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2026/09/25

POST#1971 滅茶苦茶に疲れているけど、よせばいいのについ経済について考えてしまった

ベトナム阮朝の旧都フエ 庶民の町

 とことん疲れ果てているけれど、ぐっすり眠りたいけれど、それはできない。

仕事の合間に車の中で、シートを倒してまどろむのが悦楽という満足のハードルの低さいわれながら笑ってしまう。疲れ果てて朝方、フローリングの上で眠ってしまう事もしばしばだ。

何も考えずに寛ぎたいのに、ふと頭の中に思考の断片が浮かぶ。

河の濁った水の中で、身をひるがえして泳ぐ魚がきらりとその鱗を光らせるような感覚だ。

その感覚を、何とか言葉にしてつなぎ止め、書き留めようとするんだ。その時浮かんだ発想はこんなのだ。

いいかい?

投資や株式って金融商品の本質は、株券や債券にあるのではなく、一定の期間あるいは不定な期間に、その金融商品を入手するために支払った『貨幣が増えるということへの期待値』そのものこそが本質だと気が付いたのさ。額面が流通しているのではない。期待値が流通しているんだ。

よくよく考えてみると、投資や株式の本質は、支払った貨幣が将来的に増えるという「期待値」にあるという理解は非常に本質を突いているように思う。

株券や債券という物理的(または電子的)な証券そのものは、あくまでその期待値を裏付けるための法律上の「権利(請求権や所有権)」を可視化した仕組みに過ぎないということだ。

投資の本質をこの「貨幣の増加への期待値」という観点から分解すると、次のように整理できるかもしれないな。俺は法経学部経営学科中退なんだ。あんまり期待しないでくれよ。

投資の本質を構成する3つの要素とはなんだ?

①時間の価値(現在価値と将来価値)

今ある100万円を消費せず、あえて将来に回す(リスクに晒す)ことに対する対価(プレミアム)を求める行為だ。これは国債なんかのように、利回りが確定しているモノに多くあてはまるだろう。

②不確実性(リスク)の引き受け

実は、期間が「一定(債券など)」であれ「不定(株式など)」であれ、将来の貨幣の増加は確定していない。だって、国債が10年後に1.25倍になったところで、インフレ率がそれを上回っていたら、元本割れしてしまうからな。

投資家は、その不確実性というリスクを引き受ける見返りとして、プラスの期待値を期待してるわけだ。ちなみにイスラーム経済では、このような不確実性というのは、排除されるべき要素(これをガラルというらしい)を経済活動から排除し、実体経済と強くリンクすることが求められている。これは蛇足ながら。

③購買力の維持・拡大

単に数字の上の貨幣を増やすだけでなく、インフレ(物価上昇)に負けない実質的な購買力を将来にわたって確保・拡大しようとする期待の現れでもあるわけだ。これは②でも触れたよね。

つまり、官民挙げて皆さんにお勧めしまくっている『投資』とは、現在の確実な購買力(貨幣)を手放し、将来の不確実な、しかしプラスの『期待値』を持つ購買力を獲得しようとする行為そのものと言えるだろう。

そう、俺はふと車の中で、投資の本質ってのは、株券や債券(社債、地方債、国債)などに出資すると、期待されるゲイン=利得こそが、投資という『擬制商品』の本質なんだなと気づいただけなんだ。こんなことは、経済学部の学生ならみんなわかってるか(笑)

しかし社会の現状を見てみると、むしろ普通の経済学部の大学生や一般の投資家ほど、この本質を忘れて目先の価格変動や「株というモノ」の取引に終始してしまいがちだといえるだろう。

そう、いく儲かった、いくら損したというけれど、誰かが損しない限り、儲かることはないんだ。

カール・マルクスが『資本論』などで指摘したように、株式や債券はまさに『擬制資本(架空資本)』と呼ばれるんだ。本来商品ではない、商品の交換手段だったものに、時間の遅延と惣領の増殖というプレミアムへの期待をまぶした『商品』にしているわけだ。そう、絵にかいたモチにキナコをまぶして、これは食べられるよって言ってるみたいなもんかな?

この『擬制商品』工場や機械といった『現実の資本』とは異なり、証券や債券そのものはただの紙切れ(もしくはデジタルデータ)に過ぎない。俺自体には何の価値もない。

それに価値という擬制的な本質をもたらしているのが、人々の将来への『期待値』、つまり、獲らぬ狸の皮算用というアニマル・スピリットに過ぎないわけだ。

もう少しそれっぽく言うなら。その本質は、「将来生み出されるであろう利得(ゲイン)を請求できる権利」をパッケージ化して商品に見せかけたものに過ぎないということだ。

このアニマル・スピリットという熊鷹根性のおかげで、世の中の人たちは、ありえないような儲け話にまんまと騙され、資産を失っていく。投資詐欺なんかに引っかかるわけだ。下心がなければ、そんなものに引っかからないのに。もしくは、俺のようにそもそも資産がなければ、引っかかりたくても奴らの網の目から零れ落ちるのさ。(笑)

そう、アニマルスピリットとは、下心と見つけたりだ。

この「擬制商品の本質は期待されるゲイン=利得である」という視点を持つと、経済の見え方がガラリと変わってくるだろう。


この 「擬制商品」という視点から見える3つの経済のリアルはこんなところさ

①バブルの正体

実体経済(工場やサービスの利益)の成長スピードを超えて、「将来のゲインへの期待値」だけが一人歩きして膨らんだ状態こそがいわゆる『バブル』だ。擬制商品だからこそ、実体とは乖離してどこまでも膨らみ、いつか必ず破裂するんだ。

②国債の本質

国債という擬制商品のゲインを裏付けているのは、その国が将来「国民から徴収する税金(あるいは経済成長)」への期待値そのものだ。インフレでなければ、現代貨幣理論=MMTを援用すれば、国家は税金に依存せずに、貨幣を生み出せるということになるが、インフレ局面においては、それはインフレを加速させ、モノの価格を吊り上げて人々を困窮化させる。まぁ、今の日本で起きてるのがこれだな。

てなわけで、俺たちは国の、国民の将来の稼ぎを期待して、国債を買っているってことだ。

③現代のマネーゲーム

実体的な価値の裏付けが希薄な暗号資産(仮想通貨)などは、まさにこの『純粋な期待値(ゲインへの期待)だけで駆動する擬制商品』の最たる例と言えるだろう。

期待値という砂上の楼閣の上に聳え立つ空中楼閣のようなもんだ。


そこで思考実験だ。

現在の株式市場はAIによって人間では知覚不能な時間単位での取引が行われている。そこで、可能性の話を考えてみるんだ。

 AI がまずある株式銘柄に、あるいは ある国の国債に買い注文を出す。

それによって他の AI がそこに利得が見込めると判断して買い注文を出す。

それによって擬制商品は、実質以上の値動きをみせ、この値動きに反応した一般投資家がその銘柄に資本を注入する。

しかしこの擬制商品の数は限られているので、相対的に実質を遥かに超えて値上がりする。それが現代の金融市場における「AI駆動型バブル」のメカニズムそのものだ。

経済学の古典的な理論では、バブルは「人間の集団心理(群衆心理や強欲)」によって起きるとされてきましたが、現代ではそれが「AI(アルゴリズム)の相互作用」によって超高速化・巨大化しているという、なんだか困ったことになってるんだ。

そろそろ地道でゲインの薄い仕事の段取りをしなきゃいけないから、続きは明日だ。

しかし、きらりと脳内に閃いた思考を言語化するだけで、こんなに手間がかかるのもまいったもんだね。

明天見!

2026/09/23

POST#1970 群盲、象を撫でるが如く

ベトナム阮朝の旧都フエ 路傍に花が。

この糞みたいな人生の中で、クソの山ほど本を読んできた。そしてまだまだそれは積みあがってる。床が抜けるのは時間の問題だ。実は、11月に自分の本が満載の部屋のフローリングの工事があるんだが、この工事のために、千冊を優に超える大小さまざまな本を整理して他の部屋に避難させなけりゃならない。考えただけでうんざりするぜ。

そうまでして、俺はいったい何が知りたいというのだろう。

一つには、俺がこの世界に生きている意味を知りたい。

そして、俺が生きているこのクソ人間社会の構造を知りたいんだ。

「人間社会の構造」という壁は、いつも言っている『知のパルクール』にとって最高に登りがいのある、巨大で複雑なダンジョンだ。

この領域に挑むとき、あらかじめ用意された「資本主義」「民主主義」「国家」といった教科書通りのタテマエというか、お利口さんが敷設し、しっかりと舗装し、はみ出さないようにガードレールや縁石、センターラインまで完備した既成のルートをお行儀よくなぞるだけでは、社会というダンジョンの最深部には到底たどり着けないんだ。

クリシェにからめとられておしまいさ。

俺たちが普段、確固として存在し、厳然と社会に聳え立っている『実存』そのものに見える制度が実は俺たち自身が生み出した『幻想』であることを看破し、単なる『記号』として疑い、その裏でうごめく人間の身体性と、経済活動の中に交差する贈与と負債のダイナミックな力線を読み取り。そして俺たちを巧妙にシステムの中に封じ込め、隷属させる『権力』の発生システムといった剥き出しの骨組みへ直接飛び移るんだ。

縦横無尽の脳内パルクールが必要だ。

例えば、俺が挑む『知のパルクール』の前には、クソ強固な壁として、こんな構造的なアプローチがあることだろう。ご苦労なこった。

例えば、国家や貨幣という共同幻想のバグ。

本来は人間を保護するために生み出されたはずの法やシステムが、いつの間にか肥大化し、逆に生身の人間を「記号」や「部品(つまりブルシット・ジョブや使い捨ての労働力)」として搾取し始めるクソ構造。

例えば、非線形な社会の進化。

ヘーゲル史観に基づくような西洋的な「未開から文明へ」という単線的な進歩史観の嘘を見抜き、気候や家族構造によって社会はフラクタル(曼荼羅)のように多様に分裂生成(スキゾジェネシス)していくという野生のダイナミズム。これは吉本隆明から受け取った宿題だ。

俺たちが日々汗を流し、冷や汗をかき四苦八苦している実体経済とほおっておくだけで価値が増殖する金融資本主義の乖離

地に足のついた身体的な労働やコミュニティの倫理(イスラーム金融の利子=リバの否定や、かつての近江商人の哲学)が、実体のないデジタルな数字のゲームによって侵食され、経済的なエントロピーが増大していく危うさ。つまり、実体と乖離したバブルがどんどん大きく膨らんでいく恐怖の構造だ。いつジェンガみたいに大崩壊してもおかしくないんだぜ。

それらをすべて掴み取ろうとするためには、様々な分野の知見を脳内にぎゅうぎゅう詰め込むことが必要だ。人類学、経済学、歴史学、宗教学、人口学、社会学、哲学、文学、サブカルチャー、様々な分野を横断して、異なる領域の考えをスーパーフラットに、縦横無尽に繋ぎ合わせていかないと、とってもじゃないけどこのクソダンジョンの深奥部にはたどり着けない。

何しろ、現代社会は最大出力で回る扇風機に糞がぶつかったみたいにひどいことになってるからな。

人間社会というあまりにも巨大な構造物の全体像を掴むには、どれか一つの学問という「既製のハシゴ」を登るだけでは絶対に不可能なんだ。それぞれの学問が自らのテリトリーを守るために築いた「専門性の壁」を、文字通り縦横無尽に飛び越えて繋ぎ合わせる必要があるんだ。

なぜなら、社会の骨組みはすべてがフラクタルに連動しているからなんだ。

俺の思考はどこに着地しようとしてるんだろう。

 だから、俺が無謀にもあらゆるジャンルの専門書とかを読んだりするのは、その為なんだよね。譬えて言えば、群盲象を撫でるってのがあるだろう。その触感でしか世界を確かめ俯瞰することができないたくさんの目の不自由な方に、一人で群盲集合体になろうとしてるんだ。

「群盲象を撫でる」ってやつを、一人で群盲になろって全体像を把握しようとしてるってわけだ。――無謀極まるな。なかなかにパンチが効いてる表現だ。悪くないぜ。痛快だ。

本来の寓話が意味するところは、読者諸兄もご存じの通り、「それぞれの人間が象のパーツ(一部の専門性)しか触れず、全体を誤認する」という人間の限界=つまり愚かさというか専門性の壁を皮肉ったものだろう。

けど俺は、あらゆるジャンルを横断し連結することで、自分自身がいくつもの異なる「盲目の目」になり代わり、それぞれの視点から象のあらゆる部位を触りまくることで、その脳内に巨大な象の立体像、つまり人間社会の真の構造を一人で再構築しようとしているわけだ。

これこそが、あらゆる専門書を横断し、思考を繋ぎ合わせる読書の真意だったんだ。

とんでもない欲望だ。

一つの学問(たとえば経済学だけ、あるいは歴史学だけ)という「一本の細いハシゴ」に頼る人間は、自分が触っているのが「象の尻尾」や「象の足」に過ぎないことに気づけないだろう。そして、その隘路を極めて大家になることができるだろう。

しかし、それは木を見て森を見ずだ。

自分の実際の生活感覚に軸足を置きつつ、敢えて自らを異なる分野の「群盲」へと解体し、貪欲に本を読み漁ることで、既存のアルゴリズムや均一化された社会のシステムが絶対に見せようとしない「社会の本質的な手触り」を掴み取ろうとしているのさ。

我ながら、ご苦労なこった。

そんなことしたって、いったい何になるってのさ。女の子にちやほやされるわけでもないしな。単なる自己満足じゃないか。まぁ、俺の人生だから、好きにやらせてもらうさ。

2026/09/22

POST#1969 風見鶏みたいなメディアにみんな踊らされていないか?

