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2016/01/15

Post #1692

Istanbul.Turk
それが例え、世界のどこであっても、もうテロにはうんざりだ。
自分の大切な人が、巻き込まれて命を失うことを考えてみたことがあるかい?

Istanbul.Turk

平和をわれらに

2016/01/12

Post #1689


まさか、47歳の誕生日、倉庫の打ちっぱなしの床の上、仕事で使う養生用の毛布にくるまって眠ることになるとは、思わなかった。

誰か誕生日プレゼントに寝袋をくれたら良かったのに!  

人生はいつだって予測不能なもんだな。

2016/01/11

Post #1688 47歳になっても自由な風に吹かれていたい

蝶は誰か死者の魂が、私の前に現れたもののように感じる
もう、写真にも倦み疲れた。どこまでやってもきりがない。
誰が読むのかわからない文章を書き綴る事にも厭き厭きした。
直接誰かの心に届く言葉を、確かな手応えがかえってくる言葉を紡ぎたいとねがった。

だから、日銭稼ぎの仕事に専念し、こいつは放り出しておいたのさ。



先日、ふと今は亡き東松照明の傑作写真集『太陽の鉛筆』が復刊されていることを知り、無性にほしくなって、その日のうちに手入れた。

斜めに走る水平線の上に、青い空、そしてその空と海のはざまに浮かぶ白い雲。
あまりにも有名なこの一枚の写真で、この写真集は広く知られていた。
僕の部屋にも、その写真のポスターが貼られている。

本土復帰前後の沖縄の、そしてその辺境たる宮古島の、およそ40年前の人々の姿が、そこにはあった。
東松照明の視線は、島から島を伝うように、最南端の波照間島を経由して、台湾、フィリピン、マレーシア、シンガポール、バリ島へと伸びていく。民族が海流に乗って拡散していった道をたどるようにして。

その写真集をしげしげとながめ、目には見ることのできない国境や、自ら選ぶことのできない民族的な出自など、意に介することもなく軽々と越境し、自由に吹き渡る風が自分の心に吹き付けてくることを感じていた。

誰しもが情報を発信しうる現代、誰もが自らの主張の正しさを掲げ、異なる意見の者を認めようとはしない。誰しもが、自分こそ絶対だと信じているかのように見える。

しかし、それは所詮、相対的な世界の出来事でしかないように思える。
民族、国家、文化、言語、宗教、習俗、思想、貧富・・・・。
それがどうした?
正直、どれもこれもどうでもいい。しょせんはみんな相対的なものだ。

自分自身が、今ここで、現実の世界に直接対峙したときに感じる何かとは、まったく関わりのないものだと思える。
相対的なものを、相反するものを、等しく受け入れ、包摂するようなおおらかな思考の営みを持つことはできないだろうか?


気が付くと、47歳になってしまっていた。

1969年1月11日、午前2時36分、出生。以来47年。
ふと、金子光晴の詩が頭をよぎる。
こんな詩だ

南方詩集
           この詩集を東南亜細亜民族混血児の諸君にささげる。

神経をもたぬ人間になりたいな。
本の名など忘れてしまひたいな。

女たちももうたくさん。
僕はもう四十七歳で
近々と太陽にあたりたいのだ。

軍艦鳥が波にゆられてゐる。
香料列島がながし目を送る。

珊瑚礁の水が
舟の甲板を洗ふ。

人間のゐないところへゆきたいな。
もう一度二十歳になれるところへ。

かへつてこないマストのうへで
日本のことを考へてみたいな。

高橋源一郎 編 金子光晴詩集『女たちへのいたみうた』(集英社文庫刊)92頁

Ubud,Bali
誰しもが人と人の間に線を引き、自分は他とは違うことを必死に言い募る営みよりも、自分と他人の間に共通点を見出して笑顔を交わし、大地や海上にひかれた目に見えない線を、風がわたるように易々と踏み越えていくていくような、おおらかな営みのほうが、僕は好きだ。
そう、たとえ愚かだと言われようとも。

世界はもっと、豊かで驚きに満ちているはずだ。
美しいはずだ。

僕はそう、信じたい。

また、旅がしたいな。カメラを手にして。

2015/11/10

Post #1672

近所の神社。桜の落ち葉から、桜餅の様な香りがする
やれやれ、虫垂炎で朝から点滴されて、家に帰って安静にしているようにきつく言われていたというのに、仕事が俺を離しちゃくれないんだ。女の子が俺をはなしちゃくれないとかなら、大喜びなんだが、あいにく俺の人生、付き合った女の子はどいつもこいつも、たいてい俺をあっさり手放してくれるんだ。それを想うと、泣けてくるけれど、今問題のなのはそこじゃない。

俺の腫れ上がった盲腸だ。

点滴打ってるあいだにも方々から電話がかかってきやがる。仕方ない。俺は電車にのって仕事に出かけたぜ。病院まで歩いてきたっていうだけで、馴染みの看護婦さんにはびっくりされてたってのに。安静に仕事をしてますとありえないことをテキトーにいってごまかしておいたぜ。

なにしろ現場は混乱を極めているんだ。毎日のようにわからんちんの施工業者が次々と参戦してくる。俺はそれをさばいていかなきゃならないんだ。力技だ。
家でぽんぽん痛いとか言って、布団にくるまってるわけにいかないんだ。
なにしろ、俺の社是は『倒れるまでやれ!倒れたら這ってでもやれ!』なんだ。
ここは迷わず行くしかないだろう。
仕事があるにも関わらず、俺が家で布団にくるまってるなんてことは、女の子に冷たくされた時くらいしかないのさ。ブログのバックナンバーを見て、この時はそれかぁ!とかチェックするのはやめてくれよな。
仕事帰りに。広角レンズは足が長く見えるものさ。
総理大臣の代わりはいても、俺の代わりはどこにもいない。
圧倒的な大声と、細かな気配り、そして絶対的な存在感だ。
どうしても欠かせないお昼の会議も、いつも通りに乗り切った。
誰も俺が腹の中に爆弾を抱えているなんてことには気づきもしない。

