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2026/03/14

POST#1788 俺は勉強は嫌いだが、学問は好きだ

名古屋駅西
どれだけ頑張って仕事に取り組んでも、俺はカミさんからダメな奴と思われているんだ。

仕方ない。若いころは根拠のない自信満々だったし、エネルギーに満ち溢れていたからな。なんでもその気になればできるし、なんにでもなれると思っていた。それが、今ではしがない現場監督だ。それがシビアな現実だ。

どれだけその世界で一線級の一騎当千でも、しょせんはブルーカラーだ。肉体労働の端くれだ。実際には頭使って、体使って、気を使って、金も使うという総合的な人間力が問われるんだけれど、外資系企業でじゃんじゃんバリバリやってるカミさんからすれば、稼ぎの悪い非効率的な仕事のブルーカラーだ。

世の中には職業に貴賎なしという建前があるが、実際にはブルカラーの人間を蔑視する傾向は抜きがたくある。そういった職業の人々の中にも、自発的に卑下するような卑屈な発言をする奴がいる。一般の皆さんのご迷惑にならないように、歩道は一列で歩きましょうとか自ら提案する卑屈な考えの持ち主もいた。現場で働いてる人間は二級市民のように扱われる。まるで士農工商穢多・非人だ。白戸三平のカムイ伝🔗の世界みたいだ。

職業に貴賎なしなんて、嘘だ。

俺が息子とひと悶着あった朝、美容院に出かけて帰ってくると、カミさんは相変わらずむすっとしていた。

俺の朝の態度が気に入らなかったんだろう。にもかかわらず、俺が「塾と塾の課題を夜遅くまでやって学校が蔑ろになるんなら、本末転倒じゃないか?」というと、憮然として「じゃぁ塾辞めればいいの?中学受験やめればいいの?」とすごい剣幕で畳みかけてくる。

「私立の中学行かなくっても、死ぬことはないけれど、毎日遅刻して学校行くなんて意味ないじゃないか」俺は抗弁したが、いまだかつてカミさんに口論で勝てたことがない。

「じゃぁ、あきらめろっていうの?なに!市立の中学行って、通信制の高校でも行けばいいの?!あんたが麒麟児にパンでも焼いて一生暮らせって言ったんじゃないの!そんなのかわいそうでしょ!」カミさんは半泣きで怒っている。

パンでも焼いて生きろってのは、発達障害で本当に学校の勉強がままならなかったころ、俺がしばしば言っていた話だ。小学校から特別支援学校に移り、先々は発達障害や身体障碍、知恵遅れの人などの施設で、入所者や通所者の自立のために、パンを焼いて売ったりしてるようなところに行くしかないんじゃないかって言っていたことを指してるんだ。

俺はパン焼いて生きるのも、けっして意味のない人生ではないし、惨めなものでもないと思うけど。それはあえて言わない。そこに無意識の差別意識が潜んでいることを俺は感じ取るけれど、それも黙っておく。そもそもまぁ、どんな人生も意味があるといえばあるし、意味がないといえばない。どっちでもいいさ。

俺は言葉に窮した。確かに俺はそういったことが何度もある。けどもう、そうなったら自分の部屋にこもるしかないんだ。

で、なんだかんだ言って昨日の夜も、夜12時前まで二人でわあわあ言いながら勉強していたわな。俺はさっさと風呂に入って休ませてもらったぜ。

最後に一言。俺は勉強は嫌いだった。けれど、学問はいまでも好きだ。

勉強って「強いて勉める」って書くだろう。その自分の外から強いられて何かのためにする、将来いい稼ぎを得るためにするっていう功利主義が見え隠れするのが嫌なんだ。なんか子供を作るためにだけにする、種付けのようなセックスみたいでげんなりする。

ただ、自分の中から湧き上がってくる疑問や好奇心といった「問いを学ぶ」という、見返りは自分の満足だけの愉楽としての学問。俺が好きなのはそれだ。読者諸君、失礼する。よい週末を過ごしてくれ給え。

2026/03/10

POST#1784 お花畑の無敵

名古屋市、大須
理想主義を掲げると、脳内お花畑とたわけ扱いされるようなシニカルでニヒリスティックな風潮は、いったいいつから始まったんだろう。

きっと、ジャン=ジャック・ルソーも永遠平和のために🔗を書いたイマヌエル・カント🔗も、脳内お花畑野郎と散々コケにされたことだろう。

そもそも、人間というのは他と差別化することで自律性を確立しようとする悲しい性の生き物だ。それは、アマゾンの奥地の部族も、近代国家も何ら変わりがない。

隣の部族が父系家族なら、うちは母系家族を正当なものとして差別化しましょう。

母系家族の連中なんて、なんて文化的に遅れた奴らなんだ!あんな奴らは人間じゃない!しらみの仲間だなどと、自分たちで作った差異にとらわれる。そして、自分たちの観念にとらわれて、同じ人間を悪魔かはたまた生きる価値のない野蛮人だと忌み嫌い出す。

この父系家族と母系家族を、任意に入れ替えてみても同じだ。

キリスト教徒とイスラム教徒、専制国家と民主国家、富裕層と労働者階級、左派と右派、改憲派と護憲派、王党派と共和派、etc,etc...AsYou Like!

その自他の区別を認めず、敵視する限り、人類は無限に殺しあっていかなければならない。病院や学校を壊しあい、無害な子供や女性を焼き殺し、男たちをハチの巣にする。

人類って、バカなんじゃない?

そんな世界で無敵でいられるのは、どんな奴か。

君が身体を鍛え続け、格闘技を極め続けたら、人類最強の達人になったなら、それは無敵なんだろうか?

無敵による安心は、世界最強の軍隊を持っているきまぐれな王様だけのものなのか?

違う。

俺は断じて違うと思う。なぜなら俺はみんな大好き脳内お花畑野郎だからな。俺の頭の中には色とりどりのルピナスやガーベラが咲き乱れているのさ。おめでたいことだ。

敵を作らないこと。棍棒を振りかざすことなく、だれも敵視しないこと。

そして、共通の法に基づいて、正々堂々と正しいことを主張すること。

そう振舞うだけで、俺も君も、たちまち無敵の人だ。失うものがないヤケクソのローンウルフ型犯罪者のことじゃないぞ。間違えちゃだめだ。

すべての争いは、幻想から生み出される。あいつは敵だと名指しし、彼我の違いを強調し、憎しみをあおることから、生み出さる。

しかし宗教や国境、社会体制、そういった幻想を一旦横に置いてみれば、目の前にあるのは、空と大地と海、そして様々な生き物とともに生を享けた人間だけだ。

生きて、老い、病み、死んでゆく定めの人間だけだ。

皆がそう認識したとき、だれもがみな無敵の存在となるんだ。御目出度いことだろう。

頭を冷やせ。そして寛容になるんだ。君がたった一人のかけがえのない君のように、だれも皆まったく同じ奴なんていない。寛容になることなしに俺たちの子供たちが22世紀を迎えることなんか出来っこないんだ。 

