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2015/09/30

Post #1638

HomeTown/Nagoya
昨日はあまりにいろいろあって、ブログを更新できなかった。
けっして病気して、寝込んでいたり、車で事故ってあっけなく死んでいるわけじゃないので安心してほしい。

俺の終生のライバル福山雅治が吹石一恵と結婚したことに触れた菅義偉官房長官は、次の湯に語ったと今朝の新聞は報じている。
『この結婚を機に、ママさんたちが一緒に子供を産みたいとか、そういう形で国家に貢献してくれたらいいなと思っています。たくさん産んで下さい。』

俺はふざけるなといいたい!

子供を産み育てることが国家に貢献するのではなく、国家こそが、子供たちや親たちに貢献するべきなのだ。

そもそも国家とは何なのだ?
国家とはどこにあるのだ?
それは与党政治家の集まりなのか?
それは官僚機構のことなのか?
天皇陛下を中心とした臣民の集まりのことなのか?
それとも法体系のことなのか?
其れとも、政財官の巨大な利権機構のことか?

国家なんてものは、幻想の産物に過ぎないんだぜ。幻みたいなものだ。誰も猫を捕まえるようにして、これが国家だなんて言うことはできない。概念であり、システムに過ぎないんだ。
強いて言えば、国家とは、俺たち一人ひとりの国民の意志の集合体である一般意思が契約によって生み出したものに過ぎない。

そんなものに貢献するために生きているつもりはないし、国家のために俺は子供を作ったつもりもない!
そもそも、かつて富国強兵を目指した旧大日本帝国では、産めよ増やせよと子作りが奨励された。
そう、子供たちを明日の兵士として、戦場で消費するために。
その手の人間を舐めた発想から、俺たちは脱却しなけりゃならないんだ。

国家のためだぁ?バカバカしい!

突き詰めていくとあやふやな存在である国家のために命を懸けるなんて、あほらしい。俺は自分の惚れた女のためになら、自分の子供のためになら、喜んで命を懸けるけど、女たちも子供も、俺が泥をすすっても生きるほうを望むだろうよ!

俺は自民党の諸君とは、方向性がまったく違う。国家のために国民がいるのではなく、市民に奉仕するために、国家という幻想のシステムが存在しているのだ。自民党の政治家は、なにもわかっていない。
戦争法案を強行採決したら、次は経済最優先?みんなの不満を市場に金をぶち込むことで解消しようっていう、姑息な手段だ。
子供を産んでくれと言うのなら、もっと保育や教育に予算をつぎ込み、そこで雇用を生むことくらい考えてもイイだろうに!

そんな俺を批判する奴だっているだろうが、その人たちが普段からどれだけ国家に対して忠誠とやらを誓って、国家に貢献するべく社会活動をし、国家の運営費たる税金を、できるだけたくさん払おうとしているか分かったものじゃないぜ!

読者諸君、失礼する。俺は間違っていない。間違ってるのは自民党の連中だ。みんな、口当たりのいい言葉に騙されるな。

2015/09/28

Post #1637

HomeTown/Nagoya
俺はこの土日、性懲りもなく銀座の現場に舞い戻り、ほとんど眠らず、月明かりに照らされながら夜通し働いて、朝7時の新幹線で名古屋に戻って仕事をしていた。
危うく新幹線で寝過ごして、、京都旅行に行っちまうところだったが、不屈の精神力で名古屋の手前で目を覚ましたのさ。さすが、業界で眠らない男といわれてるだけのことはある。

とはいえ、図面とにらめっこしてるだけのデスクワークだ。
眠たくて仕方ない。というか、気が付くと終日居眠りしていたようなもんだ。

帰り道、眩しいくらいに輝く月に照らされて家路をたどった。
月を見ると、自分にとってかけがえのないひとを思い出す。
その人も、同じ月を見ているのだろうかと思うと、少し嬉しく、少し切なくなる。
そうして家にたどり着き、泥のように眠っていたのさ。

ひと夏を費やした銀座の仕事は終わった。
あとはオープン前のレセプション・パーティーに行くだけだ。楽しみだな。誰かすてきな女性を連れていきたいもんだぜ。

読者諸君、失礼する。想えば今年はいろんなことがあった夏だったよ。ここにかけないことばかりだけどね。

2015/09/04

Post #1613 さらば、中平卓馬

在りし日の中平卓馬。胸ポケットにはショートホープ
銀座三丁目の吉野家のカウンターで、サラリーマンや中国人に交じって牛丼をかき込んでいると、友人から中平卓馬が死んだようですよとメールが入った。
ググってみたが、見つからない。本当に死んだのか、それとも世の中の人々にとって、偉大な写真家が死んでしまったことなど興味をそそらないから報道されないのかわからないまま、牛丼は食べ上げられてしまった。

