忘れて、自分の人間性だか能力だかがすぐれていると思いこんっでいやがるのさ。
反吐が出るぜ。

読者諸君、失礼するぜ。今から、例の肝試しに出かけなけりゃならねぇんだ。楽しみだな!

2015/10/23

Post #1661

Copenhagen,Denmark
なんだかおかしなことになってきた。面白いぜ。
明日の夜、高校時代の同級生の女性の息子さん、小学6年生とその友人含め、総勢4人の少年を引率して、肝試しとやらに出かけることになったのだ。

俺はその悪たれ小僧どもには、一度もあったことはない。
なにしろ、俺には子供なんていないしな。

しかし、ひょんなことから子供たちが、成田山の別院の奥の墓場に行くのに付き合う羽目になっちまったんだ。
本来なら、子供たちの親御さんが行くべきなんだろうが、お母さんたちは夜の墓場なんて怖くっていけないっていうしな。
たまたま、FBでそんな話を聞きつけた俺は、その墓場なら夜景がきれいなんで、若い頃女の子を連れてよく行ったぜって言ったことから、怖くないんなら連れて行ってやってほしいと頼まれちまったんだ。

面白そうだから、俺は引き受けることにしたぜ。
俺は予行演習として、今夜も駅からの帰り道、近所のお寺の墓場を通って帰ってきたのさ。ぞくぞくするぜ。
さて、明日行く成田山の裏山は、夜景がきれいなんだ。もっとも、真下を見ると一面墓場なんだがな。
若い頃女の子とデートして、夜景を楽しんだ丘に、この年になってガキどもを連れていくことになるとはな。人生は何が起こるかわからないぜ。
カップルが車で夜景を見ていたりしたら、ガキどもと一緒に、こっそり車をゆすってやるかな?
前途有望な少年たちに、人生の楽しみをレクチャーしてやるのさ。
こいつは楽しみだ。

読者諸君、失礼する。今から倉庫に行って、懐中電灯の準備をしておかなけりゃならないのさ。こんにゃくとかも用意しておいたほうがイイかな?

2015/10/22

Post #1660

Copenhagen,Denmark
今朝、年若い友人から久々に連絡があって、自分の結婚式の写真を、俺に撮って欲しいと頼まれた。

えっ、俺でいいのか?

そんなのやったことないから、保証しないぞ。それでもよけりゃ、かまわないけど・・・。

読者諸君、失礼する。こいつは責任重大だな。しかし、そんなの引き受けたら、結婚式で酒飲んで大暴れできないぞ?

2015/10/21

Post #1659

Hamburg,Germany
本日、特にこれといって言うべきこともない。
けれど、人生の大半は、こんなどうっていうこともない日でできているという、あったりまえな事実に思い至り、唖然とする。

読者諸君、失礼する。そういえば流星群はあいにく、雲が多くて見えなかったな。

2015/10/20

Post #1658

Hamburg,Germany
昨日、仕事でいろいろと頭にくることがあって、やたらめったらカッカしていた。
朝起きてみると、左足にいつもお馴染みの痛風発作が起きていた。

やれやれ。またかよ…。

みんな俺を贅沢病というんだが、決してそうじゃない。
精神的なストレスで、俺は容易に痛風発作を引き起こす。見た目と違って繊細なのだ。というか、起こることによって、体の中のバランスが崩れてしまうのさ。
人間笑っているのが、一番ってこったろうな。