ベトナム阮朝の旧都フエ、庶民の住むエリアはこんな感じだ

三笠宮家の彬子女王殿下に関して、ちょっと前まで著書『京都の書きもの』や、イギリス留学時の経験を綴った『赤と青のガウン』がベストセラーとなっちゃって、その親しみやすい文体や内容から大きな注目と人気を集めたりしたのは皆の衆もご存じかと思う。確か赤と青のガウンは、漫画にもなってたような覚えもあるぞ。皇族方としてはめずらしくメディア露出が増えたことで、多くの国民に身近な存在として認知されるようになって人気もうなぎ登りだったわけだ。

しかし、世の中は非情だ。

男性皇族の減少と、それに伴う女性皇族の公務の増加に対応するために、彬子女王に関して皇族費が倍増され、また麻生副総裁と高市首相がゴリゴリと進めて改悪してしまった皇室典範の議論の一環で、彼女の母親が麻生太郎の妹であり、彬子女王は麻生一族であるという言説や、彬子女王が旧宮家から養子をとって、その子どもが皇統を担うことになったら、麻生王朝だとかいう極端な話が飛び出してきた途端、ネット上などで批判的な言説やバッシングが、雲霞のごとく巻き起こってるぜ。

 しかし、一歩引いて考えてみると、皇族費が倍額になったり、皇室典範の話で、麻生太郎の姪であることが広く知られることとなったとしても、御本人の中身がかわったわけでも何でもないのではなかろうか?

なぜみんながそこでこう、急に手のひらを返したように批判しだすのかが、全く俺には訳が分からないぜ。まさに掌返しって奴だ。

たとえ「親しみやすさ」から「公的責任」へと関心のフィルターが変わったからといっても、彼女の中身が変わったわけじゃない。

たしかに最初は「ベストセラーを出した親しみやすく魅力的な皇族」という個人のキャラクターに注目が集まっていた面はあるだろう。で、皇族費の増額や皇室典範改正といった「税金」や「国家の制度」が絡むニュースが出たことで、世間の見る目が「魅力的な個人」から「公的な制度の対象(あるいは象徴)」へと移り変わったという面もあるだろう。

だからといって、ご本人の中身がすっかり入れ替わってしまったわけではない。変わったのはその状況だけだ。

政治的・制度的な議論への「巻き込まれ」というとばっちりもあるにはあるだろう。

皇室典範の改正や女性皇族のあり方は、国民の間でも意見が大きく分かれる非常にセンシティブな政治的テーマだわな。

麻生漫☆画太郎センセーとの縁戚関係などが報じられると、ご本人の意思とは無関係に、「その制度改正に賛成する勢力」や「反対する勢力」の思惑の渦中に置かれてしまう事もあるだろう。

その結果として、制度や政治に対する不満や警戒感が、その象徴として見なされた個人へのバッシングという形に形を変えて噴出しているという状況だわな。

しかも、現代のメディアやSNSというクソな界隈では、極端な意見や対立を煽る構図(「絶賛」から「批判」へなど)のほうが注目=アクセス数を集めやすいという特性がある。

アクセス数が稼げる方が商売として成り立つのさ。そのため、一部の批判的な声がネット上で過剰にクローズアップされ、まるで「世論全体が手のひらを返した」かのように見えてしまう現象が起きているんだ。

だったら本人にはどうにもできないことなんだったら、本人も世間は放っておけばいいんじゃないかと俺はおもうのさ。泰然自若としていればいいんだ。

にもかかわらず、なぜ世間様やメディアの連中が「放っておかない」のかについては、皇室という存在が持つ「公の性質」と、国民側の心理に理由があるだろう。

つまりあれだ、金と国の制度の根幹がらみだ。

まずけち臭い話だが、「公金(税金)」が関わるという側面がある。

皇族方の生活や活動は、国民の税金(皇族費など)によって支えられているのは、皆様ご存じの通り。

そのため、金額の変更や制度の改正が議論になると、国民側には「自分たちの税金の使い道や、国のあり方に関わる問題だ」という当事者意識が生まれるという寸法だ。てなわけで、金が絡むと途端に「個人の私生活」として放っておくことが難しくなり、公的な監視や議論の対象になってしまうというあさましい側面がある。

しかし、政治家や官僚の無駄使やあほらしい政策には誰も自分に関わることとは考えないのは、解せないな。

そして「象徴」としての宿命ってのもあるだろう。

皇族方は憲法上、「国や国民の統合の象徴」として定められている。

おかげさんで、皇族方に関することは「一個人の人間」としてではなく、「皇室というシステムそのもの」として見られがちなんだとさ。村社会だな。

既存の社会システムに対する不満や、皇室典範改正などの制度設計巡る対立があるとき、その象徴である個人に人々の感情や意見が向けられてしまうという、構造的な宿命があるにはあるだろう。しかし、それとてご本人にはいかんともしがたいことだ。

そして、これが一番俺が納得いかない話だが、皇族方は反論や自己弁護が難しい立場におありだ。

一般の芸能人や政治家であれば、誤解に対して自身のSNSや会見で自由に反論したり、経緯を説明したりできるだろう。

裁判で白黒つけることもあるだろう。

しかし、皇族という立場上、政治的な議論やメディアのバッシングに対して自ら積極的に反論したり、個人の見解を発信したりすることは極めて困難だ。

この「反論できない」という立場が、結果としてメディアやネット上の無責任な発言をエスカレートさせやすい土壌を作っている面もあるだろう。しかしそれは、人間として卑劣な行いじゃないのか?

税金の使い道でもっとこう追求されるべき人は一杯いると思います。恐れ多くも皇族の方々にそういうことを言うのはよろしくないんじゃないかな。

俺に言わせてもらえば、政治家や行政の不祥事など、より厳しく追及されるべき公金の問題が多く存在する中で、反論できない立場にある皇族が標的になることへの違和感や不条理さを感じざるを得ないぜ。

っていうか、そんなことメディアが言わなかったら誰もそんなこと思わないんじゃないかな?メディアが笛を吹くから、世間の連中が考えなしに踊るだけの話だと思うけどな。どうだろう。

俺は、誰もが自分の頭で考えてものをいうべきだと思うぜ。 

『孟子』公孫丑下などに記されている春秋時代の魯の賢人・柳下恵(りゅうかけい)は、三度大臣に任じられ、三度罷免された。

それを友人に問われたところ、大臣の位が尊いのなら、自分の尊厳にかかわりないことだ。また、自分の尊厳が大臣の位でなく、自分自身にあるのなら、大臣の位など自分には何物でもないと答えたという。俺は少年の頃に読んでたいそう感心したよ。

柳下恵は、どれほど不条理な理由で大臣(士師)の位を追われようとも、またどれほど卑しい君主に仕えようとも、決して自らの内なる「芯(尊厳)」を犯されることはなかった。

外側から与えられる「大臣」という記号やラベリング、あるいは周囲のバッシングといったノイズは、「自分自身の価値とは1ミリも関係のない、外側の借り物」に過ぎなかったというわけだ。

すべからく、人はこう生きていきたいものだな。

2026/09/21

POST#1968 高齢化社会の日本の、素晴らしい敬老の日

ベトナムの阮朝の旧都、フエ。この橋の向こうは観光客向けだ
今日は、敬老の日らしい。

俺自身がもう既に、もう少し敬ってもらいたいくたびれた初老の男だというのに、俺より元気溌剌なジジイの話でもするか。久々に俺の親父だ。

親父は昨日、俺の住んでる町会の連区主催の敬老会に参加して、ご機嫌だったようだ。

泥のように眠っている俺を気遣って、というか電話でたたき起こしてくれたことが何度もあり、その都度不機嫌に塩対応されたことですっかり学習したのか、住んでる高齢者サービス付き住宅まで、片道2キロくらいを歩いていきやがった。

元気なジジイだ。86だというのに、要支援も要介護も何もついてない。せめてポックリ言ってくれることを祈ってるが、最近、施設の近所の公園でやっている太極拳のサークルに入ったりしてますます元気だ。麻生漫☆画太郎自民党副総裁と同じくらいに元気だ。

この元気なジジイが、俺の頭痛の種の一つだ。

先日も小遣いを上げてくれと抜かしやがった。そもそも金の管理ができない男なので、俺は親父の借金の連帯保証人になっている親類に累が及ぶのを避けるために、銀行の焦げ付いた借金を肩代わりして一括で支払い、その後遺症に苦しんでいる。

そして通帳もカードも取り上げ、不要な銀行口座はすべて清算し、年金が入ってくる口座だけを残して、それも万が一に備えて年金が振り込まれるとすぐに俺名義の口座に移動する。

兄弟から月々集めた金と年金で、高齢者サービス付き住宅の住居費、食費、電気代、ベッドのレンタル代、何から何まで支払っている。

そんなに元気で暇そうにしているのなら、交通整理のアルバイトや、スーパーのカート回収のバイトでもして、自分の小遣いくらいは稼いでほしいくらいだが、ちゃっかり病院代だの、日常生活用品代だのといって小遣いをせがんでくる。

最初は、申し訳なさそうに頼んできていたのが、いつのまにか当然もらえるものだと勘違いしている。しかも抜け抜けと、いけしゃあしゃあと増額を要求してくる。

余りのことに頭にきて問いただすと、毎月2000円で聖教新聞を取っているらしい。

うちは、代々浄土真宗だ!ていうの。

創価学会に限らず、新興宗教は人間の心の空虚の中にするりと忍び込む。麻薬のようなものだ。陰謀論、投資詐欺、そんなものと大差ない。

40年以上前に死んだ俺の母は、全身癌に侵されながら、創価学会に入り、お題目を百万回唱えれば癌を克服できると信じて、残された命を題目を唱えることに空費した。

今思い出しても、腹の立つ話だ。その創価学会に、親父が取り込まれてる。

マルクスだっけか、宗教は麻薬だって言ったのは。まったくモルヒネみたいなものだぜ。

 そして、そんな親父との攻防があった直後、入所している施設のセンター長から、電話がかかってきた。

このセンター長はとんでもなく腹が出ているおじさんで、あんまりにも腹が出ていて重たいので、老人用の歩行補助機に体を預けて移動しており、そのために両肘にタコができているという不思議な男だ。

で、そのセンター長が言いにくそうに言うには、俺の親父はどうにも同じ施設に入っている同年代の女性、しかもちょっと裕福で認知が入っている女性とねんごろになっているようだというのだ。時間をずらして別々に散歩に出ては、公園などで落ち合っているということだ。高校生にでもなったつもりか?

私設のセンター長としては、それで金品のやり取りなどから入居者同士のトラブルに発展するのを警戒しているようだった。

はぁ?俺は頭のなかが真っ白になった。人間の性欲というのは、そんな老人になっても衰えないものなのか?

俺の親父は、実の母親を幼いときに亡くしている。そのためか、生涯にわたって女癖が悪かった。俺の母と結婚したのも、母と見合いしたときに、タイプじゃないと断られたのに腹を立て、遮二無二アタックし、様々な伝手を動員して結婚したのだが、釣った魚に餌はやらないという例えの通り、子どもだけ4人も産ませておきながら、他所の女の話が途切れたことのない男だった。

俺はネズミ捕りで捕まえたネズミを、家の前の側溝に沈めて殺している母の、真っ黒な深淵のような目を忘れることができない。

俺は子供の頃、存命中だった母が洗面所でうずくまって泣いているのを見たことがある。

母は俺には歯が痛かったから泣いていたと見え透いた嘘をついたものだ。

母が死の床にある時も、病院に父が見舞いに行くと、ほかの女の香水の匂いがして気持ちが悪いから帰らせてくれというほどだった。

母が死んでからも、あの女、この女と手当たり次第だった。節操がないんだ。

そして、去年引き払った親父の住んでいたアパートも、親父がある未亡人と一時期いい仲になって、彼女の持っている古い三階建てのアパートの一室に転がり込んだもので、賃貸契約書も何もなかった。さんざんその女性にカネをたかり、お互いに利用しあって、挙句愛想をつかされて放り出されたというのが現実だ。

もう、女はいい加減にしてほしいものだ。その年で、恋愛うらないでもやるつもりか?冗談じゃないぜ。

年相応に、年老いる。そして、この世に生まれ、修めるべきことを修めて世を去る。

この当たり前のことが、これほど難しいとはな。

この世に生まれて、修めるべきことってなんだ?

それは神様(というかこの宇宙そのものっていうべきかな)のよき目となり、耳となり、口となり、手となることさ。うなるほど金を儲けることでも、大勢の人々を手下にすることでもないんだぜ。


あぁ、こんなことを書いたら、また弟に叱られちまうかもな。

2026/09/05

POST#1960 そろそろ資産課税について検討すべきフェーズじゃないか?