夜ベッドの上でまどろんでいると、先ほどの友人が写真評論家の赤城耕一氏のツイッターを共有してきてくれた。

そこには、『中平卓馬の訃報が入ってきた』といった旨の内容が記されていた。

巨星、墜つ

俺の抱いた感想は、まさにそれだ。
詩人になるか写真家になるかを悩んだ末に、何の写真教育も受けずに、自ら自分は写真家であると宣言することで、写真家となった中平卓馬。
盟友森山大道とともに、見たものに強烈な印象をもたらす抒情性の溢れた、アレ・ブレ・ボケ三拍子そろったモノクロ写真で、写真のカリスマとなった中平卓馬。
学生運動と連帯し、のちの東大総長・蓮見重彦を論破したほどの論理言説の使い手、中平卓馬。
昏倒の末、記憶喪失を患い、言葉を失ってしまっても、なお写真を撮り続け、写真家ではなく、生きながらカメラそのものになった中平卓馬。
被写体を105ミリの望遠レンズのみで、正面から真っ直ぐ切り結ぶように捉え続けた中平卓馬。
毎日まいにち、同じ場所で同じ被写体を撮りながらも、『これは初めての場所だねぇ』といい続けた中平卓馬。
デジタルカメラを、『写真家の所業ではない』と嫌い、最後までフィルムカメラにリバーサルフィルムで写真を撮り続けた中平卓馬。
かつて、荒木経惟をして、『中平さんは墜ちない流れ星』と言わしめた中平卓馬。

うすっぺなら写真が横行横溢する現在、中平卓馬の存在こそは、写真とはなにか、写真家とは何かという課題を、写真のあるべき姿とは何かという、重たい問いかけを、常に突き付けてきていたはずだ。

少女の写真を撮る中平卓馬
さらば、中平卓馬。どうぞ安らかに。
いつかまた、お会いしましょう。

あなたの存在が、あなたの写真が、僕たちに問いかけ続けたことを、僕は胸に刻んで忘れない。

読者諸君、失礼する。RIP。

2015/05/28

Post #1513

Home Town,Ichinomiya,Aichi
自分自身の心に真正面から向き合い続けて、ここでさらけ出し続けるのは、正直言えば、時に苦痛だと感じるよ。

読者諸君、失礼する。

2015/05/27

Post #1512

金城埠頭、名古屋
読者諸君、写真だけお送りしよう。失礼する。

2015/05/26

Post #1511

木蓮。俺の好きな花

しばらく、文章のほうは休ませてもらおうかと思うんだ。
どうしても書きたい時だけ、書かせてもらうってことで勘弁してもらえないかな。
そんな気分の時もあるさ。
ほんの数日なのか、1週間なのか、それより長くなるのか自分でもわからないけれど、しばらく写真だけでお茶を濁させてくれないか。

木蓮。しっとりとした姿の女性を思い浮かべる。

読者諸君、失礼する。いつかまた語り合おう。

2015/05/15

Post #1500

Home Town/Nagoya
先日近所のうどん屋でかつ丼とうどんのセットを注文し、それが出てくるまでの間、俺はある絵本を3回も読んでしまったぜ。それは今は亡き佐野洋子の傑作『百万回生きたねこ』だ。
うちにもあるんだが、退屈だったんでね。カミさんは、その絵本を見ると、悲しい結末が思い出されて、泣けてくるから読めないと言っていたが、俺は何回まで我慢できるか、試してみたんだ。

三回まわり読み切ったところで、うどん大盛りとかつ丼のセットがやってきた。
もちろん、そんな絵本は子供向けっていうんだろうが、週刊文春なんか読んで、世の中のことをわかったようなふりをするよりも、よほど為になるってもんだ。なにしろ、感性がすり減っちまったら、この世の中は無味乾燥な砂漠とかわりゃしないんだぜ。

う~ん、ついにこのブログも1500回だ。
2010年の秋からシコシコやってきた。相も変わらずご覧の通りだ。
一昨年の年末ごろには、いい加減うんざりして1000回めどにやめてしまおうかとも思ったが、意外や意外、やめるなという意見をうけて、のんべんだらりと続けてきた。よくもまぁ、毎日続けてきたものだ。

俺が厭きるよりも、君たちがうんざりしちまうんじゃないかって心配になるよ。

しかし、1500回なんてただの通過点に過ぎないんだぜ。
俺のブログを読んで、笑ったり、泣いたり、勇気づけられたりしてくれるという人が一人でもいる限り、やめる理由なんてどこにもないぜ!
だから、俺が生きてる限り付き合ってもらうさ。