俺の眉間には、深い縦皺が彫刻刀で彫り込んだように刻まれている。

俺は先週身体の調子を崩して病院に行ったときに、血液検査のために採血されていたんで、仕事に遅刻して結果を聴きに行くことにしていたんだ。もちろん、仕事も休めない。

そこで、愛用の杖をついて、馴染みの病院に向かった。

診察室に入ると、先生はこっちも見ずに検査結果を見ながら『尿酸値が高いねぇ…』という。

俺は思わず苦笑いしながら、『はい、おかげさんで今日は痛風発作が出ています。』と答えたんだ。

診察室中がずっこけたぜ。まるで昭和のコントだぜ。

読者諸君、失礼する。どうして俺の人生は、こうコミカルになっちまうんだろうなぁ…。まぁ、なんとなく面白いからいいか。

2015/10/19

Post #1657

Hamburg,Germany
いろいろと思うところはある。
けれど、今日は考えがまとまらないんで、写真だけで失礼させて頂くぜ。

読者諸君、おやすみ。俺は遠くを見てるだけさ。

2015/10/18

Post #1656

Hamburg,Germany
少年時代からずっとお世話になっている師匠のもとに、カミさんを連れて子供ができたことを報告しに行った。
この師匠のうちこそ、実家と呼べる場所を喪った自分にとって、実家そのものだし、師匠とその奥さんこそ、自分の父母のように思って接してきた。
とはいえ、不肖の弟子だから、こっちが父母のようにおもっても、不肖の息子だわな。

想えばこの師匠との付き合いも長い。はじめてこの師匠に会ったとき、俺は中学一年生で、師匠は今の俺の歳よりも若かったはずだ。その師匠も今年喜寿。森山大道と同じ年だ。当時から白髪の長髪だった師匠の頭は、すっかり髪の量が減っている。耳には補聴器が。

しかし、お元気なうちに、この不肖の弟子も子供を持つにいたったことを報告出来てうれしい。

師匠は愛用のソファにどっかりあぐらをかきながら言った。
『子供ができたって話は、噂ではきいていたぞ。これまであえて作らなかったのに、よく決心したな。お前さんのことだ、よくよく悩んだことだろうよ。』 
さすがは俺の師匠、何もかもお見通しだ。
『はい。さすがに今回ばかりは腹括りました。腹括ってからは早かったんですがね』
俺は笑いながら答える。

『まぁ、頑張ってください。先は長いから』と師匠。
『まったくです。この年で子供をもうけたら、いったい幾つになるまで遮二無二働かなけりゃならんことか・・・。』俺は困ったように笑って見せる。

『で、男の子か女の子か、もうわかってるのかね?』師匠は重ねて訊く。
その問いにはカミさんが男の子だと答えた。そして俺にそっくりくせ毛の子供になるだろうとおもうと付け加えた。
その答えに、師匠は呆れたのか困ったのかしたように、顔をくしゃくしゃにして、くくくと笑って言った。
『やれやれ、奥さんも大変ですなぁ・・・』

なにしろ俺の子供は、おなかになかにいるくせに、もうロックと車が大好きだ。俺とおんなじだ。ついでに言うと、きっと女好きになることだろうよ。

俺たちと師匠ご夫婦は、日曜の昼時、温かく愉しいひと時を、家族のように過ごしたのさ。
『新婚さん、いらっしゃい』を見て、こいつはひでぇ夫婦だなとかいって笑い転げたりしながらね。
さて、そんなわけで師匠にはもうちょっと長生きしてもらわないとな。
俺の倅の成長を、見せてやりたいからな!
師匠と不肖の弟子のツーショット!
読者諸君、失礼する。さて、明日からまたわからず屋のとんちき共と戦うぞ!

2015/10/17

Post #1655

Copenhagen,Denmark
何時までも、腑抜けのように布団にくるまってはいられない。

今日はちゃんと仕事に出かけたんだ。

働かざる者食うべからずってやつさ。

実際、寝込んでた間は、ほとんど食っちゃいなかったけどな。

読者諸君、心配かけてすまなかった。謝るくらいなら、そんなこと書かなきゃいいのにな。

失礼いたす。こんなモミアゲ、ちょっと憧れるな。

2015/10/16

Post #1654

Copenhagen,Denmark
不思議なことに、もうなんにも食べたいと思えない。
食べ物のにおいをかぐと、気分が悪くなる。
丸一日、水以外喉を通らないんだ。

どうなってるんだろうな?

いっそこのまま、どこまでニンゲンの身体が持つのか、挑戦してみたくなるってもんさ。