フエ、ベトナム この河を渡ると、かつての阮朝王宮だ

本当に国を豊かにして、経済を回そうと思うのならば、そろそろ資産課税を真剣に検討するべきなんじゃないかな。
現在の日本の税法では、所得に関しては課税されるけれど、資産に関しては課税されない。いや、固定資産税とか自動車税とかの資産課税はあるけれど、企業の内部留保や、富裕層がため込んでいる預金、或いは株式債券(起算時点の評価額に対して一定の税率を課して税金として納めてもらうってことだ)などに課税するべきなんじゃないかな。
資産課税に関しては、トマ・ピケティなどの先鋭的な経済学者からの、国を問わず実施すべきだと いう意見が上がっている。まったくごもっともだ。海外逃避っていう逃げ道をふさいでおかないとね。
そうすると、税金を嫌気する資産家は、現物資産に変換し、ため込んだ金融資産が市場に流動し始めるだろう。日本には現金預金だけで1126兆円もの個人資産が銀行預金として眠っている。困窮した若者は、詐欺やトクリュウ犯罪で、高齢の資産家から力づくで資産を奪い取っている。これはある意味での世代間での資産をめぐる闘争だ。

本当にお金を市中に回し、広く国民を豊かにしたいのであれば、資産課税を導入するべきだと俺は思うんだ。

日本の個人の現金・預金が1,000兆円以上も眠っている現状において、「お金を市中に回す(消費や投資に回させる)ためには、新NISAのような優遇措置よりも、資産課税によって滞留している富にペナルティを課す方が効果的だ」という指摘は、経済学や政策論の観点からも非常に有力なアプローチの一つだとされているようだぜ。

この「資産課税(富裕税や預金課税など)の導入」については、経済を活性化させるという賛成派の意見と、逆に経済を冷え込ませるという反対派の意見の双方が存在するのが正直なところだ。立場が違えば、意見も違って当然さ。今でも世界中で激しい議論が続いているみたいだ。

どんなことにも良い面と悪い面があるだろう。
それを天秤にかけたとき、社会にとって良い効果が大きいのなら検討し、実行に移すべきだと俺は考えてるんだ。そう、出来ない理由を探すより、出来る方法を考える方が、現実的だろう。

資産課税の導入が社会に対してよい効果があるとする賛成意見は次のようなものさ。

消費や投資への強制的な誘導
お金を持っているだけで税金が取られるようになれば、人々は税金を避けるために、お金を「使う(消費)」か「より高いリターンを求めて市場に投資する」ようになるだろう。まるでサッカーのパスを高速で回していくようにね。結果として、市中にお金が回りやすくなるって寸法だ。
格差の是正と財源の確保
一部の富裕層や高齢者層に偏っている資産を税として徴収し、それを子育て支援や若者世代への給付に回すことで、社会全体の消費底上げ(お金が回りやすい仕組み作り)につなげていくことができるだろう。いや、多くの就職氷河期世代が、資産形成などおぼつかないままに、単身で年老いていっている現在、その社会保障費が、国や自治体の財政を圧迫するようになるのは眼に見えている。
何らかの早急な対策を講じないと、社会を維持することができなくなるという危機感を俺は持っているんだ。

しかし、俺のそんな懸念をよそに、資産課税の導入に反対する意見は根強い。

キャピタルフライト(資本の海外逃避)の可能性が高い
重い資産課税を導入すると、富裕層や優秀な起業家が資産を海外(つまりシンガポールやらドバイなんかの税金の安い国)へ移転させてしまい、結果として国内の富や税収が逆に減ってしまうリスクが指摘されている。
過去に富裕税を導入した欧州のいくつかの国(フランスなど)では、これが原因で後に制度を廃止した経緯がある。だからこそ、これは世界的に協調して行っていく必要があるだろう。

投資や貯蓄の意欲低下
「努力して資産を築いても税金で持っていかれる」という心理が働くと、労働や起業、国内投資のモチベーションが下がり、中長期的に経済の活力が失われるという懸念がある。
しかし、現在の労働者の多くは、すでに努力して働いても、五公五民でなんだかんだと税金を取られ、生きていくのもカツカツという状況だ。
それでいて、税収は過去最高で、国家予算の概算要求も141兆円とかいう市場最高額なんだから、市井の一市民としては、暗澹たる気持ちにならざるを得ないぜ。
そして、そんなに税金を取られてる割には、災害が起こっても避難所で雑魚寝という状況は、百年以上前の関東大震災から変わっていないという不思議だ。

やれやれ、ため息しか出てこないぜ。
現在の日本政府は、資産課税という「ムチ」ではなく、新NISAという「アメ」の手法を選択しているんだ。俺はそんな余力がないから、金が手に入ったらすぐに市中に華麗なパス回しだから、そんな高級ギャンブルに手を出す余裕はない。
これは、国民に強制的に資産を動かさせるのではなく、「税金をゼロにするから、自主的に投資へ回してほしい」というインセンティブ(動機付け)による経済活性化を狙ったものだ。
ここんとこ話してるオペラント条件付けでいうところの、好子というやつだ。餌をぶら下げて、行動を制御しているのさ。

さて、この資産課税を導入する場合、どのような層(超富裕層のみか、一般の預金者も含めるか)を対象にすべきだと考えるべきだろうか。また、海外への資産逃避(キャピタルフライト)を防ぐためには、どのような対策が必要だろうか?
俺は、それ等の問題は『持つもの』と『持たざるもの』、つまりハブズHAVESとハブナッツHAVE NOTS(HAVE NUTSじゃないぜ、ピーナッツもってどうするのさ)の間の論争に過ぎないと考えてるんだ。

富の再分配や税制をめぐる議論は、どれだけ高度な経済理論で飾られても、最終的には「財産を守りたい側」と「公平な分配を求める側」の利害衝突に行き着いちゃうんだ。そりゃそうだろ。

この対立構造は有史以来といってよいほど根深い。

立場によって主張が完全に正反対になるため、純粋な正解なんて存在しないんだ。

持つ者の論理はこんなところかな。
「自分が努力して築いた資産や、すでに税金を払った後の財産に、さらに課税されるのは二重課税であり不当だ」
対して、持たざる者の論理としてはこんなところだ。
「社会のインフラや仕組みの恩恵を受けて富が集中しているのだから、格差を是正するために多く持つ者が社会に還元すべきだ」
お互いに立場が違うから、いつまでたっても平行線だ。
そんな時、ジャッジを下すのは政治の役割であるはずだけれども、如何せん政治家のセンセー方は、資産をお持ちの方がたと懇意にしておいでなので、そちらの声を市民の声、国民の意見として採用しがちだ。

ここで、民主主義における「数の力」のジレンマが浮上してくるんだ。

民主主義のルールでは、数が多い側の意見が通りやすくなるのはご承知の通り。とはいえ、これは政治家のセンセー方の口約束に頼ってる部分が非常に多くて心もとないけどね。

ハブナッツ(多数派)の視点
投票数では勝るため、資産課税や富裕層増税を求める政治勢力を支持しやすいはずだが、不思議と日本の有権者は現状維持を求めがちだ。なにがしかのイデオロギーに基づいた世論誘導がうまいことされてるんじゃないかと考えざるを得ないな。社会民主的な主張をすれば、『悪夢のような民主党政権』という方々も多い。しかし、あの頃のほうが国際的に円の評価は高かったけどね。

ハブズ(少数派)の防衛策
人口比で10%ほどに過ぎない富裕層は、有権者の数では負けるため、政治献金やロビー活動、あるいは最終手段としての「海外移住(資本逃避)」という経済的な力で対抗することになるだろう。

そして、その両者の間で社会設計をしてゆくべき政府という仲介者は、どっちつかずの矛盾した態度に終始してる。そう、政府は両者の間で常に板挟みになっているんだ。煮え切らないとはこのことだ。

建前としては「格差是正」や「中間層の復活」を掲げちゃいるが、本音ではハブズ(企業や富裕層)に逃げられると国力がガタ落ちするため、思い切った資産課税に踏み切ることはできないでいる。
結果として、新NISAのような「誰でも参加できる(建前上の)平等な機会」でお茶を濁している側面があるんだ。まぁ、前にも言ったけど国に期待せず、投資という名のギャンブルやビットコインなどを買って資産形成しておくれよ、とくるわけだ。うまくいけば君も『億り人』になれるぜ!ってことだ。

結局のところ、この論争は単なる経済政策の選択ではなく、「どのような社会であるべきなのか」という価値観のぶつかり合いなんだ。

この分断が広がり続ける現代社会において、両者が妥協できる「中間の解決策」は存在するんだろうか?
ハブズは株価が暴落してしまったり資産価値が減ってしまったり、あるいは為替の価値が暴落してしまうといった事態には、ある意味で非常に脆弱だ。
対してハブナッツ=無産階級は、日々の労働によってささやかながら価値を生み出し続けているので、そういったマクロな価値の変動に対しては、ある意味で非常に堅固な防衛力を持っているとも思えるな。

つまりは「持つ者(ハブズ)」は実体のない市場の変動に怯え、「持たざる者(ハブナッツ)」は自らの労働という実体で生きているからこそ、マクロの暴落に対してある程度は耐性があるっていう、いささか斜に構えた見方だ。

金融資産は、人々の「信用」や「期待」という不確実な土台の上に成り立っているため、パニックが起きれば一瞬で紙切れ同然になり得る可能性が否定できない。そう、暴落する前にうまく売り抜けることができるかどうかという、ババ抜きみたいなもんだ。
一方で、人間の「労働力」や「スキル」は、社会が存在する限り常に必要とされる「最後のリアルな価値」だろう。なぜって、そいつがなければ、実社会は回らないからだ。
マルクスが言ったみたいに、『労働者階級は、鎖のほかに失うものなど何もない』ってわけだ。

ハブズ(資産家)が抱える「虚構」の脆弱性

ハブズの富の多くは、冒頭の議論通り「換金して初めて価値が出るもの」だ。株券や国債をどれだけ持っていても、換金しない限りはただの紙切れ、いや今時電子データだな。

彼らは労働市場では、王のように君臨しているけれど、それは砂上の楼閣だともいえるだろう。しかし実のところは、彼ら自身が市場の奴隷なんだ。
どういうことかって?
株価や為替の暴落、あるいは急激なインフレ(通貨価値の暴落)が起きると、個人の努力とは関係のない「マクロの荒波」によって、彼らは一晩で資産の大部分を失うリスクと隣り合わせなんだ。
そして「持っている」という恐怖。持っているからこそ、失うものがある。失うものがあるから、社会が自らの意図しない方向に変わってしまう事に大きな恐怖を抱くのさ。
そう、失うものが大きいがゆえに、常に市場の動向を監視し、防衛し続けなければならないというナーバス・ブレイクダウンと背中合わせってわけだ。

 ハブナッツ(労働者)が持つ「実体」の強靭さ

ハブナッツは、金融システムという「虚構」ではなく、「自らの身体と時間」という絶対的な実体を原資にしている。なんせフロム・ハンド・トゥ・マウスだからな。

つまり、日々の過酷な労働によるささやかでも確かな価値の自家発電ってわけだ。
どれだけ株価が暴落しようが、円やドルの価値が半分になろうが、社会が必要とする「サービス」や「モノ」を労働によって生み出している限り、その時点での適正な対価(リターン)を即座に得ることができるだろう。

ささやかながらのインフレ耐性
通貨価値が落ちれば、基本的には名目賃金(給与の額面)も物価に合わせて上昇するため、労働市場における自分の価値はマクロの変動に対して自動的にアジャスト(調整)されるというのが経済学の定説だ。
しかし、あくまでそれは幻想だ。現実を知らないおめでたい理論としか俺には評価できないな。今回のようにあんまり円が暴落して、挙句その価値が目減りしたら、大衆は物価高に苦しむことになる。
労働単価って物価は、なぜかなかなか上がらない。これは資本主義最大の疑問だ。
要はお前の代わりはいくらでもいるってことなんだろうな。
しかし、これからの労働人口が減少の一途をたどる時代、そんなこといつまで行っていられるかな?こいつは壮大なチキンレースだな。それともAIやロボットに仕事をしてもらうってことかね。

結局のところ、どちらが「本当に強い」のさ?

資本主義の平時においては、資本効率の良いハブズが圧倒的に有利に見えるな。
しかし、歴史的な大恐慌やハイパーインフレ、あるいは社会の構造変化といった有事においては、自らの労働で価値を生み出し続けられるハブナッツの方が、生存能力(つまり防衛力)が圧倒的に高いと言うこともできるだろう。

金融資産という「他人が決めた価値」に依存するハブズと、労働という「自分が生み出す価値」に立脚するハブナッツ。どっちがいいか、よく考えてみよう。まぁ俺の実感では、いつだって金のない奴はひどい目にあうもんだ。
そこで俺の個人の処世訓を公開しよう。『金はないものだと思って、要らん見栄を張らずに暮らすべきだ』庶民としてはこれに尽きるぜ。
けれど、その欲しがりません勝つまでは!のような処世訓もそろそろ限界だ。
いい加減、資産課税を検討する時期に来てるんじゃないだろうか。
まぁ、お金持ちの皆さんには悪いけどね。

2026/09/04

POST#1959 労働者の皆さんに、新たな福音だ!