なんてたって、俺はこうして生きてるんだからな。週刊現代や女性自身なんかにのってる芸能人の生活よりも、俺は自分の人生のほうがはるかに面白いんだ。世間の皆様はそうじゃないのか?どっかの芸能人が、どっかの女とやったとか、遺産相続でもめているとか、そんな話のほうが自分の人生よりも面白いのか?
はっきり言って、そんなことはどうでもいいのさ。俺は『百万回生きたねこ』の主人公の猫みたいに自分のことが大好きなんだ。もちろん、君たちのことも大好きだ。嘘じゃないぜ。これは君に向けて書いてるんだ。

そう、君だよ、君!
俺はいつだって、君のことを思いながらこのブログを書いてるのさ。君のことが大切なのさ。
昔学生の頃、授業中に描いた落書きを、昼休みに仲間たちに見せびらかすような気分で、毎日コツコツと書いているのさ。
Home Town/Nagoya
昨日はプリントして、先日の旅行のネガを近所のカメラのキタムラ一宮中島通店に取りに行き、夜中の一時までそのネガをチェックしていた。連日視神経と脳みそをフル回転させているために、くたくただ。仕事よりも、精力を注いでやってるのさ。

俺はもうずいぶん長いこと写真をやってるような気がするが、最近自分の写真が昔とは全然違ってきたって思えてきたよ。昔の写真をまとめてみる機会があったんだが、その時実感したんだ。

昔は、なんだか世の中の人々が、思わず目を背けたくなるような面に、やたらとこだわっていたような気がする。人間の暗部をつかんで、平穏な暮らしをしている人々の鼻先に、ほれって突き付けるような思いがあったのかもしれない。
その頃の写真は、なんだかどこか荒んだような気配が漂っているように思う。
けれど、今はもう少し人々を愛おしむような写真が撮りたいんだ。
実際にはそんなにも変わらないけれど、俺の気持ちが変わってきたんだろう。昔は、ささくれ、やざくれて、どこか人間を馬鹿にしてたんだろう。
それに何より、どんな人も、そう例えるなら、人から決して良くは言われないような生き方をしている人も、決して悪い人なんかではなく、自ら望むと望まざるにかかわらす、何らかの契機で、そう生きざるを得なかっただけの、どこか悲しい人であり、実は愛すべき人なんだと気が付いたことのかもしれない。
もっと端的に言えば、携帯をいじってるケバい女とか、疲れたサラリーマンの親父の写真なんか撮りまくっても、もうなんもおもろないって思ったのさ。とはいえ、ときには撮るだろうけれどね。
それよりも、君が見て心躍るような写真を撮りたいのさ。

写真を撮ったり、文章を書き綴っているうちに、自分の中で何かが変わったんだろう。
大人になったってことなのか?
けれど俺は、そんじょそこいらの並の大人ではいたくないんだ。君はもうわかってると思うけどね。君をワクワクさせ続け、君を愉しませたり、君を考えこませたりするような、困った大人でいたいんだ。
俺の家の食卓で
もう一つ、話をしてもイイだろうか?1500回だ、いい区切りだから許してほしい。

俺は、君たちが寄せてくれるコメントを、とても大切に思ってる。これがあるから、このブログが、俺の一方的な垂れ流し、押し付けになろうとするのを、何とか水際で押しとどめてるんだと思う。
他にも、ブログの内容に関して直接メールやフェイスブックなんかでコメントしてくれる人もいる。
また、その一方で俺の持ってる思想や、政治信条に対して感情的にいちゃもんをつけたり、論戦、批判をしてくれる人もいる。それもまた一興だとは思う。もちろん、ある程度のレベルまでは。

俺はそのすべてに、出来る限り丁寧に、可能な限り素早く返信したいと思ってる。
そのやり取りが、俺と君たちをつなぐ縁を、強くしてくれると思っているから。

かつて、俺には黒田さんという20歳ほど年上の友人がいた。
彼は身寄りがなく、しかも病気で働けなくなってしまい、生活保護で暮らしていた。
俺とは、俺がバイクの事故で足の骨を折って入院しているときに、喫煙室で出会ったんだ。人懐っこいおじさんで、何年か俺の家に遊びに来てはコーヒーを飲み、ロックを聴き、文学や思想について語り合ったものだ。
そして、彼は何度か俺に、わざわざ本を買って送ってくれたりするようになった。
俺は、そんな好意をうけるいわれはないので、それを断ったり、しぶしぶ受け取ったりしていた。
それに、生活保護をもらっているような人から、贈り物をされても、申し訳ないってもんだろう?恐縮しちゃうぜ。
今にして思えば、身寄りや親しい友人のなかった黒田さんは、俺との付き合いが純粋にうれしかったんだろうし、それを感謝していたんだろうし、その感謝の気持ちをなんとか形に表したかったんだろう。
そんな気持ちをくみとることができなかったのは、俺がまだどうしようもない若僧だったからだ。
そんなんで、お互いの空気がギクシャクしてきてしばらく経った頃、黒田さんはこの街に見切りをつけて、九州に流れていった。
俺のもとには何度か手紙が来た。俺はそれを受け取るだけ受け取っておきながら、返事を出さなかった。そして、いつしか便りは絶えた。いま、黒田さんは生きているのか、死んでいるのか、俺には知るすべはない。

