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| Bhaktapur、Nepal |
2026/03/09
POST#1783 このような見識と胆力のある政治家をわたしは信頼する
2026/03/07
POST#1781 美しい行為の裏のうさん臭さ
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| Nagarkot,Nepal |
災害大国だというのもあるが、一旦大きな地震などが起こると、多くの人がボランティアとしてはせ参じる。
しかし、俺はいかない。というかいけない。その災害の当事者になったならば、地域社会の一員として率先してできることをするだろう。しかし、遠く離れたかかわりのない場所に、援助物資を押しかけて参上するつもりはない。
ズバリ自分の生活に余裕がないからだ。あれは思うに自分の生活に余裕がある人間が、自分の生活を成り立たせる収入が確保されたうえで、行えばいいものだと思う。自分にかかわりのない縁者がいないのならばなおさらだ。そもそも溺れかけている人間が、溺れている人間を救うことなんかできない。その志自体は美しくても、共倒れになるだけだ。
普段は弱い立場のものを差別し、排除したり、社会の裏側に押し込めていて何ら痛痒を感じない人々が、災害を前にすると、急に絆だとか社会貢献とか言い始めるのも自然発生的な大政翼賛会のようで、なんだか薄気味悪い。この日本の社会を覆う重苦しい同調圧力はどこから生み出されるんだ。
スーパーボランティアとかメディアで紹介されるような善意の人への報道も、戦前戦中の新聞が称賛していた爆弾三勇士とか、死んでも進軍ラッパをは口から離さなかった日露戦争の際の木口小平二等兵を称賛していた新聞みたいで、どこか薄気味悪く感じる。
もちろん、被災者の支援や復旧に社会のリソースを割かねばならないことは重々承知している。しかし、それが本当に必要なことならば、公費で行うべきことではないのか?みなさんの美しく高潔な志を、何かうさん臭い思惑が汚しているように思えてならない。
俺には決してボランティアをしている人々を貶める意図はない。むしろ、俺にはできないことをやれてしまうすごい人たちだと思っている。
しかし、俺が今ここで述べているのは、災害復旧などにマンパワーが本当に必要ならば、人々の自発的な善意に頼るのではなく、社会契約に基づいて存在する国家が、国家予算を投じて第一義的に動くべきではないのか?という単純な問いかけだ。
1980年代以降、新自由主義的な国家運営が常態化し、わが日本国も行政のスリム化、小さな政府、公的事業の民営化やアウトそーソングが続けられ、公的な事業はどんどん縮小している。あるいは国家事業そのものが民営化され、営利企業に転換したのを見てきたはずだ。そして今や多くの公務員がいつ首を切られるかわからない短期任用の非正規雇用だ。
公助から自助とか反動的な主張を超え高に叫んでいた首相もいた。にもかかわらず、国家予算は年々拡大増大の一途だ。
本当に社会に対して必要な緊急性の高い事業だからこそ、そういったボランティアにも、公費で最低限の賃金を保証するのが正しいあり方だと俺は思う。
そうすることによって、人々に国から資本が注入され、それはさまざまな形の商品へと変換してゆき、資本の流動性を高め、経済成長に貢献するのではないですか。
また、被災地などでのボランティアには危険が伴う。さらに正義感や義務感に駆られて、自らの体力の限界を超えて働き、命を落としたりケガをしたりする方もいる。
そういった二次的な災害というか不幸に対しても、国家なり自治体なりが予算を組んでサポート体制と組織化を行い、保険をかけて不測の事態に備えるべきだと思う。ボランティアだから自己責任というのは、あまりにも理不尽ではないだろうか?