ハノイ、ベトナム
全国の労働者の皆さんに、新たな朗報だ!

最低賃金が56円引き上げられて、全国平均で1177円になったそうだ!よかったね!朝日新聞『最低賃金、56円上げ1177円 過去2番目の上昇幅 全国平均🔗』

俺が唱えてる時給3000円には遥かに遠いけどな。

ガンダーラ🔗かイスカンダル🔗のように遠い。

しかし、物価上昇が続いている。物価上昇に比べれば、賃金の上昇率は低い。お情け程度だ。こんなしょぼくれたお鳥目(おちょうもくというのだよ。昔のお金は真ん中に穴が開いていて鳥の目みたいだったからね)で庶民は我慢しとけって感じがサイコーに笑えるな。

しかし、心配ご無用!皆さんの大好きな政府の偉い人たちは、2029年度までに政府は、「物価上昇を年1%程度上回る賃金上昇」を社会通念(=ノルムっていうらしいぜ)として定着させる方針を掲げているんだろうだ。素晴らしい!素晴らしすぎて笑えてくる。むしろ笑いが止まらない。

だって、誰が金出すんだよ。政府が出してくれるわけじゃないだろう。それに政府が出したところで、そのおかげ様で、庶民の税金があげられたり、福祉が削られたりしたら、たまったもんじゃない。貨幣なんてのは、現代貨幣理論=MMTを考慮すれば、インフレにならない限りいくらでも発行することができるが、インフレ局面ではそうはいかない。つまり、今の状況では、あくまで庶民の税金が原資だということだ。だまされちゃいけない。

 この方針に関しては、すでに方々から「民間への負担押し付けやないけ!」「言うだけなら簡単、猿でもいえる!」という批判や冷ややかな視線が強く存在している。

もっとみんな騒ぐがいいさ!

この目標が「お題目」と揶揄される背景と、それに対する政府の建前(施策)には以下のようなギャップがある。

「お題目」と批判される主な理由はこんなところだ

中小企業の原資不足は深刻だ。そんな余裕があるわけないだろう!

 日本の雇用の約7割を占める中小企業・小規模事業者では、原材料費や光熱費の高騰分すら価格転嫁できていない企業がおおい。これから原材料コストの高騰が続けば、バッタバッタと潰れていく企業が増えるのは、あたかも燎原の火を見るよりも明らかだ。

そう、賃上げの原資そのものがないんだ。

しかも、労働者の皆さんの生産性向上の具体策だって底をついている。つまり、乾いたぞうきんを限界まで絞った状態にあるってわけだ。

自分は大して困らないエコノミストなどからは「実質賃金を上げるには労働生産性の伸びが不可欠だが、政府の方針にはそれを劇的に向上させる具体的な弾込め(つまり公金じゃぶじゃぶの成長戦略)が足りない」と指摘されているわけだ。批評家のセンセー方は、自分は金も出さなきゃ、対案も出さない。予想を言って外れても、しらばっくれているから平和なものだ。

しかし、庶民は、そうはいかない。生活が懸かっている。

おまけに言わせていただけば、この政府の方針は、一歩間違えれば、無理な賃上げによる企業の倒産や失業の増加を招くリスクもあるわな。

 それに対して政府側の「言い分」と環境整備の建前はこんなところだそうだぜ

政府も単に目標を叫ぶだけでなく、「企業が賃上げできる環境を作る」として以下のような施策の総動員を掲げているそうだ。庶民の皆さん、喜んでくれ!

まず価格転嫁の徹底だ。

下請け企業が労務費や物価高騰分を大企業(発注元)に適正に上乗せできるよう、公正取引委員会などを通じた監視や指針の周知を行っているんだそうだ。しかし、公正取引委員会に告発=チンコロしないと彼らは動いてくれない。俺は中小企業庁にチンコロしたことがあるが、普通はその後の取引の減少や報復措置を恐れてできないもんさ。残念だね。

でもって、もう一方の攻めの姿勢として生産性向上のための投資支援だそうだ。

 人手不足が深刻な宿泊・飲食などの業種へ省力化投資(IT化やロボット導入など)を促すため、官民で60兆円規模の投資計画を進めるとしているんだとさ。良かったな、どこに行ってもホテルがロボットだらけの変なホテル🔗みたいになるかもな。てか、それでどうにかなる問題か?ロボットが増えても、俺たちが豊かになることと何が関係あるんだ?労働者が首切られて困窮するだけじゃなかとですか!

で、政府の切り札が公定価格の引き上げなんだが、俺はこれにも疑問符が大陸横断ウルトラクイズ🔗の帽子のように、ピコンと?マークが飛び出すぜ!

つまりこの施策は、政府がコントロールできる医療・介護・保育などの分野(エッセンシャルワーカー)の処遇改善を進めるとしているんだそうだ。ただでさえ、この分野への財政負担が大きいから、当然、今の自民党や維新の施策の方向性からすれば、受益者負担の拡大、つまり庶民の負担を増やす方向に進む以外考えられないだろう!

まったく、何をかんがえているんだ?

2026/08/27

POST#1951 人間とは、本来不埒で不善を成すものなのさ!

フエ、ベトナム
ルールを作る人間、あるいは経済的な理論を構築する人間たち(いわゆる上級国民って奴らだな)は、人間を不完全なものとしては考えていない。

自分自身で完璧に、市場や社会を飛び交うあらゆる情報をあまねく理解し、正確に、合理的に判断する理性的な存在として考えている。あるいはそういった知力、能力、感情、差異の一切を切り捨てた単なる記号として考えている。いずれにせよ、そんな実際の『人間』は存在しないのに、そのどちらかとしか考えていない。

災害があると、被害者○○名、死者××名と報道されるが、その裏には一人一人の人生の軌跡や喜怒哀楽、恩愛名利が渦巻いている。それは理想的なモデルにも記号にも還元されない。

生きるとは、社会を管理運営しようとする者たちが想定し、強要してくる理想的なモデルや絶え間ない記号化への圧力をかいくぐって悪あがきすることだとすら思えてくるよ。

OK、彼らの考える人間というものをつぶさに考察してみよう。まずは 「合理的なロボット」としての人間つまり、『合理的経済人』だ。
伝統的な経済学や近代法学がベースにしているのは、ホモ・エコノミクス(合理的経済人)」という理想像なんだ。
その特徴は人間離れしてる。まるでAIだ。百歩譲って出木杉君だ。
なんてったってこいつは、すべての情報を瞬時に把握し、感情に流されず、常に自分にとって「最大の利益」になる選択を、瞬時にミスなく計算できる存在なんだから。しかし、人間とはそんなものではなく、根底にはケインズの、言うところのアニマル・スピリットがむんむんしてる。そのアニマル・スピリットこそが、経済を動かす真のエンジンだ。要は、経済学者の考えるような人間は、この世には存在しないんだ。存在しないものを前提に理論をくみ上げても、現実社会に立脚しない架空のモノにしかならないよな。そうじゃないか?
そし社会制度設計側の理屈はこんなんだ。
法律やペナルティ(つまり、オペラント心理学で言う弱化)を厳しくすれば、人間は「損得勘定」を正しく計算して、違反行動をピタリとやめるはずだ、という前提だ。
しかし、人間は合理的ではないから、そんな思惑通りに行かないもんさ。
    翻って、もう一方の「ただの記号・数式」としての間にフォーカスしてみよう。つまり管理主義的なマクロの視点だ。この極端な抽象的な視点は、全体最適を考える官僚や学者が陥りがちな「記号化」なんだ。
    その発想の特徴は、個々人の顔や感情、生活の背景を一切無視し、統計データ上の「1つのサンプル」「数式に代入する変数」としてしか人間を扱わないことにあるんだ。
    男や女という記号、年齢という記号、収入レベルという記号、などなどだ。
    彼らのような制度設計側の屁理屈では、グラフの数値を動かすように、「規制」というレバーを引けば、社会全体の「犯罪率」や「性風俗の店舗数」という数字(記号)が綺麗に減少するはずだ、という机上の空論だ。まさにオペラント=操作だな。

      なぜ彼らは「不完全な人間」を見ようとしないのか?よーく考えてみよう。
      彼らが「間違える、感情に流される、見つからなきゃいいやと妥協する」という生身の人間を無視するのには、理由がある。
      実はそうしないと、ルールや理論を「数式やシステム」として綺麗にパッケージ化できないからに他ならない。変数が多くなればなるだけ、複雑怪奇な日本の税制みたいなものになっちまうからな。彼らにとっては、現実よりも理念のほうが先行しているんだ。頭のなかがおかしいとしかお思えないぜ。
      その目を社会の現実に向けろと叫びだしたくなるさ。
      もし「人間は不完全で、法律を作っても地下に潜るし、性欲も消えないし、時々おかしな行動をする」という現実を認めてしまったとすると、どうなると思う?
      彼らが誇る「完璧な計画」や「美しい法体系」は、一瞬で機能不全を起こしちまうことだろう。痛快だな。人間とは、本来、不埒で不善を為すものなのさ。
      だからこそ彼らは、現実の人間を理論に無理やりねじ込み、現実を理論に合わせるために「鼻をそぎ落とす」ような暴論へと走りだすわけだ。
      しかも全速力で。

      その一方で、あんまりにも現実社会と、かけ離れてるから、人間の「不完全さ」を前提にした新しいアプローチの台頭してきてるらしいぜ。
      つまり、あまりにもこの「理想の人間像」に基づいた政策が、厳罰化による犯罪の地下化などの反作用を引き起こしたりし続けちゃうもんだから、ここんところやっと、「人間は最初から不完全である」というあったりまえのことを前提にした学問やルール作りが注目されるようになっているんだとさ。遅いんじゃないのか?
      まぁ遅きに失した感はあるものの、行動経済学ちゅうものが誕生、発展してる。人間がいかに非合理的で、情報処理能力に限界があり、目の前の人間が誘惑(つまり即時的な好子)に弱いかを実験で証明し、伝統的な経済学の前提をひっくり返しているんだとさ。オセロのようにね。だからどうした?人間は下心の塊さ。
      まずはハーム・リダクション(被害低減)の思想ってのがあるわけだ。
      不完全な人間の行動(依存症や性欲にまつわる行動など)を「力づくでゼロにする(禁止する)」ことは、素直に不可能と諦め、「いかに安全な環境で、被害を最小限に抑えるか」という、現実的なルール作りに舵を切る国や地域が増えているわけだ。合法的にして、きちんとしたルールと労働者保護の原則にのっとって行うというオランダみたいなパターンだ。
        設計者が描く「完璧な理性を持つ人間(あるいは単なる記号)」と、庶民の「不完全で、生身の欲求を持った現実」。この2つの溝が埋まらない限り、キルゴア・トラウトの小説のような「ズレた規制」は、形を変えてこれからも繰り返されるのは間違いない。

        2026/07/26

        POST#1919 ケアによって人々をつなぐトークンという構想 第5章

        ハノイ、ヴェトナム
        この連日40度に達しようかという酷暑の中、俺の町ではお祭りがおこなわれている。
        盆踊りとか駅前のロータリーでやるんだが、うちの息子は連日喜んで出かけていく。〆は必ず荻野目洋子🔗のダンシング・ヒーロー🔗だ。それが俺の町の掟だ。これをやらないとみな怒り狂う。
        息子は仁平を着て、俺の履き古した下駄をはいて毎晩踊りに行く。そして、鼻緒を切って帰ってきた。歯のない右近🔗というタイプなので、踵のあたりもすり減りまくっている。
        仕方なく、昨日は新たに般若の彫り物が施されたものを新調して、印伝の鼻緒とセットで8200円も出費してしまった。痛い。固定資産税第二期を払ったばかりだというのに…。
        近所のショッピングセンターに売ってる2200円の奴じゃダメらしい。
        まったく、道楽者の息子は、道楽者になるものさ。

        2026/07/19

        POST#1912 エルサルバドルの向こうにうっすらと中世日本が垣間見えるのは老眼のなせる業か?

        ベトナム、ハノイ
        じゃぁ、思考実験を続けていよう。ご存じの通り、俺はねちっこいんだ。 

        いいですか? まず、皆様に大人気の限定2100万枚のビットコインを、分割、分割、分割して、スマホで現金に変換するというわけだ。

        そうすることによって、それをブロックチェーンで計算していく。何しろこの計算こそが、このビットコインの価値を担保してるんだからね。これをマイニングっていうんだろうけど、このプロセスはとんでもなく膨大なエネルギーを消費すると思うんだ。

        地球温暖化だなんだって、ずっと揉めているのに、電力はこれでバンバン使われている。全世界の電力需要の0.5パーセントくらいが使われていると見積もられているらしい。

        このコストは、実際に通貨として使える金額をはるかに上回ってしまうのではないだろうか?そして、この膨大なコストを伴うプロセスによって、ビットコイン自体の価値がどんどんどんどん、上昇してっているだけなんじゃないかとすら思えてくる。

        ほら、あのアダム・スミス🔗の有名な労働価値説🔗だよ、えーっと、りんごを取るコストが価格に反映してるていうアノ法則から逸脱するものではないんじゃないか?