俺は酷い男だ。俺は孤独なおじさんが精一杯伸ばしてきた手を、無視するように振り払ってしまったんだからな。せっかく結んだ縁を、太くすることなく、断ち切ってしまったんだ。

その後悔が、俺の胸の中には確かにある。時折、思い出しては若い頃の自分の頑なさに、腹が立つ。二度とそんな思いはしたくない。人生は一度きりなんだからな。

だから、君たちと結んだ縁を大切にしたい。
あらためて言わせてもらうよ。
いつもありがとう。

もちろん、昔コメントをくれていたけど、いつの間にか消えてしまった人もいる。
けれど、その人たちのことも忘れたことはない。
また、まったくの匿名で言葉をかけてくれる人もいる。
きっと、ハンドルネームすら明かせない事情があるんだろう。
いつか、そんな人とも、もっと親しく接してみたい。
なにしろ、人生は一度きりなんだからな。

読者諸君、失礼する。俺はこれからも、いつだってここにいる。君が呼んでくれるなら、いつだって応えるさ。君がいなけりゃ、俺のやることなすことには何の意味もないのさ。
さて、今日はヨーロッパ旅行の写真でも、少しプリントしてみようかな?お楽しみに!

2015/04/11

Post #1466

Home Town/Nagoya
先日、天皇陛下並びに美智子妃殿下が太平洋戦争の激戦地であったパラオをご訪問なされ、戦没者をお弔いになられた。
俺は決して右翼でもないし、天皇陛下こそ現人神だとか思っているような時代錯誤な人間でもないんだが、公のために自らの人生の全てを注いで、国民統合の象徴として困難な使命を背負っておいでの天皇陛下に対して、畏敬の念を忘れたことはない。

理屈でどうこう言ったところで、戦死者を弔い、震災の被災者を労われるお姿を拝すると、かたじけない思いが湧き上がってくる。私心を抱かれることもなく、ひたすらに人々の幸せを祈り、人々の苦難に寄りそってくださるお姿には、自ずと頭を下げたくなるのだ。

とはいえ、天皇陛下万歳とかいって、勝ち目のない戦いをするとか、自らの存在を抑圧するような形で生きることを強いられるのは、まっぴら御免だけどな。

さて、異例なことではあるが、陛下は近年、現行憲法を尊重するようにとのメッセージを出しておいでだ。そのようなメッセージをお発しになられることが、すでに憲法に触れるのではないかという危惧を、陛下御自らお持ちのようであったので、そのようなご発言をなさるのは、よくよくご決心なさってのことであろうと、選挙権を持ち、自分たちの手で政治家を選ぶことのできる国民の一人として、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

そして、この時期に、あえて陛下が遠くパラオまでお出かけになられ、戦没者の慰霊追悼をなさるのは、決して我が国の国家主義を高揚させるためではないと俺は信じている。
純粋に、日本人の、そして敵であったアメリカ人も含めて、パラオでの悲惨な戦闘で命を落とした犠牲者を悼み、二度とそのような惨禍を引き起こしてはならないという強いメッセージを、俺は陛下のお姿から、汲み取らせて頂いた。
陛下は、憲法によって政治的な一切の活動発言を禁じられている。
しかし、そのおふるまいから、陛下の大御心を僭越ながら推し量ることはできるはずだ。
君にもそれはわかるだろう。
今やこの国は、アメリカの戦争の下請けができるような国へと、粛々と舵を切っている。これも国民の皆様が熱烈に支持している安倍首相の努力の賜物だろうよ、まったくもって。
そのような世の流れの中で、あえてご自身のご高齢とご不便をおして、パラオまで赴かれた陛下の大御心を、無碍にするような真似をしてはならない。陛下のお心を悩ますようなことをしてはならない。
繰り返して言うが、陛下は日本が再び戦争ができる国になることを、決してお喜びにはならないだろう。

読者諸君、失礼する。俺は決して右翼ではないけれど、古代から連綿と続く、我が国の私心なき祭司王たる天皇陛下を、実は深く尊敬しているのさ。

2015/03/22

Post #1446

夜働き続けることは、精神に悪影響を及ぼす。
芍薬。もう少し暖かくなれば、今年も芍薬を愉しめる。
他人のことは知らないが、俺の心の中には、なんだかよくわからんが禍々しいものが棲んでいるような気がする。
その禍々しいものが、深夜に仕事が終り、ひとり始発を待っている間に、心の奥底でうごめき、日常意識を押しのけて這い出して来る。