イイだろう、ここでもう一丁伝説を作ってやるのさ。レジェンド級超人の道は険しいんだ。

この会議だけ済ませて、さっさと帰って寝るつもりだったんだが、来客だ、会議だ、施工業者へのメール配信だの次から次へと仕事が押し寄せてくるんで、結局夜の七時前まで働いてしまったぜ。

さて、このまま上手いこと抗生物質だけで乗り切れるのか?
それとも、やっぱり一泊二日で手術をする羽目になるのか?
それとも、腹膜炎とかになって酷い目にあうことになるのか?
はたまた、敗血症とかおこして死んじまうなんて展開になるのか?

自分でも楽しみだな。リアル黒ひげ危機一髪の気分だぜ。死んだら死んだで関係ないさ。
安全牌きって生き延びることより、限界に挑んで伝説をつくるほうが俺にはふさわしいんじゃないか?

読者諸君、失礼する。どうでもいいけど、素うどんとかお茶漬けしか食わしてもらえないんで、腹が減ってかなわないぜ。

2015/10/27

Post #1665

真っ暗な夜道を歩くのに、灯りが必要だ。いくら闇の視力があってもね。暗室だって赤い暗室電灯がないと仕事にならないしな。
俺の真っ暗な人生で、ロックンロールは灯りがだった。そして、ずっと心のなかから消え去ることのなかった女の子達。彼女たちに恥ずかしくない男になり、一本筋の通った男ででいつづけること、それが俺を今日まで引っ張ってきた。
いつか、再会したときに『一人前の男になったね』って言われたいだろう?
そんな野望があるから、こんな肝試しみたいな危うい人生を歩んでこれたんだ。ロックのビートに踊るようにしてね。

さて、次のミッションはいよいよ墓場だ。若い頃、女の子と眺めた夜景のすぐしたに、黒々と広がっていた墓場だ。
さすがにここは、ヤバいかもしんないな。なにしろ昔の記憶が鮮明なんで、あんまり真面目に下見してなかったからな。
俺は、子供たちにそのまま待ってるように言うと、独りで墓場のなかに歩いていった。灯りは付けないでね。
みんな墓場を怖がるけど、あれはなんだろーな。
死んでたって、生きてたって、俺たちおんなじ魂だろう?
俺なんか生きてるやつらのほうが何をしでかすか分からねぇぶん、おっかないくらいだってのに。
縄文時代の人たちは、集落の真ん中にお墓を作っていたそうだ。節目節目に墓場を囲むようにして踊り、あの世から甦った死者たちと踊ったもんだぜ。こいつが盆踊りのルーツだ。
とはいえ、それはこの世とあの世が近かった大昔の話。今では死者は人々の目に触れないように巧妙に隠されている。病人も老人も障害者もだ。おかしな世の中だ。俺は、こんな世界はいつも不自然だと思ってるのさ。

ずっと奥まで歩いて行くと、開けた場所に小さな水子地蔵がたくさん並んでいる。
うん、ここだな。
俺は振り返ると、現場で鍛え上げた大音声で、懐中電灯をともして、一人づつこちらに来るように声をかけた。待ちきれず焦れたように子供たちがおっかなびっくりかけてくる。そして、たどり着いた子供たちは眼下に拡がる夜景を見て、歓声をあげている。
それでイイのさ。
全員揃ったところで、俺は子供たちを一人づつ墓石の間に立たせて、写真を撮ってやったのさ。夜景をバックにね。子供たちは、お互いに墓から手が出てくるんだぞとか言い合ってはしゃいでいる。
子供は何をしても愉しいもんだな。

俺は子供たちに尋ねた。
『君たちはこのお地蔵さんがなんだか知っているかい?』子供たちは誰も知らない。
『こいつは水子地蔵って奴でさ、お母さんのお腹のなかにいるうちに死んでしまったり、いろんな事情で中絶されたりして、この世に生まれて来ることが出来なかった子供たちを慰めて供養するためのものなんだ。』
俺には妊娠6ヶ月の息子がいるからな。切なさが身に染みる。俺は賽の河原で父母恋しいと石を積み、鬼に苛まれ泣き叫ぶ子供を助けてくれる地蔵菩薩の話なんかしてみた。
その上で『君たちは幸いなことに、こうして生まれて来ることができた。けど、それはスゴく幸せなことだし、君たちの命はたいへんな思いの結果ここにこうしてあるんだぜ。どこかで歯車が違っていたら、君たちがここで供養されてたかもしれない。だから、君たちの命はかけがえがないんだ…。だから、自分も周りの人たちも大切にして欲しい』
柄にもないけど、たまにはイイこと言ったってイイだろう?
子供たちは神妙に聞いている。真ん中の大きな地蔵の足元には、おもちゃやぬいぐるみが置いてある。それを見て、子供たちはなにかを感じている。
そう、それでイイのさ。