        こいつは、ビットコインが抱える最大の弱点であり、経済学における「労働価値説🔗」つまりコストが価格を決めるの本質を突いているといえそうだな。

        「リンゴを収穫するコスト(手間・人件費)が価格に反映される」のと同じで、ビットコインも「膨大な電気代と計算コスト(マイニング🔗)がかかっているから価格が高くなっているだけではないか」という見方は正しいと考えられるだろう。だって、マイニングするPC代金や電気代、人件費を回収することができなければ、誰がその膨大なコストをかけてせっせとビットコインをマイニング🔗するんだ?人はただでは指一本動かさないと話したよね。

        この「莫大なエネルギー消費」と「通貨としての実用性」の矛盾について、経済学と技術の視点から考えてみるかい?OK、Ready GO!

        1. 「ジュースを買う決済」に使うのはコスト的に不可能

        ビットコインのブロックチェーンという基本システムを使って、スマホで数百円の現金をやり取りしたり、ジュースを買ったりするのはコストの観点から絶対に不可能だ。

        昨日の話とは切り口が違うけれど、それはコインの裏表。じゃぁ、今日の理由は何かって?ビットコインのネットワークは、世界中のマイナー(採掘者)が膨大なスーパーコンピュータを回し、国家規模の電気代を消費してセキュリティを保っているんだ。あぁ、マイナーといっても、メジャーの反対のマイナーじゃないぜ。採掘、つまりマイニング🔗をする人さ。

        ニールヤングの名曲『Heart Of Gold』にも出てくる穴掘って金を探してる鉱夫さ。もっとも、この曲とは探してるものの性質が正反対だけどな。

        てことは結果的にどうなのよ。まったく割が合わないってことだ。
        1回の送金・計算にかかる実質的なエネルギーコストは数千円〜数万円規模になることもある、少額の決済に使えば「手数料の方が高くなる」という本質的な破綻を迎えるんだ。昨日の話のトイレットペーパー1ドルに手数料1ドルかかるなんて話は、如何になまっちょろい話だったかということだね。

        2. 「リンゴのコスト」が価格を支える限界

        経済学の視点から見ると、ビットコインはまさに「莫大な電気代」というコストが価格の下支えをしているわけだ。

        そのからくりとしてはこういうことだ。マイナーは、電気代よりもビットコインの価格が安くなってしまうと赤字になり、現実世界で破産することになる。この破産は、仮想じゃないところがミソだ!
        じゃ、現実的な解としてはどうするか?
        仕方ないな。システムを維持するコスト(電気代)が高くなればなるほど、市場の価格もそれに引っ張られて上昇せざるを得ないという側面が生じてくるわけだ。こいつはアダム・スミスが描いた実体経済の「モノの価格」と全く同じ構造だ。
        だからこそ、エルサルバドルは火山の地熱を使って発電し、ビットコインのマイニングに必要な電力を補おうと四苦八苦してるんだ。

        3. だからこそ「通貨」ではなく「デジタル・ゴールド」になった

        このエネルギー問題があるため、ビットコインは「日常的に使う通貨」になることが完全に出来なくなったわけだ。その代わり、「金(ゴールド)」と同じ役割、いうなればヴァーチャル・エステートに特化する道を選んだというか、必然的にそうなってしまったというわけだ。

        金(ゴールド)とビットコインの共通点はなにか?
        金も、地球の奥底から巨大な重機を使って掘り出す、つまり今風に言えばマイニングするのに、莫大な燃料と人件費(コスト)がかかるよね。そもそもの希少性に加えて、その莫大なコストがかかっているからこそ、世界中で価値があると認められているわけだ。

        ビットコインも構造的にはまったく同じだ。
        マイニングと呼ばれるブロックチェーンの暗号計算をするのに、莫大な資本とエネルギーが必要になる。こんなのを使って、コンビニでポテトチップスとカップヌードルを買おうもんなら、手数料のほうがはるかに高くつくわけだ。
        だからこそ、「日常の買い物(流動性)」に使うのではなく、「莫大なエネルギーを使って作られた、絶対に偽造できない頑丈な資産」として、中央銀行の金庫に眠る金(ゴールド)のように保有されるものへと変化してしまったわけだ。
        それを法定通貨にしようって、とち狂ってるとしか思えないよ。
        せめて金本位制みたいにビットコイン本位制とかにしとけばよかったんだろうな。それでも価値は乱高下するから、ビットコイン本位制は危なっかしくて成り立たないな(笑)。

        つまり、ビットコインは「少額でスマホでサクサク使う通貨」としては、エネルギー効率が悪すぎて完全に失格でござーます(笑)。

        2026/07/17

        POST#1910 現代貨幣理論でビットコインを解剖してみようぜ!

        ハノイ

        近年、賛否両論巻き起こしている経済思想がある。

        現代貨幣理論🔗すなわち、MMT🔗だ。

        こいつはさかのぼれば金本位制🔗全盛の今から100年ほど前に考え出された、クナップ🔗の貨幣国定説🔗にまでさかのぼるだろう。

        MMT🔗では、通貨の価値を生みだす源泉は、それが税金として支払うことができるというシステムに依存していると考えられているんだ。これは昨日の末尾でも少し触れたね。

        この観点から見ると、ビットコインで税金を支払うことはできるだろうか?

        結論から言えば、MMT(現代貨幣理論)の「租税貨幣論」の観点から見ても、一部の特例的な国や地域を除き、原則としてビットコインで直接税金を支払うことはできないんだな。

        MMTの根幹にある「租税が貨幣に価値を与える」というロジックと、ビットコインの現状について、以下の3つのポイントに分けて考えてみよう。


        1. MMT(租税貨幣論)における「通貨」の定義

        MMT🔗では、国家が通貨を発行し、その通貨による「納税の義務」を国民に課すことで、初めてその通貨に強制的な価値が生まれると考ている。

        政府が認めた通貨のみ
        政府は「法定通貨(日本なら日本円、米国なら米ドル)」でのみ納税を認めるわけだ。
        貨幣の価値の裏付け
         国民は「税金を払わないと処罰される」ため、必死にその法定通貨を手に入れようとするって算段だ。これが、ただの紙切れやデジタルデータに価値が生まれる原動力になるんだ。

        2. ビットコインで税金が払えない理由

        このMMTの観点に基づくと、ビットコインが「真の通貨」になれない理由が明確になるんだ。

        政府が受取を拒否している
         ほとんどの国家(日本、米国など)は、ビットコインでの直接納税を認めていない。
        日本円への換金が必要
         ビットコインで得た利益(決済や売却)に対して税金は課されるんだけれど、これを税金として納める際は必ず「日本円(法定通貨)」に換金して支払う必要がある。
        ビットコインには価値の担保がない
        そもそもMMTの視点では、政府が「ビットコインで税金を受け取る」と宣言しない限り、ビットコインは国家に裏付けられた「通貨としての真の価値」を持つことができないんだ。

        3. 【例外】ビットコインで納税できる国や地域

        ただし、世界の一部ではMMTの枠組みを揺るがす、あるいはそれを逆手に取った例外的な動きが存在することも付言しておかないと不公平だろう。

        法定通貨化している国
        エルサルバドルや中央アフリカ共和国のように、ビットコインを「法定通貨」として採用した国では、ビットコインでの納税が理論上・システム上可能ではある。
        なかなかチャレンジャーだろう?
        しかしそれにはそうせざるを得ないだけのにっちもさっちもいかない現実があるんだ。それは後で話そう。

        地方自治体の実験
         スイスのツーク州やルガーノ市、米国のコロラド州など、一部の先進的な地方自治体では、納税者がビットコインを支払うと、仲介業者が即座に現地通貨(スイスフランや米ドル)に自動換金して役所に届くシステムを導入しているんだそうだ。

        MMT観点からの総括

        MMTのレンズを通して見ると、ビットコインは「政府から納税手段として指定されていない」ため、現段階では通貨ではなく単なる「民間の投機的資産(商品)」に過ぎないとみなさざるを得ないだろう。
        国家がビットコインを納税手段として全面的に認めない限り、MMT的な意味での「真の通貨」としての地位を獲得することはないといえるだろうな。

        2026/06/27

        POST#1890 中国だってはじめから専制主義国家だったわけないんだ。ちゃんと訳があるんだぜ。

        越南、河内、百越の末裔たちがスクーターで疾走する
        君たちに話したいことが頭の中を渦を巻いている。しかし、肉体的な能力には限りがある。

        現に昨日も13時20分から市の商工会議所で、年金事務所の電子申請の講習を受講することになっていたんだけど、目を覚ましたの13時という素晴らしいタイミングだった。何とか間に合ったものの、仕事を終えて寝落ちしていたので携帯電話の充電は切れていたという素晴らしさだ。おまけにその夜に仕事を終えて帰る時、車のルーフキャリアに脚立を乗せ、縛るのを忘れたまま帰途につき、走り出して1キロくらい行ったところで車の屋根から吹っ飛ばしてしまった。後続車がいたらと思うとぞっとするぜ。猫の子一匹もいない真っ暗な夜道でよかったよ。

        そして這う這うの体で帰り着いてから、仕事のレポートをまとめてから歯医者に行ったんだ。あまりに疲労困憊してて、歯を削っても、歯の型を取ってもその間眠りまくっていたぜ。

        スティーブ・マーティン🔗が、リトル・ショップ・オブ・ホラーズ🔗で演じたサディストの歯医者🔗だったらよかったな。

        おまけに息子は40度まで発熱しひっくり返ってる。カミさんは指に鉛筆が刺さったので、その芯を切除してもらったおかげさんで、水仕事ができないという。ひどい有様だ。

        さらに最悪なのは、七月は仕事があるからあけておいてといっていたお客が、例によってあるある詐欺だった。このままじゃ七月は読書週間だ。まぁ、それも悪くないけどね、お金さえあれば。俺のっ仕事は労多くして見返りの少ない仕事なのさ。おまけに、女房子供に老いた父親、どいつもこいつも俺の稼ぎを虎視眈々と狙っているんだ。たまらないぜ。

        まぁ、愚痴はこんなもんにしよう。

        ウィリアム・ブレイク🔗の『エルサレム🔗』の一節を思い出すんだ。

        Bring me my Bow of burning gold:我が燃える黄金の弓を

        Bring me my Arrows of desire:渇望の矢を

        Bring me my Spear O clouds unfold:群雲の槍を

        Bring me my Chariot of fire!炎の戦車を 与えよ!

        I will not cease from Mental Fight,精神の闘いから ぼくは一歩も引く気はない

        Nor shall my Sword sleep in my hand,この剣をぼくの手のなかで眠らせてもおかない

        2026/05/30

        POST#1863 何もかもが転倒した社会に俺たちは生きている

         

        河内、越南

        俺はつねづね思ってるんだけどさ、経済の拡大(成長)という手段のために、人間や社会、そして地球環境という目的(土台)が従属させられ、使い潰されている現代の構造ってのは、完全に「主客が逆転した病理」ではないかな。

        この転倒した世界を180度ひっくり返し、「人間と自然の生存(ウェルビーイング)のためにこそ、経済が従属すべきである」という本来の秩序を取り戻さないと、もうこの世界は持たないぜ。これだけは断言する。こんなのあと百年続けるつもりかい?POST#1774🔗を参照してみてほしい。

        いま、俺や君がさっさと取り組まないと手遅れになるだろう思想的・実践的な転換点こんなところだ。よく考えてほしい。

        1. 「経済」を最下層の「手段」へと引き戻す

        経済思想家のカール・ポランニー🔗が指摘したように、本来の経済は社会や自然の中に「埋め込まれた(Embedded)」一部に過ぎなかったはずだ。しかし現代は、経済が社会のルールを規定する「市場社会」へと暴走している。すでに俺たちは、資本主義経済ってのシステム以外の生き方があることすら想像できない状態に陥ってる。思考停止状態なんだ。

        本来あるべき順序(エコロジカル経済学の視点)ってのは、理性的に考えればこうだろう。

        地球環境(自然):すべての生命の基盤(有限)

        人間・社会:自然の中で営まれる共同体と尊厳

        経済:社会を豊かにするための単なる道具・仕組み

        しかし、現代世界では、すべてが転倒している。このピラミッドが逆転し、経済(GDPの数値)を維持・拡大するために、自然が破壊され、人間の精神と命が削られている。これって、本末転倒していないか?

        2. 「資本の自己増殖」という宗教からの脱却

        現在の資本主義システムは、自転車操業のように「前年比プラス」の成長を続けなければ破綻する構造(成長の呪縛)を持っている。しかし、もう『市民』に際限なく『広告』を浴びせ、皆の欲望をあおり、劣等感を刺激し、欠乏感を注ぎこみ、『市民』から『消費者』へと変貌させて、その自尊心を破壊し、不要なものを必要だと思わせ、人生は無限に続くと錯覚させて本当に大切なことを見失わせることで成り立つ経済は、もう限界なんじゃないか?