世界は深い、昼が考えたよりも深いのだ。

多くの人々が、疲れ果て、座席で眠り込んでいる電車の中で、俺は一人、燃えるような眼をして自分の中を見つめているんだ。

今朝は、少年の頃の自分が、癌で死んだ母親を本質的には死のほうに追いやっていたことを想いだした。
あのとき、弟は、母親を俺が殺したのだと言って、泣き叫んだ。
俺は、何も言い返すことが出来ず、暗がりのなかで立ちすくんでいた。
以来、生きるとはどういうことか、死とは何なのかという、答えのない問いに憑りつかれている。

あのとき、俺は、自分が母親を焼き殺して生まれた火の神になったようにも感じた。

そして、母が存命している頃から他所の女の匂いをさせていた父を、自らの生き方に自信満々であるがゆえに、他人をどこか見下したような父を、長年憎み、この手で殺したいと願っていたことを想いだした。
そしてまた、壮年に到った自分自身が、その父親と本質的には何ら変わりのないモノだと気が付き、自分がもっとも許し難いようにも思った。

そんなどこか禍々しい自分自身が、この瞬間にも胸を引き裂いて、もう一人の自分として表れてきそうな気すらし、それが夜から朝に変る不安定な時間のなせる気の迷いに過ぎないのだと自らに言い聞かせる。

その一方で、その罪を償うために、苛烈な人生を自らに与えてほしい、常人では担いきれないような使命を与えてほしいと、しらじら明けの空を仰ぎ、神とも仏ともつかぬ何かに祈る。虫がイイのかもしれないが、そうして初めて、自分が自分として生きられるようにも感じる。

昇る朝日を全身に浴びながら、駅から家までの道を歩む。そして、オレンジ色に輝く太陽を見つめる。目は当然盲いたようになり、太陽のほかは何も見えなくなる。
腹の底から、禍々しい自分の影を絞り出すようにして息を吐き、新鮮な空気を胸いっぱいに吸う。
太陽が放つ光の粒子が、息とともに身体のうちに入ってくるように感じる。オレンジ色に輝く粒子が、自分の細胞の隅々にまで駆け巡り、闇から生まれた思いを焼き尽くしてくれる。
俺は、こうして、禍々しい自分の想いを振り払う。いつものことだ。

かみさんが荷物をまとめて出ていった。

出張で上海に出かけたのだが、出かける際にくだらない口論になり、俺は玄関の扉を思いっきり閉めたのだった。もし手をかけていたのなら、指がちぎれるほどの勢いだった。
そうしてから、再び眠りにつく。目が覚めた時には世界は夕闇の中に沈んでいた。

そして、今夜は仕事も休みだ。誰も俺のことをかまってはくれないだろう。かまわないさ。

今日よりは また寂しくも 一人旅

読者諸君、失礼する。これからひとりまた飯を食い、夜通しプリントでもして暮らそう。母の子宮の中のような、暗く小さな暗室で、無意識の向こう側を見てみたいのさ。

2015/03/07

Post #1431

HomeTown/Nagoya
最近、このブログにロシアからアクセスが多い。
どうにも半分以上がロシアからのアクセスだ。
別にロシアで大人気なわけじゃない。
訳の判らんスパムかなんかが、連日ドバドバ送り付けられているだけのことさ。
ひょっとしたらプーチンが次に暗殺しようと考えてるのは、俺なのかもしれないがね。
おかげさんで、PVカウンターの数字だけは水増しされて伸びている。
まぁ、実際にコメントくれたり何らかのリアクションがない限り、君が辛抱強く読んでくれていても、ロシアからスパムが送られてきていようが、俺にとっては同じようなものさ。
だから、さみしい中年スパークスに、コメントでもくれてやって楽しませてやってくれ!
いつだって、迅速かつ誠実に対応させてもらうぜ。

先日、俺が憤慨していたブロガーの新しいアダルトコンテンツポリシーは、実施されないことになったそうだ。
よかった、よかった。これで俺のこのブログもしばらく安泰だ。相変わらず読者は少ないけどね。

ざまぁ見ろ!

きっと俺のように、各々の表現の自由を守りたい奴らが、ブースカ不満の声を上げたんで、グーグルも方針を見直すことにしたんだろう。
よかったな。どいつもこいつも型苦しいことばっかり言いやがって。
All Good Thing Is NASTYなんだ。憶えとけよ!

俺ははっきりここで言っておきたいのだけれど、いいかなぁ?