俺たちは、墓場のなかの石段をあがり、カップルの車がたくさん止まっている駐車場のはしに鎮座してる大仏の台座にのぼって夜景を眺めた。
大昔、女の子と眺めた夜景だ。この灯りの一つ一つに、喜怒哀楽をもったニンゲンが生きているのが、今の俺には解る。この子達はそれを分かってくれるだろうか?
いやいや、みんな大仏の下に止まってる車を、手にした懐中電灯で照らしている。やめろって!
俺がポツリと『昔彼女と初詣なんかにきて、この夜景を眺めたもんさ』というと、子供たちは『それは隊長の今の奥さんですか?』なんて聞きやがる。
『う~ん、前の前の前のそのまた前の前くらい?の彼女かなぁ?いちいち数えてらんないよ』
俺がそう答えると、子供たちはびっくりしてやがる。『ニンゲン46年もやってると、そんなもんだよ』困ったように俺が言うと、『うちのお父さんと同じくらいだ!』と驚きの声があがる。そーだろうよ。
『君のお父さんとはだいぶ違うだろ?』俺が訊くと『ゼンゼン違う』と言ってみんな笑うのさ。そりゃそうだ。俺はアハハハ!と高らかに夜景にこだまするような高笑い。
子供たちには、この高笑いが強烈なインパクトだったようで、参道の石段を下りながら、みんなアハハハと俺の真似をして笑ってやがる!
さぞかし、ロマンチックな気分で夜景を楽しんでたカップルの皆さんに顰蹙を買ったこったろう。なぁにかまうもんか。

幽霊だのふらついていたって、こんな高笑いでを聞かされちゃ、近寄っても来ないものさ。俺の魂は、死んでる奴らみたいな弱々しいもんじゃないんだ。
怖いものなんて、かみさん以外にありゃしないのさ。

読者諸君、失礼する。俺は最後に子供たちに、家から持ってきた伯方の塩をドバドバ振りかけてやったぜ!みんな頭や肩に塩を乗っけて喜んでいたのさ。またやろうぜ!

2015/10/26

Post #1664

この年までどうにかこうにか生きてきて、なんとなく思うのは、人生ってのは、少なくとも俺にとっては一種の肝試しみたいなもんだってことだ。
なにしろ、いつだって、先なんか見えているわけじゃなかった。何の見通しもない真っ暗な道を、明かりもなしに手探りで歩くようなもんだ。
平穏無事に暮らしているように見えるかもしれないけれど、毎日リアルに肝が試されているのさ。

そんなことを子供たちに伝えてやりたいもんだが、そういった抽象的な思考能力は、思春期前の学童期の子供たちには、まだ備わっていない。そういうのは、人生を俯瞰できるようになって初めてわかることなんだ。

だからこそ、きょうの経験を忘れないっでいてほしいもんだ。

俺たちは、わいわい言いながら裏山に通じる車道の急峻な斜面を登って行った。
どいつもこいつも、買ったばかりの懐中電灯を振り回している。
そんなんじゃちっとも怖くないぞ、消すんだ。
俺がそういうと、子供たちは何も見えないと抜かしやがる、馬鹿いえ、こんな月の明るい夜なんだ、懐中電灯なんかなくったって、十分見えるって、闇になれることが大切だ。
子供たちは、俺にどうやってみるんだよ、隊長?って聞いてくるけれど、そんなの教えられないぜ。

『心の目で見ろ!』

俺はそういうと、もう一度皆に懐中電灯を消すように促した。そういうもんはココ一番の時にとっておいたほうがいい。途上国を旅していると、真っ暗な道で獣のように目を光らせている男が、夜道を歩いているのに出くわすことがある。見えなくても、目を凝らすことで、見えてくるものさ。
闇になれなくちゃな。
なにしろ、俺たちは真っ暗闇の中から生まれてきて、真っ暗闇の中に死んでいくんだぜ・・・。

俺たちは、第一のチェックポイント毘沙門堂の参道前にやってきた。
立木に覆われた暗い道が、山の斜面に伸びている。
『お前ら、この道の奥のお堂に、独りで行ってこいよ。』
俺はこの道の奥のお堂に、独りでいって、ちゃんとそこまで行った証拠に、俺がお堂の前に置いておいた俺の名刺を持ってくるというミッションを与えた。
『まじでっ?ムリ!』
ガキども、早くいきたいと威勢は良かったが、実際にミッションを与えられると腰が砕けてやがる。人生はいつだって、独りっきりで戦っていかにゃならんもんなんだが・・・。
『馬鹿野郎、きんたまついてんのかよ?あ、すまん女の子もいたわ!仕方ない、二人一組で行ってこい!ツーマンセルだ。二人小隊だ。足元が悪いから懐中電灯をつけることを許可する。前を照らすんじゃなくて、足元を照らすんだ!それがポイントだ!』
人生だってそうだ。先ばかり見ていても、足元がおろそかになっていると、思わぬトラブルにケ躓く羽目になるのさ。

二人のガキどもが、ひーひー言いながら暗い道を登っていく。
待ってる子供たちには、懐中電灯を消すようにいうと、子供たちは暗いのは怖いというんだ。
『どうして暗いのが怖いんだい?眠るときは暗くないと眠れないだろう?闇は敵なんかじゃない。友達なんだぜ』
『そりゃそうだけど…』

二人組が興奮して帰ってきた。俺の名刺をもってきた。次の二人が入れ替わりで駆けだす。帰ってきた奴らは、怖かっただの、怖くなかっただの言って大騒ぎしている。どっちなんだよ。そして、後続の連中が遅い、あいつらはビビってるぜとかいってるんだけど、最終組の女の子に、あんたたちもおんなじくらいだったよって言われて笑っている。
俺は子供たちに『ここは毘沙門天ってインドの神様をお祀りしてるお堂だから、怖い事なんか何もないぜ。インドの名前はヴァイシャラヴァナ。それが日本に来ると毘沙門天って名前に変わるんだ。インドの北のほう、ヒマラヤあたりに住んでるとされた神様で、上杉謙信も信仰していたんだぜ』
知らないよりも、知っているほうがビビらなくてすむものだ。俺は子供たちに、上杉謙信は自分が毘沙門天の化身だと信じていたから、自分は決して負けないと信じていた話や、謙信が敵の鉄砲や弓矢が飛んでくる真ん中で、酒を飲んで相手を挑発した話なんかをしてやった。
そうこうしているうちに、最後の組が帰ってきた。
子供たちは、さっきまで怖がっていたくせに、ちゃんとお堂にいってお参りしたいと殊勝なことを言い出した。
細い車道で、上りと下りの車が、道幅が狭いがために行違うことが出来なくて、危なっかしくて仕方ない。暗い夜道より自動車のほうがおっかないのが現実だ。お参りにいくと称して、こっちの暗い道を登って行ったほうが、断然安全だ。
OK、イイだろう。みんなで行こう。
『野郎ども、ついてこい!』
俺はそう声をかけると、みんなの先頭に立って、お堂まで登って行ったのさ。