そういえば、ジョン・レノンはWAR IS OVER  IF YOU WANT ITと掲げていたな。

2026/02/09

POST#1755 どんな時代だかヘイヘイヘイ

名古屋かな
自民党、歴史的な大勝か。

憲法も変えられてしまうだろう。集団的自衛権や交戦権が大っぴらに認められることになるんだろう。スパイ防止法で、なにかと息苦しい世の中になるかもしれない。物価高や格差の是正が行われるかは未知数だ。きっとそれはないだろう。

自己責任の声は日々大きくなるが、責任を取らない責任者だらけだ。裏金や統一教会のことはみんなすっかり忘れてしまったんだろう。維新の国保逃れとかも。

まぁ、そんなこともある。アメリカのもとの平和の時代つまりパックス・アメリカーナも終わりつつある。時代の変換期が来てるんだろう。

やれやれ、人生で2度も世界史的な転換期に遭遇するとはね。ついてるな。一度目は天安門事件からソ連崩壊に至る時期だったな。あの頃は若かった。

そこから30年余り、新自由主義の下で地を這うように生きてきた。地を這うように生きてはきたが、自由、平等、友愛というリベラルの旗印を降ろしたことはないつもりだけどね。

どんな時代がきたって、長いものに巻かれ、勝ち馬にのり、自分より弱い立場の人間を、安全地帯から叩いて溜飲を下げるような人間にはなりたくない。誰かに支配されたり、誰かを支配するのも真っ平だ。

この年まで好きにいきてきたんだ。今更変わらねぇよ。いつ自分の出番が来ても良いように、知識見識をせいぜい磨いておくさ。

失礼する。


 

2026/01/30

POST#1745 首切り池の怪

かつて 名古屋市の街角で こういう雰囲気のある女性を見なくなって久しい
うちのカミさんは、子供のころ桶狭間の古戦場のそばに住んでいた。

桶狭間の古戦場は東海道国道一号線の近くだ。名古屋の南西に当たる。上洛を目指した駿河・遠江を領する大大名の今川義元率いる大軍を、桶狭間という谷間を進む街道で圧倒的に少数劣勢な若き織田信長が情報戦を制し電光石火の奇襲で打ち破ったという戦国史に残る戦闘だ。

カミさんが住んでいたのは、かつて首切り池といわれていた沼を埋めたという土地だと聞いた。桶狭間の合戦で打ち取られた今川方の兵の首が、その池のほとりで切り落とされたとか、首を落とした血塗られた刀を洗ったとかそんな言い伝えのある池だったそうだ。

それを埋めた立てた罰当たり者がどこのどいつか知らない。ひょっとしたら、山師的な商才で得体のしれない儲け話をいくつも手繰り寄せ、一代で財を成して、すってんてんになって死んだカミさんの父親かもしれない。まぁ、結構な豪邸だったそうだ。結構なことだ。

ひょっとしたら、そんな話ははなっからでっち上げで、その豪邸をやっかんだ人たちが流した作り話かもしれない。それが真実かどうかとはかかわりなく、人々がその話をなんとなくちゅうことがあったげなと認識しているということが大事なんだ。

カミさんには20歳ほど年の離れた兄がいた。俺も何度かあったことがあるが、今はどうしているだろうか。そこからわかるように、うちのカミさんの母親は年の離れた後妻さんだった。羽振りがいいとそういうことも起こる。俺のように羽振りが良くないと、品行方正でいられる。たまには羽目を外そうと思っても、先立つものがないと品行方正でいられるんだ。

で、うちのカミさんといっても、まだその頃は小学生だ。カミさんが首切り池の跡地の豪邸、面倒なので以下、首切り御殿でいく。首切り御殿で一人でふろに入っていたある日、ふろ場の壁から首のない落ち武者のようないでたちの死霊が、ぬっと飛び出してきたそうだ。

湯船に入っていたカミさんは、あまりのことに窒息しかけたんじゃないかな。

首切り御殿に現れたその落ち武者は、首のない頭を左右に振っては何かを物色するような素振りを見せると、一瞬のうちに反対側の壁に吸い込まれるように消えていったのだという。大方、切り落とされた自分の首を探し回っていたんだろう。400年以上も!

まぁ、郷土の英雄・織田信長がらみの話ではあるが、首切り池の怪とか大上段に振りかぶった割には、まぁそれだけのことだ。

彼女もまた、そんなのが見えちゃう厄介な体質のかただったようだが、俺と暮らすようになってから、そういったものを見ることはなくなったという。

とはいえ、昔はなんか聞きなれない物音がするとラップ現象じゃないかって怖がっていたんだが、俺がいるときにそんなの聞いたことがないんだよな。要は基本的に臆病なんだ。先日の公園の池の水で遊んだ息子が、人食いバクテリアに感染したら大変だと大騒ぎしてたからな。まぁいいや、そんなわけでここでも俺は、そういう方々と波長が合わないんだろうなって話だ。

今夜も仕事なんで、あっさり流してしまうぜ。

2026/01/14

POST #1730 我が心の善くて悪を犯さぬにはあらぬなり

ずっと昔の名古屋駅西 あかひげ薬局 こんなセンスは今やアウトだな…嫌いじゃないぜ

承前

知らせを受けておっとり刀で向かった病院では、親父はHCUに入っていた。
一人しか立ち入ることが許されていなかったので、かみさんと子供は家で待っていたんじゃないかな。
で、そこで見た親父は、ひどいもんだった。
おそらく顔面から倒れこみ、そのままの姿勢で何時間も倒れていたので、顔面が鬱血して紫色にはれ上がっていた。
口元の固まった血が、もうすでに死んでいるかのような雰囲気を漂わせている。
1940年生まれの元気なだけが取り柄のこの老人には、死が近づているとしか思えなかった。
年貢の納め時ってやつか。
病院に付き添ってきてくれた近所の方は、今朝もラジオ体操を元気にやっていたという。ろうそくは消える前が一番明るくなるっていうアレだな。
挿管された管につながったパックの中には、横紋筋組織が溶けてしまったことで煮汁のような赤黒く濁った小便がたまっている。筋肉の赤みが溶けだしているんだからそんな色にもなるだろう。


これはもう、死ぬな。俺は思った。


万一助かっても、一人では生活できないだろうし、寝たきりになる可能性だってあるな。俺は思ったのさ。
やれやれ、いつかこんな時が来るって思っていたけれど、それが今日だったとはな。
前の日まで、家族旅行で世間様並みの楽しみを味わっていたというのに、人生は残酷だ。
今の状態で、ここにいてもできることはない。とっととと引き上げよう。
俺は家に帰ると、すぐに弟たちに連絡を取った。とはいえ、連絡されたほうもできることは何もない。俺たちは医者じゃないんだし、人が老いて死ぬのは自然の摂理だからだ。
問題は、親父の今までの生活にかかわることだ。