どんな物事にも、人間が絡むことには大なり小なり性的な要素が含まれている、ってことだ。

そして、もう一点。

充実したセックスくらい、多幸感を人間に与えてくれるものは、他にないんじゃないの?ってことだ。
それを、不謹慎だの、セクハラだの何だのって抑圧ばっかりするもんだから、世の中なんだか息苦しくなっちまうんだよ。
確かに、多幸感があるから、習慣性強いのは間違いないわなぁ。しゃあないわ。
しかし、性的なことが罪深いってのは、そもそもどっから来た考えなんだ?

江戸時代までの日本人は、性的にあけすけで、スケベなことに関しては、世界トップクラスだったはずだが。
やはり、明治維新以降、ヨーロッパからキリスト教を基盤とする欧米の文化が入ったことからだな。
ヨーロッパの文化ってのは、キリスト教が基礎になってるんだけど、そいつがいろいろと抑圧するもんだからな、いろいろとビザールな文化が発達してるのさ。SMだってその一つだろう。いろいろと考え出すとそれはそれでおもしろそうだが、長くなるのでやめる。ただ、キリスト教の禁欲的な宗教態度空の影響で、あんまりストレートに性を愉しむってカンジじゃなくって、背徳的で淫靡なカンジになってるわけだ。

ニーチェは、『ツァラトゥストラは斯く語りき』のなかで、ツァラトゥストラをして、『イエスがもう少し長生きしたなら、大地を愛すること、笑うことを憶えたはずだ』みたいなことを言っていたけれど、そうかもしれないな。
天上の清浄さよりも、大地の混沌と豊穣を愛することは、相手のむさくるしさを受け入れて、それをいとおしむことと何ら変わりないだろう?
そして、その果てに、笑いと喜びがあふれてくるものさ。
十字架の上のイエス様の像には、確かにそういった世界への肯定と、その末の哄笑は見当たらないな。
いかがわしさの欠片もない。
しかし、世界はいやらしく、いかがわしいものだと思う。そしてそのまま同時に、崇高で美しい。
いいセックスをすれば、その意味が分かるだろうよ。
どんなに気取ってみても、親父とおふくろが二人なかよくおめこして生まれて来たってのは、人類みな共通だろ?
そこには宗教も民族も関係なけりゃ、貧乏人も金持ちもなんら違いはない。

大昔の都都逸にもこんなのがあるぞ。

楽は苦の種 苦は楽の種 ふたりしてする人の種

OK、それが解かったらみんなお互い仲良くしようじゃないか。

読者諸君、失礼する。だいたい、そういうことをやかましく言う奴に限って、むっつりスケベだったりするもんだろ。嫌になっちまうぜ!

2015/02/02

Post #1398

Nagoya
イスラム国に囚われていた後藤健二氏が、イスラム国の処刑執行人ジハーディ・ジョンによって殺されたという。
後藤氏の冥福をお祈りしたい。さぞや無念であったことだろう。
しかし、イスラム国の狂信者が日本人や欧米人を殺害すると大きな衝撃を世界に与えているようだが、現地の人々は毎日、虫けらの様に殺されている。
同じ命なのに、その人たちの死は、如何にそれが無惨なものであっても、平穏に暮らしている多くの人々に衝撃を与えるどころか、注意さえ払われていない。
その現実に苦虫を噛み潰したような嫌な気持ちになるのは、俺だけだろうか?

ニカブという女性の目以外を覆い隠す伝統衣装の着用を拒んだ女性が、首まで埋められ、聖書の時代のような石打の刑で殺される。もし、俺がそこに暮らしているのなら、俺の知っている限りの女性たちは、素敵な女性たちは、人々が投げる石くれで、美しい顔を血だらけの肉片に変え、惨殺されるのだ。

心に罪を犯したことのないものだけが、彼女に石を投げるがいい。イエス様はそう仰った。
しかし、人々は銃口にさらされ、女性に石を投げることを強いられる。目を背ける事すら許されていない。
宗教の異なる男は、それだけで虫けらの様に殺され、女は性奴隷にされ、人間性を踏みにじられている。
子供たちは、近代的な教育を受けることは許されず、戦士の子弟だけが、学校で人の殺し方を学んでいるという。
煙草、酒、音楽、細身のズボン、髭のないあご、全てが処罰の対象で、俺はそこではただ息をしているだけで、殺されるだけの罪を得ることになるだろう。

この7か月で、1900人もの無辜の市民がイスラム国の名のもとに殺戮されたという。神の名のもとに殺されたのだという。
まるで、ケンシロウ不在の北斗の拳の世界だ。世界にはジャギやウイグル獄長、サウザーやラオウのような無慈悲な連中ばかりがはびこっている。

しかも、それは決してフィクションの世界じゃない。俺たちの生きるこの世界の出来事だ。

俺は悲しみと憤りを感じている。
俺たちの世界の出来事ならば、俺たち自身の手でどうにかすることが出来るはずなのに、俺たちがしていることと言ったら、互いの憎しみと恐怖を増幅させるような事だけだ。
だからといって、うな垂れて何もかも自粛するのは、テロに屈したような気がするので御免蒙る。
だからせめて、俺は寛大でユーモラスな人間でありたいと思う。