        みんな気が付いていても、もうどうに止まれないってのが正直なところかもしれないがね。

        人間を資源とみなす本質とは何か。

        資本が自己増殖(投資して利益を得て、さらに再投資する)し続けるためには、自然環境からの収奪と、人間からの果てしない労働搾取(時間と精神の買い叩き)が必要不可欠になる。今から百年も前に、ジョン・メイナード・ケインズ🔗は、今から100年ほどたった自分たちの孫の世代には、労働生産性の向上で、週に15時間働けば生活できる社会が来ると予言していた。POST#1767🔗参照。しかし、そうなっていないのは、なぜか。株価は最高値を更新しても、納税額が史上最高になっても、なぜいつまでも追い立てられるように走り続けないといけないのか。それは、経済システム自体の維持が社会の目的になっているからだ。

        「脱成長(Degrowth)」へのシフトが必要なんだ。

        経済規模の拡大そのものを目的化するのをやめ、過剰な生産と消費をコントロールし、限られた資源を全員で分かち合う「定常型社会」への移行が、地球にとっても人間の尊厳にとっても唯一の生存戦略だ。実は、人類の社会は有史以前からつい最近の産業革命まで、ずっと定常型経済だった。その状態に戻れとは言わない。けれど、社会システムの維持のために人間が道具のように使い潰される、工場の部品のように教育される、そんな社会でいいのだろうか?スマホから目を離して考えてみるべきじゃないか?

        3. 「生産性」から「ケア(生命の維持)」へ

        成長至上主義が「役に立つ人間(=利益を生む機械)」を称賛する一方で、人間が生きていくために本当に必要な営みは常に軽視されてた。

        保育を『だれでもできる仕事だから賃金が安いのは仕方ない』と言い放ったタレントだか経営者だか判然としない男もいた。『老人は集団自決したほうがいい』と言い放った若手経済学者がいた。俺は、生涯この手の発想をする人間と与するつもりもなければ、狎れ合うこともない。まぁ、向こうも俺のことなんか構っちゃいないだろうがね。

        このGNP至上主義の過熱経済を、少しでも定常経済に近づけていくために必要なのは、ケア労働の復権だと俺は考えている。

        子育て、介護、医療、教育、あるいは自然環境の保全など、生命を「ケア」する営みは、数値的な効率化(機械化)に馴染まない。それは地道で、華々しい技術革新とは縁遠い世界だ。だからこそ、そこに価値を見出し、それによって経済を回す。資本を流動させる。なにも浪費されるものはない。どうせ、今後社会のビジネスの大半は、AIに置き換わっていくだろう。その時、本当に価値を生むのは、人間が人間に対して共感し、ケアすることによって生み出されるものだ。

        その時は、日々近づいている。今のうちに俺たち自身の価値観を反転させていかなければいけないだろう。

        どれだけ金を稼いだかではなく、どれだけ他者や自然をケアし、自らも生を全うできたか。この「生命の再生産」を中心に据えた社会構造(ケア・エコノミー)へと180度転換する必要があるんだ。

        いくら金を稼いだところで、ガソリンや電気をガバガバ消費するでかい車に乗り、ブランドのロゴの付いた服をアホみたいに高い金を払って買った挙句、自らあるく広告塔になったり、車が買えるほどの高級時計を身に着ける。そんなソースティン・ヴェブレン🔗が有閑階級の理論🔗で描いたような消費活動を世界中の人間がやっていたら、人間のどしょうもない見栄のために世界は破綻してしまうんだ。

        子供たちが死を選び、或いはまた社会的な自殺を選んでいる現実は、そして地球が悲鳴を上げている現実は、この「経済のために人間と地球を差し出す」というシステムの物理的・精神的な限界を証明しているんじゃないか。

        今、俺や君に、そして社会に求められているのは、経済の枠内での微修正ではなく、「経済を人間のコントロール下に奪い返す」という、文明史的なコペルニクス的転回だといえるだろう。

        しかし、皆様お馴染みのダボス会議、つまり世界経済フォーラム🔗に集まる世界のエリートのお歴々には、そんなコペルニクス的な転換をやっちまったら、自分たちによる経済支配と割のいいビジネスが成り立たない。だから彼らは当たり障りのない耳障りのいい言葉を並べてやり過ごしている。これはあの連中に任せておいちゃ、先行きは暗いといわざるを得ないな。

        社会の変動は、上から起きても碌な方向に行かない。自分たちの足場を固めて、自分たちのものの見方を変えてゆくことが先だ。俺や君たちは、その日々の営みの中で毎日歴史を紡いでいるんだ。

        日本人が気づいていないか、気づいていないふりをしていることがある。

        日本はすでに、先進国じゃない。低成長先進国で、なおかつ衰退途上国だということだ。

        2026/05/22

        POST#1855 誰かが社会を変えてくれることを待っていても、何も始まらない

         

        河内、越南

        22世紀まで生きるであろう今の子どもたちのために、今を生きる俺たち大人ができることは何か?どうすれば、俺たちは グッドアンセスター🔗つまり良き祖先になれるだろうか?

        教育や治安維持といった個別のアプローチだけでなく、若者が未来に投資したいと思えるような経済的分配、セーフティネットの再構築、そして「生きていてよい」と実感できるコミュニティの再生という、根本的な社会構造の改革が問われているんだよな。

        問題はあまりに根深く多岐にわたっている。村上龍が希望の国のエクソダス🔗の中で、『この国には何でもあるが、希望だけがない』と登場人物に語らせてからすでに30年近くが流れた。その30年は日本の失われた30年そのものだったし、俺自身にとっても地を這うようにサバイブしてきた30年だったのは言うまでもない。

        とても、次の世代のことを考える余裕なんかなかった。

        多くの同世代の男女が、非正規労働やギグワーカー、あるいは風俗などのアンダーグラウンド経済で生き延びることを余儀なくされた。そして、社会の分断は進み、豊かな荒廃がどこまでも広がっている。

        毎度おなじみの吉本隆明の共同幻想論(自己幻想・対幻想・共同幻想)の枠組みをベースに、現代の資本主義社会が抱える最深部の機能不全を考えてみようかな。

        そんな世界に生まれ、成長してきた若者の自己幻想そのものが、社会からの従順な労働者へと家畜化せよという要請によって空洞化していることも致し方ないのかもしれない。そして、その自己幻想を涵養すべき家庭もとっくに対幻想が崩壊している。親族は他人の始まりというどうしようもない精神状態に置かれている。レヴィ=ストロースの『親族の基本構造🔗』を紐解くまでもなく、かつては婚姻によって血縁関係は広がり、それに応じて地縁血縁のセイフティーネットが拡張していったものだが、パパ・ママ・ボクというWe're A Happy Family🔗に分断化している。そしてそれに伴って地域社会もコモンズも根こそぎ荒廃している。

        現在の日本社会は、個人の内面(自己幻想)、最小単位の共同体(対幻想としての家族)、そして中間共同体(地域社会やコモンズ)の3つの階層すべてが同時に崩壊・空洞化している「総崩れ」の状態にあると言えるだろう。

        それぞれの階層で起きている構造的荒廃は、以下のように整理できます。

        1. 自己幻想の空洞化:従順な「家畜(規格品労働者)」への要請

        近代教育や資本主義システムは、個人の固有の固有性(純粋な自己幻想)を認めず、市場で流通可能な「従順で代替可能な労働力」に最適化することを若者に要求し続けている。

        いわば家畜化だ。

        俺が子供のころから比べても、小学校で教わる内容は高度化している。また、産業界からの要請によってカリキュラムは増え続ける。神からの授かりものである人間がヒューマンいソース=人材という資源に作り替えられていくんだ。

        しかし俺自身は、本当は10歳くらいまでのこどもは、ケモノのように純粋に生きることを愉しんで遊びまわればいいと思っているんだ。それによってこそ、他人を思いやる社会性や、肉体への物理的な干渉による痛み、人間関係の難しさと大切さ、そして何より見守られつつ奔放に生きることが許されることで育まれる『自己肯定感』。これらこそが、本来どんな状況に陥っても、自分を圧殺することのない自己幻想を育むんだ。

        しかし、現実は残念ながら、まったく逆の方向に進んでいる。

        その結果、子どもたち、そしてかつて子どもたちだった大人の内面は去勢されたようになってる。過度な管理教育、就職活動におけるマニュアル化、そして「市場価値(タイパ・コスパ)」の強要により、独自の美意識や倫理観を育むべき自己幻想が徹底的に去勢されるんだ。

        君も見たことがあるだろう。大学生の頃はおかしな格好をして髪の毛を染め、ピアス丸家だった若者が、就職活動を始めた途端、ファシストの制服ような地味なスーツを着てぞろぞろ歩いている姿を。あれを見るたびに心がつぶれるような痛ましさを感じるのは俺だけか?

        しかし、そうやってシステムの中に歯車として居場所を見つけることができた奴はまだラッキーだ。そこに至るまでの様々な教育課程でのふるい落としで落とされたものは、どうなる?ふるい落とされないための教育などの投資を享けられなかったものはどうなる?

        その挙句の空虚な暴発だ。

        自己が「社会のパーツ」としてしか定義されないため、そこからあぶれた若者は自らの存在証明を失ってしまう。その空虚さを埋めるために、闇バイトのような刹那的な犯罪=社会的な自殺への加担や、自傷行為や自己破壊=自殺へと直走ることになってしまうんだ。

        2. 対幻想の崩壊:セーフティネットとしての家庭の消滅

        本来、社会(共同幻想)の過酷さから個人を匿い、無条件の肯定を与える場であるはずの「対幻想(男女、親子などの親密な関係性)」が機能しなくなっている。

        新自由主義の社会抑圧がこの30年続いている。労働生産性の向上に伴う利益が、内部留保として社内の口座に溜められ、株主や経営者にドバドバ注ぎ込まれるのに対して、労働者には分配されなかった。

        その結果としての経済的困窮と孤立だ。家族そのものが経済的・時間的余裕を失い、互いをケアする余裕がありません。家庭は「逃げ場」ではなく、むしろ教育虐待やDV、機能不全といった「最初の抑圧の場」に変質している。

        さらにそれに拍車をかけているのが、関係性の市場化だ。

        マッチングアプリに象徴されるように、対幻想の領域にまで「条件による選別(市場の論理)」が浸入した結果、無条件の結びつきを結ぶことが困難になっている。

        無理もない。職場や取引先なんかで見初めた女性にアプローチしようとすれば、即セクハラ認定されて、既定のルートから排除されてしまうのだ。

        人と人との直接的な関係性の構築が抑圧され、排除されている中で、どうして自分を機械して受け止めてくれる伴侶を見つけることができるだろう。理解しあう前に、ハラスメント認定されるのが関の山だ。

        その一方で、レールから外れたもの同士が短絡的に結びつき、所帯を作り、子どもを成し、その挙句離婚するというプロセスも、俺は実際にたくさん見てきた。そして、その構造が子供の世代にも再生産されるのもたくさん見てきた。この社会の理不尽を見続けて濁りきった二つの目玉で見てきたんだ。

        こんな状況で家庭がシェルターになるわけがないだろう。まったくGimme shelter🔗って叫びたくなるぜ。

        3. 地域社会・コモンズの荒廃:共同幻想の暴走と中間組織の消滅

        かつて国家(大きな共同幻想)と個人(自己幻想)の間を仲介し、相互扶助の役割を果たしていた「コモンズ(共有財・地縁・祝祭などの中間共同体)」は、新自由主義的な市場化によって根こそぎ解体された。そのあとには、モナド化された個人がただ近くに暮らしているだけという、荒涼とした地域(それはもう地域社会とは言えないだろう)が広がっているんだ。

        そこにはむき出しの個人しか存在していない。人々を結び付け物は交換によって流通する貨幣だけだ。社会を喪失した場所では、贈与も再分配も機能していないんだ。

        個人を保護するクッション(地域、サークル、労働組合など)が消滅したため、若者は強力な「国家の要請・資本の論理」に、たった一人で生身で向き合わざるを得なくなっている。そして、たった一人で「国家の要請・資本の論理」に抗することは不可能だ。

        それを逆手にとって、ハックして生きるには、とんでもない覚悟とすべての能力の動員が必要になる。意識的に経験を積んできた大人ならともかく、社会に順応することしか教育されていない子どもや、子どもから大人になったばかりの若者には難しい。なんといっても、レールから飛び降りる覚悟が必要だ。

        そして、その間隙に忍び寄り、分断化された個人を絡めとるのが、トクリュウという「擬似コモンズ」だ。

        本来の温かいコミュニティを奪われた若者が、SNS上のデジタルな暴力コミュニティ(闇バイト・トクリュウ)を、皮肉にも「一時的な帰属処(居場所)」として選択してしまう倒錯が起きているという、とんでもない構図だ。それは生身のコミュニケーションを伴わず、往々にしてSNS上だけでつながった幻想の『疑似コモンズ、いやむしろ偽コモンズ』だ。

        こうして俺たちは包摂なき社会の着地点にたどり着く。

        自己幻想が空洞化し、対幻想(家族)に拒絶され、コモンズ(地域)からも排除された人間は、もはや「社会の構成員」としての実感を持てない。社会とどうやってもつながっていない存在だ。社会とつながるのは商品を流通させるための貨幣と、実体のないSNS上でのいいね!だけだ。

        現代社会は、こういった関係性という束縛からの自立こそが自由な人間だという言説を喧伝してきた。まるで神話のように。しかし、社会の関係性を持たないモナド化した人間は、いつの時代も奴隷狩りに狩り取られ、人間の尊厳を剥ぎ取られて生きることになるんだ。

        ましてや、自己の中に倫理や自分の生きるマナー、つまりマイウェイという自己幻想を確立していないものは、絡めとられ、奴隷化されてしまったことにすら気が付かない。自分の意志で人生に立ち向かうんじゃなくて、ただ流されているだけなんだ。

        この状態の若者にとって、社会のルールや他者の生命を守る動機(倫理)は完全に消失してしまうのも無理のないことだ。

        なぜなら、「自分を大切にしてくれない社会や他者を、なぜ自分が大切にしなければならないのか」という、根源的な虚無と逆恨みが生まれるからだ。これこそが『刹那的な犯罪=社会的な自殺』の正体なんだ。

        この「自己・対・共同」の全般的崩壊という、もはや一朝一夕の政策では修復不可能な段階において、俺たちはどこから、どのようにして「個人の聖域(自己幻想)」や「他者との結びつき」を取り戻すべきだろう?