その前の年から、住んでるアパートを早く立ち退けと大家から言われていた。
俺は長年、親父とは距離をとって暮らしてきた。いちいちむかつくからだ。
しかし、2024年の春に叔母の一人に二十万円もの金を無心したと聞いて、これは不味いな、俺がコミットしないと、とんでもないことになるぜと確信したんだ。


俺の心が善良だから、俺が悪事をしないわけじゃない。
けど、今回は俺がやらなきゃならないだろうな。残念ながら。


俺の悪い予想は、いつだって当たる。いい予想は当たらない。今回も大当たりだった。
その連絡を受けて、俺はすぐ市役所に行き、高齢福祉課で様々な手続きをした。
民生委員さんにも巡回してもらえるように手配した。市営住宅や県営住宅にも応募した。
そして、何件かアパートを借りたいというので、何度か同行したりしたけれど、その都度収入証明がない、保証人がいない(そもそも俺は最初からアパートなんてはなっから反対だった)とかいうくだらない理由で、毎回話は流れていた。
そりゃそうだろう。俺が大家だったら、80超えたじいさんに家なんか貸さないよ。
大家は俺にも電話をかけてきて、くどくど文句を垂れ流した。

もともと親父は、若くして独立して、べらぼうに羽振りのいい時期もあったんだ。
商売っ気のない祖父を反面教師に、中卒で働いて高度経済成長の波に乗り、二十歳で土地を買い、程なく家を建て、弟や妹を学校に通わせた。
仕事の合間に見初めた女性が自分になびかないので、躍起になってアタックし、とうとう間に人を立ててねじ伏せるようにして結婚した。
それが俺の早逝した母だった。
けど、程なく釣った魚に餌はやらないというひどい男だということが明らかになった。
おしゃれな服を着て、化粧も整えた母が、玄関でブーツを履いたまま腰掛け、約束した時間に帰ってこない父を待ち続ける姿を覚えている。
洗面所で泣いていた母を覚えている。子どもだった俺は、母になぜ泣いてるの?と尋ね、母が歯が痛いからだと言ったか答えに納得していた。
子どもには言えない辛い思いをしたのだろう。
金遣いは荒く、使ってもまた稼げばいいという楽天的というかどんぶり勘定の男だった。女出入りも激しかったようだ。
しかし、どんな羽振りのいい奴でも、時代の流れには勝てない。
もう40年も前から、父の凋落は始まっていた。


まず、母が死んだ。
一時的に父の商売が傾いたために家計のためにとはじめた縫製の内職をしつつ、母は胃がんを患っていた。単なる腹痛だと思い、医者にもいかず薬売りのおじさんが売りに来る常備薬のなんだか胡散臭い緑色をした胃薬を飲んで、痛みを紛らわしていたんだ。
癌だと分かった時には、もう手術をしても当時の医学では完治は望めず、どこかに転移したらおしまいだった。案の定胃を全摘したあげく、全身に癌が転移して痩せおとえて死んだ。
母は病床に父が見舞いにくると、他の女の香りがすると嫌がり、早く部屋から出てほしいと言ったものだった。
俺は部活の帰り道、家から自転車で走ってきた弟から、母が死んだことを告げられた。

母の葬儀はお寺を借り切り行われたんだが、そりゃ盛大なものだった。家族葬なんでもんじゃない。
弔問1千人余りだった。
ずいぶん多くの人が弔問に来たものだが、白い和服を来て喪主として相対した自分には、誰も悲しんでこの場に来ているわけではないとわかっていた。

しばらくすると、派手な化粧の女が家に出入りするようになり、そのうちに消えていき、また違う女が現れるようになった。いろんな女がいた。バーのマダムみたいなのもいたし、ゴルフのキャディーをやっている女もいた。ゴルフ場で知り合ったんだろうよ。
大枚はたいて手に入れたゴルフの会員権は、いつの間にか価値が減り、二束三文になってしまった。
目先の利く同業者は、事業を整理し、負債を清算し、つましく暮らしてゆくことのできる道を選んだり、他のビジネスを始めたりした。
しかし、父は借金も財産のうちと方々から金を借り、生活を維持し、子供を学校にやり、自転車操業のように斜陽産業と化した自分の仕事にしがみついていたんだ。


いつの間にか、俺が暮らした家は借金のかたに取られ、今ではその敷地に二軒の家が建っている。
父は足の不自由な祖母(つまり、自分の継母)を連れて、自分の会社の二階に住み始めた。
長年父と二人三脚で父の会社の金庫番を務めていた叔母が病気になり、資金繰りは一挙に悪化した。
いつの間にか、父はどこで知り合ったのか、俺とさして年齢の違わない女性と、足の不自由な高齢の祖母と三人で、古い事務所の二階で暮らし始めた。
それが父が60くらいのころだろうか?お盛んなことだ。
きっと精力剤とか飲みまくていたに違いない。
祖母はその女性と気が合ったようで、しばしば一緒に酒を飲んで楽しんで暮らしていた。
しかし、その暮らしは長く続かなかった。
祖母は施設で暮らすようになり、父は他の資産家の女に心変わりした。
それが今、父の住んでるアパートの持ち主、大家さんというわけだ。
いつしか、固定資産税の滞納と借金の清算のために、家代わりに住んでいた会社社屋も人手に渡った。宿なしになった父は、橋の下に暮らしたわけでもなく、その資産家の未亡人の持つアパート一室に住み着いた。

やれやれ、こうやって思い返すだけでも気が滅入ってくるぜ。
失敗した人生という言葉が時折頭をよぎる。俺の親父の人生はまさしくそれだった。そしてそれはこの時点では、もういつ終わってもおかしくない、グランドフィナーレ間近という雲行きだったんだ。
次回に続く。悪夢のような人生ってのは、そう簡単に終わらないのさ。

2021/08/25

Post #1719

このコロナ大流行の真っただ中に、家族と離れて一人、成田に出張している。
我ながら、ご苦労なことだ。
取引先の担当者は、単身赴任ながらコロナに感染し、意識も混濁しているのに自宅療養だった。入院先もなかなか見つからず、俺は香典を用意しなけりゃならないかと思った。
そして、明日は我が身だと身震いした。おかげで、ワンルームのアパートに引きこもり、毎日アーサー・ウェイリー訳の源氏物語🔗源氏物語を読んで暮らしているんだ。
そう、空港のすぐそば、三里塚にアパートを借りて暮らしているんだ。あの三里塚闘争で有名な三里塚だ。
といっても、若い人は知るまい。昔々、今から五十年くらいまえ、この成田に拓かれた農業地帯に、空港を作ることとなった。
それに反対する農民の運動は、安保闘争をくりひげていた数多の左翼大学生を巻き込み、国家権力に闘争を挑み、様々な局面で数多の死傷者を出した末、完膚なきまでに叩き潰された。
その舞台となった三里塚だ。
これを境に、権力に対して異議申し立てするというのは、カッコ悪いみたいな流れになって、今日まで続いている。
権力やうなるほど金を持っている連中からしたら、しめしめだ。
これらの運動の中核を担った者たちのなかには、潜伏し、偽名を使い、何十年と生きてきたものもいた。しかし、大方の若者たちは人口動態に連動する経済成長の波に乗り遅れまいと、あっさりと社会に適応していった。反抗的なことばっかり言ってちゃ、飯は食えないからな。バブルで骨抜きにされ、それに続いたいわゆる失われた三十年で、不平不満を押し殺し、長いものに巻かれて生きるという奴隷根性が染みついた。
鴉 尾張國一宮
『三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい』高杉晋作 を思い出して