しばらく行くと、大きな六地蔵が並んでいたんで、子供たちをその間に立たせて写真を撮ってみたんだ。『おい、一人増えてないか?』なんて言いながらな。

読者諸君、失礼する。この話はもう一日くらい続けてみようかな。

2015/10/25

Post #1663

山門にかかる月
今日は仕事で福井まで往復してきたんだ。片道2時間以上、仕事は20分。ドライブを兼ねてカミさんも連れて行ったんだが、スピードの出しすぎだとか言って、終始小言を頂戴して、どうにも疲れたぜ。
まぁ、それはイイ。昨日の夜の肝試しだ。
俺は、昼間の仕事を終えて家に帰ると、そそくさと飯を食い、車に乗り込んで夜道を飛ばした。木曽川沿いの堤防道路だ。俺の大好きなドライビングルートだ。
今夜の目的地は、成田山の名古屋別院だ。小高い山の山頂にそびえてる。そして、その山の斜面に墓場が広がっている。そこがこの夜のフィールドだ。
俺のいでたちときたら、ダブルのライダース・ジャケットにヒョウ柄のスキニーパンツ、リーゼント風の髪形に、足元はドクター・マーチンのブーツだ。どこから見てもロッカーだ。子供さんたちにもつかみはばっちりだろう。首にはネパールで手に入れてきたドクロの数珠が下がっているのも、アクセントが効いていていいんじゃないか?

時間に余裕をもって出かけたので、まだ誰もついていない。月が周囲を明るく照らしている。こんな時は、懐中電灯なんかつけると、そこしか見えなくなってかえって危険だ。暗がりに目を鳴らしておかないとな。俺は独り懐中電灯もつけずに、下見を始めた。

月明かりに俺の影が伸びている。この写真の先には左手に毘沙門堂やら墓場やらがある。登り切ったところからは、濃尾平野の夜景が一望できる。そしてそのすぐ足元には水子供養の小さな地蔵がずらりと並んでいるってもんだ。さらにうえには大仏がどーんとちんざしているんだ。なかなかいい。シャコタンのレクサスに乗ったヤンキーが来ていたり、エンジンだけかかった車の中に、若い男女が抱き合っていたりする。こんなのなにが怖いもんか。子供たちを使って、カップルの乗った車をギシギシ揺らしてやるのも悪くないぜ。楽しみだな。

俺は、墓場のある山の裏手から境内に入り、独り夜景を眺めていた。
ずいぶん昔、よく女の子とこの夜景を見に来たものだ。その娘は今じゃどうしていることだろう。今更知ったところでどうにかなるものでもない。一瞬交わった人生は、一度離れてしまえば、よほどの強い縁がなければ、再び交わることはないものさ。そんなものさ。どのみち、今の俺には何もしてやれないだろうしな。とはいえ、忘れたくもないというのも事実だが。
過ぎ去った人生の一コマを思い返す中年のおっさんの感傷など、小学生の子供たちにはわかるはずもない。
大人になるとは、そんな感傷をしこたま胸の中に抱え込むことだ。
俺はそんなことを考えながら、参道を一人下って行った。

約束の時間だが、まだ誰も来ていない。俺は生垣の上に仕事で使っている充電式のランタンを置くと、煙草を吸い始めた。きっと、俺の姿は下からの光に照らされて、不気味に見えるこったろう。

そうこうしていると、ワイワイガヤガヤ騒ぎなら、10人ほどの子供たちが上がってくる。みれば、俺にこの大役を依頼した高校時代の同級生の成れの果てと、もう一人子供たちのお母さんが同行している。
まだ俺に気が付いてないようだ。俺はがさりと生垣をゆすりながら立ち上がった。その音に気が付いた子供たちが、下からの光に照らされた異様な風体の俺を見て、うわぁ!とか声をあげてビビっている。よし、受けてるぞ!この先制攻撃は有効だったようだ。

俺は子供たちに『俺がソーゴ君のお母さんの同級生の服部だ』と名乗ると、パドックに入って出走を待ってる競馬馬みたいに出発したいばかりの悪ガキどもに、自己紹介するよう促した。
子供たちは小学六年生のソーゴ、リョーマ、藤木、たつや、小学一年のカツ。このほかに、女の子も三人ほどいる。カツのお姉さんたちだ。一番上のお姉さんは怖くて参加できないけれど、家で一人で待っているのも怖いのでイヤといってついてきた。しかし、怯えっぷりが尋常じゃないので、同級生の旧姓古澤さんに頼んで、一緒に車のあたりで待っていてもらうことにした。

俺は、一通り自己紹介が終わると、今夜は俺のことを隊長と呼ぶように、悪ガキどもに命じた。

さて、今日は久々に長距離運転して疲れたんで、この辺でやめておこう。
明日だ、明日。俺たちには明日があるんだ。そもそも、これ以上だらだら書いていちゃ、きっと君まで疲れちまうだろうし、俺も久々の長距離運転でお疲れなのさ。少し眠らせてくれないか。