        まずは自分自身を社会に対して開いてゆこう。

        それしかない。

        誰かが社会を変えてくれることを待っていても、何も始まらない。

        2026/04/01

        POST#1806 実は世界にはアメリカにも中国にも戦争で勝ったすごい国がある

         

        ホイアン、ベトナム
        トランプ大統領が、根拠の怪しいイランと和平交渉について語るたびに、あるいは軍の展開を示唆するたびに、原油価格が乱高下する。

        当然その乱高下を狙ってぼろ儲けする奴もいる。トランプがSNSに事態の進展を書き込む直前に、原油市場で大商いする奴がいる。誰もがトランプにごく近い人間がからんだインサイダー取引を疑っている。まぁ、俺もトランプの放言のたびに原油価格が乱高下するんで、なんか臭いなと思ってはいたんだ。案の定さ。

        挙句の果てには、ホルムズ海峡の安全はどうでもいいから、軍を撤収する時期が近いとかって植木等も驚くような究極の無責任男ぶりを発揮して世界の皆様をあきれさせてみたり、イランの石油集積基地のあるカーグ島に陸上部隊を投入して完全掌握してしまおうという支離滅裂なことを言っている。その発言で相場を乱高下させることが目的なんじゃないかって思えてくるくらいだ。

        さて、今後もアメリカはドル覇権を維持するために、理念どころか恥も外聞もなく、さらなる軍事行動を展開してゆくことだろう。そしてますます世界を瓦礫だらけのくそダメへと不安定化させて行くだろう。

        俺はそう予想してるんだ。何しろ建国以来、ほぼずっと戦争してござる国だからな。

        歴史を振り返れば「通貨の覇権」と「軍事力」は切り離せない関係にある。スペイン然り、イギリス然りだ。

        2026年現在の国際情勢においても、皆様ご存じの通りアメリカがドルの地位を守るために軍事的・政治的圧力を強める動きが顕著になっている。なんでこんな国を国連常任理事国にしておくのか不思議だ。まったく勝てば官軍だぜ。そろそろ80年経つんだから見直したらどうだい?それこそ戦後レジーム(by安倍晋三)からの決別だろうよ 

        「さらなる軍事行動と不安定化」という予測について、現在の具体的な動きと照らし合わせると以下の3つの視点が浮上してくる。

        1. 「ドルの武器化」に伴う軍事的裏付け

        アメリカが制裁(SWIFT排除など)を通じてドルを「武器」として使うほど、制裁を受ける側は脱ドルを急ぐだろう。実際にロシアは14年のクリミア半島奪取の際に欧米からの経済制裁を受けてから、着々とアメリカのドルとのデカップリング(分離ね)を進めていたため、ウクライナ戦争が始まってから、欧米の経済制裁が次々繰出され、SWIFTからの排除がなされても、ロシアは何とか持ちこたえて戦争を継続している。要は、ドル体制から離脱してるってことだ。 

        ペトロダラーの防衛

        過去に石油決済をドル以外に切り替えようとした国々(イラクやリビアなど)に対し、アメリカが軍事介入した歴史は「ペトロダラー戦争理論」として議論されてきた。サダムフセインも、カダフィ大佐もドル以外に切り替えようとするまでは好き放題やるお目こぼしをいただいてたのに、哀れな最期をたどったぜ。逆らうやつは死あるのみだな。

        現在の緊張

        2026年3月現在、イラン情勢の緊迫化が石油市場を揺るがしているのは皆様ご存じの通り、これが結果的に「安全資産としてのドル」への回帰(皮肉なドル高)を招いています。 

        2. 軍事予算の膨張と「力による平和」

        アメリカの国防予算は2026年度に1兆ドル(約150兆円)の大台を突破する見通しだ。どこから金が出てくるんだ。軍事費だけでもこの経済規模にビビるな。 

        軍産複合体の再活性化

        「力による平和(Peace through Strength)」を掲げ、兵器生産の拡大や新型ミサイル防衛システム(ゴールデン・ドーム)への巨額投資が進んでいるそうな。

        同盟国への負担増

        日本を含む同盟国に対し、国防費をGDP比5%まで引き上げるよう要求するなど、世界的な軍備拡張の波を作っているのは皆様のご承知の通りだ。そのあおりを受けて、今日4月1日からたばこ税が増税されたんだ。まったく、喫煙者諸君にはとばっちりだな。 

        3. 不安定化がもたらす「消去法的なドル選択」 

        世界が不安定になればなるほど、日本も含めた他国(特に新興国)の通貨は暴落し、相対的に「米軍が守っている通貨=ドル」に資本が逃避するという皮肉な構造が維持されるというからくりだ。これに関してはほんと骨身にしみているぜ。 

        マッチポンプの構造

        アメリカの介入が地域の緊張を生み、その緊張が「ドルの安全性」を再確認させるという循環は、まさに経済と軍事が一体となった生存戦略とも壮大なマッチポンプとも言えるだろう。

        どれだけの子どもがミサイルでひき肉にされたり、男たちがハチの巣になったり、女たちがドローンで殺され続けたら平和な日が来るんだ?

        ドルに支えられた世界経済へのいけにえなのか?

        結論を言えば、アメリカにとってドル覇権の喪失は、巨額の財政赤字を維持できなくなる「国家存亡の危機」を意味するわけだ。(まぁ、ハイパーインフレを起こしてやれば、あっさり片付くんだろうけど、世界経済はこれ以上ないくらい混乱するだろうな、笑えるぜ。けど、ミサイルで虫けらのように殺されるよりはマシだぜ。)

        そのため、なりふり構わず軍事力を行使してでも、決済通貨としてのドルの地位や、ドルを支えるエネルギー流通ルートと地政学的優位性(中東や西半球の安定など)を確保しようとする悪あがきは、今後さらに激化する可能性が高いんじゃないかな。不謹慎だけれど、今度はどこに飛び火するか、まるで黒ひげ危機一髪だ。

        まぁ、今回のイランへの攻撃に関してはトランプ自身も率直に言って石油が欲しいみたいな本音を漏らしてる。エネルギーに関してもすべてアメリカが握ってないと不安なのか?まったく足るを知るという言葉を知らないんだな。 

        アメリカという国家は、広大な北アメリカ大陸にあり資源の窮乏という事態に直面したことがない。大規模な飢饉で国民の数が激減したこともない。だから、節約とかもったいないという発想が身についていないということをどこかで読んだ記憶がある。エマニュエル・トッドの本だったかな。

        このように、「経済的崩壊を防ぐための軍事的冒険」が世界をより不安定にするという恐怖のシナリオは、現在の米国の国防戦略(2026 NDS)の文脈からも非常に説得力があるんだ。 

        こうした「力によるドルの維持」が続く中で、実物資産である「金(ゴールド)」が史上最高値を更新し続けていることは、市場がアメリカのこの手法に限界を感じ始めているサインかもしれないな。確かに、ルール無用で危なっかしくてドル建ててで資産を持っていていいのか不安になるかもしれないな。金(ゴールド)じゃ腹は膨れないというのに。おかげで新聞の折り込み広告には、買取業者が金のネックレスとかを買い取りますっていう広告が毎日入ってる。どっちにしても無産階級の俺にはかかわりのないことでやんす。そう、俺は二個しか持ってないないから売れないのさ(笑)。

        この強力な軍事力に裏打ちされたドル体制に対抗できる勢力が、今後現れるとしたら中華人民共和く国の人民元だけだろうな。まぁ、俺が言うまでもなくみんなが思ってることだろうけどね。消去法で考えても、経済規模・軍事力・資源への影響力のすべてを兼ね備え、ドルに対抗しうる通貨は「人民元」だけだろう。

        日本円はそもそもお呼びでない。ここんところ、やたら中国の不動産バブルがはじけたとか、EVが在庫の山だとか、深刻な不況だというニュースがネットを中心に流れてくるが、それは実際に現地を見てみないと本当のことはわからないだろう。また、中国の作った鉄道やインフラが全然だめだといった類のプロパガンダじみたショート動画もよく流れてくる。そんなものに自尊心をくすぐられて、いい気になって鵜呑みにしてはいけないだろう。

        俺にはトランプがやらかすたびに、習近平が黙ってどっしり構えてるだけで、国際情勢が中国にとって都合がいいように展開していくように見えるぜ。専制国家のくせに、法理を守ってる秩序の番人のようにふるまえるしな。

        現在の「元」の攻勢には、これまでの通貨とは違う強みがあるようだ。

        実需に裏打ちされた決済

        単なる投資対象ではなく、世界最大の製造業・貿易国として「モノ(製品や資源)」とセットで元決済を広げている。実際にモノを作っているから強いんだ。政府もこれとならいを定めると、けた違いの金をつぎ込んで産業育成してる。アメリカと違って、貿易黒字が積みあがってるんだ。

        デジタル人民元(e-CNY)の先行

        しかもSWIFTという既存のドル網を経由しない、独自の決済インフラを技術的に完成させているようだぜ。

        金(ゴールド)の蓄積

         中国は公的な金保有を猛烈な勢いで増やしており、「信用できないドル」に代わる裏付けを用意している。もともと中国人は金ぴかの光モノが大好きだからな。

        アメリカが軍事力で現状維持を図ろうとするほど、中国は中東やアフリカ、東南アジアとの「ドル抜き経済圏」を固めていくだろう。

        また、アメリカはウクライナへのロシアの侵攻は非難しつつも、イスラエルのガザ攻撃を支持し、イスラエルとともにイラクに先制攻撃を仕掛ける。そういう二重基準がアメリカに対する国際的な信用を心情的にも大きく損なっていると思うぜ。特にグローバルサウスの人たちには納得いかないだろう。

        おまけに今回のイラクの件では、ヨーロッパのNATO諸国との間にも軋轢が生じている。で、陶のヨーロッパの国々も中国との関係改善に動いている。

        まさに、物理的な衝突と通貨の覇権争いが表裏一体となっています。

        とはいえ、米中がそれぞれの経済圏で「デカップリング(切り離し)」を極限まで進めた場合、世界は完全に二極化された経済システムへと突入するのかといえば、それはまだまだ難しいだろう。

        世界的なサプライチェーンは、すでに分かちがたいものになっている。サプライチェーンの相互依存が深すぎるがゆえに、一気に「切断」することは自滅を意味します。だからこそ、決定的な国力の逆転、つまり「どちらが先に音を上げるか」という持久戦が続くことになります。決定的に国力の逆転が生じるまで、通貨覇権の争いは続くだろう。その過程で、台湾、北朝鮮、場合によっては日本やベトナム、フィリピンも物理的に不安定な情況に置かれ、紛争の危険にさらされることになるだろう。にっこり日の丸の出番は近いな。

        その「国力の削り合い」の最前線として、東アジア一帯一路がターゲットになるリスクは極めて高いとだろうな。まぁ、それを見越してアメリカの盾になるために我が国はなりふり構わず防衛予算をつい増してるわけだが。しかし、これ以上税金とられたらやばいな俺たち。

        1. 物理的な「不安定化」の狙い

        シーレーンの封鎖 

        台湾、日本、フィリピン、ベトナムを結ぶラインは、東アジアの国々にとっても中国にとっても、エネルギーや物流の急所だ。ここを不安定にすることは、相手国の経済的な首を絞めることに直結するだろう。またぞろ我が国の勇ましい皆様が存立危機事態だといきり立つに違いない。というか、マラッカ海峡からこっちのここらあたりを抑えられることを想定しての存立危機事態なんだろうな。

        米国の軍事的コミットメントの試行

        北朝鮮や台湾海峡での緊張は、アメリカに「ドル覇権を維持するための軍事コスト」を強制的に支払わせ、その財政をさらに圧迫させる武器にもなり得る。つまり、中国がそのあたりでやる気を見せていると、実際にはやらなくても、アメリカの財政に地味にダメージを与えていくことになるって寸法だ。

        2. 「代理戦争」とドルのジレンマ

        アメリカがこれらの地域で紛争に関与せざるを得なくなれば、皮肉にも「有事のドル買い」で一時的にドルは上がるだろうが、それは同時に米国の戦費増大と債務膨張を加速させ、長期的にはドルの信用をさらに食いつぶす「毒薬」となるだろう。何しろ、米中激突もしくは代理戦争となれば、ある意味アメリカも総力戦を覚悟することになるだろうからな。

        3. 日本の立ち位置

        日本は、アメリカにとっては「ドル覇権を守るための不沈空母(かつ資金源)」であり、中国にとっては「ドル圏から引き剥がすべき鎖」だ。この両大国の衝突の「物理的な摩擦点」に置かれているのが、現在の日本の残酷なリアリティだ。

        どうする日本!