ぶっちゃけいって、人間の家畜化が進んだのだ。
それでも、君が幸せなんだったらいいんだ。
けど気をつけろ、俺たちが住んでいるこの社会は、異論を許さない社会だ。このブログを始めた10年ほど前からしても、その傾向はますます強くなっている。
弱者は顧みられることなく蔑まれ、時には路上で、時には養護施設で、入管の収容所で、何の尊厳もなく殺されていく。家畜よりもひどい。
誰もが、自分は彼らとは違う、自分はそうなならないと思っている。自分より能力の劣るものを見つけて、安心している。
俺が大志を抱いていたパンク少年のころ、ブルーハーツが歌っていたように、弱い者たちが夕暮れ、さらに弱いものをたたく世の中だ。悪無限だ。ブルーハーツは続けてこう歌っていたな。その音が響きわたれば、ブルースは加速していく。OK、加速しようぜ。

そもそも人間が老い、病み、死んでいくことはすべて免れ得ないものじゃないのかい。お釈迦さまも言っていただろう。
俺はもうずっと長いこと、畳一枚下は段ボールで眠ることになると覚悟して生きてきたんだ。いつ何時、人は弱者になるのか見当もつかない。人生はまったく黒ひげ危機一髪なんだ。

自分には資産があるから大丈夫。
自分は貧乏人には知られていない金がじゃぶじゃぶ流れる川のほとりに、バケツどころか揚水機まで用意してるから、大丈夫。
OK、それは素晴らしいことだ。
けれど、資本とはいったいなんだろうか。その価値の源泉とはなんだろうか。

その価値の源泉には、いうまでもなく国家の権力があり(現状、国家のみが通貨の発行権を持っている。)、国家権力の根底には、異論を力づくで叩き潰す暴力がある。それは冒頭にあげた三里塚闘争の例を引いてもわかる。
また、先の戦争が76年前に終わったとき、国民の資産は猛烈なインフレでその価値が雲散霧消した。高額な配当の年金をかけていたのに、結局たばこ代にもならなかったっていう話も聞いた。そんなもんさ。

国家とはなんなのか。ここ何年か沈黙していた間、そんなことばかり考えてきた。

自分が何かを言ったところで、なにも変わらない。無力感だ。
それどころか、今や迂闊なことを言えば、自分と家族の命すら危険にさらす恐れがある。
そう思って、ひっそり暮らしてきた。俺も、世間様並みに、家族が大切なんだ。死ぬまで続く家のローンもあるしな。

けれど、多様性だのなんだの理想が叫ばれる一方で、ホームレスなんて死んだほうがいいと公言する著名人があらわるに至ったいま、国民のために働くなんて、あったりまえのことを標榜しておいて、このコロナ大流行の真っただ中にオリンピックだのパラリンピックだのお祭り騒ぎをぶちかまそうなんてインパール作戦みたいな狂ったことが異論を押しつぶしながら行われるに至ったいま、自分の小市民的な生活に沈潜し狷介孤高の徒として黙っているのは、なんだか狡いんじゃないかってね。

所詮、負け犬の遠吠えだ。わかってる、よ~くわかってる。でもさ、いつか子供が大きくなった時に、お父さんはあの狂った時代に、どう考えていたの?といわれて恥ずかしくないようにしたいじゃない。まぁ、それまで生きていたらの話だけどね。ぶっちゃけ出張中にコロナにかかったら、今の医療状況じゃ、生きていられる気がしない。ワクチンだって、品薄で打てなかったしね。

人間が、人間だからというだけで尊重される。
そろそろ、そんなルールにしないと、俺たちの社会は取り返しのつかないことになっちまうぜ。
気が向いたら、明日も会おう。源氏物語読んでるほうが面白かったら、書かないけどね。

2015/09/30

Post #1638

HomeTown/Nagoya
昨日はあまりにいろいろあって、ブログを更新できなかった。
けっして病気して、寝込んでいたり、車で事故ってあっけなく死んでいるわけじゃないので安心してほしい。

俺の終生のライバル福山雅治が吹石一恵と結婚したことに触れた菅義偉官房長官は、次の湯に語ったと今朝の新聞は報じている。
『この結婚を機に、ママさんたちが一緒に子供を産みたいとか、そういう形で国家に貢献してくれたらいいなと思っています。たくさん産んで下さい。』

俺はふざけるなといいたい!

子供を産み育てることが国家に貢献するのではなく、国家こそが、子供たちや親たちに貢献するべきなのだ。

そもそも国家とは何なのだ?
国家とはどこにあるのだ?
それは与党政治家の集まりなのか?
それは官僚機構のことなのか?
天皇陛下を中心とした臣民の集まりのことなのか?
それとも法体系のことなのか?
其れとも、政財官の巨大な利権機構のことか?

国家なんてものは、幻想の産物に過ぎないんだぜ。幻みたいなものだ。誰も猫を捕まえるようにして、これが国家だなんて言うことはできない。概念であり、システムに過ぎないんだ。
強いて言えば、国家とは、俺たち一人ひとりの国民の意志の集合体である一般意思が契約によって生み出したものに過ぎない。

そんなものに貢献するために生きているつもりはないし、国家のために俺は子供を作ったつもりもない!
そもそも、かつて富国強兵を目指した旧大日本帝国では、産めよ増やせよと子作りが奨励された。
そう、子供たちを明日の兵士として、戦場で消費するために。
その手の人間を舐めた発想から、俺たちは脱却しなけりゃならないんだ。

国家のためだぁ?バカバカしい!

突き詰めていくとあやふやな存在である国家のために命を懸けるなんて、あほらしい。俺は自分の惚れた女のためになら、自分の子供のためになら、喜んで命を懸けるけど、女たちも子供も、俺が泥をすすっても生きるほうを望むだろうよ!

俺は自民党の諸君とは、方向性がまったく違う。国家のために国民がいるのではなく、市民に奉仕するために、国家という幻想のシステムが存在しているのだ。自民党の政治家は、なにもわかっていない。
戦争法案を強行採決したら、次は経済最優先?みんなの不満を市場に金をぶち込むことで解消しようっていう、姑息な手段だ。
子供を産んでくれと言うのなら、もっと保育や教育に予算をつぎ込み、そこで雇用を生むことくらい考えてもイイだろうに!