ボランティアとはそもそも義勇軍を意味する。ウクライナの戦役に、世界各地から参戦した個人の戦闘者のような存在だ。俺はウクライナの人々にい同情はするけれど、義勇軍になるのはごめんだ。ガザやイランに行くのもご遠慮させていただきたい。その代わり、国連UNHCR協会と国連WPFに月々2千円づつ寄付することで、長年ささやかながら関わらせていただいている。もう何年も続けている。だからと言って税制優遇が大してあるわけでもないし、純粋に少しでもマシな世界にするために、自分に無理のない範囲で出来ることをしているだけだ。俺の乏しい稼ぎなら、それで十分じゃないか?継続は力なりだぜ。ミサイル一発で吹っ飛ぶ幸せや暮らしの重さには代えられないけれど、連帯を意思表明し、わずかながらも日々の暮らしから力添えをする。俺にはそれが精いっぱいだ。
また、ボランティアのすそ野は広がっている。
教員の負担軽減のために、地域のボランティアのかたに学校のクラブ活動を見てもらおうという試みが始まってはいるが、スポーツのコーチングや文化的なリベラルアーツを若者たちに指導するには、相応の知識経験だって必要だ。その専門スキルを無償で提供することで、本来自身の生活のためにそのスキルや自らの時間を生かすことによって生まれていたはずの収入=資本の増加の機会が損失するだろう。この機会損失は個々人にとっては微々たるものかもしれないが、日本全国津々浦々に視野を広げたとき、その損失はかなりのものになるだろう。
また、その人たちにも生業がある。万一その活動中に指導員や若者に事故やケガがあったとき、その保障は誰が担うのか?ボランティア個人に担わせるのか?学校や自治体、あるいは厚生労働省が担うことになるのか?
さらに踏み込めば、そのボランティアの人々の指導方法が適切なものかどうか?ハラスメント的なものや根性論的なものになっていないか?あるいはそこに性犯罪履歴のあるものが志願していないか?そういった問題をどう防ぎ、どのように管理していくのか?
それを学校の教員に担わせるのは本末転倒なのは火を見るよりも明らかだ。
私たちの社会を、私たち自身で運営していくには、自らの総体たる国家へ自らの能力を委譲しなければならないとしても、それでも私たちには何も損なわれるものはないというジャン=ジャック・ルソー🔗の説いた社会契約論🔗のような視点が絶対に欠かせない。近代民主社会はその思想を起点にして民主国家というフレームを構築しているのだから。しかし、今や税金を徴収され、より経済成長の美名のもとに、より豊かなものに国民から集めた詩音が再分配される転倒減少が続いている。それは国家としてのあり方としてどうなのか?本当に公平なのか?それを有耶無耶にしたまま、一朝ことあればボランティアをあてにするというのは、国家の体を成していないのではないだろうか?それは単なる抑圧と搾取のシステムではないのけ?
抑圧のシステムではなく、私たちが共に生きてゆく共通基盤のとしての国家というものを、私たちは自らに身近なボランティアという視点からも、もう一度問い直さねばならないのではないだろうか。
2026/02/21
POST#1767 原初の豊かな社会と未来の短時間労働社会のはざまで
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| Nepal シヴァ神の聖地 パシュパティナートの火葬場 |
最悪だ。いつだってカギを閉め忘れていないかとか、こなし忘れたタスクはないか?そんなことばかりが気になってしまう。
仕事になると、それが実に顕著だ。
みんな自分の立場から高飛車にものを言ってくる。うまくいかないイライラを弱い立場の人間にぶつける。俺は組織が守ってはくれない、いうなればフリーランスだからなおさらだ。
だから、いろいろ気になりだすと頭の中がいっぱいになってしまう。眠っているとき以外のすべての時間を仕事に注ぎ込んでしまう。