読者諸君、失礼する。

2015/02/01

Post #1397

大須観音、名古屋
僕の中には、ケダモノが棲んでいます。

奴は滅多に姿をさらさないので、

どんな姿かわかりませんが、

群れるのをとことん嫌う

自由気ままな肉食獣に違いない。

どこまで僕で、どこからが奴かは

僕自身でもわかりませんが、

気に入らない奴に意地を張ったり、

素敵な女性に出会った時には、

ケダモノこそが自分なのだと錯覚します。

群れるのが嫌いなくせに、そのケダモノ、

君にその存在を知らせてほしいと、切々と私に訴えかけます。

奴は、自分と同じように人のなかに潜むケダモノを探し求めているのです。

もし君が、そのケダモノに気が付いてくれるなら、

奴は君によく懐くでしょう。

ゴロゴロと喉を鳴らして、君にじゃれつき、

君の身体を優しく甘く噛むことでしょう。

甘噛んだ心算でも、相手にとっては致命傷となることに、

微塵も気が付いていないくせに。

もし君のなかに、そんなケダモノが潜んでいるなら、

僕らはもう、孤独じゃない。

読者諸君、失礼する。今日から2月、如月。如月と言えば如月ハニーだな・・・。

2014/10/25

Post #1298

HomeTown
本日、フィルム1本24カットプリント。先日旅行したネパールはカトマンズ盆地の古都、パタンの写真だ。濃密だ。人間があふれている。シャッター通りばかりのどこかの国とは、えらい違いだ。
いろいろあったので、3時間で焼き上げた。
これはこれで集中力を要するので、疲れたよ。

そんな訳で、今日はこれで失礼する。読者諸君、また明日会おう。

2014/10/21

Post #1294

HomeTown/Nagoya
さてと、そろそろまじめに働きますかねぇ・・・。
気は乗らないけどね。

読者諸君、失礼する。安倍内閣の女性閣僚辞任劇には、あほらしくって何も言う気になれないさ。

2014/10/19

Post #1292

HomeTown/Nagoya
今夜は腹いっぱいで、何か書く気になれないので、写真のみお送りしよう。
精力剤で有名な名古屋の赤ひげ薬局の店頭で撮ったものだ。
この薬局は、積極的にラジオCMなどをしているんだが、そのCMのコピーが結構気に入っているのさ。『男と女の精力剤。効きます、効きます、効かせます!』って奴だ。

読者諸君、失礼する。明日からまた憂鬱な労働の日々が始まるのさ。

2014/10/18

Post #1291

HomeTown
本日、借金達磨の親父と話して、もんげー疲れたずら・・。
俺としては、自己破産してほしいし、そのためには力も貸すつもりでいるのだけれど、なんだか本人、ちょいとイイ儲け話が舞い込んできてるらしくて、変な色気が出てきやがってね。
こっちも会うたびに話が変わってくるもんだから、ついイラッとして怒声罵声を浴びせかけることしばしばなわけです。

面白くない奴と、面白くない話をすると、無性に疲れますね・・・。
ネガティブな感情を抱くと、どうにも最近、身体にキックバックが来ることに気が付いた。やはり、人間は笑っている方が健康になれるってもんだ。
ネパールに旅行して時には、ニコニコ笑いすぎて、頬の筋肉が引きつりかけていたというのに。
今日は終日、眉間にしわが刻まれて、眉毛のあたりが引きつっちまったよ。
畜生、これ以上皺が増えたらたまらないぜ。

読者諸君、失礼する。商売も度を超えると、ギャンブルと同じだってことだ。

2014/10/17

Post #1290

HomeTown
旅先でマシンのように写真を撮った。
ネパールは、本来のネパール人的文化と、チベットやインドなどの外来の文化が完全に融合することなく、モザイクのように絡み合っていた。だから、場所によっては360度、どこを切り取っても写真として成立してしまうだろうと思わせるものがあった。

物売りの声喧しい市場と真剣なまなざしで品定めする男や女。

行き交う人々の波、それを強引にかき分けて進む軽自動車、バイク、トラック、そしてリキシャ。

突如として現れるゴミの山。

所在なく街をうろつく犬、犬、犬、そしてニワトリとヤギ。

辻辻に現れる寺院。

レンガ造りの建物の向こうに聳えるストゥーパ。

駆け回る子供たち。

神々を讃えて歌う老人たち。

森の中を進む象。

強烈な色彩で神々の姿を描き、曲がりくねった道を疾走するデコトラ。

可能な限り、考えるまでもなく、歩きながら夢中でシャッターを切った。
ファインダーも見ることなく、ひたすらにシャッターを切った。
肉眼にも焼き付けるようにして、目を見開いて歩き回り、言葉も満足に通じぬ人々とたどたどしい英語と時には身振り手振りで話し合い、カメラに収めた。
インドを襲った巨大サイクロンの余波で、季節外れの叩きつけるように降りしきる雨の中でも、ずぶぬれになって写真を撮り歩いた。