そんな俺を批判する奴だっているだろうが、その人たちが普段からどれだけ国家に対して忠誠とやらを誓って、国家に貢献するべく社会活動をし、国家の運営費たる税金を、できるだけたくさん払おうとしているか分かったものじゃないぜ!

読者諸君、失礼する。俺は間違っていない。間違ってるのは自民党の連中だ。みんな、口当たりのいい言葉に騙されるな。

2015/09/28

Post #1637

HomeTown/Nagoya
俺はこの土日、性懲りもなく銀座の現場に舞い戻り、ほとんど眠らず、月明かりに照らされながら夜通し働いて、朝7時の新幹線で名古屋に戻って仕事をしていた。
危うく新幹線で寝過ごして、、京都旅行に行っちまうところだったが、不屈の精神力で名古屋の手前で目を覚ましたのさ。さすが、業界で眠らない男といわれてるだけのことはある。

とはいえ、図面とにらめっこしてるだけのデスクワークだ。
眠たくて仕方ない。というか、気が付くと終日居眠りしていたようなもんだ。

帰り道、眩しいくらいに輝く月に照らされて家路をたどった。
月を見ると、自分にとってかけがえのないひとを思い出す。
その人も、同じ月を見ているのだろうかと思うと、少し嬉しく、少し切なくなる。
そうして家にたどり着き、泥のように眠っていたのさ。

ひと夏を費やした銀座の仕事は終わった。
あとはオープン前のレセプション・パーティーに行くだけだ。楽しみだな。誰かすてきな女性を連れていきたいもんだぜ。

読者諸君、失礼する。想えば今年はいろんなことがあった夏だったよ。ここにかけないことばかりだけどね。

2015/09/04

Post #1613 さらば、中平卓馬

在りし日の中平卓馬。胸ポケットにはショートホープ
銀座三丁目の吉野家のカウンターで、サラリーマンや中国人に交じって牛丼をかき込んでいると、友人から中平卓馬が死んだようですよとメールが入った。
ググってみたが、見つからない。本当に死んだのか、それとも世の中の人々にとって、偉大な写真家が死んでしまったことなど興味をそそらないから報道されないのかわからないまま、牛丼は食べ上げられてしまった。

夜ベッドの上でまどろんでいると、先ほどの友人が写真評論家の赤城耕一氏のツイッターを共有してきてくれた。

そこには、『中平卓馬の訃報が入ってきた』といった旨の内容が記されていた。

巨星、墜つ

俺の抱いた感想は、まさにそれだ。
詩人になるか写真家になるかを悩んだ末に、何の写真教育も受けずに、自ら自分は写真家であると宣言することで、写真家となった中平卓馬。
盟友森山大道とともに、見たものに強烈な印象をもたらす抒情性の溢れた、アレ・ブレ・ボケ三拍子そろったモノクロ写真で、写真のカリスマとなった中平卓馬。
学生運動と連帯し、のちの東大総長・蓮見重彦を論破したほどの論理言説の使い手、中平卓馬。
昏倒の末、記憶喪失を患い、言葉を失ってしまっても、なお写真を撮り続け、写真家ではなく、生きながらカメラそのものになった中平卓馬。
被写体を105ミリの望遠レンズのみで、正面から真っ直ぐ切り結ぶように捉え続けた中平卓馬。
毎日まいにち、同じ場所で同じ被写体を撮りながらも、『これは初めての場所だねぇ』といい続けた中平卓馬。
デジタルカメラを、『写真家の所業ではない』と嫌い、最後までフィルムカメラにリバーサルフィルムで写真を撮り続けた中平卓馬。
かつて、荒木経惟をして、『中平さんは墜ちない流れ星』と言わしめた中平卓馬。

うすっぺなら写真が横行横溢する現在、中平卓馬の存在こそは、写真とはなにか、写真家とは何かという課題を、写真のあるべき姿とは何かという、重たい問いかけを、常に突き付けてきていたはずだ。

少女の写真を撮る中平卓馬
さらば、中平卓馬。どうぞ安らかに。
いつかまた、お会いしましょう。

あなたの存在が、あなたの写真が、僕たちに問いかけ続けたことを、僕は胸に刻んで忘れない。

読者諸君、失礼する。RIP。

2015/05/28

Post #1513

Home Town,Ichinomiya,Aichi
自分自身の心に真正面から向き合い続けて、ここでさらけ出し続けるのは、正直言えば、時に苦痛だと感じるよ。

読者諸君、失礼する。

2015/05/27

Post #1512

金城埠頭、名古屋
読者諸君、写真だけお送りしよう。失礼する。

2015/05/26

Post #1511

木蓮。俺の好きな花

しばらく、文章のほうは休ませてもらおうかと思うんだ。
どうしても書きたい時だけ、書かせてもらうってことで勘弁してもらえないかな。
そんな気分の時もあるさ。
ほんの数日なのか、1週間なのか、それより長くなるのか自分でもわからないけれど、しばらく写真だけでお茶を濁させてくれないか。

木蓮。しっとりとした姿の女性を思い浮かべる。

読者諸君、失礼する。いつかまた語り合おう。

2015/05/15

Post #1500

Home Town/Nagoya
先日近所のうどん屋でかつ丼とうどんのセットを注文し、それが出てくるまでの間、俺はある絵本を3回も読んでしまったぜ。それは今は亡き佐野洋子の傑作『百万回生きたねこ』だ。
うちにもあるんだが、退屈だったんでね。カミさんは、その絵本を見ると、悲しい結末が思い出されて、泣けてくるから読めないと言っていたが、俺は何回まで我慢できるか、試してみたんだ。

三回まわり読み切ったところで、うどん大盛りとかつ丼のセットがやってきた。
もちろん、そんな絵本は子供向けっていうんだろうが、週刊文春なんか読んで、世の中のことをわかったようなふりをするよりも、よほど為になるってもんだ。なにしろ、感性がすり減っちまったら、この世の中は無味乾燥な砂漠とかわりゃしないんだぜ。

う~ん、ついにこのブログも1500回だ。
2010年の秋からシコシコやってきた。相も変わらずご覧の通りだ。
一昨年の年末ごろには、いい加減うんざりして1000回めどにやめてしまおうかとも思ったが、意外や意外、やめるなという意見をうけて、のんべんだらりと続けてきた。よくもまぁ、毎日続けてきたものだ。

俺が厭きるよりも、君たちがうんざりしちまうんじゃないかって心配になるよ。

しかし、1500回なんてただの通過点に過ぎないんだぜ。
俺のブログを読んで、笑ったり、泣いたり、勇気づけられたりしてくれるという人が一人でもいる限り、やめる理由なんてどこにもないぜ!
だから、俺が生きてる限り付き合ってもらうさ。

なんてたって、俺はこうして生きてるんだからな。週刊現代や女性自身なんかにのってる芸能人の生活よりも、俺は自分の人生のほうがはるかに面白いんだ。世間の皆様はそうじゃないのか?どっかの芸能人が、どっかの女とやったとか、遺産相続でもめているとか、そんな話のほうが自分の人生よりも面白いのか?
はっきり言って、そんなことはどうでもいいのさ。俺は『百万回生きたねこ』の主人公の猫みたいに自分のことが大好きなんだ。もちろん、君たちのことも大好きだ。嘘じゃないぜ。これは君に向けて書いてるんだ。