だから、仕事中に音楽とか聴きながらとかはできないんだ。気が散ってしまう。考えがまとまらない。
気にしたって仕方ないのに。自分の小心さにうんざりしてしまう。
この世のたいていのことは、死んで灰になってしまえばどうということはないことばかりなのにという、投げやりな想いも頭の片隅にある。
シヴァ神を祀る聖地、ネパールのカトマンズ近郊のパシュパティナートは火葬場でもある。
以前ここを訪れた際に、川の対岸から薪に埋もれた死者が燃やされ、水分と炭化物の混じった煙になり、また煮えた脂となって川に流れていく様を、ぼんやりと見つめていた。
ガンジス川に通じるこの聖地を流れる河原で焼かれると、来世はより良い境遇に生まれ変わるのだという。どうせなら、こんな火葬場で焼かれたいものだ。
美しい人も、勇ましい人も、抜け目ない人も、いつかはくたばる。そう思うと、心が少し軽くなる。夢も希望もないって?仕方ないさ、こう見えて俺はうつ病だからさ。
心が落ち着かないときには、本を読むのがいい。ほんの6分ほど読書するだけで、脳の興奮がおさまり、集中できるようになるそうだ。
読まなければ現代社会について論じることはできないぞという本が、山ほど積まれている。経済学や人類学の本がほとんどだ。そこに今日、友人から勧められた金村修の写真批評🔗が加わってしまった。パラパラ読んでみるとやはり面白そうだ。
仕事のひりひりするような緊張感もたまらないけれど、読書に耽溺して頭の中にダイブするような暮らしもいいものさ。
ワークライフバランスが必要だ。
成長のスイッチを、押して、押して、押して、押して、押してまいりますとか言ってる人もいるけれど、人間が押しつぶされて、自分の頭で考えることができなくなっちまうぜ。まぁ、AIの皆さんに考えていただくのがいいのかもな。冗談じゃないぜ。
そもそも、経済成長したって、庶民の生活は厳しいままだろう。
効率が上がっても、その分余計にこき使われるだけだろう。
企業の内部留保がたまり、株価が上昇するだけだろう。
みんなネットで常に浴びせかけられる広告で、差し当たって不要なものでも欲しくなっちまう。しかし、賃金は伸びず、物価は高騰する。金利が低ければ、借金してでも買うだろう。
インフレだ。いずれ資産バブルになり、それを冷やすために大幅な金利上昇がやってくるだろう。
行き詰った自由貿易体制が、自国中心の保護主義に逆回転し始めている。すでに円安に苦しむ皇国臣民の皆さんは、これから先、今以上の物価高騰に塗炭の苦しみを味わうことになるだろう。残念!
今から100年近く前、ジョン・メイナード・ケインズは「私たちの孫の世代には、労働効率が上がって、一日に3時間ほど働けば生活できるようになるだろう」と予想した。
人類学は、未開社会の人々が食べ物を入手するために働くのは、一日せいぜい3時間で、あとはイチャイチャしたり、ダラダラしたり、くだらないことでゲラゲラ笑いあったり、おならをしたり、昼寝をしたり、アクセサリーを作ったりして暮らしていたと報告している。
人類学者たちが提示した原初の豊かな社会とケインズが予言し(あっさり外れた)社会像の間で、俺たちは今日ももがき続けている。
世間様は3連休だってのに、今夜も仕事さ。やってられないぜ。商売繁盛さ。
2026/01/21
POST#1736 不死身の男
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| 世界の街角から 今日はカトマンズ |
HCUに入っていて、半死半生の親父にできることは何もないので、俺は仕事に戻ることにした。去年は今年と違って大忙しだった。本当なら今年も今頃大忙しの予定だったが、人生はどこで何が起こるかわからない。
2016/01/13
2016/01/12
Post #1689
まさか、47歳の誕生日、倉庫の打ちっぱなしの床の上、仕事で使う養生用の毛布にくるまって眠ることになるとは、思わなかった。
誰か誕生日プレゼントに寝袋をくれたら良かったのに!