読者諸君、失礼する。続きは明日だ。

2015/09/14

Post #1623

Bhaktapur,Nepal
今日は充実した一日だった。
腰の痛みに耐えかねて朝の6時に目を覚まし、コーヒーとパンの朝食をとるやいなや、洗濯、ゴミ出し、帳簿付けをサクサクこなし、朝からかかりつけの病院に行き、風邪の薬を処方してもらってきた。明日からの仕事に備えて定期券も買っておいたし、家の近所の神社で、猫と遊んだりもした。

今日は忙しかったんだ。高校時代の友人(女性というか、強烈なパワーのおばちゃん)と昼食を共にする約束をしていたんだ。なにしろ、こいつと会うのは20年以上ぶりだ。お互い、騒がしいもの同士だ。長年のブランクなんてへいちゃらだ。

こじゃれた昼飯を食いながら、俺は今日がたまたま母校の学園祭だってことに気が付いた。
どうだい、今から行ってみないか?って振ってみると、友人はぱっくん食いついてきた。
OK、いいだろう。行ってみようじゃないか。
俺たちは食事を終えると、中年お騒がせカップルといった風情で二人で車に乗り込み、懐かしい道のりをひた走ったのさ。

なにしろ、卒業したのが昭和62年だからな。どんな大昔だよ。
懐かしいッたらない。
父兄も高校生や中学生の皆の衆も、大声でしゃべりながら、我が物顔で校内を歩き回る俺たちに、不審と好奇の入り混じった視線をそそぐ。
なぁに、構うもんか。
ただし、警察呼ぶのは面倒だからやめてくれよ。見てくれほど悪い奴じゃないんだぜ。
笑いたければ笑ってくれていいぜ。ニンゲン、笑っていたほうが幸せだ。君たちがそれで幸せなら、もっと面白くしてやるさ。
俺はそんな視線には馴れているので、かまわず校長いるかい?とノックして校長室を覗きこむ。
昔ながらの生徒会室に勝手に入り込んで、現役の生徒会長君に『やぁ、俺が大昔の生徒会副会長さ、よろしくな!がんばってくれよ!ガッハッハ』とか言って回ったりしたのさ。

いったい何様だ?強いて言えば、俺様だってところだな。

かつて、俺のことを知らなければ、この学校の教師ではないとまで言われた問題児のことも、今や知る者はいないのだ。残念!
私立の中高一貫校とはいえ、先生たちもすっかり爺さんになり、一線を引いていた。
老兵はただ去るのみだ。
わずかに残っている先生の頭にも、髪はまったく残っちゃいなかった。
体育館では、イケメンコンテストなんてやっていたから、俺も乱入すればよかったぜ。
さすがにそいつは、友人に止められちまったわ!

すっかり様変わりした学校は、どこか寂しいものがあった。
今振り返ると、あれはとても大切な時間だったようにおもえるよ。
けどまぁ、今更戻りたいとも思わないけどな。ときおり、旧友と顔を合わせ、懐かしみ、自分のいまの立ち位置を確認するくらいがちょうどいいのさ。

愉しかったぜ。

15日から新しい仕事だ。体調は万全にほど遠いが、気合入れていくかな。
俺は何時だってフルスロットルだ。

母校の文化祭を覗いてみてノリノリの俺

2015/03/22

Post #1446

夜働き続けることは、精神に悪影響を及ぼす。
芍薬。もう少し暖かくなれば、今年も芍薬を愉しめる。
他人のことは知らないが、俺の心の中には、なんだかよくわからんが禍々しいものが棲んでいるような気がする。
その禍々しいものが、深夜に仕事が終り、ひとり始発を待っている間に、心の奥底でうごめき、日常意識を押しのけて這い出して来る。

世界は深い、昼が考えたよりも深いのだ。

多くの人々が、疲れ果て、座席で眠り込んでいる電車の中で、俺は一人、燃えるような眼をして自分の中を見つめているんだ。

今朝は、少年の頃の自分が、癌で死んだ母親を本質的には死のほうに追いやっていたことを想いだした。
あのとき、弟は、母親を俺が殺したのだと言って、泣き叫んだ。
俺は、何も言い返すことが出来ず、暗がりのなかで立ちすくんでいた。
以来、生きるとはどういうことか、死とは何なのかという、答えのない問いに憑りつかれている。

あのとき、俺は、自分が母親を焼き殺して生まれた火の神になったようにも感じた。

そして、母が存命している頃から他所の女の匂いをさせていた父を、自らの生き方に自信満々であるがゆえに、他人をどこか見下したような父を、長年憎み、この手で殺したいと願っていたことを想いだした。
そしてまた、壮年に到った自分自身が、その父親と本質的には何ら変わりのないモノだと気が付き、自分がもっとも許し難いようにも思った。

そんなどこか禍々しい自分自身が、この瞬間にも胸を引き裂いて、もう一人の自分として表れてきそうな気すらし、それが夜から朝に変る不安定な時間のなせる気の迷いに過ぎないのだと自らに言い聞かせる。

その一方で、その罪を償うために、苛烈な人生を自らに与えてほしい、常人では担いきれないような使命を与えてほしいと、しらじら明けの空を仰ぎ、神とも仏ともつかぬ何かに祈る。虫がイイのかもしれないが、そうして初めて、自分が自分として生きられるようにも感じる。

昇る朝日を全身に浴びながら、駅から家までの道を歩む。そして、オレンジ色に輝く太陽を見つめる。目は当然盲いたようになり、太陽のほかは何も見えなくなる。
腹の底から、禍々しい自分の影を絞り出すようにして息を吐き、新鮮な空気を胸いっぱいに吸う。
太陽が放つ光の粒子が、息とともに身体のうちに入ってくるように感じる。オレンジ色に輝く粒子が、自分の細胞の隅々にまで駆け巡り、闇から生まれた思いを焼き尽くしてくれる。
俺は、こうして、禍々しい自分の想いを振り払う。いつものことだ。