そう、君だよ、君!
俺はいつだって、君のことを思いながらこのブログを書いてるのさ。君のことが大切なのさ。
昔学生の頃、授業中に描いた落書きを、昼休みに仲間たちに見せびらかすような気分で、毎日コツコツと書いているのさ。
Home Town/Nagoya
昨日はプリントして、先日の旅行のネガを近所のカメラのキタムラ一宮中島通店に取りに行き、夜中の一時までそのネガをチェックしていた。連日視神経と脳みそをフル回転させているために、くたくただ。仕事よりも、精力を注いでやってるのさ。

俺はもうずいぶん長いこと写真をやってるような気がするが、最近自分の写真が昔とは全然違ってきたって思えてきたよ。昔の写真をまとめてみる機会があったんだが、その時実感したんだ。

昔は、なんだか世の中の人々が、思わず目を背けたくなるような面に、やたらとこだわっていたような気がする。人間の暗部をつかんで、平穏な暮らしをしている人々の鼻先に、ほれって突き付けるような思いがあったのかもしれない。
その頃の写真は、なんだかどこか荒んだような気配が漂っているように思う。
けれど、今はもう少し人々を愛おしむような写真が撮りたいんだ。
実際にはそんなにも変わらないけれど、俺の気持ちが変わってきたんだろう。昔は、ささくれ、やざくれて、どこか人間を馬鹿にしてたんだろう。
それに何より、どんな人も、そう例えるなら、人から決して良くは言われないような生き方をしている人も、決して悪い人なんかではなく、自ら望むと望まざるにかかわらす、何らかの契機で、そう生きざるを得なかっただけの、どこか悲しい人であり、実は愛すべき人なんだと気が付いたことのかもしれない。
もっと端的に言えば、携帯をいじってるケバい女とか、疲れたサラリーマンの親父の写真なんか撮りまくっても、もうなんもおもろないって思ったのさ。とはいえ、ときには撮るだろうけれどね。
それよりも、君が見て心躍るような写真を撮りたいのさ。

写真を撮ったり、文章を書き綴っているうちに、自分の中で何かが変わったんだろう。
大人になったってことなのか?
けれど俺は、そんじょそこいらの並の大人ではいたくないんだ。君はもうわかってると思うけどね。君をワクワクさせ続け、君を愉しませたり、君を考えこませたりするような、困った大人でいたいんだ。
俺の家の食卓で
もう一つ、話をしてもイイだろうか?1500回だ、いい区切りだから許してほしい。

俺は、君たちが寄せてくれるコメントを、とても大切に思ってる。これがあるから、このブログが、俺の一方的な垂れ流し、押し付けになろうとするのを、何とか水際で押しとどめてるんだと思う。
他にも、ブログの内容に関して直接メールやフェイスブックなんかでコメントしてくれる人もいる。
また、その一方で俺の持ってる思想や、政治信条に対して感情的にいちゃもんをつけたり、論戦、批判をしてくれる人もいる。それもまた一興だとは思う。もちろん、ある程度のレベルまでは。

俺はそのすべてに、出来る限り丁寧に、可能な限り素早く返信したいと思ってる。
そのやり取りが、俺と君たちをつなぐ縁を、強くしてくれると思っているから。

かつて、俺には黒田さんという20歳ほど年上の友人がいた。
彼は身寄りがなく、しかも病気で働けなくなってしまい、生活保護で暮らしていた。
俺とは、俺がバイクの事故で足の骨を折って入院しているときに、喫煙室で出会ったんだ。人懐っこいおじさんで、何年か俺の家に遊びに来てはコーヒーを飲み、ロックを聴き、文学や思想について語り合ったものだ。
そして、彼は何度か俺に、わざわざ本を買って送ってくれたりするようになった。
俺は、そんな好意をうけるいわれはないので、それを断ったり、しぶしぶ受け取ったりしていた。
それに、生活保護をもらっているような人から、贈り物をされても、申し訳ないってもんだろう?恐縮しちゃうぜ。
今にして思えば、身寄りや親しい友人のなかった黒田さんは、俺との付き合いが純粋にうれしかったんだろうし、それを感謝していたんだろうし、その感謝の気持ちをなんとか形に表したかったんだろう。
そんな気持ちをくみとることができなかったのは、俺がまだどうしようもない若僧だったからだ。
そんなんで、お互いの空気がギクシャクしてきてしばらく経った頃、黒田さんはこの街に見切りをつけて、九州に流れていった。
俺のもとには何度か手紙が来た。俺はそれを受け取るだけ受け取っておきながら、返事を出さなかった。そして、いつしか便りは絶えた。いま、黒田さんは生きているのか、死んでいるのか、俺には知るすべはない。

俺は酷い男だ。俺は孤独なおじさんが精一杯伸ばしてきた手を、無視するように振り払ってしまったんだからな。せっかく結んだ縁を、太くすることなく、断ち切ってしまったんだ。

その後悔が、俺の胸の中には確かにある。時折、思い出しては若い頃の自分の頑なさに、腹が立つ。二度とそんな思いはしたくない。人生は一度きりなんだからな。

だから、君たちと結んだ縁を大切にしたい。
あらためて言わせてもらうよ。
いつもありがとう。

もちろん、昔コメントをくれていたけど、いつの間にか消えてしまった人もいる。
けれど、その人たちのことも忘れたことはない。
また、まったくの匿名で言葉をかけてくれる人もいる。
きっと、ハンドルネームすら明かせない事情があるんだろう。
いつか、そんな人とも、もっと親しく接してみたい。
なにしろ、人生は一度きりなんだからな。

読者諸君、失礼する。俺はこれからも、いつだってここにいる。君が呼んでくれるなら、いつだって応えるさ。君がいなけりゃ、俺のやることなすことには何の意味もないのさ。
さて、今日はヨーロッパ旅行の写真でも、少しプリントしてみようかな?お楽しみに!