人生はいつだって予測不能なもんだな。
2015/12/01
Post #1686
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| Nepal |
ろくすっぽ自分の言葉がどんな事態を引きおこすのか、その言葉を発している自分の立場立ち位置がどこいらあたりにあるのか、その辺をわからずに、思考停止したまま適当なことを口走るバカばかりです。
挙句の果てに、さっきの発言は取り消したいとか抜かし始めると、言葉の軽さと覚悟の無さに、心底軽蔑したくなります。
あんまりうんざりして、昼間っからタワーレコードに行って、CDを何枚も買いこんじまったくらいです。ロックンロールはいつも僕を支えてくれます。まるで親友や恋人のように。
ブログを放置していたのは、仕事が忙しかったからで、病んでるわけでも、もうやめようとか思ってるわけでもありません。
明日も、5時起きです。
2015/11/09
Post #1671
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| Patan,Nepal |
しかし、俺は痛風だの結石だのをさんざん経験してきたおかげで痛いのにはすっかり慣れているのさ。だからこんなの、どうってことないぜってフツーに仕事に行ったのさ。こんな差し込み、すぐに治るだろうってね。
しかし、痛みは一向にひかない。現場に出て大音声を張り上げて忙しくしていると、これまた全然痛みを感じないんだ。脳内麻薬だ。けれど、事務所に戻ってくると、やはり痛い。
俺はさっさと早引きして医者に行くことにした。
診断結果は盲腸だった。素晴らしい!冗談じゃないぜ。
思わず笑えてきたぜ。こんなに元気なのに、なぜ病気だっていうんだ?確かに腹は痛いがな。笑いすぎても腹は痛くなるもんだ。
手術か薬か、それが問題だ。どっちが現場にはやく復帰できるかな?そこが焦点なんだ。
明日の朝も、点滴を打ちに来いとお医者さんには言われたが、そのあとさっさと仕事に行き、現場をうろついたり、名古屋の監督の中でもっともデカいと言われる声で、会議を切り盛りしたり、現場をおさめていくつもりなんだが。
カミさんは、腹膜炎になったら困るから、無理しないでくれという。
医者は、2,3日は安静にしろっていう。
冗談じゃない。今はそんなことしてられるような時期じゃない。
俺は行かなけりゃならないんだ。俺がやらなくて、誰がやるっていうんだ
こじらせて腹膜炎になったとしても、そん時はその時だ。大丈夫だ。俺には息子ができてるんだからな。死んだところでどうってことないさ。あとは息子に任せてりゃいいのさ。とはいえ、まだ妊娠7か月だけどな。
読者諸君、失礼する。今夜はとっとと眠るとするさ。
2015/10/24
Post #1662
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| Kathmandu,Nepal |
責任をとらされるのは、いつも下っ端で、責任者はたいてい自分たちの非を認めようとしない。
その手の責任者は、物事がうまく運ぶと、自分の手柄にしたがり、ヤバくなると誰かのせいにしたがる。
けれど、俺は上手くいったときには、こんな自分についてきてくれた仲間たちのおかげだと素直に思いたい。上手くいかない時には、自分の責任として、自分の非を認めたい。
当節、クレバーな生き方は責任を取らない責任者のほうさ。
責任を取らないから、そこそこ出世する。羽振りだってイイ。しかし、そいつらはシコシコ貯め込むだけだ。飲みに行っても、絶対に割り勘だ。しみったれた野郎だぜ。
けれど、それは卑しい事なんだぜ。どんなに偉そうにしていたって、ここ一番でケツをまくるような人間を、俺は漢とは認めないんだ。
俺は、そんな奴らには、負けない。
男の器量で、一歩も引けを取ることもない。誰に対しても、誠実にひとりの人間として向かい合うだけさ。そんな人としてあったりまえのことができない時点で、そいつは負けてるのさ。
その立場とやらがなければ、他人と対峙することもできやしないのさ。立場の下駄を履いてることを忘れて、自分の人間性だか能力だかがすぐれていると思いこんっでいやがるのさ。
反吐が出るぜ。
読者諸君、失礼するぜ。今から、例の肝試しに出かけなけりゃならねぇんだ。楽しみだな!
2015/10/09
Post #1647
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| Kathmandu,Nepal |
ホテルにチェックインしてこれを書いてるんだ。
店舗工事はやりがいのある仕事だ。しかし、過酷な勤務のために、この仕事を志す若者は少ない。おかげさんで、46歳にして未だに若手扱いされるぜ。参ったな。
しかし、一軒の店舗を苦労して作り上げたときの達成感は、なかなかのもんだぜ。
俺はこれからも懲りずにこの商売を続けていくんだろうよ。
しかし、俺にはもっと大きな仕事が控えているのさ。
今朝、カミさんを連れて、産婦人科にゆき6ヶ月検診を受けてきた。
おなかの子供はぐんぐん大きくなっている。今じゃ450グラムくらいだ。ちょっとしたもんだな。おなかに手を当てて話しかけると、力強く押し返してくるのも道理だ。
そして、ついに男の子が授かったのか、女の子が授かったのかがわかってきたんだ。
もちろん、女の子でも男の子でもかまやしないんだけどね。
エコー画像を見てみると、両足の間に、なんとなく見慣れた形のアレがついている。
全てがミニサイズだ。しかし、これは明らかにちんだろう?