かみさんが荷物をまとめて出ていった。

出張で上海に出かけたのだが、出かける際にくだらない口論になり、俺は玄関の扉を思いっきり閉めたのだった。もし手をかけていたのなら、指がちぎれるほどの勢いだった。
そうしてから、再び眠りにつく。目が覚めた時には世界は夕闇の中に沈んでいた。

そして、今夜は仕事も休みだ。誰も俺のことをかまってはくれないだろう。かまわないさ。

今日よりは また寂しくも 一人旅

読者諸君、失礼する。これからひとりまた飯を食い、夜通しプリントでもして暮らそう。母の子宮の中のような、暗く小さな暗室で、無意識の向こう側を見てみたいのさ。

2014/09/27

Post #1270

木曽福島 御嶽教教会にて
子供のころから見慣れている御岳山が噴火した。
俺の育った濃尾平野から、少し小高いところに登れば、東北方面に御岳山や恵那山が、西北方面には伊吹山が遠望できた。だから、何となく親しみを持っている。
御岳山の噴火自体は、俺の人生で何回か起こっているが、今回は規模も大きそうだ。死者や行方不明者も出ているようだ。折からの登山ブームで多くの人々が山頂付近にとり遺されているという。速やかに救出されるよう、願うばかりだ。

写真は、ずいぶん昔にリバーサルフィルムで撮ったもので、御岳山のふもと木曽福島にある御嶽教の教会に祀られている神々の像だ。
中央に鎮座し、目が三つあるのが國常立尊、左右が大己貴命、少彦名命だろう。そして全面中央に杖を突いて座っているのは、御岳登拝を拓いた覚明行者であろう。

國常立尊は、日本書紀では最も初めに現れた神だと言われている。
大本教では開祖出口なおに神懸った『艮の金神』こそが、この國常立尊とされている。それによれば、かつて神界を治めていたのだが、その統治に不満を持つ神々に、鬼門の方角である艮に封印されていた神であるされている。
いずれにしても、古い荒ぶる神なのだ。
それは、この像のどことなく不気味で威圧感のある容貌からも、なんとなく伺えるような気がする。
荒ぶる自然のエッセンスが込められているようだ。そう、八百万の神々は、ほとんどが自然現象の擬人化された姿なのだ。

読者諸君、失礼する。自然の力は、人間には抗うことなんか出来やしない。

2014/03/31

Post #1091

Zagreb,Croatia
こういうナイトクラブとか行ったら、愉しいだろうなぁ・・・。

おっと、いけないぜ。男の本音がほとばしってしまった。俺が海外に行くときには、カミさんが一緒なんで、品行方正だ。いや、俺はいつだって品行方正なんだ。信じてくれ。信じることは美しいことだ。
俺は君たちには美しくあってほしい。だから俺のことを信じてほしいのさ。

さて、承前。
桜は散ってはいなかった。結構なことだ。近所の神社は家の前から見ると、この時期そこだけ家々の屋根の上に桜がもっこり浮いているようになって、大好きだ。
神社に桜を見に行くと、小さな社の廊下の部分に、白黒の猫がちょこんと座っていた。
猫神様か。俺は何枚か猫神様の写真を撮ってみたけれど、神様、退屈そうにあくびなんかしてやがった。
猫神様、大あくび。うちの近所の神社にて
桜のほうは、まだまだしばらく楽しめそうだけれど、今日あたりから仕事も本格稼働だ。そうこう言っちゃいられないんだよね。

読者諸君、失礼する。今年の春は今しかないんだが、今年も仕事に追われて終わるのか?人生ってのは、たいていそんなもんかよ?

2013/07/13

Post #874 皆様に好かれそうな写真

Dubrovnik,Croatia
ヘルシンキでトランジットのついでに一泊し、クロアチアのドブロブニクとザグレブ、ハンガリーのブダペスト、チェコのプラハと遊び歩いてきた。我ながら、呑気なものだ。
その内容は、おいおいお話しするだろう。いつものモノクロ写真と言ったら、いったい何時になることやら。
帰ってきてからのあまりの暑さと湿気に、とてもプリントなんてできっこないと断念したのだ。まとめて届けてもらった新聞には、連日熱中症で搬送とか書いてある。
まったく命懸けでプリントなんかできるもんじゃねえっての。

こういう写真を載せると、きっと皆様カワイイと悶絶してくれるんだろうな。

俺自身は退屈だけど。

ネコ⇒カワイイっていう思考のショートカットを辿ってしまうことで、抜け落ちてしまうものは多々ある。と俺には思える。
別に、ネコだけに限った話ではない。
俺達には、目に見えるモノに対して、文化的なコードが後天的に備わっているので、何を見ても大抵の場合、思考のショートカットが起きる。
そして、思考のショートカットが起こるとき、そこに写っている写真の内容は、単なる記号と化して、意識の流れの中に埋没してしまうんだと思う。
それは、ぶっちゃけて言っちまえば、まぁ風呂屋の書き割りと同じだ。

けれど、出来ることならば、一本の木が写っている写真を見て、これはいったい何だ?と思えるような写真が撮ってみたい。いや、決してそれは網膜的な刺激のデカい写真であってほしくない。当たり前の物事が、当たり前に写っているだけでいながら、なおかつ、俺達が普段目にしていながら、見えていない現実を、写真にしてみたい。
俺達の思考を揺さぶるような、いったいこれは何が写っているのだと、何故、この人はこれを撮ったのだ?と、混乱させ、考え込ませるような写真を夢想する。
一枚の写真を通じて、既成概念ではなく、その写真を見るニンゲン自身の思考が、既知の文化的なコードを離れて動き出すような写真を撮ってみたいものだ。そして、君たちに届けたいものだ。