それでも、捕らえ切れなかったたくさんのイメージ。
走りすぎる車の中から、一瞬垣間見た数々の映像的断片。

トラックや長距離バスが疾駆する道沿いで、木陰に胡坐で座っていた少年は、どこか生身の仏を思わせた。

切り崩された山肌からドクドクあふれる赤茶色の水は、山の流す血潮のようにも感じられた。

水場で髪を洗う女の、濡れた服は、女の身体のラインを露わにし、一瞬にしてその肉体の手触りを感じさせた。

狭い道で、正面衝突をものともせず、追い越してゆくツーリストバスの客席で、疲れ果てて眠る女や男。

そのバスの屋根の上に、無造作に積まれた荷物とともに座り、前を見つめ、来し方を眺め、あるいは流れる景色に思いを馳せる若者たち。

町はずれに、粗末な布で作ったテントで暮らす難民のような人々。


或いはまた、その現実を突如として突きつけられて、思わずひるんでしまって、カメラを向ける事すらできなかった人々もたくさんいる。

癩病だろうか、崩れた手足を包帯でつつみ、道端にうずくまる女性。

顔と身体の右半分が、溶けた蝋燭のように変形して、立つことすらままならず、道行く人々に施しを求める男。

観光客に写真を撮らせ、法外なチップを要求するヒンドゥー教の苦行者サドゥーたち。

勝手に人の荷物を運んでおいて、厚かましく日本語でチップをねだる口髭の空港職員。

誰かに全て切り取られたのか、それとも生まれながらなのか、一本も指の無い手を差し出して、キラキラ輝く瞳でギブミーマネーと施しを求める小さな女の子。

一瞬で飛び去ってしまった、美しく輝く色鮮やかな翼を持った鳥たち。

それら自分の網膜という肉眼レフに捕らえることが精一杯だった数々を思うと、自分の腕の未熟さと、非情なまでの度胸がないことが、ただ口惜しい。

ともあれ、25日には、ラボからネガが帰ってくる。何がどう写ってるか、俺は知らないのさ・・・。

読者諸君、失礼する。君たちに、本当に見せたいのさ、俺が見てきたものを。

2014/10/16

Post #1289

homeTown/俺がこの写真に感じるカッコ良さを、君はわかってくれるかな?
いろいろと面白い経験をして、帰ってきました。
おいおい、お話ししてゆくことでしょう。
モノクロフィルムでざっくり1500カットほど撮ってきました。フィルムに換算すると41本です。
机の上に並べたパトローネに入ったままのフィルムは、可愛らしくてなりません。
どうして、みな、この可愛らしいものをあっさり使わなくなってしまったのか、さっぱり意味が分かりません。とりわけ、コダック、アグファ、イルフォード、ロモグラフィー、フジなどいろんなメーカーのフィルムをかき集めて使っていると、まるでブロックで作ったお城のようで、嬉しくなってきます。
今回のフィルムたち。可愛らしいったらないさ・・・。
ネパールのカトマンズ郊外、バクタプルのダッタタラヤ広場の一本裏手のカメラ屋さんのショウウィンドーには、ローライコードが埃をかぶっていました。
そこの店主のおやじさんは、俺たちのカメラを見て、それはフィルムカメラか?フィルムはどこで買ったんだと聞いてきました。
おやじさんが言うには、もうネパールではフィルムは手に入らないのだそうだ。手に入っても期限切れのいわゆるエクスファイヤードものしか手に入らないし、それもめっぽう高価なんだということだった。おやじさんは、俺たちのフィルムカメラを見て、嬉しそうに目を細めていたっけ。それでいて、どこか悲しげだったな。
どうしてみんな、忘れたんだろう?
読者諸君、失礼する。今日は疲れてるんだ。リフレッシュするつもりで疲れてちゃ、我ながら全く世話ないぜ。

2014/10/15

Post #1288

Helsinki
明日くらいには帰ってくると思う。
何事もなければね。
もし帰ってこなかったら、これが絶筆になるのか・・・。
よし、俺が常々死ぬときにかましてやろうと思っていた言葉を書いておこう。万一の時も、これで安心だ。行くぞ。
『地球の皆さん、さようなら~』

読者諸君、失礼する。

2014/10/14

Post #1287

Helsinki
今日も俺は旅の空、上の空だ。

読者諸君、失礼する。もう少しの辛抱だ。