診察してくれた先生も、9割方男の子でしょうと言っているしな。
俺は最初から、なんとなくそんな気がしてたんだよね。
俺に娘は似合わないって。大きくなって、アーパーな娘さんになられても困るしな。第一、俺は男兄弟4人の長男なんで、娘なんていわれてもどう接したらいいのか、さっぱりわからないんだからな。
さてと、この子を一人前の男に育て上げるのが、俺のこれからのライフワークだ。
未だかつてない大仕事だ。とんでもない長丁場だ。
銀座に店を作るのなんて、この大仕事に比べればちょろいもんだろう?
別にどうこうするわけじゃないけれど、ひとりの男として、どうやって世界に対峙していくのか、どうやって人に接していくのかを、身をもって示し続けていかなきゃならないんだ。
いやいや、別に気負ってやるほどのことじゃない、みんなフツーにやってることさ。
けど、俺は自分の子供には、世間並みの平凡な男になってほしくはないんだ。
是非とも、俺よりも面白い、波乱万丈の人生を送ってほしいんだ。そのためには、それを乗り切っていけるだけの男の器量を身につけさせてやらないとな。
それは学校や塾では教えてくれない。
俺が示していくしかないことなんだ。
あ、名前はもうずっと前から決まってるんだぜ。『麒麟児』ってね。おなかに手を当ててこの名を呼ぶと、なかから応えてくるくらいに馴染んでるのさ。
読者諸君、失礼する。もちろん、俺はこの子が一人前の男になる前に、この世とおさらばしなけりゃならないだろうけどな。残念だ。
2015/10/07
Post #1645
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| Patan,Nepal |
そうして、不思議な思いに駆られる。
何とも不思議だ。
何もなかったところに、命が宿り、喜怒哀楽に振り回されながら生きていくってのは、つくづく不思議なことじゃないか?
俺たちはいったいなにものなのか?
俺たちはいったいどこからきたのか?
そして、俺たちはいったいどこへ行くのか?
まるでゴーギャンの有名な絵のタイトルのような疑問が、俺をとらえて離さない。
白戸三平は、長編漫画『忍者武芸帳』の主人公・影丸をして、『俺たちは遠くから来た。そして、遠くまで行くのだ』と語っていたっけな。
長いようでいて、結構短いこの束の間の人生は、いったい何のためにあるのか?
少なくとも、自分の責任を巧妙に回避しつつ、そつなくスマートに仕事をし、小金を儲けて安穏と暮らすためではないだろうよ。確かにそれも一つの生き方だ。誰だって、厄介ごとを背負いこみたくはないだろう。けれど、ニンゲンは自分の為したことについて、無責任ではいられないんだぜ。それは、自分の人生に真剣に向き合っていないような生き方だと、俺には思える。
俺は不器用でもいいから、自分の為したことの全てに、責任を持ちたい。
そして、全力を振りしぼるようにして、燃え盛る火柱のように生きていきたい。
ふと、そんな思いを腹の中の子供に語り掛ける。
きっとなにもわかっちゃいないだろうが、そんな俺の声にこたえるようにして、カミさんの腹の中から小さな、それでいて確かな何かが突き上げてくる。
できうればこの子に、波乱に富んだ、実りある人生を歩んでほしい。
精一杯、誰かを愛して、自分の力で人生を切り開いていってほしい。
そのためには、優しさと強さを身につけて成長してほしい。
この俺に、その導き手が務まるだろうかと、小さく力強い胎動を手のひらに感じながら、自分に問いかけてみるのさ。
俺たちの人生の意味を考えてみるとき、その始まりと終わりに、ぼんやりとかすむように広がっている『遠く』こそが、カギを握っているように思えてならない夜なのさ。
読者諸君、失礼する。命ってのは、つくづく不思議なもんだよな。粗末には出来ないぜ。
2015/10/05
Post #1643
2015/10/04
2015/10/02
Post #1640
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| Nepal,Pashpatinath 死者は聖地で焼かれ灰は河へと流される |
明日はすごく久しぶりに休みだ。
体を休めよう。美容院に行って、気分転換するのも悪くない。
なにしろ俺は、カミさんの腹に手を当てて、おなかの中で子供がもぞもぞ動くのを感じているうちに、眠ってしまうほど疲れているんだ。
少し風呂に入るつもりが、気が付くと湯船の中で何時間も眠ってしまっているほど疲れているんだ。
けれど、心まで疲れてるわけじゃないんだぜ。戦意旺盛だ。糞ッ垂れな現実に、たった一人で立ち向かっていく気概に満ち溢れてるんだ!