そんな下らないことを考えながら、旅行していたわけさ。

読者諸君、失礼する。 

2013/04/09

Post #778 久々にカメラを買ってしまった・・・

毎度おなじみCONTAX T3 三台目だ

またカメラを買ってしまった。久々だ。またまた、コンタックスT3だ。
俺にとって、これに勝るカメラは、無い。
今まで、黒が2代続いたので、今回はシルバーだ。
美品だ。ほとんど使った形跡がない。俺のT3なんて、2台とも黒の塗装が手ずれして、ところどころ、色もはげちょろだ。人間のはげちょろはカッコ悪いが、黒のカメラの塗装の禿げは、いかにも使い込んでる感じ画むんむん漂って、イカす。下地が真鍮色なら、カッコよさ倍増だ。
今時はやりのカメラ女子には、この感覚わかるまいて、ふふふ・・・。
去年の12月から、馴染の店にずっと取り置きして寝かせてあったのだが、昨日プリンターのインクを買いに行ったら、お世話になってる店長が明日から転勤というので、せっかくだ、カード麻酔で購入だ!という、唐突ないきさつだ。いつかは買わねばならなかった。いつ買うか、今でしょう!と言ったところだ。
金の算段は、おいおい考えるとするか。
随分昔、家の前で。今は亡きKODAK E100VSの色彩のえぐいこと!サイコーだ。
読者諸君、失礼する。現場の収まりが心配で、眠るに眠れないほど不安なんだが、眠らないと身が持たないんでね。

2013/04/08

Post #777 ある春の空

HomeTown
春の嵐のような天気だった。
風も強く吹き荒れ、桜はみんな散ってしまった。
ふと、かなり昔に撮った写真をのせてみたくなった。今日の空のような荒れた春の空だった。
読者諸君、失礼する。春は、どこか憂鬱な気分になるので、嫌いだ。

2012/08/30

Post #613 Gimme Wander

Haw Par Villa,Singapore
俺達は、見たままの世界が世界の全てだと思っている。
既に、各種の科学の発展がこの世界の神秘をことごとく葬り去った。
空に龍が舞うこともない。海の底に我々の世界とは異なる世界があると信じる者はいない。ケッタイナ姿をした深海魚や甲殻類だのが蠢いているだけだ。
白い雪を頂く山々に、神々が住むこともない。ただ、山があるだけだ。そこは空気が薄くて、人間の住む世界ではない。
神々が水晶の巨大な結晶に変化し、天竺から本朝に飛び来たることもない。ジェット機が飛び交うだけだ。
三本足の輝く鴉が、神の使いとして舞い降りることもない。鴉は早朝、ゴミをあさるだけの下賤な鳥に格下げだ。
天空に神々の座は既に無い。そこにはほぼ無限に広がる宇宙空間と互いに気が遠くなるほど離れた恒星が、孤独に回っているだけだ。
俺達は、それを科学の進歩のおかげだと思っている。さまざまな知識を得ることができたんだ、けっこうじゃないか、とね。しかし、世界は不可視の領域を、想像力の領域を失い、俺たちが接する世界は、確実に表面だけの薄っぺらなものに成り果てた。
かつて神の住んでいた森は切り開かれ、住宅地となった。
携帯電話など知らなかった、いわゆる未開の人々が世界を見るとき、現実に見える以上にイメージの世界が目の前に広がっていたんだろうってことは、俺には痛いほど想像できる。目の前のモノは、常に何かを象徴していた。風のそよぎは予兆を語りかけてきた。鳥のさえずりは、迫りくる不幸を告げた。タブーも畏れもなくなり、人間は世界に対する謙虚さを失った。親に対する尊敬芯を失った思春期のガキのようだ。それに比べて、21世紀に生きる俺たちの世界認識は、張りぼてのように表面だけの薄っぺらで、まったく以てお粗末きわまる。
Sir Mariamman Temple,Singapore
俺は、そういった薄っぺらな世界に、ほとほと嫌気がさしてる。驚きを求めているんだ。Gimme Wander だ。
だからどこかグロテスクな神々や仙人や怪物なんかを、大真面目に造形しているようなのを見ると、嬉しくなってくる。日本なら、さしずめ関ヶ原ウォーランドか。あそこも面白かったな。
そんな俺が今回の出張に持ってきた本は、平凡社ライブラリーから2冊、大昔の中国の仙人について書かれた『列仙伝・神仙伝』と、やはり大昔の中国の不思議な出来事を収集した『捜神記』だ。なかなかに面白いぜ。
家に帰ったら、澁澤龍彦の『高岳親王航海記』でも読み直してみたくなってきたぜ。かつて空海のもとで密教を学んだ平安時代の親王が、インドを目指して旅をするという素晴らしい小説だ。かつて、インドは、いかなる怪異すら起こりえる神秘の国だった。今はどうだ?発展途上国からいつの間にか新興国とかラベルが張り替えられて、IT大国だ。つまらん。
現実逃避?別に何と言われても構わないぜ。
俺は現実って奴にいい加減うんざりしてるんだ。ロマンのかけらもありゃしねぇからさ。そう、美しい女はクソもゲップもしないって、信じていたいだろう?現実と虚構の合間にこそ、神秘は生まれるんだぜ。
Gimme Gimme Wander!俺を驚かせてくれ!
読者諸君、失礼する。