2015/04/11

Post #1466

Home Town/Nagoya
先日、天皇陛下並びに美智子妃殿下が太平洋戦争の激戦地であったパラオをご訪問なされ、戦没者をお弔いになられた。
俺は決して右翼でもないし、天皇陛下こそ現人神だとか思っているような時代錯誤な人間でもないんだが、公のために自らの人生の全てを注いで、国民統合の象徴として困難な使命を背負っておいでの天皇陛下に対して、畏敬の念を忘れたことはない。

理屈でどうこう言ったところで、戦死者を弔い、震災の被災者を労われるお姿を拝すると、かたじけない思いが湧き上がってくる。私心を抱かれることもなく、ひたすらに人々の幸せを祈り、人々の苦難に寄りそってくださるお姿には、自ずと頭を下げたくなるのだ。

とはいえ、天皇陛下万歳とかいって、勝ち目のない戦いをするとか、自らの存在を抑圧するような形で生きることを強いられるのは、まっぴら御免だけどな。

さて、異例なことではあるが、陛下は近年、現行憲法を尊重するようにとのメッセージを出しておいでだ。そのようなメッセージをお発しになられることが、すでに憲法に触れるのではないかという危惧を、陛下御自らお持ちのようであったので、そのようなご発言をなさるのは、よくよくご決心なさってのことであろうと、選挙権を持ち、自分たちの手で政治家を選ぶことのできる国民の一人として、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

そして、この時期に、あえて陛下が遠くパラオまでお出かけになられ、戦没者の慰霊追悼をなさるのは、決して我が国の国家主義を高揚させるためではないと俺は信じている。
純粋に、日本人の、そして敵であったアメリカ人も含めて、パラオでの悲惨な戦闘で命を落とした犠牲者を悼み、二度とそのような惨禍を引き起こしてはならないという強いメッセージを、俺は陛下のお姿から、汲み取らせて頂いた。
陛下は、憲法によって政治的な一切の活動発言を禁じられている。
しかし、そのおふるまいから、陛下の大御心を僭越ながら推し量ることはできるはずだ。
君にもそれはわかるだろう。
今やこの国は、アメリカの戦争の下請けができるような国へと、粛々と舵を切っている。これも国民の皆様が熱烈に支持している安倍首相の努力の賜物だろうよ、まったくもって。
そのような世の流れの中で、あえてご自身のご高齢とご不便をおして、パラオまで赴かれた陛下の大御心を、無碍にするような真似をしてはならない。陛下のお心を悩ますようなことをしてはならない。
繰り返して言うが、陛下は日本が再び戦争ができる国になることを、決してお喜びにはならないだろう。

読者諸君、失礼する。俺は決して右翼ではないけれど、古代から連綿と続く、我が国の私心なき祭司王たる天皇陛下を、実は深く尊敬しているのさ。

2015/03/22

Post #1446

夜働き続けることは、精神に悪影響を及ぼす。
芍薬。もう少し暖かくなれば、今年も芍薬を愉しめる。
他人のことは知らないが、俺の心の中には、なんだかよくわからんが禍々しいものが棲んでいるような気がする。
その禍々しいものが、深夜に仕事が終り、ひとり始発を待っている間に、心の奥底でうごめき、日常意識を押しのけて這い出して来る。

世界は深い、昼が考えたよりも深いのだ。

多くの人々が、疲れ果て、座席で眠り込んでいる電車の中で、俺は一人、燃えるような眼をして自分の中を見つめているんだ。

今朝は、少年の頃の自分が、癌で死んだ母親を本質的には死のほうに追いやっていたことを想いだした。
あのとき、弟は、母親を俺が殺したのだと言って、泣き叫んだ。
俺は、何も言い返すことが出来ず、暗がりのなかで立ちすくんでいた。
以来、生きるとはどういうことか、死とは何なのかという、答えのない問いに憑りつかれている。

あのとき、俺は、自分が母親を焼き殺して生まれた火の神になったようにも感じた。

そして、母が存命している頃から他所の女の匂いをさせていた父を、自らの生き方に自信満々であるがゆえに、他人をどこか見下したような父を、長年憎み、この手で殺したいと願っていたことを想いだした。
そしてまた、壮年に到った自分自身が、その父親と本質的には何ら変わりのないモノだと気が付き、自分がもっとも許し難いようにも思った。

そんなどこか禍々しい自分自身が、この瞬間にも胸を引き裂いて、もう一人の自分として表れてきそうな気すらし、それが夜から朝に変る不安定な時間のなせる気の迷いに過ぎないのだと自らに言い聞かせる。

その一方で、その罪を償うために、苛烈な人生を自らに与えてほしい、常人では担いきれないような使命を与えてほしいと、しらじら明けの空を仰ぎ、神とも仏ともつかぬ何かに祈る。虫がイイのかもしれないが、そうして初めて、自分が自分として生きられるようにも感じる。

昇る朝日を全身に浴びながら、駅から家までの道を歩む。そして、オレンジ色に輝く太陽を見つめる。目は当然盲いたようになり、太陽のほかは何も見えなくなる。
腹の底から、禍々しい自分の影を絞り出すようにして息を吐き、新鮮な空気を胸いっぱいに吸う。
太陽が放つ光の粒子が、息とともに身体のうちに入ってくるように感じる。オレンジ色に輝く粒子が、自分の細胞の隅々にまで駆け巡り、闇から生まれた思いを焼き尽くしてくれる。
俺は、こうして、禍々しい自分の想いを振り払う。いつものことだ。

かみさんが荷物をまとめて出ていった。

出張で上海に出かけたのだが、出かける際にくだらない口論になり、俺は玄関の扉を思いっきり閉めたのだった。もし手をかけていたのなら、指がちぎれるほどの勢いだった。
そうしてから、再び眠りにつく。目が覚めた時には世界は夕闇の中に沈んでいた。

そして、今夜は仕事も休みだ。誰も俺のことをかまってはくれないだろう。かまわないさ。

今日よりは また寂しくも 一人旅

読者諸君、失礼する。これからひとりまた飯を食い、夜通しプリントでもして暮らそう。母の子宮の中のような、暗く小さな暗室で、無意識の向こう側を見てみたいのさ。

2015/03/07

Post #1431

HomeTown/Nagoya
最近、このブログにロシアからアクセスが多い。
どうにも半分以上がロシアからのアクセスだ。
別にロシアで大人気なわけじゃない。
訳の判らんスパムかなんかが、連日ドバドバ送り付けられているだけのことさ。
ひょっとしたらプーチンが次に暗殺しようと考えてるのは、俺なのかもしれないがね。
おかげさんで、PVカウンターの数字だけは水増しされて伸びている。
まぁ、実際にコメントくれたり何らかのリアクションがない限り、君が辛抱強く読んでくれていても、ロシアからスパムが送られてきていようが、俺にとっては同じようなものさ。
だから、さみしい中年スパークスに、コメントでもくれてやって楽しませてやってくれ!
いつだって、迅速かつ誠実に対応させてもらうぜ。

先日、俺が憤慨していたブロガーの新しいアダルトコンテンツポリシーは、実施されないことになったそうだ。
よかった、よかった。これで俺のこのブログもしばらく安泰だ。相変わらず読者は少ないけどね。

ざまぁ見ろ!

きっと俺のように、各々の表現の自由を守りたい奴らが、ブースカ不満の声を上げたんで、グーグルも方針を見直すことにしたんだろう。
よかったな。どいつもこいつも型苦しいことばっかり言いやがって。
All Good Thing Is NASTYなんだ。憶えとけよ!

俺ははっきりここで言っておきたいのだけれど、いいかなぁ?