ただ、やる気はあるけど体がついてこれないだけさ。なんせ46歳だ、仕方ないだろう?
そんなわけで日々思うところがないわけではないけれど、はたから見るとブログは手抜き状態だということになる。
たまにはひとりで暗室にこもってプリントしたいな。手つかずのネガは山ほどあるんだ。こんな俺でも独り暗闇のなかで自分に向き合う時間が必要なんだ。
けれど、きみが僕のことを知っててくれるんだから、ムキになって書き続ける必要もないかもしれないな。
読者諸君、失礼する。けど、君のことをないがしろにしてるわけじゃないんだぜ。むしろ信頼してるのさ。おやすみ!
2015/09/26
Post #1635
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| Bhaktapur Nepal |
自分がもし、いま12歳の子供で、朝夕の通勤電車に紛れ込んでみたら、大人になるってことは、ひどく憂鬱なことだと思ってしまうに違いない。
だからせめて、僕は楽しそうに振る舞っていたい。
へヴィーな状況に直面しても、それを難易度の高いゲームのように楽しんでいたい。
実際に愉しいからね。
気分の赴くままに、ステップを踏むように軽やかに歩んでいきたい。
愉しいときにはたからかに笑い声を響かせていたい。
思いが溢れてきたときには、涙を流していたい。
誰とでも分け隔てなく、打ち解けていたい。
大人しく振る舞うなんて、家畜じゃないんだぜ。
そんな僕の姿を見た子供たちが、大人になるって、あんなに楽しそうなことなんだって、ワクワクするように。
読者諸君、失礼する。体調は全然万全じゃないけれど、今から東京に出かけて、夜の工事をしてくるつもりさ。口元に笑みを浮かべながらね。
2015/09/25
2015/09/23
2015/09/22
Post #1631
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| Boudhanath,Nepal |
贔屓の引き倒しで、このブログでも何度も紹介している。
作家の高橋源一郎は、金子光晴の詩を読めば、人生の中で、最低でも一人は素晴らしい彼女ができると断言していた。
高橋源一郎自身も5回も結婚してるんだから、大いに信憑性があるな。
僕自身のことはここでは触れないし、言えないこともあるけれど、高橋源一郎のいうことは、間違いないと思う。
この『女たちへのエレジー』のなかに収められている『愛情69』という詩集から、一つ好きなものを引用しよう。
愛情55
はじめて抱きよせられて、女の存在がふはりと浮いて、
なにもかも、男の中に崩れ込むあの瞬間。
五年、十年、三十年たつても、あの瞬間はいつも色あげしたやうで、
あとのであひの退屈なくり返しを、償つてまだあまりがある。
あの瞬間だけのために、男たちは、なんべんでも戀をする。
あの瞬間だけのために、わざわざこの世に生れ、めしを食ひ、生きてきたかのように。
男の舌が女の唇を割つたそのあとで、女のほうから、おづおづと、
男の口に舌をさし入れてくるあの瞬間のおもひのために。
わが恋は ゆくへも知らず はてもなし あふを限りと 思ふばかりぞ
僕はこの歌が、すごく好きだ。
いったいこの恋は、どう展開し、どこに落ち着くのだろうか、そんなのまったくわからないけれど、ただ次に逢うことだけしか、考えることが出来ないだなんて・・・。
行方も果てもないってことは、道ならぬ恋なのかもしれないな。
互いに求めあっているけれど、けっして恋愛➩結婚とかいう流れを辿ることのない恋なのかもしれない。