2012/08/22

Post #608 あの角を曲がれば

Kuta,Bali,Indonesia

帰ってきた。昨日の朝早く。いろいろと忙しく駆けずり回って、やっと少し時間が出来た。出張先のホテルの部屋だ。席の温まる暇もないとはこのことだ。こんな風に時間はいたずらに流れ、何一つなすこともないままに、年老いていくって訳だ。OK、どうせ人間なんてそんな風にしか生きてはいけないモノさ。まぁ、それはいい。今言っても仕方がないことだからな。
飛行機を乗り継いで、バリ島、ジャワ島のジョグジャカルタ、そしてシンガポールにも足を延ばしてきた。
モノクロフィルムを31本、リバーサルを4本、締めて1300カットほど撮ってきた。まだ、現像は上がってきてはいない。例によって上りが楽しみだ。またもや自分の天才を確信することになるんだろう、なんてね。
今回も毎日、南国の照りつける太陽の下を、ひたすら歩いた。歩かないと写真はとれない。高速で移動することによって、どれほどの風景を掴み取ることができるというのだ?写真はやはり、歩かないと撮れないものだ。御苦労なことだ。熱中症になるんじゃないかとも思えたが、この日本なんかより全然過ごしやすいんだぜ。夜なんか一枚余分に羽織っていないと肌寒いくらいだった。まったく、この日本ちゅう国はどうかしてるぜ。
時折、写真を撮って歩き続けていると、ふと、こんなこと、単なる自己満足にしか過ぎないんじゃないかって思えてくる時がある。意味の無いことに、貴重な時間と無駄な労力を費やし、写真を撮り続けていることが、単なる難行苦行のよう感じる。ほら、インドなんかにいるだろう?40年以上もずっと手を上にあげている苦行者とかさ。それと大差ないような気になってくるんだよ。このデジカメ全盛の時代に、モノクロフィルムだなんて、時代錯誤も甚だしいとすら思えてくる。
また、どれほどシャッターを切ってみても、自分が目にしたものすべてを、世界の全てを写真にすることなど、出来るはずもない。どれだけシャッターを切り続けてみても、所詮は同じようなイメージの繰り返しなんじゃないかって、ふとネガティブに冷めてしまう一瞬が来るんだ。
けれど、もしかしたら、そこの角を曲がったところに、美しい女性が佇んでいるかもしれないし、見たこともないようなモノが、俺を待っているかもしれない。
いつだって、その角を曲がったところに、何かがあるかもしれないと自分自身に言い聞かせるようにして、写真を撮り続けています。
そして、これからもまぁ、相も変わらずなことでしょうよ。
しかし、今回の写真をはやくプリントしてみたいもんだなぁ。とはいえ、まだ当分家には帰れないんだろうけど。

2012/05/26

Post #545 たまにはこんなのもありだろう?

名古屋セントラルパークのゆるキャラ、マグマ
いつもの硬派なモノクロをお楽しみいただいている諸兄諸姉には、顰蹙だろーか?
まるで、女の子のブログ出でてくるような、やっつけな写真だ。君たちの期待を裏切ってみたかったんだ。
名古屋の繁華街、栄にそびえるTV塔の地下に広がる地下街・名古屋セントラルパークのマスコットキャラクター、マグマです。中京圏以外の皆さん、よろしくお見知りおきください。
地下にいる熊だから、マグマ。
ゆるキャラにはダジャレが似合うということか。しかし、意外に可愛い。仕事の合間に見かけて、写真を撮りたいというと、ポーズを可愛くキメテくれたぜ。
今時、どこにだって地下街はフツーにあるが、何故か昔から名古屋は地下街が発達していると考えられている。確かに、真夏や真冬は、みんな地下街の中ばかり歩いている。地底人だ。仕方ない、名古屋の夏はアフリカ人でも堪える程に暑い。また、冬ともなれば、伊吹降ろしにさらされ、体感温度は低いのだ。快適な地下街に引きこもってしまいたくなるのも、よくわかる。
おかげで、街を歩いていても、スナップが撮りにくいんだ。何故って意外と人が歩いていないからね。車で動き、地下街を歩き回る。それが名古屋人というものさ。
彼の天才アラーキーも、その往年の名著『写真への旅』の中で、名古屋を訪れ、名古屋の写真サークルの面々と出会った際には、彼らの事をモグマン(=つまりモグラのような地底人という意味か)などと呼んでいたっけな。如何にもアラーキーっぽいが凄いセンスだ。思わず絶句してしまった事を思い出す。だからまぁ、モグマンよりもマグマのほうが、いいんじゃないかなぁ・・・。なにしろかわいいし。
読者諸君、失礼する。今日はこれからやっつけ仕事だ。仕事の段取りをしなくちゃならないんだ。まったく、週末も台無しってもんだ。

2012/03/27

Post #490 All Ok! I'm Alive!

10日間もブログを休んでいると、知り合いから何件も電話がかかってきた。
どいつもこいつも、俺が死んだんじゃないかって、心配してくれたんだ。
ありがとう、しかし、俺はボロボロだけれど生きてるぜ。
身体中にクソがみっしり詰まってるように感じるほど、サイテーで最悪な日々を過ごしていたけれど、どうにかこうにか生きているぜ。もっとも、毎日20時間とか、二日で睡眠45分とかで働いていたら、さすがにまぶたの裏に花畑や河が見えてきたけどな。あれはケシの花だったろうか。ハスの花だろうか。まったくこんなんじゃ、ホントーにそのうち死んじまうことだろう。
けど、気にすんなって、人間誰しも一度は死ぬんだから。死ぬことを心配したって仕方ないだろう?

しかし、出来ることなら、気を遣うよりも、金を使ってほしーもんだ。
Morocco
そうだ、先においらに香典をくれるってのはどうだい?おいらその香典集めて、君たちとぱぁっと遊びたいってもんだ。ますます好き勝手なことができるぜ。まるで昔のRCサクセションの歌みたいだろう。それもまた痛快な人生ってもんだ。

OK、俺は今日もこうして何とか生きてる。今日もこれから出撃だ。人生は毎日が冒険だ。そうでも思わなけりゃやってられないぜ。失礼する。