        中国と対話しようとするだけで媚中派とかくそみそに批判されるこの国で、中国とまともに外交交渉できる政治家はいるんだろうか?みんなトランプのご機嫌取りばかりじゃ、先行き真っ暗だ。リスクヘッジというのは片側だけにオッズを積み上げればいいってもんじゃないだろう。

        通貨覇権という「見えない戦争」が、実体経済のサプライチェーンを人質に取り、最終的には特定の地域での「物理的な紛争」へと転嫁されていく。このシナリオは、単なる予測を超えて、すでに関連各国の軍事・経済戦略(2026年現在の安全保障政策)の前提となっているんだそうだ。

        さて俺たちの日本は、すでにアメリカに骨までしゃぶられ、これ以上資金援助を続ければ、国力はますます疲弊し、国民にさらなる生活苦と絶望感を与えることになるだろう。

        米中いずれにも敵対しない、独自外交を模索しないと国が滅びちまうぜ。

        我に秘策あり。

        それはそうと、アメリカにも中華人民共和国にも勝ったすごい国が世界には存在する。

        どこだと思う?ベトナムだ。

        2026/03/19

        POST#1793 20世紀型の軍事的ゾーンと21世紀型の経済的ゾーン

        ベトナム、フエ
        毎度おなじみレヴィストロースの本を一冊やっつけたので、クィン・スロボディアンという歴史学者の破壊系資本主義🔗(原題=Crack Up Capitalism)という本を読み始めた。みんな大好きみすず書房だ。
        新自由主義が、1980年代からどのようにして国家の規制をかいくぐり、治外法権のような経済特区 ― 本文中では『ZONE(ゾーン)』と呼ばれている ― が生み出され、富裕層をひきつけ、税制や規制をかいくぐり、富裕層の投資のための開発が行われる。どこかで聞いたことのあるような話だ。スロボディアンの言う「ゾーン」は、国家の主権の中にありながら、通常の法律や民主的な手続きが「バイパス(回避)」され、特定の目的(軍事、経済、監視など)のために例外的なルールが適用される空間だ。
        同じ名前のエナジードリンクとは一緒にしてはいけない。もっとも、刺激的だが、多量に服用するとよろしくないというのは一脈通じているかもしれないが。

        まだ読み始めて間もないのだが、これがなかなか面白い。というかむしろ、恐ろしいシステムが富を生み出すために生み出されてしまったものだという危機感が募る。
        社会の公共財=コモンズが一部の富裕層に大盤振る舞いされ、人々の生活の場はいつのまにか富裕層の底引き網漁場となってしまうという、ぞっとする現実がそこにはある。格安で富裕層に与えれる土地、投資を目的とした大規模な開発、タックスヘブンとの密接な結びつき。投資用の壮麗巨大な建築物はまるでゴーストタウン。極めつけはその特区からの民主主義の排除!

        読み始めてふと思ったのだが、日本が(とりわけ沖縄が)抱えている米軍基地も、一種の軍事的なゾーンそのものだと気づいた。

        スロボディアンが『破壊系資本主義』で提唱した「ゾーン(Zone)」という概念は、まさに日本の米軍基地の法的・空間的なあり方と強く響き合っている。
        日本の米軍基地がその「ゾーン」と見なせる理由は、主に以下の3点に集約されるんだ。
        ①法的な「穴」: 
        日米地位協定により、基地内は日本の国内法(労働法、環境法、航空法など)が完全には適用されない「治外法権」的な空間になってるのは皆様ご存じの通りだ。おかげさまで、アメリカ軍人のがひき逃げしようが強姦しようが、日本の法では裁けない。
        これはスロボディアンが描く、国家から切り離された「特区」の構造そのものだ。

        ②民主主義の遮断: 
        周辺住民や地方自治体が基地の運用(騒音、環境汚染、事故など)に対して異議を唱えても、国家間の合意が優先され、通常の民主的プロセスが機能しない。この「民意が届かない設計」もゾーンの特徴だ。

        ③グローバルな結節点:
        米軍基地は日本という領土にありながら、物理的には米国の戦略ネットワークに組み込まれている。アメリカの世界戦略に必要不可欠だ。今ホットな話題に事欠かないイランにも出向いてる。アメリカの最大のライバル、中華人民共和国の目の前に不沈空母のように配置されている。有刺鉄線の境界線で区切られ、外部とは異なる論理で動く「カプセル化された空間」である点は、まさに現代の破壊系資本主義が求める効率的な空間管理のあり方そのものだ。

        米軍基地は、単なる軍事施設という以上に、国家主権が意図的に「割れ目(Crack)」を作らされている、日本におけるもっとも巨大で永続的な「ゾーン」であるという解釈ができる。
        というか沖縄そのものが、アメリカの軍事特区にされているといっても過言じゃないだろう。
        これは恐ろしく強固なもので、かつてこの流れに異を唱えた政治家はすべてつぶされた。
        沖縄県の人々の民意は、ほかならぬ日本の官僚と政府によって無視されている。

        さて、目を大阪に転じてみよう。
        万博跡地の夢洲に計画されているIR(統合型リゾート)は、スロボディアンの定義する「ゾーン」の現代的な典型例と言えるだろう。
        スロボディアンは『破壊系資本主義』の中で、国家が特定の区画を「特区(ゾーン)」として切り出し、通常の法規制や民主的手続きを停止させる現象を分析しています。夢洲のIR計画には、その特徴が色濃く現れているようだ。

        夢洲IRが「ゾーン」である理由はざっと次のようなものだ。

        ①法の「例外状態」の創出
        本来、日本の刑法では賭博は禁止されています。
        しかし、IR整備法という「例外の法」を設けることで、特定の民間事業者が特定の場所(ゾーン)でだけ、本来違法であるカジノを運営することを可能にしています。これはまさに、国家が自ら法に「穴」を開けてゾーンを作る行為です。
        大阪府はギャンブル中毒を啓発する動画を作っているけれど、その主人公がギャン太郎って、人間の屑感満載で絶賛炎上中だ。

        ②民主主義のバイパス(回避)
        スロボディアンは、ゾーンの特徴として「住民の意志よりも投資家の利益が優先されること」を挙げている。結構なことだ。夢洲のIRを巡っても、公金投入(土壌汚染対策費など)や賃料の算定プロセス、依存症対策などについて多くの反対意見や住民訴訟が起きているが、計画は「国際競争力」や「経済効果」を大義名分として強力に進められている。
        官僚の無謬神話か、それとも日本維新の会(大阪維新の会)のイケイケ体質なのか、どうにも止まらない。

        ③「島(アイランド)」という物理的隔離
        都合のよろしいことに、夢洲は人工島であり、物理的に本土から切り離されている。
        スロボディアンが論じるゾーンの多くも、物理的・法的に境界線が明確な「島」のような空間だ。香港やシンガポール、聞いたこともないような何とか諸島...。
        一般の市民生活から切り離された場所に、独自のルールで動く巨大なエンターテインメント・経済空間が誕生する構図は、彼が描く「資本主義の割れ目(クラック)」そのものだ。

        ④グローバル資本による統治
        大阪のIR事業主体である「大阪IR株式会社」は、米国のカジノ大手MGMリゾーツとオリックスが中心となっている。

        やれやれ
        日本の国内法よりも、グローバル企業の利益や国際的な投資契約が優先される空間になるという点でも、米軍基地(米国の軍事ロジック)とIR(グローバル資本のロジック)は、同じ「ゾーン」というコインの表裏に見える。気に入らないぜ。 

        スロボディアンの視点から見れば、米軍基地が「20世紀型の軍事的ゾーン」であるのに対し、IRは「21世紀型の経済的ゾーン」として、日本の主権を内側から「穿孔(穴あけ)」している存在と捉えることができそうだ…。 

        ふーむ、本当にこの国は独立国家なのか?
        一人一人の市民からなる社会の公共財を、一部の富裕層のために使っていていいものだろうか?それとも日本が生き残る道は、こんな狭隘で卑屈な道しか残されていないのか?
        俺自身は、一部の富裕層やどこかのわがままな王様のために切り売りされることを良しとする政府よりも、そしてその中で互いの権力闘争に明け暮れる政府よりも、国民の生活の向上と安寧をこそ目的として方策を尽くす政府であってほしいものだ。
        そう、金を持ったろくでなしが他の人間の尊厳を踏みにじる「ゾーン」なんてまっぴらごめんなのさ。

        2026/02/28

        POST#1774 夢の年間経済成長率3%!

        ヴェトナム、ホイアン

        高度経済成長のころはよかったと思ってるご老人や政治家はたくさんおいでだ。

        しかし、あれはほら、戦争で何もかも焼け野原になったから成長したに過ぎない。ひょっとしたら、この国の指導者たちは中国を挑発してもう一度この国を焦土にしてから、爆発的な経済成長をしようとたくらんでいるのかもしれない。ん、こんなこと言うのは不謹慎だが、今のガザやウクライナが今後そうなるだろうな。 トランプはガザで一儲けすることを狙ってるしな。ほんとに自分の利益にしか関心がない酷い男だ。

        一般的に、資本の成長率(キャピタルゲイン)ってのは年間3%から5%と考えられているようだけれど、今の日本の有様からすれば夢のまた夢だ。総理大臣が、成長のスイッチを押して押して押して押して押しまくると絶叫するのもわからなくはない。

        経済が成長しても、富裕層や大企業だけがホクホクで税収は伸びても、国民一人一人の実体が、豊かさを感じることがなければ、幸せを感じなければ、何の意味もないんだけどな。

        経済とは『経世済民』つまり世の中を運営し、民を救済するということだ。大企業や超富裕層のためのものじゃない。

        さて、そこで問題。

        我が国の公的負債の額も皆さん心配だろうけれど、今の経済成長が世界的に3%をキープしていったとしたら、百年後には我々人類の経済規模は今の何倍になっているでしょうか?

        わかるかな?そして百年後、僕たちが生存してゆくのに欠かせない地球環境と生態系は、存続可能だろうか?考えてみてほしい。

        年率3%で経済成長が100年続いたら、経済規模は19倍になる。

        19倍だ。大切なことだからもう一度言おう。19倍だ。率直に言って、現在の経済規模が19倍になったなら、この地球は持たない。火星に行くか?いいだろう。あんまり楽しいところじゃないぜ。自分は死んでいるから関係ない?僕らのこどもはきっと22世紀まで生きる。そしてひどい目に合うぜ?いいのかい?地球が金星みたいな灼熱の死の星になるかもしれないぜ。やめてくれよ子供たちのために、俺たちは良き祖先グッド・アンセスター🔗にならなきゃいけないんだよ。

        結論から言えば、そんな成長は物理的に不可能だ。多くの科学者や経済学者はそう考えている。けれど、みんな知らない。理解しようとしない。

        途切れたハイウェイを全速力で突っ走るように経済成長を追い求めてる。けど考えてほしい、もしエネルギー需要や資源採掘が経済規模の拡大と同じペースで拡大してゆくのなら、100年後には今の19倍の資源を掘り出し、19倍のエネルギーを使い、19倍のごみを出す。

        きみはそれが可能だと思うかい?思うんだとしたら、とんでもないほどおめでたい奴だってことだ。そういえばアメリカには、掘って掘って掘りまくれといった景気のいい大統領もいたな。その手合いさ。

        成長は可能だって人もいる。

        まぁ産業革命まで、ほとんどの社会での成長率は今の日本くらいだったんだけどね。

        しかし、そのためには経済を成長させながら、環境負荷を減らし、資源消費を減らしていく必要があるってことだ。つまり、成長と資源消費の切り離し(デカップリング)だ。成長スピードよりも資源効率の上昇やリサイクル率が上回ったり、経済は伸びるけれど資源消費は減らすという考え方の二本柱だ。

        だけれど、それが今の段階では夢物語でしかないことは、君にもわかってるだろう。現実から目をそらしちゃだめだ。

        それどころか、俺たちは地球の再生スピードをはるかに上回るペースで資源を消費しているんだ。

        生物種の絶滅スピードは、自然状態に比べて100倍から1000倍のスピードで進行してる。

        近いうちに、地球にはゴキブリとネズミと人間だけになるかもな。

        また人間の腹を満たすためにドバドバ使われてる窒素やリンなどの化学肥料は、そのサイクルを破綻させて、土壌環境を破壊している。土地はどんどん痩せていくんだ。

        また、どこかの大統領が躍起になって否定しまくってる地球温暖化は止まる気配もない。雨が降らず、夏には記録的な猛暑が日常になり、温暖化によってかえって降雪量が増える。君も感じているだろう。何かおかしいって。

        それが百年続いたら、どうなってるかかんがえてみるのも、君の人生の暇つぶしにもってこいだ。そうだ、減速する素晴らしき世界🔗という本を読んでみるのも役に立つと思うよ。