どんな物事にも、人間が絡むことには大なり小なり性的な要素が含まれている、ってことだ。

そして、もう一点。

充実したセックスくらい、多幸感を人間に与えてくれるものは、他にないんじゃないの?ってことだ。
それを、不謹慎だの、セクハラだの何だのって抑圧ばっかりするもんだから、世の中なんだか息苦しくなっちまうんだよ。
確かに、多幸感があるから、習慣性強いのは間違いないわなぁ。しゃあないわ。
しかし、性的なことが罪深いってのは、そもそもどっから来た考えなんだ?

江戸時代までの日本人は、性的にあけすけで、スケベなことに関しては、世界トップクラスだったはずだが。
やはり、明治維新以降、ヨーロッパからキリスト教を基盤とする欧米の文化が入ったことからだな。
ヨーロッパの文化ってのは、キリスト教が基礎になってるんだけど、そいつがいろいろと抑圧するもんだからな、いろいろとビザールな文化が発達してるのさ。SMだってその一つだろう。いろいろと考え出すとそれはそれでおもしろそうだが、長くなるのでやめる。ただ、キリスト教の禁欲的な宗教態度空の影響で、あんまりストレートに性を愉しむってカンジじゃなくって、背徳的で淫靡なカンジになってるわけだ。

ニーチェは、『ツァラトゥストラは斯く語りき』のなかで、ツァラトゥストラをして、『イエスがもう少し長生きしたなら、大地を愛すること、笑うことを憶えたはずだ』みたいなことを言っていたけれど、そうかもしれないな。
天上の清浄さよりも、大地の混沌と豊穣を愛することは、相手のむさくるしさを受け入れて、それをいとおしむことと何ら変わりないだろう?
そして、その果てに、笑いと喜びがあふれてくるものさ。
十字架の上のイエス様の像には、確かにそういった世界への肯定と、その末の哄笑は見当たらないな。
いかがわしさの欠片もない。
しかし、世界はいやらしく、いかがわしいものだと思う。そしてそのまま同時に、崇高で美しい。
いいセックスをすれば、その意味が分かるだろうよ。
どんなに気取ってみても、親父とおふくろが二人なかよくおめこして生まれて来たってのは、人類みな共通だろ?
そこには宗教も民族も関係なけりゃ、貧乏人も金持ちもなんら違いはない。

大昔の都都逸にもこんなのがあるぞ。

楽は苦の種 苦は楽の種 ふたりしてする人の種

OK、それが解かったらみんなお互い仲良くしようじゃないか。

読者諸君、失礼する。だいたい、そういうことをやかましく言う奴に限って、むっつりスケベだったりするもんだろ。嫌になっちまうぜ!

2015/02/02

Post #1398

Nagoya
イスラム国に囚われていた後藤健二氏が、イスラム国の処刑執行人ジハーディ・ジョンによって殺されたという。
後藤氏の冥福をお祈りしたい。さぞや無念であったことだろう。
しかし、イスラム国の狂信者が日本人や欧米人を殺害すると大きな衝撃を世界に与えているようだが、現地の人々は毎日、虫けらの様に殺されている。
同じ命なのに、その人たちの死は、如何にそれが無惨なものであっても、平穏に暮らしている多くの人々に衝撃を与えるどころか、注意さえ払われていない。
その現実に苦虫を噛み潰したような嫌な気持ちになるのは、俺だけだろうか?

ニカブという女性の目以外を覆い隠す伝統衣装の着用を拒んだ女性が、首まで埋められ、聖書の時代のような石打の刑で殺される。もし、俺がそこに暮らしているのなら、俺の知っている限りの女性たちは、素敵な女性たちは、人々が投げる石くれで、美しい顔を血だらけの肉片に変え、惨殺されるのだ。

心に罪を犯したことのないものだけが、彼女に石を投げるがいい。イエス様はそう仰った。
しかし、人々は銃口にさらされ、女性に石を投げることを強いられる。目を背ける事すら許されていない。
宗教の異なる男は、それだけで虫けらの様に殺され、女は性奴隷にされ、人間性を踏みにじられている。
子供たちは、近代的な教育を受けることは許されず、戦士の子弟だけが、学校で人の殺し方を学んでいるという。
煙草、酒、音楽、細身のズボン、髭のないあご、全てが処罰の対象で、俺はそこではただ息をしているだけで、殺されるだけの罪を得ることになるだろう。

この7か月で、1900人もの無辜の市民がイスラム国の名のもとに殺戮されたという。神の名のもとに殺されたのだという。
まるで、ケンシロウ不在の北斗の拳の世界だ。世界にはジャギやウイグル獄長、サウザーやラオウのような無慈悲な連中ばかりがはびこっている。

しかも、それは決してフィクションの世界じゃない。俺たちの生きるこの世界の出来事だ。

俺は悲しみと憤りを感じている。
俺たちの世界の出来事ならば、俺たち自身の手でどうにかすることが出来るはずなのに、俺たちがしていることと言ったら、互いの憎しみと恐怖を増幅させるような事だけだ。
だからといって、うな垂れて何もかも自粛するのは、テロに屈したような気がするので御免蒙る。
だからせめて、俺は寛大でユーモラスな人間でありたいと思う。

読者諸君、失礼する。

2015/02/01

Post #1397

大須観音、名古屋
僕の中には、ケダモノが棲んでいます。

奴は滅多に姿をさらさないので、

どんな姿かわかりませんが、

群れるのをとことん嫌う

自由気ままな肉食獣に違いない。

どこまで僕で、どこからが奴かは

僕自身でもわかりませんが、

気に入らない奴に意地を張ったり、

素敵な女性に出会った時には、

ケダモノこそが自分なのだと錯覚します。

群れるのが嫌いなくせに、そのケダモノ、

君にその存在を知らせてほしいと、切々と私に訴えかけます。

奴は、自分と同じように人のなかに潜むケダモノを探し求めているのです。

もし君が、そのケダモノに気が付いてくれるなら、

奴は君によく懐くでしょう。

ゴロゴロと喉を鳴らして、君にじゃれつき、

君の身体を優しく甘く噛むことでしょう。

甘噛んだ心算でも、相手にとっては致命傷となることに、

微塵も気が付いていないくせに。

もし君のなかに、そんなケダモノが潜んでいるなら、

僕らはもう、孤独じゃない。

読者諸君、失礼する。今日から2月、如月。如月と言えば如月ハニーだな・・・。

2014/10/25

Post #1298

HomeTown
本日、フィルム1本24カットプリント。先日旅行したネパールはカトマンズ盆地の古都、パタンの写真だ。濃密だ。人間があふれている。シャッター通りばかりのどこかの国とは、えらい違いだ。
いろいろあったので、3時間で焼き上げた。
これはこれで集中力を要するので、疲れたよ。

そんな訳で、今日はこれで失礼する。読者諸君、また明日会おう。

2014/10/21

Post #1294

HomeTown/Nagoya
さてと、そろそろまじめに働きますかねぇ・・・。
気は乗らないけどね。

読者諸君、失礼する。安倍内閣の女性閣僚辞任劇には、あほらしくって何も言う気になれないさ。