そんな所帯じみた落としどころなんて、端から切り捨てているがゆえに、逢いたい思いは激しく切ない。愛しい女性に、もう一度逢いたいという思いだけが、張り裂けそうな胸につまっているように感じる。
そんな狂おしいほどの想いを、胸に宿したことのない人生は、つまらない。
それがわかるようになったのは、かなり大人になってからの気がする。
けど、その一方で、物心ついたガキの頃から、僕はずっとそんなんだったような気もする。
読者諸君、失礼する。どんなロジックよりも、エモーショナルな言葉に僕は魅かれる。
もうすぐ、夜もあける。
2015/09/20
Post #1629
2015/09/14
Post #1623
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| Bhaktapur,Nepal |
腰の痛みに耐えかねて朝の6時に目を覚まし、コーヒーとパンの朝食をとるやいなや、洗濯、ゴミ出し、帳簿付けをサクサクこなし、朝からかかりつけの病院に行き、風邪の薬を処方してもらってきた。明日からの仕事に備えて定期券も買っておいたし、家の近所の神社で、猫と遊んだりもした。
今日は忙しかったんだ。高校時代の友人(女性というか、強烈なパワーのおばちゃん)と昼食を共にする約束をしていたんだ。なにしろ、こいつと会うのは20年以上ぶりだ。お互い、騒がしいもの同士だ。長年のブランクなんてへいちゃらだ。
こじゃれた昼飯を食いながら、俺は今日がたまたま母校の学園祭だってことに気が付いた。
どうだい、今から行ってみないか?って振ってみると、友人はぱっくん食いついてきた。
OK、いいだろう。行ってみようじゃないか。
俺たちは食事を終えると、中年お騒がせカップルといった風情で二人で車に乗り込み、懐かしい道のりをひた走ったのさ。
なにしろ、卒業したのが昭和62年だからな。どんな大昔だよ。
懐かしいッたらない。
父兄も高校生や中学生の皆の衆も、大声でしゃべりながら、我が物顔で校内を歩き回る俺たちに、不審と好奇の入り混じった視線をそそぐ。
なぁに、構うもんか。
ただし、警察呼ぶのは面倒だからやめてくれよ。見てくれほど悪い奴じゃないんだぜ。
笑いたければ笑ってくれていいぜ。ニンゲン、笑っていたほうが幸せだ。君たちがそれで幸せなら、もっと面白くしてやるさ。
俺はそんな視線には馴れているので、かまわず校長いるかい?とノックして校長室を覗きこむ。
昔ながらの生徒会室に勝手に入り込んで、現役の生徒会長君に『やぁ、俺が大昔の生徒会副会長さ、よろしくな!がんばってくれよ!ガッハッハ』とか言って回ったりしたのさ。
いったい何様だ?強いて言えば、俺様だってところだな。
かつて、俺のことを知らなければ、この学校の教師ではないとまで言われた問題児のことも、今や知る者はいないのだ。残念!
私立の中高一貫校とはいえ、先生たちもすっかり爺さんになり、一線を引いていた。
老兵はただ去るのみだ。
わずかに残っている先生の頭にも、髪はまったく残っちゃいなかった。
体育館では、イケメンコンテストなんてやっていたから、俺も乱入すればよかったぜ。
さすがにそいつは、友人に止められちまったわ!
すっかり様変わりした学校は、どこか寂しいものがあった。
今振り返ると、あれはとても大切な時間だったようにおもえるよ。
けどまぁ、今更戻りたいとも思わないけどな。ときおり、旧友と顔を合わせ、懐かしみ、自分のいまの立ち位置を確認するくらいがちょうどいいのさ。
愉しかったぜ。
15日から新しい仕事だ。体調は万全にほど遠いが、気合入れていくかな。
俺は何時だってフルスロットルだ。
| 母校の文化祭を覗いてみてノリノリの俺 |

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